テンカワ・アキトは、それを「夢」だと認識した。

 なぜなら、自分はエル・ファシルの武装反乱を鎮圧する部隊と共にその途上にあるはずなのだ。

 だから、目の前に現れた古風すぎる格好をした男と向き合っている夢の状況にずいぶん呆れたりもした。それに、どうやら状況は緊迫しているようで、彼は男に向かってブラスターを構えているらしかった。

 「なんだお前は?」

 とアキトは質問したと思う。返ってきた反応は背筋が凍るほどの低い笑い声だった。

 「クッククククク……」

 編笠に白い縦縞模様のある黒っぽいマントという装いは、まさに大昔の無法者そのものだ。もっとも「夢」だというのに相手の映像が鮮明で聴覚にはっきりと声が響く。あまりにも不気味なので、アキトはすぐに夢から覚めたいと思った。

 (早く覚めてくれ! 薄気味悪すぎる……)

 ふと、男が編笠の下から表情を(わず)かにのぞかせた。アキトは思わず後ずさりしてしまう。そう、男の左目はより赤く、右目より大きかったのだ。その左目が不気味な光彩を放った。

 ブラスターを構えたままのアキトに赤く光る左目だけが向けられた。

 「そうか、ついに会えたな。お前が本来のテンカワ・アキト。なるほどな……」

 アキトの「耳」に男の不愉快な声が響く。ブラスターの引き金をなかなか引けないまま、彼は問い返した。

 「ふう……自分で言うのもなんだけど、なんでこんな夢を見ているのかわからないんだ。これは夢だ。だから滑稽なのは仕方がない。早く消えて欲しいよ」

 「そうか、お前こそ我が本来戦うべきだった男か……」

 男は一方的に続けた。

 「……あの男が復讐の黒い王子としてなぜあそこまで堕ちたのか、その理由もわかった気がするぞ……」

 「ちょっと、どうでもいいけど言ってる意味がわからないよ。いいからさっさと覚めてくれ。俺は忙しいんだ!」

 「クククク、そうか、お前は――いや、貴様らは知らないのだったな。そういう我も本来の貴様に会うまでは半信半疑だったがな」

 アキトの鼓動は自覚しないうちに早くなっていた。この圧迫感と重圧――これらの息苦しさが本当に「夢」の中の出来事なのか、あまりにもリアルすぎて彼にはとうてい説明できなかった。

 ただ、この不愉快すぎる感覚を振り払うよう、目の前に存在する男に向かって精一杯怒鳴った。

 「いいかげんにしろ! お前の言っていることは俺の心の迷いの具現でしかない。だからさも現実のように言ってくるんだ。もう、こんな茶番はこれでお終いにしよう」

 「心の迷いだと言うのか? 違うな。貴様は――貴様らは知ったほうがいい。そして自分が闇の世界に身を落さなかったことを心から感謝するといい。なぜなら、貴様らは――」

 「えっ?」

 男の声は最後までアキトに届かなかった。急に青年の視界が薄暗くなり、何かに引き戻されるように周囲の光景が遠ざかってしまったのだ。

 アキトの「夢」は、そこで途切れた。
 
 





闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説





第14章

『窓外の賢者たち』

 






T

 ――帝国暦488年5月上旬――

 ローエングラム候ラインハルトが思わぬ苦戦を強いられている頃、フェザーンの首都中心部からやや郊外の一角には、四季の花々に彩られた大きな庭園のある個人所有の邸宅がたたずんでいた。

 その庭に面したオープンテラスでは、腰まで届き光のように輝く金髪を有する美しい少女が時おり優雅にお茶を楽しんでいる姿がしばしば通行人に目撃されていた。

 その日も少女はティーカップ片手ではあったが、その白磁器のような表情は普段よりはるかに不機嫌でほんのりと赤くかつ落ち着きがないように思われた。左手の人差し指が常に上下してテーブルを叩いていたからだ。

 少女の名をマルガレータ・フォン・ヘルクスマイヤーといった。

 「お嬢様、あまり眉間にシワを寄せますと、通行人がギャップに驚いて逃げてしまいますよ」

 マルガレータは、姿を現した後見人兼秘書の開口一番に鋭い視線を向け、相手の怯んだ反応に満足してから尋ねた。

 「ベンドリング、あれから情報は入ってきたのか?」

 いいえ、という返答に珍しく少女は深いため息をつく。宝石のような深碧(しんぺき)の瞳はかげり、彼女は空になったままのティーカップの中身を見つめてしまう。

 (さすがに、こればかりは聡明なお嬢様にも打つ手なしか……)

 と、ベンドリングもやや困惑した様子だった。なぜならラインハルト率いる帝国軍がレンテンベルグ要塞の攻略に失敗したからだ。その損害はアルテナ星域会戦の比ではないらしい。

 さらに、帝国軍が貴族連合軍の籠るガイエスブルグ要塞の孤立を狙って周辺星域に大規模な攻勢を仕掛けたという一報が飛び込んできたが、その後の戦況はまったくと言っていいほど伝わってこなかった。

 (作戦中ならいい、まさか敗北しているなんてことになってなければいいが……)

 ベンドリングも貴族連合軍の善戦には、かなり意表を突かれてしまった。協調性に欠け、実力を伴わない貴族たちは百戦錬磨のラインハルト軍には到底抗しきれないだろうと予想してだけに、まさに寝耳に水≠フ状況となっていた。

 その最もたるが帝国軍を苦戦に追いやっているダークホース的な存在、ヘルマン・フォン・エーベンシュタイン上級大将だろう。マルガレータも宙戦部隊戦闘艇総監を軽視した――その参戦も活躍も計算外だっとことは認めざるを得なかった。

 マルガレータが自己嫌悪に陥ってしまうのも無理がない。

 (まさかの伏兵とはこのことじゃが、どうして宮中での派手な名声以外は凡庸と思われていた男がなぜ?)

 レンテンベルグ要塞攻防戦において主導的な役割を担ったのがエーベンシュタインだという情報を得て、マルガレータたちは出来うる限り彼の情報を収集したものの、その内容は驚くほどありふれたものでしかなかった。

 (なんということじゃ! せめてオーディンで情報が集められたら……)

 経済活動とそれに準ずる航路が完全に封鎖されているわけではないが、フェザーンからオーディンに至る最短ルートは内戦の中心となっていて航路は規制されていた。自己責任において通行は可能であっても、あまりにもリスクが高すぎるので当面は自粛というのが現実だ。

 現在、安全にオーディンに至るためにはアイゼンヘルツやボーデンといった辺境星域を経由する必要がある。そのため、フェザーンに入ってくる情報にもかなりのタイムラグが発生していた。

 (ローエングラム候が負けるとは思わぬが……)

 それに、彼の隣にはあの若者がいる。孤独になりかけた自分を優しく励ましてくれた燃えるような赤毛を有する青年だ。上級大将として候の片腕であるジークフリード・キルヒアイスがいる限り、組織力で劣る貴族連合軍から最終的に勝利をもぎ取るだろう。

 (じゃが……)

 マルガレータは、空になったティーカップの中身を覗き込んだまま不安を感じずにはいられなかった。

 そう、ローエングラム候は最終的に勝利する。幼少の頃に仰ぎ見たラインハルト・フォン・ミューゼル中佐には、躍進を遂げる可能性の翼がまばゆいばかりに輝いて見えたのだから。

 しかし、もしエーベンシュタイン上級大将の実力が本物だったならば、ローエングラム候は大きな犠牲の上の勝利となるかもしれないのだ。その中に赤毛の提督が含まれてしまう可能性も……

 (私はなんて不吉なことを考えてしまったのじゃ!)

 マルガレータは暗い思いを振り払い、空のティーカップに口を付け、ベンドリングがいることに気がついてすばやくカップを元に戻した。ベンドリングは見なかったフリをして紅茶を淹れ直すためにティーポットをそっと持ち上げた。

 一礼して立ち去ろうとするベンドリングにマルガレータが声を掛けてきた。彼が振り返ると少女は元のすまし顔に戻っていた。おそらく、先ほどの微妙なやりとりの間に気持ちを切り替えることができたのだろう。

 「なんでございましょうか、お嬢様」

 「あのいっこうに帝国軍人らしくない女たらしの男から連絡はあったのか?」

 声そのものが妙に意地悪だった。

 「ええ。だいぶ時間がかかりましたが、グレーシェル少佐から伝言がありました。ライガール星系で足止めをくらっているようです」

 ベンドリングの報告に対し、マルガレータの反応はとても色よいとは言えなかった。

 「ふう。ハイネセンの蜂起がいつになるか読めなかったとは言え、普通ならとっくに首都星に到着していい時期には出発したはずじゃ。あやつ、どこぞで寄り道でもしていたのではあるまいな?」

 ベンドリングは返答に詰まった。わからなかったと言うよりもマルガレータの推測通りだったからだ。少佐は途中の有人惑星に寄り道し、予定が一週間ほど遅れていたのだ。

 むろん、事を荒立てないために真実は語らない。「さあ?」ととぼけておいた。

 「ですがお嬢様。同盟の内乱が終結しないかぎり彼がバーラトを経由して任務につくことはできませんし、自然を装うにはちょうどよいのではありませんか?」

 まあな、とマルガレータは認めたが、少女の懸念は別の部分にあった。

 「私が気がかりなのはリンチとかいう男がナデシコの情報を入手し、はたして少佐の手にちゃんと渡るかどうかということなのじゃよ」

 「それはどうなるか不明ですね」

 「うむ。ナデシコに関する詳細があるとすれば同盟軍のホストコンピューターに全てがあるということじゃからな」

 本当は身近にその一端が眠っていようとは、さすがに二人ともわからない。

 「リンチという男が実際にどうやって情報を得るのか、少佐が遅れたぶん、その男任せになってしまうのがどうも不安じゃ……」

 少佐が予定取り早めにハイネセンに到着していれば、リンチを後方から支援する形でナデシコの情報入手も容易だったかもしれないのだ。

 とはいえ実現しそうにない。事前にすり合わせた謀でもないので、アーサー・リンチ元少将の才覚と才能とやらに期待するしかないだろう。

 ベンドリングは疑問を投げかけた。

 「しかしお嬢様。ローエングラム候の目的は同盟で内乱を起こさせ、それをなるべく長引かせることにあるはず。ナデシコの情報入手は二の次ではないでしょうか?」

 「まあ、そうじゃが……」

 ローエングラム候自身、リンチに過度の期待はしていないだろう。「入手できればなおよし」程度に違いない。

 マルガレータは浮かない顔をしてほおづえをついた。再び紅茶の注がれたティーカップの横には強化プラスティックケースに収められた一枚の光ディスクがあった。およそ5年前、彼女の父親が同盟に亡命しようとした際、ゼッフル粒子発生装置の設計図やメインCP内にあった帝国の暗部記録の数々に混ざっていたものだった。その中身こそ、23世紀に地球連合政府が隠蔽したとされる「第一次植民惑星独立戦争」の記録の一端だった。

 ラインハルトとの取引から漏れたこの光ディスクの記録は同盟に渡り、歴史にうもれた真実の一つを世にもたらすことになったのだった。

 そう、マルガレータはずっと深い興味を抱いていた。記録にある「戦艦ナデシコ」と同盟に存在する「戦艦ナデシコ」が果たして同一の存在なのか、または単なる偶然の産物なのか、彼女の好奇心を刺激するには十分すぎる素材の一つだった。

 だから、できればリンチにはナデシコに関するシークレットな部分をなんとか入手してもらいたいと望んでいた。

 (あまり結末が貧相でも困るがな……)

 優美な動作でティーカップを口に運んだ元帝国貴族の令嬢は、傍らに控える後見人兼秘書を一瞥して言った。

 「ところで、あのたわけ者から連絡があったというのに、なぜすぐに私に伝えなかった。情報は戦艦より貴重なのだぞ?」

 「はぁ、いえ、まぁ……」

 せっかく気を利かせて後回しにしたのに酷い誤解をされたものだ、と青年は内心で軽くため息をついた。
 
 




 
U

 ほぼ時を並行し、数千光年離れた銀河帝国の中心地でも、一人の伯爵令嬢が意表をついた数々の出来事に思考回路をフル回転させていた。

 その妙齢の女性の名をヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ――通称を「ヒルダ」と言った。

 彼女は、常連となっている喫茶店の大通りに面した陽のよく当たる場所に陣取り、ペンを片手に勢力図をノートに書き込んでいた。

 第一の勢力:ローエングラム候ラインハルト率いる軍事組織

 第二勢力:ブラウンシュヴァイク公を中心とした門閥貴族連合軍

 第三勢力:帝国宰相リヒテンラーデ公と政治権力

 ヒルダは、ちょっと考えてから第二勢力の下に直線を引っ張って書き加えた。

 第二勢力の伏兵:フォン・エーベンシュタイン率いる軍事集団

 (エーベンシュタイン上級大将……まさかこれほどの人物が貴族側に存在したなんて……)

 ヒルダは、ペンを止めたまま再び考え込んだ。知性にあふれたブルーグリーンの瞳は勢力図を映したまま揺らがない。ラインハルトにその聡明さを賞賛された伯爵令嬢でさえ、レンテンベルグ要塞攻防の結果には驚かずにはいられなかった。情報の全てが大本営から発表されたわけでもないので推定するしかないが、もしかしたら現時点では五分五分ではないかと思っていた。

 ふと、ヒルダは窓の外を眺めた。帝都オーディンは、貴族たちが決起した当初こそ騒然としたものの、ラインハルトによって事前に捕縛されるか、その他の多くがガイエスブルグ要塞に集結したために帝都は驚く程平穏な日々が続いていた。門閥貴族が一掃された分、非常に過ごしやすくなっていたのだ。

 (まさに皮肉ね)

 ヒルダは、小型の端末をバックから取り出し、フォン・エーベンシュタイン上級大将の経歴を調べ始めた。直接、軍事情報にアクセスできるわけでもないので、彼女が得た情報は一般的に出回っている範囲でしかない。その中身はマルガレータたちが得たものとなんら大差がなかった。

 エーベンシュタインが宙戦部隊戦闘艇総監の地位に就任したのは帝国暦481年ごろである。その直前までは副総監の地位にあった。

 しかし、どうして名門門閥貴族出身のエーベンシュタインが宙戦部隊を統括する総監部勤務を経て、その最高の地位に昇りつめたのか、その過程は不明瞭で首を捻る部分が多い。彼が総監に就任したのは「大将」の地位にあった時であり、その後、唯一といってもよい大きな功績――標準戦艦を空母に改良し、戦闘艇の前線運用を大幅に改善したことから485年に上級大将へと昇進している。

 ヒルダは一つ気になっていることがあった。エーベンシュタインが若かりし頃、故フリードリヒ四世と親交があった点だ。どういう親交があったのか、彼女はその真相を知っているわけではないが、ちまたに流布している「うわさ」を一つの情報源とみなすと、二人が遊び仲間だったこと、生い立ちが似ている点だろう。そして年齢まで同じだ。

 エーベンシュタインは四男坊。フリードリヒ四世には9人の兄弟姉妹が存在した。かたや伯爵家を継ぐことはないだろと言われ、かたや皇帝になることはないだろと言われていた。

 二人とも、ある意味将来を楽観もしくは悲観して放蕩の限りを尽くしていたわけである。

 (でも、ここからは何も見えてこないわね……)

 ヒルダは、エーベンシュタインの経歴からは彼を分析しようと試みたものの、とてもありふれた情報からはその為人を浮き彫りにすることはできそうになかった。

 「ふう……」

 ため息が思わず漏れてしまったとき、ヒルダは人の気配を感じ取って店の内側に視線を移した。そこには落ち着いた雰囲気の店主が立っていて、彼女にコーヒーのおかわりを勧めた。

 「はい、いただきます」

 ヒルダが了承すると、店主は口ヒゲの下から暖かい()みを浮かべ黙ってコーヒーを注ぎ、静かにカウンターへと戻っていった。

 最近になってヒルダは店主のささやかな心遣いに気づいたばかりだった。なんとも恥ずかしいかぎりではあるのだが、思考に没頭できる環境を整えてくれる店主についつい甘えてしまう。

 ヒルダは、焙煎の香気に鼻腔をくすぐられつつ、黒水晶(モーリオン)を溶かしたような液体を一口含みリラックスした。

 ――とたんに彼女の脳細胞は再び活発に動き出した。

 ヒルダは、考えを巡らせた結果、視点を変えるべきだと判断した。貴族だけがアクセス可能なデーターベースからエーベンシュタイン家の情報を引き出した。表示されたのは家系図と家族構成である。家系図はあまり参考になるとは思えなかった。

 (選択が間違えでなければいいけど……)

 家族構成もごく普通かと思われたが、エーベンシュタインの兄三名の経歴を眺めているうちに、ヒルダはある違和感を抱いた。

 長男エメリヒ:帝国暦469年 記憶障害を誘発。入院した2年後に死亡。

 次男ローラント:帝国暦464年 心臓発作により死去

 三男リーンハルト:帝国暦458年 薬物の大量摂取によるショック死

 病死か事故死かのいずれかであったのだ。さらに調査をすすめるとエーベンシュタイン伯爵を除けば母親も原因不明の死に方をしている。

 (これは一体?)

 ヒルダは、詳細な死因データーの閲覧を試みたが、そもそも記載されていなかった。

 そしてヒルダは、エーベンシュタインの項目に目を見張った。誕生してから8歳になるまでの記録がまるまる白紙になっていたのである。単純にデーターが抜け落ちたわけではないらしい。それとも、三男の不名誉な死以上のデーターベースにさえ載せられない故意の理由でもあったのだろうか?

 (これは突破口になるかしら?)

 ヒルダは、そこから総監をとりまく謎に迫ろうとしたものの、当然というか必然というか、それ以上先に進むことはできなっかったのである。

 聡明なる伯爵令嬢がエーベンシュタインの真実に迫っていくのは、彼女がラインハルトの側近となって銀河の歴史に深く関わるようになってからであった。
 
 




 
V

 ライオネル・モートン少将率いる後方鎮圧部隊が武装勢力に占拠されたエル・ファシルを開放したのは、作戦発動から4日後のことだった。それまでの作戦日数よりかかってしまったのは、エル・ファシルの武装蜂起が警備艦隊を含めて多かったこと、そしてあろうことか一部の過激派が市民を人質に宇宙港に立て籠ったからだった。

 「なんという暴挙だ」

 モートン提督の憤慨は当然だった。叛乱したとはいえもとは正規軍である。市民を守るのが軍隊の役割であるのに、その建前すら忘れ市民を人質にとって対抗するなど、もはや論理観の欠如はもちろん、軍人としての誇りすら忘却してしまったとしか思えなかった。

 2日間ほど双方でにらみ合いが続き、攻略軍がその水面下で進めていた人質救出作戦が成功すると、あとは怒涛のように武装勢力を駆逐して全ては終わった。

 4日間を通して市民から犠牲者を一人も出すことはなかったが、宇宙港では作戦発動前に武装勢力に抵抗した市民十数人が重軽傷を負っていた。

 エル・ファシル市民には軍隊に対する根深い不信感がある。言わずと知れた10年前の帝国軍による同地の侵攻だ。当時、星域を警備していたアーサー・リンチ少将率いる同盟軍警備艦隊が200万人におよぶ市民を見捨てて逃走した不名誉な事件である。

 そして今回もまた……

 いや、鎮圧部隊の人名を優先した作戦行動により、市民たちの軍隊への不信悪化を防ぐことができていた。彼らがかつてエル・ファシルを救った英雄ヤン・ウェンリー麾下の部隊(決してまちがっていない)であったことも影響したかもしれない。

 武力の脅威から解放された市民たちの歓迎と熱狂ぶりは、アキトたちをおおいに圧倒したものだった。

 「すごいね……」

 「ああ、こりゃヤン提督さまさまだな」

 アキトとタカスギは、お互いに顔を近づけないと声が届かないくらいの歓声に包まれていた。ヤン自身がいるわけでもないのに「ヤン・ウェンリーコール」も凄まじい。「戦姫」の二文字はどこかに埋もれてしまったらしい。

 エル・ファシル市民の軍隊に対する不信は根深いのかもしれないが、並行してヤン・ウェンリーに対する「信頼」もそうとう根強い。

 事実、アキトは以前ユリアンから聞いたことがあった。イゼルローン攻略直後からヤンへのファンレターは急激に増えたが、それ以前からの大半はエル・ファシルからの投函であったことだ。

 ヤンはエル・ファシル以降、第四次ティアマト会戦、第五次、第六次、第七次イゼルローン要塞攻略戦、アスターテ会戦、アムリッツァ星域会戦等々功績と武勲を重ねていったわけだが、黒髪の冴えない青年が成し遂げた「人道的な功績」をエル・ファシルの市民は決して忘れることなく、ヤンの支持層の根底を支えたといってもよいだろう。

 (英雄とは何だろうか?)

 熱血SFロボットアニメを経典としていたアキトにとって、アムリッツァ以降はその経典に再考察を迫られた大きな課題だった。一度はその経典の中身に失望しつつも捨てきれず、それも自分を形成する一つであると受け入れてはみたものの、現在に至るまで答えは模索中となっていた。

 英雄の定義とは、辞書で調べると極めて陳腐な内容でしか記載されていない。アキトは「偉大なことを成し遂げた人物」と大まかに解釈していた。

 そもそも、ゲキガンガー3の影響で「英雄」そのものの解釈を間違っていたものだ。

 「悪い奴を正義の心でぶっ飛ばす!」

 それこそがテンカワ・アキトの単純明快な「英雄像」だった。今思うと穴があったらフタをして入りたいくらいの赤面物だ。

 (おれ、口に出して言ってないよね?)

 「英雄」の定義は、もちろん一つではない。アキトの英雄像も間違っているわけではないが、精神的な未熟さがそのまま理想として現れていた。

 それが今日、「英雄」とは何者であるのか、一つの答えが見つかりそうだった。ヤン・ウェンリーがエル・ファシルでなした事こそ、アキトが探し求めていた理想的な「英雄像」の一つではないかと確信したのだ。あんな夢を見たあとなら尚更だ。

 しかし、アキトは歓声を受けながら肩をすくめてしまう。

 (俺なんかが軽々しく英雄を語るなんて、まだまだ遠い話なんだよな……)

 アキトは、己の未熟さを十分自覚し、軍人として過ごす間に「師」と仰ぐ人たちからより多くを学ぼうと決意を新たにした。
 
 
 
◆◆◆ 

 アキトとタカスギは、市民たちの歓迎を受けたのち、エステバリスと共にエル・ファシル管区司令部ビルに降り立った。建物の入口付近にはすでにリョーコたちのエステバリスが整然と並び、月光連隊が周囲を依然として警戒していた。

 アキトは地上に降り立つと、一目散に建物の入口めがけて走った。というのは、管区ビルには移住区でその行方をつかめなかったフクベ・ジン元連合宇宙軍退役中将が拘束されていたからだ。

 アキトが案内された部屋に到着すると、そこにはくたびれたジャケットを身につけた老人が白いヒゲに覆われた顔をこちらに向けて出迎えてくれた。

 「やあ、テンカワくん」

 拘束されていたとは思えない穏やかな声だった。顔色も悪くなく、特に怪我もしていないのでアキトは安心した。

 「フフフフ、暇だっただけで特に何もされとりゃせんよ」

 再会した早々、フクベは意外なことをアキトに依頼した。

 「お茶ないかね? キミなら持っていると思ったんだが」

 「お茶ですか?」

 拘束されていた間、出された食事に付いてくる飲み物がワインやコーヒーばかりなので辟易してしまったのだという。

 「わかりました。ええと、エステに少し置いてあるので持ってきますね」

 アキトが(きびす)を返そうとしたとき、聞き覚えのある声が部屋の奥から響いた。

 「やあテンカワくん、元気そうでなによりだ」

 その2メートルにならんとする重厚な雰囲気の黒人男性をアキトはもちろんよく知っていた。驚いて目を見張ってしまう。

 「シトレ元帥!」

 「もと元帥だ。間違える連中が多くて困るな」

 アキトは慌てて敬礼し、次にやや首をかしげた。

 どうして故郷に戻ったはずのシトレがエル・ファシルにいるのだろうかと? リョーコたちの反応から、まだその疑問が明らかになっていないことは確実だった。

 アキトがほうけていると、軽く咳き込んだフクベ・ジンが白いもこもこの眉毛の下から鋭い視線を青年に投げかけた。

 「まあ、それはもう少し落ち着いてからで……テンカワくん、お茶

 アキトは、タカスギと入れ替わるように今度こそ全力でその場を後にした。
 





 
W

  アキトの湯呑を借り、久しぶりにお茶の素朴さを堪能したフクベ・ジンは、彼らを前にこれまでのいきさつを少しずつ語り始めた。

 「ちょうどあの日、エル・ファシルで武装反乱が起こった日。私は自宅でシトレくんと調査した内容について議論しておった」

 元統合作戦本部長を「くん付け」するあたりは、さすがに年超者(・・・)としての特権だろうか? それとも打ち解けた結果であろうか? シトレの普段通りの表情が全てを物語っていたかもしれない。

 「まあ、その最中に武装した兵士たちが失礼にも自宅に踏み込んできてな。運悪くシトレくんも一緒に拘束されてしまったというわけだ」

 拘束された理由は判然としないが、兵士の指揮官が「上層部の命令」とだけ答えたという。アキトはその背景を想像した。

 「グリーンヒル大将の命令だったということでしょうか?」

 「さあな……」

 とはシトレ。その口調から事実であって欲しくないのだろう。

 残念ながらアキトの予想は当たっていた。グリーンヒル大将はアカツキの二の舞を恐れてフクベの拘束を命じていたのだ。もちろんアキトたちがそれを明確に知ることはなかった。
 

 フクベが詳細を語ったのは、肝心の拘束される以前のいきさつだった。

 「私がエル・ファシルにお世話になってからしばらくのことだ。アカツキくんの依頼を受けて度々太陽系に行っていた」

 その依頼というのは、火星周辺とその地質の調査だったという。

 「侵攻作戦が終わってから調査が再開されたんだが、その過程においてシトレくんが私を訪ねてきたのだよ」

 シトレは退役後、故郷に戻って養蜂を始めたものの、彼の心に残っていたのは「戦艦ナデシコ」とその乗員たちの行く末について、その責任を道半ばで放棄せざるを得ない状況に追い込まれた事だった。彼はエル・ファシルに隠棲したフクベの事を思い出し、まだ多くの謎が残るアキトたちの身上を聞くために訪れたのが、その後の活動のきっかけになったのだという。

 「どうせ引退した身だ。時間はたっぷりある。一度は降りざるを得なかった船に再び乗って君たちの支援を少しでもできればと思ってな」

 シトレの行動にはアキトたちも感謝の気持ちで一杯になってしまう。彼らを理解しただけでなく、ナデシコを同盟側に受け入れる際、ウランフ提督とともに尽力してくれた黒人の元統合作戦本部長に対する信頼は変わらず厚い。

 「さて、調査の内容だが……」

 フクベの白眉の下から覗いた目がタカスギに向けられた。だが、アキトの視線が全てを了承していたので彼は迷うことなく語った。

 「私は、アカツキくんの手配したフェザーン商人の一員として太陽系に行き、火星周辺で目撃された演算ユニットの消息とCC(チューリップクリスタル)の有無について調査をしておったのだ」

 シトレは、調査内容の整理と相談に乗っただけであり、実際に太陽系には赴いていない。

 アキトやリョーコたちの表情が大きくざわめいた。長い間、その消息が不明だった演算ユニットが、あろうことか反対側の銀河で目撃されたというのだ。これにはかすかに納得しつつ、それでも驚くしかなかった。

 「しかしだ。数度の調査にもかかわらず、私が遺跡を見ることはなかったよ」

 結局、アカツキが雇ったというフェザーン商人が一番最初の調査で目撃したのが最初で最後だったという。

 「そしてもう一つの調査だが……」

 それは、ボソンジャンプに必要なフィールドを作り出すCCの調査を火星で実施したことだ。

 その結果は、

 「残念だが、今の火星でCCを採掘するのは質的にも量的にも不可能だと私は判断している」

 CCの反応自体は認められたという。問題はナデシコクルーなら周知の事実だが、その鉱石が含まれていたはずの一帯が大規模に吹き飛ばされていて、フィールドを形成するだけのCCを確保するのは困難だろうというのだ。

 そうなると是が非でもユニットを取り戻さねばならなくなる。いや、もう一箇所調査すべき惑星が存在した。

 しかし、極めて過酷な環境であるため、調査にはかなりの時間と十分な装備が必要になるだろう。なんといってもそれには銀河が平和になる必要がある。

 「私は一旦、これまでの調査資料とレポートをアカツキくんに提出しなければならない」

 その矢先に武装反乱に巻き込まれてしまったらしい。アキトたちがその鎮圧にやってきたのは渡りに舟だった。

 「つまり私を一緒に連れて行ってくれんかね。このあとユリカくんと合流してハイネセンに向かうのだろう?」

 一瞬、アキトたちの視線が絡み合った。もしナデシコに乗ってきていればほぼ無条件で承諾できることも、それがモートン提督の座乗艦アキレウスUとなるといささか事情が異なってくる。

 「その点については私がなんとかしよう」

 シトレだった。自分が役に立てるかどうかわからにが、などと冗談を交えながら、旧知であるモートン提督に掛け合ってくれるという。モートンも石頭ではないから、シトレの口添えがあればきっと許可をしてくれることだろう。

 アキトが元気よく音頭をとった。

 「じゃあ、さっそく準備にかかりましょう!」
 
 2日後。現地行政と治安部隊に後事を託し、ライオネル・モートン少将率いる後方鎮圧部隊は本隊と合流すべくエル・ファシルを後にした。

 そして同盟、帝国の主舞台では……





 ……TO BE CONTINUED

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 戦闘に移らずにごめんなさい!

 第14章の冒頭は、前話に外道さんの登場フラグを書いたし、エーベンシュタインも登場しているので、ここらでナデシコの歴史に関する「謎」の核心部分にそろそろ触れてもいいかなーと思ったので書きました。第二部に入ってからタイミングを計っていました。それに、あんまり後半に引っ張りすぎても、読者さんにこのSSのもうひとつのテーマである「歴史の謎」のことを忘れ去られてしまうそうだったのでw

 まあ、肝心な部分は言わせていませんけど。

 冒頭部分で「ナデシコの歴史的謎」の8割を明かした感じです。

 ピン、と来た方は、よくこのSSを読み込まれていると思います? わかった方は次回以降、「なぜそうなった?」という部分に注目または思案をして頂ければと思う次第です。

 今回の14章も閑話休題な形を取りました。次章からはいずれかの内戦に再び入ってきます。とはいえ、あまり細かく構成しすぎると、どんどん話が進まなくなるので、飛ばす部分は飛ばしていこうと考えています。

 2013年月2月22日 ──涼──

 時間軸、誤字脱字と、読者さんからのアドバイスをもとに一部修正あり。
 2013年月3月20日 ──涼──

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



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