ラクスに暫くの別れを告げたシーゲルは、個人の所有物である宇宙艇で月のコペルニクスへの旅路へついていた。

「こうしてプラントを離れ遠出するのも何時以来だろうか……」

 ふかふかの椅子に背中を預けながら、シーゲルは天井を仰ぐ。
 シーゲルは元プラント最高評議会議長で、この戦争を主導した人間の一人である。しかし議長職を退いた今、実質的にはどうであれシーゲル・クラインは『民間人』である。
 議員ではないが故に議員としての権限を振るうことはできないが、下手に議員という肩書をもっているよりも自由に動く事が可能だ。
 勿論議員ではないシーゲルが連合との条約を独断で締結することなど出来はしないが、非公式の場で会談するのにはもってこいの立ち位置といえるだろう。
 確かにシーゲルは現在『民間人』だがただの『民間人』ではない。シーゲル派の指導者的人間として、評議会ではパトリックに次ぐ影響力をもっている。
 そのことは連合軍の高官や政治家たちも知っているため、非公式の『会談』が成り立つわけだ。

「しかし良いのでしょうか……? ザラ議長に黙って、このような」

 侍従の一人が進言する。もしかしたら死ぬかもしれない仕事だ。同行者を強制することはせず船の総舵手含め志願者のみを連れてきたが、自ら志願した人間だから不安はないというのは早合点だ。
 人間である以上、不安の一つや二つ抱くものである。シーゲルが『もしかしたら……』と不安を感じているのと同じように。

「仕方あるまい。パトリックは私がこのようなことをしたと知れば怒るだろうが、もし知れば必ず私の行動を阻止しようとしただろう。
 パトリックからすれば私のしていることは重大な裏切り行為に等しいのだからな。…………だが、誰かがやらねばならん」

 自分が行ったからといって直ぐに和平交渉が成立するなどとシーゲルも自惚れてはいない。
 プラントと連合、双方が積み重ねてきた死体の山はあまりにも高く険しいもの。そう簡単に埋まるものではない。
 だが、だからこそ一歩を踏み出ることが大切なのだ。今はどちらの陣営もお互いを殺せと叫ぶばかりで歩み寄ることをしようとすらしていない。故に自分の一歩が他の者の一歩になれば――――それだけで会談は成功なのだ。

――――お前は甘すぎる。この宇宙は二つの人類が共存できるほど広くはないのだ。

 いつかパトリックがそんなことを言っていた。
 無限に広がる宇宙とはいえ、人類が住める宇宙など地球圏から……どれほど長くとも木星までが精々だ。
 二つの人類、ナチュラルとコーディネーター。二つの人類に明らかな能力的格差などがある以上、本当の意味でナチュラルとコーディネーターに平等な世が訪れることはないのかもしれない。
 実のところを言うと……反コーディネーターの最大規模の組織であるブルーコスモスの思想のほんの一部にシーゲルは賛同していた。
 親の勝手な都合で子供の遺伝子を弄るなど間違っている。コーディネーターは存在してはいけない生き物…………確かにその通りである。コーディネーターはその出生からして歪であり、この飽くなき戦争を主導していた者の一人として、それを生み出す技術は悪とすら思える。
 だからといって自分達が核に焼かれて死ねばいいと考えている訳ではない。しかしいずれはナチュラルとの婚姻を進め、ゆっくりとナチュラルに回帰すべきだとは思う。
 無論この事を他の誰かに喋ったことはない。もし前議長である自分がそんなことをいえば、スキャンダルどころの話ではなくなるだろう。

――――いいかい、シーゲル? コーディネーターとは『架け橋』なんだ。これまでの人類と新たな人類、その二つの手を繋ぐための。

 自分の人生の師とすらいえる男の言葉は今もこの胸に刻まれている。
 けれど、

「貴方の理想は、まるで人々に伝わらなかった…………パトリックでさえ、貴方の理想を履き違えた。いや理想の真意から目をそらしている」
 
 彼の理想は崇高だった。崇高過ぎたのかもしれない。だからこそ愚民には伝わらない。

「ジョージ・グレン……貴方はこの世界をどう思っているのですか?」

 シーゲルの問いに応えてくれる者はどこにもいない。
 コーディネーターという概念を世に生み出した最初のコーディネーター、ジョージ・グレンはもうこの世にはいないのだ。せめて彼が生きてさえいてくれれば、世界はもっとマシだったのだろうか。
 その時だった。突然に宇宙艇が揺れる。
 
「っ! シーゲル様!」

 まるで震度6の地震でもきたのかという振動に、シーゲルはシートから転げ落ちるが、腐ってもコーディネーターだ。咄嗟に受け身をとってダメージを最小限に転がる。

「何事だ、なにが起きている!?」

「そ、それがこの宇宙艇に連合のMAが攻撃を仕掛けてきています!」

「なんだと!?」

 狂ったように持てるだけの弾薬をばら撒きながら一機のメビウスが突進してくる。
 三機、或いは五機揃おうとザフトのジン一機にすら及ばないメビウスだが、MS一機も搭載されていない宇宙艇にとっては死を運ぶ死神そのものに他ならない。

『死ねぇええ!! 貴様さえいなければ! 貴様等さえいなければ俺の家族はぁぁあああ!! 青き清浄なる世界のためにぃぃぃぃぃぃいいいい!!』

 メビウスのパイロットはエイプリルフール・クライシスで家族を失ったジャンク屋だった。
 エイプリルフール・クライシスの原因となったニュートロン・ジャマーの降下を指示した人間、シーゲル・クラインがこの宙域を通過するという情報を得て自らのメビウスで襲撃を仕掛けてきたのだ。

「シーゲル様、お逃げを! 貴方様はこれからの未来のために、生きねばなりません!」

 侍従の一人が必死に叫ぶが、シーゲルは達観したように首を振る。

「君の気持ちは素直に嬉しいよ。けれどね、私はどこへ逃げるというのだね?」

 侍従もシーゲルもこの小さな船に乗る搭乗員であることに違いはない。周りは無限に広がる宇宙であり、外にいる人間は自分達を殺そうとしている者だけ。
 脱出ポットで逃れたとしても、直ぐにメビウスに撃ち落とされるだろう。

「すまなかったな……本当に。私は――――」

 それ以上、何か言うことはできなかった。
 メビウスの放ったレールキャノンに宇宙艇が貫かれる。爆発はそのままシーゲル・クラインという男を呑み込んでいく。

(あぁ――――)

 死に恐れはなかった。多くの人間を殺めてきたシーゲルにとって『死』とは苦しみから解放される術でしかない。
 ただプラントと地球連合の未来と、残してきた一人娘だけが未練だった。




 プラント元最高評議会議長シーゲル・クライン死亡の報がパトリックに届けられたのは彼が死んで二日後のことだった。
 思想面で対立したとはいえ、旧来の友である男の急死に動揺を隠すことができずパトリックはクルーゼからの通信を受けていた。

「どういうことだ……シーゲルが、死んだ、だと?」

『シーゲル・クライン元議長は独自に連合軍の和平派と交渉を行おうとしたようですね。最小限の人員のみを連れて月のコペルニクスへ向かう旅路の途中だったようです』

「……っ! あの馬鹿め!」

 和平派と交渉を行おうとした、という言葉にパトリックは激高する。だがその怒りをぶつける相手がもうこの世界にいないことを思いだすと怒りが静まっていった。
 パトリックに残るのは行き場を失った怒りと遣る瀬無い気持ちだけだ。

『私の部隊は偶然近くをパトロールしていたため、騒ぎを聞きつけ急行しましたが……既に、もう。しかしクライン氏を殺したと思われるメビウスについては撃墜しました』

「撃墜だと、どうして捕えなかった? お前ほどの男なら、シーゲルを殺した相手を生け捕りにする方が価値があると気付けんわけはなかろう」

 頭の切り替えの速さは流石というべきだった。シーゲルの死から即座にこれからの事についてパトリックの頭脳は廻り始めていたのだ。
 シーゲル・クラインが殺されたともなれば、当然プラントは大騒ぎとなる。その憎しみは下手人であるパイロットと、それの所属する地球連合へ向くだろう。

『いえ、ただ生かしておくと…………不利な情報が見つかるかもしれないでしょう』

 にっこりと魂を凍てつかせるほど冷たい笑みをクルーゼが浮かべる。

「クルーゼ……? ま、まさか貴様!」

『平和を望んだシーゲル・クライン前議長は平和的解決を求め会談の場を求めるも、その途中で卑劣なる地球連合の罠に掛かり命をおとした。当事者であるクライン前議長も、下手人たるメビウスのパイロットも既にこの世にいません。
 仮に……もし仮に襲ったのが連合の兵士ではなく、どこからか情報を耳にしただけのつまらないジャンク屋だったとしても世間がそれを知ることはない。ジャンク屋の男に情報を流したのが、誰だったのかも』

「貴様、お前は……っ」

 このシーゲル・クライン暗殺事件を演出したのは、自分がなによりも信用し活用するラウ・ル・クルーゼである。その事実を暗に明かされたパトリックは両手を震わせ。
 逆に笑みを零す。

「……そうか、それは悲しいことだな」

 クライン派の中心人物であるシーゲルが死んで、クライン派は勢いを落とすだろう。
 和平を望み交渉の場に向かおうとしながらも、連合軍により殺されたというニュースは二分化した民意を一気にザラ派に傾ける格好の材料となる。

『しかしプラントにはシーゲル氏の遺児であるラクス嬢がいます。普通の人間なら父を殺されれば怒り狂い復讐を叫びそうなものですが、私の見る限り彼女は寧ろ逆。父の意志を継いで連合との和平を訴えるでしょう。
 父を失う悲劇を経験しながら尚も平和を訴える姫君、これはこれで中々にロマンスです。けれどザラ議長にとっては望まれぬストーリーでしょう』

「ふんっ。ラクス・クラインと倅のアスランは婚約者同士の間柄だ。そしてラクス・クラインには他に血縁がいない。親を失った彼女を未来の義父が引き取ることの、どこに不自然な点がある?」

『ありませんね』

 父親を失いながら平和を訴える姫君なんて物語は要らない。パトリックが必要としている物語は、父を悪鬼に殺された姫君と彼女のために剣をとり悪鬼へと立ち向かうナイトの構図だ。
 もはやパトリックの頭の中に旧来の友を失った悲しみなどはなかった。
 冷え切った頭脳は冷徹にナチュラルを皆殺しにするための戦略を組み上げていく。それが自分の操り人形だと思い込んでいる人間に操られての行動だと気付かぬままに。



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