ナインがミュラーを見つけることが出来たのは偶然だった。
 最初は連合軍の命令通りアーク・エンジェルやドミニオンを目標に集結しようとしたのだが、途中ミュラーの姿がないことに気付き危険は承知で元いた宙域付近を捜索したのだ。
 そこで見慣れぬ真紅のMSと戦うストライクを目撃したのだ。

「大佐、無事で良かったです」

 ナインにとってミュラーは自分の命よりも大事な存在だ。生きる目的、全てとすらいっていい。そんなミュラーを危ういところで助ける事が出来て本当に良かった。
 だがふとナインは疑問を感じる。赤いMSが後退したというのにストライクは死んでしまったようにピクリとも動かないのだ。

「……大佐?」

『…………すまない。どうやらシナンジュにやられたダメージが機体をイカれさせたらしい。うんともすんとも言わない』

「本当ですか、それは」

 MSは精密機械だ。決して無敵のスーパーマシンではない。ダメージを受ければ破損もするし、整備環境が悪ければ使い物にならなくなる。
 だからダメージを受けたMSが動作不良を起こすことは特に珍しいことでもない。ナイン自身、アフリカで本隊から逸れてしまった際に自分のストライク・ダガーを故障させてしまっている。
 しかしナインはこれまでミュラーがそういった事に陥ることを見た事が一度もなかった。これはストライクというMSがPS装甲を採用しておりタフということもあるが、そもそもミュラーの被弾率が極端に少ないことが原因だろう。

「分かりました。それじゃ僕が――――」

『デュランダル隊長の仰った通りだ。ヤキンの悪魔がいるぞ! しかも動けないようだ!』

『仲間たちの仇、ここで……!』

 ナインが行動に移るよりも早くザフトのMSの一団がこちらに迫って来ていた。
 数は七機。ゲイツとジンの混成部隊だ。比率としてはジンの方が多いだろう。

『チッ。デュランダルめ、ザフトの仲間を呼んだか。抜け目ない奴……』

 通信機でミュラーが舌打ちする音が聞こえてきた。だが動けないMSなんて棺桶同然のガラクタに押しこめられていることを鑑みれば、それがただのやせ我慢の現れであることは瞭然だった。

「大佐! 仕方ありません。ストライクを降りて一先ず僕のロングダガーの方へ!」

『駄目だ……! コックピットすら開かない……。くそっ! なんでこんな時にっ! 今日は私にとって厄日なのか!』

 苛立ち混じりの悲鳴のようなミュラーの声。それが切羽詰まった事態であることを否応なく教えてくれる。

(どうする……?)

 ナインは自問する。七機のゲイツとジンの混成部隊。自分とロングダガーの性能なら一人でも相手することも可能だろう。だがそれはナインが万全の力を発揮することができればの話だ。
 チラリと動けないでいるストライクに視線を落とす。動けないストライクはゲイツやジンたちにとって良い的でしかない。幾ら中に連合最強のエースがいようと、肝心のMSが動けないというのでは技量を発揮することもできないのだから。
 ナインにとって何よりも優先すべきなのはハンス・ミュラーの命。だがミュラーのストライクを守りながら戦うのは難しい。
 戦うのが難しく、かといって防衛戦などしても仕方なく、かといって援軍になんて期待できない。そしてヤキンの悪魔の降伏をザフトが許すはずもないだろう。
 ならばナインが出来ることは一つしかない。

「大佐、少し揺れますが我慢して下さい」

『な、ナイン――――!?』

 有無を言わさずナインはロングダガーを操りストライクの機体を掴むと、バーニアを最大出力で吹かして逃げ出した。
 当然ザフトのMS部隊がそれを黙って見逃すはずがない。

『追え! ヤキンの悪魔を逃がすな! 奴は今デュランダル隊長の攻撃を受けて動けなくなっている。絶好のチャンスだ!』

 ザフトはヤキンの悪魔の恐ろしさを知るからこそ、それが無力となっている今という機会を逃すものかと死に物狂いで追ってくる。
 追い付かれるわけにはいかない。自分が死ぬのは別にいい。だが大佐を……ミュラーを死なせるのだけは絶対に駄目だ。

『……ナイン、私を置いて逃げろ』

 どこか絞り出すようなミュラーの声が耳に入った。

「大佐、なにを」

『私は、もう駄目だ。ふふふふっ。ただ普通に退役まで勤め上げて年金生活をしたかっただけなのにな。何時の間にか英雄で、いつのまにか人類存亡の危機とやらに投げ込まれた。なんだか疲れたよ。別に死んでも、いい。
 だからお前はさっさと逃げろ。お前ひとりなら逃げ切られるだろう。ザフトの連中も私一人を殺せればそれで満足のはずだ。……ああ、そうだ。早く逃げろ……わ、私に従って心中する必要は、ない』

「嘘です。大佐は死にたくなんてないはずだ」

 そうだ。そんな嘘、信じられるわけがない。アーク・エンジェルの誰よりも軍人らしくなく、死ぬことを嫌いぬいていたのがハンス・ミュラーという人だった。
 彼という人間が普通なら自分の命を諦めるはずがないのだ。ミュラーが敢えて自分はもう死んでもいい、なんて嘘を吐く理由。その理由がナインには分かった。
 目から熱いものがこみ上げる。涙を流すという人間の機能をナインは初めて使っていた。

「大佐、僕は……」

 ミュラーが自分の命を投げ出して逃げろという理由(ワケ)。それはきっとナイン・ソキウスを生かすためだ。
 自分はナチュラルに役に立つ為だけに生み出された戦闘人形。誰にどれだけ否定されようと、ナインは脳に根付いたこの考えを消すことなんて出来ない。
 背中にジンの放ったマシンガンが命中した。ロングダガーはPS装甲でないため実弾でもダメージを受ける。地震でも起きたかのように機体が揺れた。

『ナイン。これはお前に頼んでるんじゃない。命令だ、急ぎ後退しろ。私の命令が聞けないとでもいうつもりじゃないだろうな?』

 脅すようなミュラーの言葉。その『命令』という絶対の呪文がナインの全身を駆け巡る。
 戦闘人形として製造されたナインに上官からの命令を拒むことは出来ない。生まれながらに通常のコーディネーターをも凌駕するだけの素養を与えられたソキウス≠ヘ念入りに精神ブロックがかかっている。
 ナチュラルに危害を加えることができない、上官の命令に背く事が出来ない。これがソキウスシリーズとして生み出された者の絶対的なルールなのだ。
 だというのに、

「拒否、しますっ」

『な、なにを』

「ナイン・ソキウスは貴方の命令を拒否して勝手な行動をとります!」

 精神に植え付けられた至上命令をナインは初めて拒絶した。

『馬鹿を言うな! こ、これは命令なんだぞ! 聞けないのか!』

「聞けません! 貴方が死ねと言えば僕は死にます。誰かを殺せというなら殺します。けどそれは今じゃない……。今だけは、僕は僕自身の命令に従います」

 一筋のビームがロングダガーを抉る。ビームに強いラミネート装甲だったから一撃で大破しなかったが、コックピットに破片が飛び散りナインのヘルメットを貫き両目の間を傷つける。
 鮮血が両目の視界を塞いだ。それでも目は閉じず真っ直ぐに連合軍の部隊がいる場所に向かってロングダガーを走らせる。

『もういい……。どうして命令を拒否するんだ! お前は、その……断れないはずだ! お前には上官の命令を拒否するなんて、そんな選択肢がそもそも無いはずだ!』

「何で、でしょうね。僕にもよく分かりません」

 いや答えなんて簡単なことなのかもしれない。ソキウスシリーズは上官に逆らえないという精神ブロックをかけられた所謂完璧な兵士だ。
 完璧な兵士なら命令を拒否するわけがない。それが命令を拒否するということは、ナインは完璧な兵士ではないということだ。
 今度はなにかが背後で爆発しロングダガーを襲った。だがミュラーのストライクにだけは爆発の余波がいかないようロングダガーが覆いかぶさる。
 それがいけなかったのか。爆発で破損したロングダガーの部品がそのままの勢いでコックピットのシートを貫き、ナインの腹部を抉った。

「ぐっ……がっ……」

 脳味噌が焼き切れるような激痛が駆け巡る。常人なら瞬時に意識を失ってもおかしくない激痛だったが特別性のナインの肉体と精神は耐えてくれた。

『ナイン!?』

「大佐。貴方が……僕を、見出してくれた。……あの模擬戦の消耗品として、処理されるだけだった僕に……貴方が意味を与えてくれた……」

 その時がナインにとって全ての始まりだったのだろう。ソキウスシリーズのナンバーナイン、それだけに過ぎなかった自分はハンス・ミュラーの部下という特別な存在になることが出来た。
 ソキウスシリーズでミュラーの部下なのは自分だけ。他のソキウスにはない自分だけの個性(パーソナリティ)

―――ナイン、お前は間違ってる。ハンス・ミュラーだってお前を戦闘マシーンとして利用するために助けたんじゃない! きっとお前にもっと人間らしく生きて欲しかったから。

 カガリが前にそんなことを言っていた。カガリの言葉はきっと正しい。大佐は自分が人間らしく生きることを望んでいるのだろう。
 これまでナインには人間らしく生きるという意味が理解できなかった。自分は戦闘人形、変えの利くただの道具。MSが人権をもたないように、自分達が人間らしく生きることなんて土台からおかしいと。
 けれど今ならば、言える。

「大佐、僕は……人間になります」

『な、ナイン?』

 人間とはなにかなんてナインには分からない。だが完璧な兵士(ソキウス)であれば命令を拒否することはできないなら、もうソキウスでなくともいい。

「僕はソキウスシリーズの戦闘人形なんかじゃ、ない。例え戦闘人形として生まれたんだとしても……僕は唯一人(オンリーワン)の、ナインだ! 僕はナイン・ソキウスだ! ただのソキウスなんかじゃない……!」

 霞みがかった視界でナインは連合のMS部隊がこちらに近付いてくるのが見えた。
 これで助かった。これで大佐は助かる。
 ナインは安心して意識を手放した。



「な、ナイン……!」

 連合の戦艦に救助され、MSをこじ開けて外に出たミュラーが見たのは血濡れのナインだった。
 ナインはぐったりとしている。表情は青白く危ない状況だということが……いや、そもそも危ないと議論をする状態を超えているのではないかとすら思ってしまう。

「……ああ、大佐、良かったです」

 うっすらとナインが目を開く。青い瞳は焦点を合わすことすら出来ないのか、微かに揺れ動いている。

「どうして私を、助けたりなんてしたんだ。私は命令をしたはずだ。なのに」

「……僕は人間≠ナすから。人間は時々良く分からないことをするんでしょう。だから僕も……良く分からない事をしたんです」

 戦闘人形が人間の命令を拒む、そんな訳がない。つまり命令を拒んだということは、ナインは人間だということだ。
 だがミュラーがどれだけ人間らしい趣味を見つけてやろうとしても望んだようなリアクションをくれなかったナインがよりにもよってこんな時にこんな所で。

「お怪我は、ありませんか?」

「無いさ! 五体満足だよ。だからお前もさっさと怪我を治すんだ。そしてこの戦争が終わったら……一緒に暮らそう。幸い給料はかなり貰っている。お前一人を養うことなんて……が、学校だって……いけるさ。戦争がなくなれば、もうMSなんかに乗る必要だってない。お前にも人間らしい普通の暮らしを……」

「……恐縮です。僕なんかに、勿体ないです。でも――――」

 ナインは本当に幸せそうな、人間らしい笑顔を浮かべた。

「とても、楽しそうですね……」

「ああ楽しいさ! 私は学園生活なんて碌に経験なんてしてないが、きっと楽しい! だから……」

「これ、カガリから貰ったんですけど……ハウメアの守り石。僕にはもう必要のないものですから。大佐が」

 ナインがそれ以上、言葉を紡ぐことはなかった。桃色に光る守り石をミュラーに手渡すと安心したようにナインは深く寝入ってしまった。
 その寝顔はまるで幸せな夢の中にいるような満ち足りた表情で、とても人間らしさに溢れていた。

「――――――――!」

 声にならない絶叫が轟く。ミュラーは初めて、人目を気にせずただ感情が溢れるままに泣いた。



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