第一節


 トコヨにおける武装集団襲撃の一件が管理局の耳に入る前に、管理世界は驚愕すべき事態が生じようとしていた。その矛先が向けられたのは、『第44管理世界:マシュハード』の都市チトグラードだった。産業都市として巡るましい発展を遂げている、次元世界でも有数な世界である。とりわけ盛んなのは、魔導兵器の開発・販売に携わる事業であり、時空管理局のみならず民間企業との間でも売買が行われていた。
 マシュハードに君臨する軍需産業の名をウンデット・コーポレーションと言う。工場施設は、都市よりやや離れた位置に立地しており、傍には海と、広々とした盆地が存在している。実験場としては打って付けの場所と言えた。この企業が、概ねマシュハードの中心的存在となっていたが、十数年前には一度破産の一歩手前まで追いつめられていた経緯がある。それが、何故ここまで回復しえたのかと言えば、他世界の企業の手助けを受けたからである。
 それが、第16管理世界で軍需産業を営む一大企業ヴァイデン・コーポレーションだった。ヴァイデン・コーポレーションが、破産寸前のウンデット・コーポレーションの株式を6割を買い、主導権をほぼ手中に収めつつも業績を回復させていったのだ。現在もなお、その主導権はヴァイデン・コーポレーションにあり、息のかかった役員がウンデット・コーポレーションに送り込まれていた。
 そして、ウンデット・コーポレーションは必然的に、ヴァイデン・コーポレーションの行っている裏事業をも手伝うこととなる。それが、ECウイルスを利用した兵器運用だった。裏事業故に、表沙汰に出来る訳もなく、ヒッソリと実験部隊を送り込んでは、親会社たるヴァイデン・コーポレーションにデータを送っていたのであった。
 ウンデット・コーポレーションは、今日も、ECウィルスを使った研究開発に余念がなかった―――いや、今日までは。

「なに、全滅だと!」

 同社のCEO専用執務室にて、1人の中年男性が声を張り上げていた。50代程の中年男性の彼が、ウンデット・コーポレーションの最高経営責任者を務めるテンケラーザ・ヤクフォンだ。ヴァイデン・コーポレーションの意を受けて、ECウイルスの研究開発の為と称して、実験部隊という名の殺戮部隊を事ある毎に各管理世界へ送り込んでいた。
 ところが、今回送り込んだトコヨにおいて、ベミル率いるチームが全滅したことを受け、驚愕していたのだ。ベミルチームは、手駒としてはかなり強いものであり、トコヨの人間とて叶う訳が無いと踏んでいた。まして、魔導師を殺す為の兵器を持っていれば、尚更の事だった。なのに、ベミルチームがトコヨに降り立ってから1時間もしない内に、連絡が途絶えたというのである。凶報は、それだけではない。

「社長、それだけではありません。派遣していた艦船2隻も、正体不明の敵と交戦し、消息を絶ちました」
「ば‥‥‥」

 馬鹿な、と口にしようとして失敗し、言葉が出てこない。ベミルチームが失敗した際に、掃除屋として密かに送り込んでいた2隻の艦船が、纏めて撃沈消失してしまったのは、これまたヤクフォンに劇的な衝撃を与えるのに十分だった。ベミルチームを返り討ちにするほどの力だけではなく、次元航行艦(実弾兵装を装備)を2隻同時に葬り去るとは、いったいどういう訳か。
 全く状況が掴めないヤクフォンに、2隻の次元航行艦から送られてきた映像があるとして、部下がスクリーンに投影した。それは、例の守護獣ことナギラとの戦闘記録で、次元航行艦から放たれた実弾の雨をものともせず耐え抜き、報復に浴びせかけられた強力な光線によって1隻目が撃ち抜かれる。続けて2隻目が、上昇して離脱する途中で光線を浴びて木っ端微塵になってしまった。
 これを目にしたヤクフォンは言葉を失い、記録映像を凝視したまま部下に尋ねた。

「あの星には、あんな化け物が居たのか?」
「‥‥‥そのようです」
「なんてことだ、ベミルチームだけでなく、艦を2隻も失うとは‥‥‥」

 ヤクフォンの手は、わなわなと震えていた。無論、撃沈された、或は拿捕された場合に備えて、この次元航行艦は艦籍を抹消してあり、中にあるもの全てが自分の会社とは関わりがないようにしてある。どう調べても所属不明艦としか分からない様にしていたのだ。とはいえ、決して安いものではなく、ウンデット・コーポレーションにとっては少なからず打撃を被る。
 これまでは上手く事が運んでいただけに、今回の損失は計り知れない。トコヨには手出しをすべきではないのかもしれない。

「しばし、様子を見るしかあるまい‥‥‥」
「では、あの方にも?」
「無論だ。私から報告せねばならん」

 あの方とは、勿論のことヴァイデン・コーポレーションの人間だ。

「直ぐに通信の用意を―――」

 その時だった。執務室に突然の揺れが生じ、2人も思わずふらつく。だが、立っていられない揺れではなく、それも直ぐに収まった。いったい、何事かと呆然となるヤクフォン。この星の都市は、ほぼ地震とは無縁の地質上に成り立っていることから、殆どの人間は地震を体験していないに等しい。それだけに、唐突な揺れに違和感を感じない訳がなかった。しかも、今のは突き上げるような、上下するタイプの揺れに近い気がする。

「何だ、地震でも起きたか」
「いえ、この地域では地震など起り得る筈がありませんが‥‥‥」
「じゃあ、今の一体なん―――」

 また、揺れた。それも、先ほどよりもやや大きめであり、地響きのような音も耳にするようになっていた。そして、また室内を揺らす程の地震と地響きが生じる。明らかな自然の揺れではないことは、2人には分かった。

「何かが歩いているような‥‥‥」
「ば、馬鹿も休み休み言いたまえ。さっきのは別として、この星にいる訳が―――ッ!」

 会話が途切れる程の揺れが襲う。それも、一定の間隔とはいえ、次の地響きと揺れが起きる度に大きくなっていく。今、部下が口にした『なにかが歩いている』感じの揺れは、まるで、自分らに向かってきているようにも思えた。
 ふと、ヤクフォンはその考えを振り払った。馬鹿な、こちらに向かってくるなど有り得る筈がない。このマシュハードには、巨大な生物など観測されていないし、確認もされていない。きっと偶発的な地震の一種に違いないのだ。
 だが、同時に浮かんだのは、先のトコヨに存在した巨大生物のことだった。もし、トコヨが報復の為に来たとしたら? それも有り得ぬ、どうして、トコヨに此処が分かるのだろうか。あの撃沈された次元航行艦そのものも、所属が分からないように徹底していたのだから。如何にも時代遅れなトコヨに、何が分かろうか。
 ズズン、と次第に大きくなる振動と地響き。次第に、何かに掴まらなければ立つことも難しくなってくる。

「何だ、何が起きているんだ!」
「しゃ‥‥‥社長!」

 部下が、窓の一角を指し示して悲鳴染みた声を上げるのと、通話端末が鳴り響いたのは同時だった。ヤクフォンは、反射的に通信端末を先に操作すると、空中にスクリーンが開き、女性オペレーターの姿が現れた。その表情は、いたって平然としたものだった。

『緊急事態です』
「何だ!?」
「社長―――」
「黙っとれ!」

 部下が、脂汗を流す様子に気付かぬまま、ヤクフォンは怒鳴り散らして黙らすと、直ぐにオペレーターの方に視線を向けた。

『巨大不明生物が、出現しました』
「な‥‥‥なん‥‥‥だと―――ッ!」

 またもや、地響きが鳴り響き、部屋が揺れる。それで狼狽するヤクフォンと、恐怖感を前面に出してくる部下を他所に、女性オペレーターは、やはり涼しい顔だった。同じ場所にいる筈なのに、どうして平然としていられるのか、という声をかける暇すらなかったが、冷静であれば違和感に気付いたであろう。
 ズウゥン―――天井から砂埃が落ちる。

「何処だ、何処にその化け物はいる!」
「しゃ、社長‥‥‥」
「えぇい、黙らんか!!」

 だんだんと後ずさる部下を血走った眼で睨むが、その何か恐るべきものを目の当たりにして恐怖に慄く様子に、流石にヤクフォンも悟った。いや、遅すぎたというべきだろうか。震えるながら、窓の一角を改めて指し示す部下に呼応して、振り返ろうとする。それと同時に、女性オペレーターも、ポツリと口にする。何もかも知っているかのような、冷静な口調だった。

『目前にまで来ております』
「―――ッ!?」

 目玉が飛び出すのではないかと言う程に、瞼をカッと見開く。その視線に先に居たのは‥‥‥。

『我らが守護獣、ナギラでございます』
「な‥‥‥」

 守護獣ナギラ。トコヨに現れた巨大生物が、ウンデット・コーポレーションの広大な施設に足を踏み入れていたのだ。ただし、全高100m程と、トコヨにいた母体より3分の1程小さなサイズだった。とはいえ、100mもあれば十分に巨大である。それが、施設の壁を悠々に踏み潰し、核施設や車両を蹴とばし、豪快に破壊していく。歩いているだけで、ナギラは多大な損害を与えているのだった。逃げ惑う施設研究員や職員らを他所に、ナギラは一直線に向かう場所がある。即ち、ヤクフォンがいるセンタービルだ。ナギラは時折鳴き声を上げながら、地表の支配者の如き振る舞いで歩く。
 時に、例の光線を口から発し、しかも薙ぎ払う様にして広大な面積を持つウンデット・コーポレーションの施設を焼き尽くす。それこそ、まるで怪獣映画のワンシーンの様であったが、これは現実である。

「守備隊は‥‥‥」

 当然ながら、軍需産業の巨大施設ともなれば、自前の守備隊が編成されている。勿論、皆が魔導師であるが、ナギラを前にして、彼らの魔力は風前の灯火も同然だった。多彩な魔法攻撃がナギラの体表に撃ち込まれるが、実弾でさえビクともしなかったナギラの準固体である。魔法攻撃で怯む筈も無く、その報復として容赦ない光線が辺り一面に降り注がれた。
 あっという間に守備隊の魔導師を蹴散らし、そのままヤクフォン目掛けて歩み始める。驚愕の光景に脚をすくませてしまう彼に、再び女性オペレーターが通信越しに口を開いた。

『これが、トコヨの―――我らが神の怒りに触れた末路です』
「き、貴様、いったい、さっきから何なのだ! 偉そうに喋りおって、何様のつもりだ!?」

 ヤクフォンは、すっかりと頭に血が上り、不躾な女性オペレーターに向かって怒鳴り散らした。
 すると、女性オペレーターの目が、スゥっと細くなり、言い知れぬ圧力をヤクフォンに浴びせた。

『愚か者に言う道理は無い。自らの過ちを、業火の炎に焼かれながら悔いるが良い』

 それだけ言うと、通信端末は切れてしまった。

「おい、逃げるな、貴様!」
「社長、それよりも、ご避難を‥‥‥」

 カッとなっているヤクフォンを、部下が恐怖に襲われながらも避難すべく促した。ヤクフォンもハッとなり、自分の置かれた状況を改めて理解し、直ぐに逃げ出す為に駆け出した。既に1qにまで迫っており、しかも近づくスピードも速くなっているようであった。
 殺されてたまるものか! 高級な椅子を蹴とばして入口駆け寄った。

「死んでたまるか、こんなところで―――!」

 だが、扉は開かない。自動で開閉するタイプだが、彼が近づいても開こうとしないのである。

「何故だ、何故開かん!」

 ドン、ドン、と扉を叩く。しかし、叩く程度で破れるものではなく、開くものでもない。まるで主を逃すことを拒んだかのように、硬く閉ざされた扉。出ようと躍起になるが、その背後からは、不気味な鳴き声と地響きを立てながら迫るナギラがいる。一歩、一歩と迫るたびに、ヤクフォンの心拍数は跳ね上がる。部下も一緒になって激しくドアを叩くが、開く気配はない。
 ならば、と通信端末を開いて、守備隊か誰かを呼ぼうとする。だが、通信端末には誰も出ようとしない―――正確には出られない。

「助けにこんか、おい、誰か!」
「助けてくれ! 死にたくない、助けてくれぇ!!」

 誰も答える筈がない。通信波は遮断され、センタービルも自動ドアの全てが、開閉システムをロックされている。誰も出すことを許さず、ひたすら泣き叫び、助けを請うウンデット・コーポレーションの社員達。
 その様子を、ビルから離れた場所で冷酷に見つめる、先の女性オペレーターことワダツミの一族。彼女もまた、ワダツミ一族の使命を持って、この次元世界に溶け込み、監視してきたのである。特に危険対象となっていたウンデット・コーポレーションの動きには注意を払っていた。そして、トコヨの一件が、テレパシーを通じて知らされると、彼女はマシュハードにて長き眠りについていた守護獣ナギラを呼び覚まし、不逞な輩であるウンデット・コーポレーションの抹消に取り掛かったのであった。

「トコヨの民が味わった、数千年の苦しみ‥‥‥。お前達も、存分に味わうと言い」

 閉じ込められた人間達に、だんだんと迫りくるナギラの偉容は、恐怖以上の存在であった。
 そして、執務室に監禁されていたヤクフォンと部下は、遂に窓越しに、巨大に映るナギラを視認した。距離で言えば、15m手前と言ったところだ。しかもナギラの目線と執務室の高さも丁度同じであったことから、嫌がおうにもナギラの眼差しを直視する事になってしまう。

「ひ‥‥‥ひいいいい!」

 ヤクフォンは腰を抜かしてしまい、ドアを背にへたり込んでしまった。
 方や部下は、恐怖のあまりに気をおかしくしてしまい、叫び声を上げながら駆け出した。

「い、いやだ、俺は‥‥‥死にたくないいいいぃ!」

 その方向に出口は無い。あるのは別の窓だった。それでも構ない、あるいは周りが見えていないのか、部下は全速力で駆け出すと、そのまま窓へ突っ込んでいったのだ。正気を失い、ナギラに抹殺される恐怖から逃れる為に、生きて帰れる訳もない窓からの飛び降りを選んでしまったのだ。

「うわああああああぁぁッ!!!」

 叫びながら窓ガラスを突き破り、地面へ真っ逆さまに落ちていった部下を制止する余裕などないヤクフォンは、目前のナギラに目線を返してしまう。ジッと見つめるナギラの目は、人間染みたものを持っていたが、彼からすれば殺気に満ち溢れた恐ろしい目だと思ったことだろう。飛び降りる勇気などなく、もはやナギラに折衝与奪を握られた状態にある。
 心臓も、これほどまでにないほどに、バクバクと心拍数が上がっていた。冷静に呼吸など出来る筈もない。

「た、頼む、わ、私を、殺さんでくれ‥‥‥。手出しはせん、約束する、命に代えても、約束する!」

 怪物に言葉が分かるのだろうか。そんなことすら考えることもできない。ナギラは、憐れむような眼で、ヤクフォンを見つめる。憐れむ眼差しが、怒りを鎮めたのかと彼は勘違いをしたが、その一瞬の安堵も束の間‥‥‥。

「!!」

 ヤクフォンの視界が、閃光に包まれた。次の瞬間には、彼は蒸発していた。口内に光を溜め込んでいたナギラは、躊躇うことなく光線を撃ち放ったのだ。光線を真面に受けたセンタービルは、ゴッソリと風穴を開けられたばかりか、次にはガラガラと崩れ去っていく。脆くなった頂上が沈み、そのまま原形を留めていた下半分を巻き添えにして崩れていったのだ。
 それは、実にあっという間であった。立派に立っていたセンタービルは、巨大な粉塵と煙と共に崩れて跡形も無くなった。
 最高経営責任者の死とセンタービルの崩壊は、即ち、ウンデット・コーポレーションの崩壊である。ナギラは、その後も万遍なく、施設一帯を破壊して回った。破壊光線と尻尾、強靭な脚を用いて、破壊の限りを尽くした。
 この様子は、無論のこと都市部にも伝わっていた。有数の企業施設が、謎の巨大生物の襲撃を受けて破壊されているとなれば、自治体も緊急事態宣言を発して、この巨大不明生物の襲撃に備えなければならない。取り分け、市民らは恐怖の渦に包まれた。これまでに見たこともない巨大生物が、あのウンデット・コーポレーションを破壊しているのだ。この都市にまで及んで来たら、自分らはどうなってしまうのだろうか。都市中がパニックに襲われた。だが、彼らの心配は杞憂に過ぎなかった。

「‥‥‥もう、良いわ。ナギラ、戻りましょう」

 一通りを一掃したのを見届けたワダツミ一族は、テレパシーでナギラに伝える。すると、ナギラは一声だけ上げて海に向かって歩みだし、やがて海に姿を消していった。ワダツミ一族の女性も、それを見届けてから、その場から蜃気楼のように姿を消してしまった。
 後に残ったのは、灰燼に帰した元一大施設だけである。




 この大惨事は、瞬く間に次元世界に報じられた。

“巨大生物、ウンデット・コーポレーションを襲う!”


“ウンデット・コーポレーション、裏で生物兵器を開発か?”


“巨大生物は、トコヨの守護神ナギラと同一との見解!”


“ウンデット・コーポレーション、CEO行方不明、株価大暴落、再起不能”


 各メディアは、こぞって大々的に報じ、その注目度は当然のことながら高かった。特に、時空管理局が、これを見逃す筈もない。管理局上層部は、直ぐに幹部会議を開き、この事件についての対策が練られた。

「あの巨大生物は、聞けば、トコヨの守り神だというではないか」
「どういうつもりなのだ。トコヨは、次元世界を敵に回すつもりなのかね!」
「やはり、あの世界は信用できん。武力で一気に制圧すべきだ」

 過激な意見が大半を占める中、厳しい視線は、リンディとレティらにも向けられる。

「リンディ提督、貴官は、この一件があってなおも、トコヨに手を出すべきではないと言うのか!」
「‥‥‥生憎ですが、まだ全貌が明らかにされていない時点で、トコヨへの制裁を考えるのは時期尚早かと」
「何を馬鹿な!」
「イチノタニ博士の報告書によれば、あの生物とナギラは、特徴がガッチするではないか。これをして、何故、トコヨではないと言える!」

 何も言い返せなかった。リンディは、膝の上に置いていた掌をぎゅっと握り締めた。それを、隣に座っていたレティも気付き、少しでも彼女を擁護しようと口を開いた。

「リンディは、全貌を明らかにしてから、と言ったのです。あれがトコヨの守護獣であるならば、それ相応の理由があるのではありませんか」
「理由だと? 一企業を、民間人ごと消し去ったことに、どんな理由があるというのだね?」
「それは―――」

 そこまで言おうとした時だった。

「私が、説明しましょう」
「「「!?」」」

 会議室に聞こえたのは、聞きなれない女性の声だった。一同が驚き、声のする方向を見る。そこには、管理局の制服を来た女性―――マヤ・フィルゴロスの姿があった。局員とは違ったオーラを放っている彼女を見て、幹部の多くは警戒心を露わにする。

「局員ではないな、お前は」
「どうやって入って来たのだ、ここは幹部クラスのみ入る場所だぞ」

 疑問の声を上げる幹部らだが、そんなことを意に返さず、マヤは続けた。

「私は、トコヨを護るワダツミの一族。マヤと言います」
「な‥‥‥トコヨの人間!」
「では、先日に八神はやてに接触したというのも‥‥‥」
「如何にも」

 大多数の魔導師実力者が集まる場所でもあるが、マヤは平然とした様子だった。

「いい度胸だな、貴官は。1人で乗り込むとは、そのまま帰れると思っているのか」
「貴方がた如きに、してやられるとお思いですか」
「何を!」

 激昂寸前の幹部を他所に、リンディが本題を聞き出す為に割って入った。これ以上は会話が進まない。

「それで、貴女は、マシュハードの一件がどう関係があるというの?」

 リンディの問いかけに、マヤも不毛な言い争いを続けるつもりも無かった為、その経緯を説明し始めた。

「貴方がた管理局が、引き揚げた後のこと―――」

 マヤは話した。管理局がユーノを確保し、教授らも解放された後、質量兵器を有した凶悪な集団がトコヨに現れたことを。
 巫女であるホシノ・マユミの手によって、その者達は一掃されたことを。
 不逞な侵入者の船と、その同一業者と思しき、2隻の武装船が新たに現れたことを。
 そして、トコヨの守護獣ナギラが目覚め、全ての船を纏めて焼き払い、業火に沈めたことを。
 何よりも、襲撃してきた者が、ECウイルスの感染者であったことを。

「ECウイルス‥‥‥だと」
「一人残らず、倒したというのか‥‥‥」

 かの残虐な殺戮事件の関連した事例として、身体に独特の紋様がある事が分かっている。まだまだ分からないことが多すぎるが、これがECウイルスの感染者であることは分かっていた。管理局では、このウイルスの対策に余念がなかったが、現時点では解決策が見つかっていない。何より、質量兵器を主として使う事で、魔導師キラーとも呼ばれるECウイルスの感染者だ。
 そんなECウイルスの感染者で構成された武装集団を、マユミと称されるトコヨの人間もとい巫女が、撃退したという。俄かに信じ難いのだが、これには管理局の方針と異なることが理由でもある。管理局は、なるだけ逮捕しようというのだが、トコヨの場合、完全なる抹殺で外敵を排除していたからだ。逮捕ではなく、排除となれば力加減をする事など無い。管理局からすれば野蛮かもしれないが、トコヨはそれが普通なのである。これまでも、攻めて来た者達を容赦なく排除してきた時も同じだ。

「そして、貴方がたがマシュハードと呼ぶ星‥‥‥あの星こそ、トコヨを襲った不逞な輩の本拠地」
「「「っ!?」」」
「厳密には、その星に存在する悪しき企業の生業」

 その言葉に、一同が騒然となる。マシュハードのウンデット・コーポレーションが、トコヨの一件のみならず、これまでの連続襲撃事件の容疑者と言っても過言ではないということだ。しかし、だとしても、合致しない部分もある。ウンデット・コーポレーションは、破産寸前にまで追いつめられた経緯のある企業なのだ。その企業が、裏で莫大な費用が掛かるであろうECウイルスの研究が、再建後に出来ようものなのか。
 マヤは、確信をもって、ウンデット・コーポレーションが犯人だと明言する。

「何故だ、何故、そうだと特定できる!」
「我らの一族が知らせて来たからです」
「あの管理世界にも、トコヨの人間が潜伏していたと?」

 レティの問いに、マヤは頷いた。確かに、彼女が長くこの管理局に潜伏していたこと、かの第97管理外世界こと地球にも潜伏していた事などを考えれば、不思議な事ではない。とはいえ、管理局側からすれば、明確な証拠がないのだ。マヤの言葉を鵜呑みにすることはできない。下手をすれば、明確な敵対行為として受け止められるであろう。
 しかし、マヤは確たる姿勢で確信を口にする。

「ならば、早急に、あの施設を調べるが良いでしょう。でないと、証拠を隠されるやもしれませんよ」
「‥‥‥」

 暗に、ECウイルスに関与しているものが、別に存在していることを示唆しているといえよう。管理局としても、当然のことながら動き出さねばならない以上、マヤに言われるまでもない。早急に部隊を派遣し、現場を確保、徹底的に調べなければならないのだ。

「要件は伝えました。我らは、これで会う事はないでしょう」
「会う事はない?」

 マヤの言葉に違和感を覚えたのはリンディだった。まるで、彼女は、今後何人たりとも、トコヨそのものに辿りつくことも出来ない―――そのように言っているように感じたのだ。
 他の幹部達が、逃げようとするマヤに対して臨戦態勢に入ろうとする。しかし、マヤには無駄な事であった。

「我々の星は、再び、脅威にさらされた。今後も付け狙う者は出てくるでしょう。あの場所は安息の地ではなくなった‥‥‥」
「つまり、星を離れるというの?」
「いえ。トコヨは、再び別の新天地に移ります。当分は、誰も近づけないでしょう」
「惑星ごと、転移するというのか!」

 星まるごとの転移というのは前例がない。それだけでも、トコヨが尋常ならざる力を持っていることを示していた。
 やがてマヤは、両手を合わせる。すると、一瞬の閃光を放った後、次に現れたのミラーメタルであった。鏡面のような輝きを放つミラーメタルを目の当たりにした幹部一同も、思わず後ずさる。報告にあった土偶型とは全く異なる、ワダツミ一族の姿に警戒心を抱く。だが、マヤは攻撃するつもりなどなく、ミラーメタルのままリンディとレティに顔を向けた。

「最後に‥‥‥御二人には、色々と尽力頂いたようですね」
「‥‥‥ユーノ君の行動の賜物です。私達は、何もしていないわ」
「‥‥‥そう」

 ミラーメタル化したマヤの表情は読み取れなかった。そして数秒の後、マヤは一瞬にしてその場から姿を消す。何の痕跡も残さずに‥‥‥。
 


第二節




 ウンデット・コーポレーションの一件は、勿論のこと、ユーノ・スクライアの基にも届けられていた。彼自身は、ミッドチルダに降り立っており、せっかくの機会と言う事もあって聖王教会に足を運んでいたもので、トコヨで知ったことなどを騎士カリム・グラシアに報告していたのだ。同席していたのは、トコヨに同行したティアナ・ランスターである。計3人が、1つのテーブルを囲み、給仕が入れてくれた紅茶を、時折口にしながら話し合っていたのだ。
 そこへ、まさかの襲撃事件の速報を目の当たりにして、ユーノが驚かない筈が無かった。

「そんな‥‥‥」

 手に持ちかけようとしたカップには触れず、手を震わせるユーノ。トコヨが関連している可能性は無いと信じたかったが、メディアが掲載した巨大生物の姿形を見て、確定せざるを得なかった。間違いなく、これは守護獣ナギラだと。ナギラが暴れまわり、ウンデット・コーポレーションを壊滅させたのだ。
 だが、どうしてこの様な暴挙を行ったのか? トコヨには、手出しはしないという約束を取り付け、人質だった学者一同も開放してもらった。なのに、この事件はどういう訳なのか、ユーノには全く分からなかった。

「ウンデット・コーポレーションって、確か、兵器の売買を行っている企業でしたね」

 ティアナも、動揺しつつも口を開く。彼女も、この企業の事は知っていたのだが、トコヨとどういう関係があったのか想像がつかない。あるとすれば、ただ1つだろう。かの犠牲となったバウンティ・ハンターよろしく、下手に手を出したのではないだろうか。それで、逆鱗に触れてしまったと‥‥‥あり得ない話ではないが、手を出す理由がそもそも分からない。兵器の運用テストでもしたのか? だとすれば、管理局の制裁を受ける大きなリスクが伴うことが割っていた筈だ。まして、一度は破産寸前だった企業が、そんな事をすれば立ち直ることが出来なくなるだろう。
 実は、彼女の推測が当たらずとも遠からずであり、その真意を知った時、どのような反応をするであろうか。
 も、この事件には、何か裏があるであろうことを予想していた。

「ナギラは、トコヨを護る守り神‥‥‥それが動き出したとなれば、報復のため、という解釈が強いですね」
「報復と言う行為なら、確かに有り得ますが、しかし、どうして‥‥‥」

 ユーノが額を抱えながら俯く。その場に居る誰もが、その答えを出すことが出来ない―――当事者である場合を除いて。

「―――!」

 その僅かな気配をいち早く察したのはユーノだった。彼が感じた気配は、不思議と懐かしさを覚える感覚であり、思わず、その気配の方向を振り向く。振り向いた先には、かの無限書庫の執務室で出会った美しい女性がいたのである。
 彼女は、相変わらず無表情さが出ているが、フランス人形の如き白い肌と形の良い顔立ちは、印象に残っている。ただ、今の彼女に違う点があるとすれば、それは服装だった。管理局の制服ではなく、白と紅という日本古来の巫女の正装姿であったことだろう。それもまた、マヤの出で立ちに対して、すんなりと合致していた。
 懐かしむユーノに対して、カリムとティアナも彼女を実際に目にする。特段、驚きこそしなかったが、魔力の気配を出さずに自然に出てくる様子には、侮れなさを感じざるを得なかった。
 久々に見た筈だが、懐かしい感じもするその女性ことマヤを確認したユーノは、立ち上がりながら念の為に確認を取る。

「君は、無限書庫での‥‥‥」
「覚えて頂き、恐縮です。申し遅れましたが、マヤと申します」

 そう言って、挨拶時の礼もきっちりとした角度で行う。そして、傍に立つ2人にも視線を向ける。

「聖王教会の騎士カリム・グラシアさんと、トコヨに赴かれた執務官ティアナ・ランスターさんですね」
「やはり、私の事は知っているのですね」

 カリムは、初めて見るトコヨの民を見据えた。かつて聖王協会が虐げた、トコヨを信じる者達への行いを、思い出さない訳がなかった。無論、それを実行したのがカリムではなく、とうの昔の司祭によるものだが、長き苦痛を重ねて来たトコヨの復讐の標的にされないとも限らない。だが、カリムが心配するようなことは、全く持って杞憂だった。
 マヤは、カリムの心情を読み取ると、そのつもりはない事を示す。

「カリムさん、私は、貴女に復讐をするつもりで来た訳ではありません」
「では、何故?」
「別れの挨拶に来ただけです」
「別れ?」

 ティアナは怪訝な表情を作る。マヤが、この世界を離れるという事に違いないのだが、どうもそれだけではなさそうである。

「まず、マシュハードの一件は御存じですね」
「ッ! そうだ、マヤさん。何故、この様な事を!?」

 やや興奮気味に、ユーノはマヤに問い詰める。約束を反故にされたという気持ちもあるのだろうが、彼女もそれを察して、彼の理由を説明する。全ては、ウンデット・コーポレーションが送り込んできた武装集団に対する報復行動であることを。

「あの企業が、武装集団を‥‥‥!」
「しかも、管理局が躍起になって追っている犯罪者の、同業者だと言うんですか?」

 ティアナも知っている残虐な事件だけに、企業との関連があったことに驚きを隠せない。しかし、トコヨの持つネットワークに嘘偽りは無いであろうことは分かる。ワダツミの一族は、各世界に散らばり、その世界での動向を探って来たのだ。今回の一件も、マシュハードに派遣されていたワダツミの一族からの情報だった。

「もはや、今トコヨが存在する位置は、安全と言い難いものになりました。故に、別の新天地へ移動することを決めたのです」
「そう‥‥‥だったんですか」

 惑星の転移も驚くべき話であろうが、何よりも、ユーノにとっては気まずいものである。トコヨを発見する事が無ければ、今回の様な危険な輩が襲い来ることは無かったに違いない。安息の地として、静かに佇んでいたトコヨの眠りを妨げてしまった罪深さは、根深いものだろう。
 だが、落胆の表情で視線を下に落とすユーノに対し、マヤは責める事はしなかった。

「いずれ、見つかることは覚悟していました。見つかったとしても、静かにしてもらえれば良かったのですが‥‥‥現実は、そう甘くはなかったのです。我らが巫女マユミも、そう言っておりました」
「本当に‥‥‥申し訳ない」
「いえ。寧ろ貴方は、我々トコヨの為に、尽力を尽くしてくださいました。私たちワダツミは、ずっと忘れることはありません」

 その時のマヤの表情は、何処か柔らかい笑みを浮かべているのだと、ユーノは感じた。

「それに、今回の事で、少しだけ分かった気がします」
「?」

 何のことを言っているのか、ユーノや、ティアナ、カリムには分からなかったが、マヤは3人を見て続ける。

「私は、所詮、人間というものは何も変わらない、野蛮なものだと考えていました。けれど、以前、高町なのはさんに言われたことを思い出したんです。『全ての人間が、悪い人じゃない』と。永らくトコヨを虐げた人間は、本質は皆同じだとして、否定しました」
「なのはが‥‥‥」
「そして、今回の一件で、ユーノさんを始め、少なからず尽力された人達を見て、思ったんです。まだ、チャンスは残されていると」

 そう言いながら、マヤは、一歩、一歩と歩み寄ってくる。トコヨのホシノ・マユミは、かつての地球で、ある日本人を信じていたが、その期待を裏切られたことを知っていた。無論、それは約束した当人が破ったものではなく、周囲にいた人間によるものだということも知っている。何よりも、日本人としてトコヨへ同行した浜野が、親友は決して約束を破る男ではない事を、強く説得したものだった。
 やがて、3人の目前にまで接近すると、歩みを止める。

「私は、この星のトコヨを信じる者達を連れて、トコヨへと赴きます。そして、新たな同胞達と共に、新たなる世界へ赴きます」
「しかし君は、この世界を監視する為に来ていたのだろう? 信者達を率いていったら‥‥‥」
「えぇ。私の役目は、この星を見続ける事でしたが、今日で、それも終わりです」
「‥‥‥何故、ですか」

 そう問いかけたのは、カリムであった。

「先ほど、私が貴女に言ったことと同じです」
「?」

 よく理解できていないカリムに、マヤは説明した。これまで、ミッドチルダにおいて、トコヨに害を成す行為をするであろう管理局や、聖王教会を中心に監視してきたマヤ。だが、近年においては、管理局はもとより聖王教会でも、トコヨの民を排除するような動きは見られていなかった。それだけ、組織としても変化してきたことなのだろう。よって、マヤはミッドチルダは監視する程に問題は無いとして、結論付けたのであった。

「何よりも、この世界にはユーノさんがいらっしゃる。そして、貴方を支える多くの仲間がいる。それだけでも十分なのです。ですが‥‥‥」

 一度言葉を区切るマヤは、名残惜しそうな眼差しでユーノを見つめる。

「本当は、ユーノさんにも、来て欲しかった」
「それは‥‥‥」
「無理な事は承知しています。ユーノさんには、ユーノさんの世界がある。大切な人もいる‥‥‥ただ、トコヨの事は、忘れないでください」

 そう言いながら、マヤは右手を差し出した。ユーノも、それに応じて右手を差し出し、握手する。マヤの手は、とても細く、あまり力を入れると壊れてしまいそうな感触だった。何よりも、彼女の手は、正真正銘の人間の手―――血肉の通った暖かい手であることを、改めて感じた。ユーノは、彼女の手を優しく握り返す。
 しばし、目線が合ったが、マヤは握っていた手を離すと、そばに立つティアナを見る。

「ティアナさん」
「は、はい」

 唐突に呼ばれて困惑するティアナに、マヤは、ふと1枚の折りたたまれた紙を差し出す。

「ミシェルさんから、貴女に渡してもらいたいと頼まれました」
「え‥‥‥ミシェルからって‥‥‥どういうこと?」

 自身のパートナーがしたためた手紙を受け取り、戸惑うティアナ。そもそも、どうしてマヤが、ミシェルの手紙を持っているのか。疑問が次から次へと湧き出してしまうティアナは、渡された手紙とやらを開く。その中身を一読するや、驚愕の告白内容に愕然としてしまった。


“ティアナさんへ―――

私は、トコヨへ同行することを決めました。これは強制されたものではありません。自らの意思によるものです。

きっと驚かれている事かと思いますが、今回の一件で考えていて分かったんです。自分にもトコヨの血が流れているんだと。

そして、貴女の信頼を裏切る形になってしまいましたが、1年間もの間、私を補佐官として使って頂いて、本当に感謝しています。

私にとって、ティアナさんは、お姉さんの様な存在でした。取り柄のない私に親身になってくれて、励ましてくれて、とても嬉しかったんです。

ですが、私はトコヨへ向かう事になった以上、お会いする事も出来なくなります。ティアナさんにとっては、私の選択は我侭であり、無責任であり、恩知らずと思うかもしれません。

そう思われて当然ですし、甘んじて、その怒りを受け止めます。

けど、感謝しているのは本当です。私は、貴女をずっと忘れることは有りません。

ティアナさんが、これかれも執務官として、世界を護る立派な人に慣れるよう、祈り続けます。

そして、どうかお元気で‥‥‥

―――ミシェルより”


「どういう‥‥‥ことですか、これは」

 手を震わせながら、視線を手紙に落としながら問いかけるティアナ。ユーノとカリムは、何が書いてあったのかと気になる。

「ミシェルが、トコヨへ‥‥‥旅立つと言うんです」
「!?」

 ミシェルは、ティアナの補佐役として短い期間ながらも、頑張ってティアナを支えた存在である。自身を取り得の無い魔導師だと、自虐的な事まで呟いていた彼女を、ティアナは信じて全てを任せてきた。それによってミシェルも自信を持ち、先日のトコヨの一件でも、危険を顧みずにティアナに同行して、少しでも手助けをしたいと言っていた。
 だが、ふと思い返す。ミシェルは、トコヨの遺跡が荒らされているのを知って、異様に心苦しくなることを言っていた。ティアナとしても、そう言った気持ちはあったが、ミシェルの場合はその気持ちが強かったように思える。

「彼女もまた、トコヨの血を引く者。彼女自身が、自らの意志を決めました」
「本当に、ミシェルが‥‥‥」

 未だに信じ難いと、ティアナはやや呆然となる。

「マヤさん、本当に、そのミシェルと言う人は、トコヨの一族なのですか」

 ユーノが代わりに尋ねる。

「はい。それに、彼女だけではありません。このミッドチルダにも、多くのトコヨを信じる者、血を持つ者がいるのです」

 どれ程の規模なのかは触れなかったが、兎も角、かの第97管理外世界の地球で起きたように、このミッドチルダでも、トコヨを信じる者達が旅立とうとしている。マヤによれば、既に旅立つ為の宇宙船に乗り込み済みであり、後はマヤが戻って発進するだけだというのだ。
 半ば放心状態だったティアナは、立ち去ろうとするマヤに気付き、慌ててミシェルの事で頼みごとを口にした。

「マヤさん。ミシェルに、これを‥‥‥」

 ジャケットの内ポケットから取り出したのは、かつて自身が使っていた髪留め用の黒リボンだった。執務官の補佐官として、新たな一歩を踏み出した際に、これまでの自分との別れを付ける為に、髪形をツインテールからストレートに変えていた。それでも、過去の自分を戒めとする意味合いから、捨てずに持っていたのであった。
 その黒リボンを、1つだけマヤに手渡す。

「これは?」
「以前、私が執務官になる前までに、使っていたものです。これを彼女が使うかは分かりませんけど‥‥‥1年、支えてくれたお礼と、私もミシェルを忘れないって意味を込めて‥‥‥渡してくれませんか?」
「‥‥‥いいですよ。ミシェルさんに、お渡しします」
「それと‥‥‥ミシェルを、よろしくお願いします!」

 そう言うと、ティアナはピシッと形の良い一礼を、マヤに向かって行った。それを見たマヤも、やや優しい表情を浮かべた。

「貴女の気持ち、必ず、お伝えしましょう」

 そう言うと、黒リボンを袖にしまい込んだ。

「‥‥‥では、皆さん」

 そして、例の手を合わせる姿勢を取ると、最後に一言だけ、去り際に呟いた。

「さようなら」

 次の瞬間には、マヤの姿は無くなっていた。まるで蜃気楼のように揺らめき、消えてしまったのだ。

「‥‥‥お元気で」

 ユーノも、去ったマヤと、トコヨの住民に対して祈った‥‥‥。
 場所は変わり、とある森林地帯の一角。外見では分からないが、森林地帯の地表内部には、まるで地下秘密基地の如き施設が存在している。縦長に彫られた広大空間の中に、昔ながらのロケットが格納されているのだが、かの地球を飛びだったロケットと全く同一タイプであった。この中に、多くの信者達や血を引く者達が乗り込んでいるのだ。
 なお、目的地に到着するまでの時間が長いことを想定して、一種の冷凍睡眠モードに類する特殊な装置が、ロケット内部に完備されている。大人1人が入るには十分な大きさをした、勾玉を模した小型の装置に乗り込んで到着までの間を待つのである。現に50人余りが乗ったカプセルが浮遊している。
 ロケットの乗り込み口に、ミシェルはいた。彼女は白装束に身を包んでいる。そして、何よりも、彼女の両手にはトコヨの人間であることを示す紋様が刻まれていた。既に、彼女は立派なトコヨの人間として認められ、自身も自覚していたのだ。
 そんなミシェルの前に、マヤが現れる。

「お待ちしていました、マヤさん」
「待っていたのですか」
「はい。その、ティアナさんのことで、気になって‥‥‥」

 1人だけ、勾玉のカプセルに入らず待っていたのは、それが理由だった。かの上官であるティアナが、どう反応したのか、怖いと思いつつも知りたかったからである。マヤは、そんな彼女の様子を見て、ふっと笑みを溢しつつも安心の声をかけた。

「大丈夫ですよ。ティアナさんは、貴女の旅立ちを応援してました」
「そう‥‥‥ですか」
「それと、貴女にこれを渡してほしいと頼まれました」

 マヤは、先ほど渡された。黒リボンを袖から取り出すと、ミシェルの右手をそっと取り、掌に黒リボンを置いて軽く握らせた。

「これは?」
「ティアナさんが、執務官になるまでに使っていた髪留め用のリボンで、2つある内の1つです。お互いに忘れないようにと」
「ッ!」

 ミシェルは驚いた。てっきり、嫌われたのではないかと思ってばかりいたのだ。とりえの無いBランク魔導師である自分を励まし、フォローするよりも、される側が多かった自分に対して、ティアナは忘れないようにと、リボンを渡してくれた。もとより嫌われる覚悟であっただけに、彼女の気遣いと気持ちを知ったミシェルは、自然と手を震わせた。

「私、ティアナさんに、呆れられるかと思ってました。あんなに、私を励ましてくれて‥‥‥本当なら、私が色々とサポートしていかなきゃいけないのに‥‥‥そんな私を1年も傍に使わせてくれたのに‥‥‥自分勝手にトコヨへ向かうのに‥‥‥ティアナさんは‥‥‥」

 ふと、視界が霞む。気持ちが溢れ返ったのと同時に、それが感情の涙となって溢れだした。ポタリ、ポタリ、と頬を伝って顎から涙が滴り落ちると、その涙が手元のリボンに数的掛かる。同時に、リボンを軽くキュッと握り締めた。
 まるで姉のような存在だったティアナの姿は、憧れでもあった。そのティアナに、心配を掛けられ、忘れないとまで言ってくれた。その証として、黒リボンを渡してくれたのだ。本当に、言葉にならないほどの感謝の念が噴き出す。ミシェルは、自分には勿体ない人だと思ってしまう。
 啜り泣きが聞こえるミシェルを、マヤが優しく抱き締めると、彼女の波打った黒髪を優しく撫でた。

「さあ、行きましょう」
「‥‥‥はい」
「貴女は1人じゃありません。私達がいる。そして、貴女の慕ったティアナさんも、傍にいるのです」
「わかりました‥‥‥ありがとう、ございます」

 涙は辛うじて止まったが、泣いたことが一目瞭然な表情のミシェルは、ティアナの黒リボンを握りしめつつ、ロケットへと乗り込んだ。
 例の勾玉のカプセルに乗り込む直前、ミシェルは、早速と受け取った黒リボンを、己の髪に縛り付ける。元々は、肩にかかる程度な短めのミディアムロングだったが、それを全部うなじに纏めて、黒リボンで結んだのである。日本で言う一本結びと呼ばれる結び方だった。これで、いつまでもティアナと一緒にいる事になるのだ。
 ミシェルも、気持ちを新たにして、カプセルに乗り込み、しばしの間をそこで過ごすこととなる。

「では、参りましょう。トコヨへ」

 ロケットのエンジンが点火したのは、マヤの最後の一言と同時だった。
 1つの宇宙船が、ミッドチルダを飛び立つ。昔ながらのロケット型をした巨大な宇宙船は、とある森林地帯の一角から発射されたのだ。白い煙をモクモクと吹き出しながら、宇宙船は一気に大気圏を飛び越え、そのまま宇宙空間へと飛び出して行く。首都から離れているとはいえ、それは首都からでも解る程のエンジンの光、そして白い白煙が煙突の様に伸びていくのが分かった。
 無論、これを管理局は補足したのだが、次元航行部隊が駆け付けるよりも早くミッドチルダを離れた。更には、レーダーに捕捉されない様、特殊なジャミングを行い、光学的にも、魔力的にも、感知する事は出来なくなっていたのだ。結果として、ロケットは補足されることも無いままに、ミッドチルダを完全に脱したのであった。


エピローグ



『―――次のニュースです。先日発見された遺失世界トコヨは、突如として姿を消しました。これは、時空管理局関係者からの話から判明したことですが、これに関して、学会や研究会では落胆の様子です。なお、トコヨに深く接触した、無限書庫司書長のユーノ・スクライア氏は、次のようにコメントしました』
『学会としては、確かに貴重な世界だったかもしれません。ですが、トコヨは、長年に渡って虐げられ、細々と暮らして来た人々がいます。彼らにも、当然のことながら生きる権利はあります。本当は、共存していくことを望んでいましたが、私利私欲に動く人たちがいた為に、立ち去ってしまったのでしょう。次に彼らと会えるとすれば、本当に平和な時かもしれません。兎も角、私としては、トコヨをそっとしておくべきだと考えます』

 次元世界では、当然のことながら、姿を消したトコヨを題材にして各メディアが報じていた。その中には、ユーノも当事者の1人として引っ張り回される事態となったが、ユーノはとかく、トコヨはそっとしておくべきだという主張を強く発し続けていった。
 それから約1ヶ月後の事だ。転移したトコヨでは、これまで通りの、平穏な日々が送られていたが、変わったことがある、それは、ミッドチルダから移動してきた、ミシェルを始めとする新規の住民達が増えたことは勿論だ。だが、そんな平穏なトコヨの村で、実は1人の人間が生まれ変わり、トコヨの住人として生活をスタートさせていた。

「うぅ‥‥‥あたしは、こんな事に慣れちゃいないんだよ」

 それは、野菜を不慣れな手つきで切っている、見た目が20代前半程の若い女性だった。黒髪のショートヘアに、やや勝気な印象を与える目元が印象的である。全く持って家事とは迂遠な雰囲気を醸し出しているが、実際のところは迂遠も良いところであった。

「エミルさん、少しづつ慣れれば良いんですよ」

 そう言ってフォローするのは、あのミシェルだった。短い間ではあるが、トコヨの血を引いている彼女は、ここの生活に慣れていった。文明レベルは、けっして高いものとは言わないが、第97管理外世界レベルと同等と言えた。一昔前の集落と言った雰囲気ではあるが、トコヨ独自のエネルギー文明によって、夜間の生活には不自由しない。
 ミシェルの励ましを受けた、エミルと呼ばれた女性は、面倒くさいと言わんばかりの視線と態度で返す。

「まったく、こんな年下の娘にフォローされるなんざ、夢にも思わなかったよ」
「フフッ‥‥‥」
「あんだよ」
「いぇ。一緒にがんばりましょう、エミルさん」

 屈託のないミシェルの笑みに、面食らうエミル。ぶっきらぼうに、顔を背けると、未だなれない家事作業に専念を始めた。

(本当によぉ‥‥‥人を殺す武器しか握ったことがねぇアタシが、こうして、普通の生活をするなんざ、夢にも思わなかったよ)

 実は彼女―――ベミル・ルヴェンツェンの生まれ変わった姿であった。かの襲撃事件で、マユミに完敗したベミルは、敗北の屈辱感と恐怖の重圧に押し潰される中で、マユミに止めを刺される筈だったのだ。地面で這いずりながら、生きることを望んでいた哀れなベミルに対し、浜野が助け舟を出したのである。

「彼女も被害者だ。マユミさん、助けられないかい?」
「助ける? しかし、ECウイルスは、治療不可能な病。助けたとしても‥‥‥」
「肉体を移すのなら、大丈夫だろう?」
「!」

 それは、トコヨが行う事の出来る肉体転移の技術だった。要するに、心と身体を入れ替えるようなものだ。ECウイルスの治療が確立されていないのなら、彼女の魂を、別の肉体に移せば良い。さすれば、ECウイルスなど気にする必要は無い。これは、やや大変な作業となるのだが、出来ない事ではなかった。
 そして、肉体転移を行う為には、当然のことながら器となるべき肉体が必要となる。その肉体は、保管所に安置されている亡くなったトコヨの民の肉体だ。これは、かつて、トコヨを目指していた人々の中で、惜しくも命を落とした者達の亡骸である。そういった者達の亡骸を、腐食しない様に永久保存していたのだ。無論、遺族や本人の意向によっては、自然に還ることを望んだことから、それを尊重して丁重に葬られることも珍しい事ではない。
 ともあれ、マユミは、瀕死のベミルに対して止めを刺すことを止めた。

「貴女に問います。生きたいですか」
「い‥‥‥生き‥‥‥たい‥‥‥よぉ」
「全ての罪を背負い、償うことを、誓いますか?」
「ぅえ‥‥‥?」

 痛みが引かない中で、ベミルもマユミの問いに理解が追い付かなかった。この期に及んで、償うとはどういう訳か。

「貴女の病を治すことはできなくとも、別の方法で生かすことはできます。しかし、それも、罪を背負って生きていく覚悟があればこそ。そして、貴女は文字通り生まれ代わります‥‥‥違う姿で生きていくのです」

 次に、浜野が口を開く。

「君は、多くの命を奪った。しかし、君の身体に滲んでいる病が原因だ。許されることではないが、君もまた被害者だ。彼女の言う様に、これまでの罪を背負い、償う意思を持って生き続ける覚悟があれば、肉体を入れ替えて生き延びることが出来る」
「わ、私は‥‥‥」

 生きられる。それが、今の彼女にとってどれほどに光に満ちたものか。だが、自身もまた、人の命を奪ってきた自覚はある。生きる為という建前を使って、雇い主の命令通りに虐殺を繰り返して来た。そんな自分が、生きて行く資格があるのか。だが、彼女は生きることを選んだ。

「生きたい‥‥‥姿形が変わっても‥‥‥生きたい‥‥‥」

 ベミルは、痛みをこらえながら、歯を食いしばりながらも答えた。

「‥‥‥いいでしょう」

 彼女の選択を聞き入れたマユミは、ベミルの魂を肉体から移し替えることを認めた。後日、ベミルは“エミル”として新たな生活を送ることとなった。今尚、彼女は、普通の生活に馴染む事に苦労をしつつも、少しづつ、人として歩みを進めていくのである‥‥‥。



そこには、計り知れない未知の世界があった


遠い過去と、遥かな未来が一つになった世界があった


そして貴方は、貴方の隣にいる人が何者であるか分かっていますか?


いや、それより、自分が何者なのか、何をしようとしているのか、分っているのでしょうか


私達は、一度立ち止まり、自分を振り返る必要もあるのかもしれません


その時こそ、本当の自分の姿が見えてくるのかもしれません


―― スクライア一族 ユーノ・スクライア ――





〜〜あとがき〜〜
第3惑星人です。リリカルQ、ようやく完結しました。掲載開始から1年かかりましたが、如何でしたでしょうか。
今回登場したマシュハードや企業ウンデット・コーポレーションなどは、無論、私の妄想です。ナギラをまたひと暴れさせる為だけに用意しました。
あと、ベミルの件ですが、救いがあっても良いのではないか、というお声を頂いたのがきっかけで、こうなりました。
というよりも、私自身、救いの場面を入れるべきか悩んだ末に、止めを刺す場面を敢えて書いてませんでしたが、そういったお声を受けて、今回のシーンを描くことを決めました。
なお、肉体の入れ替えが可能かなのは不明で、完全な個人的妄想です。
ようやく、記念作品シリーズは、一先ずの完結となります。
お読み頂きありがとうございました。



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