室内の雰囲気は緊張に包まれていた。
 その発生源はネイルとネギの二人であったが、あまりの緊張感に、ドネットの近くで様子を伺っている二人は、両腕で自身を抱き締めていた。
 魔法世界での大戦を経験したランドイッヒは、相手が子供であることに信じられないという気持ちを抑え、何が起きてもすぐに対応できるよう杖を構える。例え、相手が英雄の息子であろうと冷静にならなければと、いつでも魔法を詠唱できる体勢をとっていた。

「のぅ、ネギ……正直に答えてくれんかの」

 緊張感に包まれた部屋の中、一番に口を開いたのはネイルだった。
 事情はルヴィアたちに既に聞いていたし、攻撃魔法を先に詠唱した男子生徒の方が悪いことも重々理解していた。それでも、ネギが知っているはずのない魔法だし、知っていて使用できたとしても『悪夢への誘い』はどう考えてもやり過ぎだった。
 いや、そもそも物心が付いてからまだ間もない子供を相手に考えるような事では無いというのは理解しているが、あのナギの息子ならばもしや……という思いも抱かずにはいられなかったのだ。ネイルはできる限り穏やかに問い掛けたが、その胸中は、並々ならぬ気持ちであったのは間違いなかった。
 ネギと対峙してどれくらいの時間が経ったのか……張り詰めた緊張感の中、微動だにせず直立の姿勢を維持し続けていたネギが口を開いた。

「……そうだね。その魔法を使ったのは僕だよ」

 変わらず無表情のままのネギは自然に喋り、だからこそその答えに、ネイルは僅かながらに抱いていた希望が脆くも崩れ去っていく音が、どこか遠くで奏でられたような感覚に陥った。

「どうして、この魔法を使ったんじゃ?この魔法を知っていて、尚且つ詠唱できるのであれば、この者たちを懲らしめるだけならば別の魔法だってよかったはずじゃ」

 あくまで優しく語りかけるように質問をしつつ、ネギの目を見続けていたネイルは、どうして禁術相当の魔法を知っているのかと問う気にはならなかった。
 それは、さっきまでネギの身を包み込んでいた魔法のようなもの。ネイルですらやっとの事で気付くことができた高度な魔法を使える事から、ネギの実力が高いものであるというのは理解できた。
 そしてもう一つ、ネイルはネギの容貌に別の人物を思い浮かべていた。いくら優秀であれど、ネギもあの馬鹿(ナギ)の子供であったことを。
 どこか諦念にも似た感情を覚えながらもネギの様子を伺っていると、無表情だったネギは眼を泳がせるようになっていた。それと同時に、張りつめていた緊張感は薄れていく。

「いや、その……分かんなかったんだ」

 この言葉に込められた大体の意味を、ネイルは予測することができた。端的に、それも主語を除いた解り難い文章ではあったが、それ故にネイルの胸中には嫌な予感が漂っていた。

「何がじゃ?」
「あーー……まさか、そこまでえげつない魔法だったのかってのが。あの魔導書には術式と強い幻覚作用って載ってあっただけで、死に至らしめるまでの効果だなんてのはどこにも書いてなかった。だから、懲らしめるのにはこれ良いだろうって思ったし、だから魔法を自分で解いたんだ」
「それは、何とも言えんな……」

 もう、何から喋れば良いのかと、ネイルはその場で頭を抱えたかった。書庫に侵入したことか、それとも魔導書を読んだことか。はたまた魔法を使ったことか……そもそもそんな行為を許してしまった自分たち教師側に非があることを言えば良いのか。
 先ほどネギが言ったように、魔導書に詳細な効果が載ってない場合というのは多々あることだった。新しい術式を組み上げたとき、その知識が他人に漏れないように自分だけの記号で記録したり、決して発動しないよう一部を改竄した魔方陣だけを書物に纏めていたりと、様々な方法で後世へと受け継がれているのだ。今回、ネギが使用したことで注目を浴びた『悪夢への誘い』もそういった書物の一つであった。

「じゃが、そうだとしても、お主はどうやってあの術式を読み取ったんじゃ?」

 如何に魔法の才能がずば抜けていたとしても、魔導書を読解できる知識をネギが有していると考えるのは、一人の魔法使いとしてのネイルが否定していた。
 まあ、実際に魔法を使用しているのだから読解できたのだろうが、それを二人以上で読解したと言うのなら、その人物たちにも魔法の使用を控えるようにと予め釘を刺しておく必要があるとネイルは考えていた。

「え?……何となく?」
「は?」
「いや、幻惑系統の魔法だってのは分かってたから、あとは適当に術式を弄ってったら出来上がったんだ」

 嗚呼……この子も、あやつと同じバグだったのか。
 今まで気持ちで留めていたものが、ついに右手で頭を抱えるという仕草で表に出てしまった。側で杖を構えていたランドイッヒも何も言うことが出来ず、口を開けて呆然とする以外に何もしようがなかった。
 禁術ともなると、その術式の解析だけでもおよそ半年、より難解なものになると1〜2年は掛かるのが常識だった。それに、その魔法を発動できるようになるまでの練習やら、魔法の適正などの条件もある。それを、たった6歳の子供が成してしまったとなると、ネイルのように頭を抱えてしまうのも理解できよう。

「のぅ、ランドイッヒ博士……儂、どう判断を下せば良いんじゃろうか」
「う、むぅ……難しいですな」

 禁術相当の魔法の使用。それだけでかなり重い罰が下されるのは間違いないのだが、今回の件でその魔法を使ったのはたった6歳の子供。その魔法は既に解かれており、証拠という証拠も無い。
 そもそもネギを貶めようなんて事をネイルは考えていないのだが、そんな事を誰が信じるであろうか。大人として、一端の魔法使いとしての体面もある。この事が事件として明るみに出る前に揉み消されるのが落ちだろう。

「嗚呼、そうじゃ……儂らは恐らく、夢でも見ていたのだろう」
「……えぇ、そうですね。私としたことが、どうやら白昼夢でも見ていたようです」

 したがって、この件については目を瞑る他、手の施しようがなかった。ここにいる誰もがその言葉に頷きかけ、一人ルヴィアだけが猛然と立ち上がりまくし立てた。

「ちょ、ちょっと待ってください!あのような事が起こりましたのに、それを全て無かったことにしようと言うんですの!?」
「お、お嬢様……」
「あなたもあなたですわ!訳もなく私達が仕掛けられたと言いますのに、それを黙って見過ごす気ですか!?」
「まぁまぁ、落ち着きたまえ……お主たちのことはしっかりと考えておるよ。それに、儂は全てを見なかったことにするとは一言も言っておらんじゃろうて」
「え……あ、ああ、申し訳ありません!?」

 さすがに全てを無視することなどできるわけもなかった。攻撃された側は、フィンランドを代表すると言っても良いほどの名家であり貴族。もう既に処罰が科されている──少々行き過ぎなのも否めないが──とでも言えば、男子生徒二人に追って科される処罰は軽くなるであろうが……
 大人組がどうしたものかと頭を悩ませていると、無表情から打って変わって笑顔を浮かべたネギがネイルへと一歩近づいた。

「校長。僕、媒体を使ってしっかりと現場を録画してあるんで、それを証拠に使ってしまっても構いませんよ。どうせ、僕には何の役にも立たないものになってしまったわけですし」
「う、うむ……それにしても、随分と用意がいいのじゃな」
「いやぁ。少しばかり影魔法を応用させることができましたので、その空間の中に収納しておきました。鞄の収容スペースを広げただけなんですがね」
「……そんなことをさらっと言うお主は、なんじゃ……ナギよりも末恐ろしい子供じゃのう」

 ネイル他二名の大人組は、驚きを通り越して呆れの表情を浮かべるしかなかった。何はともあれ、ネギから確固たる証拠を手渡されたネイルは、それをそのままドネットに手渡した。
 エーデルフェルト家と二名の男子生徒の家へ、映像の一部……はっきりと男子生徒が魔法を使った部分だけを送ることに。『悪夢への誘い』についてだが、もともとネギは証拠として映像を残すことにしていたため、二人が誤って魔導書に触れて発動してしまったという、真実とは異なる事実が説明されることになった。
 これで二人は最低でも一週間の謹慎を、悪くいけば退学となるだろう。

「ところでネギ。お主はこの者たちにどのような幻覚を見せたんじゃ?」

 ドネットが保健室から出ていった後、ネイルはふと思った事をそのままネギに質問した。幻惑魔法は、それなりの実力と魔法のレベルによって、より細密で高い効力の幻覚を見せれるようになる。
 だが、死に至らせられる魔法と言われるものとはいえ、子供のネギが使った幻惑魔法の内容はどのようなものなのかが気になったのだ。

「……え?」
「あの二人の呻き具合から、かなりの幻覚だったと思ったんじゃが……その間はなんじゃ、その間は」
「私も気になりますわ。私よりも幼いとはいえ、貴方に救っていただけたこともわかりますが、あれほどまで苦しむのは異常だったと思いますから」
「あー……」

 ネギは、魔法を掛けた術者だと暴かれた時よりも冷や汗をかいていた。魔法を使用した後、もしかしたら聞かれるだろうと予想していたが、まさかルヴィアや他の人がいるところで聞かれることになるとは思ってもなかったのだ。
 これまでのネイルの対応からすると、幻覚の内容を事細かに話したところで、眉をしかめつつ使用厳禁を言い渡してくるぐらいだろうが、ルヴィアは間違いなく何かしら突っかかってくるに違いない。
 それでもネギは、喋り出すことに躊躇いを感じながらも、そこら辺にいる箱入り娘と同じような教育、ましてや甘やかされてきたなんてこともないだろうと、ルヴィアから向けられている視線を無視しつつ考えていた。正義論ではなく、融通の効く現実主義を掲げた教育を受けていることを、切に願うしかなかった。

「えっとねぇ……前に図書室に行ったときに司書を務めてたお姉さんがいたんだけど、その人、どうもホラー系の小説が好きだったみたいなんだ。それで、僕も気になって暇つぶし程度に借りて読んでたんだけど」
「まさか、そのホラー小説の内容をそのまま幻覚にしたんじゃ」
「……最初はただ、この二人に現実を見てもらわないとって思って、もしルヴィアさんが魔法を凌ぎ切れずに『魔法の射手』が二人に直撃していたら……って場面を見せてあげたんだ」
「な!私は『魔法の射手』を自力で凌ぎましたわ!」
「うん、だから"もし"なんだ」

 ルヴィアの横槍があり、少々会話が脱線しかけたが、その間にランドイッヒはネギの身に秘めた才能とその考え方、まだ幼いながらも卓越した魔法技術には脱帽せざるを得なかった。

(もしこの子がこのまま成長して大人になったら、間違いなく魔法世界中に震撼が沸き起こるぐらいの何かが起きるだろうな……それがMM(メガロ・メセンブリア)のことであれば、私も何らかの形で手を貸したいものだ)

「えっとね……どこまでも続いてる階段が暗闇の中にあって、他には何にもない。自分の意思に反して体が勝手に昇っていく。途中から聞こえ始める人殺しという言葉は次第に大きくなっていって、最後は絞首台に」
「分かった、もう良い!続きは言わんでも良い!……彼女も怖がっておる」
「わわわ私は、こ、怖がってなんて、あありませんわっ!?」
「……ごめんね、なんか」

 ただ、真顔で幻覚の内容をつらつらと述べていくその姿には、さすがに心配せざるをえなかった。


 ◇ ◇ ◇


 生死をさまよいかけることとなった二人の男子生徒の無事を確認し、事件の粗方の流れを把握し終えた後、保健室に残っていたのはネイルとランドイッヒの二人だけだった。
 大人の都合につき合わせて、三人の勉学に支障をきたすことになっては大変だと言うことで、ネイルが三人を教室へと戻したのだ。
 普通なら、こんな事件が起きた後に大人二人が残ったのならば、これからしなければならないことについて話し合うのだが……今回ばかりは、二人が思い浮かべているのは先に仕事を任されたドネットだった。

「それにしても、この場にドネット殿がいなくて良かったですなぁ」
「そうじゃな……彼女は極度の怖がりじゃからのぅ」

 常日頃から冷静な物腰で対応しているので、たいていの人がドネットに対して冷静なイメージを抱いているのだが……このとき二人の脳裏をよぎったのは、つい偶然生徒が怪談話をしているのを耳にしてしまったときのドネットの様子だった。

「いつもは凛としてるんですでけどね……」

 魔法という超常的な存在に日頃から隣り合わせで暮らしているのに、到底信じることのできない与太話ですら恐怖のドン底に突き落とされたような表情をするのだ。顔面蒼白という言葉が、正しくその様子を表していた。

「じゃからと言っても、銀製の十字架に銀製の弾丸が詰まった拳銃、魔力が籠められた聖水を常に持ち歩いているのは……どうなんじゃろ?」
「完全に幽霊ではなく吸血鬼ですな」

 ……二人は、偶然にも同時に、ドネットに幸あらんことをと願っていた。



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