空の境界

──変わりゆく日常外伝──


『魔眼対峙』



 1998年師走の初頭。夜の繁華街は寒さをものともせず、今日も賑わいを見せていた。クリマスのネオンを楽しむ者、今年一年を振り返る者、忘年会の席でグチをこぼす者、気の知れた仲間と肩を組んで通りを迷惑にも練り歩く者・・・それぞれの時間が個別に絡み、多くの悲喜劇を生み出そうとしていた。

 「あと一ヶ月で今年も終わりだな、今日は飲むぞ!」

 「来年は世紀末だぜ、今年中に遊んでおくか」

 「そういえばそうだったな…死ぬ前に告白でもしておけよ」

 「えー、いや、自信ないス…」

 そんな他愛もない会話が交わされ、きらびやかなネオンが冬の空の下を彩り、行き交う人々の熱気を引き上げる。喜怒哀楽が渦を巻いては駆け抜け、渦を巻いては繁華街全体に広がっていく。
 
 そんな賑わいも、ほんの数時間前まで……

 初冬とはいえ、深夜になれば繁華街も人々の足と心を遠ざける。いくつかの夜のネオンを残し、ひっそりと街は静まり返っている。それでも表の通りは、不安と寂しさというマイナスの感情からは遠いように思われた。

 ……雑居ビルとビルの裏通り。暗く、人の気配もまったくないはずの一角で、その人影は直立していた。暗闇のせいで表情は定かではない。わずかに反射した月明かりが足下だけを照らしている。

 「これで四人…」

 そのつぶやきは若い男のものだった。男はゆっくりとかがみ、目の前にある顔の半分を横に切断された惨殺死体を観察する。周囲には飛び散った鮮血が薔薇の群を描き、死体の周囲は血の海と化している。その切断面は信じがたいほど滑らかだった。

 「一閃か…」

 哀れむように声を押し出した若い男は、不意に全身に寒気をもよおし左を振り向く。そこにはもう一つの人影…

 その人影は暗闇からゆっくりと姿を現し、ぼんやりとではあるが男に全身を視認させる。

 (女…赤い色の上着に着物…そうか来たのか!)

 暗がりの中、通常の視覚では判然としない姿も、その男には誰であるのかはっきりと判っていた。肩口で乱暴に切り添えられた黒髪、襟にボアのある赤い色の革のジャンパーをまとい、身体を包む服装はいまどき珍しい青い色に近い一重の着物だった。足元はこれまた意表をつく茶色の編み上げのブーツである。

 「それでも、似合うから恐れ入る」

 男は呟き、彼の眼前に堂々と立つ女の存在に口元をほころばせる。

 「ついにこの時がやってきた。あの時、脳裏に映し出された彼女そのままだ!」

 興奮と高揚を抑えるように若い男は粛然と立ち上がり、もう一人の前に立つ。

 「お前が殺ったのか?」

 戦慄をこめて暗闇から現れた「女」は言った。声は間違いなく男の知っている『彼女』の声帯だった。そうであるはずなのに、これほどの威圧と恐れを抱かせるとは! 男はわずかに身震いした。

 そう、あの時とは違う彼女の雰囲気と姿に男は軽い興奮を覚えたのだ。男を支配するのは心地よい感情…目の前にある歓喜と懐かしさに彼は答える。

 「もし、殺したのが俺ならどうする?」

 瞬間、男の瞳がオレンジ色に輝き、対して二つの青い光が闇に浮かぶ。

 「狩る!」

 女が低くほえた直後、数メートルの距離はあっという間に縮まっていた。女の右手に握られた白刃が闇を切り裂きながら、その眼は赤く横に光る男の喉元を正確に真一文字に捉える…

 「なにっ!」

 …はずだった。白刃は紙一重でかわされ、男は残像を残したまま、女の右横をすり抜ける。

 「お前!」

 刹那、女の身体能力も人のそれではなく、疾走して踏み込んだ右足で地をけり、逆走していく男の喉元を再び捉える。しかし…

 キーン、という空を切る音が、女に二刃目の失敗を確信させる。女が追った男の気配は、彼女が捉えた場所からすでに数メートル離れた暗闇の中にあった。

 刹那の2撃…

 それだけで女は、男の実力を正確に悟った。

 「やるじゃないか」

 いまいましさよりも賞賛をこめて女は声を出さず笑った。連日、血のにおいを辿ってみれば、目標を補足できた上に、まさかこんなにも愉しい殺し合いができる獲物だったとは!

 今までとは次元の違う“殺し合い” 

 「荒耶宗蓮以来か? いや、それ以上か、こんなに愉しいのは……」

 ゆらりと女は立ち上がり、右手に握りしめた白刃をゆっくりとかざす。わずかな光を集めた刀身が切っ先で冷たく輝く。

 そのままたてに構えるように、暗闇に居る男に向かって白刃を突き出した女は直後、歓喜の表情を失望の表情へと一変させた。

 「お前、どうしてだよ? なぜ急に殺せないやつになる!」

 問いただす女の言葉に闇にいる男はすぐには答えない。先ほどまでの殺気が完全に消え去っていたのだ。男の目も光っておらず、闇夜に隠されたその表情はまったく窺い知れない。

 二瞬の時間を経て、闇から発せられたつぶやきが女を驚かせた。

 「両儀式…さすがです。」

 女は、驚きを瞬時に納めて険しい顔をする。

 「おまえ、何者だ。なぜオレの名前を知っている。 姿をみせろ!」

挿絵

 その問いかけに男は暗闇から少しだけ姿を現したが、やはり顔は判然としない。

 「残念ですが時間がありません。もう少しするとここに人が来ます。私はこのまままっすぐ暗闇に向かって進みます。式さん、あなたは、あなたの後ろにあるT路を左に進んでください。そうすれば誰の目にも留まらずにここから離れることができます」

 「まて!お前は…」

 「機会があればまた会えるでしょう…それでは」

 男はそう告げると、漆黒の中に溶け込むように消え去ってしまった。だが、女は見逃さなかった。去り際、一瞬だけ月の光を受けて浮かんだ男の左耳に飾られた碧玉のイヤリングの存在に。

 「あれは…」

 女は白刃を鞘に納めると、この場所に近づく複数の足音を聴覚に捉える。どうやら犯人らしき男の言うとおりらしい。これは罠か? 

 複数の足音はどんどん迫ってくる。どうやら考えている時間はないようだ。

 「ちぃっ! いいだろう、言うとおりにしてやる!」

 女は吐き捨て、風のように走り出す。その影もあっという間に暗闇に消えていった。

 この夜、二人の対峙を目撃したのは月と白刃と横たわる死体のみ・・・

 これが両儀式と、彼女を慕ったある男との日常へとつながる確かな「序章」であった。


 ─END─


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 空乃涼です。この話は本編「変わりゆく日常」でちょっと語られている「連続猟奇切り裂き魔事件」に触れたものです。書いたのはかなり前なのですが、その本編を書くことがなかなかできず、掲載していなかったものです。今回、容量もないのですが、完成している二話のうち序章の部分だけまず掲載することにしました(汗 二話目は修正中)

 話の全体だけ形になっているという感じであり、細かい部分がパズル状態ではありますが、綴りたい話ではあります。もっと自分に執筆能力があればよいのですがorz

 ENDにしているのは続きが書けるかどうかわからないからです(汗

 この時点で劇場版も残すところ第7章のみとなりました。現在、1章〜6章までのダイジェスト版というべきRimixバージョンが公開されています。第6章の新作カットとかあるみたいなので観にいきたいのですが……

 こういうときに限って忙しいです(泣

 2009年4月1日──涼──

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





押して頂けると作者の励みになりますm(__)m

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.