──イェルク・フェイダー

 ネカネの手によって生死不明の重体を負わされ、メルディアナから退学させられた彼だが、ネイルのもとに届いた資料にあった殺人事件については生徒たちに公表することは無かったのだが、その情報がいつの間にか生徒たちの間で有名になっていた。
 どこから情報が漏洩したのか分からないが、広まった情報は子から親へと伝わり、メルディアナへと真偽を問いただそうとするご家族が多かった。中では、直接学校までやってくる親までいたのだから、その対応にも苦労させられた。
 いろいろと尾鰭(おひれ)が付いて回っている噂話もあったが、中にはほとんど事実だと言う物もあり、これ以上噂が広まらないよう抑圧するのにも骨が折れたほどだった。

 両親を殺してからというもの、消息不明になっていたイェルク・フェイダーが、今この場所にいることが信じられなかった。

 悪い意味で一躍この学校の時の人となっていた人物に、一人の生徒が悲鳴をあげた。そして、集団心理が働き、その悲鳴の波は周囲に爆発的に広がっていく。
 その悲鳴を聞いても顔一つ動かさないイェルクは、無表情を顔に張り付けたまま視線だけを左右に動かしていく。両目が飛び出しそうなぐらい見開き、充血した眼球は人垣を縫うように何かを探していく。それはまるで爬虫類のように。

「みぃつけたぁ……」

 口が三日月のように弧を描き、講堂の中にいるすべてのものの耳にまとわりつくようなざらついた声が駆け抜ける。決して大きい声ではないが、それだけに底知れぬ恐怖の感情は更に高まる。

 そんな雰囲気が講堂の中に漂っているなか、己を見失うことなく、自身が身につけている武器であってり杖であったり、そういったものに手を伸ばして何時でも即座に行動できるよう構えているものもいた。勿論、それはネイルを筆頭にした上位魔法使いたちだった。

(彼は何を見つけたと言うんじゃ……?)

 それが、ネイルの気になったことだ。
 この学校を退学になってから今まで行方が分からなくなっていたイェルク。そんな彼がやってきてまで見ている方向を、その鋭い双眸で見定めようとしていた。

 エドワードであったり、その他のある一定以上の力量が無い魔法使いはイェルクの雰囲気に呑まれ、唾を飲み込む以外に身じろぎを一つもする事ができずにいた。

 そして、緊張が高まるなかイェルクが動き出した。それを見て悲鳴をあげるものもいたが、彼はそんな声に目をくれることもなく一直線に進んでいく。その目は、一人の生徒の姿を捉えていた。

「ひぃっ!」

 ネイルたちがいる方向とは逆だったことと、生徒が一堂に会していたことが壁となり、すぐに彼を抑えることができなかった。その間に、彼は目的の生徒のもとに辿り着いてた。

 すぐ行動できるように身構えていたネギだが、イェルクが相対している生徒の姿を見て、どこかで見たことがあると記憶を辿っていた。

(……たしか、あいつは)

 その記憶には、確かにその生徒の姿が混じっていた。交流はなく、彼の名前を知っているわけでもない。彼は、イェルクが許可無く攻撃魔法を使った際、一緒に『悪夢への誘い』を受けた奴だ。……イェルクが二度も事件を起こしたことが大きくてすっかり忘れていた。

 だが、退学になったイェルクがこうして学校に来てまで彼のことを探しにきた理由は何だろうか?

「イヤァァァアアァァ!!」
「うわぁぁあっ!?」

 そう考えていた矢先、二人がいる場所の近くから一際大きな悲鳴が聞こえてきた。何があったのかと人波の間を縫って覗き込んでみると、その中心から、少しずつ赤い液体が広がり始めていた。周囲の錯乱具合からすると、あの赤い物は血なのだろう。

「がぁっ!?」

 その惨劇が起こったすぐ後に、イェルクの体を魔力で編まれた何本もの光の帯が縛り上げる。魔法の中でも相手の捕縛に適している『魔法の射手・戒めの風矢』だ。
 この魔法は空気を用いて敵を拘束する魔法であるため、その分、攻撃性が低く、老練な魔法使いとなると自身の得意とする中でも簡易の魔法であったり、対魔法障壁を展開することで回避することができる。

 しかし、その標的となっているのが老練とはほど遠いところに位置しているイェルク(未熟な魔法使い)だ。しかも、"戒めの風矢"を詠唱したのは一人だけではない。この講堂の中において、イェルクの狂気を受けてもなお気を保ち、すぐにでも魔法の詠唱ができるよう身構えていた者たち全員だ。その中には、ルヴィアや凛の姿も混じっている。

 数人はそのままイェルクの拘束に集中し、そして三人……ネイルとドネット、そしてネギが、ナイフのような刃物が刺さっている箇所から未だ血を流して倒れている男子生徒の元へと近づいていく。勿論、横で拘束されてもがいているイェルクの警戒は怠っていない。

「大丈夫か!」
「うっ……うぅ……」

 とても大丈夫そうに見えないが、それでも声をかけるのが形式美。さすがに見知らぬ生徒の血で手を汚したくないと、我ながら人でなしの考えをしているとネイルが率先して生徒に声をかけた。しかし、その間も止めどなく血は流れていき、辺りに赤の輪が広がっていくのと対照的に、男子生徒の表情は次第に真っ青になっていく。

「くっ……!『治癒(クーラ)』!」

 慌ててネイルが治癒魔法を詠唱する。淡い光が生徒の体、傷を優しく包み込む。光は傷を癒し、生徒に休息の一時を与えた。……かに見えた。

「な、儂の魔法がレジストされたじゃと!」
「そんな……」

 淡い光は傷を癒すことなく、ただ一時の間発光していただけに過ぎなかったのだ。
 ただ、その光のおかげで、周りにいるものには分からない黒い靄のようなものが生徒の傷にまとわりついているのを、ネギが一瞬だけ感じ取っていた。

(多分、イェルクが持っていたあの刃物に呪術が掛けられてたんだろう。問題は、誰がその呪術を掛けたのか……)

 ネギが思考に埋もれている間も、事態は更に進んでいく。

「校長! イェルク・フェイダーの拘束は完了しました!」
「よし! 全員、急いでこの生徒に治癒魔法を掛けるんじゃ! 呪術的な魔法が掛けられているかもしれん! 解呪魔法を使えるものは至急この生徒に掛けるんじゃ!」
「分かりました!」

 攻撃魔法を得意としている教師は簡単な治癒魔法を。そして、治癒魔法や補助系の魔法が得意な教師は解呪、あるいは高度な治癒魔法を詠唱していく。
 その中で最も治癒魔法に長けているのはエドワードだった。エドワードは、魔法を掛けるために集まった教師たちの前に立ち、息を揃えて治癒魔法を掛けるために率先して声を出して魔法を詠唱する。その度に、彼の頭の上では数少ない歴戦の戦士達が揺れ動いているが、魔法に集中しようとしている新人の教師にとってこの光景はあまりにも悲惨なものだと言えよう。……魔法の詠唱が途切れないよう、腹筋で頑張って耐えている。
 流石にこの一大事にそんなことを考えている教師はいないが、ネギだけはエドワードの頭を見ないようにしていた。
 掛けられた魔法が効力を失う前に、すぐに重ね掛けされる魔法。すぐに効力を失うものもあれば、基礎がしっかりとしていて長く効力が続くものもある。
 確かに、これらの治癒魔法で流血することは免れている。しかし、いくら流血を防いだところで傷そのものが治っているわけではない。この傷を治すには、早急な解呪が求められていることを、ここにいる魔法使いの全員が理解するに至るのはそう時間はかからなかった。

「……くっ! 簡単な解呪の魔法は効かないのかっ!?」

 しかし、ここにいる魔法使いでは解呪する事はできそうになかった。ある一定の基準を上回る高度な解呪魔法を使える者は魔法世界においても限られるし、そもそもそんな高位の魔法使いがこの旧世界の魔法学校で教師をしているということはまずない。
 より優秀な魔法使いを育てることも大事ではあるが、それ以上に『立派な魔法使い』を目指している人は自分の魔法の研究に時間を費やしている。それか、治癒魔法や解呪魔法を使える人は病院で勤務しているだろう。
 その解呪魔法において他の随を許さないエドワードも頑張ってはいるが、解呪に至ることができずにいた。
 そんな喧噪が続く中、生徒の傷を観察していたネギは、傷に掛けられている呪いの術式を読みとることに専念していた。……と言うか、解呪できないと知って魔力切れも時間の問題と周囲が騒ぎ立てている間にそれも完了していた。

(魔法の基本的な術式に、東方……日本の呪術の概念を取り入れた混合術式による呪法、か。こりゃあここの魔法使いじゃ解呪できなくても仕様がないな……これで解呪できるかな?)

「デスペル」

 喧噪ということもあるが、一応誰にも聞き取られることがないように本当に小さな声で呟いた。この世界の魔法とは違い、無詠唱でFFの魔法を使えないという唯一の欠点らしい欠点を抱えているが、この世界の魔法と違い、詠唱に時間がかからない。
 目立ちたくはないが、目の前に救うことができる人がいるのに何もしないのは気が引ける。

「むっ!……おお! 呪いが消え去ったぞ! さあ、皆。今の内に傷を治すんじゃ!」

 ネイルの声に、諦めを感じていた教師達の表情に再びやる気が満ち溢れ、口々に治癒魔法を詠唱していく。傷は癒え、青白かった生徒の表情には生気が戻ってきた。
 こうして、生徒が華々しく飛び立っていく卒業式において起きた事件は、誰も命を落とすことなく無事収束に向かっていったのだった。



 ◇ ◇ ◇



 その後、中断になった卒業式は改めて執り行われることとなり、講堂にいた生徒達は皆、一旦帰宅させることとなった。血で汚れた講堂の清掃をしなければならないというのが大きな理由の一つだ。

 生徒達が帰宅していく中、ネイルは校長室に戻っていた。イェルクが刺した生徒とはどのような交流を持っていたのかを調べるためだ。退学になった身であるのに、ここに来てまで襲うということは、何かしら理由があってのことに違いないと考えたからだ。

「むっ……?ネギが持ってきてくれたロケットは何処にしまったんじゃったか」

 イェルクがここの生徒だった頃とは変わり果ててしまったように感じたネイルは、以前ネギが持ってきたロケットの中の写真を確かめようと引き出しを引いたが、確かにここにしまったはずのロケットが見当たらなかった。

(はて……儂も年じゃろうか)

 自分の記憶が衰えを見せているのかと少しばかり不安になったネイルだった。

「ああ、ここにあったのか」

 不安を隠すように隣の引き出しを引いたネイルだが、その中に探していたものが、数枚の書類の上に一つだけぽつんとあった。
 確か、ここに入れてなかったはずなんだがと自分の中で言い訳をしながらロケットを取り出し、その中の写真を見て、目を見開いた。


 ドゥカスの妻と思われる人とバルジェロの顔が万年筆でぐちゃぐちゃに描かれたように真っ黒になっており、唯一表情が分かるドゥカスの顔は、憤怒の感情がとって分かるように歪んでいたのだから。



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