第014話 惑星コムネス編05 ネフェトの街へ…


リフィ隊長が確認の為の偵察隊の編成を命じて…

「ところで…馬には乗れるかね?」

「ん〜…」

ちらっと空の馬をみると…鐙がない…

「乗れなそうですね」

ただでさえ騎乗するのに技術は必要であり、また馬にたいして命令するのも文化によって違うかもしれない…
ましてや異星だ。
リアルでこそ世界的にほぼ統一されてるだろうが、カオルは転生前に騎乗した事もないど素人であり、

「となると…ハイムの街からここまでどうやって来たのかね?」

「あれですよ」

偵察車に首を振りながら…

「あれかね?みたところ人足がいないがどうやって押してきたのかね?」

「人足?」

「手押し車なのだろう?」

(手押し車って…一輪の猫車じゃ……あっ、人車鉄道の…)

人車鉄道に使われる手押し車両に類似したのと勘違いされているとカオルは理解した。
あれなら4輪で箱形乗用車両だ。

人車鉄道…日本では1882年〜1959年まで存在していた、レール式軌道の動力源が人という軽便鉄道の一種である。

軽便鉄道とは日本のJRのレール間の長さが1,067mmであるが、それよりも狭い762mmや610mmのレール間の鉄道をさし、
森林鉄道・殖民軌道・鉱山鉄道など、鉄道法規の規定によらない低規格の鉄道も含まれる。

狭義の定義では1910年施行された軽便鉄道法にのっとり、廃止される1919年までの間に適用でつくられた路線をさす。
因みに同法は僅か8条で、収支の売り上げ予測と予定路線図の申請だけで営業免許がもらえたはっきりいって簡易法といえ…
なので安全対策等も盛り込んではなかった…

軽便鉄道はその為に敷設にかかる費用も通常の狭軌よりも安い。

で、軽便鉄道の中の人車鉄道だが…
動力をもたない客車を人で押して輸送する鉄道で、簡単に言えばトロッコ人力鉄道みたいなもんだ。
いやトロッコとも言い難い。

トロッコは確かに手漕ぎ人力のもあるが、スピードが出るように、パワーが出るようにギア等がついている。
勿論作り方によってかなり違うがトロッコは工業製品の塊といえよう。

だが人車鉄道は…人の足で車体を押す鉄道だ。なので…車体は非常に小さい。
車体は幅1.5m長さ1.62m、車体重量は車輪系以外木製で1tもない。
乗員は6名以下のほんとにおもちゃ箱といえよう。
12名のりのも確かにあるが熱海の豆相人車鉄道のをあげている。

それで何故人車鉄道と思ったかというと転生前によく熱海の温泉…日帰りにはまってたからでもある。
泊まるんじゃないの?の突っ込みは野暮で…通常期は新宿から小田急使って、小田原から熱海まで…約1280円程の片道であり、
青春18切符でもよくいっていた。

特にカオルが2013年に転生する前には大江戸温泉の熱海が開業した後であり、
坂道を徒歩で下っていってたもんである。
その熱海で人車鉄道の遺跡等を見て、お隣の湯河原の復元車両を知っていたからであった。
駅前の改良工事着手前の出来事だ。

AL4の世界では、戦火は免れたが、静岡、神奈川は避難地区のままでいて昨年末にやっと解除された。
約3年半も放置してたつけが旅館等の構造物にも来ており、まだまだ復興の最中といえよう。

さて熱海の人車鉄道に戻すと…
車内の中に非常に狭い。向かい合わせ2列の座席に座ると、前の人と膝がぶつかる程だろう。レール間は660mm、動力となる車夫は3名でうごかしていた。

車夫3名なら12人乗りの1tつくれるじゃないか!と思うがもしれないが…
豆相人動鉄道は、海岸沿いの険しい坂道を登らなければならず…
トンネルが無い旧道がほぼの路線跡だ。
なのでとても車体重量が1tでは3名では押せない。

東海道線は陸蒸気として開業当初から蒸気機関車をはしらせ、
明治22年には神戸まで路線を延伸し、全線開通させたが、
箱根の山々が越えられず御殿場線のルートをとった。

迂回された熱海は古くから温泉地として知られて、多数の大物が訪れていたが…
アクセス悪く、東京から人力車でも2日がかりという不便さだった。

東海道線が国府津まで路線が延びると熱海へも鉄道を引く機運が高まり、鉄道が敷設されることになった。

小田原までは小田原馬車鉄道、後の箱根登山鉄道による鉄道馬車が敷設された。
国府津から湯本間の路線だ。

だがその先の熱海迄の約25キロは、途中の路線がほとんど坂道と急カーブが続く海岸線コースになるため、鉄道馬車では無理であった。
蒸気機関車を使った軽便鉄道は開発投資が大きく資金集めに困難であり、
事業家雨宮の提案で人車鉄道として、
雨宮と地元有志で豆相人車鉄道を設立し、開通へのながれとなる。
今の小田原南町郵便局そばが豆相人動鉄道の小田原駅と設定され、
熱海までおよそ4時間で結ぶ形になった。

米神から真鶴間は坂が激しく、下等の6人が乗車したままでは、人力では押して上ることができなくなり、
乗客に降りてもらって一緒に押してもらって上ったという。
単純に70kgが6名で420kg、一人頭140kg+車体重量の3分の1を担当しなければならない計算だ。

下り坂では車夫はステップにとび乗りブレーキ操作をしながら一気に下って行った。

そんなおもちゃ箱の様な車両と言われ…

「あれは手押し車とは違いますよ」

「ほう?」

「手押し車は外から人が押すんですよね?」

「うむ」

「あれは内部に動力があってそれで動く自動車という種類ですね」

厳密には核融合による電動モーター車であるが、そこまで言っても解らないだろう…

「内部で人が動かすのかね?」

「あ〜…デンキニヨルモーターを動かすといってもわからなそうですので…」

「デンキニヨルモーター?」

繰り返すが、現地言葉を翻訳喋っておりまだ相当する言葉が存在してない。
電気によるモーターと喋っておりいるつもりだ。
カオルの耳には電気によるモーターと入っている。

「人の力の10万倍近く、馬の1万倍…だった…かな?」
スペックを忘れて使用しているが最高速よりも不正地安定力をメインとしていて偵察車には不似合いな馬力をだす。
モーターでそこまでは焼ききれるのでは?と思うかもだがそこは異世界技術の恩恵でもある。
また先のアタッチメント使用時に必要なパワーソースともいえよう。

「はっ?そこまで…?」

「まっ、あれでいきますから大丈夫ですよ。先導してください」

「ああ…わかった」

因みに豆相人車鉄道は蒸気化する時に大日本鉄道に資金難の為に買収され、
熱海鉄道と生まれ変わった。
熱海鉄道は軌間762mmに改軌され、蒸気機関車として運行されたが、
今の東海道線の延伸が発表された時に国に売却、工事関係路線として運行していたが関東大震災時に廃止された。

……

手押し人夫の居ない動く車に驚く兵士達に見送られ、偵察車はネフェトの街へと近づく。
軍は今しばらく展開したままになるらしい。

「ほ〜」

街壁がだんだんと大きくなる

「立派なもんだろう?…まぁ…だがクソどものルレアには破壊されてしまうが…」

「あ〜…対人類用ですからね…」

高さ10m程だろう…5m程の門をくぐり抜けると視界にはネフェトの街並が目にはいってくる。

何時もなら賑わってそうだが大半の住民が避難した後なのだろう…
殆ど人気がしない。

家は木製フレームハウスの作りの様だ。

イギリスやヨーロッパでの柱や梁、貫、筋交いなどからなる骨組みと、
木の枝などを心材にした土壁でつくる方法で、
11世紀頃に生まれ、16世紀始めまでに盛んに用いられた。

ハイトの街は煉瓦積み住宅、結合部がコンクリと報告をうけていて、比較的建物がこの街の方が新築という感じがする。

そして路上に放置されている4輪車両がみえてきた。馬車とは違う。
まずは御者台がみあたらない。通常馬車では馬を操る御者が座る席がもうけられている。

その車体からでている支柱が真ん中に1本だけ…
その支柱の脇に馬をつけるなら2頭仕立てになるが左右への方向転換が難しくなるだろう…

「あれが手押し車です」
視線に気がついたレンスが解説してくれる。

「多数の避難民の職をというので考案された経緯があるみたいですね〜」

確かに避難国なのにスラムが形勢されてた気配はない。
避難民を受け入れると城壁を持っている街は城壁内に収まりきれない分は勝手に城壁にそって家をつくり始める。
屋根だけの粗末な小屋…ハット等がならび始めるだろう。
職もなく収入手段がない。
そして衛生状態は汚物等垂れ流しで伝染病が流行り始める…というわけだ。
そして体力に欠ける幼児や老人たちの野晒しの死体をまま見る事になろう…

それがスラムということだ。

断ち切る手は食料を援助し、
職を斡旋し収入手段を確保させるしかない…
人の安定した不安のない環境につかすしかないのだ。

で、手押し車は後ろに人足が6名程つき、支柱を押して方向転換する。
舵取り機能はなく、各車輪が独立して車体についている構造との事だ。

耐久性はおちるもののシンプルさを追及しているらしい。
馬の使役には餌、経費もかかり、この国では人件費が安い避難民を使用して普及したとの事だ。

と、はなしていると…

「とりあえずは食事たべるかね?何日もかかったのだろ?」

「いや」

「ほう…あ、だがこちらの食事に付き合ってくれ。
まだ今日起きてからの始めての食事だからな」

「今日起きてから?」

カオルは空を見上げると、日は高くほぼ正午あたりだろうとおもうが…
そういえば…兵隊らが多分各々支給された食料で調理しようとしてたのだろう…食事の準備をすすめていたのをみていた。

「こちらの地方の風習では1日2食なんですよ」
横からレンスがつげてくる。

「昼前と夜だけ?わかりました。なら同席しますよ」

各々調理で気になるのはコンバットレーションは?ということだろう。
この惑星であるなら考えられるのは…
干し肉、薫製肉、堅焼きパンや堅焼きビスケットあたりであろう。
そこらへんを兵士は戦闘中でも食べられる様にもっていて、
だが戦闘中でないので支給された生鮮食品での調理をしていたと考えられる。

あくまでも推測であり実際はどうかはカオルにはわからないが…
軍隊に随伴する酒保商人という洒落たのはカオルはまだみていない。

様は過去のアメリカ軍の様なシステムなんだろう。
過去のアメリカ軍は第一次大戦以前まで、
支給された材料や個人で購入した食材を使い、各々や仲間内で調理した食事を摂っていた。
兵士1人当たりの基本的な1日分の支給は、454gの豚肉もしくはベーコン、680gの生もしくは塩漬け牛肉、そして510gの小麦粉で構成されていた。
これに変わってくるが、
ジャガイモ、エンドウ豆、大豆、米、コーヒー、紅茶、砂糖、食酢、食塩、胡椒等が支給されていた。

食材が支給できない場合は給与に食費を含め、各自食料を個人で調達していたので、
軍が纏めて食事を作り全兵士が同じ物を食べるシステムは、
駐屯地での食事以外一般的では無かった。

アメリカ軍で兵士が軍が用意した同一の食事を食べる給食システムが確立し始めたのは1901年頃の話だ。

それ以前の時代は捕虜をとり金銭でやり取りが一般的で敗戦後の降伏がある意味当たり前、
なので逃亡時の食料を心配する必要がなかったかもしれないからコンバットレーションの開発が遅れてたのだろう。

それを問題にしたのは軍事的天才、ナポレオンあたりの話だ。

日本ではそれよりも過去…戦国時代陣地野営食事中に襲われる事もあって、
また敗残兵狩りもよくあり、
コンバットレーションの開発に意欲的だった。いわゆる陣中食とよばれるものだ。

まずはあげられるのが兵糧丸。

兵糧丸とは、そば粉や大豆粉、黒ゴマなどを酒で練って丸薬にした携帯食糧で、
どこの大名家や用途によって作り方調合する中身は違うが、
一般的に腹持ちがよく高カロリー。
現代のカロリーバーのようなものだ。

握り飯よりも携行しやすく腐りにくい。

梅干し、かつお節、豆味噌なども携行食で、お湯をわかして汁物にもできる。

芋の茎の縄…芋の茎をよりあわせて縄状にしたもの。
茎を味噌で煮て、乾燥させたものをロープにして腰に下げておく。
噛めば非常食に、湯に浸してインスタント味噌汁に。
ロープ兼携行食というすぐれもの等もある。

そして戦いに赴くに最低でも3日分の食料を携行し、
身から離さないような知恵で装備を固めていた。

たとえば収納袋系にしてもそうだ。

打飼袋…握り飯や焼き味噌、梅干しなどの食糧を、細長い袋に入れて縛り、それを袈裟がけにして体にくくりつける。
筒状になっていて、両方の口を紐でしっかり縛って完成。
最も貴重な食糧を常に体から離さない、という非常時の鉄則で、どんな時でも体にくくりつけておく収納袋だ。

兵糧袋…兵糧丸や薬草、焼味噌、梅干し、干し飯などを入れて腰にぶら下げておく。
小さな収納袋でいくつかをつけている。
たとえ兵糧袋を一つ失っても、食べ物が全部無くなるというリスクを回避できる。

面桶…今でいう弁当箱で現代でも見かける曲げ物。
これを巾着袋や網袋に入れて、腰に携えた。
自分の食糧を入れるほか、水を汲み出したり、米や味噌の支給を受ける際の道具として使われた。

陣笠…頭にかぶりを釜の代わりにして粥を炊くこともできる。

戦国時代から足軽などの農民兵に貸与支給されていた代用兜。
鍛鉄製板を切り抜き、笠状に整形し防水用に漆をかけるだけの工程のため、
通常の兜を作るよりもはるかに手間と費用がかからない。

といった感じで日本では装備から食料命で調理器具かわりになり、
野草等も行軍中に摘まれて貴重な野菜となった。

この惑星では携行保存食はあるだろうが、
給食システムやレーションはないのだろうと推測していた。

……

兵舎らしい建物の前につき、隊長さんは身軽に厩舎らしい建物に馬をいれると、
ついてくるようにとの事で偵察車にヤドカリ残して4名は建物中へと入っていく。

「調理人達にも避難指示はでてるんだが、お前らを残していけるか!
っていうんで調理長らが残っているんですよ。
わしらを護りたければ街を護れ!という感じで」

はた迷惑なのか、鏡なのか…

「なので小隊単位でこの2日間ほど戻らせて食事と様子見させてます。
調理長いるかぁぁ!!」

「でけえ声ださなくともいるよ。
飯だな。ちっとまっとけ。お前さん一人か?」

「客人もいる3名だ」

「わかった」

厨房に引っ込む調理長、
席にすわると給仕兵がジョッキに入った飲物を出してくる。

「ハイムの友と異なるルナの友のネフェトへの来訪を祝して…乾杯」

いきなりまずは乾杯なのだろう…
予告なしに始まった乾杯に急いであわせて…

「乾杯」

おそるおそる隊長とエルフ姉妹のやり方を見ながら乾杯の唱和に参加し、
木のジョッキを机で叩き少量飛沫をあげながら口元に運ぶ…

この星での乾杯のやり方聞いてね〜と思いながら…
あやうく高く掲げジョッキとジョッキを合わせようとして空振るところだった。

(ふむ…ビール?)
出された飲料を味わう。この技術レベルなら炭酸水=ビールの考えだ。
無発酵で炭酸含むコーラ等は高度な技術がないと生まれない。
もしくは自然炭酸水も採取できれば…であるが…

カオルの外見は15歳相当になったが転生前は24歳、充分に法律的要件はクリアしており、
かつこの星で法律がうんぬんはないだろう。
エルフ妹は見た目で12歳にはみえるが…
イタリアやフランスでは16歳から法的にのんでよいとされてるし…
まぁ人種でのアルコール分解能力で決められてる法律ではあるので…

(日本のビールとは違うな…)

カオルは他国のビールを飲んだことはあるが残念ながらエールビールはまだない。

紀元前4000年から始まるビールは様々な形があったが、
今のメジャーなのは日本のアサヒやキリン、サッポロ等が販売しているラガービールが主流で、
それ以外に海外ではエールビール、またごくごく僅かに自然発酵ビールがある。

発泡酒は!?と突っ込みがくるだろうが、あくまでも日本独自の呼び方でありラガービールにはいる。
なのでラガービールのくくりにいれさせてもらおう。

日本のラガービールの下面発酵ビールは15世紀頃に考案されたのが元の方法で新しい方法だ。
ただし、この時点ではまだ1地方でしか生産できなく、
下面発酵ビールの醸造は冷凍技術の発展した1842年に確立され、現在のビール主流タイプであるピルゼンビール、ピルスナーのくくりになる。

それ以前はエールビール、上面発酵ビールが主流であった。

エールの起源はイギリスであり、まずはイギリスの酒の始まりは蜂蜜酒、ミードであった。
蜂蜜は甘味料としても有能で、
人口の増加によりミードの需要の高まりと反比例に生産量は落ちていく…

そこで考えられたのが発芽させた穀物を利用する代用酒で、これがエールになっていく…
これが紀元前55年のローマのブリテン島侵出前の出来事であった。
5世紀頃アングロサクソンがブリテン島の大部分を制圧し、エールが定着した。

エールにホップを使用する技術が他国ではあったが15世紀に許可されるが、
エールにはグルート…様々なハーブを混合させた名称…を使っていたため、ホップを排斥する傾向は非常に強いものであった。
17世紀にエール醸造者の中でホップを使うものが次第に増えてきて…
今のエールの形となった。

カオルが飲んでいるのは今ではごく少数のグルートビールであった。
もちろんごく少数とは…
麦芽使用量が高いためといえ、大企業が生産品全てをグルートビールに変えると…利益が激減する。
ベルギーのごく少数の醸造所が専門で作っている程度であった。

因みにポップ使用のエールはイギリスで今でも主流だ。

ビールを味わってると料理が盆にのせられ運ばれてきて…
パンとチーズと、何かがはいったスープ、あと何かの肉の煮物、豆主体の野菜あげの様だ。

出された順に手がつけられる。待つ習慣はなさそうだ。
カオルの前に運ばれくる。そして盆に載ってる食器はスプーンだけ…
回りをみると手掴みで食べてスープはスプーンやパンに浸しての様だ。

真似して食べ始める。

スープは塩味と酸味とトロみのある味わいで、ドロドロに崩れた野菜と…さらにドロドロの何かがわからない。

肉の煮物は…なんの肉だろう?けっこういける。

……

食事を食べ終わり、ほろ酔い気分なままに…話は、

「国に状況を伝える方法は…早馬?ヒキャク?」

当該する言葉が現地にはない様で…

「ヒキャクってなんだ?」

「ああ…走って連絡する人の事ですよ」

飛脚は主に人間の足でもって荷物などを届けるシステムである。
東京から京都や大阪間の493kmや550kmは1つの業者によって届けられ、全国には別業者の飛脚が荷物を届けてくれる。

飛脚の速度およびお届け距離は様々だが、
東京から大阪間のシステムで話をしよう。

まずはリレー方式で繋がる無刻…
東京から京都まで60時間保障、最速31時間、時速8km以上でお届けする。
これは東海道に52箇所ある宿場から宿場まで全速力で荷物を引き継ぐシステムで、8km〜12kmをはしりぬける。
昼夜関係なく走りぬけるからこそある意味可能ともいえよう。

ただし…幕府側の飛脚システムなので、よく時代劇等では「御用御用!御用御用!」という御用としたためた、
手紙みたいなのを竿の先にしたためた飛脚がテレビにでる事あろう…
あれであり、進路妨害は罰せられるもんであり一般人には使えないシステムである。

一般人に使えるシステムとしては町飛脚であった。
最速便では足自慢の飛脚によるリレーの四日限仕立飛脚、料金が4両…今の価値では40万円かかる超特急便で昼夜問わず走りぬけた。

江戸から出発して1日目が97q区間で箱根まで、
2日目が114q区間で大井川まで、
3日目が180km区間で桑名まで、
4日目最終日が159q区間で大坂まで…むすんでいた。

更に特急便だと375g以内と限られた三日限半刻仕立て便があり、料金は7両と…

勿論出発地点から目的地まで1人の飛脚が運ぶ通飛脚もある。

料金高い特急便をあげてたが並便…空きがあれば、その便に載せるというシステムは20日以上かかり、
料金は銭124文、今の価値で3100円程だ。
必ずのせてほしい場合は十日限仕立てで、集配を含めて12〜15日かかり、料金は6分…今の価値で3750円程別料金がかかっていた。

同一人物が駕篭を乗り継いでの最速記録は浅野江戸城刃傷事件を国元へつたえた事案で、
1701年に670kmを4日半が記録されてる。

「ほう…137.5クアンの距離を96時間以内で荷物を人が走ってお届けか」

違うような感触、

「となると…早馬?」

飛脚は日本独自といえ、理由としては幾つかある。

まずは軍の移動を防ぐために道の大々的な整備をしなかった。
主に戦国時代から江戸になってからの話になるが、

その為に馬による高速移動は難しかった。

馬の去勢を積極的に行わなかった。

基本他国での軍馬は牝馬を目の前にしても従順であるが為に去勢をおこなっている。
宦官もそのながれを汲んでいる。

だが中国文化が日本にきても宦官は流行らず、馬の家畜化の為の去勢をおこなわなかった。
その為に荒々しく、日本の戦場では武士の落馬事故も多く、
万が一飛脚として馬を利用しようなら、暴れだしたら旅人被害が相次ぐであろう…

馬は武士の象徴でもあり、町民の乗馬での使用を許可しなかった。
幕府の命令によりである。

伝馬はあるも、基本は人件費や餌代の安い飛脚が整備され、
なので馬車も発達せず、江戸時代も道の大々的な整備はしなかった…

といえよう。

他の国々では馬の道は大々的に整備され、馬車等何かを引かせる車両は生まれた。

ここまでの道程で悪路はなく、馬で走るのに支障はなかったから、早馬かと思ったが…

「いえ、伝書鳩ですよ」

「伝書鳩?」
とカオルは話してるがカオルの耳には、
「翻訳不能単語…ですよ」

と入っている。

「伝書鳩を知らない?」

「遠いルナからの客人なので…」

レンスが説明の助け船をだしてくれた。

「と、そうですな…」

いいながら後ろの棚から取り出してきたのは石の板らしい…そして多分石筆にて絵を描きはじめる。

カオルは石板の存在は知らないが石筆は知っている。

転生前にカオルは会場設営のバイトをしていた。死亡した時には昼過ぎからのメッセでの設営バイトに行く最中だった。

メッセ等のレンタルホールはまずはなんにも無い状態から、床のコンクリ面に計測してしるしを書き込み、
しるしにあわせて水糸をはったり、墨糸で床面に墨で線をつくる。
そのしるしを石筆で書き込むことが多かったからだ。
チョークは折れる事が多く不評であり、もっぱら石筆が多数派であった。

水糸や墨糸等聞き覚えのない単語が出たが…とばして、

で、水糸や墨ラインで各小間割りをし、全体運営側にブース設営お任せした小間にパーテーションでブースを組み立て、
そのあたりでブース単独設営が入り、
展示会へと形つくられる。

基準が間違ってると綺麗に形つくられず…重要な役目を石筆は担っている。

さて石筆だが…ケイ酸塩鉱物の滑石を切断してペンに近い形にした物をさす。
実際にさわるとひんやりとした石のチョークだ。
今では先程の通り、会場設営のマーキングや建築現場、鋼材現場でのマーキングに使用されてるのみだが、
明治から昭和初期までは学校教材として大々的に使用されていた。

石の板は、石板とほぼいえ、粘板岩を使用したいわば…木枠のある黒板といえよう。

ただしエルフが書いている石板は木枠もない石の板で材質も違うかもしれない。

リアルの石板にもどすと、18世紀末、スイスのペスタロッチによって、教材用に使われたのが初めらしい。

日本での使用は明治初年が始めでその後、明治7年に宮城県の雄勝崎でねずみ色の粘板岩が発見され、
その後、他の地域でも製品が出まわり、明治中期には値段も安く供給できるようになって急速に広まった。

で、紙の安定供給で石板としては淘汰され、粘板岩は建築石材として使用されている。

(紙はないのかな?…あと石筆も地球のと同じか材質かな?欲しいな…)

と考えながら見てると絵は次第形つくり…
「鳩?」

カオルの口、厳密には翻訳機から鳩の単語が出て、

「そう鳩で通信を届ける伝書鳩です」

翻訳不能単語がちゃんとカオルの耳に伝書鳩と伝わり翻訳が更新された。

「なる程…伝書鳩ですか…」

伝書鳩…鳩を飛ばして障害がない空を運ぶ航空便である。
鳩の帰巣本能を利用して遠隔地から鳩にメッセージを持たせて届けさせる通信手段の一種、あるいはその媒介として使われる。

伝書鳩は飛翔能力と帰巣本能が優れ、
1000km以上離れた地点から巣に戻ることができるといわれる。

平均時速が訓練すればするほど速くなり、一般的野生鳩が平均時速50km〜60kmのところ、
平均時速80km〜とかなり速い。

突撃級の方が速いじゃね〜かよと意見があるが破壊作業に入る時には確かにトップスピード170kmをだすが、
常時その速度では体内に溜め込んだエネルギーが足らず、1500km移動してきたら帰りの分含めて破壊作業活動距離は250kmがよいところだ。
常時では他のBETA種にあわせて動く為、時速25km程だ。

その時速25kmも海等障害物があれば迂回等で速度は落ち、
森や山があれば破壊作業に入るためその場で折り返す等がある。
破壊作業中はトップスピードだして突っ込み、バックしてまたトップスピードだして突っ込みな感じである。

作業して体内エネルギーつきる前に頭脳級で給油しなければ餓死してしまうわけである。

で、鳩にもどすが障害物が無い空を飛ぶために連絡手段としてはかなり速い。

使い方としては…遠隔地へ飼育していた鳩を輸送し、脚に通信文を入れた小さな筒を付けて放鳩する。

鳩舎に戻ってきたところで通信文を受け取る。
また小さな荷物を背中に持たせ運搬も可能だ。血清や薬品等の運び手として伝書鳩が担った役割は重要だった。

今では他の通信手段や輸送手段が発達、
また未帰還率もつきもののために伝書鳩は廃れたが、
それでも南アフリカでは鳩の方がインターネットの通信速度を超えていた。
2009年のイベントだが鳩に4GBのフラッシュメモリを乗せて放鳩し、同時にサーバーから4GB分のデーターをダウンロード開始しはじめた。
鳩は96km離れた本社へ無事に約1時間で到着、
その時ダウンロードは4%しか進行してなかったという…

まぁ…確かにネット回線でなくとも転送よりかメディア直さしの方が速いといえば速いが…
HDDは流石に鳩に積載は落とす可能性もあり、せいぜいメディア複数枚という感じであろう。

さてメディア輸送はおいといて過去の鳩だが…
通常は200km以内での連絡手段として使われていた。
もちろん迷い子や鷲などに襲われる可能性ある為に複数飛ばしていた。

なを片道しか基本は飛ばす、双方で連絡とるには双方に巣が必要で、あらかじめ輸送しておく必要がある。

1羽の鳩は自分の巣にしか戻らない為に連絡先が複数ならその数だけひつようだ。

あと訓練次第では往復鳩もつくれる。
巣と餌場をわける事により、常に往復することで伝書鳩の往復便の完成だ。

「あのワイバーン便やペガサス便は?」

「いや…どちらもー」
これもまた翻訳不能単語としてカオルの耳にはいる。

また絵を描いてもらい…

ワイバーンやペガサスで説明いらない!という方大半だろうが…知らない方に…

まずこの惑星では空想の生物ではなく実在の生物だそうだ。
それだけでもトリア号でついてきたビダン博士らは喜びそうな話でもある。

生物学どう進化して生まれたのか…

さて地球での定義だが、
まずワイバーンは起源は紋章での生物である。
物語では?と思うかもしれないが、紋章から生まれた。
ドラゴンが王家の紋章に使われており、
ドラゴンを使いたいが…から生まれた。

さて絵を描いてくれてるので、この惑星のワイバーンだが、
8m程の大きさの飛ぶ竜で、水平時速240kmはだすという。

ペガサスは羽の生えた馬でこちらは起源はギリシャ神話から…

水平時速は約60km、全速力で100km超えた辺り、鳥としては普通な速度といえよう。

ワイバーン便は速度で超特急でとどけられ、
ペガサス便は低速な分ワイバーン便より時間はおとるも、騎乗している者の技量により襲撃につよく、
より確実に届けられる話だ。

要はワイバーンは直線軌道をとる傾向のため襲撃者に弾道予測されやすい…ということであった。
どちらも今この街にはいないそうで…
見たかったなを思いつつ…

「伝書鳩には何を持たせるのです?
石板では重すぎますよね?」

「羊皮紙を使います」

「翻訳不能単語を使います」
またまたそうカオルの耳に…
何かを使うのだろうとあたりをつけ…

「その羊皮紙とは?見せてもらいます?」

見せてさわったが…カオルには何かの紙としか認識できず…材質不明のままであった。だが製紙ではないなと認識していた。

やはり紙…植物の繊維からつくられる製紙はないのだろう…

カオルはわからなかったが羊皮紙のコストは高い。
動物の皮を使う為、他の用途にも使えるのをわざわざ紙にするからだ。

あまり需要のない現代においても、A4サイズが1枚2900円だそうで…
本革製品が高いとある意味一緒で…
羊皮紙にするのに複雑な工程で人件費及び技術費、時間的拘束でわかる気がする。
要は大量生産にむかないからだ。

A4製紙が500枚200円とは違う…

複雑な工程でごまかそうとしてるっ込みがはいりそうなので、12世紀の羊皮紙製造方法だが…

まずは山羊の皮を水に一昼夜浸して、水から引き上げ流水で洗う。
水が透明になり汚れが出なくなるまで続く。
次に水槽に新しい水と消石灰を入れ、よくかき混ぜて白濁液を作る。
毛がついた方を外側にして半分にたたんでこの溶液に8日間浸し、
一日2〜3回棒で皮を動かしかき混ぜる。

皮を取り出して毛を取り除き、
新しい消石灰溶液で、皮は一日一回棒で動かし、先と同じく8日間浸しておく。

皮を取り出し、水が透明になるまで皮をよく洗い、きれいな水のみが入った水槽に皮を浸し、更に2日間置く。

皮を取り出し、紐をつけて枠に縛り付け乾かす。
そして鋭利なナイフで表面を削り、2日間日陰で乾かす。

水で湿らせ、肉側を軽石の粉で磨く。
2日後、少量の水を肉側に振り掛けて再び湿らせて軽石の粉で磨き、さらに水で濡らす。

紐をきつく締めて張力が均等にかかるよう調整し、シート状に固定する。
乾いたらやっと羊皮紙が完成する。

現代においても基本的工程は変わらない。
皮の表皮と皮の内側の脂肪や肉を削る部分は手作業で、機械ではできない作業だ。
皮を削りすぎて穴を開けないよう慎重にやらなければならない。

そしてテンション張り後の削りで厚さを調整する…これも職人技であり、コストがかかる原因でもある。

……

結局なんの紙か認識できず、強制的に向こうの星の言葉でトランホワをこっちの言葉で何かの紙として翻訳機に認識させる結果となる。

「それで伝書鳩を送って、国王との会談まで何時間程かかります?」

「時間ですか?日でなく」

「ええ」

「そうですな〜…10日程かかるので滞在をおねがいしたいのですが」

「10日ですか…」

カオルがここに居続けて10日も何もできないのは痛い。

「直接国王へ会談申込みにいった方が早いですね…」

「それはご勘弁を」

「でしょうね…ですが自分にとっての10日滞在は痛いので…」

「あなたへの連絡手段は?」

「ん〜…」

傍のTOK715の個体番号87431…エリシアの顔を見る。
彼女はエルフ姉妹と良好な関係を築けているといえよう。
彼女を残せば連絡手段は確立できるが、エルフ姉妹との関係をまた別のTOK715が築けなければならない。

個体内本質は元は共通でのターミネーターシリーズだが、
別人からみたらまったく別の人になる。

「連絡員を寄越しますので、その者に話せば自分に伝わります」

「先程の無線とやらですね。わかりました」

エミリアに寄越すようにと伝えて、

「していつ頃連絡員がこちらに?」

「そうですね〜」

「マスター、ルーロスかアルケシュ使用許可おりるなら30分以内にでも」

「だそうです」

「30分以内にこちらにですか?街中に居るのですか?」

「いえ…許可はだす。直接飛竜の様に街中に降下して、その時間ですね〜」

「そうですか…まぁ…驚く市民も居ないことですし、私自身が驚くだけでしょうから…」

……

「こんちわぁ〜。私アイミィと言います。よろしゅうにぃぃぃ」

(あ〜…)

TOK715個体番号245151のアイミィが部屋のドアを勢いよく開けながら挨拶をする。

(大丈夫かなぁ…)

ターミネーターらやコバッタらのネットワークに絶対の信頼をえているが、一抹の不安を感じていた。

「え〜っと、彼女をここに残しますので、連絡事があれば彼女に話してください」

「そうですか…わかりました」

「では…」

退出し…

「ガイドしてくれてありがとう」

「いえいえこちらこそ」

「自分は少しやることあって空にもどるから、彼女に送らせるよ」

「空に?」

見合わせる姉妹…

「ついてってもよろしいですか?」

「ん?ああ…構わないが…」

「やったぁぁぁ」


……

兵舎の外に出た一行は、偵察車とアルケシュを収納し、

「じゃあ、ルーロス」

「はいでち」

ルーロス内に疲れた様子の彼女らを招く。
勿論なんなのそれはのやり取りがあったが…

「ルーロス、椅子だけ残して透過モードに」

「はいでち」

「うわぁぁ」

「床や壁はちゃんとあるから安心してね。観光モードでゆっくり飛ぶから…ルーロス、トリア号まで」

「あいでち」

「お、おねえちゃん!!」

いったにも関わらずいきなり離れていく地面にレンファが怖がり、
レンスが床をさわって確かめるしぐさをする。
風も重力も感じないが為に理解を超えているのだろう…

「大丈夫ですよ〜、船の中ですから」

「空飛ぶ船なんてありません!!船は海に浮かぶだけです!」

(飛空船はないか…)

ロマン的な空船がないのを残念に思っていた。

ゆっくりあがるルーロスは低層雲の中を通り抜け…

「もう雲界に突入したの!?」

ワイバーン兵がいるから雲は島ではない…との見解がしっかり認知されてるのだろう。
雲の発生メカニズムはどうかな?とは思うが…

「おねえちゃん…」

「私たち人類の最高高度こえたのね…」

「そちらのルナでは…ペガサス兵が?」

「そうですね。ただ死にやすいのであまり高く飛ぶのは禁じられてます」

ペガサス自身は8000mあたりいけるだろうが、乗っている人がそこまで生命を保てる保障がない。
コムネス人のチャレンジ記録は6050mだそうだ。

正直気温で…ともいえる。

「うわぁぁ…」

上層雲よりも上空1万mあたり、普段旅客機が飛ぶ高度あたりだ。
カオルも転生前の初旅客機搭乗の際に感動したのを思い出す。
しかも前後上下左右…全天にその光景だ。
初高度1万mには記念すべき思い出になるだろう。

「おねえちゃんあれ!」

「海が見える…へえ…私たちの土地あんな風に見えるんだ…」

どんどん高度をあげていく…

「えっ?空が青くない…」

「この高度になると大気がうすくなるため光の反射がなくなってくるんさ」

「へぇぇぇ…じゃ、ルナの外の色は?」

「黒といえばいいかな…もう少しすれば…」

高度4万メートル大気がほぼなくなり、基本人は呼吸できなくなる。

「うわぁぁ」

星の青い境目と宇宙の黒の境目のツートンカラーがくっきりみえていた。

「ここが境目?」

「いやオゾンソウ…あるよな?大丈夫だよな?」

「はいでち」

「コウセイの有害な光を吸収するオゾンソウが薄くなるあたりさ」

「コウセイ?オゾンソウ?」

「コウセイは…あれさ」

「ああ、メルトスね」

「メルトスか…固有名詞かな?」

地球でいう太陽の様な言葉だろう。
惑星がルナであり、地球という自身の星を指す言葉はまだなさそうだ。
恒星という言葉がまだつくられてないとはおもう。

「で…オゾンソウは……」

科学未発達ぽい人達にどう説明すれば良いだろう…と悩み始めた…

「強すぎるメルトスの光から、君らがルナで暮らせるよう、護ってくれるのがオゾンソウと、あとその上層のデンリソウなんだ」

「強すぎる光って?」

「宇宙ではメルトスの光をあびると120度くらいで火傷をおうんだよ」

「えっ!?…でも…」

「ああ、ルーロス内ならルーロスが光の強さを低減してくれるから…ね」

「はいでち。わちはゆうちうでち」

「でも…そんな層…見えないですよ」

「まぁ…視覚だと難しいかな」

ルーロスのスピードはあがり…

「そろそろ定義上の宇宙空間だね。まだ希薄ながら大気層はあるけど…」

「定義上?」

「ま、そうした方が無難ってわけなんだよ」

一応このあたりから大気圏再突入の為の熱が…でありそう定義されてるが、更に上層の200kmあたりでも、
静止衛星を浮かべると3〜1週間で希薄な大気の抵抗で速度を失い落下してくる。

国際宇宙ステーションも実は希薄な大気の影響をうけ加速しなければ3年で落下する400kmの高度だ。

そこら辺は置いておこう…

更にルーロスは高度をあげ…

「マチュター、ハイパースペース反応、探知。
間もなくウィンドウ形成されるでち」
「お、きたか…」

何もない宇宙空間に靄の様なのが出始め、中央から艦が突如として現れ、減速されてく…

「うわああああ…きれえ」

「あれが君らえの援軍さ」

「遠いルナから来たんですね…」

ウインドウアウトした、恒星間用下駄をはいたトレー級が、
惑星コムネスへと降下していく…そして白い点がみえ始め…

「あれがトリア号さ」

「小さいですね…私たちがのれるんです?」

「まだ遠距離だからな…ルーロス」

「はいでち」

白いおにぎり程の大きさのトリア号が、急速に大きくなっていく…そして…

「うわぁぁ」

そばまで来ると7kmの白亜の宮殿ともいえる巨体がルーロスごしに確認できていた。

「ようこそトリア号へ」



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