§







目覚めは爽快だった。
なぜだろう? と考えるまでもなく、変化の少ない日常において思い当たる原因は一つ。
初めての――しかしどこか覚えのあるような暖かい想いに、ラピスはほんのりと頬を染めながらベッドから体を起こした。

朝だ。
しゃーっとカーテンを勢いよく一気に開けた。

晴天。
起き抜けの瞳には少々刺激の強い日差しに、ラピスは手を翳して目を細める。
秋口の朝――シン、と肌を刺すような瞬間的な冷たさと、日の光の暖かさが心地よい。

「さってと」

う〜〜んっ と背伸びしたラピスは頬の微熱を誤魔化すように、学校の準備を始めた。



 ◆



「おはよー」

「あ、ラピッちおはよーん」
「おはよう、ラピスさん」

校門の手前でミズホとサヤに挨拶をする。
何時もどおりの光景で、それは毎日の恒例行事だ。でも、今日は何時もとは若干違うところがあったらしい。

「ん? ラピッち機嫌よさそうだねー」
「何か良いことでもあったの?」

「え、や、別にこれと言って変わったことは、」

ないよ と続けようとしたのだが、休息接近したミズホがしたから覗き込むようにして目を キラーン☆ と輝かせた。
にやり、と不吉に笑って ふふふ だのと不気味に呟く。

「早秋だってのに、ラピッちには春の訪れかー?」
何時もの調子でそうからかうミズホだが、次の瞬間 ピシリ と固まった。
それに気づかないサヤは、何時も通りといえば何時も通りなミズホの反応に やれやれ と呆れたように笑った。

「ミズホ、またそれー? いい加減もっと別のパターンも・・・ミズホ?」

漸く何かに気づいたのか、サヤはミズホの固まった表情の先――そういえばやけに無反応なラピスにやっと気づいた。
・・・微かに頬を染めてそっぽを向く級友がいる。

「え」
「あ、や、別にそんなんじゃないんだけど・・・ちょっとしか話してないわけだし、その、」

墓穴を掘った事を自覚しないまま付け入られる隙を与えるような言い訳をしどろもどろに話しながら焦るラピスに、ミズホとサヤはその肩をガシッとつかんだ。

「ちょっと署まで来てもらおうか、ラピッち」
「状況は極めて簡潔に詳しくきりきり自白してもらわないと」

「ちょちょ、ちょっと別にそんなんじゃ、」

「「良いから来る!」」
「・・・はぃ」


ずるずる、と言う形容が似合う雰囲気で、ラピスの今日の登校は終わった。

――これが、ラピスにとって最後の日常の登校となった。

















martian successor Nadesico Another story


多面ディストーション



Written By サム















公園で一夜を過ごしたアキトだったが、別段眠っていたわけでもない。
この世界では電子体でしかないアキトにとって、睡眠や食事は必要不可欠なものではないからだ。

あれから色々と試して、どうやら現実での戦闘イメージをこの世界にそのまま適用することが出来るらしい。
操作――自分の体を直接使っているわけだから違和感を拭うことはできないが――方法はブラックサレナやエステバリスと同様、イメージすること。
理由は判らないが、IFS規格のエステ用戦闘モジュールもこの世界には組み込まれている。
それゆえに、アキトの戦闘イメージは電子体の擬似IFSを通して電子体アキト自身に直接フィードバックされ、この世界で圧倒的な機動を実現することが出来 る、と予測していた。
何年も無計画に戦いに没頭するのではなく、工学系や情報系の知識を詰め込んだ甲斐があった。
思わぬところで功を奏することもあるものだ。

ともなれば、この世界の構造体にアクセスすることもそう難しくはないと思うのだけれど――流石に下手にカウンター・プログラムの相手をするのは宜しくな い。

「しかし・・・考えれば考えるほどこの世界は何か違う・・・」

宙にとどまる事は容易い。
黒マントをなびかせながらアキトは山頂のさらに上――その上空から俯瞰していた。

空を流れる雲。
風に揺れる木々。
その中で生きる動物や虫たち。
行きかう人々。

その全てが、果たして本当にラピスの夢・・・想像の産物なのか?

どうしてもそうとは思えない。
何かが違う。


「あのAI、一体何が目的なんだ・・・?」



 ◆


「ラピッち、それは何かちがくない?」

ミズホの強引な事情聴取であらましを喋らされたラピスは、ぐったりと机に突っ伏しながらその言葉を聴いた。
隣ではサヤも微妙な顔をしている。

「なんで??」
「だってさ、黒マントにおっきいサングラスなんておかしいってば。しかも夜の公園で呻いてたんでしょ?」
「ん。でも怪我してたみたいだし・・・話してみたら全然良い人だったし。それに」

――ラピス って呼んでくれた。

もじもじ、と微かに頬を染めてるラピスの様子に、ミズホとサヤはやれやれ と肩をすくめた。

「ま、ラピッちがそういうなら良いんだけどね。なんかおかしいと思ったらすぐ逃げるんだよ?」
「そうそう。何かあってからじゃ遅いんだから。」

ぐたーっと再び突っ伏したラピスは不満げに言う。

「もー、大丈夫だって。ほんとに危ない人なら判るだろうし、アキトはそんなんじゃ、」

キラーン☆とミズホの目が光った。
ずずずっ と近寄って ははーん? と意地悪に笑う。

「アキト、アキトね。ラピスの〜切ない想いは〜」
「果たして〜届くのでしょうか〜?」

「ちょ、ちょっと 「何朝からアホなことで盛り上がってるんですか」 あ、ルリ。おはよう」

ルリはラピスをじっと見詰めた後、「微笑んで おはようございます、ラピス」 と返した。
それは何時も通りの挨拶だったのだけど、その時ラピスはかすかな違和感を感じた。

(・・・あれ?)

その違和感の正体をつかめないまま、話は進んでいく。

「おはよールリっ」
「おはよう、ルリさん」

やっほーい、と気楽に挨拶をする二人は、どうやらラピスの感じた違和感を感じなかったらしい。

「で、どうしたんです? 先程からにぎやかですけど」
「んやーね、ラピッちに春がきたんだってさ!」

机の脇に鞄をかけて席に座るルリの所へサヤとミズホが付いて行く。
ルリの席自体がラピスの隣だから、まぁ移動したうちには入らないのかもしれないけれど。

「春? あー、好きな人が出来たんですか、ラピス」
「ちょ、だからそんなんじゃなくって、 「でも止めといた方が良いですよ」 ・・・え?」
「ルリさん?」

ラピスを横目に断言したルリは、そのまま授業の予習を始めた。
そんなルリに漸く違和感を感じ始めたのか、サヤは――

「ああ、ルリはラピスが何処とも知れない男に取られるのが嫌なわけね、なるほど」

がくっとルリの頭がこけた。
同時にサヤの頬が真っ赤に染まり、ラピスはぽかーんと口を開ける。

「そ、それって・・・!」
「だよ、サヤ! ルリのラピスに対する深い愛は・・・!」

まるで舞台女優のように謳うミズホにサヤは追随する。

「ラピスを浚おうとしている不届きな輩から守り抜くことが出来るのでしょうか・・・!」

「ちょ、二人とも何を・・・!」

「「ああ、禁じられた青春の1ページ!」」

「ミズホ!サヤ!」

まるで双子のように声を揃えるミズホとサヤに、ルリは顔全体を真っ赤にして怒鳴る。
しかし、ミズホとサヤは全く意に介せず、きゃはははっ と笑いながら自分の席に戻っていった。

「全く、あの二人はもう・・・!」
「ルリ・・・あのね」

憤懣やるかたないルリは、自分を呼ぶ声に横のラピスに向き直る。

「その、私・・・ノーマルなんだよね」
「だから、そー言う意味じゃないですってば!」

離れた席から二人分の笑い声と、ラピスまでも噴出し笑い転げる様子に。
ルリはまだ冷めない真っ赤な顔のまま、がたん とわざと音を立てて座り――


口元だけで微笑んだルリだけれど、その唇の形がほんの一瞬だけ――悲しみに彩られた。



 ◆



建物の屋上をと伝い飛びながら、アキトは街中を観測していた。
時間は午後、買い物に出かけている主婦や学校をサボっているのだろう、高校生たち。
その行動自体は"現在"のスタイルと同じ感じはするが、道路を行きかう車両や通信機器など、細かな所でかなり古い形式の道具を使っている。
具体的な年代まではわからないが、少なくとも2208年より50年以上昔の"時代設定"といえる。
しかし、そんな所が重要な観測点ではない。
問題なのは――

アキトは飛び移ったビルの屋上から、その隣のビルとの間の路地をつぶさに観察する。

薄暗い裏路地。
ゴミバケツのなかにはゴミが詰め込まれており、裏路地だけあってかなり汚い。
壁には落書きなどもまれに見られる。
ネコが2匹、そんな場所を駆け抜け――やせっぽちの野良犬が生ゴミを漁っている。
電柱にはカラスが止まっていて、野良犬の漁った後の散乱した生ゴミを狙っているようだ。

その、全てが。

「夢なんかじゃない。ここはラピスの意識の中なんかじゃないぞ・・・」

多分、と心の中で付け加えた。
もしイネスがこの場に居たなら、きっとこの世界を構築している原理にアクセスすることを試みるだろう。だが、アキトにはその技量はない。
だから想像するしかない。

この世界がラピスの意識の中に"ラピスによって構築された"ものならば、今眼下に広がるような詳細な"小動物たちに至る行動"まで再現する必要はない。
それどころか雲や空気、水の流れなど・・・自然に至るまでの"再現"は全く意味を持たないはずだ。

「だとすると、ここは――」
「ご名答。ここはラピスラズリの意識内世界ではないわ」

声という情報で、背後に"誰か"が居ることを示している。
アキト自身、そのボディが電子体と言うことをわきまえているから、気配を読むことはしていなかったとはいえど、

「誰だ?」

振り向いた先には、東洋人らしくない、真白なワンピースにベリーショートの白髪、深い緑の瞳を持つ小柄な女が微笑んでいた。

「私は"エル"。」
「エル?」

目を伏せ頷く"エル"と名乗る女は笑みを浮かべながらアキトを見る。

「昨夜のアレは・・・お前じゃないな」
「そうだよ。"彼女"は私じゃない。・・・まぁでも、ある意味私とも言えるのかな」

ふん、とアキトは鼻をならしてそっぽを向いた。

「ならお前は――あのAIか?」
「その通り。」
「干渉しないはず、じゃなかったのか。」

ふふ、と楽しげに笑った女は、じっとアキトを見つめて口を開く。

「だって、想像だけとは言ってもこの世界の核心を看破しちゃったんだもん。」
「ならここは――」
「そう。ここはラピスラズリの心の中じゃない。」

意味深に笑みを深める"エル"。
アキトは警戒を強めた。

「何が目的だ? 俺がこの世界の構造に見当をつけたから強制排除しにでも来たのか。」
「そんなことはしないよ。私はただ、見ているだけだもの。」

後ろに組んだ両手で胸を反らして、くるくると回る。

「見ている、とはどういう事だ?」
「言葉どおり、主演者が望んだから私はこの舞台を提供した。彼女の"望み"どおりに。」

だから私は、その"舞台"で踊る"あなたたち"を見守るのだ、と。
そんなことより、とエルは続けた。

「ふふ。この世界に私が連れてきたラピスは昨日あなたが会った女の子よ?」
「そんなことは判ってる。・・・ただ、俺は――」

逡巡するように、アキトは僅かに俯く。

「ただ、何?」

笑みを絶やさない"エル"は、そう聞き返す。
アキトは僅かに迷いを見せたが、続けた。

「俺はラピスをこの世界から連れて行くことが正しいのか、わからなくなった」
「ふーん・・・まぁ、それならラピスラズリは確かにここでは幸せかもね」

くるり、と"エル"はアキトに背を向けて歩みだす。

「ここはあの子にとって優しい所だもの。彼女がもし望むなら――私は何だって用意はするし、それで彼女が幸せになるのなら私も楽しい。」

言葉をつむげないアキトは、ただ俯くしかない。
でもね、と意味ありげに"エル"は振り向いた。

「貴方がそういう選択を取るのは一向に構わないんだけど、それは本当にラピスラズリのためなの?」
「ラピスが幸せに感じることの出来る世界、なんだろう?」
「でもそれは、この"都合の良い世界"の中で完結してるだけ。――ただそれだけなのよ?」

言っている意味がわからない。
もともと"エル"はそのためにこの世界を用意したのではないのか?

「現実に生きているラピスラズリは、仮想世界の幸福な夢の中で死にました。・・・これって、生きている意味、あるのかな? それとも幸せを感じることの出 来る場所で死ねるなら、それが幸せなのかな?」
「――!」

はっ と顔を上げるアキトに、エルは本当に困ったような笑顔で 「私はその境界がわからないの」 と呟く。
だから、この"舞台"にラピスラズリを招待したのだ、と。

「人の幸せ。ラピスラズリの幸せ。それって、何なんだろう?」
「ラピスの、幸せ?」

アキトは思う、真剣にラピスにとっての幸せなど考えたことがなかったんじゃないか、と。
ラピスがAIの囁きに耳を貸すほど、何かについて悩んでいたと言うことすら気づかなかった。それは、罪だ。
だがまだ間に合わないわけではない。

アキトには、ラピスを連れ戻す理由がある。
アキトには、ラピスの傍に居なければならない理由が、ある。

彼女のことを、真剣に考えてあげなければならないからだ・・・。
なら、することは一つ。


「決めたんだね」
「ラピスを連れ出した張本人に言うのもなんだが・・・ありがとう。迷いは吹っ切れた。これまで我侭やってきたんだ、最後まで俺は我を通すさ」

その言葉に"エル"は うふふ と楽しそうに笑った。

「どういう結末になるのか――見ててあげる。まぁせいぜい」

ふわり、と宙に浮かんだ"エル"は反転し、飛び去っていく。

「がんばって」



 ◆



去り行く"エル"を見届けることはしなかった。
ラピスを連れ去った張本人に諭されたことへの羞恥がそうさせたのだろうか。
溜息を一つ吐いて、アキトは東の方へ眼を向けた。
そこには、市街でも一際大きな面積を有している建築物郡がある。
――この街にある高等女子校だ。

「ラピスは――あの学校か」

今も"日常"を送っている場所。
その全てに悩みも不安もない、そんな至福の世界。
そこから、また現実に連れ戻そうとしている俺は――

「もう、許されないかもしれないな」

苦笑する。
今、ここに至るまで・・・そしてこれからも、アキトは自分の都合でラピスに接するのだから。
でもここでは、しっかりと言葉を交わすことは出来ない。
悩めるラピスはここに居ないのだから。

現実の世界で、どんなに苦しいとしても・・・それと向き合っていく誠実さが、今のアキトに最も必要な覚悟。
だから――


「帰ろう、ラピス。」


でも、ちょっとだけ。
今日という、この世界のラピスにとっての"最後の日常"が終わるまでは、待ってあげても良いよな。

そう考えて、アキトは屋上の給水塔に寄りかかり――日没を待つことにした。




 ◆



(――上位存在の接触、か)

いよいよ、この長く続いた生活に終止符の打たれる時が迫っているらしい。
だけれど、もし今ここで――侵入者を撃退することが出来たのなら、もう少し。もう少しだけ、この夢のような優しい世界を享受できるかもしれない。
でも、それでいいの?
本当に良いの?

――だけど、どんなに迷っても・・・それは"既定原則"なのだから。

(どっちにしろ、やらなきゃならないんだよね)

出来ること。
しなければならないこと。
目の前の幸せと、そして――

本当に望むこと。

鬩ぎ合いは一瞬で、"それ"は幸せのために。

自身の幸せのために。


出来ることを、精一杯やろうと決意した。



 ◆





(公園に行けば、会えるかな・・・?)

浮き立つ気分を抑えることの出来ないラピスは、何時もよりも気持ち早めに帰り支度を終えた。
黒い服装の青年――アキトと名乗った彼に会いに行きたい。
そんな思いからだ。
授業合間の休み時間に、散々ミズホとサヤにからかわれたのだが、やっぱり気持ちは抑えられない。

ラピスは今まで自分のことを惚れっぽいと思ったことはなかったのだが、今回の一件で少し認識を改めることにした。

一目惚れって、あるかもしんない・・・♪

そんな軽いノリの思考をとめることも出来ないまま、浮かれていたのだろう。
さっさと一人で教室を出てきてしまっていた。

「っと、ミズホとサヤとルリ、置いてきちゃった」

パタパタと小走りに教室に駆け戻ると、

「あれ、ラピッちまだ帰ってなかったんだ。今日は私ら掃除だから先帰ってていいよん」
「ん〜〜っ 私たちのこと忘れるくらい、あきとさん?って人のこと考えてたんだよねーいいよねー青春だよねー」

きゃー とか騒ぎながら箒を振り回す二人では、当分掃除が終わることはあるまい。
からかわれ慣れたのか、ラピスは冷静にそう判断するとルリを見た。
目のあったルリは肩をすくめて苦笑すると、ラピスに言う。

「・・・あの二人は任せてください、ちゃんと掃除させるから。・・・先に帰るんですか?」
「う、うん。ちょっと、ね」

はにかむ様に笑いながら、ラピスは濁す。でもそのニュアンスはルリにはしっかりと伝わったようだ。
はいはい、ご馳走様です と軽口でルリはラピスに答えたが――不意にひどく真剣な口調でつけくわえた。

「――くれぐれも、簡単に言うことを聞いてはいけませんよ。曖昧な言葉に翻弄されないように。・・・いいですね?」
「え、なにそれ・・・?」

ふ、と気を抜いたようにルリは笑い。

「変な事されそうになったら逃げるんですよ、って言ってるんです。判った?」
「う、うん。でも大丈夫だよ。アキトは大丈夫。」

軽く肩をすくめたルリに、じゃね とラピスは言って教室をでた。
ミズホとサヤは戸口の所から 「がんばれーラピッちー!」「明日、楽しみにしてますからーっ」
だのと言う頼もしい応援を背に

(絶対に話すもんか)

と誓いながら学校を後にした。



 ◆



「っと、後はこれとこれを・・・」

途中買い物をしてから帰宅したラピスは、簡単なサンドイッチを作っていた。
あの格好のアキトのことだ、街まで来れたとしても店に入る前に通報でもされかねない。格好が怪しいから。
でも、さっき街を歩いてみた感じだと不審者を見た、なんて話は全く聞かないしニュースにもなってない。

(もし、昨夜言ったことを気にしてるんだとしたら・・・)

責任の一端はラピスにもあるといって良い。
つまり、サンドイッチの差し入れはとても理にかなった合法的なお詫びの印なのだ。

「〜♪」
「あれ? めずらしいわねーラピスが料理なんて。どれどれ」

だのと言いつつキッチンに入ってきたのはエリナで、出来上がっていた卵サンドを一つつまむと あむ とばかりに摘み食いを始めた。

「あー! だめ、姉さん食べないでよっ」
「いいじゃない、ちょっとくらい。これだけ作ってあるんだしさー」

ぺろりと平らげてしまったエリナは呆れたようにテーブルの上を見る。
所狭しとならべられた皿の上には、多種多様なサンドイッチの山。

「あ・・・気づかなかった」
「で、これからどこか行くの? 星野さんたちと勉強会?」

さして気にしていないようで、新聞をがさがさと取り出しながらチェアにかける。
ついでにもう一つサンドイッチをつまむエリナの視線は既にラピスから外れていて、誤魔化そうと動揺してたその様子は悟られなかったようだ。

「う、うん、皆でちょっと勉強しようって話になってて。何時もは用意するのルリの役目だったし・・・たまには私もやってみようかな、なんて」

あはは、と誤魔化してみた。
エリナは 「ふーん、そうなんだ」 と新聞を読みつつサンドイッチを食べきると、「ごちそーさま」と言って立ち上がった。

「帰り遅くなんないように気をつけなさいよ?」
「わかってるー」
「それと」

キッチンから出て行く直前に、エリナはぐるっと振り返ってチェシャ猫のような"にやり"とした顔でラピスに告げた。

「美味しかったわよ、気になる人でも出来たの?」
「ちょっ・・・! ちが・・・」

瞬時に顔が沸騰したように赤くなったラピスに、エリナは「あっはは! わかりやすーい」
とか言いながらキッチンを出て行ってしまった。

ふしゅー と頭から湯気でも出そうなほど赤くなっていたラピスは、気を取り直してバスケットにサンドイッチを詰め始める。

「べつに、そんなんじゃないんだから・・・」

でも、その作業は楽しかった。



 ◆



日が暮れる。
太陽が完全に沈むまで、もう後1時間ほどだろうか?
アキトはベンチに座りながらその様子を見ていた。

昼間、あれほど我侭にやる、と決めたばかりなのに――やはり完全に逡巡は消えない。
かつてラピスを助け出したときは、何の力も術も持たない彼女を助ける意味も込みで自分の戦いに巻き込んだ。
それはある意味、ラピスの戦いでもあったのかもしれないが――彼女がそれを進んで望んだのかは判らない。
それほど自分が戦いに没頭していたこともあるし、ラピスを省みなかったと言う事実もある。

今もまた、ここでのラピスのことを省みないまま。
自分の我侭のために――それをしようとしている。
それほどラピスにこだわるのは何故か。取り戻そうとするのは何故か。

後悔?
罪?
それとも・・・

「ふう・・・」

それに、これからどうやってラピスに接触するかも考えなくてはならない。
ここは仮想世界で、全て現実ではない・・・とはわかっていても、昼間見た街の人々――彼らがアルゴリズムとは、どうしても思えなかった。

ラピスにも家族が居るのだろう。(痛い)
大切に思う人々が、居るんだろう(痛い)
大切に思ってくれる人たちが、居るんだろう。(――痛い)

その"居場所"すら台無しにして、この世界のラピスを奪い去ろうとしている俺は――

「どこまで行っても、簒奪者か・・・」

苦笑する。
でも、覚悟しなければならない。
どれだけ恨まれようとも、進むことを決めたのだから。
と。

「あ、いたいた! アキトー」
「・・・ラピス?」

息を切らして駆け寄ってくるラピスの姿がそこにあった。

日はまもなく沈む。
街灯がじじ、という音と共につき始めて、ベンチの周りが明るく照らし出される。

「こんばんは、アキト。」
「…こんばんは、ラピス。」

よいしょっと、とラピスはアキトの隣に少しだけ間を置いて座り、その開いたスペースにバスケットを置いた。
とりあえず見守るしかなかったアキトは、その様子をただボケっと見て――狼狽した。

サンドイッチ。
綺麗に並べられたサンドイッチがバスケットの中に詰め込まれている。

「これ、良かったら食べて・・・作りすぎちゃって一人じゃ食べれなくって、その」
「あ、いや・・・」

照れながら言い訳するラピスに、しかしアキトの心はかき乱される。

料理、でも。
しかしラピスがせっかく、――味がわからないのに?
どうする。
どうする?

「・・・やっぱり、迷惑だった・・・?」

目に見えて落ち込んでいるラピスに、アキトは覚悟を決めた。

「いや、ありがとう。ちょうど腹減ってたんだ」

ひょい、と摘んでいっきに食べる。

――!?

驚愕に目を見開く。
まじまじとサンドイッチを見つめ、一口。もう一口とゆっくりと口に運び――

「口に、合わなかった・・・?」

そんな様子のアキトに、ラピスは内心死ぬほど緊張しながら恐る恐る聞いた。
呆然とした様子のアキトはゆっくりとラピスの方を向いて、

「・・・うまい、うまいよ」
「え・・・ちょっと?」

"大きなサングラス"の下から、一筋の――

(涙?)

今度こそラピスは本当に混乱した。

「ちょっと、なんで泣いて、やだ・・・調味料間違えた!?」
「い、いやちがう、これは・・・これは」

バイザーを外したアキトは、乱暴に袖で涙を拭う。
"味を感じる"という余りの衝撃に、気が緩んだのか。

「本当に、美味かったから・・・美味かったんだ」
「アキト・・・これ」

ラピスの差し出すハンカチを、躊躇したもののアキトは受け取った。

「泣いちゃうほど美味しいとは思えないけど、その、ありがと。」

作ってきて良かった、とラピスは笑った。
純粋な、笑顔で。
不意に――

どくん、とアキトの胸を、何かの衝動が貫いた。


 ◆


「ありがとう、凄く美味しかった。」
「どういたしまして・・・大丈夫?」

先ほどのアキトの涙を気にしているのか、ラピスは控えめにそう聞き返すが、アキトはすっきりとした顔で答えた。

「大丈夫だ。感謝してる・・・俺、味覚障害者でね。もう二度と料理の味を感じることはないと思ってたから・・・」
「え、そ、んな・・・でも、今」
「ああ、ラピスのサンドイッチは美味しかった。ちゃんと味も感じられた――何故かはわからないけど。判らないけど、嬉しかったから」

ありがとう、と頭を下げるアキトに、ラピスは ぱたぱたと両手を振って恐縮する。

「そんな、全然良いよこれくらい・・・そんな大した事じゃないし。…あ、そうだ、その」

上目遣いにアキトを見るラピスは、少しだけその距離を縮めて囁く。

「また、作ってこようか・・・お弁当」
「・・・ラピス」
「あ、別に迷惑だったら良いんだけど、その。・・・どうかな?」

ほんのりと頬が赤いラピスの本質を、アキトは少しだけわかった気がした。
このラピスが素の彼女の姿なのだとしたら――自分は。

どれほどの罪を重ねてきたのか。
切ない想いが胸を締め付け、衝動的に――アキトはラピスを抱き寄せていた。

「・・・!? ちょっと」
「ごめんな、ラピス」

頭を優しく撫でて、懺悔する。

「ごめん・・・」
「ちょと、アキト・・・恥ずかしいって」

それでも、腕の中のラピスの抵抗は小さい。
そうされる事への、抵抗が薄いということだろうか。

それでも漸くアキトの腕の中から抜け出したラピスは、頬を真っ赤にして言う。

「どうしたの、アキト・・・?」
「俺は」

バイザーは既に外している。
隠されていたアキトの瞳はあくまで真摯で、その真剣さからラピスは視線を外すことは出来なかった。

「俺はラピスに謝らなきゃならないことがたくさんある・・・きっと許されることじゃないし、正しいことかも判らない。でも――」
「アキト? 何でアキトが、私に・・・」
「でも、俺は。お前を失いたくないんだ」

そう告げて、再びラピスを抱き寄せようと――



「そこまでだ。彼女から離れろ」



殺気がアキトを射抜いた。



 ◇ ◇




瞬間的に真白になった脳裏。
包まれる感覚と、伝わってくる熱。
心臓の鼓動。
強く抱き寄せられて、少し息苦しい。

でも、何故か――この温もりを求めていた自分が心の中に居て。
とてもとても嬉しくて、でも、すっごく恥ずかしくて。

出会ったばかりのはずなのに。
全然知らないはずなのに。

私は、アキトを望んでる・・・?
私は、アキトを求めてる?

私は――


強く、アキトに求められた――失いたくない、と。
真摯に謝罪された。
すまない、と理由もわからず謝られて、でも私は全然気にしていない。
戸惑いはあるけど、惹かれる自分を自覚してしまう。

ああ、どうしよう。
そんなに真剣な目で見つめられたら、私――


「そこまでだ。彼女から離れろ」


そのぞっとするほど冷ややかな声で、私は我に返った。

でも。
どこかで聞いたような・・・?



 ◇ ◇



アキトはラピスを背に庇った。
すかさずバイザーをかけたのは、その視線からこちらの狙いを読ませないためだ。
腰をかがめて戦闘態勢をとり、いつでも対応できるようにする。


ワン・アクション。
黒フードは左手を構えると、そのまま光の矢を放ってきた。
総計4発の攻撃は、アキトの手前で跳ね上がり――ラピスを避ける形で上空からアキトを攻撃した。
正確無比。
4発の矢はそのどれもが的確にアキトの逃げ場をつぶしていて、一見打つ手は無いように見える。
しかし――

("防壁(フィールド)"展開・・・!)

アキトは自身とラピスを含む周囲2mほどの範囲を歪曲させる。
歪められた空間を、光は直進しない――はずだが、

ガン、ガン、ガン、ガン!

連続して4回の衝撃が発生した。
ついで衝撃が光爆に変性し、夜になりかかっていた周囲を真白に照らした。

「きゃぁぁあああ!」
「くっ」

何とか持ちこたえるものの、ラピスは悲鳴を上げてその場に蹲り――アキトも膝を着いて耐える。

(一撃が重い・・・それに)

横目に見るラピスは、目を閉じ耳を塞いで震えている。
前に居る敵――黒フードの隙間から覗く目には・・・

(殺気だけじゃない・・・あれは、憎しみなのか・・・?)

アキトはラピスの傍まで下がり震えるその肩を抱き寄せると、ラピスはぎゅっとしがみついてきた。

「まさか直接攻撃してくるなんて、」
「なに、なにが・・・」

涙目で見上げるラピスに、アキトは唇を噛む。
粉塵の舞い上がるこの状況、黒フードも慎重になっているのか追撃はない。
だが、この状況がずっと続くわけでもないし、攻撃がこれで終りとも思えない。

「何が起こってるの!?」
「・・・すまない、本当はこうなる前に穏便に済ませるつもりだったんだが、」

状況の展開が速すぎる。
しかし、もとより黒フードは侵入者用のカウンタープログラムだ。
何より早く外的の排除が優先されるのだろう。
・・・1日と言うインターバルが入った理由まではわからないが――

「その男の狙いはラピス、お前だ。」

唐突に、黒フードは言葉を投げつけ始めた。


 ◇


「その男は、お前を連れ去ろうと画策してこの"世界"にやってきた。そう・・・お前の生きたこの世界から。」
「え・・・連れ去る・・・?」

粉塵が収まりつつある。
次第に見えてくる黒フードの姿は、先ほどと同様左腕と同化している弓に光の――破壊の矢を番えた状態で固定されていた。
恐怖に怯える瞳でラピスは黒フードに視線を向けながら、言葉の意味を繰り返す。

「そうだ。その男は簒奪者だ。お前にとって幸せなこの世界から、苦しみに満ちた世界へ連れ去ろうとしている。」
「な、うそ・・・なんで」

ぎょっとしたようにラピスはアキトを見上げるが、アキトは唇をかみ締めたまま――何も言わない。
うそ、ともう一度繰り返したラピスだが・・・でも、それでも。

先程の、アキトの告白を疑うことが出来なかった。
失いたくないと、あやまりたいと。
理由はわからないけれど、その言葉は真摯だった。

私を連れ去る?
世界。この世界から。この世界・・・?

ぎゅっとアキトの服を握った。
その仕草に、アキトははっとラピスを見詰め――ラピスも、アキトを見つめた。

「わかんない・・・何も、わかんないけど! さっきの言葉・・・私、嬉しいと思った」

アキトはラピスの肩を抱く力を強める。
その様子に、ぎり、と歯をかみ締めたのは――黒フードだ。

「なら、私も。お前を私の都合で取り戻すぞ・・・!」

その強い言葉と同時に、空高く飛び上がった黒フードはこちらに弓を向けて――

「! く、しっかり捕まっててくれ!」
「っ!」

目を閉じてぎゅっと首筋に捕まったラピスを強く抱きしめながら、アキトもまた中に飛び上がった。


 ◇ ◇


ラピスの身長は同年代の女の子の中では高い部類に入る。
立てば頭の天辺がアキトの肩まで届くくらいだ。
ルリがラピスと同じくらいで、サヤとミズホがそれよりも小さい。


なるべく周りを見ないようにアキトの胸に顔を埋め、地に付いてる感覚のない足元に恐怖を感じながら――頭ではGパンでよかった、とか考えていた。
叩き付けるような風圧。
先ほどから激しく上下しながら、時折襲う衝撃。

空を飛んでいる、という認識しがたい事実を体験しながら、ラピスはただ耐えていた。

怖い。
怖い、怖い!

わからない事だらけで、本当に怖い――!

さっきまで、アキトと公園に居たはずなのに。
美味しいって、お弁当食べてくれてたのに。
失いたくないって、言ってくれた。

――でも、どうして?
私をここから連れ出すって、何処へ?

そんな私も、どうしてこんなに――アキトを信じてるの?
あの黒いフードの人の言葉に反論しないアキトに。
出会ったばかりのこの人に。

なぜ、こうも惹かれるの――?


 ◇



ラピスを抱き寄せて地面を蹴った次の瞬間、その場所を黒フードの破壊の矢が貫き地面が爆発した。
その威力からして、ラピスを巻き込むことも厭わない強い感情を感じる。

――負の感情を。

既にこの世界で自由に動く術は得た。
自身の周りに展開しているフィールドは、当にディストーションフィールドと同じイメージであるし、空を駆ける機動もサレナを動かす感覚と同じだ。
ただ、腕の中のラピスを思えば・・・むりな動きなどできようもない。
敵もそれを的確に読んでいるのか、フィールドを削ることに専念している。
フィールドの維持は自身の気力と同意。
破壊の矢がフィールドを掠める度に、ごっそりと気力を持っていかれるのがわかる。
これが剥がされたときが、勝負の分かれ目となるのは自分も、そして恐らく黒フードもわかっているはずだ。

「く、っ!」


背後から追撃してくる黒フードには、容赦と言う言葉は全くない。
アキトは市街方面だと被害が出ると判断し、最初から山頂へ向けて高速で飛行していた。
ホーミングのように迫る破壊の矢をかわすには、ギリギリまでひきつけてから緊急回避する以外に術はないのだが、ラピスには恐らくその機動は辛い。
だから、最小限の回転でフィールドを回し、掠めるタイミングを見極めてそらす方法を選択する以外に無かった。
掠めた破壊の矢は、眼下に広がる森林公園を砕き、焼き、つぶす。

立ち上る噴煙と衝撃波、そして熱。

必死でしがみつくラピスを強く抱きしめ、アキトはこの先の見えたチェイスを続行する以外に無かった。



 ◇ ◇
 


山頂間際。
ついに破壊の矢がアキトを捉えた。

黒フードは、引き攣ったように唇に嘲りの笑いを浮かべ、しかし、ぐっとかみ締める。
――激しい痛みを、こらえるように。

それでも追撃の手を緩めることはせず、ただただ激情の赴くままに左腕から生み出される破壊の矢を三点射。
先の1撃で姿勢を崩していたアキトは、こちらを振り返りつつも腰から引き抜いたブラスターで一撃、二撃目を打ち落とす。
同等のレーザーのような強い光の筋が破壊の矢を相殺するが、三撃目はそのブラスターを弾いた。

勝機。

黒フードは間髪入れずに四撃目を放つ。
実時間一秒に満たない間に到達したそれは、アキトの左肩を貫き――


「きゃぁぁぁああああ!」

ラピスを抱きしめていた左腕から力が抜け落ちて――同時にラピスも落ちていった。


 ◇


「ラピスっ! くあ!」

五撃目が牽制で放たれた。

一瞬の停止が黒フードに時間を与え、難なく落ちていったラピスを浚ってさらに上空へとのぼり――止まった。

「ラピスは返してもらう。この"世界"の要だから。絶対に、渡さない・・・」
「くそ、ラピス・・・!」

左肩を抑えたアキトは、しかし諦めることはない。
何故なら、そう誓ったからだ。最後まで、我侭であると。

爛々と光るアキトの瞳からその意思を悟ったのか、黒フードは ふう と溜息をついた。

「往生際が悪い。ラピスは既に私のところに居る・・・おとなしく、帰って。」

その声は弱弱しかった。
先ほどまでの攻撃とは全く――違う。

「じゃないと、私は――貴方を攻撃しないといけない。そう決まっている。・・・帰りなさい。」
「帰れるわけない・・・俺は、ラピスを取り戻しに来たんだ、ここで帰れるものか!・・・お前を倒して、必ずラピスを返してもらうぞ・・・!」

ラピスを小脇に抱えている黒フードは左拳をグッと握ったが、すぐ肩の力を抜いた。
くく、と肩を揺らして小さく笑った。
悲しそうに。

それはおもむろに空いている左手でフードをめくり・・・

「・・・な!」
「え・・・?」



「これでも私を倒せる?」



青い髪が零れた。
すっきりとした顔立ち。特徴的な金色の虹彩と、頭の両側で纏めた二房の髪。


それは二人にとっても見知った顔で、二人にとって、とても大切な面影を持つ――


「ルリ・・・なんで」
「ルリちゃん・・・?」


星野ルリが、星空を背景に黒いマントを夜風になびかせ――そこに居た。

今にも泣き出しそうな、笑みを浮かべて。






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