とある魔術の未元物質
人気第五位 ウィリアム=オルウェルの死闘


―――現在というものは、過去のすべての生きた集大成である。
過去がなければ決して現在はない。過去というのは謂わば足場である。足場をしっかり作らなければ、それに立つ現在は酷く不安定な……触れれば脆く崩れ去る砂上の楼閣にしかならない。しかし足場をしっかりと作れば、その人の現実は嵐が来ようと倒れない強靭なものとなるだろう。











 第三王女の誘拐事件でイギリスにいられなくなってから早一か月。ウィリアム=オルウェル、聖人と聖母の二つの素質を重ね持つ最強の傭兵は『仕事』のために中東、アフガンを訪れていた。
 ウィリアムはフリーの傭兵であり、その仕事というのも当然ながら物騒な類に入る。今回受けた仕事もその例から洩れず――――いや今まで受けた仕事の中でもかなり物騒な類、テロリストの拠点である訓練キャンプ一つを壊滅してくれというものだった。
 その身に魔術という超常の力を収めているウィリアムだが、受ける仕事は魔術が関わっているものばかりではない。そこに悲しみの涙を流す人がいれば、そこが例え科学サイドのど真ん中だろうと駆けつけ、その涙の理由を喜びへと変える。それがウィリアムの戦う理由だ。
 だから相手が魔術と関係ないテロリストだろうとウィリアムに断る気などなかった。仕事の依頼を受けて直ぐ、ウィリアムは必要なものだけを持ち遠い地アフガンへと向かう。幸いアフガンには同じように仕事で何度か出向いた事があるので基本的な地理や気候、政治の状況なども分かっている。
 テロリストを潰すのは構わない。しかしただ単に適当に潰すだけでは藪を突いて蛇を出してしまう事もある。Aというテロリストを潰したら、Bというテロリストの力が増して被害がより高まった……なんていうことが起こり得ることをウィリアムは長年の経験で理解している。なので潰すにしても最大の注意を払う必要があった。
 ウィリアム=オルウェルはアフガンのとある村落につくと、そこで今回の仕事の依頼主である村長に会う。村長は腰の曲がった老人だったが、その節々には凛々しさがあり若い頃はそれなりの美丈夫だったことが伺える。しかしその凛々しさは疲労と心労のせいで影が差していた。テロリストのキャンプの存在が村長の顔をこんな風にしているのだろう。

「よくぞ来てくれました……ウィリアム殿、貴方様の御高名はかねがね。……しかし……いやはや、まさか本当に来てくれるとは思いませなんだ」

「どういうことであるか?」

 村長の口振りだと、まるでウィリアム=オルウェルが来る筈ないと決めつけていたように聞こえる。

「ご存じの通りこの国の国教は十字教ではありません。それにこの村は貧しい。とてもじゃないが高額の報酬を用意することはできない」

 村長に言われるまでもなく、ウィリアムとてそのことは熟知している。アフガンにおいてはイスラム教の影響がかなり強い。その影響の強さたるや、ある一人の男性が欧州旅行中に十字教に改宗しただけで死刑宣告を受けてしまうほどだ。
 如何にウィリアムが傭兵であろうと、聖人というのは十字教における概念。十字教側に属する存在だ。そんなウィリアムがイスラム国家であるアフガン人の依頼を受けてくれる、というのが村長にとっては半信半疑だったのだろう。
 そして満足な報酬を用意できないという話も、村長に会うまでに村の中をある程度は見たので分かる。村の住人は殆ど誰もがガリガリに細った者ばかりであり、裕福という二文字と対極の生活を営んでいるのだろうと想像するのは難しいことではなかった。
 こんな村を救ったところでウィリアムは大した利益を得ないだろう。この村が絞り出した報酬など、精々英国で一杯のワインを飲み、一切れのパンを食せば消えてしまうようなはした金にしかならない。しかしウィリアム=オルウェルという傭兵にとって、そんなものはどうでも良かった。何故ならウィリアム=オルウェルは金ではなく信念を行動の範とする男なのだから。

「報酬の額も人種も……ましてや宗教など私のようなゴロツキにはどうでもいいのである。ただ私は依頼があったから来た。そちらが報酬を出し、私がその報酬に納得している以上、余計な問答は不要である」

 宗教差別。人種差別。男女差別。貧富の差。
 この世界には多くの政治家や指導者が挑んでも尚、完全にはなくすことが出来ない数々の問題がある。しかしそんな事をウィリアムという傭兵は問題にしない。そういった諸々の問題に囚われるのは唯一無二の友である騎士団長(ナイト・リーダー)のような男だけで良い。失うモノがある真人間だけで十分だ。自分は傭兵、傭兵崩れのゴロツキ。失う名誉はなにもなく、捨て去るべき権威もなにもない。あるのは一つ傭兵としての矜持だけだ。
 Flere210、その涙の理由を変える者。
 不器用で無骨な戦う事しか出来ぬ男は、戦いという愚かな手段にて理不尽な暴威を取り除く。それが生まれながらにして理不尽といえる才能をもっていた、ウィリアム=オルウェルが自身に貸した使命である。
 ウィリアムは村長に依頼内容だけを確認すると、酒と女の勧めも断り一人戦場へと向かった。
 この村の住人から涙を流させる理由を取り除く為に。



 テロリストのキャンプを殲滅することは思った以上に簡単だった。ウィリアムが聖人であり、普通の人間を百倍にしたよりも強い戦闘力を発揮できるというのもあるが、練度や統率も疎かで武器も粗悪品ばかりを使っていたからというのも理由の一つだ。あれならまだミリタリーオタクのサバゲーチームの方が良い動きをする。
 しかし危なげなく戦闘を完了しながらも、ウィリアムの心は曇り模様であった。このテロリストキャンプに居たのは銃火器で武装した兵士や指揮官らしき大人ばかりではなく、明らかに未成年の女子供もいたのである。
 少年兵。恐らくはどこからか誘拐してきた子供に洗脳教育でも施したのだろう。年端もいかぬ子供に銃口をつきつけられるというのは歴戦の傭兵であるウィリアムをもってしても苦いものがあった。

(…………先ずは彼等が生きていく場所を作るところから、であるな)

 戦場へ行って敵を倒して、それで何もかもが円満に解決という訳にはいかない。事後処理をしくじれば戦前よりも酷い事となるのはどんな戦争においても変わらない。

(それに……テロリストである彼等も)

 今回の仕事でウィリアムが殺した人間は指揮官級の人間など本当に僅かだ。彼等も生まれながらのテロリストという訳ではない。中には幼い頃に拉致された少年兵がそのまま大人になってしまったような者もいるはずである。ならば彼等もまたテロの被害者なのだ。
 ウィリアムには長年の戦いで築き上げたコネがある。少年兵にされた子供達は洗脳を解いてから、親がいる子は親の下に送る。親なき子は暖かい食事をくれる施設に送るしかない。
 
「クククッ、アハハハハハハハハハッ! こいつぁ驚いたぜぇ! 薬捌きに行って帰ってきてみりゃぁ、なんだこりゃぁ!? 全滅かよ全滅!?」

 背後から掛かる不愉快な笑い声。テロリストの生き残りかと一瞬ウィリアムは考えたが違う。この声の主からは計測するのも烏滸がましいほどべらぼうな魔力を感じる。それこそウィリアムのような聖人にも匹敵しうる……いや、この魔力。もしもウィリアムがぼけていなければ聖人そのものだった。

「……誰だ、お前は? 彼等に雇われていた傭兵であるか?」

「ご名答だぜぇ。そういうテメエはウィリアム=オルウェルだろ。聖人の癖にやたらと慈善事業に精を出す変人だって有名だからなぁ。俺の大切な常連を潰されて、いつもいつも苛々してたんだよ」

「貴様――――」

 その男は見た限りでは東洋人のようだった。しかし日焼けのせいか肌の色は浅黒く、純粋な東洋人にしては彫が深いような気もする。もしかしたらハーフやクォーターなのかもしれない。そしてその顔にウィリアムは見覚えがあった。直接の面識はない。が、情報だけならば知っている。全世界で指名手配されているテロリスト。
 聖人と原石の力を重ね持つ世界で一人の聖人原石。

「劉白起」

「俺の事は御存知かよ糞野郎。んじゃ死ねッ!」

 聖人原石、劉白起はそう言い捨てると手から不可視のエネルギー弾を飛ばしてきた。ウィリアムの閲覧した情報によれば劉白起は"見えない力"を操る超能力者らしい。
 見えない弾丸。確かに厄介だ。見えない攻撃は当たり前だが視認できないし、防御するのも難しい。しかし視覚で捕えることが出来ないのならば他の五感で捕えればよい。
 風の音を聞き、空気の臭いを嗅げば、自身に殺到する弾丸の姿を捉えるのは出来ないことではない。

(……これか)

 地面から自身の得物であるメイスを取り出すと、それを一閃。不可視の弾丸を叩き落とした。

「噂に違わぬ実力だな。ムカつくぜ同業者。久々にちょいと本気の寸前まで出してやる」

 聖人は生まれながらに強力な力をもっている。しかし聖人としての力が余りにも巨大すぎるため、通常聖人は全力の力を行使することが出来ない。全力で聖人の力を使おうとすれば、強すぎる力の過負荷により体は傷つき消耗していく。だからこそ聖人が全力を解き放つのは大抵にして一瞬だ。瞬きするような一瞬、聖人としての全力を行使し敵を一撃の下に葬り去る。
 だがそれは並みの聖人の話。
 ウィリアム=オルウェルはそうではない。最初から全力で戦う。聖母崇拝と聖人の二つの素養を持つウィリアムは、聖人としての力を常に全力の状態で使うことができるのだ。
 そして、それはどうやら劉白起も同様のようであった。
 ウィリアムとは違い聖母の特性を持ち合わせない劉白起は聖人の力を全力で使えば、その体は過負荷によりダメージを受けていく。ウィリアムの目も体を動かすたびに体から血をふきだす劉白起を捉えている。されどそのダメージをどんなトリックを使っているのか瞬時に回復しているのだ。
 聖人としての全力を使いダメージを受ける。そのダメージをなんらかの力により回復する。そしてまだ聖人としての全力を使いダメージを受ける。こんなサイクルが何度も何度も劉白起の中で行われているのだ。

(劉白起、噂に違わぬ実力者のようである! だがッ!)

 この男、劉白起は悪だ。自分の欲望のためだけに生き、自分の快楽を全てにおいて優先させ、そのために無力な民衆を虐げる男だ。
 ウィリアムは自分が聖人君子などと口が裂けても言うつもりはない。自分はただの傭兵崩れのゴロツキ。英雄でもなければヒーローでも正義の味方でもない。
 しかり許せぬ悪のことくらいは知っている。

(騎士団長には騎士の誇りがあった。己が身に変えても英国の安寧を守ってみせるという意地があった。しかし劉白起、こいつには何もない。この男にあるのは自分自身の愉悦だけ。故に

「お前を実力者とは認めよう。だが劉白起、私はお前を強者とは認めんのである!」 

「格好つけやがって。で、どうすんだよテメエ。まさかお前様の御高説を聞いたら、泣いて許しを請って自首するとか愉快な勘違いはしてねえだろうなぁ?」

「無論だ。貴様に語って聞かせる説法はない。聞きたければ地獄で耳を澄ます事だ」

 ここはアフガン。十字教の影響圏内ではない。そのため十字教式の魔術はややその効力を弱めてしまうのだが、そこは仕方ない。ウィリアムは多くの技術をその身に収めているが、魔術はその殆どが十字教式のものばかり。そも聖人であり聖母の特性の持ち主でもあるウィリアムは、十字教式魔術に比べ他の魔術は相性が悪いのだ。使えぬ訳ではないが、どうせイスラム式の魔術は一つも覚えていないのだから五十歩百歩だろう。
 ウィリアムは自身が知る限り最大の魔術の一つを詠唱し始めた。

大気の恵み(HUHF)生命の血脈(UIHN)空の施し(BCQOI)我が誇り(JCIAY)たる貴方は(ZVUID)また貴方を自ら(ICBQFY)の流血にして汚す(IOJNCQ)我が眼前に(OIQCNOQ)立ち塞がるは敵対者(IHQKL)! 難き我が怨敵(NUIE)裁きをもち(IOXDQW)我が敵を断滅せよ(IOJFIQ)!」

 四台元素の一つ、水。その根幹を為す力がウィリアムの体に流れ込んでいる。全身の血管、臓器が荒れ狂う。四台元素の中で水はまだ優しい方だが、それでも根幹を為す力ともなれば並の人間に御せるものではなくなってくる。しかしそれをウィリアムは自分の力で強引に捻じ伏せた。

「――――――喰らえ」

 伝説に聞く水神。竜を模した水の塊が劉白起に殺到した。その形は見かけた押しではない。その規模と大きさ、容赦ない破壊力は間違いなく龍と称するが相応強いだけのパワーがある。
 水龍が劉白起の体を飲み込む。これで倒した、そうウィリアムが直感した時。

「なめぇんなよ、コラァ!」

 水龍の腹の中から響く声。瞬間、水龍の胴体が割れていき、台風のエネルギーがそのまま弾けたかのような轟音をたてながら大爆発した。
 そしてふわりと、男が地面に着地する。

「噂通りだなウィリアム=オルウェル。戦うのはやっぱ面倒臭ぇなぁ」

「逃げるのか!?」

「あぁ? テメエみてえな馬鹿と同じにすんなよ。クライアントも死んでるし、俺としちゃお前と戦うのは何の金にもなんねぇような徒労ってやつなんだ。また会おうぜ、今度は戦って金になる戦場で」

「待て!」

「嫌だね糞野郎」

 そう言うと、劉白起は虚空へと消えてしまった。予め転移用の術式を組んでおいたのだろう。用意の良い奴だ。
 逃がした敵のことを何時までも考えた所で仕方ない。ウィリアムは思考を切り替える事にした。そろそろ事後処理を始めなくてはなるまい。意識のある少年兵の中には先程の激戦を見て腰を抜かしている者も多くいた。
 しかしそんなウィリアムの下にまた新たなる来訪者が来てしまう。
 パチパチと鳴り響く拍手。

「Lei e splendido! 流石は魔術界に最たる傭兵、傭兵の癖にイギリスの騎士に叙任されかけただけはあるな。ウィリアム=オルウェル。中々見事な技量があるじゃあないか」

「次は何だ、テロリストの次は――――――」

 劉白起にしてもそうだが、今度の来訪者も珍客だった。炎のように真っ赤なサラサラの髪。体を覆うのは髪色と同じ真紅。
 そして何よりも重要なことだが、この男からは嗅ぎなれた十字架と信仰の臭いがした。十字教徒、それもローマ正教に属する人間とみた。

「こっちだけ一方的に名前を知っているというのも不公平かな。俺様はフィアンマ、ローマ正教のトップをやっている」

「……ローマ正教のトップはマタイ=リースという名の教皇のはずであるが?」

「あの男は一般向けの表の顔だ。教皇といえど所詮は人望があるだけの単なる人間。ローマ正教を実際に動かしてきたのは、数百年前から俺様のような特別な人間だ」

 特別。成程フィアンマの言う通り、フィアンマからは普通の人間とは違う見た事のない気配がした。感じたことのない感覚がした。

「それで、その特別な人間がただの一介の傭兵に何用であるか?」

「勧誘だよ。ちょいと俺様のいる所から後方が一人欠けているのでな。丁度素養があって実力もあるお前に声をかけてみたという訳だ。どうだウィリアム=オルウェル、俺様の手をとりローマ正教の上にたつ気はないか?」

 フィアンマは一つの勢力の組織図が引っ繰り返るようなことを、夕食の献立を離すような気軽さで言った。

「馬鹿馬鹿しい。私はただの傭兵、人の上にたつような男ではない」

「そうして、これからもずっと戦い続けるのか? 地べたを這いつくばって、ただ目に見えるものだけのために戦う。矮小だな」

「何が言いたいのか?」

「見方を変えろ、と言っている。ウィリアム、お前がいる場所はビルで例えるなら最下層も最下層だ。最下層からなら、このテロリストのような最下層にいる者の一部は見えるだろう。だが最下層からでは上が見えない。最下層からでは他のビルに遮られて全てを見ることは出来ない。しかしローマ正教のトップの一人ともなれば超高層ビルの最上階に相当する。そこからなら見えるぞ。あらゆるものを隈なく、な」

「トップ、か」

 このまま戦えど何も変わらない。
 悔しいがこの男の言う通りだ。ウィリアムのやっている事は根本の解決にはならないことばかり。幾ら目に見える範囲の声を聴き、その涙を拭ったとしても、ウィリアムのいない場所で知らない誰かがまた涙を流す。しかしもっと上の場所にいけば――――――出来ぬことも出来るようになるかもしれない。

「話を聞こうか」

 この日、世界各地で勇名を馳せていたウィリアム=オルウェルという名の傭兵がその足跡を消した。
 そして同時期ローマ正教最暗部『神の右席』に歴代最強の後方の担い手が誕生した。
 後方のアックア、禁書目録と共に歩く超能力者と幾度となく交戦することとなる男の名前である。




 主役が入れ替わった前二作品と違って普通にアックア主役でした。
 時系列的には第三王女ヴィリアンの事件より後、アックアがイギリスを去ってからの話。アックアの神の右席に入るまでの流れを勝手に書いてみましたw 次回は……何故か四位にランクインしてしまったタケノコの短編。今まで出番が壊滅的だった黒子と美琴に焦点が当たります。



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