―俺はまた守れなかった。何も、守れなかったんだ……―
月面に墜落していくメサイアを見つめながら、俺はただ泣き叫ぶことしかできなかった。



「戦争のない平和な世界」を創るためにプラント最高評議会議長ギルバード・デュランダルが
導入した計画……『デスティニー・プラン』。
その計画の中枢たるザフト機動宇宙要塞メサイアとデュランダル議長を迫りくるオーブ軍から
守り通すこと。
それが俺、シン・アスカに課せられた最後の任務だった。
正直なところ、俺も議長の言うことが全て正しいとは思えない。
遺伝子が指し示す未来を歩むことだけしか許さず、人はその強制された平和の中でしか生きられない。
確かにそれなら戦争なんてものは二度と起きなくなるのかもしれない。


だけど、その中で生きる人々は本当の意味で幸せになれるのか?


『デスティニー・プラン』のことを知ってから何度も思考を巡らせては、答えは出ないまま。
今だってそうだ。答えは出ない。
だけど俺だってちゃんと考えたさ。何度も、何度も、朝も昼も夜も、食事の時も風呂に入る時も寝る時も。
フリーダムの戦い方について研究していた時と同じくらい、まるで苦しい恋でもしているかのように。


そして、決めた。俺自身の答えを。
俺はやはり戦争のない世界を創りたい。
父さんや母さん、マユやステラのような悲劇を二度と繰り返さないために。
それに俺は、レイから明日を託された。


―俺にはもう、あまり未来はない。テロメアが短いんだ、生まれつき……―
―俺は………クローンだからな…―
―俺たちのような子供がもう二度と生まれないように。だから、その未来は……お前が守れ―


そうさ、一つしか道を選べないなら。俺は最後まで全てを守るために戦う。
戦争のない世界、その明日を信じて。今は戦うだけさ、だから………。

目を閉じて、マユの形見の携帯を握りしめる。
そうするといつも脳裏に浮かんでくるんだ。
悲しそうな笑顔を俺に向けて佇む、マユとステラの姿が。

……もうすぐだ。
もう俺の中のマユとステラが、悲しそうな顔をすることもなくなる。だから……。



もうすぐだよ。待っていてくれ、マユ……ステラ………。



俺はマユの携帯をパイロットシートのすぐ横に置いて、声高に叫ぶ。

「シン・アスカ!デスティニー、行きます!!」

俺とデスティニーは光の翼を広げながら、焔の花が咲き誇る戦場へと飛び出していった。








目の前に広がる漆黒の宇宙、そしてその中に佇む真紅のモビルスーツ。

―インフィニット・ジャスティス―アスランの機体だ。

そのジャスティスが俺から徐々に遠ざかっていく。
何故かって?
俺が月面に向かって落下しているからだ。

アスランの最後の猛攻を受けて、俺の愛機デスティニーはその全ての戦闘力を奪われた。
両腕と右足を切られ、ほとんどの武装も背面のウイングスラスターもやられてしまった。
残っているのは、もう頭部のメインカメラのみだった。

デスティニーは制御を失い、月面へと堕ちていく。
ジャスティスは落下していく俺を数瞬見つめていたが、やがて背を向けて飛び去っていった。
アスランの向かう先はメサイアか、戦略兵器レクイエムか。
どちらにしろアスランの手にかかれば、ものの数分で堕ちるだろう。
それを守るのが俺の任務だったのに……。
「戦争のない平和な世界」を創るために、俺は負けちゃいけなかった。そのはずなのに………。


―ごめんなマユ、ステラ。俺は結局、何も守れなかったよ―
―ごめんルナ、レイ、議長、みんな。俺、何も守れなかった―


心が悲鳴を上げる。
守ると誓った大切な人たちに、心の中で詫び続ける。

でも、でも何でだろう?
俺から力を奪った、デスティニーを打ち破ったアスランにだけは、不思議と怒りを感じなかった。


いや、むしろ俺は、ほっとしているのか………?
俺の胸に去来する、悔しさに混じったほんの少しの安心感。
それが、何故か俺の心を揺さぶるんだ。


だけどこの気持ちが何にしろ、アスランに負けたって事実だけは、素直に受け入れられたんだ。
コックピットにエマージェンシーが鳴り響き、モニターに荒れた月面が大映しになっても、大して
気にならなかった。
残ったメインカメラを操作して、去っていく真紅の後姿を確認して、俺はポツリと呟いた。


「アスラン、あんたやっぱ強いや………」


次の瞬間には墜落の衝撃が俺を襲い、俺の意識は闇に呑み込まれていった。







「―シン!シン!生きてるか!?生きてるなら応答しろ!」

暗闇から俺の意識を呼び戻したのは、無線から聞こえてくる切羽詰まった呼びかけだった。
墜落の衝撃でモニターはイカれたみたいだが、こいつだけは無事だったらしい。
というか、俺はまだ生きている。
墜落時に体を強く打ったらしく全身を激痛が襲うが、それすらも生きている証だ。
墜落した瞬間には死を覚悟したが、デスティニーの優秀な装甲が俺を守ってくれたらしい。
俺は物言わぬ相棒に心の中で感謝を述べてから、呼びかけに応じる。
声の主は俺の上司で、ミネルバの副長アーサー・トラインだった。

「アーサー……副長?良かった、無事だったんですね」
「シン!生きてたか、良かった……。って、お前人の心配してる場合か!デスティニーまで
 シグナルロストした時には焦ったぞ」
「ははは………」

アーサー副長の少し気の抜けた声に、知らず乾いた笑いが漏れる。
この時の俺は、アーサー副長の「デスティニー『まで』」という言葉の意味に気が付かなかった。
それよりも優先順位の高い質問があったからだ。

「副長、ミネルバの皆は無事ですか?ルナは、レイは、議長は……?」
「っ………、それは………」

アーサー副長は俺の質問に口ごもる。それに嫌な予感を覚え、捲くし立てるように怒鳴ってしまう。

「どうしたんですか!?まさか、皆………」
「い、いや!シン、早合点するな!ルナマリアは今エターナル付きのドムトルーパーと交戦中だ。
 あの三機相手に互角に立ち回っているぞ。ミネルバは、まあアークエンジェルとの交戦で大破して
 しまって、月面に不時着してしまったがな」

悔しさを滲ませた副長の声に心臓が跳ね上がる。
ルナが無事なのはいいが、楽観はできないし………。
ミネルバが……大破!?

「か、艦長は無事ですか!?ヴィーノは!ヨウランは!!クルーの皆は!?」
「シン……。安心しろ、クルーは皆………無事だ。グラディス艦長だけはこの場にいないがな」
「この場に、いない?じゃあ、どこに………」
「議長の元に……メサイアに向かった。後のことを私に託してな……」

何故グラディス艦長が議長の元にわざわざ……?
確かに以前議長がミネルバに乗艦していた時、二人は一緒の個室で過ごすことが多かった。
それが噂になっていたこともあったが………。
などと考えていた俺の思考は、次のアーサー副長の言葉にかき消された。

「レイもメサイアに向かったようだが、無事だといいが………」
「レイもメサイアに!?どういうことですか!?レイはフリーダムと………」
「………レイはフリーダムと交戦して、負けたんだ。だけどアビーが、大破したレジェンドが
 メサイアに向かうのを見たらしい。」

だからレイは生きているはずだ、安心しろ。
そう副長は続けるが、俺はもうその言葉を気にしている余裕はなかった。

レイが……討たれた!?フリーダムに……!?
思えばレイはフリーダムに対して、……いや。
正確にはそのパイロット、キラ・ヤマトに凄まじい執着を抱いていた。

レイから聞いた。自分はクローンなんだって。
人類の夢であるスーパーコーディネーター『キラ・ヤマト』を創る過程で生み出された副産物なんだって。
そしてレイと同じクローンで、レイにとって大切だった人が、キラ・ヤマトと戦って命を落としたって。

レイは自分がフリーダムを討つと。
以前俺がフリーダムを倒すと誓った時に行った台詞と、全く同じ台詞を言った。
だからフリーダムをレイに任せたのに。
絶対にフリーダムに勝つって言っていたのに!
俺はいてもたってもいられず、副長に向かって怒鳴りつけた。

「副長!今ミネルバは月面のどのあたりにいるんですか!?俺をすぐに回収してください!予備のザクで、
 俺もメサイアに……!」
「ま、待てシン!ミネルバはもう飛べないし、エンジンも機器の大半もイカれてしまってるんだ!
 モニターは生きてるが、この通信だって壊れた無線を応急修理してやっとの思いで「ふ、副長っ!!」
 何だ!?いきなり―」

俺たちの問答は突然のアビーの、妙に焦った声によって中断されてしまう。
だが、アビーの次の言葉に、俺の全身は一瞬で凍りついた。

「メサイアが……メサイアが………フリーダムに!!」
「何っ!?…あ……あああっ………!?」

アビーの悲痛な声とアーサー副長の呻き声が、無線越しに聞こえてくる。
そして、その声に含まれた、不穏な台詞も。

(メサイアが……フリーダムに?……どういうことだ!?)

俺は焦燥に駆られ、落下の衝撃で変形したコックピットのドアを力一杯押し開けた。
そしてメサイアを仰ぎ見た俺の目に飛び込んできたのは………。


ミーティアを装備したフリーダムのビームサーベルによって切り刻まれていく、メサイアの姿だった。


「あああ………あああぁぁぁぁ…………」

知らず俺の口からも呻き声が漏れる。
でも仕方ないだろ?
フリーダムの攻撃によって炎を噴き上げる無骨な資源衛星の中には……。
議長やグラディス艦長、そして……レイがいるんだから。

「アアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!!?」
「お、おいシン!落ち着け!シ―」 ブツッ!

もう何が何だか分からなかった。
気が付けば俺は通信を切り、自分でも凄まじいと思う勢いで無線の周波数を合わせていた。
通信を繋ぐ先は、議長が指揮を執っている司令室。
グラディス艦長はそこに向かったっていうし、レイもメサイアに向かったというのなら、きっと議長の元だ!

「こちらデスティニー、シンです!議長、レイ、グラディス艦長!聞こえますか!?聞こえたら応答して
 下さい!!」

俺は無線に呼びかける。だが無線からは何の応答もない。
俺はさらに叫ぶように無線に呼びかける。何度も何度も……。
だって今の俺には……デスティニーを失った今の俺には、ただ呼び続けることしかできないから……。

「こちらシンです!議長、レイ、グラディス艦長!!お願いです、至急連絡を………!」







あれからどれくらい時間が経っただろう?
俺はさっきからずっと無線に向かって、その先にいるであろう大切な人たちに呼びかけ続ける。
もう喉も枯れてしまった。
だが俺はしゃがれてしまった声で無線に叫び続ける。
議長の、艦長の、そしてレイの声が、一刻も早く聞きたかった。
ただ無事なんだと、知りたかった。

「お願いだ……頼む………議長、グラディス艦長、レイ……。誰か、誰か答えてくれ。お願いだから……」


そして―奇跡が起こった。

今までどんなに呼びかけても何も答えてくれなかった無線が、俺のたった一人の親友の声を届けてくれる

「……シン……まえ………か?」
「レイっ……!無事か!?」

ノイズが酷くてうまく聞き取れないが、その声は間違いなく、俺の親友・レイの声だった。
そして、聞きたかった声がもう一つ。

「シン……あ……た、無事だった……の……」
「グラディス……艦長!?良かった!二人とも無事だったんですね!だったらすぐに議長を連れて脱出して
 ください!メサイアは、もう……!」

そう、メサイアはもう堕ちる寸前だ。
でも大破しているとはいえレジェンドがまだ動くなら……脱出は可能なはずだ。
でも、無線から聞こえてくるレイと艦長の言葉は、俺の願いとは全く違っていて………。

「できない……。俺も、艦長も……脱出………は……」
「できない!?どうしてだっ!怪我でもしたのか!?なら俺が行く!だから―」

デスティニーはもう動かないのに、俺は無意識にそう叫んでいた。
何が何でもメサイアにレイたちを助けに行く。
俺は、それだけしか考えられなかった。
だけど次にレイが発した言葉は、俺の予想をはるかに超えていて………。

「違う、シン………。俺は……ギルを………撃った………」
「はぁっ!?何だって!?議長を……撃った……!!?」

全然状況が分からない。
何故あんなに慕っていた議長を、レイが撃たなければならない!?
だが聞こえてくるレイの悲しみと後悔の混じった涙声が、それが真実なのだと告げている。
だけど………。

「グラディス艦長!レイを連れて脱出して下さい!艦長もモビルスーツの操縦はできるでしょう!?
 だからっ!!」
「シン……ごめ……なさい。私はギルバードの、彼の魂………連れていかなくては……だから……」

二人の言葉が語る。
自分たちはメサイアと、……議長と運命を共にすると。
その言葉から感じる二人の意志は、とても強くて。
俺は、一瞬言葉に詰まってしまう。
だけど、……だけど!
そんな二人の悲壮に満ちた言葉を聞いても、俺は納得なんでできなかった。
できるわけないじゃないか!
俺はもう誰も大切な人を失いたくはない!
二人に、死んでほしくなんかない!!

「でもっ……生きろ!レイ!言ったじゃないか、前に!どんな命でも、生きられるのなら生きたいだろうって!!」
「……シ……ン………」

レイが驚愕に息をのむ音が聞こえる。
だが、俺は止まらない。

「艦長も!ここで議長と心中して、それでいいんですか!?議長が、本当にそんなことを望んでいるって思うんですか!?
 議長にとって艦長が本当に大切な女性なら、生きてほしいって、明日を歩いてほしいって思うはずです!!
 だから、お願いです!脱出を………!!」
「シン……あなた……」

艦長も俺の言葉に驚いたように言葉を詰まらせ……。そこで二人の言葉は数瞬途切れる。
俺にはその数瞬が、まるで永遠に続くかのように長く感じられた。

そして、二人は俺に、静かに言葉を紡ぐ。
まるで戦時でなく、平和な日常の中で、親しい友人や家族に話しかけるように。
穏やかで、優しい口調で……。
一度聞いたら忘れられないくらい、溢れる想いを込めた言葉を………。




「シン……私には子供がいるの………男の子よ。いつか会ってやって………ね………」

「シン……お前……生………きろ。生きて………俺の…………明日を………!」




その、レイの言葉を最後まで聞くことはできなかった。
突然宇宙中に響こうかというくらいの轟音と凄まじい衝撃が起こったかと思うと、それと同時に通信も切れてしまった
からだ。

「レイっ!?グラディス艦長!?レイーーーーーーーーーーっ!!!」

俺は無線に必死になって呼びかけるが、もう無線はノイズばかりで、何も応えてはくれなかった。
そして、さっきの衝撃と轟音が何だったのかと考えたときに……嫌な予感がした。

「………まさか」

嫌な予感がしたんだ。
俺の脳内を、吐き気がしそうな記憶が高速で駆け巡っていく。

父さん、母さん、マユがオーブ戦に巻き込まれて、肉塊と化したあの時―。
ボスポラス海峡での戦闘で、俺を庇ってハイネが死んだあの時―。
ベルリンでの戦闘で、ステラが俺の腕の中で息を引き取ったあの時―。

大切な人たちとの別れの瞬間が、次々に脳裏に蘇っていく。

喉がカラカラに乾いて、手が、足がガクガクと震える。
見るな、見たら後悔することになるぞと本能が警告するが、その思いとは裏腹に足は一歩、また一歩と外へと向かって
いく。
心のどこかで、「ただの思い過ごしだ」「考え違いであってくれ」と祈りながら。

俺はコックピットから這い出し、メサイアを仰ぎ見た。
そして、俺は見てしまったんだ。


もはやただの石屑と化したメサイアが、レイとグラディス艦長と議長をその胎内に呑み込んだまま、炎を吹き出し、
墜落する姿を。


「………は、ははは………。うそ、だろ?嘘だよな?嘘だって言ってくれよ……なあ!誰かぁ!!?」

叫んでみても、誰も答えてくれない。
ただ、俺のこの目に映る光景が、無慈悲で残酷な現実を容赦なく突きつけて、自覚させる。


―レイとグラディス艦長と議長は、死んだんだ―と。

―お前が守れなかったから、彼らは死んだんだ―と。


「いやだ……イヤだ………いやだイヤだ嫌だイヤダァァァァ!!?議長っ!グラディス艦長!!
 レェェェェェェェェェェェェェェェェェェェイ!!!!!!!!!」

目の前が真っ黒になった。
真っ黒な視界が、さらに涙で歪む。
だけどその中で炎上するメサイアだけが、鮮明な姿で俺の前にある。
その揺るぎようのない現実を前に、俺は膝をつき、ただ泣き叫ぶことしかできなかった。

ザフトのアカデミーで初めて出会ってからのレイとの思い出が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。
いつも俺の傍にいてくれて、俺を支えてくれて、助けてくれて、俺のことを一番理解していてくれて。
自分の呪われた運命を告白してくれて、俺に明日を託してくれたレイ。

俺の色んな問題行動に頭を悩ませながらも、いつも俺を厳しく、暖かく見守ってくれていた艦長。

たとえどのような考えを持っていたとしても、いつも誰より戦争のない平和な世界について考えていて、
俺のこんな力を必要だと言ってくれた議長。

俺の大切な、守るべきだった人たち。
俺に、大切なことを教えてくれた人たち。

……誰一人、守れなかった。一番肝心な時に、守れなかった。

もう誰一人失いたくなかったのに。
誰も戦争なんかで死なない世界を創るために、この手を血で染めてまで力を手に入れたのに。
一番肝心な時に、誰も守れなかった。皆、死んでしまった。

俺はただ泣き続ける。月面に突き刺さったレイたちの墓標を見つめながら。
寒い……冷たい………。心が壊れそうだ。
誰でもいい。温もりがほしい。
俺の凍てついた心を暖めてくれる、誰かが……。

誰か………ルナ。ルナ!ルナ!!ルナ!!!
お願いだ、ルナ。俺の側に……傍に居てくれ。でないと、俺は………。

心が、俺の心が黒く、どす黒く塗りつぶされようとしていたその時。
声が聞こえた。
俺が今求めて止まなかった、少し強気な、そしてとても優しい声が。


「シンっ!シーーーーーーーーーンっ!!」


俺の意識が底なしの闇から引き戻される。
俺は首だけで声のする方に振り向いた。
そこには何か叫びながら、こっちに向かって走ってくるルナの姿が見えた。

ああ……ルナ。お前は無事だったんだな。良かった。本当に、良かった……。

俺はルナに向かって微笑みかける。
自然と頬が緩む。
こちらに向かってくるルナに、俺も手を伸ばした。

早くルナに触れたい。
ルナを抱きしめて、ルナの体温と暖かさを感じて、ルナの無事を二人で喜びたい。

だけど、どうしてだ、ルナ?
何でお前は、そんな泣きそうな顔で俺を見つめるんだ?
何で…………。

「シンっ!早くデスティニーから下りて!何かおかしい、危ないのっ!!
 すぐにそこから………!」

おかしい?デスティニーが?何の、ことだ………?
俺は視線をルナから、月面に横たわる満身創痍の相棒に向ける。
そこにはいつもの起動前のスチールグレーの機体が……。
いや、違う。
確かにその灰色の躯体はいつも通りだけど、デスティニーのところどころから、
薄い、淡い光が漏れ出している。
その光が機体の全身を、俺ごと覆っていって………。

「あ…………」

そしてその光は、俺の視界と意識までも飲み込んでいった。
俺の意識が途切れる直前に、ルナが俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。











俺は何もない、漆黒の空間に佇んでいた。
右も左も上も下も。
どこもかしこも延々と闇が支配するその中で、俺はゆっくりと下へと落ちていく。
どこが上か下かも分からないのに、自分が落ちていることだけは分かった。

ここは……どこだ?
戦闘はどうなった?終わったのか?続いているのか?

でも……もう俺が気にしても仕方ないだろう。
議長も、グラディス艦長も、……レイも。皆死んだんだ。 
メサイアも、たぶんレクイエムも堕とされた。
守るべきものも、人も、何も守れなかった。

俺が今まで戦ってきたのは戦争のない、平和な世界を創るためだったのに。でも、そのために
デスティニー・プランを成功させようとした俺の想いは、アスランに否定された。
そんな力に縋るんじゃないって。それじゃ永遠に心は救われはしないって。

……分かってるさ。分かってたさ、そんなことはっ!!

だけど、じゃあどうすればよかったんだ!?
アスランたちの理想ってやつで、戦争が確実に終わるのか!?
俺は、間違ってたのか!?
なら俺は今まで、何のために戦ってきたんだ!?

………オーブで家族を失って、プラントに渡ってザフトに入って。
インパルスで、そしてデスティニーで色んな敵と戦って。
議長がくれたこの力があれば、平和な世界を妨げようとする奴等を、全て薙ぎ払えると思ったのに。
俺の大切なもの全てを守れるって思ったのに。

皆、死んでいった。
ハイネも、ステラも、議長も、艦長も、レイも。

できるようになったことといえば、誰かを撃つことだけ。
誰かから何かを奪うことばかりだ。
だとしたら、俺が今まで戦ってきたことの意味は…………。

そう考えた瞬間、周りを包む闇がさらにその密度を増し、纏わりついてくる。
心に、たった一つの思いが去来する。


……無駄だった。何もかも………


意識が急速に闇に呑まれていく。
俺の存在全てが闇の中に溶けて。消えていく。
もう、何も考えたくない。もう、休みたい。
そう思って目を閉じた、その時だった。



―そんな事ないよ………!―



え………?

「誰………?」

突然暗闇に暖かい光が差し込み、冷え切ってしまった俺の背中を優しく照らす。
その光に目が眩むが、俺は光の中で優しく微笑む声の主を仰ぎ見た。
そこにいたのは、俺が守りたかった、けれども守れなかった、少し幼さとあどけなさが
残る金髪の少女だった。

「ステ……ラ。ステラっ………!」

光の中で俺を見下ろしていたステラは、空中を泳ぐように俺のすぐ目の前にやってくる。
俺に向けられるステラの笑顔は、戦争や死への恐怖、薬物投与の副作用による苦しみ、
そんなもの全てから解放されたように、明るくて、ほんわかしてて、そして何より、幸せそうだった。

ステラは涙でぐしゃぐしゃな俺の顔に、両手を優しく添えてくる。
そして親指で俺の涙を優しく拭き取りながら、俺に笑いかけてくる。


―ステラ………シンに会えて良かった………―


ステラの小さな口が、俺への言葉を紡ぐ。
その言葉はまるで、俺の凍てついた心を優しく溶かしていくようで。
いつの間にか俺の心には、暖かい温もりが満ち満ちていた。

するとステラは俺の顔に自分の顔を近づけていき、ほんの少しの間だけ、俺の唇とステラの唇は触れ合った。
そしてほんのり頬をピンク色に染めながら唇を離して、とびきりの笑顔で俺を包みこんでくれる。


―だから前を見て。明日を見て、シン…………―


そう言うと、ステラは俺の顔から手を離し、ゆっくりと光の中へ消えていく。
俺の頬に一筋の雫が伝う。
だけどさっきまでのと違い、それは、とても暖かく感じられた。

さっきまでの絶望に染まった心が、今は全く別のものに塗り替えられていた。
底の見えない漆黒とは正反対の、明るくて光輝く、暖かな色に。
その色の正体は、たぶん「希望」っていうんだと思う。

「そうだな……ステラ………。俺はまだ…………生きている…………」

ステラは、俺に大切なことを気づかせてくれた。
それは、「明日への希望」。

確かにレイたちは死んでしまったが、まだミネルバの皆や、ルナが生きている。
それに俺は、レイとグラディス艦長から、新たな明日を託された。


―子供がいるの。いつか会ってやってね―

―シン、生きろ。生きて、俺の明日を―


二人から託された願いを、放り出すわけにはいかない。
戦争のない平和な世界もまだ実現していない。
それを見届けるまでは、歩みを止めるわけにはいかない。

俺にはまだやることがある。
託された願いがある。
守るべき人たちがいる。
俺は涙を拭って、ステラが消えていった光に向かって叫んだ。

「ステラ、見ててくれ!俺、今度こそ全てを、人も、願いも、世界も全て守ってみせる!!」

光の中で、誰かが笑いかけてくれた気がした。
きっと、聞こえたんだと思う。
俺は空間全てを包む優しい光に身を委ねる。そのまま、俺の意識は薄れていった。

大丈夫。
たとえこれからどんなことが起こったとしても。
残酷な現実が心を押しつぶそうとしても。
後悔で歩みを止めることがあったとしても。
俺は色んな人の想いを背負って、生きていくことを決めたんだ。
そう、きっとこの道を歩いていけるさ。だって…………。





―生きている限り、明日はやってくるから。そうだろ?ステラ…………―





薄れていく意識の中で、俺は誰かに呼ばれた気がした。
誰だ…………?
俺はその声に導かれるように、光の中に吸い込まれていった。

















東の空でサンサンと輝いていた太陽が、少し西へと傾き始めたP.M16:00。
ひなびた商店街に夕飯の食材を求めて、主婦の皆様が続々と足を運んでいた。
その肉の波に逆らうように、二人の男女がかきわけかきわけ進んでいく。
ようやっと人の少ない通りに出てから、やっと彼らはぜは〜っと息を吐き出した。

「あぁ〜〜、ものすっごい人………。服も髪もヨレヨレになっちゃったじゃん……」

そう文句を垂れるのは、タンクトップにショートパンツというかなり際どい、もといラフな格好を
した少女。

彼女の名前は五反田蘭。
有名私立女子校の中等部に通っており、生徒会長の職にも就いている才女である。
まあ、今のガサツな態度とラフすぎる服装からは想像もできないが。

後ろでクリップに挟んだ赤髪を片手でいじり、次にタンクトップについたホコリをさっさっと払う。
すると隣でいくつもの買い物袋を両手に下げた蘭と同じ赤髪の青年が、滴り落ちる汗を袖で拭い、
蘭をジト目で睨む。
ちなみにこの冴えない青年の名は五反田弾。
隣を歩く蘭とは、兄妹の関係にある。

「何が『服も髪もヨレヨレになっちゃった〜』だよ。自分は一つも袋持ってないくせによ……。
 だいたい服装も髪型も家にいる時と一緒じゃねーか。今更何を気にしてグガゲェ!!?」

歩きながらなおも文句をブー垂れる弾の足を、蘭は微塵の容赦もなく思いっきり踏みつける。
しかもグリグリのおまけ付き。
熊でも殺せそうな極寒の視線で、赤く腫れた足をさする弾を射抜く。
先ほどまで弾の顔に滴っていた汗は、数瞬全く別の冷ややかな汗に早変わりする。
全身にびっしり冷や汗を滲ませて震える弾をさらに冷ややかに見つめながら、蘭は静かに口を開く。

「人ごみに揉まれて痛んだ髪や服に気を使うのは女として常識。重い荷物を運ぶのは男の仕事。
 これも常識。何その目?もしかしてそんなことも分からないのお兄は?バカなの?」

何という罵詈雑言。
普通の人間なら怒りを通り越した怒髪天で言い返しそうなものだが、憐れ弾はまるでク○ボーや
ノ○ノコに正面衝突してしまったかのように小さくしぼんでいく。
こんなやりとりからも、この兄妹の明確な力関係がよく分かるというものだろう。
そんな弾を横目で見ながら、蘭はあからさまな溜息を吐く。もちろん特大の。

「何でせっかくの休日に、お兄なんかと買い出しに行かなくちゃならないのよ。……どうせなら
 一夏さんと………」
「いやそりゃ無理だろばげぇ!!?」

裏拳一閃。
憐れ弾はコマのようにくるくると回って、血の海に倒れこんだ。
息も絶え絶えに体をピクピクさせる弾の背に足を乗せ、蘭はまたも特大の溜息を吐いた。
もちろん足のストレッチも忘れない。グリグリ。

「せっかく新しいお洋服も買ったんだし、今日は一夏さんとお出かけしたかったのにな………」

本当に残念そうに蘭は目を伏せる。
そしてストレッチはまだ終わらない。グリゴリッ、ゴリリッ!

弾は今日の蘭の無体を親友が見たら、愛想尽かすんじゃないだろうかと思ったが、あえて口には
出さない。
この歳で路上に屍を晒したくはない。

弾の背をグリグリし続けた蘭は、ようやく気が晴れたのか、もしくは足が疲れたのか。
ようやく足をどけて、肩を落として歩き出す。
そんな蘭に苦笑しながらも、弾は砂埃を払いながら起き上り、妹の後ろに続く。
やっぱりどれだけ邪険にされようと、妹は可愛いものだ。
祖父は蘭にひたすら甘いが、俺も大概なのかもな……と、弾は心の中でひとりごちた。

ようやく自分たちの家が見えてくる。
先ほどの蘭の折檻で痛めた体がキリキリ痛むが、買い物袋を担ぎ直して足を前に進める。
帰ったらジュースでも飲みながら、買ったばかりのゲーム『IS/VS』でもやろうとほくそ笑みながら。

と、その時弾の横目に何かが映った。
家のすぐ横の細い隙間。
普段は家から出たごみをそこに貯めておくのだが、そこに明らかにごみ袋でないものが横たわっていた。

見慣れない服……。
まるで何かのアニメに出てくるようなピチピチのスーツ。
それに、これまたアニメか何かに出てくる宇宙飛行士がかぶっていそうなヘルメットが転がっている。
そしてボサボサした黒髪に、端正な顔立ちに……と考えたところで。

「って、人じゃねーか!冷静に解説してる場合じゃねぇ!」

弾は袋を放り出して慌てて駆け寄る。
すぐさま生きているか確認したが、どうやら気絶しているだけで、命に別状はなさそうだった。
弾はほっと息をつく。
って安心している場合じゃない。
命に別状はなさそうだが、スーツのところどころが切れて血が滲んでいるし、顔には打撲の跡もある。

弾は考える。
確かに病院に連れて行くほどの怪我ではないし、普通は路上での行き倒れは警察とかに届けるのが賢明だ。

しかし……とも思う。
気を失っているこの青年は、今も目の前でひどくうなされている。
まるでタチの悪い悪夢でも見ているかのように。
それに、自分の家のすぐそばで行き倒れていたのだ。何か運命的なものを感じるし……。

何より、ここで助けなかったら、男が廃る!!

弾の義理人情がメラメラと音を立てて、勢いよく燃え上がる。
その心に滾る炎の勢いのまま、示すままに今まさに家の中に消えようとしていた妹に向かって、声高に
叫んだ。

「蘭っ!ちょっとこっちこい!こいつを運ぶの手伝ってくれ!!」
「はぁ?荷物を運ぶのは男の「いいからっ!早く来い!!」な、何よいきなり………」

蘭は弾の有無を言わせぬ迫力に気圧されながらも、しぶしぶながらやってくる。
弾が入っていった狭い隙間をひょこっと覗き見て、驚愕に目を見開いた。

「えぃっ!?お兄、誰この人!って運ぶの手伝えって、もしかしてこの人を家に……!?」
「もしかしても何も、そのつもりだ。蘭、お前足持て。家の中、俺の部屋まで運ぶ!」
「えぇ〜!?おじいちゃんやお母さんに何て言うつもりよ!?」
「洗いざらい、本当のことを話す。じーちゃんやお袋だって分かってくれる!絶対だっ!」
「ほ…本気ぃ?……もう、どうなっても知らないからねっ!?」

そういう蘭もこの青年を路上に放り出したままにするのは気が引けるので、仕方なく手伝うことにする。
こういうところで見て見ぬフリをできないのが、この赤髪の兄妹の良いところだった。
よっこいしょと気絶した青年を持ち上げたとき、その手から何かが滑り落ちた。

落ちたものは二つ。可愛らしいストラップのついたピンク色の携帯と、淡く虹色に光る小さな貝殻の
ネックレス。

「何だこれ……?」

どちらも、およそこの青年が持っていそうなものではなかったが、転がっていた青年の物らしい
ヘルメットにその二つを入れて、小脇に抱える。
運んでいる最中もうなされ続ける青年の顔を見下ろして、弾はふと「こいつ、どことなく雰囲気が
一夏のやつに似てるな」などと何の脈落もないことを思ってしまう。

弾は古めかしい玄関の扉を足で器用に開け、青年を運び込む。
そんな三人を年代を感じさせる、店主と同等の暑苦しいオーラをその身に纏った、「五反田食堂」
の暖簾と「準備中」の看板が、静かに見守っているのだった。










絶望のどん底から明日を生きる希望を見つけた青年の運命は、ここにきて全く違う形へとその姿を
変えていった。
託された願いと全てを失った過去をその身に背負い、青年は『運命』に立ち向かっていく。
これは、そんな傷だらけの運命を歩き続ける一人の青年、シン・アスカの物語。
そしてこの物語は、今やっと始まったばかりだった。



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