第7話



―――90年初頭、帝国軍技術廠第壱開発局

「よもや、本当に完成させてしまうとはな……」
 御剣重工から納入された、新型国産戦術機のプロトタイプを見上げながら、技術廠において戦術機開発に辣腕を振るっていた巌谷少佐はつぶやく。

 1988年はじめに、御剣からこの開発計画書を見せられたときは、御剣の技術者は頭のネジが数本飛んでしまったのではないかと思ったものである。脚部に推進装置を取り付けたら、まともに制御できずに転倒してしまうだろう。いかに戦術機開発に参入したばかりの新参企業とはいえ、もう少し常識を持ってほしい、というのが巌谷の偽らざる気持ちであった。

 兵器開発にあたっては、とんでもない際物を持ち込んでくる輩も時折見られるため、御剣重工も、そうした連中に毒されてしまったのではないか、と彼は考えたのである。

 臨界半透膜をはじめ、最近の御剣の開発力は目を見張るものがあるが、さすがにこれは無理だろう。巌谷をはじめ技術廠の幹部はそう噂したものであった。

 しかし、彼らの推測は、良い意味で裏切られることとなった。



「是非、巌谷少佐に、この機体の開発衛士を引き受けてほしい。通常、開発衛士が尉官であり、少佐である貴官にこのような頼みごとをするのが礼を失していることは理解している。しかし、この機体にはそれだけの価値がある」
 五摂家の筆頭である雷電から、こう念を押されては、巌谷としても了承するほかはなかった。

 既存の戦術機と操縦方法がやや異なるため、シミュレータでの操作方法慣熟には時間がかかったものの、実機を使っての試験は特に問題もなくスムーズに行われた。予定を上回るペースで試験項目を消化していった御剣製新型は、あらゆるテストで第三世代機の目標数値を圧倒的に上回り、技術廠幹部を驚喜させた。

 しかし、この機体は兵器として致命的な欠陥を持っていた。すなわち、第四世代機すらも上回るのではないかと思われるほどの圧倒的な機動性に比例して、コストが量産機としては採用不可能なほどに高かったのである。実に、撃震5機に相当する製造コスト。

 製造コストから、量産機としての実用化は難しいが、その性能は捨て置くには余りにも惜しい。そう判断した帝国軍指導部は、技術廠と御剣に、一年以内に低コスト化に向けた具体案を提示するよう命じる。


 しかし、低コスト化は難航する。

「コスト削減は難しいですね……。機体の骨格であるムーバブル・フレームに採用したチタン合金セラミック複合素材が製造費用を押し上げているんです。この複合素材は、レアメタルをかなり使うため、従来のスチール系の合金と比べて格段に値が張るんです。かといって、ムーバブル・フレームにこれ以外の合金を使うと、どうしても剛性が足りないんですよ」
 こう語るのは、御剣の技術者。

 実際、既存のあらゆる金属では、脚部ジェット推進に耐えうるだけの剛性を機体に持たせることができないのである。いっそのこと、量産型にはホバリング機能を外してはどうか、という意見も出されたが、これにはハマーンが断固反対し、巌谷も難色を示した。前線に立つ衛士の視点からすれば、このホバリング性能こそが対BETA戦闘の切り札であるように思えたのである。

 結局、フレームの強度がかなり落ちるものの、フレームの芯部のみチタン合金セラミック複合材を用い、これを超硬スチール合金で補強する、という方向でまとまった。フレーム剛性低下に対応するために、脚部エンジン出力を抑え、ホバリング走行性能も最低限のものにする。そもそも、帝国軍は推進剤を潤沢に用意できるわけではないため、通常はメインスラスターにより移動し、近接戦闘時に限って脚部エンジンを併用するという運用方針をとらざるを得ない。

 徹底的に製造コストを切り詰めて作成された新型先行量産機がロールアウトしたのは、1992年のことであった。それでも、価格は撃震の7割増し。財政に余裕のない帝国政府にとっては厳しいものであった。

 しかし、真に驚くべきは、ここまで低コスト化が図られてもなお、御剣の試作第一号機の6割程度の総合性能を維持しえたという点にあった。すなわち、これはかつての武御雷の1.8倍の運動性能を持つ量産機を開発したに等しい。

 それでもなお、首を縦に振ろうとしない大蔵官僚を相手に、帝国軍首脳部は説得を重ねた。

 曰く、マグネット・コーティングや臨界半透膜の採用により、ヨーロッパ戦線、インド戦線、ソ連戦線で、機体の損耗率が劇的に低下している。かつては間引き作戦においてさえ、部隊損耗率が5割を超えるのが当たり前だったのに、今では平均で3割以下に収まっている。新機体を導入すれば、損耗率はさらに低下し、帰還率は向上するだろう。そうすれば、結局は機体補填に充てる費用が減ることになり、長期的には軍事支出は現状と大して変わらないだろう、と。

 御剣財閥も、軍部を側面から支援した。曰く、新戦術機の大量生産は、御剣単独では限界がある。国内各社とも提携して量産体制にはいらなければいけない。その過程で、国内各社には新技術を吸収する機会がある。したがって、この新型を国内で製造していけば、国内の工業技術の飛躍的向上につながるはずである。こうして会得した技術を逐次民間に転用していけば、日本の生産力増大や国際収支改善にもつながるはずであるし、税収も上向くはずだろう、と。

 取らぬ狸の皮算用と言われかねない論理であったが、こうした主張は大蔵省、帝国議会予算委員会に受け入れられ、次期戦術機配備計画として1993年度以降の予算に計上された。


 一方、城内省は、新型の性能を見るや、高性能機のほうを斯衛に配備することを決定。そのために必要とされた金額を見て絶句した大蔵省との攻防ののち、「橙」以上の斯衛に高性能機を導入し、量産機が開発され次第、これを「黒」と「白」に配備されることが決まった。

 もっとも、ハマーンは、優秀な戦術機乗りが集まっている「黒」にこそ高性能機を配備したいと考えていたのであるが……。
 身分の壁は依然として極めて厚かったのである。

 新型高性能機は、「迅雷」と命名され、先行量産機の試験運用ののち、1991年より斯衛に配備されていった。



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