空の境界
──変わりゆく日常──






─御上真の章─(其の二)


 俺は自分の席に戻ると、さっそく黒桐の仕事を手伝うことにした。12月も半ばを過ぎると年末年始に向かって世間様の追い込みが急激に早まってくる。
 
 それは、珍しいことにこの事務所内でも同じだった。来年2月初旬に開催される絵画展の会場作りとオブジェの設計を、うちの橙子さんは不本意ながら引き受 けたのだった。
 
 不本意」というのは、この女性は他人からの依頼を請ける仕事はせず、もっぱら自分から売り込んで仕事を始める「能天気な人」だからだ。それまでは「一人」だったので自分の食い扶持を適当に稼げばいいだけだったが、黒桐が加わり、さらに俺が加わったので、まじめに稼いでもらわないと困る。
 
 マイペースも金銭的に余裕があれば、の話だ。橙子さんには「病的」な買い物衝動があるらしく、怪しげな掘り出し物があると後先考えずに購入してしまうの だ。黒桐はそのために何度か給料をむげにされたらしい。かわいそうなヤツだ。

 橙子さんは特に良心になにか訴えるものがないのか、

 「それは趣味の一環だ」
 
 などと以前、黒桐に向って堂々と口にしていたこともあるらしい。社員とそのバイトには超個人的な趣味で、せっかくの給料を不意にされるのはごめんこうむりたい。いや、まじで……

 俺は、橙子さんの事務所でバイトするために、以前バイトをしていたコンビにの時間を大幅に変更したのだ。一応、家からの仕送りがあるものの、あまり実家に頼るのも社会勉強にならないからアパートの家賃だけは送ってもらい、日常に使う自分の小遣いくらいは自分で稼ぐようにしているのだ。
 
 しかし、趣味に社員を泣かせる美人所長も、さすがに師走と年始に「金が無い」のは
まずいと悟ったのか、俺が持ち込んだ仕事を条件付ながら引き受けてくれた。期限に余裕がないが、すでに前金で250万ばかり振り込まれているから、やら ないわけにもいかない。さらに仕事が早く進めば100万円のボーナスが振り込まれることになっているのだ。年末年始に金がないよりはあったほうがよい。
 
 そう仕向けることに成功し、橙子さんは仕事にいそしむ。俺たちもがんばる。
 
 「なあ、黒桐。このAの資材なんだが、B社だと単価は安いが期限ぎりぎり、C社だと単価は高めだが、かなり余裕をもって納品してもらえると言っている が、どうだ?」
 
 黒髪の社員は即答した。

 「そうだね、時間的余裕がない。C社でいこう。充分元はとれるさ」
 
 「よし、さっそくリダイヤするよ。この調子だと遅くとも明後日には納品してもらえるぞ」
 
 「うん、よろしく」

 黒桐の声には弾みがある。なんといっても今月の給料は確保したのだ。今回、「所長の無駄使い」という懸念も、俺が居ることで確率は低い。仕事を早く片つ ければボーナスも出るから俄然やる気が出るものだ。今までの分をまとめて精算してもらえれば、今月の給料はかなりの額になるだろう。まあ、その分出費もかさみそうではあるが……
 
 そう今回の仕事は、おけらの橙子さんのためというより、友人になった黒桐のために持ち込んだようなものだ。彼は俺と同じでアパートに独り住まいだが、大学を 辞めてしまったときに父親と喧嘩別れをしてしまい援助は期待できないという──

 ──のもあるが、黒桐は己の道に進むために啖呵を切ってしまったので「今さら」の気持ちがあるのだろう。意外に頑固な一面だ。
 
 黒桐は数ヶ月前にも、「給料来月送り」という通告を受けたことがあり、黒桐とは小学生の頃からの腐れ縁で俺の友人でもある学人からお金を工面してもらっ たこともあったらしい。
 
 一人で生きるって大変なことだ。黒桐幹也という男は、俺などより何倍も意志が強く、自分の道を信じて進む男なのだ。そういう「まっすぐな男」を放ってお く友人はいないだろう。その一人として、彼のために助力したわけだ。
 
 今回の持込の仕事は、最初に黒桐に話し、共同戦線で橙子さんを説得しにかかった。付き合いが長いのは彼だから、橙子さんの弱みをつつくのは穏やかな友人に一任したのだ。
 
 かくて、戦いは3分で決着したのである。

◆◆


 ──16時57分──
 
 「橙子さん、資材の手配、すべて終了しました。順調に行けばクリスマスまでには全て揃います」
 
 黒桐が歯切れよく報告する。橙子さんはタバコを右の指で挟んで取ると、何かが書き込まれた書類を机に投げ、黒桐と俺をみた。
 
 「二人とも優秀だな。まさか今日中に片つくとは思わなかったぞ。共同戦線、かくのごとしだね」
 
 どうやら若干は根に持っているらしい。ともあれ、所長もやるといったらやる人物なので、俺たちも彼女が仕事をスムーズに上げるための環境くらい整えなく てはいけない。そういう意味では「確かによくやった」と誇れるだろう。

 「では所長の進み具合は?」
 
 俺が質問する。別に意地悪ではなく、橙子さんの作業の進捗によっては、仕事を手伝ってくれる業者と日程の話し合いをしなければいけないのだ。それを知っ てか知らずか、橙子さんはニヤリと笑って意味もなく前髪をかき上げる。さまになってるのが流石というところだろう。
 
 「 心配するな、二人のおかげで仕事に集中できた。会場のレイアウト図を基に必要な概要は構築できた」
 
 ほら、と言って、さっき机に置いた紙を俺たちに見せる。それは手書きでおおよその会場オブジェの図面や寸歩の数値が細かく書かれていた。
 
 「ちょっと一休みしたら、すぐに正式な図面を起こすよ。なあに、私がその気になれば一晩で仕上げるさ。そうすれば後が楽だ。クリスマスと正月くらいゆっ くりしたいからね」
 
 「へえ、クリスマスの予定があるんですか?」
 
 間髪いれずに黒桐が悪びれもなく言ってしまう。
 
 「たいへん失礼な発言だな。これでも昔は『引く手あまたのクリスマスクイーン』と呼ばれていたんだぞ」
 
 橙子さんは少し顔を膨らませて語気を強める。本当かどうかはさておき、この女性に「クリスマス」など必要があるのだろうか。黒桐曰く、「あの女性に世俗 的なイベントは意味がない」という評だが、あえて、「クリスマス」と発言した意図というのか「企み」というのが気になる。

 「なあに、簡単なことだ。日々厄介ごとにつき合わせているお前たちに、私から慰安の意味を込めてパーティーをしようというのだよ」
 
 はあ、と俺たちは感情のかけらもない返事をする。俺たちが驚くと思っていたのか、橙子さんは「つれないねぇ」とグチを漏らしてタバコをもみ消した。
 
 「御上のおかげで資金はあることだし、私もそのくらいはしてやらないと、と感じるわけだ。そうそう、遅くなったがこの際、黒桐と御上の歓迎会と忘年会も 兼ねよう。うんうん、そうしよう! どうだ?」
  
 「!!!!」

 こうして、半ば強引に開催が提案された。特に用のない俺はまったくかまわなかった。むしろ所長の予想外の提案は嬉しいかぎりだった。黒桐と式さんはかなり胡散臭げな表情をしていたけどね。
 
 高校生の頃、俺は黒桐や両儀の間に入ることを固く自重していた。数年たってついに彼らと関われる瞬間が到来し、他の誰も入り込めないであろう「日常の中 の非日常の空間」でみんなと一緒に過ごせることがたまらなく嬉しい。
 
 「俺は橙子さんの提案に賛成します。これで皆さんとより親睦を深めたいです。この面子でパーティーだなんて嬉しいじゃないですか」

 橙子さんは、彼女を支持する俺を見て「Good」のサインをだす。
 
 「なあ黒桐、お前ももちろん賛成だよな?」
 
 俺は黒桐の肩に手を回して彼の顔を覗き込むが、黒ぶち眼鏡の友人の表情は「驚き」と表現してよかった。
 
 「なんだ黒桐、その顔は?嬉しそうじゃないなぁ」
 
 すこし怒り顔の橙子さんが黒桐に詰め寄り、指先で彼の額を“バチン”と弾いた。「わあ」と情けない悲鳴を小さく上げた友人は我に返ったようで、
 
 「すみません。ええと、いや、橙子さんが何かしてくれるなんて信じがたくて……」
 
 とすこし慌てた口調で言う。そうか、その言葉に隠された意味は深い。やはり長い付き合いだと苦労が絶えないらしい。親友にお金を借りるくらいだからな。
 
 「コ、ク、ト、ウ、お前、参加しなくていいよ」
 
 橙子さんが凄みのある声で通告する。あーあ、だいぶ怒らせてしまったらしい。あのクールな彼女がプンプンしている。なんか意外に貴重かな?
 
 「怒った橙子さんの表情も素敵ですね」
 
 などという軽率な世辞は、完全武装の原子力空母にイージス艦を付けるようなものだ。
 
 ここは友人である俺が人肌脱がねばならない。とりあえず黒桐の頭を強引に下げさせる。
 
 「橙子さん、黒桐は決して他意があったわけではありません。むしろその逆です。彼の態度や発言は、所長の気遣いへの純真な感動からなのです。彼はそれを 確かめたくて、失礼な発言をしてしまっただけなのです。どうか黒桐を許してあげてください」
 
 平身低頭。俺と黒桐は頭を下げ、橙子さんの反応を待った。これがだめなら、もう一つ作戦があるが、両儀式が味方につかないと成功しない。
 
 しかし、幸いにも橙子さんは、
 
 「二人とも顔を上げろ。悪かった。私も大人気なかった。さっきのは失言だ、取り消すよ。黒桐、お前がいないとつまらんからな」
 
 と言って許してくれた。きっと最初から怒ってなどいなかったのかもしれない。顔を上げると橙子さんは腕組みしたまま、はずかしそうにそっぽを向いてい た。

 「よかったな、黒桐。お前は橙子さんの家族のようなものだから、やっぱりいないとつまらないってさ」
 
 「おまえもだぞ、御上」
 
 「えっ?」
 
 「御上、お前も私にとっては身内だよ。日は短いけど立派な身内さ。」

 橙子さんが神妙な趣でつぶやく。その言葉の響きを理解したとき、涙くらいは出てしまったかもしれない。
 
 たとえそれが彼女の戦略であっても……



──御上真の章──(終幕)につづく

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あとがき

本来はあとがきはなかったのですが、修正ついでに書かせていただきます。
投稿して一年以上が過ぎ、いろいろ修正したくなりましたw

いやー、しかし「オリキャラもの」って難しいですね。ファンにとって愛着のない「オリキャラ」をいかに好きになってもらうかというのが一番の壁だと思うのですが難しいです。
単純にコミカルに走ればいいというものでもないと思っているので、余計に難しく感じます。

修正+加筆をいたしました。手抜きの挿絵は削除しました(エ

2009年11月11日──涼──

 初回投稿日2008年3月23日

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