「さて、どうしたもんかねぇ」

ランサーは衛宮邸の居間で寝そべりながら独語する。
視線の先は天井。その上にはきっと曇り空。その遥か彼方には満天の星星が夜空を彩っているだろう。

衛宮士郎が家を出て既に半刻が経とうとしていた。

アーチャーとそのマスターも衛宮士郎と共にたち、この家にはランサーただ一人。
ゆえにその言葉を盗み聞く者は誰もいない。

彼はまだねぐらに帰ることは出来ない。帰らずともよいのだが――いずれは戻らねばならない場所だ。
もっとも、今帰れば衛宮士郎やアーチャーと遭遇するだろうから、帰ることなどできないが。

今、彼の考えることは衛宮士郎に召喚されたらしい奇怪なサーヴァントのことだった。

「バーサーカー……じゃ、ねえな。アレは既にアインツベルンに召喚されている。
そもそも、アーチャーが召喚された時点でサーヴァントは6体揃っている。ああ、いや、7体だな。
そんで普通なら残りはセイバー。だとすりゃならアレはセイバーってことになるが……。違うだろうなぁ。
だったらイレギュラー・クラスか。本人に訊くのが一番早いが、あいたくもねぇなあ」

ランサーはごろりと寝返りをうった。
あのサーヴァントは何か異質だった。
その格好は正に異質そのものであるのだが、それとは別に何かちぐはぐな印象を受けた――。
相対すればわかる。あれはサーヴァントとしては下級だ。
正面から戦い合えば、まずどんな状況であろうが負けることはない。
以前相対したバーサーカーのような死の気配や、ライダーのような切り札、アーチャーのような異常性は感じなかった。

しかしそれにもかかわらず直感が告げていた――お前は致命的なミスを犯そうとしている、と。

そしてゲイボルグをかの怪人に刺したくない思惑も加わってランサーは変態と距離をとったのだ。

「んー、何だろうなぁ、アレ。去り際に何か言ってたな。『悪の気配』だったか?
本当にンなもんがわかるんなら行き先はある程度予測できるんだが。
妙といえばアーチャーだな……。
……そういや何でアーチャーは小僧がセイバーを召喚しうるって知ってたんだ?
特殊な技能のせいか?
俺の真名も知っていた。俺はあいつのことなど知らない。一体どうなってやがる?」

妙な事柄なら、他にもある。
なぜアーチャーは衛宮士郎に止めを刺そうとするランサーを止めに入らなかったのか。
彼のマスターの機転(?)により、アーチャーが介入する時間は稼げたはずだった。
それにも関わらずアーチャーは静観に徹していた――。

そして、アーチャー自身のこと。

アーチャーほどの使い手ならば、記憶に残らぬはずがない。
それなのに自分はかの弓手のことなど知らない。
ならば、同時代の英雄ではなく、アーチャーは幾分か後の時代の英雄だとすれば――。

「それならカラド・ボルグを所有していた理由も納得できる……か?
いや、だったら俺の真名を理解できる理由がねえ」

改めて考えてみると――アーチャーは全てを知って動いているように見えた。
ランサーのこと、ランサーの正体、既に召喚されたサーヴァントたち、そして最後のマスターのこと……。
あの時、小僧を自分が殺すといったのは最後のマスターだと知っていたからではないのか?
今思えば、出来すぎている。何かがおかしい。
しかし、アーチャーの予測を裏切ったものが在る。
その予想を裏切ったのは――。

「アレか。アレが何なのか。アーチャーはセイバーが来ると確信していた。確かに予想はできるが、もしイレギュラー・クラスだったとしてもおかしくはない。だからあの狼狽振りは異常だったんだ。
野朗、何を隠してやがる……?」

それに――。

「あいつ俺に借りがあると言っていたな。俺にそんな記憶はない。
あいつはその借りを返すために手の内を明かしてきたらしい……どうなってんだ?」

答えの出ない疑問を徒然に口の端に乗せる。

「……調べてみるか」

ランサーは冷蔵庫の中から肴を失敬すると音もなく夜闇に消えた。

全てのピースが出揃い――夢のない夢は今宵始まる。




masked justice



<礼拝堂>



その神父には重圧があった。
何だかわからないが、背中が重くなる間隔。
敵意を感じるわけでも、害意を感じるわけでもない。それなのに脚は勝手に後ずさる。

「君の名はなんという、7人目のマスターよ」

平静な声音に、悪寒を感ずる。
扉の向こうでアーチャーに感じた憤りさえも凍り付く。
怖ろしいわけではない。ただ――何か不安なのだ。何なのかはわからない。漠然としているけれど――こいつは確かに、俺とは決して相容れない。

ぐっと、重圧に負けないように丹田に力を入れた。

「衛宮士郎。だけど俺はまだマスターなんて物になることを認めたわけじゃない。俺は聖杯なんて要らない。俺より相応しいマスターがいるんなら、そいつが聖杯戦争に参加すべきだと思う。
ここに来たのは、あんたが聖杯戦争に詳しいと聞いたからだ」
「衛宮――士郎。そうか。それで、凛が喚び出したのはアーチャー、君が喚び出したのはセイバー……でいいのかね?」

言峰は俺の背後に視線を投げかけた――霊体化したサーヴァントが控えていると思ったのだろう。
だが、実際には何もいない。
俺のサーヴァント……らしい絞り込んだブリーフで股間をやたらと強調する漢は雄たけびを上げながら夜闇に消えたのだから。

「俺のサーヴァントは」「セイバーよ」

俺の言葉を遮り、遠坂が答える。見れば、ふん、とばかりにそっぽを向いているが――。

(そうか、不用意な発言はするなってことか)

途中、この神父のことを信用していない、というようなことをいっていたが、こういうことか。


ぞくり、と、悪寒がした。


なんのことはない。神父は笑っているだけだった。
セイバーという言葉を聞き、こいつはただ喜んでいるだけだ。
それだけなのに――どうしてこうも心をかき乱されるのか。
遠坂は正しい。こいつは、信用できない。否、こいつを信用しちゃいけない……。

「セイバー。最良といわれるサーヴァントを引き当てたか。君は運がいいな、衛宮士郎。
凛、私はお前が勝利するものと思っているが、これは中々厄介な相手ではないのかね?」
「冗談。それにわたし達はあんたと世間話しに来たんじゃないの。さっさと本題に入ってくれないかしら?」
「よかろう。衛宮士郎、君がセイバーのマスターだということはわかった。
結論から言おう。君はマスターをやめることはできない」

それは、半ば予想通りの答えだった。
俺が何も知らないとわかったときの遠坂の反応、あの怒りの理由。
簡単なことだ。資格がないやつが自分と同じ土俵に上がってきたこと。

そして――降りるすべがないこと。

どのつくような素人がプロと戦えるはずがない。
プロの立場からすればそんな素人は倒してしまえばいいのだが、中でも矜持のあるやつは何も知らない素人を倒すのを逆にためらった。
つまり、そういうことだったのだろう。

だから、この神父に対する反発から口に出しかけた否定の言葉を、唾と一緒に飲み込んだ。
俺は今こいつに試されている気さえする。不用意な発言は自己を窮地に追い込むという確信にも似た直感があった。

「予想通り、という顔だな。ならば理由など些細なことだ。
君が巻き込まれたこの戦いの説明に移ろう。
七人のマスターとそのサーヴァントが聖杯を巡り最後の一人となるまで争う――凛からその程度は聞いているか?」
「ああ、七人のマスター同士で殺し合うっていうふざけた話だろう?」
「そうだ。全くふざけた話ではあるが、これは聖杯が自己の所有者を選ぶ試練なのだ。
何しろ聖杯は全てを叶える万能の杯だ。誰でも手に入れることができるわけではない――相応の選抜が必要となる」

聖杯。
聖者の血液を受けた杯。
その杯を手に入れたものは世界を手に入れるとさえいわれる伝説のアーティファクト。

はっきり言えば、そんなものはないと思う。

その実在も、再現も、人の手には余る奇跡だ。
5の奇跡を望むために聖杯を再現しようとするのなら、聖杯という奇跡は100の奇跡だ。割りに合わない。
だから聖杯なんてものを再現することは出来ないし、だったら実在するかというとそんな話も聞かない。

「疑っているようだな?だが、聖杯は実在する。
君も見ただろう、人を超えた英雄を現世に再現するという奇跡――魂の再生、これは最早魔法の領域だ。
よしこれが伝承に見る聖杯でなかったとして、確かに奇跡を実現する杯があるのだ、これを聖杯といわずなんという?」
「――――……」

遠坂を見る。不機嫌そうに腕を組んでいた。
悔しいが、これは否定できない。
アーチャーもランサーも明らかに人を超えている存在だ。あんなものを再現するというのならば、確かに聖杯は――。

「いいぜ、聖杯が仮にあるとする。だけどそんなすごいモノがあるんなら、奪い合う必要は無い。
皆で分け合えばいいじゃないか」
「衛宮く」「その自由は我々にはない。聖杯を手にするのは生き残った一人だけ――それは聖杯自身が決めたルールだ。聖杯が自己に相応しい所有者を選ぶ試練――そういったはずだ」

神父は何か言おうとする遠坂の言葉を遮った。
多分、遠坂は俺の注意を促そうとしたのだろうが――この疑問には答えてもらわなければならない。
俺にサーヴァントはない。だから多分戦うことは出来ない。
でも、もし、万能の杯を悪用するようなやつがいるのなら、戦う力がなくても何かしなくちゃいけない。
それが――衛宮士郎の目指すべき道なのだから。

「気に入らないな。聖杯を手にするのは一人だけってのはわかった。
だけど、そのために他のマスターを殺さなきゃいけないってのは気に入らない」
「ちょっと待って衛宮君、別にマスターを殺さなきゃいけないってのは誤解よ。別に殺す必要はないんだから」
「?、言峰は生き残った一人が聖杯を手にするっていってたぞ。それに殺し合いとも――」
「ああ、殺し合いだ」
「ちょっと黙ってて。あのね、衛宮君、この町に伝わる聖杯ってのは霊体なの。だから降霊するしかないんだけど――この儀式はわたし達魔術師だけでできる。だけどこれが霊体である以上、わたし達魔術師に触れることはできない。
この意味、わかる?」
「ああ、霊体は霊体でしか触れられない――……!ああ、だからサーヴァントが必要なのか!」
「そういうこと。だからね、聖杯戦争っていうのは、要は自分のサーヴァント以外のサーヴァントを撤去させるってことなの。
別に、マスターを殺す必要はないわ――それに、令呪を喪失したらマスターの権利を失うんだから、腕を抜いてもいいんだし」
「………」

なんか、遠坂がものすごく怖いことをいっている気がする。
腕を抜く?
血を抜く感覚なんだろうか。
今まで培った優等生・遠坂凛像が音を立ててがらがらーんと崩れていく。
本当にこいつ、学校とは別人なんだなぁ。

それはそうとして、安心した。
だったら遠坂が聖杯戦争に巻き込まれても死ぬことはないんだし――。

「なるほど、そういう考え方もできるな。ところで衛宮士郎、君は自分のサーヴァントと戦って勝つことが出来ると思うかね?」
「………」

その安堵を見事にぶち壊してくれたやつがいた。

何を、怖ろしいことをいってやがるんだこの神父。
ちらりと横目で遠坂を確認すれば、顔を背けられた。
わたしに訊くな、ということなのだろう。

……腕を頭の後ろで組んで左右に腰を振りながら奇声を上げる逞しい体を持つ漢。
……リズミカルに左右に振られる腰の真ん中には激しい自己主張を行う今時珍しい孝行息子。
………。

「……触れることさえできないだろうな……」

あれと戦うとか、頭がどうかしているとしか思えない。
あれはそーいう対象にカテゴリーされるものでは断じてない。

げんなりしている俺に神父は不審げな目を向けたが、一人何事かに納得して続ける。

「もう一つ尋ねよう。君は自分がサーヴァントより優れていると思うか?」

……………!

なんて残酷な問いをしやがるのか、こいつは。
理想に向かって走り続けてきた。毎日の鍛錬も欠かさず行ってきた。
だけど、あの逞しい肉体には、俺は及ばない………。
それに、それに……!

「……お、男はサイズじゃない……!」
「……??」

負け犬の遠吠えだとわかっていた。だけど、言わずにはいられなかった。
くそ、これが男の見栄ってやつか………!

悔しそうに呻く俺を神父は不審げに見た後――遠坂に視線を移した。

―――気まずそうに俯いていた。





その後、気を取り直して言峰の言葉を聞き、聖杯戦争の大まかなルールを理解した。
言峰が俺に対しサーヴァントと戦うことが出来るか、と訊いたのはつまり、人間を超えた存在であるサーヴァントを人の身で打ち破ることはできるか、と訊いたのだ。
サーヴァントはサーヴァントをもってしてすら打ち破りがたい。
しかし、サーヴァントはマスターがいなければ現界できない。
ならばマスターを倒す――当然の帰結だ。
誰も、わざわざ困難な道を選んだりしない。

さらに、マスターはサーヴァントを失ってもマスターの権利を失わない。
もしマスターを失ったサーヴァントがいれば令呪がある限り再契約し、再びマスターとして聖杯戦争に参加することできる。
そうした理由もあり、マスターは他のマスターを殺すのだ。

「ルールの説明は終わったな。ならば改めて問おう、君は戦うのか、戦わないのか」
「……俺には戦う理由がない。聖杯なんてものに興味はないし、マスターといわれても実感がわかない」
「理由、か。ならばお前は聖杯を手にいれたマスターがどんな災厄を起こそうとも興味がないのだな?」
「……――それ、は――」
「その結果が10年前の火災だとしても、君はまだ戦う理由がないというのか?」
「……まさか、あの火事は――!」

眩暈が、した。
視界が歪んだ。
ここがどこなのか、あやふやになる。
世界が歪んでいる。
このまま倒れ――るその前に、両足に力にいれた。

「……ちょっと、衛宮君、大丈夫?顔真っ青よ?」
「大丈夫、あいつの全ケツみたときほどじゃない」
「……そうね……」

ここで、倒れるわけにはいかない。
あの火事が、聖杯戦争の結果であるのなら。
再び繰り返す今回の聖杯戦争で、あの結果を引き起こすわけにはいかない。
それは。
それこそは、衛宮士郎が決して許すことの出来ない出来事なのだから。

にやにや笑っている神父を、力の限り睨みつける。

「覚悟は決まったかね?」
「ああ、俺は戦う、マスターとして」

俺にサーヴァントはいない。
いるけど、きっとあれは俺の意思などお構い無しに動くのだろう。
というか、実際理解不能だし。
だけど、マスターとしての資格があるのなら。

俺にはきっと、あの悲劇を止めうる何かをなす機会があるはずだ。

だから逃げない。
戦うと決めたんだ。
一度決めたからには、必ずやり通してやる。

「いい答えだ。
それでは、君をセイバーのマスターと認めよう。
この瞬間に今回の聖杯戦争は受理された。
これよりマスターが一人になるまでこの町における魔術戦を許可する。
各々が自身の誇りに従い、存分に競い合え」

こんな宣誓に意味などない。
そしてお前に認められる事柄などない。
これは全て俺が決めたことだ。

あの紅い世界を覚えている。

あの世界が再び俺の前に現れることなど、許してたまるか。
だったら、資格があろうとなかろうと、認められようと認められまいと、駆け抜けるだけだ。

この指から零れ落ちるものがないように。
半人前とはいえ魔術師であるのならば。
切嗣と同じ魔術師であるのならば―――!



「さ、帰りましょうか」

外に出ると、そこには紅い外套の騎士が一人ぽつーんと立ち尽くしていた。
なんというか、妙に悲しい。
こいつ、霊体になっていればいいのにどうして一人寒空の下に立っていたんだろう。
コンビニ弁当を買っていくおじいさんのような哀愁を感じるぞ。

しかし、言峰といいこいつといい、合わない、と感じるやつが急に二人も出来た。
今までこんなことがあっただろうか――?

「それで、衛宮君、戦うって見栄切ったのはいいけど、どうするつもりなの?」
「どうするもこうするも、俺に戦う手段はない。だけど、10年前のアレがまた起こるというのなら、どうにかして止めるだけさ」
「ふん、力なき理想はただの妄想に過ぎぬということにまだ気づかんか」

……。
紅いやつがとても腹立たしい。
だけど、こいつの言うことは正しい。
どうにかするといっても、俺には力がない。
今のままじゃ、全然足りない。

「遠坂、俺のサーヴァントはアレだけど、俺にはマスターの資格があるんだよな?」
「そうね」
「ってことは、遠坂もマスターの資格を持っている俺をマスターでなくしたいのか?」

俺の問いに、遠坂凛は何かに初めて気づいたかのように目を丸くした――。
待て。何だその反応は。

「あ、いや、ごめん。そうね、わたしは別に衛宮君を殺したり手を切り落としたり拷問にかけたりするつもりはないわ。
そんなことする必要も無いし、もったいないし。
本音を言えば――あのまま教会に保護してもらっていたほうが気が楽だったわ。
と、いうかね。言おうと思ったのよ、綺麗にこいつのサーヴァント放蕩者だからこのまま保護してくれってね。
だけど――あんたが魔術師として戦うと決めたんなら、わたしに止める権利はないって思った」
「そっか、ありがとな。遠坂の言うとおり、戦いになったとして、はっきりいって俺じゃ遠坂の相手にならないと思うしな。
けどさ、やり遂げたいことがあるんだ。一度やるって決めたんなら、やり通さなきゃいけないことがある。
だけど、そのための力が足りない。
だから、遠坂、俺に魔術を教えてくれないか?」
「――――は?」

今度こそ遠坂は目を丸くした。
まるで目の前に理解不能な珍生物がいるかのようだ。
ううむ、これは説明しなくてはならないだろう。

「俺には戦う術がない。少なくとも、自分でどうにかできる分には。
だから、遠坂、お前に協力させて欲しい。
ほら、俺は聖杯なんて要らないし」
「――ダメね。却下。そんなの首を縦に振るわけないじゃない」
「全くだな、身の程を知れ。半人前の魔術師風情がいたら足手まといになることもわからんか」

心底馬鹿にした口調の紅いやつは無視する。
俺は遠坂と話しているんだ。
戦うって決めた以上、迷っても迷っても、それでも前に進むべきだと思う。
だから、立ち止まっていられない。
立ち止まらなければいつか、きっとたどり着く場所があるはずなんだ。

「対価は払う――これだ」

左手を差し出す。
そこには赤い痣のように令呪が浮かび出ている――。

「俺には無用の長物だけど、遠坂なら有効な使い道があるだろう。
実際、強力な魔術が使えるんだろ、これ?
戦闘で足手まといになったら見捨ててくれても構わない。そん時は自分でどうにかするさ」

遠坂はまじまじと俺の左手を見ていた。

そしてやおらため息を吐くと――思いっきり俺の頬を張った。

「―――!」

ばちーん、と甲高い音が寒空に響いた。

「この馬鹿……!
見捨ててくれて構わない?自分でどうにかする?
ふざけてんじゃないわ……!どうにかなるはずがないのがわからないの……?
あんたが死んだら、わたしはあの子に顔向けできないのよ!
何があんたを駆り立てるのかは知らない。だけど、死ぬとわかっていて、むざむざ殺されるのはご免なのよ!」

痛くは、なかった。
痛みだったら、土蔵の前で貰った右ストレートが断トツだと思う。
だけど……。

わかっているつもりだ。
あの校庭の戦い、衛宮邸での戦闘、あれを見て、俺が戦えるような次元ではないってわかってる。

俺だって自分の命は大事だ。
死にたくない。
死んだら義務が果たせない。
切嗣に助けられて、正義の味方を目指して走り続けた。
助けられたからには、誰かを助ける義務がある。
つい数時間前だって、校庭での戦闘に巻き込まれたとき遠坂が助けてくれたはずなんだ。

死ぬわけにはいかない。

だけど、もし。
もし10年前のあの火事が再び起きるのなら、衛宮士郎はそれを必ず止めなければならない。
そしてそれまでは死んでも死ねない。

それとは別に、この馬鹿げた戦いで遠坂凛が傷つくという事態を、どうしても避けたかった。

こいつは学校とはまるで正反対の性格してるけど、華麗でカッコイイやつなのだ。
多分、優等生だったこいつとは違う意味で、憧れのやつなのだ。

人のために怒れる、優しいやつなのだ。

「死ぬつもりはない。俺には義務があるからな。だけど、もう戦う理由ができちまった。
それに、遠坂が傷ついて戦っている間に安穏としてるなんて、絶対に嫌だ」
「――んなっ」

何に驚いたのか、遠坂は素っ頓狂な声を上げた。
そしてあー、とか、うーとかいうとぷいと顔をそらした。

機嫌を損ねてしまったか――だけど、本心を伝えたつもりだ。
俺だって魔術師の端くれだ。
そこの紅いやつがいうように半人前もいいところだけど、魔術師である以上覚悟はできている。

何故か、その事実はすんなりと、胸に収まっていた。

遠坂が最終的にどんな判断をするかはわからないが、俺は俺のできることをするしかない。
とにかく、敵対の意思は微塵もないということは伝わったはずだ。
今後のことはとりあえず家に帰ってから考えようと―――。



「ねえ、お話はもう終わり?」



鈴の音のような――あまりに場違いな声がした。


煌々と月明かりに照らされて――坂の上に影が伸びていた。

余りにも。
余りにも異質だった。

それはこの世にはあってはならないものだ。

魔人――灰色の巨体。
あれは一体なんという化物なのか。
今、生きているという事実さえもが歪んでいく――あれは死そのものだ。

「やば、あいつケタ違いだ」

呼吸すらも危うい俺とは違い、遠坂は多少の余裕があるようだった。
しかしそれすらも皆無に近い。
最早取り繕うことさえ出来ず、震える声音から絶望が読み取れるのだから。

……そうだ
あれ は あの10年前の事件 より も さらに 死の 臭いがす る。
狂って いる。 狂戦士 、バーサーカー。

止まりそうな頭の中で、切れ切れの言葉が回る。

逃げないと。
勝てない。
絶対に勝てない。
逃げないと。

だが――どうしたらあの化物から逃げおおせるというのか。

「なんだ、サーヴァントは一匹しかいないの?
つまんないなぁ、二匹一緒に潰してあげようと思ったのに」

歌うように、少女は呟く。
月光に照らされる髪は月の祝福を受けたかのように輝いている。
あまりに場違い。
そして余りにちぐはぐだ。
この少女こそが、あの化物のマスターだということが……。

まだ幼いその体躯を優雅に躍らせて一礼した。

「初めまして、リン。二度目だね、お兄ちゃん。
わたしはイリヤスフィール。アインツベルンっていえばわかるでしょ?」
「アインツ、ベルン――」

さっぱりだ。
俺には――何のことだか全然わからない。
だけど、遠坂には聞き覚えがあったらしい。僅かに、小さくその背が揺れた。

そんな遠坂の反応が気に入ったのか、少女は笑みを零し――。

「じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」

残酷な命令を下した。

巨体が、飛ぶ。
比喩でもなんでもない。あの巨体のどこのそんな瞬発力があるのか。
坂の上から一足飛びに、俺たちを殺そうと跳んで来る――!

「凛、下がっていろ」

硬直している俺を超え、アーチャーが現れる。
その両手には白黒の短剣。
無茶だ、その程度の武器では、あれの一撃を防ぐことさえできない――!

「アーチャー!」
「時間を稼ぐ。さっさと逃げろ」

校庭の出来事を思い出す。
こいつがランサーに殺されると確信したあのとき、俺は何て思った?

人間でなくとも

人間のカタチをしたナニかが死ぬことは、正しいことなのか、と

「―――ッ」

何を考えている!
今はそんなことを考えているときじゃない。

「遠坂!」

咄嗟に遠坂の手を引く。

黒き暴風が目前に迫っている。あれはまずい。近づかれるだけでも、今の衛宮士郎には致命的だ。
あの姿を直視するだけで心臓が止まるだろう。それほどまでに、あの化物は危険、その攻撃に触れでもすれば臓物を撒き散らし朽ち果てることになろう。

暴風……否、あれは質量をも伴う狂気。
狂っている。しかし、それゆえにあの馬鹿げた暴力は――純粋だ。

その馬鹿げた一撃を、アーチャーは手にした双剣で受け止め――

「ぐっ――!」

吹き飛ばされた。
爆音が響き、木々が揺れる。何かが爆砕した音だけ残して、アーチャーの姿は瓦礫の中に消える。

わかっていたことだ。圧力が違う。密度が違う。アーチャーとアレの間には埋めがたい差があると――!

「あはははっ、よっわーい!」

銀光を受けて、少女が笑う。
巨人は白煙を発する腕を下げて、主を仰ぎ見た。
命令を、待っているのか。
恐らく、あのイリヤスフィールと名乗った少女の一声で俺たちは殺される。
造作もなく、抵抗など夢のまた夢。

何もできない。
アレの前に、俺は無力だ。
さっき、俺は遠坂に邪魔になったら捨て置いてくれてかまわない、と、どうにかする、と、そういった。
だけど現実はどうだ。
どうにもできやしない。
遠坂のいう通りだ。

俺には、力がないから。
ここで俺も遠坂も死ぬ。

なんて無様。
今まで走り続けてきたつもりだった。
だけど、結局何も出来やしない。

恩も返せない。
義務も果たせない。

これで何が正義の味方だ。

「…………」

力が欲しい。
誰かを守る、力が欲しい。

「……衛宮君、逃げなさい」

馬鹿、震える声でなに言ってるんだ。
あの化物の前で、絶望しかないってのに、遠坂はこの状況で人の心配するようなキャラじゃないだろうに。
遠坂だけなら、もしかしたら逃げ切れるかもしれないってのはわかっているはずなのに。
というか俺だったら、まず確実に逃げきれやしないぞ。

だから――。

「そりゃこっちの台詞だ、馬鹿。お前だけなら逃げ切れると思うぞ」
「………」

覚悟を決めろ。
一瞬でいいから、あいつの注意をそらす。
何でだろう、絶望しかないのに、ちょっとだけ気が楽になった。
バーサーカーを直視する。畜生、めちゃくちゃ怖い。だけど、心臓はいまだ激烈。

多分、これが、俺がマスターとして戦う最初で最後の戦いになる。
目前にいるコレ以上のサーヴァントなど、俺には想像すらできない。
それほどまでに圧倒的。

異常、と思えたランサーやアーチャーの戦闘でさえ児戯に思える圧倒的な戦闘能力……これに適う術などない。
力はいつだって足りない。
あの紅い世界でも、校庭でも、うちのまん前でもそうだった。
今の俺に守れるものなんて……屹度ないのだろう。

だけど、最低限、遠坂だけは守らないと。

これが、俺が最後に果たす義務にして。

最後の恩返しなのだから…………!

嘔吐をもよおし痙攣する胃を下唇を噛み切ることで押さえる。
よし、大丈夫。
お前はこれからあの化物と相対する。

決めたな?

―――覚悟を!

「来い……!セイバー(仮)――――――ッ!!」
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――!」

左手の熱と引き換えに、中空が紫電する。
暴風の如き魔力の渦が去った後には――純白のパンティを被り網タイツをはいた漢が仁王像の如く屹立していた―――。




あとがき
きりのいいところまで進みたいな、と思いながらもなかなか時間とれず前後編といいつつお茶を濁すことにしました。
ここが終わるとようやく物語が進みだす……感じですね。


[9]投稿日:2010年03月25日12:16:42
サーバント達にトラウマを与えるだけ与えて消えていきましたね、ライダーやキャスターが可哀想になってきたw
紳士のクラスはセイバーよりもバーサーカーくさいと思う今日この頃です。
では次回までブリーフ絞りながら待っていますw


>紳士はとても紳士なので女性には優しいのです(キッパリ)
でも紳士の思惑とは関係なくその威容は恐怖を与えるのです。
紳士のクラスは……後編です。と、いうかばればれかも……



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