戦いは最終局面に向っていた

 はっきり言って、同盟軍はまたも負けつつある
 帝国軍に中央から突き崩され、分断されつつあるのだ
 でも、ヤン准将は「負けはしない」と言った
 信じたい、私は信じたい。みんなもきっと信じていたいはず

 それでも、どうするのだろう
 この状況、ここからの逆転などあるのだろうか?
 危機的な状況、それを一体……
 一体、あなたは何を考えているの?

 私には思いつかない
 艦長にもわからない
 誰にもわからない
 知っているのはあの人だけ

 ヤン・ウェンリー准将
 あの人の凄さと魔術を
 私たちは目撃するのだ

 そして…………

 


  ──ホシノ・ルリ──







闇が深くなる夜明けの前に

機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説









第四章(中編・其の三)

『飛翔の戦場/アスターテが生んだ新しい時代の予兆』





T


 ルリが、最終局面におけるアスターテ会戦の戦況をみんなに伝えた。その声は若干上ずっていた。

 「帝国軍艦隊、紡錘陣形のまま同盟軍の中央を突破しつつあります」

 直後に艦橋から嘆き声のようなものが聞こえてきた。やはりダメなのか? 同盟軍はまたしても帝国軍に全滅させられてしまうか、このまま多くの犠牲を出してしまうのか!

 メグミは、もう見ていられないとばかりに手のひらで顔と目を覆っている。スバル・リョーコは本当に腹立だしそうに床を何度も蹴り上げていた。

 艦橋に集うメンバーは、同盟軍の三度目の敗北を覚悟し、諦めかけていた。

 ──のように見えたが、指揮卓の前に立ち、戦術スクリーンに表示されるデーターを注視していた見目麗しいナデシコ艦長の表情が、ささやかな喜びを見出したように変化した。

 「もしこれが、意図的に突破させたものだったら……」

 全く同様の見解を導き出した人物がいた。ユリカとは180度違う感情を湧き上がらせ、美麗な眉毛をゆがめてスクリーンを注視した。

 ラインハルトは、なにか性質の悪い詐欺に引っかかったような不快感に全身の神経が侵されるのを自覚した。
 
 「しまった!」

 ラインハルトは指揮席から立ちあがり、悔しそうに唇をかんだ。

 「その手があったか……」


 ほぼ同時刻、 タイミングを確認したヤンがアッテンボローに指示した。

 「よし、今だ」

 アッテンボローは瞬時に命令を下した。

 「エンジン全開!」

 それは、非常に信じられない光景だった。同盟軍が帝国軍の左右に分かれ、その両側を高速で逆進しはじめたのである。

 ブリュンヒルトの艦橋がどよめきに包まれる中、ラインハルトはキルヒアイスを呼んだ。

 「キルヒアイス!」

 向き直った赤毛の副官は冷静だった。

 「してやられた! 敵は二手に別れ、我が軍の後方に回り込むつもりだ。中央突破戦法を逆手に取られてしまった」

 「どうなさいますか? 反転迎撃なさいますか?」

 キルヒアイスの声はあくまでも冷静だ。発言の趣旨も確認するようにやわらかい。

 ラインハルトは、一時の激昴を収めて指揮シートに身を沈めた。

 「冗談ではない。俺に愚か者になれと言うのか、第6艦隊司令官以上の……」

 「では前進するしかありませんね」

 「ああ、その通りだ」

 ラインハルトは命じた。

 「全艦、このまま全速前進せよ!」



「よし、後ろをとったぞ!」

 アッテンボローが歓喜の声を上げていたが、指揮席のヤンは喜んではいない。

 「まだだ」

 とつぶやいて戦術スクリーンを凝視する。同盟軍を表す緑色のマークは赤いマークの帝国軍の後背についているが、それが徐々に時計方向に流れ、伸びていき、奇妙な陣形を作り出そうとしていた。

 「やはり、そう来たか」

 ヤンは、ラインハルトの戦術眼の高さにいまさらながら感嘆していた。

 30分後、双方の陣形は輪状になっていた。



 一方、ナデシコの艦橋は、目の前で起こった鮮やかとも言える逆転劇に全員が驚きに包まれていた。

 「ちょ、ちょっと、なんか同盟軍が勝っちゃいそうじゃない?」

 ミナトが目を点にしてつぶやく。つい数十分前までは同盟軍の敗北を胸のうちで「決定」していたのだが、思いがけないと言うか、不幸中の幸いと言うか、なんにせよ覆されたのだ。手で顔を覆っていたメグミも拡大投影された戦場をみつめたまま、信じられない逆転劇に口をOの字に開けている。

 目の前には、数万隻の艦艇が銀河に作り出した巨大な光のリングが映っていた。

 「ユリカ、いったい何が起こったんだ?」

 アキトが、視線をスクリーンから美貌の艦長に移した。ナデシコの艦長は深い感銘をうけたかのように微笑んでいた。

 「ヤン准将は敵の行動を事前に予測し、わざと中央突破させて部隊を二つに分けて急速前進して敵の後背に回りこんだのよ!」

 「わざと!?」

 「そうよ、すばらしい発想だわ。きっと事前にいくつかの敵の攻撃パターンに対応する手段を考えていたに違いないわ。そうでなければこれほど見事に成功するはずがないもの」

  ユリカの声が高く弾んだものに変わった。嬉しそうに目を輝かせている。ほとんどあきらめていただけに当然だろう。ヤン・ウェンリーの魔術に賞賛を惜しまない。

 その姿にアキトはちょっぴり嫉妬してしまう。ちょっと意地悪な質問をした。

 「このまま同盟軍は本当に勝てるのかな?」

 「それは無理ね」

 と、あっさりと否定されてしまい、いささか調子が狂ってしまう。

 「えっ、なんで?」

 アキトは、反撃されたと思って素直に問い返した。

 「これを見て、アキト」

 ユリカが示した先は戦術スクリーンだった。双方の現在の陣形が表示されている。

 「この輪のような陣形、緑が同盟軍、オレンジ色が帝国軍よ。そしてここが同盟軍の先頭、ここが帝国軍の先頭、アキトにはどう見える?」

 アキトは真剣に考えた。なんとなくユリカに試されているように感じたからだ。それでも結局ユリカからヒントをもらい、ようやくアキトも思い至った。

 「蛇かな? お互いの尻尾に食いついているような」

 「そう、それよ! よっくできましたぁ!!」

 何も持っていないのだが、アキトにはユリカの手からクラッカーが弾けとんだように見えた。そうとしか思えないくらいナデシコ艦長のテンションは高い。

 「艦長、よろしければ我々にも状況をわかりやすく説明していただけますかな?」

 その声はプロスペクターだった。非常に興味深いとばかりに催促するようにせわしなくちょび髭を撫でている。他の艦橋クルーたちも関心があるのか、またまたユリカは注目の的になった。

 ユリカは、コホンと咳払いをした。その表情はいつものミスマル・ユリカだった。

 「先ほども言いましたが、ヤン准将は敵が中央突破することをあらかじめ予測し、敵にわざと二手に分断され、それを利用して全速で敵の後背に回ったのです。ですが、ローエングラム伯も慌てずにこの事態に対する最善の対処方法を選択したのです」

 ユリカは、ヤンが中央突破戦法を逆手に取り、輪状陣形に持ち込んだことでその構想を理解していた。

 「ヤン准将は勝利することを念頭に置いてはいないのです。負けないことを前提に作戦を立てたのでしょう。この状況からの逆転勝利などローエングラム伯がよほどの失敗をしない限り実現など出来ないと考えたはずです。そしてそれはあり得ないと確信しているでしょう。ですが負けない戦いなら可能なのです」

挿絵
 ユリカは続けた。

 「この輪状陣形は、ヤン准将が作り出したまさに負けないための最後の手段なのです。アキトが答えてくれたように、2匹の蛇がお互いの尻尾をくわえて飲み込んでいくような図式です」

 「なるほど、最終的には共倒れだね」

 副長のアオイ・ジュンが戦術眼に優れた一面を見せた。

 「そうです。これはいわば消耗戦です。これ以上、双方に何の戦略的価値もありません。特に二個艦隊を破り、多大な戦果を勝ち取ったローエングラム伯ならなおさらでしょう。すぐに退き始めると思います。彼が最も不毛な戦闘を続けたくないでしょうから」


 まさにそうだった。

 「なんたる無様な陣形だ! これでは消耗戦ではないか」

 ラインハルトは苦々しく呟いた。整然たる紡錘陣形の攻撃から、まさか敵に背後に回りこまれ、敵の後尾にくらいつくのが最善の対処法とはいえ気分がいいものではない。

 さらにラインハルトの機嫌を損ねていたのが、エルラッハ少将の戦死だった。エルラッハ少将はラインハルトの命令を無視し、反転迎撃しようとして回頭中に中性子ビームの餌食になったのである。

 「自業自得の近視眼め」

 とラインハルトは吐き捨てたものの、帝国軍の勝利に小さな影が落ちたことには変わりがない。

 小さな影は落ちたものの、ラインハルトもキルヒアイスもそろそろ潮時であると意見が一致していた。何よりも、ただ損害が増すばかりで戦略的には意味がない。

 「悔しいとお思いですか?」

 親友の問いにラインハルトは頷くが、その表情はどこか釈然としていなかった。

 「そんなこともないが、もう少し勝ちたかったな。完全勝利を逃したのは残念だった」

 ラインハルトらしい言いぐさだった。キルヒアイスの口元が自然とほころぶ。

 「2倍の敵に三方から包囲されながら二個艦隊を各個撃破で全滅させ、最後は後背に回りこまれながらも互角に戦ったのです。充分ではありませんか。これ以上の勝利を望むのはいささか欲が深いというものです」

 「わかっているさ、後日の楽しみというものが出来たことだしな」

 ラインハルトは、赤毛の副官に全軍後退するよう、命令を伝達させた。

 ──20分後──

 蒼氷色の瞳が離れつつある光群を捉えている。

 「ヤン・ウェンリー、やるじゃないか、なかなか」

 ラインハルトは賞賛をこめて呟き、少し考えてから傍らの副官の名を呼んだ。

 「ラインハルト様、なにか?」

 「ヤン・ウェンリーに俺の名で電文を送ってくれ」

 「どのような文章になさいましょう」

 「そうだな……」

◆◆◆

 ルリは、その電文をしっかりと拾っていた。ユリカにそのことを報告する。

 「えっ、電文?」

 「はい。ローエングラム伯の名でヤン准将宛ですが、読み上げますか?」

 誰も遠慮しない。ユリカも興味津々の表情を隠そうともしない。

 (ちょ、この人たちって……)

 妖精と称される少女はあきれ、自分自身を棚に上げて電文を読み上げた。

 ほぼ同時刻──

 「ヤン先輩、帝国軍より電文です」

 そう伝えたアッテンボローの表情は驚きと好奇心が混ざり合っていた。

 「ああ、読んでみてくれないか」

 「では読みます。貴官の勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ、帝国軍上級大将フォン・ローエングラム……以上です」

 ヤンは困ったように頭をかき回した。次の機会があったら叩き潰してやるぞ、と彼は解釈したのだ。後輩から返信の対応を聞かれたものの、ヤンは「やめておこう」と言った。

  ヤンはアッテンボローを顧みた。

 「それよりも残兵の収容を急いでくれ。助けられる限りは助けたい」

 「了解」

 きびすを返そうとしたアッテンボローをヤンは呼び止めた。その顔は憂いを帯びている。

 「ラップ少佐……いや、第6艦隊の状況も確かめてほしい」

 「はい、早急に確認します」

 アッテンボローは振りかえって走り出す。

 ヤンは、ふと手元にあった一通の紙をポケットから取り出した。それは、『ミスマル・ユリカと名乗る女性艦長から送られた暗号電文だった。

 「特務部隊戦艦ナデシコ……」

 ヤンの心中に神妙な気分が広がりつつあった。彼は深い深い記憶の糸を手繰り寄せ、ようやく思い出したのだった。

 「まさか、ナデシコ、ナデシコって、あの戦艦ナデシコなのか?」






U


 「まったく、とんでもない戦いだったぜ」

 格納庫に近い整備士用休憩ルームで、一人の整備班長が心底まいったという顔をしていた。その愛用する四角い眼鏡のむこうにある両眼が「見なけりゃよかった」とばかりに嘆くように語っている。

 ウリバタケ・セイヤは、ルリからリアルタイムに送られていた戦闘映像とデーターを分析しつつ、自分たちの認識を改める必要性に迫られていた。

 「古代火星人の技術を搭載したナデシコなら充分戦える……なんて甘かったぜ」

 能力的にナデシコは同盟軍の標準型戦艦に匹敵するだろう。ある意味、古代火星人が遺した技術は1400年をかけて人類が培ったレベルにすでに達していたのだ。決してナデシコが戦えないわけではないのだが、それは個々の艦と比べた場合であって、実際の組織的な戦闘の只中にあったとき、ナデシコはその弱点をさらけ出してしまうことになるだろう。

 ナデシコは、強力なディストーションフィールドと重力波砲、禁じ手ともいえる相転移砲を装備する。木連と戦った地球連合宇宙軍の中では確かに最強であったかもしれない。

 しかし、ほとんど同等かそれ以上の武装と装甲を有する同盟と帝国艦艇から比べると、ナデシコは特別強力とはいえない。

 ウリバタケがもっとも打ちのめされたのは、ナデシコの持つ時空歪曲場……すなわちディストーションフィールドが、必ずしも同盟と帝国艦艇の武装に対して有効ではないということだった。

 双方の艦艇が搭載する主砲が強力すぎるのである。

 今、双方の兵装の主流は貫徹能力がズバ抜けて高い中性子を「弾体」とする重力偏向によって収束された中性子ビーム砲である。その破壊力は地球連合宇宙軍が搭載していたレーザービーム砲や荷電粒子ビーム砲とは比較にならないほどの砲撃距離と破壊力を誇っている。重力制御によって収束された中性子ビーム砲がディストーションフィールドに効果的であることは明白だった。さらにディストーションフィールドにより有効な大口径のレールガンやレールキャノンを駆逐艦クラスでも装備しているのだ。ヴァンフリートで遭遇した3隻の巡航艦はナデシコのディストーションフィールドに驚いてレールガンに切り替えたようだが、あのまま砲火を受けていれば中性子ビーム砲でも充分ナデシコを撃沈できたであろう。

 もう一つ、同盟と帝国軍が装備する防御スクリーンの能力も決して侮れないことを、ナデシコの整備班長は知ってしまったのである。おそらく、戦艦クラスならナデシコの重力波砲は場合によっては弾かれてしまう可能性があるだろう。大口径の艦砲を弾く能力があるのだから、遠距離ではなおのことかもしれない。帝国、同盟とも近年の防御スクリーンの能力は性能向上が著しいらしく、事実、密集隊形で突入する帝国軍に対して発射された同盟軍のミサイルが弾かれていく光景を見てしまったのである。これは実体弾や質量兵器には効果が薄いとされるディストーションフィールドより性能が高いことを示しているのではないか?

 「まったく、認識不足もまずいけど、認識しちまうのもなんだかなぁ……」

 ため息が漏れる。ウリバタケは端末機に流れる記録映像を見た。そこには、二つの腕状のユニットを自在に動かして同盟軍の戦闘艇を葬る帝国軍戦闘艇「ワルキューレ」が映っていた。

 「こいつもやばいな」

 ウリバタケは、ハーミット・パープル基地で様々な軍事情報を多く見たが、帝国軍の情報は当然と言うのか判然としていなかった。彼は双方の勢力に技術差がないことを聞いていたので、それを前提にワルキューレの対策を考えていたのだが、アスターテの戦闘を見て、それを早急に行わなければいけないものだと痛感した。

 「エステが勝っているとしたら防御力くらいかな……」

 人型兵器ではないが、無駄なものを省き、考え抜かれた機動性に富む機体には1400年後の最新のテクノロジーが凝縮されているのである。ワルキューレは艦載機とはいえ、ノーマルのエステバリスに比べると5倍近い大きさなのだ。その装備するレールガンやミサイルが非力なわけがない。至近からの攻撃で撃沈される同盟軍小型艦艇を嫌と言うほど見た。

 「ディストーションフィールドに頼った戦いはできないな」

 本当にそう思う。いちいち受けていたらキリがないだろう。強力な武装を搭載しているが、木連の機動性に欠けるジンタイプの有人機動兵器とは根本的に兵器としての機能度が違うのである。ただ純粋に敵を破壊するするためだけの追求がワルキューレには成されているのである。当然、「ゲキガンビーム!!」とか叫んだりしなくても攻撃できるだろう。

 二つ目の問題はワルキューレの運用方法だった。同盟と帝国の戦闘は大規模な組織戦である。艦載機だけで攻撃をすることは少なく、各艦隊との連係を持って戦われるのだ。艦載機の主任務は制宙権の確保と敵艦載機の迎撃に重きを置いており、木連のときのように艦載機同士のみの戦闘にはなりずらい。

 三つ目は、エステバリスの限界行動可能範囲……いわゆる航続距離だ。これは重力波エネルギーをいかに増幅させてより遠くまで供給することができるかという問題になるだろう。または違う方法を模索せねばならない。航続距離の延長を図らなければ、光秒単位でドックファイトを行うワルキューレには対抗できないからだ。

 ウリバタケが戦慄するのは、一個艦隊が有することになる艦載機の数だった。同盟軍・帝国軍とも巡航艦、戦艦クラスは小規模の母艦能力を備えており、その平均は5〜10機前後。これが専用の空母だと100機前後になる。同盟軍は帝国軍に比べると予算の関係もあるのか空母そのものの運用数は少ないが、それでも一個艦隊につき100隻前後の戦力を持っている。帝国軍の場合は大型の戦艦を改造した母艦が運用されているらしく、その搭載数は確認されている最大のもので同盟軍とほぼ同数でありながら、戦力は300隻〜500隻前後と推定されていた。

 つまり、相手によっては数万機から数十万機のワルキューレと対峙することになるのだ。しかも、長い戦争で修羅場をくぐり抜けてきたであろう熟練パイロットたちが相手である。

 「けっこう問題は山積だな」

 ウリバタケは、机の上にある一冊のファイルを手に取った。そのタイトルは、

 【ナデシコ・エステバリス強化計画】

 とある。アカツキがハイネセンに旅立つ直前にウリバタケに渡したものだった。

 「まあ、ぼくなりに資料を集めていろいろ検証したものなんだけど、今後の参考になればと思いましてね。あとはウリバタケさんにお任せしますよ」

 その内容は、具体的な問題と強化方法を挙げたウリバタケも唸ってしまうものだった。全て実現できるかわからないが、同盟の協力如何によってはむずかしくない。

 ただ、ウリバタケは今頃になって強化計画を実行しようとしていたわけではない。いくつかのシステムの変更は終え、現在は「オモイカネ」とISF強化体質のルリ──つまりオペレーターとの連係を強めるために、ある改良計画を立ち上げつつあるのだ。これが完成すればナデシコは『ワンマンオペレーティングシステム』をより実現した「唯一」の戦艦となるであろう。その情報処理能力も数倍に跳ね上がる予定だった。ウリバタケが目指すものはハードウェア的な強化だけではないのだから……

 「帰ったらやることがいっぱいだぜ」

 迷惑そうに言いつつも、ウリバタケはとても楽しそうだった。



◆◆◆

 艦橋に再び上がってきたキルヒアイスは、目前に広がる虚空の世界を眺めながら物思いにふけっているラインハルトの姿を見た。

 「どういたしました? ラインハルト様」

 ああ、キルヒアイス、とつぶやき、金髪の若者は形のよいあごに手を当てる。

 「考えていたんだ」

 すぐにその言葉からキルヒアイスは思い至った。

 「通信をハッキングしていたという、正体不明の第三者のことですね」

 「そうだ。結局、周辺宙域の通信網も不通になっていたそうじゃないか、こちらに各艦からの通信も届いていなかったからな。今でもわからない。いつ、何のために同盟軍旗艦の通信を乗っ取たのか、そいつらは何を話していたのか、そいつらの通信ハッキング技術がなぜそこまでズバ抜けているのか、わからないことばかりだ」

 「ええ、そうですね。きっと彼らにはそうする必要があったのでしょう」

 意味深な親友の言葉にラインハルトはわずかに目を細める。

 「キルヒアイス、何か知っているのか?」

 まさか、と副官は応じ、いたずらっぽく微笑した。

 「もし彼らが人類以外の知的生命体か何かだとしたら、ラインハルト様ならいかがなさいますか?」

 キルヒアイスの突拍子もない冗談に、さすがのラインハルトも虚を突かれたという顔をしたが、すぐに落ち着いた状態に戻り、星々のきらめく大海に視線を投じて平然と言った。

 「蹴散らすまでだ」

 ラインハルトは命じた。

 「全艦、隊列を整えよ! オーディンに凱旋するぞ」






V

 戦艦ナデシコは、漂流していた巡航艦から3名の同盟軍兵士を救出し、艦首をハーミット・パープル基地に向けつつあった。彼らは中性子爆弾が艦内で炸裂したとき、重防御区画区に偶然いたために瞬殺を免れたのだった。

 しかし、艦内機能が低下し、中性子が充満する防御区画外から出ることが出来ず、当然ながら救出を呼ぶことも出来ず、ただ酸欠で死する時間を待つだけとなっていた。

 そこに残兵の捜索をしていたナデシコに偶然生体スキャンされ、まさに九死に一生を得たのである。

 といってもまさにギリギリの時間。あと20分遅ければ彼らは間違いなく命を落としていただろう。三名とも救出当初は意識が朦朧として体力の消耗も激しかったが、現在は治療の甲斐もあってベッドの上からだが、会話できるほどに回復していた。

 『以上よ、艦長。基地に帰ったら念のために精密検査を受けたほうがいいかもね』

 「お疲れ様でした、イネスさん」

 ユリカは、イネス・フレサンジュから3名の容態を聞いてほっと胸を撫で下ろしていた。アスターテ会戦集結から6時間あまりが経過していたが、ナデシコを統べる美貌の艦長はほとんど指揮卓の前から離れず、まさに貼り付いた状態で指揮を執り続けていた。

 今は艦内も落ち着き、ユリカ以外はみな休憩に入っていた。アキト達から「休めば?」と勧められたが、どうにも目が冴えてしまい、ユリカは遠慮してみんなを先に休憩に行かせたのだった。

 「はい、艦長。ホウメイさん特製のコンソメスープです」

 不意の声の方に振り向いた先には、黄金色の瞳とツインテールの髪の所有者であるホシノ・ルリが立っていた。ユリカに食欲をそそる香気漂う紙コップを渡した。

 「ありがとう、ルリちゃん。熱かったでしょう?」

 「いえ、熱くならない専用のコップですから」

 ルリは、涼しい顔で自分用のスープを飲むが、その表情はどこかはるか遠くに注がれているようでもあった。

 「どうしたの、ルリちゃん?」

 ユリカが尋ねると、ルリは何かを見つめたままポツリとつぶやいた。

 「私たちにとって、この戦いは何だったんでしょうか?」

 「えっ?」

 ユリカは思いがけない質問に戸惑い、どう答えるべきかしばらく迷った。ようやく、

 「うん、私もずっと考えていたんだよね」

 と答えになっていないことを呟く。

 ユリカは、地味に笑って鼻の頭をかいた。

 「上手くいえないけど、私が感じたことと言えば、ああ、自分はこの世界ではとても力のない存在なんだなぁってことかな……」

 二度、ルリは瞬きした。理解できたようなそうでないような、曖昧な感じである。

 ユリカは、スープを一口飲んだ。一息つけたのか、表情が幾分柔らかくなった。

 「地球でさぁ、みんなと一緒に木連と戦っていたとき、私たちは地球連合からは白眼視されていたけど、とっても重大な働きをしたと思うの。組織的な会戦には参加できなかったけど、木連が送り込んでくる無人兵器を駆逐して、いろんな任務を全うして、木連の包囲を破ってユニットを回収して……平和のためにね。今、思い返せば私も光ってたんだなぁって」

 ユリカは笑ったが、それが自分への誇示でないことをルリは知っていた。

 「でもね。こっちに来てからは確かに一部の作戦では活躍したし、人の命も救ったかもしれないけど、表舞台では蚊帳の外。もちろん、仕方のないことなんだけど、アスターテでは本当に役に立てなかった……私、すっごく悔しいよ。私に、私たちにもう少し力があったらって……」

 それは正直な気持ち。多くの死を目の前にしてただ見守り、立ち尽くすだけの現実への苛立ちと憤り!

 ユリカは、フウと小さく息を吐き出してルリに視線を向けた。

 「ねえ、ルリちゃん。ルリちゃんはどう思う?」

 問われた少女の顔は戸惑ってはいなかった。すでに答えを用意していたかのように唇が動いた。

 「もう少しあってもいいと思います。無駄な死を増やさなくてもいい、一人でも多くの兵士さんを帰してあげられる力があってもいいと思うんです」

 「そうだね。そのためにはがんばらないとね」

 「はい」

 ユリカとルリは、紙コップを重ねてささやかに乾杯をした。二人が望む力を得られるよう、それが叶うように。そしてほんのちょっとだけでもいいから、戦局に影響を与えることができればと……


 ユリカの言葉通り、アスターテの戦いがナデシコクルーに残したものは、とても実りのあるものとは言い難かった。いや、そんなものはない。あらたな課題と命題を突きつけられただけだった。

 しかし、ヤン・ウェンリーとラインハルトにとっては、大きな「飛翔」となる戦いとなったのである。


 こうして、アスターテ会戦は終結した。

 戦闘に参加した人員は、帝国軍244万8600名、同盟軍が406万5900名。参加艦艇は帝国軍が2万隻余、同盟軍が4万隻。戦死者は帝国軍が16万名余、同盟軍のそれはおよそ10倍の数に上った。喪失あるいは大破した艦艇は帝国軍が2400隻余、同盟軍22000隻余であった。同盟軍はかろうじてアスターテ星系への帝国軍の侵入は阻止した。

 



W

 ──フェザーン自治領──

 それは、両勢力の通行が可能となるフェザーン回廊に建国された、恒星フェザーンの星系を領域とする商業都市国家である。およそ100年前に地球出身の大商人レオポルド・ラープが異常な熱心さで自治領の成立を帝国に嘆願し、実現させたのだった。

 よって、フェザーンは自治国家であるが主権は銀河帝国にあり、れっきとした帝国領だった。

 帝国は同盟を国家として認めておらず、公文書や公式呼称は「叛乱軍」であり「叛乱勢力」だった。本来なら交流などありえないのだが、中立勢力たるフェザーンの存在で通商における三角貿易が成立しているのである。交易を独占することによる富の備蓄は膨大な数値にのぼり、その領地は小さいが実力的には無視できない。

 その第5代自治領主がアドリアン・ルビンスキーであった。年齢は40歳前後、頭部には髪の毛が一本もなく、美男子とは言いがたい。骨格の太い不敵な顔立ちと肩幅も胸板も厚く、その風貌を凌駕する圧倒的な生気と活力をみなぎらせていた。在任は5年になり、「フェザーンの黒狐」と帝国・同盟の双方から苦々しく呼称されている「油断のならない男」だった。

 ルビンスキーは、自治領主府の執務室で先の会戦の報告を受けていた。

 「アスターテの結果は帝国が勝ちすぎなかったのは幸いだが、いささか同盟側の損害が大きかったな」

 「おっしゃるとおりですな」

 恭しく相槌を打ったのは、ルビンスキーの補佐官を務めるニコラス・ボルテックだった。ポマードで固めた頭髪と風貌は冴えない中年サラリーマンというところだが、ルビンスキーが自治領主に就任してからずっと彼を補佐し続けており、決して無能とは呼ばれない男だった。

 そのボルテックは、大型スクリーンに映していたアスターテ会戦後半の戦況図を示し、手元の端末を操作して最終的な戦況図を示した。

 「これがアスターテにおける双方の最終陣形図になります」

 ボルテックが自治領主に向き直ると、ルビンスキーはスクリーンを注視したまま嘆息していた。

 「ローエングラム伯の各個撃破戦法も見事だが、これだけの危機に直面し、冷静に戦況を把握して帝国軍の戦術に対処するとはヤン・ウェンンリーも凡人ではありえないな」

 「さようですな。情報によりますとヤン准将は事前にいくつかの作戦内容をコンピューターに入力していたそうです」

 「ほう、なるほど。面白い男が同盟にもいると思っていたが、エル・ファシルの件がまぐれでないことがよくわかった」

 ルビンスキーは片手を軽く振り、データーを消すように示す。ボルテックは端末を操作し終えると、一歩後ろに退いた。

 「ヤン・ウェンリーについてのデーターを至急集めるよう、ハイネセンの高等弁務官事務所に指示を出せ。なるべく早期に彼について手を打つことにしよう。まかせるぞ、ボルテック」

 「かしこまりました」

 ルビンスキーは、一礼して顔を上げた補佐官の様子が迷っていることに気が付いた。

 「どうしたボルテック、なにか異議でも?」

 「いえ、そうではありません。実はもう一つ、お耳に入れたほうがよいと思われる報告があるのですが……いかんせん、裏づけのほどが定かではないものでして」

 「かまわん」

 と応じてルビンスキーは発言を許可した。

 「未確認の情報であり、なんとも奇妙なのですが、帝国軍が第6艦隊を破った直後、一時的に周辺宙域の通信が不通になったようです」

 「不通?」

 「はい、さようです。帝国軍も事態がよくわかっていなかったようですが、事故などではなく、それ以上の詳細については現在のところ不明です」

 ボルテックは、報告が終わると姿勢を正し、ルビンスキーの反応を待った。「黒狐」と呼ばれる男はあごに手をあてて思考するそぶりを見せた。

 「なるほど、たしかに奇妙だな。内容的に断定は出来んが、何かに妨害されたということか?」

 「現在のところ情報収集を継続しておりますが、もしそうだとしましたら、何が目的なのか判然としませんな」

 まったくだ、と言って自治領主はヤン・ウェンリーの件と同様にそれについても情報を集めるよう指示した。

 ルビンスキーに退出するよう片手で示された補佐官はきびすを返しかけて、もう一つの重大な報告を失念していたことに気が付いた。

 「自治領主閣下、私の非才の至りですが、もう一つご報告がありました。よろしいでしょうか?」

 「些細なことでもいい、報告してくれ」

 ボルテックは、再び彼の政治的忠誠心に向き直った。

 「では、一昨年になりますが、同盟の第7辺境惑星守備隊が行った宇宙海賊の討伐に際し、30隻におよぶ武装商船を無力化した同盟軍艦艇の名前のみ判明しました」

 「名前だけか? ずいぶん時間がかかったな」

 「申し訳ございません。秘匿されているようでして、おそらく同盟内部でも知る者はごく一部かと」

 「よほど知られたくないとみえるな。で、名前は?」

 「はい、戦艦ナデシコです」

 ルビンスキーの不敵な表情が奇妙なくらいにほころんだ。

 「ずいぶんと愛らしい名前だな。同盟はいつからマスコットを置くようになったのだ?」

 なかななか気の利いた冗談だったが、ボルテックは「はあ」と答えただけで軽々しい相槌は打たない。ルビンスキーも特に笑いを期待しているわけではなかったのか、しばらく思考するように腕を組み、やがてゆっくりと口を開いた。

 「ヤン・ウェンリー、ローエングラム伯、そしてアスターテの異常と謎の戦艦ナデシコか。ふむ、なかな興味深い対象がいっぺんに登場したわけだな」

 いずれも詳細を知らなければ手駒にはなりえない。情報は宝であり、経済は力である。数万隻の艦隊を率いて破壊と消耗の活動などしなくても銀河を支配することは可能なのだ。

 「ボルテック、その戦艦ナデシコについても至急情報を集めてくれ。方法は任せる」

 「承知いたしました」

 ルビンスキーの右手が上がり、ボルテックは一礼して退出したのだった。



 ボルテックは、ガラス張りの窓から日の差し込む通路を歩きながら、久々の青空に恵まれた惑星フェザーンの中心街に目をやった。うっそうとした緑は少ない。視界に入る高い木々もない。もともと惑星フェザーンは二酸化炭素を欠き植物が存在しなかった。水も少なく、惑星緑化技術をもってしても緑地帯と呼べる場所は多くない。

 しかし、商業ビルや貿易センター、商業施設などが数多く立ち並び、人々の往来も激しい。富と成功を夢見る商人たちでフェザーンは非常に活気があった。人口を凌駕する物資と金銭があふれ、この惑星が銀河系でもっとも栄えている商業国家であることを一目で理解できるであろう。また、固有の武力を持たないフェザーンが第三勢力として君臨し、漁夫の利を占めるには微妙な力バランスが必要だった。

 ボルテックは足を止め、眼下に行き交う人々を俯瞰した。その喧騒と活力に満ちた光景は今後も変わらないように思えるのだが……

 「自治領主閣下は何か予兆のようなものを感じられたのだろうな」

 つぶやいて、ボルテックは再び歩を進めた。自治領主の補佐官として、彼にはやるべきことが山積しているのだった。






それから数ヵ月後

──宇宙暦796年帝国暦487年、標準暦5月14日──

 葛藤と奮闘を続けるユリカたちを表舞台へ引き上げる契機となる、軍事的勝利がハーミット・パープル基地にもたらされる。

 ヤン・ウェンリーが新設された第13艦隊を率い、難攻不落のイゼルローン要塞を奪取したのである。




 ……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 涼です。「アスターテの後編」をお届けいたします。アスターテの戦いはユリカたちにとって衝撃的でした。ナデシコ一艦ではどうにも出来ないシビアな現実を体験したわけですが、彼らの心境の変化が今後に与える影響は少なくないはずです。

 表舞台に立つというのは、はたして?

 アスターテでの帝国軍の損害が原作より多くなっているのは、原作よりパエッタの迎撃の準備が出来ていたからです。ナデシコがもたらした変化ですね。

 今回も楽しんでいただければ幸いです。

 ご意見とご感想もお待ちしています。

 2009年1月22日 ──涼──

 第五章の始まりにともない、誤字修正や一部追記を加筆を行いました。
 2009年4月29日 ──涼──


 微妙に一部を修正&加筆しました。
 2010年3月7日
──涼──


 全体的に無駄な部分を見直し、一部削除、または書き直しをしました。
 2012年10月6日 ──涼──


△▽△▽△▽△▽△▽△メッセージ返信コーナー△▽△▽△▽△▽△▽

 前回もメッセージをいただきました。感想掲示板に書いていただいた読者の方もありがとうございます。以下、メッセージの返信です。

 ◆◆2009年1月12日◆◆

 ◇◇0時22分◇◇

 うわぁ〜おいしい所で話を切りますねえ〜原作およびアニメで結果は知っていますが、早く続きが読みたいです。

 >>>メッセージをありがとうございます。おいしい所で話を切ったと感じられましたか?
ええ、なんとなく私もそう思いますw 
 原作とアニメを知っていても、どうやって楽しんでいただくか? それを考えるのが一苦労? 勢いで書いているところもあるので、特に奇をてらってはいませんw

 ◆◆2009年1月13日◆◆

 ◇◇10時32分◇◇

 次回の更新が楽しみです。

 >>>ありがとうございます。更新しましたので、楽しんでいただければ幸いです。メッセージとご意見も、またお待ちしています。

 ◆◆2009年1月17日◆◆

 ◇◇23時34分◇◇

 面白かったです。ヤンの活躍に期待しています。

>>>そのお言葉に作者も励まされます。ああ、連載している作家様の気持ちがわかってきました。
 ヤンの活躍に期待ですね! やっぱヤンは給料分以上の仕事をさせられるでしょうね。


 以上です。感想掲示板への書き込みも増え、じわじわと「キター!」
という感じがします。

 今回も、メッセージおよびご意見、感想掲示板への投稿もお待ちしています。

△▽△▽△▽△▽△▽△メッセージ返信コーナー△▽△▽△▽△▽△▽



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