偶然では、ない。

彼はそう考える。そう、偶然ではない。偶然では説明できない。
その日、彼が生徒会の手伝いをしていたこともその後間桐慎二が弓道部の仕事を丸投げしてきたことも、いや、これは可能性の一つでしかないのかもしれない。だが屹度間桐慎二が衛宮士郎を利用しようと思わなかったとしても、衛宮士郎は必ずその日校舎に残り、そして人外の戦争を見ることになる。偶然ではなく、必然に。

それは彼の経験でも、誰かの未来でも、過去でも永劫に変わることのない「運命」。

誰も手を加えなければそれは――己を尾を喰らうウロボロスのように、永久に回り続ける。
それは、彼の寂寥の紅い世界を構成する、錆付いた歯車のように。

それが悪いわけではない。少なくとも――意味などない彼の生涯において自ら意味を見出すとすれば、かの運命に感謝こそすれ悪いなどということは出来ない。




「―――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。

 ―――ここに契約は完了した」




あの日を覚えている。記憶が磨耗して自らの大切な人が磨り減って、自分さえも削り果たされようとしてもたった二つのことだけは必ず忘れない。それらだけが、自分を支え、導いてきた尊いモノだから。
そしてあの日のことは、そしてあの日々はそのうちの一つなのだから。
壊れた心でも、懐かしいと、かけがえのない日々だったと、認める。故に感謝する。
人でなく剣であった自分がそれでも人生と呼べるものがあるのならば、あの時こそそうだったのだ。

―――貴方の運命は私と共にある。

本当に、そうだったな、と思う。駆けて、駆けて、駆け抜けた。金砂の髪を持った彼女は確かに自分を守り通し、そして彼は英雄となった。
然るに、然るに運命は「変わらない」。
彼の望みも、かつての彼の望みと変わらない。
何も変わらず、零れず、彼は無限の荒野に立ち尽くす。

彼は風に問う。これが貴女の言った運命なのか、と。



懐かしいその日を前に、彼は屋上から眼下を見下ろした。隣には秀眉を顰める彼の「マスター」がいる。

「アーチャー、どう思う?」
「どうもこうもない。分かっているのだろう?」
「そうね。分かってる」

そうとも、これも運命。何一つ変わらない。もうすぐ、最後のサーヴァントが、かつて憧れたあの剣士がやってくる。

―――貴方の運命は、私と共にある。

死して変わらず、永久に違えぬ契約という名の運命の楔。

何一つ変わらない。変わらずに――回り続ける。永劫に終わることなく、「彼」は生まれ続け、そして磨耗するのだろう。
憧憬を抱いたまま、得た解をも見失い、赤土の荒野にて世界の歯車に成り()わる。
それを空しいとは思うけれど、悲しいと思うことはなかった。彼の在り様は正に赤土の荒野そのものだったのだから。
誰にも理解されることなく、誰をも理解することもなく。
ただ己のみで完結し、ただ己のみを追い求め、そして一人朽ち逝く。

……そうして至った無限の荒野。
そこにあるのは錆付いた歯車と、剣の墓標のみ。
肌を焼く赤風と熱砂の中、誰に理解されることなく、ただ歩む。

けれど、もしも、自分がかの剣の荒野に至らなかったとしたら……?
意味のないことだと理解しつつも、そう思うのを止められない。
恐らく、これはあいつも考えたことだろう――そう思う。だから殺意を胸に秘めてこの場に至った、自分と同じように……否、自分があいつと同じように、この地に至ったのだ。

殺すのには飽いた。紅い世界には飽いた。己の絶望に飽いた。自己の存在に飽いた。そして自らを消せるかも知れない方法は知っている。
帰結は一つだけだった。そして運命の導くままに、自分は敗北するだろう。
否――。彼はそこまで世界を信用しない。運命の導くままに敗北したとしてこの「私」が答えを再び見出しうるのかは、判然としないのだから。
所詮はこの自分は彼と同じ境地に至った他人であるがゆえに。
彼の絶望は、かつて希望を見た分だけ根深かった。

「君は、運命を信じるか?」

唐突に、訊いてみたくなった。朧な記憶の底に、泣きそうな顔をした女性がいた気がした。
いや、泣きはらした顔をしていたのかも知れない。どうしてそうなってしまったのか、今では微塵も思い出せないけれど、それを思い返すと壊れた心にも胸が締め付けられる思いがした。

だから――だから訊いてみたくなったのかも知れない。

あのヒトは屹度この少女が成長した姿なのだろう。運命に沿って生き、闘い、傷つき、倒れ、立ち上がり、裏切られ、そして死んだ。ゆえにその人生に意味などない。価値などない。だが、それが運命だったとしたならば、ああ、それはなんと―――。


―――なんと滑稽で無様な生き様か。


彼のマスターは一瞬呆けたほうに目を見開いたが、その後は寧ろ憎憎しげに此方を見た。

何か、勘違いしているな。

そう思ったが、口には出さない。出す必要も無い。今余計な情報を誤って与えてしまうことは出来ない。
それに、勘違いしていてくれたほうが、本音がきけるかもしれない。
ずいぶんと性根がひねてしまったのものだ――心中苦笑する。

「信じてるわ、一応ね。でもそれに従うかどうかは、わたしが決めることよ」
「…………!」

彼は息を呑んだ。自信に満ち溢れ水平の如く真っ直ぐな眼差しには一点の迷いも躊躇も感ぜず、それは余りに確固たる意思であり――彼はかつての誰かが、塵の如く積もり圧殺された記憶のどこかにそれと同じような意思があったことを思い出した。

誰の言葉だったのか、それも思い出せない。しかしこの意思だけは――見覚えがある。

そしてこの言葉は目前にある彼女に酷く似合っていた。

「そうか、実に君らしいな。その言葉を、あいつも聞いたのだろうか」
「あいつ?」

否、やつは聞いていない。彼は今初めて運命を少しだけ動かした。もしやつがこの言葉をきいていたのなら、やつは屹度――。

「―――クッ」

彼は口元を歪めた。そのつもりである。しかし霊体であるが故にその所作は表には表れない。

「気にするな。そうだな、ならば私も運命とやらに抗ってみることにしよう、そう言っただけさ」

いつから――?

一体いつから、自分は全て運命を信じるようになっていたのか?
まだ生きていたあの頃から?希望に満ちて死んだあの時から?死してなお理想が届かぬと知ったあの日から?それとも、それとも自分の願いが永遠に叶わぬと諦観したあの瞬間から?

ふざけるな。
湧き上がる憤怒は表に出さずに、彼は歯を食い縛る。
ふざけるな。
お前はいつから、勝利を捨てた?
勝てぬならば、想像の中で勝つまでではなかったのか。
自身で勝てぬならば、勝てるものを幻想するまでではなかったのか……!



そうとも、叩き壊そう。足掻き討ち果たし切り裂いて進むとしよう。
かつてと同じように、千を得るために五百を零すのならば、九百のために百を切り捨てよう。
それでも足らぬというのならば、五百と一のために四百と九十九を切り捨てて、そして我が剣は彼方を穿つ。

彼は左手を流眄する。そこには憮然とした表情のマスターがいる。ここに担い手は一人、己のみ。
されど信頼すべき協力者がいる。かの輪廻から脱することは、人の身にはあたわず。
それは英霊とて同じこと、否、英霊だからこそ脱し得ない極地がある。

しかしかの確固たる意思は――やもすれば運命を切り開く刃となるのではないだろうか。

運命に従うことは、悪いことではない。それが■■だったとしても、その結末が■■だったとしても、悪いことではない。
だが――最良でもない。次善ですらない。もし次善でさえあったのならば、彼は殺意を身に留めたりはしない。

故に――運命を切り開こう。その結末は知ったことではない。
生まれて初めての自分のためだけの我がままを、通してみよう。




ここに――――彼のためだけの聖杯戦争が幕を開けた。





masked justice.




<衛宮邸>



夢を見ている――夢の中で、そう自覚する。
何故ならばこの夢は昔から何度も何度も見ていて知っている。だからこれは夢。

イメージするものは、常に剣。

そこに意味はなく、さしたる理由もない。
ならば屹度それは衛宮士郎を構成する因子なのだろう。

霞が掛かったようにぼんやりと、剣が見える。
刀ではない――どうして剣なのか。自分自身理解できない。屹度そこにも理由などないのだろう。ならば理解する必要などないではないか。
イメージするものは、常に剣。
そこにあるのは西洋剣。具には見えず、しかし陰影から恐らくは、そこには精緻を極めた装飾が剣を彩っているのだ。

剣とは闘争の武具だ。しかし無骨な筈のそれにも美はあるのだと思う。

蒼い水の滴るような刀の機能美とは違い、剣のそれはもっと俗物的な、やもすれば下品とも取られかねない装飾がある。
だけど、霞む遠景の果てにある――ように思われる夢の剣は、違う。

匠の技とでも言おうか。そこにはただ、戦場に似つかわしくない、ただの清冽たる、ささやかな、それゆえに目を惹く美しさがあるのだと思う。
大まかな形しか認識しえないが故に、想像に補完された空想、それゆえの憧憬であろうか。

いや、屹度。

―――あの剣は美しいのだ。

夢の中で、衛宮士郎ははぁ、とため息を吐く。

遠くから白い光が見える、起床が近いことが分かった――。








「最近ね、大変なのよぅ」

行き成り何を言い出すのか、この虎は。
何が大変なのかさっぱり分からないが、とにかく何かが大変らしい。
その割には嬉しそうに朝食を平らげる我らが藤村大河を見て、大変らしい事象が実はどうでもいいことなのだろうと理解する。

今日もいつもと同じく、3人で食卓を囲む。俺、桜、藤ねえだ。
血こそ繋がっていないが、二人とも大事な家族だ。特に藤ねえには切嗣が逝ってから世話になりっぱなしである――食の世話は寧ろこっちがしているのだが。
藤ねえのがっつく箸の音、桜の控えめな箸の音、俺のおそらくは普通な箸の音が食卓に響いている。
テレビはつけっぱなしで最近多いガス漏れ事故のことを報道している――。

「はい?何かあったんですか?」

きょとん、とした表情で訪ねる桜。
飼育係の疑問に、藤ねえは薄い胸を張って自信満々といった風に構えた――。
そして何故か姿勢を正して、桜のことを真摯な目で見つめた。
俺はまた、どうでもいいことだろうと思っているので、わざわざ箸を止めることもない。
見詰め合う藤ねえと桜という微妙な空間に、かちゃかちゃと俺の椀の音だけが響いている。気まずい。

「最近ね、新都の方に――」
「……ぁ、ガス漏れでたくさんの人が倒れたっていう――?」
「変質者が出るらしいの」
「ぶっ」

何の話をするかと思えば……食事中にする話じゃないだろう!?
無言の抗議の目を向ければ、藤ねえはけらけら笑っている――畜生、俺がご飯を噴出したのがそんなに面白いのか。

「だから、ガス漏れの件もあるし桜ちゃん新都の方にはいかないでほしいなーと思うし、士郎にもしばらくアルバイト休んでほしいかなーとお姉ちゃんおもうのよぅ」
「……ぇ、あ、はい、分かりました。あの、藤村先生、わたしはいいのですが――」
「桜、俺のことは心配いらないぞ。これでも体は鍛えているからそこらの変質者には負けないつもりだ」
「まー士郎はそうかもねー。体が資本っていって結構鍛えてるからねー。
あ、その変質者筋骨隆々って話なんだけど、もしかして士郎??」
「……藤ねえ、次の夕食は覚悟しておけよ」
「ああっ!冗談、冗談だから、怒らないで士郎!」
「先輩が変質者……むしろいいかも」
「桜も藤ねえのくだらない言葉は気にしなくても……何か言ったか?」
「え、えええ、いえ、何でもないです!」

ぽっ、と赤くなっている桜が何かとても不穏当なことを呟いた気がして聞き返したが、何故か全力で否定された。
どうでもいいが、その、赤くなっている横顔がとても女性らしくなってきて、その、困る。
一成じゃないが、精神鍛錬が足りないらしい。魔術もその他のことも、自分との戦いだ。精神の鍛錬は必要不可欠だ、喝。

うむ、と瞑目し友人の真似をしてみるが、付け焼刃も付け焼刃に過ぎる俺には余り効果がないようだ。
そんな俺たちをみて藤ねえがにまにまと笑っていた。

なんだよ、言いたいことがあるなら言えばいいだろう。

「初々しいわぁ。ふーん、やっぱり士郎ってそうなんだー」
「やっぱりって何だよ。言っとくけどさっきの発言をまだ許したわけじゃないからな」
「あちゃ、やぶへびだったか」

今日もまた、いつもどおりの食卓だった。







藤ねえが家を出た後、俺たちも戸締りをして家を出た。

「先輩、今日の夜から月曜日までお手伝いに来れませんけど、よろしいですか?」
「?、別にいいぞ、土日だから桜だって付き合いがあるだろう?」

何を当然なことを。俺は桜を家族だと思っているが、召使だとか使用人だと思ったことは一度もない。
桜も付き合いがあって当然だし、衛宮の家に拘束することなんてできない。
そりゃ、桜がいなければ少し食事が寂しくなるだろうが、桜が手伝いに来る前はそれが当然だったんだ。
今までが恵まれすぎていた、それだけだろう。

「え――そんな、違います!そういうんじゃないんです、本当に個人的な用事で、ちゃんと部活にも出るんですから!
だ、だから何かあったら道場に来てもらえれば何とかします!
あ、あの、土日だから遊びにいくとか、そういうんじゃないんです。ですから、あの、ヘンな勘違いはしないでもらえると助かります」

……?
何でそんなに慌ててるんだ?
いまいち、桜の言いたいことが分からない。だけど、今日の夜から土日は何か用事があって家にはこれない、と。
とりあえずそういうことだろう。
うん、了解。

「分かった。何かあれば道場にいくか、藤ねえに連絡を頼むことにする」
「あ、はい。そうしてもらえると助かります」

ほう、と桜は安心したように胸を撫で下ろし――視線を下に向けたところで固まった。

「先輩――手……」
「??」

桜の視線には俺の左手がある。俺の桜につられて自分の手を見た。
見ると、ぽたり、と赤い血が中指を伝って零れ落ちていた。
何故だろう?昨日ガラクタいじりをしていたときに切ったのだろうか?
裾をたくし上げてみると、痣があった。肩口から手の甲まで一直線に、細い蛇のように伸びている。
何かに集中していると、怪我をしても気づかないことが往々にしてある。

風呂に入ってみると、あ、何か痛いな、と気づいて、ああ、そういえばあのとき、怪我したのかな?

と思い出すこともかなりあった。だけど、昨日には心当たりがないな……?

「いつの間に切ったんだろう?だけど痛みもないし、すぐ引くだろう。心配するほどのことじゃない」
「……はい。先輩がそういうなら、気にしません」

血を見て気分を悪くしたのだろう、桜は俯いてしまった。

……?

何故か、違和感がある。拭い去れない違和感が……?
■は俺の■を見たことがなかっただろうか?いやそれ以前に俺が小さな怪我をしたときに騒ぎ立てたことはあったけど俯いてしまうようなことがあっただろうか。

「?」

俺は違和感を抱いたまま、学校に向かった。








桜とは校門で別れた。部活があるのである。部活をしていないにもかかわらず朝早く登校する俺の方が異常なのだ。
校庭も朝練の生徒たちで活気に溢れて――?

何だろう、この違和感は。

朝練に励む生徒は活気に溢れ、校舎には染み一つない。それにもかかわらず。

何故、目を閉じると生徒たちは虚ろな顔に、校舎には粘膜で覆われたかのような汚れがあるんだ?
気のせいか……?

「疲れてるのかな、俺」

いつもどおりの朝だったんだ。ちょっと寝坊したくらいだ、寝不足ではないはずだ。
だから今日もいつもどおりでないはずはない。
今日もいつもどおり授業を受けていつもどおり帰宅し、いつもどおり鍛錬し、いつもどおり就寝するはずだ。

頭を振って、思考をクリアにすると、俺はどこか元気のないように感じられる校舎に足を向けた。










土曜日は半日で授業が終わる。いつもどおり生徒会、というか一成の手伝いをして気が付くともう夕暮れになっていた。

「よし、帰るか」

荷物をまとめて、教室を後にする。






扉を開けると、そこはワカメであった。






どうして海草が空中に生えているのだろう――?

不審に思い、手を伸ばす。もしこのワカメが新鮮ならば今日の晩御飯はワカメの味噌汁にワカメとシラスの酢のものもいいかもしれない。実はワカメをさっと茹で、刺身醤油でいただくもの結構おいしいのである。
茎のシャキっとした触感にあっさり醤油がよくあうのだ。わさびをつければぴりりと味にアクセントが出る。

「何すんだよ!?」
「ぇ――?、あ、ああ、慎二か……?」

ワカメかと思ったものはなんと慎二の髪だった。青々ゆらゆらと海草そのものなのに髪だというから驚きだ。屹度ミネラルが豊富なのだろう。昔一度慎二の髪を煮たら食えないものかと思案したことがあるが、結局採らせてもらえなかったのを思い出した。

……今日は朝から疲れているようだ。まさか友人の髪をワカメと間違えるなんて。いや、そっくりなのだが、ワカメが空中に根を張っているはずないではないか。

よく見れば慎二の後ろには何人か女生徒がいてがやがや騒がしい。

「ふん、やることもないのにまだ残ってたの?ああそうか、また生徒会にゴマすってたわけね。
いいねえ衛宮は、部活なんてやらなくても内申稼げるんだから」
「生徒会の手伝いじゃないぞ。学校の備品を直すのは生徒として当たり前だろ。使ってるのは俺たちなんだから」

間桐慎二とは中学からの付き合いで――まあ色々あって今は疎遠になっている。
だけど慎二は気難しい天才肌で気まぐれだ、またちょっとしたきっかけで元通りになるだろう。
なれない内は気に障るだろう嫌味な喋り方をするが、これは慎二の味であり、慣れてしまえばどうということもないのだ。

それにしても慎二の言い分はおかしい。部活は内申を稼ぐためのものじゃなくて、自己の修練や趣味の問題だ。
と、いうか何故慎二はここにいるのだろう?部活は終わったのだろうか?
弓道は集中力を必要とするから、長時間の鍛錬に向いてはいない。基礎体力作りは必要だから走りこみや腕立て腹筋、筋力トレーニングは必要だけど、これらもやりすぎると逆に筋肉が萎縮してしまう。

だから、全部合わせて3時間程度になるはずなのだが……お昼1時30から始まったとして、この時間に校舎内にいるのは不思議だ。

「ハ、よく言うよ。衛宮に言わせればなんだって当たり前だからね。そういういい子ぶりが癇に触るって前に言わなかったっけ?」
「む?……すまんが、よくおぼえていない。それ、慎二の口癖だと思ってたから、どうも聞き流していたみたいだ」

慎二は何故かムっとした表情をした。なんでさ。(ワカメ)にカルシウムを取られてしまっているのだろうか。
日本人の必要栄養素のうち、カルシウムだけは足りてないと聞いたことがあるが、よし、桜に間桐の家にはにぼしが必要だといっておくとしよう。

「そうかい、それじゃあ学校にある物ならなんでも直してくれるんだ、衛宮は」
「何でも直すなんて無理だ。せいぜいが面倒見るくらいだ」

慎二は何故か怒っている。その理由は分からない。もしかしたら――目を閉じると見える変に濁ったこの空気のせいかもしれない。
疲れているのか、と、初めは思っていた。実際、慎二の髪がワカメに見えたときは本気でそう思った。
だけど、今集中してみると、この異常が気のせいでないことが分かる。何かおかしいのだ。

「よし、なら頼まれてくれよ。うちの弓道場さ――」

とにかく、こんな状況で友人を学校に長居させるのはあまりよくないかもしれない。
俺は慎二に頼まれ弓道場の整理を引き受けた。

それが――運命だとは気づかずに。








<屋上>



わたしたちは怪人青タイツに襲われていた。怪人青タイツ――その獲物からして恐らくはランサー。もしくはバーサーカー。
何が愉しいのか青タ――ではなく、仮ランサーはわたしを、いや、わたしたちを見てにやにや笑っている。
わたしはそれを見て、こいつ、獣みたいだ、と感想を持った。

別に、顔が獣染みてるとか、ちょっと事実なんだけど、そういうことじゃない。
なんというのだろう、体付き、というか、雰囲気、というか。怖ろしく俊敏な、猫科の野生動物を彷彿とさせるものがランサー(仮)にはあった。

本能が危険を告げている。分かってる。こいつと、屋上で戦うのは死を意味する。
大体わたしのサーヴァントはアーチャーだ。広く遮蔽物のないフィールドでこそ真価を発揮する。
狭く不安定なここは、槍使い(ランサー)の独壇場……!

正直に言おう。わたし、遠坂凛は、吐き気がするほど怖ろしい。
言っておくが、わたしが吐き気がするほど怖ろしいわけではない。タイツが怖ろしいのだ、あれ?
タイツが怖ろしいのじゃなくて、タイツを着てるやつが怖ろしいのだ。うん。
くれぐれもわたしが怖ろしいとか誤解なきようにお願いしたい――と心中わけのわからない葛藤をしつつ緊張を解す。

「凛……!」

怪人赤マント……じゃなかった、アーチャーの声がする。緊張を含んでいる。当然だ。
ここは敵のフィールド、わたしたちには圧倒的に不利――!

「分かってる、任せて……!」

とりあえず、この場を離脱しなければならない。そうしなければ、わたしたちはここで――殺される。
死の実感がある。わたしでさえ感じるのだ、英霊たるアーチャーも当然分かっている筈だ。
ランサーはサーヴァント一俊敏であると言われる――ならば、わたしたちが逃げ切れないのは道理。
アーチャーは分からないけど、人間の魔術師であるわたしではランサーの足から逃げることは出来ない。

ならば戦闘。できるだけ有利な地形で。

フェンスを飛び越え、屋上から落下する――!

遅い!自由落下ではダメだ!
すぐに回避行動をとって屋上から逃げたのはいい、だけどこの速度じゃ追いつかれる!
風が頬を凪ぐ。髪が揺れて棚引く。屋上を見るな!見た瞬間にあの槍がわたしを穿つ……!

「――――ッ」

魔術刻印を赤熱させる――重力を加速させる。体が引き絞られ、夜風が身を裂く。

「アーチャー、着地、任せた!」

声も無く、頷くのが分かる。なら大丈夫、一瞬歯を食いしばり着地の衝撃に耐えて、次の瞬間走り出す。
真上が一番危ない。あのまま追いすがられていたのなら、頭部という弱点を晒したままになってしまう。

最初の脱落者だなんて不名誉はごめんだ――!

100mを7秒で走る。常人なら残像しか見えない速度だ。だけど、そんなものは……。

「いい脚だなお嬢ちゃん。ここで仕留めるのはもったいないくらいだ」

サーヴァント相手には何の意味もなかった。

「アーチャー!」

わたしが後ろに引くと同時に、アーチャーが実体化する。
曇天の空の下。それでも月明かりは雲の合間を縫ってアーチャーを照らす。

「いいぜ、話の早いやつは嫌いじゃない……」

ランサーはひゅぅ、と口笛を吹いた。その手にするのは真紅の魔槍……超一級の神秘。
ごう、と、質量さえ伴って、真紅の槍は旋風する。青いタイツに赤い槍。青い全身タイツというところで理性なきバーサーカーの可能性も考えたが……あの俊敏さを見るにやはりこの男はランサーなのだろう。

「お前、セイバー……って感じじゃあねえな?
何者だ、てめえ」

ランサーを見て――わたしの体は凍りついた。
圧倒的なほどの……死の気配があった。屋上でのものとは、比べ物にならない。まったくの別物だ。
助からない。本能的に悟る。ありえない。ここから逃れるすべはない。
歯の根がかみ合わない程に――怖ろしい。

「………」

アーチャーは、無言で一歩前に出た。それはまるでわたしを守る騎士のように――。

「その気配、三騎士が一柱か。ならばアーチャーか。はン、まともな一騎打ちをするタイプじゃあねえな」
「………」

ランサーの嘲りに、アーチャーは無言で答えた。
倒すべき敵に語る言葉はないと、その巌の背が語っていた。

ランサーは、真紅の槍を構える。間合いは5mほど。ランサーにとってこの距離は意味を成さない。
一瞬の後には間合いは0となり、刹那にアーチャーは串刺しにされるだろう。
それは絶対の事実。かの魔槍から逃れうる術はない。
何よりも――青い槍兵の引き絞られた眼が明確な殺意を持ってアーチャーを穿ちぬいていた。

「アーチャー……」
「マスター、命令を寄こせ。呆けている暇はないぞ」

アーチャーが、弓使いであるのならば――、白兵戦には向かない。

アーチャーがアーチャーならば、その宝具は必ず弓であるはずである。

弓は性質上、矢を()ぎ、ひき、狙い、放つという工程からなる。達人ならば弓を引く動作と狙う動作は同一化され、その精度もまた飛鳥を落とすものだ。

しかし。

槍であれば目前の敵に対し踏み込み、刺突するという一工程で所作を完了する。しかも相手は最速のランサー、こと速度にいたり、アーチャーに勝機はない。

つまり――アーチャーが(ほうぐ)を出したとて、この間合いでは……!
しかもこいつ自分が誰だか分からないような馬鹿だ。ええい、それにはわたしの責任もあるから責めるに責められないけど、つまり真名を要する宝具の開放は出来ないわけで、不利といえば不利過ぎる――にもかかわらず。

命令を寄こせ、とはこの馬鹿は。

―――君は最高のマスターだ。ならば君の呼び出した私が最強でないはずはない。

ああ、もう、思い出しちゃうじゃない。
あーもー、信頼してる。と、いうか、わたしがわたしの呼び出したサーヴァント信頼しないなら、誰が信頼するってのよ――!

「分かったわ。アーチャー、貴方の力、ここで見せて」
「―――ク」

それは、屹度笑い声だった。巌のような背を見ながらもわたしにはアーチャーが皮肉気に笑っているさまがありありと想像できた。なんというか、こいつはキザなやつなのだ。

次の瞬間――アーチャーの両手には剣が握られていた。
刃渡り30センチ程度の、中華風の短剣だ。

と、いうかなぜアーチャーなのに剣を持っているのだろう。
アーチャーのクラスの宝具は弓のはず。聖杯が固定したクラスをかえることはできない。
確かに、複数のクラスに該当する英霊はいる。だけど、アーチャーとして呼ばれたとしても、必ず弓の宝具を持つのではないのか……?
アーチャーが虚偽申告をしていた……?実はセイバーだったとか?だけどそんな事をする意味はない。
寧ろ、マスターに嘘を吐いていたとすればマイナスにしかならないではないか。

「貴様……誰だ……?」

ランサーの双眸がぎりり、と引き絞られた。
歯をむき出して威嚇するその姿はまさに猛犬。
飛び掛り食いちぎり、息の根を止めるまで止まることを知らぬ狂犬だ。

「何、私を知る者などこの地には皆無。何せ私自身私が誰なのか分かっていないのだからな」
「ほざけ、貴様、弓兵風情が白兵戦を挑むつもりか!」

ククと笑うアーチャーに、猛るランサー。



そして――わたしの聖杯戦争の火蓋が切って落とされた。



<校庭>



なんだ、あれは。
なんだ、あれは。
なんなんだ、あれは……?

理解できない。否、あれは理解の範疇ではない。ならば理解できないのは道理。理解してはいけないものだ。
弓道場からの帰り道、たまたま校庭から聞こえてくる金属音を不審に思っただけだった。

それだけなのに。

どうして俺はこんなにも死を覚悟しているのか。

脚が震えて動けない。否、息さえも出来ない。馬鹿げた殺気に中てられて、心臓さえも凍りつく。
神経という神経は侵されて瞬きを忘れ、眼球はカラカラだ。なんだ、あれは……?

人間じゃない。俺が魔術をかじっているから分かるんじゃない。
あれをみたら、誰だってそう思うだろう。人間は、あんな風に動けやしない……!

ならば、ならばあれは人間以上のナニカだ。戦うために、殺すための生き物。人間とは根本から違う生き物だ。
赤と青のそれが、殺しあっていた。ああ、あれは殺し合いだ。間違いない。でなければこの身が震え金縛りにあっている現状を説明できない。

速すぎる。40メートルは離れているこの場所でさえ、蒼いやつのくり出す槍が見えない。動作が見えないのだ。
なんという異常。弓道には心得がある。目はいいつもりだった。だというのに、槍を突き出す動作はおろか、引き戻す動作さえ見極めることが不可能だとは。
そして、紅いやつもまた異常。真空を生み出す斬撃を、両手に持った短剣で凌ぎ切っている。
ありえない。蒼いやつの斬撃は正しく嵐だ。同一の瞬間に百の飛礫を放つ嵐を、剣で止めることなど不可能。
剣であるならば振る動作があり、飛礫を払うには同様払う動作があるはずだ。
切っ先は閃光である無限の穂先を、二本の剣で払うことなど物理的にありえない……!

しかし、事実凌ぎきるというならば、それこそが異常以外の何者でもない――!

「―――ぁ」

やばい、やばい。息が出来なくて意識が飛びそうだ。もしここで意識が飛んだら俺は屹度殺される。
倒れたら、死ぬ。あの槍に串刺しにされるか、あの短剣に切り刻まれるのか。音を出したら気づかれる。気づかれたら殺される。

あれは人外のモノだ。殺しに躊躇などしない。ならば殺される。
無骨な鉄の塊が肋骨を削りながら心臓を突き刺す幻想。鋭利な刃物が柔らかい肉を捌けながら首を切りとばす幻覚。
屹度俺は――造作もなく、殺さ、れ

「――ぁ、あ」

意識が途切れかける。全身が冷たくなっていく幻想……

と――、紫電の如く打ち合っていたやつらが距離をとった。
緊張が緩和する……音を立てないように、深く静かに深呼吸した。

逃げなきゃ。

逃げなきゃ、死ぬ。俺はまだ、死ぬわけにはいかない……。
音を立てないように、すり足で下がろうとして――

今度こそ、俺の心臓は止まった。

「……なんだよ、あれ……!」

蒼いやつに、異常な量の魔力が流れていた。流れている――?否、あれは喰っている。
醜悪なほど……食い尽くしている。
それ以上に……蒼いやつから放たれる殺気が膨れ上がっていた。
直接向けられたわけではない。それなのに心臓が止まるほどに。物理的な質量を持つほどに。
視界が真っ赤に染まる。体の機能という機能が麻痺して、動くことも瞬きも出来ず、ただ見ているしか出来ない。
それも後数秒だろう。心臓が止まっている以上、魔力で補強したとて長くは持たない。そして俺も殺される。

殺される。あの紅いやつは殺される。あれほどの魔力を喰って放つ一撃、防ぎきれるはずがない。
殺される。ヒトの形をしたものが殺される。ヒトではない。あれはヒトではない。

だけど

ヒトの形をしたものが殺されるのを黙って見ていることは、正しいことなのか。
そう思った瞬間だった。

「………!」

目が、合った。あの紅いやつは、今確かに俺を見ていた。気づかれた!

殺される。
殺される。
逃れる術はない。
耳鳴りが煩い。
黙ってくれ、生きるために考えなきゃいけないんだ。
どうやったら逃げれる?
否その仮定さえ無意味。
逃げ切れない。

しかし――紅いやつは俺など端からいなかったかのように――どこからか弓を取り出し、構えた。
その右手には、ユニコーンの角のように先細りの剣が握られていた。その頭角には蛇の如き螺旋が絡み付いていて――。
やつは、薄く笑った。

蒼いやつが――驚愕している。視界を紅く染めるほどの殺気は消え、そのお陰で止まった心臓が動き出してくれた。

逃げなきゃ。

多分、これが最後のチャンスだ。紅いやつは殺し合いを優先した。だったら、蒼いやつに見つかる前に逃げなきゃいけない。

おちかけた脳に酸素を送るためはあ、と息を吸って――。

「誰だ――――!」
「………っ」

今度は蒼い男が、隠れていた俺を凝視した。
その長身が沈み込んで――殺害の対象が俺に移ったと、理解した。

「あ――ぁ――ッ」

脚が勝手に動き出す。それが死を回避する行動だと気が付いて、全ての力をその行為につぎ込んだ。


I am the bone of my sword. 偽・螺旋剣(我が骨子は捩じれ狂う カラド・ボルグ)


次の瞬間――感じた恐怖さえも吹き飛ばし――空が灼熱に染まり、俺は意識を手放した。




<校庭・凛>



「嘘……宝、具?」

わたしは己が目を疑った。アーチャーが宝具を使った。それはいい。うん、いいことだ。
たとえわたしの魔力がごっそり持っていかれたとしても、うん、悪くない。はず。
ちゃんと弓を持ってたし、やっぱりアーチャーだ。その矢がヘンな形をしていたとしても矢には違いない……はず。

だけど、宝具を使ったということは真名開放をしたということ。
つまり――こいつ、記憶が戻った?

「アーチャー!」
「凛、下がれ」

駆け寄ろうとするわたしを、アーチャーが押しとどめた。さっきの矢が何だったのかよく分からないけれど、校庭には巨大なクレーターができていた。なんというか、むちゃくちゃな威力だ。あのランサーといえどこの直撃を食らったのならば生き残ってはずもない――というか、蒸発してるのじゃないだろうか。

しかし――爆炎が晴れた向こうには血を流し、膝を付きながらもこちらを見据えるランサーがいた。
避けたのだろう。しかし、衝撃の余波によってか、全身に大小の傷がついていた。
その双眸には瞋恚の炎が炎々燃え上がっている――あれは、まずい。本能的に悟る。
あれはまるで手負いの獣。その攻撃性は従前と変わらず――否、さらに危険だ。

銃弾を受けた猛獣が、狩人を逆に狩り殺すように。
それは猛るからこそ強く、怖ろしくなる……!

「カラド・ボルグだと……。貴様、ただの弓兵ではないな。何者だ」
「はン、何をいまさら。私は自身が何者かも知らぬといったはずだぞ、ランサー?」

それなのに。

アーチャーのやつ、ク――と笑いながら答えましたよ。
こいつ……人の神経を逆なでするのが趣味なんだろうか。

それにしても。

カラド・ボルグ。三つの丘の頂を切り落としたという伝説の魔剣……所有者は、たしか英雄フェルグス……それがアーチャーの正体……。

先ほど、ランサーの注意がそれた瞬間に、アーチャーは宝具を放った。放たれたソレは校庭にクレーターを作り出すとかいう馬鹿げた威力を持っていたんだけど、ランサーの注意がそれたのは……。

「まあいい。てめえが誰だか知らねえが、こっちは元から偵察の予定だったんだ。

 ―――この勝負、次に預ける」
「逃げるのか、ランサー」
「ああ、このまま続けたいのは山々だが、マスターの命令でね。てめえの宝具も見たんだから帰ってこいだとよ。
だが、その前に――」

ランサーは校舎の方に目を向けた。

「………え?」

唐突に思い至った。誰かが、校舎に残っていたんだ。ランサーが目を向けたということはまだ生きているはず。
そしてこの後に至る事態は誰がどう考えても――。

「―――!、アーチャー、ランサーを止めて!」

アーチャーは一瞬だけ不快気に目を細めると、閃光の如く駆け出すランサーに矢を放った。
黒い。黒い釘のような矢だ。人差し指と中指、中指と薬指、薬指と小指。それぞれに挟んだ黒釘を、一度に放つ。
その様は――弓のことなど少しも分からないわたしが見ても洗練された流麗さがあった。
紫電の如く、ランサーに吸い込まれていくそれを――。

ランサーは紅い旋風で難なくはじいた。

「チぃ――流れ矢の加護か!」

忌忌しげに舌打ちして、アーチャーは駆け出した。その右手には黒き弓。左手に――?

紅い釘を持っていた。釘、といっていいのか。両端が溶けつつもあまりに鋭利。
それを先ほどと同じく3本同時に矧ぎ、放つ。
しかし、赤の流星は今度はランサーに向かわず、ランサーと倒れている生徒の間、ランサー側に突き刺さった。

ランサーは止まらない。当然だ。あたりもしない矢を、避ける道理はない。
あと数秒のうちにランサーの槍は心臓を抉り、そして彼は任務を完遂するだろう。

こちらは手の内を知られ、巻き込まないと誓った一般人を殺され、まったくいいとこなしで帰路につかねばならない。

なぜならばランサーは最速。矢が当たらない以上、追いつくすべはない。
手負いとはいえ致命傷ではなく、その速度に陰りはない。だが――。

幻想崩壊(ブロークン・ファンタズム)
「ん――な―――ッ」

地面が爆砕する。地を穿ったはずの赤釘を飛び越えるランサーを、爆風が包み込んでいく。
あれも宝具?何十本も出してきた短剣もそうだけど、こいつほんとにフェルグス……!?

アーチャーはわたしを庇うように前に出て、飛礫を払っている。ちらりと横顔を見ると――。

あ、なんか苦々しい顔してる。

こいつ、感情が顔に出やすいらしい。キザで皮肉屋なのか素直なのか分からないやつだ。

カラド・ボルグ……のときに比べたら爆発の規模は数段劣る。
恐らくはわたしの暗黙の命を守り倒れている生徒を巻き込まないようにしたからだろう。
しかし、それでも真上を飛ぶランサーには十分な牽制となったらしい。

まあ、もっともカラド・ボルグの破壊から逃れたようなサーヴァントが、先ほどの爆発程度で致命傷を負うはずもないが。

「ほんとにわけのわからんサーヴァントだな、てめえ。
それに目撃者は消す。魔術師の鉄則だろ?なんで助けようとするかね?」

雲を切り裂いて地に注ぐ月光の下、ランサーは何故か愉しそうに笑っていた。
まるで、新しい玩具を貰った子供のようだ。

「何のこともない。そいつを殺すのは私でなければならない。それに――君はソレを殺したくなどないのだろう」

白髪頭のサーヴァント。これはわたしのサーヴァントであるはずなのだが。
こいつは一体ナニを言っているのか?
そんなわたしの疑問は次の台詞で綺麗にふっとんだ。

「……ほう。やっぱり面白いな、お前。いいだろう。

クー・フーリンの名においてここに誓約しよう。俺は必ず貴様と再戦する。じゃあな、アーチャー」

んな―――!
自分の真名をバラす馬鹿英雄がいましたよ――!

愉しそうに呵呵と笑うランサーには、先ほどの炎は見えなかった。寧ろ、月光に照らされて口元を歪めるその様は――強敵ができたのが嬉しくて仕方がない、というように見えた。
しかしクー・フーリンって。一度誓約したことは一度も破ったことがないって英雄だったはず……!?

それ、すんごい弱点だと思うのだけど……それだけ嬉しかったんだろうか。

対してアーチャーもク、と口元を歪めた。

「相変わらずだな、君は。名を明かすことはできないが、君の誓約確かに受けた」
「あ、やっぱりおめえ、俺のこと知ってやがるな?薄々そうじゃないかと思ってたぜ。フェルグスじゃないし、誰なんだよ?」
「ああ、君だけとなら語らってもよいのだが、私の凛と違い、隠れて出てきやしない臆病者のマスターがいるのだろう?盗みぎかれるのはお互い癪ではないのかね?」
「ははは、違いねえ!」

――ちょっと待て。

何だそのまるで十年来の友ですみたいな気安さは。
あんたらさっきまで殺しあってて、おい、特にランサー、あんたさっき怒りまくってたじゃない。
というか、アーチャー、私の凛とか、そーいうことを臆面もなく口に出さないでお願い。
こいつ絶対生前は女たらしだったわ、うん、今わたしが決めた。

「じゃあな。馴れ合うつもりはねえが、機会があったら借りは返すぜ?」
「不要だ。私とて君には借りがあったのだ。再開は鉄火場で」

ランサーににやりと笑うと、消えた。捷い。最速のサーヴァントがランサーに選ばれるというのも頷ける。

空は曇天。星星の光は分厚い雲のカーテンに阻まれて、地に届かない。
代わりに、雲の切れ目に空を分ける月光が、度々優しく地をぬらした。

「アーチャー、あれ、一体何だったの?」
「何。彼には昔借りがあってな。その借りを返しただけさ」
「なによ、それ」
「さてな。忘れてしまった」

アーチャーは歩き出す。その先には倒れている生徒がいる。
……魔術を見られたからには、消すのが常道。
私だって覚悟していなかったわけじゃない。魔術師として生きることを決めたときから、その覚悟はとっくに出来てる。
だけど、現状ならば、殺す必要は無い。

要は、記憶を消しておけばいいのだ。
土煙の向こうに倒れている生徒はどうやら男子のようだ。制服で分かる。
それに、あれ?
あの髪の色は――――?

不意に、夕焼けの中一人で棒高跳びをしていた少年を思い出した。
永遠に交わらない道。そいつは何度も何度も失敗して。
跳べないことを理解して――?

どうして。

アーチャーの手には、黒塗りの短剣が握られていた。

どうして、それ振りかぶっている?
振り下ろす。間に合わない。これで転がってるやつは死ぬ。間に合わない。



                   「そいつを殺すのは、私でなくてはならない。」



それが、振り下ろされたら、そいつは死ぬ。
間違いない。サーヴァントは戦うモノだ。それの武具をその身に受けたら、人間などひとたまりもない。
死ぬ。殺す。誰が?アーチャーが?わたしのサーヴァントが?
それは、殺さなくてもいい人間を殺すのとどう違うのか。どうとも対処できる状況で殺さなくてはならない理由などないのに。
それは、今までわたしが見られないように知られないように、覚悟だけを決めつつもずっと隠し通してきた努力をあざ笑う行為ではないのか。
アレがアイツならば、屹度桜は泣くだろう。
泣くだけで済むだろうか。またかつての人形のような少女へ戻ってしまうのではないだろうか。
適わないと。出来ないと理解しつつも、跳び続けた少年。。
それが殺される。
わたしのサーヴァントが、殺す。

そして、それは。

それは―――わたしがソイツを殺すことと、どう違うのか。



「アーチャー、殺すな――!」



沸騰した頭の熱が何だか分からないうちに――わたしは叫んでいた。
何故だか、頭にきていた。
何でこいつはこう、自分勝手なのか。というかこいつ何の恨みがあってこんなくだらないことに……令呪使わなきゃいけないんだ―――!

びくりっ、と、アーチャーの体が痙攣すると、その動きを止めた。
顔には驚愕が張り付いている。ははん。笑ってやる。あーもう、笑ってやらなきゃ、全然釣り合いが取れない――!

「な、何を考えているんだ君は!また令呪を使ったな!?」
「あーもーうるさいうるさいうるさい!!何考えてるはこっちの台詞よ、何勝手に殺そうとしてんのよ!」
「目撃者は消すのが鉄則だろう!そんなことよりこんなくだらないことに令呪を使うことの方が――」
「あー分かってるわよそんなこと!ただいま絶賛後悔中よ!でもやっちまったもんはどうしようもないでしょうが!」
「……凛、もう少し思慮深くなった方がいいぞ……」
「先祖伝来の遺伝よ、これは!」

とりあえず叫んでみる。
ああ、もう。もう二つも令呪を使ってしまった。なんだってのよ――!
憤怒と混乱が頭のなかをぐるぐるぐるぐる回っている。せっかくランサー退けたのに!
アーチャーが誰だとか、宝具がなんだとか、そんなことも一緒くたになってどこかへ飛んでいってしまって、ああ、こいつ、致命的になんかタイミングが悪いとか、マスターの意思を理解してないとか、魂喰らいの結界に対する嫌悪感はどこにいったのかとか、色々疑問とかあるんだけど――。

でも同時に――わたしはアイツを殺されなくて、ほっとしていた。

この馬鹿死なせたら、もうわたしには桜にあわせる顔なんてないんだから――。






あとがき
無駄に長かったです。ようやく次で仮面の紳士がでそうな気配がします。

[2]投稿日:2010年02月11日9:49:36
シリアス展開の中で異質な(ギャグ的に)存在。うん、原作通りだ(笑
それはそれとしてだ………
蝶の人とは意気投合出来ると信じてるんだが…どう?(何を?


>蝶・サイコーにセンスが合うと思います。ついでにビジュアル的にはアウト。

[3]投稿日:2010年02月11日16:36:19
あのインパクトを絵で思い出してしまったじゃないですか!
というか普通に脳内で映像化されてしまいました。
某蝶人と同じベクトルの人ですよね、分かります。
ちょっと古本屋で探してきます。


>The abnormal super hero hentai kamen、文庫版、全五巻完結しました。
2月18日に最新巻でたんです。変態です。
ちなみに個人的には変態仮面=紳士 蝶人=妖精 という認識です。


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