私たちは身を潜め、私たちは牙を研ぐ
 常闇の向こうから音もなく忍び寄り、息を殺して襲い掛かる

 「敵艦隊、進路と速度はそのまま、距離1300万キロ」

 艦橋には私の声だけが響きます
 まだ本番ではありませんが
 ギリギリまで状況を報告するのも私の仕事です

 IFSシートのすわり心地は極上、オモイカネの調子は絶好調です
 とても集中できます

 「敵艦隊との距離950万キロ。艦隊は9時方向から3時方向へ移動中」

 こちらは微妙に位置を修正して動きます
 派手に見つかっても、無視されても困る難しい位置

 「距離700万キロ、全艦砲撃準備よし」

 500万キロを切ったときに一斉に砲撃を開始しました
 と同時に私もお仕事に取り掛かります

 「周辺通信衛星とのリンク正常。制圧開始可能距離まであと120万キロです」

 その距離にはあっという間に到達してしまいました

 さあ、私の本当のお仕事が始まります

 「システムオールグリーン。これより制圧開始します」



 ──ホシノ・ルリ──








闇が深くなる夜明けの前に

機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第十二章(後編)

『妖精対艦隊/前門の虎』






 T
 
 駐留艦隊が急速に後退し、索敵範囲から消えてしまったとき、ルグランジュ中将はすぐに動かなかった。いや、動けなかった。相手の意図を把握しかねたのである。

 幕僚たちの意見の大半は「罠」だったが、何を狙った罠であるのか、その意図がはっきりしなかった。

 しかし、偵察艦がシャンプール方面に向かって後退する駐留艦隊の一部を発見するに至り、ルグランジュ中将は最大戦速での追撃を命じた。

 なぜなら、確かに罠の可能性は高いが、その中身に意味はなく「足止め」ではないかと疑ったからだ。イゼルローン要塞の件はルグランジュ中将にも伝わっていた。同盟領防衛の要である難攻不落の軍事天体の占拠に失敗したとはいえ、同じような事態にならないよう、シャンプールとエル・ファシルが武装蜂起した状態をヤン・ウェンリーたちが放置するわけにはいかないはず。

 駐留艦隊が後方の安全を先に確実にするために動いているのだとしたら、前面に立ちはだかる第11艦隊が邪魔になる。

 ルグランジュ中将は熟考の結果、ヤン・ウェンリーが後方の混乱を先に収拾するため、こちらに心理戦を仕掛けていると判断した。

 思えばヤン・ウェンリーの常套手段である。

 事実、後退した艦隊をジャムシード星系で再び接触したとき、駐留艦隊は積極的に攻撃してくる様子がなく、一斉斉射を放ったのちに急速に後退していったのである。

 敵の名声に恐れをなし、駐留艦隊の後退を見逃せばいい笑いものになるだろう。ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカが後顧の憂いを先に断とうというならば、自分はその後方に切っ先を突きつけて圧力を加え続ければいいのだ。

 「そう簡単には引っかかってはやらんぞ」

 ルグランジュ中将は艦隊を攻撃陣形に再編し、駐留艦隊の背後を脅かすべく進軍を開始したが……

 直属のオペレーターが突然声を上げた。

 「2時方向からエネルギー波群急速接近!」

 「なにぃ!?」

 青白いエネルギーの束が第11艦隊の前衛部隊に着弾した。まだ遠かったのか威力はたいしたことはなかったが、心理的衝撃は小さくなかった。

 「ちぃっ!」

 ルグランジュ中将は悔しそうに床を蹴り上げた。これは「罠」だったのか! 後方の鎮圧に向かうと見せかけて、実際はこちらの戦力の撃滅こそが真の目的だったというのか!

 (くえん男だな、ヤン・ウェンリー)

 自分たちが駐留艦隊に実行しようとしていたことを逆手に取られてしまったのである。読みが外れたと言えばそれまでだが、いずれにせよ、状況が変化してしまったことでルグランジュ中将の選択肢も限られていた。

  「慌てるな! 敵の攻撃はまだ遠い。防御陣形に再編しつつ後退しろ」

 ルグランジュ中将は、そのまま真正面から撃ち合うような愚かな真似はせず、当初の基本戦略に従って敵艦隊との距離を保とうとした。なぜなら、

 (向こうは2万隻だ。わざわざ負ける戦いをする必要はない)

 中将の叱咤によって前衛部隊は初期の動揺から脱し、艦隊は整然と後退を始めたが、思わぬ報告が司令官の思考を混乱させた。

 「敵艦隊、数およそ7000隻……です」

 「なんだと?」
 


 ◆◆◆

 「よーし、敵さんに記念の一撃をお見舞いしてやったぞ!」

 ダスティー・アッテンボロー准将がベレー帽を掴んで勢いよく振り上げると、旗艦トリグラフの艦橋の各所から歓声が沸き起こった。当初、作戦内容には多くの幕僚たちも首を捻っていたものだが、「魔術師」と「戦姫」のお墨付きもあり、作戦が発動してからはけっこう気楽なものだった。

 作戦会議の席上で重要な役目をおおせつかった青年提督は、怯むよりも意欲満々で「おもしろそうだ」と声を上げてムライ少将をあきれさせたものである。

 「さーてと……」

 アッテンボローは、わずかにそばかすの残る端正な顔をメインスクリーンに向けた。第11艦隊は積極的に攻撃してこない。むしろ後退しつつある。

 彼がニヤリと笑って指を鳴らした直後、「戦艦ナデシコ」から通信文が送られてきた。読み上げたのはアオイ・ジュンと親交を深めつつあるヤン艦隊の「地味ィズ」ことラオ少佐である。

 「とびきりかわいい妖精が調理を開始した──以上です」

 ラオが言い終えると、アッテンボローはもつれたような緑銅色の頭髪に再びベレー帽を戻して言った。

 「我々のやることは実に簡単だ。長くても60分間、敵さんと鬼ごっこをすればいい」

 軽いジョークに各所から笑いが漏れたが、2・5倍近い第11艦隊を相手にした命がけの鬼ごっこである。この前代未聞の作戦の成否は28歳の青年提督の手腕にもかかっていると言ってもよい。常人ならすさまじいプレッシャーを感じるはずだが、それを逆に楽しむあたり総司令官の薫陶(くんとう)の弊害か、はたまた個人の資質(ゆえ)か、ユリカたちから見ると頼もしくもあり、救いようがないとも言えた。

 オペレーターが落ち着いた口調で報告した。

 「敵艦隊、さらに後退します」

 アッテンボローは頷いた。敵の行動は予想通り(・・・・)だ。きっとルグランジュ中将は「そんなはずはない」と不審を抱き、奇襲を警戒していることだろう。

 それでいい。ルグランジュ中将は「やはり罠だったのか」と反省し、基本計画に沿うはずだ。こちらは必要な距離を常にとりつつ、それなりの攻撃を加え、その瞬間が来るのを(基本的に)待てばいいのだ。

 しかし、懸念はある。第11艦隊の動きを見る限り、ルグランジュ中将は無能ではないことだ。

  (さーて、いつまで騙せるかな?)

 アッテンボローの視線は、サブスクリーンに映る本来なら旗艦となるはずの「戦艦ナデシコ」に注がれた。この数ヶ月、白い戦艦と乗員たちに対する理解よりも、むしろ謎がより深まっていた。

 その最もたるが、今回の作戦の主役となるプラチナブロンドのツインテール髪の美少女かもしれない。なんとなくその片鱗を普段から垣間見ていたとはいえ、「そこまで可能なのか」とアッテンボローも驚きを禁じえなかったが……

 (いかんいかん、今は作戦に集中集中っと)

 アッテンボローは敵の後退にあわせて距離を保ちつつ、嫌がらせの砲撃を加えるよう、全艦に命じた。
 

 




U

 ミスマル・ユリカは、戦艦ナデシコの艦橋にあって戦況をつぶさに見つめていた。ときおり考え込んだり、悩んだりと感情表現は様々だが、実は、彼女にはそれくらいしか出来ないのだ。

 なぜなら、7000隻の艦隊を指揮統率しているのはヤン艦隊からレンタルしたダスティー・アッテンボロー准将なのである。並列する戦艦ディオメデスとともにナデシコはシステムのほとんどをルリによるハッキング戦術に注いでいる。機能しているのはシステムのごくごく一部と通信および操艦くらいだった。

 ユリカは、戦況データーを一瞥するとともに、一段低い位置にあるオペレーターフロアの一角にブルーグリーンの瞳を転じた。そこにはアカツキの強化案によって刷新されたIFSシートに身をゆだね、データーフィールドに囲まれた空間内で敵艦隊制圧に全力を傾ける美少女の姿があった。

 (横顔が凛々しい……)

 ルリは完全に集中しているため、他のことには手を回していない。いや、余裕はない。戦況データーや戦術データーの解析などはユリカやジュンが手動で操作していた。

 つまり、旗艦としての機能を発揮できないナデシコは、ルリを除けばほとんど手持ち無沙汰状態なのだ──

 ──違う、彼らの名誉のために「待機している」と訂正しておこう。地球連合時代であれば、みんな思い思いにすごしていたはずだからだ。 今、艦橋は静まり返り、待機組は戦況に集中している。

 ユリカは、ブルーグリーンの瞳をメインスクリーンに戻した。第11艦隊の動きは(おおむ)ね予想の範囲内にあった。急速に後退した駐留艦隊を戦略通りに追撃してきたところで急襲を受ければ後退するのが定石だ。さらに第11艦隊は陣形を球形陣に再編している。後方や側面からの奇襲を警戒しているのだろう──

 ──が、それはない。

 そう、第11艦隊と対峙する戦力はこの宙域に展開する第14艦隊から分派した7000隻がすべて(・・・・・・・・・)なのだから。

 もし可能ならば、ナデシコとディオメデスは別の宙域から敵艦隊を制圧したかったが、ある程度の距離に一定期間なくてはならず、ほとんどなにもできなくなる二艦にとってはかなり危険な方法といえた。理由はそれだけではないが、安全と確実性を考慮し、二艦は制圧部隊の中に在る。

 敵艦隊のとの距離が開き、データーが自動表示された。ほとんど同時に艦隊も一斉に前進し、一定の距離を保とうとする。ユリカは艦隊の動きに納得したように頷いた。アッテンボロー提督の指揮は何度か見ているが、彼の指揮統率能力はやはりたいしたものだった。

 (あとは、このまま膠着状態を継続できるかどうかだけど…………)

 艦隊の制圧は可能だろう。問題は膠着状態が崩れ、激しい戦闘になってしまった場合だ。最低でもリミットの半分までは騙せると予想しているものの、残りの時間はどう転ぶかユリカにもわからない。

 ユリカは、メインスクリーンが映し出す戦争の光景を注視したまま心の中で強く願った。

 (この60分で失われる命が、どうか無駄になりませんように……)
 

◆◆◆ 

 ナデシコと並列する戦艦ディオメデスの艦橋でも、大柄な初老の提督と要塞防御指揮官が肩を並べた状態でメインスクリーンに視線を固定していた。

 「やれやれ、見ているだけというのは楽ですが、どうにも気分の落ち着くことではありませんなぁ……」

 ラルフ・カールセン提督に話しかけたのは、彫りの深い顔立ちと洗練された容姿の持ち主であるワルター・フォン・シェーンコップ准将だった。彼も作戦を最終的に成功に導く存在として50名ばかりの部下を引き連れてディオメデスに乗艦していた。だが、彼の出番が回ってくるかは状況次第。このまま見学で終始する可能性もなくはなかった。

 対するカールセンは、灰色のあごひげを撫でながらシェーンコップを一瞥しただけである。防御指揮官が不快になった様子はなく、コーヒーカップを片手に「そうでしょうねぇ」と呑気に同意した。

 二人に共通するのは、前代未聞の作戦の成否を見届けることと、万が一失敗した場合にのみ大幅な活躍の機会が巡ってくるということだろう。ディオメデスそのものはナデシコのハッキングを飛躍的に強化するために巨大な情報処理端末と化しているため、艦隊を指揮統率することも攻撃を加えることもできないでいる。カールセンを含め、乗員たちのすることはユリカたちとなんら大差がない。

  「ナデシコが第11艦隊を制圧する」

 将兵たちが作戦の全貌を知ったのは、ほんの一日前のことだったが、面白のは、誰一人として「失敗」するとは考えていないことだった。幕僚たちよりも、将兵たちのほうがより絶対的に二人の名将を評価しているのかもしれない。何よりも、犠牲を最小限にとどめることができるという事実が、彼らをして「作戦」を支持する所以でもある。
  
 「あの少女がねぇ……」

 時折、光芒が炸裂するメインスクリーンを見つめながらシェーンコップは低くつぶやく。個人名が固有名詞に置き換えられている事実を知る者はごく限られている。作戦会議の席上にミスマル・ユリカと一緒に現れた黄金色の瞳をもつ美少女が作戦の要だと聞かされたときの衝撃と斬新さは決して小さいものではなかった。

 ラルフ・カールセン提督は何かを察している様子だが、シェーンコップの疑問に答えたことはない。会議上における説明では、ホシノ・ルリはIFSという技術の強化体質ということだったが、幾人かと同じく防御指揮官もますます「戦艦ナデシコ」の謎に興味をそそられた。

 そもそも「IFS」が世に存在する技術とかけ離れているとシェーンコップは感じ、それが同盟の最新技術であることを疑問視していたのだ。

 (ヒーロー、ヒロイン願望の強い世間に受けそうな題材だが、ばれたら逆に銀河中に騒乱を巻き起こしそうな禁忌の技術じゃないか……)

 艦隊が前進した。同時にディオメデスも前進する。細かい操艦以外は操舵士にもあまり出番がない。作戦が完了する60分間をじっと待っているしかないのだった。

 ふとシェーンコップは、サブスクリーンに表示される数字を確認した。制圧完了まで残り44分だ。開戦から16分経ったことになるが、なんとも長く感じられる。

 と同時に、戦艦ナデシコの内部で見えざる攻防が密かに繰り広げられていることがシェーンコップには想像できなかった。

 (さて──)

 第11艦隊は球形陣を保ったまま後退し、制圧部隊7000隻が追いすがる。

 (さて、いずれにせよ世紀の瞬間とやらまでをじっくり堪能させてもらうとしようか)

 ワルター・フォン・シェーンコップは、近くに控えていた下士官に二杯目のコーヒーを淹れてくるよう余裕の表情で依頼したのだった。
 





 


 ──数日前──

 「本気だね」

 ミスマル・ユリカの大胆すぎる作戦案を聞いたヤン・ウェンリーは、穏やかな口調であっさりと肯定した。常人ならばかばかしい作戦案を問いただすところだが、黒髪の総司令官は否定も疑問も口にしなかった。

 ヤンにとって駐留艦隊の選択肢を狭めたのは、戦略上の目標と戦術上の目的を同時に解決する手段をグリーンヒル大将に封じられたことに他ならなかった。ユリカの提案はそれらの問題を一気に解決してくれるのだ。

 「えーと……」

 ユリカは、直感的にヤンの気質を理解しているのか総司令官の背中を押した。

 「この方法でしたら同時に三つの軍事作戦が可能になるだけではなく、犠牲を最小限に抑えつつ、一番楽な方法でクーデターを鎮圧できます」

 そう、なんと言ってもあらゆる面で予想の斜め上にあった。ユリカの作戦は戦略的に無謀であり、戦術的には机上の空論とのそしりを免れないからだ。

 ヤンがルリの能力を知っていたとしても、ユリカのような発想ができたかは疑問だった。魔術師と評される彼だが、対応しうる戦術上の常識を捨て去るわけではない。

 つまり、ユリカの作戦案は戦力を三分することだった。

 第一:ハイネセン攻略部隊(ヤン艦隊)

 第二:第11艦隊制圧部隊(ミスマル艦隊のおよそ7割)

 第三:シャンプール、エル・ファシル鎮圧部隊(ミスマル艦隊のおよそ3割)

 以上の作戦を同時期に発動し、目標に対応するというものだ。

 その中で第二項目こそ、ホシノ・ルリによる敵艦隊の制圧という前代未聞の作戦だった。個においては過去に例がないわけではないが、1万隻を超える艦隊をハッキングするという事例は軍事史上に存在しない。

 当然だ。そんなことが可能だとは誰一人本気で考えない。

 ヤンはユリアンの淹れた紅茶を一口すすった。間を置くためだ。彼は作戦そのものを肯定はしたが、許可するには至っていない。なぜなら、

 「ミスマル提督、あなたは条件を満たすことが前提と言っていたけど、それは何だい? 何か特別なことなのかな?」

 ヤンの質問に対し、ユリカはふるふると頭を振り、その条件を説明した。

 「たぶん、難しいことではないと思いますが……」

 ナデシコは、システムの拡充もあって今のところ3000隻前後の艦隊を制圧することが可能であるが、当然、対する第11艦隊の規模とは矛盾する。

 ナデシコが第11艦隊を制圧するためには、まず最低でもアイアース級戦艦一隻が必要だった。ルリは帝国領侵攻作戦以前にほぼ全ての同盟艦艇のシステムを把握しており、同盟軍艦艇の中でも一、二を争うほどの強大なCPを持つアイアース級戦艦とリンクさせることで、そのものを巨大な情報処理端末にしようというのだった。

 ハッキングの時間は大幅に短縮されるだろう。誤解してはいけないのが、個々の艦艇に対してハッキングを行うのではない。三万隻規模の艦隊管制能力をもつ旗艦級に対してまず集中的に実行され、その旗艦級を媒体としたウイルスが分艦隊旗艦級から各部隊指揮艦艇の戦術CPを侵食し、ついに艦艇全てを掌握する形である。

 個々に置き換えれば、高度なオートメーション化が進む同盟艦艇のネットワークを利用し、戦術CPを侵食した後、統一行動や一斉斉射を行うときに必須となる管制システムを通して全艦隊の制圧を滞りなく進めるのが狙いだ。こうなると、マンパワーだけで対処するのはほぼ不可能となる。

 そして、ハッキング戦術の補助艦艇がトリグラフ級戦艦でなかったのは、ルリがシステムを把握していないためにリンクに時間がかかること、もう一つは後の条件に関わるためだった。

 「私としては、カールセン提督が乗艦されているディオメデスを充てるつもりです」

 問題はナデシコもディオメデスも制圧に全力を傾けるため、艦隊の指揮統率が困難になる点だった。

 「モートン提督には後方の鎮圧部隊を指揮していただきます。そこで──」

  ──そこで7000隻の艦隊を指揮統率する別の提督が必要になるのだ。作戦内容から考えると並みの指揮官では務まらない。

 ユリカは、おだやかな顔で候補者の名を挙げた。

 「実はアッテンボロー提督にお願いしたいのですが」

 「アッテンボローに?」

 ユリカは、ヤンの二歳年少の後輩とアムリッツァで肩を並べて戦っている。アッテンボローも数千隻規模の艦隊を指揮統率することは初めてだったようだが、ユリカやカールセンがフォローする必要が全くないくらい有能な手腕を示した。

 そしてイゼルローン要塞での日々と合同訓練を通してアッテンボローの優秀さをつぶさに実感し、信頼していた。

 「どうでしょうか? 一つ目の条件なんですが……」

 「……いいんじゃないかな」

 ヤンはあっさりと承認した。やや間が空いたのは、きっと後輩に対する有益無益を考えたからだろう。

 次に二つ目の条件もクリアーした。この件に関しては条件というよりも「備え」というべきだった。

 問題は三つ目だ。制圧を完了した後が、実は最もユリカの心配事だった。ヤンもその理由を聞いて「なるほど」と納得する。

 「たしかに、その状態で向こうが諸手を上げて降伏するか疑問といえば疑問だね」

 「ええ、その場合に備える決定的な何かが必要になるんですけど……」

 ユリカは、その決定力がヤンが構想するハイネセン攻略方法にあるのではないかと直感していた。ただ、内容によっては作戦案を変更しなければならなくなる。

 「そうだねぇ、私の作戦はね……」

 ヤンがハイネセンの攻略方法をユリカに説明すると、美貌の司令官は尊敬の念を込めてブルーグリーンの瞳を輝かせ「パチン」と両手を叩いた。

 「それです! それです! それは決定的になります。さっすがヤン提督ですっ!」

 こうして条件をクリアしたユリカの作戦は許可され、作戦会議を経て実行に移された。駐留艦隊がジャムシード星系で再び急速後退したとき、ヤン艦隊は第11艦隊の索敵網を避けるためにランテマリオ星系を迂回する航路でハイネセン攻略に向かい、ライオネル・モートン少将率いる後方鎮圧部隊はエステバリス隊と「月光連隊」を収容し、最初の目標であるシャンプール攻略に艦首を向けたのだった。
 






W

 第11艦隊が後退を始めて10分以上が経過した。ルリを包むフィールドの中では二次元表示された無数のデーターがぐるぐると回転している。ユリカには一体何が表示されてどう処理されているのかさっぱりだったが、オペレーターの少女は順調に作業を進めているのか淡々とした様子だった。

 ユリカは安心して戦術データーに視線を転じた。第11艦隊は重厚すぎるほどの球形陣のまま後退し、間合いを均等に保とうとする制圧部隊を主砲斉射で牽制し、なおも後退を続けようとする。おそらく、ルグランジュ中将は相対距離がもっとも開いた時点で一気に反転し、バーラト方面に退却する腹づもりだろう。

 戦闘宙域は第11艦隊によるジャミングが行われている。後方か側面から来襲するはずの「主力」との連携を乱そうというのだ。

 ルリにとって影響があるのかといえば、それは「Yes」であって、限りなく「NO」でもあった。第11艦隊が後退する宙域にはあらかじめ中継衛星を多数設置してあり、ジャミングによって影響を及ぼさないよう周到に準備されていた。

 つまり死角はない。あるとすればルリが焦って制圧を進め、防衛プログラムに気づかれることだが、どうやらそれは杞憂のようだった。

 なぜなら、ルリは落ち着いて防衛プログラムを無効化した上で制圧を進めていたからである。それでも少女が慎重になるのは、万が一人為的に気づかれた場合、制圧完了前に猛反撃される可能性が高いからだった。

 地球連合軍の防衛システムと違って同盟軍のそれは規模も質も大きく違う。システムの全てを把握していても、17000隻にのぼる艦隊を完全制圧するには単純に時間が必要だった。

 だからこそユリカは、ルリの作業を(わずら)わせないためにナデシコによる指揮統率を止めたのだが……

 (あと残り43分……)

 時間は三分の一ほどが過ぎた。ユリカにも17分は非常に長く感じられた。司令官として艦隊を指揮統率しているときは戦況を睨みながら必死になっているので時間もあっという間なのだが、艦橋でじっとデーターだけを見ていなければならないのは、なんとも奇妙な無力感に苛まれてしまう。この感覚は、きっとアスターテ以来かもしれなかった。

 (あと40分……このままで終わってほしい……)

 ユリカの素直な心境だった。ルグランジュ中将まだ気づいておらず、このまま後退し続けて自ら時間を稼いでくれるはずだ。「魔術師」と「戦姫」の名声が心理的なブレーキとなって状況の不自然さを包み隠すことに成功している──

 ──と思っていた。

 「提督!」

 警告を発するような大きな高い声はルリだった。その場の全員がIFSシートに身を預ける少女に注目する。

 「提督、第11艦隊の動きに注意するよう、アッテンボロー提督に伝えてください」

 ルリが発したのは以上だったが、ユリカは我に返ったように戦術データーに見入った。

 「まさか……」

 ユリカの目に第11艦隊はまだ後退を続けているように見えるが、彼女が感じ取れなかった異変をルリは察知したというのだろうか?

 ユリカは、慌てて玲瓏(れいろう)な通信士に依頼した。

 「メグミさん、アッテンボロー提督に──」

 ──注意を促す電文を、と言い終えないうちに艦橋が激しく揺れた。第11艦隊が狙いすましたように一斉斉射を行ったのだ。艦隊は集中砲火を避けるために後退する。

 ユリカの表情に緊張の色合いが増した。

 (いけない、これは!)

 ユリカは、第11艦隊がこちらの後退にあわせて急進してくるのではないかと予想したがそれは外れ、砲撃しつつ後退した。むろん、アッテンボローは再び陣形を整えて前進砲撃しようとするが……

 「気づかれた!?」

 ユリカは思わず叫んでしまった。ほとんど同時に再度急進してきた第11艦隊の砲火が味方の艦列により激しく突き刺さった。

 「やっばい!! 全艦後退! 後退だ!」

 アッテンボローは、数秒前の余裕をかなぐり捨てて全艦に命じたが、急速な後退についていけなかった味方艦艇が集中砲火の餌食になってしまった。

 「「どうして気づかれた?」」

 それは、ユリカとアッテンボローの共通の疑問だった。今まで心理戦に深く陥っていたはずのルグランジュ中将が、当初の戦略決定を覆して独自の戦術手法をとってきたからである。

 戦端が開いてから27分。制圧完了まで33分。意外すぎるほど早く気づかれたことになる。

 しかし、ユリカとアッテンボローとではその認識に差があったのと同じく、ルグランジュ中将も真の意図に到達していたわけではなかった。

 ルグランジュ中将の「目の前の戦力が全てであるはずがない」という固定観念を取り払ったのは、若い幕僚の恐る恐る押し出した一言だった。

 「敵は、時間を稼ぎたいのでしょうか……」

 参謀長は一喝したものの、ルグランジュ中将の意識に楔が打ち込まれた。基本戦略と二人の名将の陰に少なからず圧迫されて思い切った対応がとれなかった彼は、部下の一言から状況の不自然さに疑問を抱くようになったのである。

 ルグランジュ中将は冷静になり、真の目的にたどり着けたわけではなかったが、これまでの経過を踏まえ、何らかの理由によって目の前の敵が時間稼ぎをしていると断定し、最後の忍耐を総動員して機会を作り、総反撃に転じたのだった。

 「敵艦隊の追撃を振り切れません!」

 「艦列を乱さないように耐えろ! あと20分だ」

 「敵先頭集団より味方の左翼方向に向けてミサイル群!」

 「7時の方角に囮を射出せよ。そのまま主砲を絶え間なく斉射し続けて間合いを詰めさせるな!」

 オペレーターとアッテンボローの緊張したやり取りが始まっていた。勇猛な司令官が指揮する2.5倍近い敵艦隊のペースが乗ると、7000隻を割り込む戦力ではなかなか対応が難しかった。それでもアッテンボローは指揮官としての非凡さを総動員し、アムリッツァ以来の熾烈な攻防を耐え抜いたが……

 制圧完了まで残り10分という時点でついに第11艦隊の全主砲の射程内に捉えられてしまった。

 「ぐっ!」

 大幅な損害を覚悟して身構えた28歳の青年提督は、その変化に3秒ほど目を丸くし、状況を飲み込むとベレー帽をとってパタパタと扇ぎ、次に不謹慎なほど笑い出した。

 対するルグランジュ中将の反応は全く逆だった。彼は状況が飲み込めなかった。全艦隊の主砲がこざかしい敵艦隊を深淵に沈める光景が一向に訪れなかったのだ。そればかりか敵艦隊との距離がどんどん遠のいていくのである。

 「これは一体どういうことだ?」

 ルグランジュ中将は、屈辱と怒りに全身を震わせながら周囲の幕僚たちに問うたが、誰一人としてその質問に答えられる者はいなかった。

 ただ、愕然としていたオペレータの一人が事実を報告しただけである。

 「全艦、機関停止しました……」
 




 
X

 ユリカも思わず冷や汗をかいた戦いは、ルリの「完了」という一言とともに終了した。艦橋中が安堵のため息に支配され、すさまじい緊張感から解放されたメグミとミナトは力が抜けたように端末の上に突っ伏してしまった。

 「生きた心地がしなかったのって久しぶりかも……」

 「わたし、危機に慣れたと思ってましたけど撤回します……」

 すると、フィールドを解除したルリが申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。

 「もう少し早く完了予定でしたが、途中ちょっとだけ煩わされてしまいました。ごめんなさい」

 というのは、第11艦隊の武器管制システムの一部が更新されていたことだった。旧バージョンとは大幅に異なっていたため、書き換えるのに少々時間を要したのだという。

 ミナトは、ルリに向けて目を見張りながら上半身を起こして言った。

 「ということはルリルリ、それがなかったらもっと早く終わっていたってこと?」

 「はい。5〜6分は違っていたと思います」

 それでも制限より10分早く制圧を完了したのだから上々だろう。思わぬ事態へと途中転んだものの、アッテンボローを責めるより、この場合はルグランジュ中将の判断に敬意を表すべきだった。

 制圧完了直後、通信越しにアッテンボローからの謝罪を軽く受け流したユリカが次にしたことは、第11艦隊への降伏勧告だった。

 「レーザー1発、ミサイル1発も撃てません。艦隊を動かすこともできませんよ」

 降伏してください、とユリカが多少重々しく言うと、ルグランジュ中将は硬質の表情のまま返答を先延ばしにした。

 「どうぞ、一日でも一週間でも考えてくださいね」

 素っ気ないくらいにユリカがあっさりと通信を切ると、傍らに控える副官アクア・クリストファー中尉が紺碧の瞳を上官に向けた。

 「閣下の予想どおり、ルグランジュ中将は返答を先延ばしにして、その間に何らかの対策を立てるようですね」

 ユリカは渋い表情になって肩をすくめた。

 「いっそ外れてくれたほうがアキトの応援に行けるんだけどなぁ……」

 ルグランジュ中将は敗北を認めないつもりなのだろう。堂々とした艦隊戦の結果ならば返答も違っただろうが、「ハッキングによって全艦隊が制圧された」という現実は「負けていない」と解釈しているのだ。なんと言っても第11艦隊は健在だ。

 システムを乗っ取られたのならば、返答を先延ばししている間に制圧を解き、半分以下の戦力である制圧部隊を今度こそ殲滅してやると考えていることだろう。

 しかし、ルリに隙はない。無駄なことなのだが、無駄でないとルグランジュ中将が努力しようとする限り、第11艦隊の降伏は望めない。

 ユリカは、一息入れているルリにぼやいた。

 「あーあ、やっぱりヤン提督待ちみたい……」

 「仕方ありません。ヤン提督がハイネセンを攻略するまで待ちましょう」

 「うん……」

 と素直に返事をしてユリカは指揮官席にぺたんと座った。最小限の犠牲によって第11艦隊を制圧したものの、それだけでは「勝利」の決め手に欠けるのが弱点といえば弱点だった。今回はヤンが決定力となる方法を持ち合わせているからこそ可能となった手段だったのだ。

 (いきなり自殺されずに済んだけど、ま、覚悟していたことだし、気長に待とーっと)

 今後、同様の戦術が可能かと問われれば、それは限りなく「NO」だった。なんといっても相手が帝国軍になってしまうと……

 (あー、もうだめだめ!)

 ユリカは不毛に近い思考を振り払い、表示した星系図を見やった。

 「二週間くらいかなぁ……」

  ヤン艦隊はランテマリオを経由し、途中の武装蜂起を鎮圧しながら進むので、ハイネセン攻略は早くて二週間、遅ければ三週間ほどを目安として覚悟しておかねばならない。それまでの間にルグランジュ中将があきらめてくれれば良いのだが……

 (そういえば、ハイネセンって今頃どうなっているんだろ?)

 アカツキが盛大に巻き込まれた首都星でも、数々の意表を突く事態と駆け引きが繰り広げられていた。
 
 
 
 ……TO BE CONTINUED
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 後編でした。ついにルリ無双w

 無双というわけでもありませんでしたが、十分銀英伝側からみたらとんでも作戦ですw

 と同時に、前話に比べると淡々と進めすぎたかなと、感じる次第です(汗

 ああ、読者さんの反応が怖い……

 タイトルみたいな内容でもないしな……でも気にいったので(オイ

  そして、本編50話達成です! 連載も四年になりました。序章を投入した四年前の今日に50話達成です。さり気に五年目に突入。

  ジャンプ的にいうと連載1周年レベルかな? 記念作品書かないと……えっ?

 投稿が遅くて申し訳ないです。


 それから、WEBメッセとTOPにある感想数が合わせて400件を超えました! どちらも200件台という均等状態w いやはや、嬉しい限りです。これだけいただければ十分かな?

 しかし長かった……そして終われるのかと懸念が……

 あと5年早く連載を開始していたら、きっと終われる自信があったのですけどねぇ……

 とはいえ、当時までは創作活動なんぞとはまったく無縁だったし←本当です

 さて、第13章は帝国編に戻るか、比較的書きやすい同盟を継続するか、現在悩んでおります。帝国編のほうがナデシコの幻影に遭遇する感じなんですが(汗

 2012年6月8日 ──涼──

 以下修正履歴
 
 誤字、および読者さんからのアドバイス等を参考に、一部を加筆または修正しました。

 2012年7月17日 ──涼──


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