部屋の中に入ってすぐ、ネギに背を向けるような形でテーブルの前にたっている男性を視界に捉えた。
 後ろ姿を見ただけでも『誰だ』と感覚的に捉えることができたのか。などと問われれば、一度も会ったことのない人物なのでもちろん無理だと答える。だが、それでもバルジェロ・ローゼルだろうと推測したのは、その背中から放たれている禍々しい雰囲気が、ネギの感覚にそうであると訴えてきているからである。

──殺す……殺すぅ…………殺ぉすぅ……殺じでやるぅぅ”ぅ”──

 一言一言に籠められている怨念は、その手に握られているナイフを通して目の前の物体に確実に刻みつけられていく。その行為にどれだけの感情が籠もっているのかわからない。
 だが、一度ナイフを振り下ろす度に反響する刺突音と液体が飛び散る光景には、そのこと事態に意味が含まれていないとしても、肉体を通じてどこかに漂っているだろう魂にまで呪怨の念が届いているのではないかと思ってしまう。

──マスター──
(ああ……大丈夫だ。俺は、大丈夫だ)

 異常なまでの雰囲気に当てられ、飲み込まれてしまうなんてことになる前に、精神を落ち着かせるため、部屋全体の状況の把握をすることにした。
 この地下室は、元からここで生活をするという目的で造られたのではないというのが、むき出しの土壌から理解できる。その上、バルジェロの周囲を染め上げている赤黒さは、到底一人二人殺して出てきたとは思えないほどの血が流れたことだろう。

(ん?)

 床というよりも最早地面だが、そこには時間が経って乾いてしまった赤黒さに隠れるように赤い線で何かが描かれていた。周囲の状況とバルジェロの異常さが際だっていてすぐに気づけなかったのだが、『赤』であることと、ここがバルジェにとって活動の拠点の一カ所になっていることを鑑みれば、それはなんらかしらの魔法陣であることが予想できた。
 その中心部に立っているバルジェロは、呼吸をするのと同じぐらいに自然な動作でにナイフを振り上げ、目の前の肉体・肉片に突き立てるという行為を繰り返していた。

 元々、この地下室が怪しいという推測の元で階段を下りてきたわけではなかったため、一瞬でけりを付けようとは思ってなかった。それに、部屋の中の異様さに足を止めてしまった、というのは、結果的にだが良かった。
 運良く見つけることができた魔法陣──それは、他にも何かの魔法陣か、何らかの魔法が働いている物体がどこかにあるだろう。そう思い、バルジェロには気付かれないよう魔力の痕跡を探し、その思惑は見事に的中した。
 今バルジェロが立っている部屋を覆うように、結界が張られていた。何故、この地下室を覆うように結界を張らなかったのか。何故、この地下室を降りてくる唯一の階段に結界を張らなかったのか。それは、バルジェロただ一人にしか理解できないことだ。
 何故リムが気付かれなかったのかはわからないが、もしネギが気にせずに通り抜けようとすれば、何かしらの反応があるだろう。例えば、未だ手元で暖めているかもしれない人操虫が襲いかかってきたり。……これが一番あり得そうだし、禁術相当のものだと思うと何気に怖気が背筋をすり抜ける。

(でも、そこまで魔力は多くないんだな)

 魔法使いとしての実力は、魔法技術が高いことや詠唱が早いこと、無詠唱で魔法の行使ができることなどがあげられるが、第一に考えられるのはその人自身の魔力容量だ。多ければ多いほど上級魔法を何度も使えるし、それだけで大きなアドバンテージになるからだ。
 しかし、目の前にいるあの男性から感じられる魔力は、一般的な魔法使いのそれと同じくらいか少し多いぐらいしか感じられない。

(もしかして、あの魔力の高まりが感じられたってのは、こいつが自身の足りない魔力を補うためにしていたのか?)

 メルディアナ魔法学校内で起きた事件の影で起きていた出来事。それは、学校の近くの様々な場所で起こっていたが、今となってはそれが何を意味していたのかを理解できるし納得もできる。
 このバルジェロ・ローゼルという男性は、息子を亡くした時に抱いた悲しみと憎しみ、怒り。沸き上がる負の感情が、一般的な論理で推測を進めていた学校側の範疇を越え、息子の仇……復讐を実行できる計画を立てられたのだろう。

(まぁ、それもメルディアナ魔法学校の警備が甘いってことが前提になってるわけだが)

 メルディアナ魔法学校に在留している魔法教師や警備のほとんどが魔法世界から派遣された、またはMM元老院からやって来た者たちだ。勿論その中には優秀と言っても過言ではない人物もいるにはいる。しかし、魔法世界そのものの考え方が旧世界のそれとは全く違うため、どうしても警備が緩くなってしまうのだ。
 その考えの違いとは『科学・自然に頼るか頼らないか』だ。
 旧世界では世界大戦などでありとあらゆる科学兵器を戦争で用いていたということもあるし、人々の生活に欠かせない物として電化製品が位置してきたりと、科学に頼った生活が常識となっているが、魔法世界では魔法という便利なものが人々に広まっているため、科学という機械が発展することがなかった。
 それ故、魔法世界で生まれ育った者たちは、魔法が使えればなんでもすることができるし、どんな問題に突き当たろうが魔法さえ使えれば解決することができるという考えを抱いてしまっているのだ。そもそも、魔法世界に電化製品といった地球の物を持って行かなければ、科学の技術が伸びることは無いだろう。
 大体、怪我を負ってしまったら治療を施し、後は患者の自然回復力で本来の姿までもとに戻すと言うのが旧世界生まれの俺的には論理的にも道徳的にも適っている。しかし、怪我に相応の魔法を詠唱するだけで元通りに修復してしまう魔法があることを考えると、魔法世界の人々がそんな考えを抱いてしまってもおかしくはない。

 つまり、バルジェロ・ローゼルは、そんな甘い考えに付け込むような計画を、感情に赴くままに動いたという状況で実行したのだ。

(魔法使いの考え方は好きじゃないから、こいつのやったことは凄いと思うんだがなぁ……)

 ──その時、ネギの近くから怖気のする音が聞こえてきた。

『ギィギャギャギャァァギィィィヤアァァァ!!』
「っ!?」

 驚いて声を上げてしまいそうになったが、我慢して音がしたほうを見てみると、そこには所々にどす黒い斑点模様をした真っ赤な何かが蠢いていた。見た限りでは顔と言うものが存在していないが、ネギにはその物体が自分の方を向いているような感覚に囚われた。まるで、血を啜って生を繋いでいるような、苦しみを体現したかのような──

(……あ、やっば)

 一瞬、意識を音源に向けてしまったことが仇となった。いつまでも続くと思われた呟きがいつの間にか途切れており、呼吸のように行われていたナイフの動きも止まっていた。
 憎しみの一文字だけで動いていたように見えたバルジェロは石像のように止まっている。傍らにある、もはや原形を留めていない肉塊に刺さっているナイフに手を掛けたまま、バルジェロはゆっくりと首だけ(・・・)を動かし始めた。

「だ〜〜れ〜〜だ〜〜…………」

 ゆっくりと動き続けるその首は、脊椎動物の限界を超えて回り続ける。
 のっぺりとした顔は血肉で朱塗りされ、首だけが回り続ける。そして、正面と正反対の方向を向いた。不自然なほどに自然に回り続け、あり得ないほどの負荷がかかっている首には血管が浮き出ており、ギチギチと不愉快な音を奏でている。

「そぉこぉかぁっ!」
(なっ!?)

 ホラーでしか見たことのない光景に呆然としていたネギだが、振り向いた瞬間バルジェロが左手に持っていたナイフを、透明になっているネギに向かってまるで見えているかのように正確に顔を狙って投げつけてきた。
 驚きのあまり対物理障壁で防がず、しゃがんでナイフをやり過ごしてしまったが、もしかしたらバルジェロは勘でナイフを投げてきたかもしれないと思い至り、逆に良い結果になるのではと考えた。が、しかし、そんな思いも虚しく、部屋に散らばっていた肉塊から細長く真っ赤な何かが這い出てくるやいなや、ネギを目指して蠢き始め──跳躍した。

『ギャギャギャァァ!!』

 一つ一つの動きは素早いとは言い難いものだが、そのグロテスクな見た目で迫られ飛びかかられていると考えると、胸の奥底から気持ち悪さが沸き上がってきた。
 しかし、振り向きざまに投げたナイフが一直線に顔に向かってきたことを改めて考えると、どうしても見えていたようにしか思えない。……まさか、人操虫と感覚の共有をしているのでは──

「くっ……!リム、キャットレイン!」
「ニャァ!!」

 何らかの魔法を掛けられてないため、未だ透明であるにも関わらず場所がばれているため、開き直って声でリムに指示を出す。敵全体に混乱のステータス変化を引き起こす"キャットレイン"は、ケット・シーであるリム固有の魔法だ。
 リムの魔法の効果を遺憾なく発揮するために、一本の細いパスを通してネギ自身の魔力を譲渡する。そして、本来の二倍の魔力を消費して行使されたキャットレインは、床で這いずり回っていた人操虫らしき何かの動きを止めることに成功した。
 だが、首を回したままの状態で目を見開いているバルジェロは、普通よりも魔力を籠め威力の強まっている"キャットレイン"を、自身の周囲に張り巡らせている障壁だけで防ぎきった。

「こんなまほう、わたしはしらない。……だが、わたしにはかんけいない。
 バル・ジェル・ガ・ジェイル・ロージェイロ
 小さき王(バーシリスケ・ガレオーテ)八つ足の蜥蜴(メタ・コークトー・ボドーン・カイ)邪眼の主よ(カコイン・オンマトイン)時を奪う(プノエーン・トゥ・イウー)毒の吐息を(トン・クロノン・パライルーサン)石の吐息(プノエー・ペトラス)』」

 男が魔法を詠唱するのと同時に、部屋の隅にある机のような物の中で光が一瞬だけ迸った。隙間から漏れ出ただけだったが、その光は紛れもなく魔力による輝きだった。
 そして、部屋中に魔法による石化の煙が充満する。
 煙に触れた全てのものを石に変えるこの魔法は、混乱によって動きを止めていた生物たちをも石に変えていく。赤黒く変色した壁や床も、周りに散乱していた何かの骨も、何もかもが石へと姿を変えていく。
 そんな凶悪な魔法を放ったバルジェロはゆっくりと首を動かし、正面の肉塊だったものに目を向けた。何も感情を映していなかった表情だが、次第に憎しみを表すように歪んでいく。

「あぁ……こいつまでいしになってしまったか……まぁ、いぃ。あとひとり、わたしは」
「デスペル!」

 何もかもが石に成り果てている。そう思っていたバルジェロの耳に、あり得ない声が聞こえてきた。それと同時に、周囲に張り巡らせていた障壁が薄い膜を破った時のような音を響かせながら破れ、それを維持するのに使っていた魔力の込められた宝石は砕け、果てには万が一に備えていた"人操虫"の術式までもが焼け消えてしまった。

「な……」
「あんたの魔力は、あそこにあったので全てだったんだろう?」

 今まで、憎しみしか浮かんでいなかったバルジェロの表情に、人間らしい感情が浮き上がった。ネギが使った魔法──デスペル……本来は敵一体の魔法効果を消しさるものが、位置指定をすること、消費魔力を増やすことで範囲を広げた──はこの世界に存在していない形態のものであるため、誰も知らなくて当然なのだが、そんなことを知らないバルジェロは、焦りの感情によって少しばかり混乱していた。
 何せ、自分が周到に用意したはずの手段が、目の前にいる子供のたった一言で消されてしまい、尚且つ魔力のことを看破されているからだ。

「学校で起きていた攻撃魔法使用事件、それとイェルク・フェイダーの退学の二つの影で魔力を集めるとはね……いやはや、メルディアナの先生たちも大したことないってことか?」
「なにを、おまえはいま、なにをしたっ!」
「何って、あんたの取りそうな手段を潰しただけだが」

 然も呆れたような口調で語るネギだが、復讐を果たすべく動いていたバルジェロにしてみれば、そんな言葉を信じられるはずもない。計画を実行する上で核となっていた宝石──魔力──が無くなってしまったが、復讐に駆られたバルジェロは、得体の知れないネギを排除しようとする。

「くっ……!!
 魔法の射手(サギタ・マギカ)砂の五矢(セリエス・サブローニス)!!」
「リフレク」
「がぁっ……!?」

 まさに身を削って行使した無詠唱攻撃魔法。一般的な魔法使いレベルの魔力しか無い彼にとって、すぐに放つことのできる無詠唱の中で最大限のものだったが、またしても一言で、放った魔法をかき消すのではなく反射されてしまう。
 予想だにしていなかったことに加え、魔法行使直後の技後硬直で動けない彼の身体に、ザラザラと砂の擦れ合う音を鳴らしながら宙を滑る五本の矢が突き刺さる。
 ……右腕、太腿、手の甲、そして腹部に二本。

「せめて、息子さんに会えることだけは願ってやる。……スリプル」

 痛覚だけが過敏になっていたバルジェロは、一瞬で視界が混濁し、意識が薄れていく感覚を抱いた。そして、視界から色彩が失せ、一面暗闇が覆い尽くす寸前、生前一緒に暮らしていた頃の元気な息子の姿が浮かび上がったのだろう。
 辛うじて無傷の左手を、重りをぶら下げられたように重い左手を動かし、その手の平を宙で滑らせた。

「あぁ……ドゥカ、ス……」

 何かに触れているかのように動いていた手は、最後に緩やかに握られると同時に、力なく地面に崩れ落ちた。その表情には、さっきまで見せていた能面のようなものではなく、人間味を帯びた、柔らかな笑みを浮かべていた。
 ──それから、彼が目を覚ますことは無かった。



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