その青年の人生は、常に幾つもの岐路を迎えている。

 西暦2178年2月26日。彼は惑星開発の進んだ火星にて生を受ける。両親はとある大企業の選任科学者だった。幼少期は現地の駐在武官だったミスマル・コウイチロウの愛娘ミスマル・ユリカと幼馴染の関係だった。彼女のほうが二歳年長だったが、彼の記憶だといつも彼の背中を追っかける泣きむしだったという。

 しかし、ミスマル家が火星を去ったある日、彼は幼くして両親と死別する。両親が宇宙港でテロ事件に遭い、その犠牲となってしまったのである。以降、彼は保護施設に引き取られ不遇な年少時代を過ごすことになった。

 そんな孤独な彼を信じ難い災厄が襲う。

 西暦2195年、突如として火星に正体不明の無人兵器が襲来。彼をはじめとするコロニーの住人の多くが地下に避難するものの、無人兵器の執拗な追撃によってほぼ全滅。彼は無人兵器が放ったレーザー兵器の閃光の直後に光に包まれて消えてしまう。

 西暦2196年、彼は火星から一気に地球にいた。中華料理屋の店主に拾われる形で料理人として働いていたが、火星におけるトラウマが原因で店を解雇される。

 失意に沈む彼は、それでも新たな仕事を求める過程で、かつて幼馴染だったミスマル・ユリカと路上で運命的な再会を果たす。紆余曲折を経て「火星奪還作戦」――「スキャパレリプロジェクト」の主翼であるネルガル重工が建造した「戦艦ナデシコ」のコック兼パイロットとなってしまうのだった。

 以降、トラウマを克服しながら喜怒哀楽を繰り返し、人型機動兵器エステバリスのパイロットの一翼を担いつつ、仲間たちにも恵まれ一年に及ぶ戦争を戦い抜いた。

 西暦2198年 木製蜥蜴側にクーデターが発生し、抗戦側の指導者が逃亡したため、地球と木製蜥蜴側に平和条約が締結され、彼の戦いも終わった――

 ――かに思えた。

 同年、軍を辞したミスマル・ユリカと彼が引き取ったホシノ・ルリとともに屋台を開き、自分の料理人としての目標にまい進しながら、ミスマル・ユリカと結婚する。

 順風満帆かと思われた彼の人生は四たび流転する。新婚旅行のために乗り込んだシャトルが離陸直後に謎の爆発事故を起こし、死亡とされたのだ。

 西暦2201年 死亡したと思われた彼は、戦艦ユーチャリスと人型機動兵器ブラックサレナを伴って復活を果たす。それは事故に見せかけて自分と愛妻を連れ去り、非人道的な人体実験を行った「火星の後継者」と呼称する集団に対する復讐の為だった。

 同年、旧ナデシコクルーの協力もあって新妻を救出。「火星の後継者」の野望も阻止し、仇敵「北辰」との決着も付けた。

 しかし、阻止はしたものの、自分や妻を拉致した張本人である暗殺集団の頭領である北辰の遺体を確認できなかったことから、彼は再び宇宙を駆け巡る旅に出たのだった。

 多くの大切な人々を残して……


 ――それから三年後――
 





闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第二十三章

『テンカワ・アキト』






 
T

 その青年テンカワ・アキトが座乗する「戦艦ユーチャリス」は、艦体を迷彩モードにした状態で帝都オーディンからおよそ18万キロほど離れた深淵の一角にあった。

 「アキト……」

 たった一人オペレーター席に身を沈める少女がメインスクリーンの向こうを見つめる彼女の相棒に問いかけた。美少女と言っても差し支えないだろう。長く腰まで伸びた頭髪、白石の肌に覆われた目鼻立ちは端正だが、どこか無機質なものを感じさせる。その瞳はホシノ・ルリと同じように黄金色に輝いていた。ただ、驚くのはその容姿であろう。イゼルローン要塞で活発に動きまわるラピス・ラズリと瓜二つであったが、いくぶん大人びた印象があった。

 少女の問いにテンカワ・アキトはすぐに答えなかった。全身を黒い装束で包み、表情は同じ色のバイザーで隠れているので、初対面の者には、その素顔をうかがい知れないことだろう。だが、少女には青年が意思を固めていることがひしひしと伝わっていた。

 しばらくして青年はそっと少女に振り向いた。

 「今度は失敗はできない、堂々と飛び込むさ。そのために情報を集めていたんだ」

 少女はうなづいたものの青年の事が気がかりだっ た。

 「大丈夫?」

 「問題ない。俺がエーベンシュタインを助けたことで別の時間軸ができてしまった。その前ならいざ知らず、もうずっと未来の事だから俺たちの行動の事象のすべてがこの時間軸で歴史の一部になる」

 いや、それでも長く関わるのは避けるべきだった。避けるべきだが、これから自分が飛び込む世界はそう簡単に抜け出せるレベルではない。

 (ここまで事態がややこしくなるなんて……)

 テンカワ・アキトには苦い経験がよみがえる。北辰のボソンジャンプの残穢を追ってエーベンシュタインを救わなかった時間軸にジャンプしたものの、その時間軸への介入方法を見誤って帝国軍を敵に回し、追いかけまわされた挙句に何も成しえずに逃げ帰る羽目になってしまったことだった。そもそも、逃げることができたこと自体が奇跡に近かった。思惑があったにせよ、彼らを逃がすために手を貸してくれた人物には感謝しかなかった。

 エーベンシュタイン少年を救った時間軸では、一度だけその前の未来の時間軸に飛び、再び少年を同じ時間軸に戻した時には2年が経過していたのだった。その後は少年の時間軸にジャンプすることもなく別の世界を飛び回っていた。

 そして、三度目のこの時間軸へのボソンジャンプ……

「これには何か意味がある」


 と青年は直感したのだった。それはマリーンドルフ伯領において一ヶ月余りに渡って情報収集を重ねたことにより、北辰の存在を確信し同時に困惑もした。

 なぜなら、決着を付けるべき相手の消息もさることながら、テンカワ・アキトの知る「銀河の歴史」がかなり様変わりしていたことだった。

 その一翼を侵したのはエーベンシュタインだった。内戦の少し前までは青年の言う事を守ってなるべく歴史に干渉しないようにふるまっていたはずのかつての少年に一体何が起こったのか、青年はその理由も知りたいと考えた。

 (いや、そもそも……)

 彼は頭を振った。本来、死ぬべきだった人間を生かしてしまった時点で、計り知れない影響は目に見えていたのではなかったか?

 「その根源は自分だから……」

 テンカワ・アキトは独語する。後悔しているのか? と問われれば青年は「否」と答えただろう。彼が後悔したのは、初めて出会った少年を見殺しにした時間軸の自分自身にであった。 

 「アキト、そろそろだよ」

 不意に少女が青年に言った。我に返った黒装束の青年は少女に頼んだ。

 「予定通りユーチャリスを進めてくれ」

 「わかった」

 少女は迷彩モードを解除すると、戦艦ユーチャリスを包む特徴的な円形の重力ブレードと白い船体が暗闇の世界に浮かび上がった。

  (さて……)

 テンカワ・アキトはメインスクリーンを凝視する。首都星オーディンの地表から無数の光が次々と輝き放たれたのだ。同時に少女が表示した情報を確認して彼はうなずいた。

 テンカワ・アキトは、情報収集の過程において定期軍事訓練の日程を掴んでいた。まさにその艦隊が訓練宙域に向けて出発しようという直前だった。

 「きれいだな」

 と青年は思う。凄いとも同時に感じたのは、彼がこれまでに見てきたどんな宇宙艦隊よりも戦艦の造形美が斬新で統制が優れていることだった。もう一つの時間軸で初めて帝国軍艦隊を目の当たりにしたときの感情は筆舌に尽くしがたいものだった。自分の時代から時間的なら1000年以上を経て稀有壮大な時代が訪れたことに感慨深いものすらこみあげていた。

 「アキト、戦艦ベイオウルフを確認」


 少女の報告に黒衣の青年は軽くうなずく。情報通り今回の責任者は「疾風ウォルフ」ことウォルフガング・ミッターマイヤー提督らしかった。

 「ユーチャリスを先頭のミッターマイヤー艦隊に進めてくれ」

 「うん」

 4万隻を超える大艦隊へ、その白き姿を進める戦艦ユーチャリス。

 失敗の許されないテンカワ・アキトが考えたのは、あえて懐に飛び込む――帝国軍への投降だった。むろん、相手が多少なりとも知る(・・・・・・・・)ローエングラム公の軍隊だったからである。


 (まあ結局、賭けのようなことになってしまうが……)

 少しだけ宇宙を進んだユーチャリスに警告が発せられた。

 『停戦せよ、然らざれば攻撃す』


 テンカワ・アキトが別の時間軸で嫌というほど耳にした帝国からの停船命令がユーチャリスの艦橋に響き渡る。たいした索敵システムだ、と彼は感心した。ユーチャリスを艦隊の先に進める以前におそらく補足されていたのだろう。この時代の技術の進歩にはただただ驚くしかなかった。

 青年は冷静に少女に言った。

 「ラピス、受信した通信回線にこう返信してくれ。我に抵抗の意思なし。帝国軍の指示に従うが、その前に艦隊の最高責任者と話がしたいと」

 公明正大なミッターマイやー提督だとしても油断は禁物だ。あまり歯牙にも掛けられないような物言いでは流されてしま う。

 (テンカワ・アキト、最初の関門だぞ)
  





U
 帥府で執務中のラインハルトがミッターマイヤー提督からの通信を受けとったのは、標準時で10時30分過ぎの事であった。室内には主席秘書官として若き帝国の権力者を補佐するヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯嬢も姿もあった。

 「ほう、私に会いたいと?」

 この時のラインハルトの声は儀礼的であった。通信画面の向こうではウォルフガング・ミッターマイヤー提督のグレーの瞳はやや困惑の色を帯びていた。

 『はっ、最初は聞き流そうと考えましたが、彼が乗る(ふね)を見た途端に考えが変わりました』


 「と言うと?」

 『こちらをご覧ください』

 ミッターマイやーが表示した映像を見たラインハルトの目の色も急激に変わった。戦艦ナデシコとは形は違う。だが、ラインハルトが感じた既視感はミッターマイヤーよりはるかに強烈であった。そのうえでラインハルトの脳裏をよぎったのは、ちょうど一ヶ月ほど前に正体が不明の船らしき白い何かが数回目撃されたという航路局の報告書だった。


 (おそらく、そいつに間違いないな)

 口に出してはこういった。

 「なるほど、うまく興味を引いたな。で、それで大胆にも卿に仲介を頼んだと言うわけか」

 『……はい。彼はある男を探し出すために公の許しを得たうえで、お力を借りたいと言っておりました』

 「ある男?」


 ミッターマイヤーが説明するに、テンカワ・アキトと名乗る青年であろう人物は、これ以上はローエングラム公ではないと話すことはできないと突っぱねているという。

 「ほう、素直に従うと言っておきながら内容は卿には話せぬとは、なかなか緩急自在だな。卿ほどの者ならテンカワなる人物を説き伏せるのも容易そうだが、何かあったのか?」

 『さようです。小官がこうして通信を送ったのは彼とユーチャリスと言う戦艦だけが理由ではございません』

 つまり、その青年の口からエーベンシュタインの名前が出たというのだ。

 それを聞いた瞬間、ラインハルトの蒼氷色(アイスブルー)の瞳がひらめきに似た光彩を放った。傍らの秘書官も主のそれに気づいたのかブルーグリーンの目を見張る。

 (やるな、最初に強い興味を抱かせた上でミッターマイヤーの反応を見てさらに一手を打ったか。稚拙な面がないわけではないが、嫌いな手ではない)

 数秒間ほど思考していたラインハルトは、通信スクリーンの向こうで待つ帝国軍の双璧の一人に言った。

 「よかろう、テンカワ・アキトなる人物に会おう。ミッターマイヤー、卿には悪いがその男をオーディンにある指定の軍事宇宙港まで案内する手筈(てはず)を整えてほしい。以降はこちらで対応する。卿はそれが終わり次第、予定通り演習の指揮を執れ」


 むろん、ミッターマイヤーは懸念を伝えた。得体がまるで知れないこと、交渉の内容と言い、あまりにも危険が過ぎると。

 しかし、ラインハルトは一連のやりとりをミッターマイヤーから聞いた上で部下の心配を一掃した。


 「わざわざこの不利な状況に飛び込んで生きて帰れると思うほどテンカワ・アキトという男は愚か者ではあるまい。私に危害を加えるつもりなら、それこそいちいち卿に投降などしない。そもそも、向こうがこちらに主導権がある(・・・・・・・・・・)と示している限りはな」

 ミッターマイヤーは承諾し、ラインハルトからの指示を受けると一礼して通信を閉じた。

 「フロインラインマリーンドルフ」

 そう言って首席秘書官に振り向いたラインハルトの表情は、ヒルダでさえ驚くような、未知への好奇心に抗えない少年のようであった。

 「はい閣下」

 「聞いての通りだ。フロインラインにはかの男を迎える手筈を整えてほしい。それとベルトマン提督に至急、元帥府に出頭するよう通達をだしてくれ」

 「かしこまりました」

 姿勢を整えて一礼したヒルダの知的な瞳の奥で警鐘のようなさざ波が揺らいだのだが、美貌の秘書官は平静を装ったまま執務室を後にした。


 ヒルダが退出したあと、ラインハルトはかすかに笑った。冷笑でも、嘲笑でも皮肉めいたわけでもなく、この先の躍動を暗示するような爽快な笑いだった。彼は窓の外に広がる空を見上げながら呟いた。

 「どうやら、ついにこちらにも重要な鍵が飛び込んできたようだな」







V

 帝都オーディン郊外にある艦隊基地で二人を迎えたのは、警備兵二名とラインハルトの次席副官だというテオドール・リュッケ中尉だった。おそらく年齢はテンカワ・アキトと同じくらいであろう。この若い帝国軍人は黒づくめの青年の前でも落ち着きはらい、完璧な態度で対応した。

 「それでは、これからローエングラム公の待つ場所までご案内いたします」

 二人が地上車にしばらく揺られて到着した場所は元帥府ではなく、壮麗な「新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)」を抜けて、それを仰ぎ見る一角にある宰相府であった。

 ラインハルトが政務を行う宰相府は、テンカワ・アキトから見てもネルガルの本部ビルを軽く凌駕する規模であった。ふだんからあまり感情を表に出すことの少ないラピス・ラズリでさえ、「新無憂宮」には地上車から顔を出して見上げたくらいだった。

 二人が宰相府に到着すると、今度はシュトライト少将という感じのよい執事のような、中尉の上司だという人物の出迎えを受けた。

 「このままリュッケ中尉とともにお進みください」


 そのままリュッケ中尉を先頭にラインハルトの政務室に案内された。

 その間、テンカワ・アキトが困惑したことと言えば、想定よりはるかに丁寧に扱われたことだろう。手錠くらいはされると考えていたのだ。

 (いくらなんでも冷静な対応すぎる。これでは……)

 当然、門閥貴族連中から考えれば至極まっとうな扱いだった。さすがローエングラム公と言えなくもないが、青年の認識はややカーブしていた。

 (……これでは、この事態が最初から想定されているようじゃないか?)

 まして、相棒の少女が同行している以上、テンカワ・アキトも自由な行動を起こすことは難しい。今の状況は青年にとっては良好な流れであり、自分の算段が成功し素直に喜んでよいはずだった。

 政務室の扉が滑らかに開いた。


 「やっと来たな」

 開口一番の声の持ち主をテンカワ・アキトはまっすぐに見つめた。ややくせのある黄金色の頭髪と完璧なまでの卵型の輪郭は、以前に映像で見たように名工の手によって生み出された彫刻そのものだった。

 しかし、青年がラインハルトの類まれな美貌よりも強烈に感じたものは、その蒼氷色(アイスブルー)の瞳から放たれる鋭く剣のような眼差しであった。一瞬にしてテンカワ・アキトは眼前の権力者がこれまでに出会ったどの権力者よりも圧倒的な才能と威光と威信に溢れていることを思い知った。

(だが、過度に恐れる必要はない。もちろん決して侮ってもいけない)


 テンカワ・アキトは、リュッケ中尉に促されると、連れの少女を安心させるように彼女の肩に片手を沿えてラインハルトの前に歩み寄る。青年は当然ながらラインハルトの他に二名の人物が彼の両脇に控えていることに気が付いていた。一人は美貌の女性、一人は青紫色の瞳が印象的な軍人らしい精悍な表情の人物であった。女性のほうはテンカワ・アキトにも見覚えがあった。情報収集の拠点にしていたマリーンドルフ伯領の令嬢であり、別の時間軸ではラインハルトの皇妃となる人物だった。

 (たしかこの時期はローエングラム公の首席秘書官だったはず。そばにいるという事は史実通りだな)

 もう一人の帝国軍人については見覚えがなかった。自分の記憶にある帝国軍の高級軍人のリストをアップをしたものの、ロイエンタール提督とも、ミュラー提督とも、ルッツ提督とも、自身がもっとも関わったオーベルシュタインとも合致しなかった。

 (一体、誰だ?)

 テンカワ・アキトとラピス・ラズリは、ラインハルトの少し手前で歩みを止めた。青年はバイザー越しでもひしひしと感じる蒼氷色の瞳から放たれる眼光に気を引き締め、今はあまり細かい詮索をするのをやめることにした。

 「まずは卿の名を聞こうか」

 鋭利さを伴った権力者らしい落ち着いた口調だった。ラインハルトはまっすぐに黒衣の青年を見つめたままだ。


 「テンカワ・アキト、テンカワ・アキトだ、ローエングラム公」

 その無骨な口調に反応した高級軍人を片手を上げて制したのは他でもなくラインハルトである。

 「やめておけベルトマン提督、彼に悪意はない」

 さすがだな、と黒衣の青年は思う。物事の本質と流れ、感情的にならず人を冷静に分析する慧眼はやはり銀河に覇を唱えるだけの力量を持つ権力者だった。

 と同時に「ベルトマン」と呼称された帝国軍人がどういった人物であったか、青年は再び記憶の引き出しを探り出したのだが、ついに欠片も見つけ出すことはできなかった。


 そもそも、テンカワ・アキトが別の時間軸で関わった帝国軍人は数えるほどしか存在しなかった。さらに少し未来でその時間軸の結末を知った後でも、関わった人物以外の生涯を確かめたのはやはり高級軍人が中心だったので、当然ながら分からない人物も多数に上る。

 「悪いな、育ちがよくないせいか丁寧な物言いは苦手だ。大目に見てもらえれば助かる」

 「構わない。逆に私は卿の勇気と度胸に感心しているくらいだ」

 テンカワ・アキトとしては、その意味深な発言をどこまで信用していいものかと迷わざるを得ないが、少なくともラインハルト・フォン・ローエングラムという宇宙の半分の権力を握る若すぎる元帥の関心と興味を引けたことは感じていた。


 とはいえ、決してこの後も油断してはいけなかった。なぜなら、別の時間軸では彼の人為を誤って評価したために、かなり危険な目に遭ってしまったからだ。ギリギリでボソンジャンプできたのは自身の行動と機転と言うよりもオーベルシュタイン元帥(・・・・・・・・・・・)の介入があってこそだった。

 だからこそ、青年は新たな時間軸にたどり着いた時点で謙虚にラインハルト・フォン・ローエングラムについても知ろうと努め、今度こそ失敗しないために最善に近い方法で接触を図ったのだった。

 それは、ラインハルトが人の行動の美醜に対して非常に敏感であり、特に正々堂々とした行動には敵であっても称賛を惜しまないという点である。

 つまりは、「正面突破、死中に活あり」という決して戦略的とは言い難い作戦だったが、ラインハルトの美的感覚に斬りこむことで最初の関門は突破できたようだった。

 ただし、テンカワ・アキトが主体的に見ているのはローエングラム公を説得することではなく、利害関係を一致させた上で相手のほうに主導権があると思わせ る手段であった。いや、思わせると考えるほうが度しがたい事かもしれない。

 やや間を置き、青年は相棒の少女を紹介した。彼は何も包み隠さずに彼女が戦艦ユーチャリスを操る唯一のオペレーターだと言い切った。どうせ誤魔化してもいずれ聞かれることを先に答えただけだったが、ラインハルトを含め、その場の他二名を驚かせるには充分であった。

 「可憐な相棒とは贅沢なことだな」


 ラインハルトは微笑交じりに冗談めいたことを口にしつつ、ラピス・ラズリの黄金色に輝く瞳に蒼氷色の瞳を重ねた。少女は微動だにせず、ただラインハルトの視線を真っ向から受け止めただけだった。

 「物おじせず度胸もある。まるでフロイラインのようだな」

 ラインハルトは傍らの首席秘書官を一瞥するが、彼女は凛とした表情を一向に崩していなかった。






W

 「さて……」

 ラインハルトの表情から微笑が消えた。硬質化した視線が黒衣の青年に突き刺さる。

 「それで、卿がわざわざ危険を犯してこちらに来た(・・・・・・)理由は何だ?」

 テンカワ・アキトは、ラインハルトの質問の内容を理解すると内心ぞっとせざるを得なかった。青年が当初より感じた通り、彼らはこの事態にある程度適応しているとしか思えないのである。それがエーベンシュタインの事なのか、北辰が何か介入した結果なのか、それとも情報収集時に時々現れた固有名詞のせいなのか、そのすべてなのか、やはり明確にする必要性はあるだろう。


 「ある男を追っている。その男を探し出すために帝国内における行動の自由の保障を取り付けたい」

 「ある男……なにか特別な人物なのか?」

 「そうだ。さっきここに来る直前にその男の情報が入った端末を没収されたが、まさに公の机の上にあるやつがそれだ」

 それは名刺ほどの大きさの小型端末機器だった。青年が全身スキャンをうけた時に防犯上の理由からリュッケ中尉に没収されたものだった。彼はラインハルトに使い方を問われて赤いボタンを押すように教える。部下の心配をよそに若き帝国軍の元帥がしなやかな動作でボタンを押すと、端末の上方あたりから光が発光して3D画像が浮かび上がった。その浮かび上がった男のいかつい姿をみて眉をひそめなかった者はいなかった。

 「そいつの名はホクシン。とある組織の元暗殺部隊の頭領であり、テロリスト実行部隊の親玉だった危険なやつだ」

 「左目が赤いが、もしかして義眼か?」


 と意外な質問をしたのはラインハルトだった。黒衣の青年が肯定すると、若すぎる帝国元帥兼宰相は半白髪で色白の総参謀長を思い浮かべてしまったらしく薄く笑った。

 「テロリストとは、確かに捨ておけぬ輩だが……」


 ラインハルトの探るような視線を受け、テンカワ・アキトは悟られない程度に表情を引き締めた。次になにか来る……突破すべき二つ目の扉が提示されることは明らかであった。

 「で、見返りはなんだ?」


  やはり、そう来たか。銀河の半分を掌中に収めようという権力者にリスクなしで協力を引き出すのはどうしも無理と言うものだった。ただ、ラインハルトが条件を出してきたという事は、条件が整えば協力するとの示唆でもあった。

 「あんたや帝国軍が知りたがっているエーベンシュタインの事とか、俺が知っている限りの情報を提供する」

 「それだけか?」

 「他にあるのか?」

 ラインハルトはすぐには答えず、視線を横に一瞬だけずらしてから言った。

 「そうだな、例えば”戦艦ナデシコ”……の事はどうだ?」


 テンカワ・アキトは予想はしていたものの、それでも衝撃の大きさに思わず数秒ほど声を出すことができなかった。

 「……もちろんだ」


  ただし、自分が知っている「ナデシコ」ならばと胸中で続ける。同時に、なぜ帝国軍やラインハルトがこうも自分たちの出現に対して冷静な対応ができたのか、その理由も判明したのだった。


  (この時間軸に戦艦ナデシコが存在するというなら、それが大きく関わったことで銀河の歴史が変わったということか?)

 そうなると、焦点となるのはどの時間軸の戦艦ナデシコであるかだった。

 しかし、今のテンカワ・アキトにとって、その存在はまずは後回しだった。条件に対する回答が、今まさにラインハルト・フォン・ローエングラム公の口から発せられようとしている。


 「よかろう、卿の要望を受け入れよう。ただしエーベンシュタインとナデシコの件だけではいささか取引材料不足だ。もう一つ条件が必要だ」

 ラインハルトは、蒼氷色の瞳で目の前の訪問者を注視した。テンカワ・アキトとしてはユーチャリスの接収やラピス・ラズリと離れるような条件は拒否せねばならない。

 「何だ?」


 「一時的でよい、私の部下になれ」

  それは完全に想定外の条件だった。いくつかの条件と妥協策を考えていた黒衣の青年はバイザーの下で驚きの表情をしてしまう。

 「卿がここに来るまでの間にリュッケ中尉が聞き取りした内容の報告があった。その黒装束と被り物は卿の五感を補助するための装具だそうだな。細かいことは今は聞かぬが、はっきり言ってその出で立ちで帝国中を好き勝手に動き回られても困る――」

 青年は黙っていた。

 「――そしてユーチャリスという戦艦でオーディン以外の惑星に乗り込めばひと悶着あるのは目に見えている」

 しかし、帝国軍として――ラインハルトの部下として身分が確立していれば行く先々で無用なトラブルに巻き込まれることがなくなると言ってもよいし、ユーチャリスにしても帝国軍所属という識別コードを付与されるのであれば帝国圏で通行証を得たも同然であり、軍艦として武装もそのままにできるのだった。

 「私は卿の求める条件にかなり配慮したと思うが?」

 テンカワ・アキトも馬鹿ではない。ラインハルトの言葉の裏にある思惑と意図を察しないわけではなかった。ただ、その通りの口約束をした場合、ラインハルトに行動の制限をされる可能性があり、最悪、拘束されかねなかった。

 青年が決断しかねていると、ラインハルトはさらに追い打ちをかけた。


 「ユーチャリスとやらを悪いが少し調べさせてもらったが、卿の(ふね)には跳躍エンジンが搭載されていないようだが、どうやってここまで来たのだ?」

 青年は内心で舌打ちした。ユーチャリスの内部に潜入できたわけではないだろうが、外部から走査されれば話は別だ。ここに到着するまでの間に内部を走査されたのだろう。帝国軍の技術力があれば造作もないことだった。

 しかし、現実的には北辰の痕跡を辿っていくためにはテンカワ・アキトにできることはボソンジャンプしかない。ただし広大な銀河系をユーチャリスごとジャンプするには身体への負担は相当なものになるだろう。帝国軍の支援が受けられるような状況になるのであれば負担は軽くなることは間違いがなかった。


 しかも当初の目的とリスクを考慮すれば、ラインハルトの追加の条件は彼の言う通り最大限の譲歩に違いなかった。テンカワ・アキトにとってもこの辺りが妥協点であるらしかった。

 「わかった、俺も公の追加条件を受け入れよう。ただし、悪いがこちらも一つ条件を追加する」

 「いってみよ。遠慮はいらぬ」

 「正式な契約書が必要だな」


 ラインハルトにもその条件の想定があったのかもしれない。微笑を浮かべたのは黒衣の青年の知性を警戒すると同時に相手への興味がさらに高まったからだった。

 「よかろう。こちらと卿の関係は契約上のみと言うことだな」

 「その方が双方にとって楽だろ?」

 ラインハルトも、黒衣の青年が条件を追加した理由を察したうえで承知したのは、彼がラインハルトの示した条件を飲んだ時点で成果として十分であったのだ。

 「ならば早急に契約書の発行を進めよう。まずはあらためて双方の条件整理だな……」

 そこまで言ってラインハルトは急に言葉を止めた。傍らの首席秘書官が少し前から目くばせをしていたからだった。

 「どうやら時間に限界がきてしまったようだ。本来ならこの時間からは宰相としての政務になる。これ以上は厳しいようだ。この続きはフロイラインマリーンドルフに引き継ぐとしよう」

 ラインハルトが美しい秘書官に視線を向けると、彼女は凛とした表情を変えずに姿勢を正して一礼しただけだった。

 「卿らを宰相府の客室に案内する。双方の出す条件のすり合わせを行ったうえで契約書を発行する。それでよいな?」

 「ああ、問題ない。いつできる?」

 「双方が条件を変更したりしなければ今日中にでも。遅くとも明日には発行する」

 「わかった。要点を絞ろう」


 「賢明だ。卿らの処遇についてもその時までに決定しよう」

 ラインハルトが鈴を鳴らすと扉が開いてシュトライト少将とリュッケ中尉が現れた。

 「二人を客室に」

 「御意」



 テンカワ・アキトとラピス・ラズリの去り際、ラインハルトはためらいながらも、ついにパンドラの箱を自らの手で開けることを決心した。

 「一つ聞いてよいか?」

 「何だ?」


 黒衣の青年が肩越しに振り返った時、ラインハルト・フォン・ローエングラムの蒼氷色の瞳は凍てついた結晶のそれではなく、やや戸惑いを押し隠したような光彩を漂わせていた。

「卿らはいつの時代から来た?」

 この質問をテンカワ・アキトは予想していたが、ベルトマンとヒルダは意表を突かれたのか、二人とも華麗な権力者を思わずまじまじと見つめてしまう。

 黒衣の青年は、ためらうことなく答えた。


 「西暦2204年だ」

 返ってきたのは驚愕による沈黙と未知への領域に斬り込んだ結果への沈黙であった。

 二人は退室した。

 「な・る・ほ・ど・な……」

 と言うラインハルトの独語にも近い、あえて一語一語を切ったような言葉は納得ではなく、更なる混迷へのステップアップでしかなかった。

 数秒の静寂の後、ラインハルトは何か言いたげな首席秘書官の顔を見て軽く片手を上げた。

 「フロイラインには近いうちに話すことを約束しよう。それまでもう少し待っていてほしい」

 ベルトマン提督にはこう言った。

 「卿の想像は当たっていたな……」


 「……正直、震えが止まりません」

 ベルトマン提督は冷や汗と同時に固唾を飲み込んだ。戦艦ナデシコの謎は過去がらみだけではなく次元がらみかもしれいない……その可能性が青年の言葉から現実味を帯びようとしていたのだった。彼からの情報提供を受けたとして、その先はラインハルトはおろかベルトマンの手にも余るのは確実であった。

 こうしてテンカワ・アキトはローエングラム公ラインハルトとの交渉をかろうじて成功させ、帝国内における身分と行動を保証されることになる。




 ――宇宙暦798年、帝国歴489年標準歴3月14日――

 この日、宰相府に訪れたささやかな事件は公式記録に残っていない。ただ春めいた暖かい空気と青空が人々をほっとさせる非常に穏やかな一日であった。

 しかし、フェザーンの地で不測の事態が進行中であることを帝国軍はまだ知らないでいた。

 帝国と同盟が再び戦火を交える事態に発展するまで、なお2ヶ月以上を必要とした。



……to be continue



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 みなさん、お久しぶりです。また時間が空いてしまいました(汗

 今回、ついに黒アキトが本格的に登場しました。彼の登場によってけっこう話が変わるはずです。黒アキトサイドは劇場版の3年後という設定です。もう、劇場版の続きはないに等しいので、個人的な解釈に沿った「三年後」となるかと思います。

 サターンのゲームはプレイしてないしなぁ……

 読んでいただければ幸いです。コメントやご感想があればぜひ!

 2022年1月19日 ―― 涼 ――


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