紅蓮が渦巻き陽炎が揺蕩う。揺らめく遠景の果てに何があるというのだろう。
私は瓦礫を掻いて虚ろな空へと手を伸ばした。炎熱が肌を焼き、腐臭が鼻を衝いた。
そこここに、死が溢れていた。路肩に車道に街頭に、ほんのり彩りを遺した家々、干上がった河、焼かれ落ちた教会、地に空に炎の中に。

「――はぁ」

私もここで死ぬのだろう。ふと、そう思った。屹度それは逃れられない現実で。



生きたいと、そう願うのはきっと罪で。




「……はぁ」

私は重い重いため息をついた。瓦礫に潰された右足にはとっくの前から感覚なんてなかった。
血がどくどく流れて体が冷たくなっていくのが分かる。
どうして世界はこんなにも紅くて、こんなにも熱いのに私の体はこんなに寒くて震えているのだろう。

どうして私は死んでいくのに私を見下ろして下卑た笑みを貼り付けているこいつらは死なないのだろう。

「あ――ア、ぁ――?」

霞む視界の中におぼろげに見える紅い世界は、途方もなく美しかった。
これで私は最後なのだから、もしかしたら見納めに残酷なこの世界も憐憫を垂れてくれているのかもしれなかった。
少しの慈悲があるのなら、真っ先に私を殺してくれればよかったのに。

「なかなか上玉じゃねえか。まだ生きてるしよ、掘り出しておくか?」

耳障りな声が聞こえる。揺蕩う世界に抱かれて霞んでいく視界にも関わらず、耳は割りと聞こえるらしい。
なんという理不尽。視覚も触覚も磨耗していくというのに、こいつらを見ずに済んで心底ほっとしているというのに、どうしてこいつらの声は聞こえるのだろう。
もうゆっくりと眠らせてほしいのに、耳障りな薮蚊の羽音のようにこいつらの声は私の耳に粘っこくまとわりつく。

「好きだねぇ。だが悪くない。まだあったけえ内にヤっちまうか」

私はここで死ぬのだろう。いや、もしかしたらもう死んでいるのかもしれない。だって紅蓮の世界は余りに残酷なほど綺麗で、
私は屹度物語の中に遊んでいるのだ。脚は痛くないし、ただ少し寒い。眠っているのなら誰か毛布をかけて欲しい。
こんな流麗で物悲しい絵のような世界、空をも超えて天に昇る燎原、灼熱でなくてなんであろう。
もしも氷のような灼熱だとしても、私がここで震えているなんておかしい。だからこれは(うた)の場所で――屹度、私は死んでいる。

震える手は虚空を彷徨うように寂しく揺れる。視界は霞んで世界は紅くて。

紅いのはもしかしたら私から失われた熱なのかもしれない。

理不尽だ。どうして私はここで死んでいるのにこいつらは、死なないのだろう。
人の不幸を笑って嘲って食い物にするこいつらは、終末の世界にどうしてゴキブリのように生き汚くしがみ付いてそしてそれを愉しんでいるのだろう。

どうして――?どうして……?

これは罰なのだろうか。生きたいと願ってしまった私への罰なのだろうか。
この紅い世界は私たちが作り出した、現実を殺す幻想で。だから世界中が私たちに復讐をしているのだろうか。
今までのツケが回ってきた。夢幻の中でも架空の虚でも私の心の中を後悔と絶望と羨望とが()たして――。

でもどうして。

虚空を彷徨う手を、誰かが掴んだ。握らず、掴んだ。ぎちぎちと音がした。

「おい、そっち引っ張ってくれ。早くしないと死んじまうぜ」
「分かってるよ。死体とヤル趣味はねぇんだ」

視界を染めるのは終末の赤。私たちは終わりを彷徨う哀れな羊。屹度こいつらも、遅かれ早かれ終末に沈む。
終末を招いたのは私。臆病だった私たち。滅びるのをよしとしないで生き汚くしがみ付いた私たち。

なんだ、そうだったんだ。

唐突に、気づいた。

「……あは。」

もう、とっくに終わってたんだ。ならいいや。うん、いいでしょう?
薄暗い視界でも少しは見える。こいつらも怖がっている。精一杯虚勢を張って、滅びから逃げようとしてる。

でも無駄よ?もう終わりは止まらない。私が死んでも私たちが死んでも誰も彼もが死に絶えても、終わりは終わらない。
もう、どうしようもないんだもの。

「はァ……」

どうして――?どうして……?

私は自問する。もういいんだ。ここで私は死んでいく。私の、私たちの責任なのだから、私がこれからどうなろうとどうでもいいでしょう?
私の手は虚空を彷徨う。手首を掴まれ動けなくても、手首から先は虚空を彷徨う。
蜃気楼のような紅い世界を振り切るように、どこかにあるかもしれない、あったはずの違う場所を呼び寄せるように手招きするように。

もういいでしょう。だって全部終わってしまったのだから。私もここで終わりなのだから。もうどうしようもないのだから。

でも、どうして……。



どうして私はまだ生きていたいと願っているのだろう。









masked justice.


「大丈夫ですか、お嬢さん」

その声は突然だった。
私は霞む視界で声のしたあたりを見た。見たつもりだった。多分、私の目の焦点があっていないのだろう。私には何もみえやしない。
沈んでいく意識の中で、私は男たちの悲鳴と罵声を聞いていた気がする。あれは夢幻……真紅の世界で垣間見た幻だったのだろうか。

わからない。

どさん、と聞き慣れない音がして――地に落ちていた私の手を包むものがあった。

男の手のようだった。硬く、それでも暖かかった。

「はァ……?」

轟々と風が吹くような音を立てて、私の全てが燃えていた。私の、私たちの全て。
私たちが守るべきだったもの、私たちが救うべきだったもの、私たちの希望、私の、私たちの全て……。

脚がずきずきずきずき、痛んだ。とても痛い。
寒気がした。怖かった。
これは夢じゃない。幻じゃない。残酷な世界の残酷な現実だ。

私の右手を包み込む温もりが、ただただありがたかった。

私は前を向いた。霞んでいた視界はやっぱり霞んでいた。

誰なのだろう。私を引っ張りだそうとしていた男たちはどうなったのだろう。夢ではなかったのだろうか。
様々な疑問が私の中を高速で駆け抜けていったが、その時の私にはそんな事はどうでもよかった。

「―――……」

暖かかった。人の手のぬくもりというものがここまで尊いものだったとは知らなかった。
知らなかったから――視界が余計に霞んでしまった。




                                     もし私たちがこの温もりを知っていれば
                                     愚かな私たちももう少しだけ誰かに
                                     優しく出来たのかもしれない。

                                     もしかしたら、そうもしかしたら。
                                     私たちがもう少しだけ優しかったなら
                                     こんなに残酷な終末が来ることも 
                                     こんなに凄惨な最期に至ることも
                                     なかったのかもしれない。
                    
                                     それがよしただの結果論で
                                     ただの私の感傷だったとしても
                                     どうしても私には、
                                     そう思えてならなかった。


                                     それ程までに彼の掌(たなごころ)
                                     私を優しく包み込んで、それだけで
                                     今逝こうとしている私は生まれてきても
                                     よかったのだと無条件に思える気がして
                                     こんなにも残酷なこの世界で
                                     それでも私は生きていて。 

 


私は唇をかんだ。私はここで死んでいく。残酷な世界は私を殺す。いや、自業自得、私はなるべくしてここで死ぬ。
なのに、どうして世界はこんな私に憐憫を垂れてくるのだろう。


「私が来たからには何も心配は要らない」


男はふぉおおという掛け声と共に、私を押しつぶしていた瓦礫をどかした。瓦礫の崩れる音を聞きながら、私は笑ってしまった。
なんという理不尽。300キロはあるだろう瓦礫を簡単に取り除いてしまうなんてどこの超人なの?
笑いながら、私は唇をかむ。泣き出したいのを堪えるのも大変だ。
堪える必要なんてないのに、どうしてか私は泣きたくなんてなかった。よく分からないこの超人さんの前で無様な姿を晒したくなかったのかもしれない。

男は動けない私に代わって、止血をしているようだった。

無駄だと、思っていた。
もうどうすることも出来ないと。
祈って願って、不可能だと思って、諦めて。

けれど、不可能だと、終わってしまうのだと思っていた矢先にこんなキセキみたいな理不尽を見せ付けられた。
私はどこのお姫様?ピンチになると皇子様が助けにきてくれて、本当になんでこんな奇跡が?
紅蓮の世界で、終わりが近くて、もうどうすることも出来ないのに。
「何も心配は要らない」なんて、どうしてそんな希望を、微かな光を私に許してくれるの?

「はぁ……はぁ……ふ、ふ」

唇を噛み締めながら、私は笑った。なんだか、何とかなる気がした。私の、私たちのせいで終焉を迎えるこの場所で、私は奇跡を見たんだもの。
それは偶然なんかじゃなくて、どこかの誰かの必然なんだから。

「どなたかぞんじません、が、ありがと、う。でも、はやく、に、げてください。
 わたし、わたしたちがおかしたつみは、わたしが、どうに、か、しますから」

私はどうにか言葉をつむいだ。途中で何度か噛んだし、途切れた。うまく伝わっているのか、自信がない。
終末をとめる方法は、どうしたらいいのか。全然わからない。やり方なんてないのかもしれない。でも、私がやらなきゃ、もっとどうしようもない。
私は奇跡を見た。奇跡を見たからには、私には義務があるのだと思う。

受けた恩は倍返し、受けた仇は三倍返し、受けた奇跡は何倍返ししたらいいのかな。

今度は私が奇跡を見せる番なのだ。じゃなきゃ不公平でやってられない。
霞む視界の中で何かが動いた。思案している、のだろうか。そりゃ、私は結構な怪我人ではっきり言って頼りないだろう。
どうにかしますもなにも、寝てろって話なのだろう、彼にとっては。

「お言葉だがお嬢さん。ここをどうにかするのが私の使命。ですので貴女はしばらくおやすみになっておられるといい」
「………!?」

理不尽、過ぎるでしょう?
私たちの罪を、貴方が引き受ける必要なんて、無いでしょうに。
口を開いた拍子に、涙が溢れた。陽炎の中に、紅い世界に消え行く彼の姿を、私は確かに見た。
この時のこと、涙が丁度レンズの役割を果たして視界を確保したなんて、そんな説明は要らないと思う。
これはただ、奇跡の続きなのだ。人の手を離れた現象を止める彼は屹度、人ではないのだろう。

見た瞬間分かった。彼は正義の味方なのだ。だからここにきて、終末を止めるのだ。

紅い世界は煤煙を吐く。私の、私たちの罪の証。罰の欠片がこれだ。だったら彼は私たちを殺して、元凶を排して全部まっさらにしなきゃ。

でも、奇跡の対価は奇跡だけだと、その背は語っていた。私たちの命なんて要らないと、お前たちは生きて償え、と。

なんて残酷――やっぱり世界は優しくない。



Who says that he is Not a Ironman?

体は鋼で出来ている。

Fire is his blood,and that has been burned himself away.

血潮は灼熱、紅蓮を跨ぎ、混沌に座す。

Never have I forgot who you are.

彼、待ち人を知らず。己が身のみにて猖獗を討つ。

So,I will pray ever and ever――――God bless you......Mask of justice.

然らば牢記せよ、その姿こそ彼岸へと至る憧憬の矢、究極の姿――。





不意に、そんな詩が浮かんだ。私が出来るただ一つのこと。
彼の生き様をこの身に刻んで、終末の終わりを生き抜く。

そう、彼は鋼で出来ている。
何者よりも気高く誇り高く、熱く冷たく堅牢で。
悲しみを覆う仮面を被り、灼熱の赤を征くその姿は―――。



否、純白のパンティを被り網タイツを穿き、ビキニも真っ青なほどにブリーフを股間に食い込ませるその姿は―――!


「へ、変態っ!!」



そう、正義の味方だった。



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