「ううう…………うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」


今、何時だろうか?部屋に戻ってきてベッドにダイブしてから、
時間が経つのも忘れて、私は悶え苦しんでいた。
無意識に長い髪をぐしゃぐしゃにかきむしって、ベッドの上を右往左往しながら。
何で私がこんな奇行に走っているのかというと、それは…………。


( 見られた………聞かれた!あの、男に!私の秘密を………!! )


脳裏に焼きついているあの光景。
私に気付かれたことに動揺するあの男の顔。
私とすれ違ったときの、あのバツの悪そうな顔。
その全てがまるで激流となって、私の心を激しく乱す。

誰にも知られたくなかった。
私が今現在直面しているこの問題がどれだけ常軌を逸したものであるかは、
分かっているつもりだから。
誰かに口走ったが最後、正気を疑われるのは目に見えていたから。
だからそれを誰にも言わずに耐え忍んできたのに……。

今日の放課後、私はそれをさらけ出してしまった。
他でもない、心から尊敬する教官に。
私の人生の目標であり敬愛する教官に対して、わざわざ私を放課後に呼び出してまで
気にかけてくれた教官に対して、『誰にも言わない』という私の決意は、呆気なく崩壊した。
私はあの人の優しさに耐え切れず、内に溜まった膿を吐き出すように、喚き続けた。
そしてその結果、教官に醜態を晒した挙句、それをよく知りもしないクラスメートに
目撃されてしまうことになった。

ああ………何という失態!有るまじきことだ!
普段の私なら常に周りに神経を研ぎ澄ませている、あの男が盗み見ている事に
気付かないはずがないのに!
しかしあの時の私は普通の精神状態じゃなくて、激しく取り乱していて………、
他に気を配る余裕などなかった。
そして、その結果がこのザマ………。
私はせっかく話を聞いてくれていた教官を置き去りにして帰ってきた挙句、
こんなにも無様に悩み悶えている。

……ははは、ははははは………。
一体、どうしてこうなってしまったんだろうな?
今の私は一戦士として、軍人として、あまりにも惨めだ………。
どうして………どうして!?
少なくとも、一週間前までは、こんな…………。



( こんな無様で惨めではなかったト?本当にそう思っているのカ、お前様? )


「ひっ――――――――――――――――――!!!???」


跳ね上がる心臓。一瞬呼吸が止まって、喉から変な音が出る。
全身から冷や汗が噴き出し、頭の奥が痺れてくる。
私はもがくのも忘れ、バッとベッドから身を起こす。
ねっとりじっとりとした、まるで闇の奥底から這い出てきたような声………。
だが……だが、この声………。
ここまで明瞭に聞こえてきたのは初めてで………。


( ふふ………驚いてもらえたようだナお前様?しかし、私だって驚いているのだゾ?
  ここまで急速に力を蓄えられるとは思ってなかったからナ。
  流石はお前様。崩れた時の情緒不安定ぶりときたら、端から見ていても笑えたゾ )


「き、貴様………何を言っている……!?力とか、何とか………!!」


『私』の一言一言が、私を焦燥させる。
混乱が最高に達しながらも、私は何とか言葉を搾り出す。
……問いかけにもなっていない、しかし精一杯の虚勢を、張り上げる。
しかし『私』はそれを受けてもどこ吹く風。
むしろ可笑しそうにクックッと笑いながら、囁いてくる。


( ああ、可愛い。可愛いな、お前様……。
  憧れのお姉さまと共にいる時とは違ウ。『黒ウサギ隊(メスガキ共)』と
  訓練をしている時とも違ウ。
  とても弱弱しく、細々とした声。なよなよした蛆虫のような声。
  まさにお前様の本当の、生来のその響キ……。
  そして私はその響きが嫌いじゃなイ、むしろ好ましくさえあるのだガ……。
  実に、残念。残念ダ………。
  私はもうすぐお前様のその声ヲ、愛しい響きヲ、聞くことができなくなル…… )

「……は?聞くことができなくなるって、どういう………」


嫌な予感がした。
その先を聞いちゃいけないと直感がしたのに、恐怖に耐え切れず、
私は尋ねてしまった。
そして、それを受けた『私』は実にあっけらかんと答える。
まるで、それが何でもない事であるかのように。


( ン?もうすぐお前様ガ、『私』の内に侵食されて消えてなくなるからだガ? )

「………は?」


……何だ、それは……?


( そんな態度しなくてもいいヨ、お前様。
  鋭いお前様のこト、もう気付いているのだろウ?
  日に日にお前様という存在ガ、人格ガ、その意識ガ、
  『私』に呑まれて薄れていくことニ……… )


………止めろ、止めてくれ………。


( それは、兆シ。今に『お前様』という人格は常闇に呑まれ消滅シ、
  『私』が『お前様』に成り代わル。……何故そんなことになると思ウ、
  お前様………? )


止めろ止めろ止めろ……………。



( 私が、そうしているからサ………キキキ………… )



止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ
止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろぉ!!!???
聞きたくないっ!!!聞きたくないっ!!!???



( キャハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァ!!!!???
  無駄ダヨ無駄ァ!!イクラ耳ヲ塞ゴウガ、大声ヲ張リ上ゲヨウガネェ!!!?
  デモ、今ハソレデイイヨ!イクラデモソウヤッテ泣キ喚キナ!!?
  ソレガ私ノ養分ニナルワケダカラネェ!!!!!!
  ソレニ、私ハアンタト違ッテ寛大ダカラサァ!!!
  モウスグ綺麗サッパリ消エチャウアンタニ少シハ慈悲を上ゲナイトネェ!!??
  キーーーーーーーーャーーーーーーハハハハハハハハハハハハァ!!!!??? )

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


いよいよ耐え切れなくなって、私はベッドに倒れ込む。
枕に顔を埋めて耳を塞ぐ……力の限り。
でも『私』の笑い声はいつまで経っても消えなくて……。
その笑い声はまるで私の全身に纏わりついて、私を闇の底に連れて行こうと
しているように感じて……。
もう私は自分がどうすればいいのか分からなくなって、ただこの恐怖と不安に
押し潰されないように泣きじゃくることしかできなかった。
 

「うっう…………ぐすっぐすっ………。
 何で、何で私だけこんな目に…………。
 こんなこと、黒ウサギ隊の部下たちには話せないし、これ以上教官に甘えて
 迷惑をかけるわけには………。
 誰か……誰かぁ………助けてよぉ………。
 私はまだ、消えたくない………。
 私にはまだ、やらなくてはならないことが、残ってるのにぃ………」


もう私は自分が軍人であることも、ISの代表候補生であることも、
自分が強く凛々しくあらねばならないことも忘れていた。
ただ子供のように、めそめそと泣くことしか、もう……私には………。


……コンコン、コンコン………



扉を叩く音が聞こえる。
私はハッと顔を上げて、ベッドから飛び降りると一目散に入り口へと向かう。
誰が尋ねてきたかは分からないけど、正直誰でも良かった。
ただ私は、今一人でいることが怖かった。
このまま自分が闇に溶けていきそうな錯覚を覚えていたから。
誰でもいいから、一緒に居たい、傍に居てほしいという衝動が私の体を突き動かす。
そうして扉を開けようとした時、その声は聞こえてきた。


「……ボーデヴィッヒ、いるか?俺……シン・アスカだけど……」

「―――――――――っ!!」


私はドアノブに手をかけたまま硬直。
ぐちゃぐちゃだった思考が、僅かながらまとまってくる。
ドアノブからゆっくりと手を放したのち、わずかに逡巡する。

……シン・アスカ。
今日私と教官の話を、盗み聞きした男。
そう理解した瞬間、頭が怒りで一気に沸騰する。
奴が……奴が私の話を立ち聞きしなければ、私はあそこまで心を乱すこともなく、
『私』に付け込まれることも………!
自分の心の弱さを棚に上げて、私はこの憤りを扉の向こうにいる男へと向ける。
そうしないと心の平静すら保てない、情けない自分。
そんな醜い思念を向ける私に気付いていないシン・アスカは、歯切れが
悪そうに尚も話しかけてくる。


「良かったら……顔だけでも見せてくれないか?
 謝りたいんだ、さっきの……立ち聞きのこと………」

「へ………………?」


対面から聞こえてくるしおらしい声に、思わず呆然。
ぽかんと口を開いたまま、目を見開く。
シン・アスカ……。
初めて教室で会った時に感じた奴の印象といえば、苛烈にして激烈。
目の下に私と同じようなクマをこしらえて、まるで病人のような様相なのに、
その身から沸き立つのは獄炎とも言うべき荒々しいプレッシャー。
なのにまるで波風一つ立たない水面のようにそれは落ち着いていて、穏やかで……。
虚ろだった意識の中でも、それは鮮明に覚えていた。
しかし、こんなに弱弱しい声を出すような男には見えなくて、そのギャップに
私は今固まっている。
……っ!
馬鹿な!何を余計なことを考えている!?
こいつは私にとって憎むべき相手!そんな男の言葉など、私は何一つ
聞いてやる必要など………!!


ガチャ…………


「……あ!ボ、ボーデヴィッヒ!開けてくれたのか、サンキューな!」

「え?」


気が付くと私はドアノブに再び手をかけていて、ドアチェーンをかけていたことで
少しだけ開いた隙間から、シン・アスカが顔を覗かせていた。
あ、あれ?どうして?
私は扉を開けるつもりはなかったのに………。
何で自分が扉を開けてしまったのか分からずに呆けていると、シン・アスカが
「……ボーデヴィッヒ?」と気遣わしげに私を見つめてきて、現実に引き戻される。


「……っ!な、何の用で来たシン・アスカ。
 第一何故私の部屋をお前が知っているんだ。
 まさか貴様、私を尾行して………」

「い、いや違うって!ここの部屋番号は織斑先生に聞いたんだよ!
 ていうか、用件はさっき言ったろ?
 謝りに来たんだよ、お前に………。
 さっきは、悪かった!お前と先生の話を盗み聞きしちまって!
 言い訳はしない。殴りたいなら殴っていいから!」

「……貴様の自己満足に付き合ってやる義理はない。
 というか、何故貴様への報復でまず第一に出てくるのが『殴る』なんだ?」

「あ、俺が同じ立場なら、絶対相手を殴るから………」


………………………………………。
何という単純な理由、呆れて言葉も出ない。
だがシン・アスカが心から謝罪をしていることは私にも分かる。
言葉の響き等からも伺えるが、何よりはその瞳。
「目は口ほどに物を言う」の言葉の通り、シン・アスカの気持ちはその紅蓮の瞳を
見れば分かった。
だからといって私がシン・アスカのした事を許すかどうかはまた別問題であって、
いつもの私なら、こんな一方的な謝罪など歯牙にも掛けないのだが……。
弱っている今の私には、奴の心遣いがとても温かく感じて…………。


「……ま、まあ本当に反省しているのなら、もういい。
 ただしあの話は他言無用だ、分かったな」


なんて甘ったれたことを言ってしまった。
……本当にどうしてしまったんだ、最近の私は?


「ほ、本当か!?ああ、もちろん他言なんかしない!
 ありがとうな、ボーデヴィッヒ!」


シン・アスカは心底ホッとしたように表情を和らげる。
その嬉しそうな顔にくすぐったくなりながら、同時に不思議にも思う。
私に許してもらえたことが、そんなに嬉しいか………?
……と、とにかくこれで奴の目的は果たされたわけだし、もう私に用はないだろう。
私は奴を一瞥し、扉を閉めようとした。
……実を言うと、少し気が落ち着いてくると今人前に姿を見せていることが
とても恥ずかしくなってきてしまったのだ。
……私だって一応女だ。自分の身なりを気に掛けたりもする。
しかし扉が閉まる直前、隙間に何かが滑り込んできた。
艶かしく黒光りするその黒い手袋。
それはやつが身につけていた手袋と同じ………というか!


「な、何をしているシン・アスカ!?いきなり手を挟んでくるなど……!」

「い、いや。実はお前に渡したい物があってさ。もしよかったら、
 扉をもう少し開けてくれると嬉しいんだけど……痛いし。どうかな……?」


わ、渡したい物?私に?いきなり何なんだ?
困惑しながらも私はゆっくり扉を開ける、もちろんドアチェーンはそのままだ。
するとシン・アスカは一旦手を引っ込め、次に隙間に差し入れられた手には
何かがおさまっていた。これは………。


「……サンドイッチ?」

「ああ、今日俺の友達が作ってくれたんだ。かなり旨いんだぜ?
 織斑先生から聞いたんだけど、お前最近ほとんど何も喰ってなかったんだってな。
 だからお詫びの印っていうのかさ。良ければ喰ってくれよ」


き、教官そんなことまで奴に言ったのか!?
またしても私のプライベートを奴に知られていたと分かって惨めな気持ちになるけれど、
それでも私は差し出されたサンドイッチを遠慮がちに受け取った。
私の十五年の人生の中でこんな風な贈り物を貰ったのは初めてのことだったから、
ちょっと嬉しかったんだ。
すると奴は今までで一番満面の笑みを浮かべ、扉の前に大きなバスケットをドスンと置いた。
………?何だあのバスケットは?


「おおっ!受け取ってくれるのかサンドイッチ!
 じゃあ残りもここに置いておくから遠慮なく喰ってくれよ!
 喰ったら感想聞かせてくれよ!」


シン・アスカはそう言うともう一度だけ私に謝罪して去っていった。
……あのバスケットの中身、全部サンドイッチだったのか。
私はとりあえずそのバスケットを回収して部屋に戻る。
バスケットをテーブルに置いて、ベッドに腰掛けて胸に去来するのは、形容しがたい寂しさ。
さっきまでのやり取りが濃厚すぎたためだと思う。
でなければ私がこんなセンチメンタルになるはずがない。
……シン・アスカ。
私の会話を盗み聞いたからと嫌悪していたが、中々どうして、悪い奴ではないのかもしれない。
奴への認識を改めつつ、早速渡されたサンドイッチを一口パクリと頬張った。
ふふっ、そういえば確かにここ数日碌に食事をしていなかったし、丁度良かったのかもな。
誰かの手料理がこんなに暖かいものだと、あらためて………………………………………。
―――――――――――――――――――――――――っ!!!???


「うっ………うぶっ!!??」


あ、あれ?何だこれは………!?
く、口………口の中が………!
ね、粘っこい!?臭い!?熱い!?冷たい!?辛い甘い酸っぱい苦いそれらが
口内でシャッキリポンと踊って――――!!??


「うぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!???」


ぐ、ぐああああああああああっ!!!???
な、何だ何なんだこの味は!?
不味いっ!?物凄く不味い!??
この世のものとは思えないくらいに不味い!!??
第一級危険物質!?バイオハザード指定!?
それともそれとも…………オオオオオオッ!!!!!!
私はダッシュで洗面台へと向かう。
扉を蹴り破ってそこに顔を突っ込むと………。


「うえええええええぇぇぇぇぇぇ……………!」


口内のサンドイッチを、胃液とともに全て吐き出した。
盛大に嘔吐するなんていつぶりか分からないが、胃の中が空っぽになるまで吐き続けた。


「うえっ……うえぇ…………う、うううううぅぅぅぅ……………」


やっと呼吸が落ち着いてきて、水を一杯空になった胃にゆっくり流し込む。
途端一旦は落ち着いていた脳がまたしても沸騰し、全身から怒りが噴出す。
それの矛先はもちろん奴だ、シン・アスカ………!!シン・アスカぁ…………!!

あの、男………!!
お詫びの品などと言いながらこんな毒物を私に寄越すだなんて………!!
一体私が何をした!?私に何の恨みがあるのだ!!?
奴のことを考えるほどに怒りも密度を増して、膨れ上がる。
少しでも、少しでも奴を「悪い奴ではない」などと思った自分の馬鹿さ加減に腹が立つ!!
いつもの私なら相手がどんな人物かぐらい、見た瞬間に判断できるというのに……!!

情けない!自分が情けない!!
正体不明の『私』に翻弄され意識薄弱になり、むざむざ毒を盛られた自分が情けない!!
怪我の功名かあのサンドイッチのお蔭で朦朧としていた意識が無理やり覚醒したが、
こんなことで覚醒しても、全く嬉しくない!!
今日はもう遅いし無理だが……明日朝一で、奴に制裁を食らわしてやる!!!

私はギリギリと歯軋りしながら、憎きシン・アスカの顔を思い浮かべていた。
奴にどんな一撃を見舞ってやろうかそればかり考えていて、『私』とのさっきまでの
やり取りや悩み等を、すっかり忘れてしまっていた。






























「……ふう、やはりドイツ料理は美味いものだな。たった数日口にしていなかっただけなのに、
 ここまで美味く感じるものか……」


時は翌日の昼休み。
私は今この学園に来てから初めて学食を利用している。
券売機からドイツ料理の定食をチョイスし、色とりどりの花が配された一番端の丸テーブルを
一人で陣取って、そこでもむもむと一人食事を摂る。
昨日までは『私』のせいでろくに食欲も沸かなかったが、今は別だった。
私は今朝教室へ全速力で向かい、クラスメートと暢気に歓談していたシン・アスカに
ありったけの怒りを込めて飛び蹴りを浴びせ、腹に溜め込んでいた憤りの全てを罵詈雑言に
変えてぶつけてやった。
そのせいか実に久方ぶりに私は清清しいまでの達成感、充足感に満たされていた。
ふふ……奴の泡を食ったような顔、思い出すだけで清々する。

本当に、久しぶりに感じる。こんなに心穏やかに食事をすることに……。
それに、その食事の内容がさらに凄い。
事前にIS学園の学食はあらゆる国のそれが揃っていると聞いてはいたが、正直予想を
遥かに上回っていた。
目の前のトレイにはジャガイモのパンケーキ、フランクフルトとレバーソーセージ、
付け合せのザワークラウト、マッシュルームのクリームスープ、デザートに苺ソースが
挟まれたアイアークーヘン。
どれもドイツで食べたことのある料理ばかりで、思わずテンションが上がってしまっていた。
もちろんその内容の充実さにも驚いたが、何より、美味い。
昨日の毒物とは比べるまでもなく、また本場ドイツにもひけを取らない味は私を驚嘆させた。
ここのコックは良い腕をしている。
今までここを利用しなかったことが悔しくさえ思えた。
そんなことで私は自然と鼻歌など歌いながら、久しぶりの人間らしい食事に舌鼓を打っていた。

と、そこに後ろから遠慮がちなか細い声をかけられる。
食事に没頭していた私は少し不機嫌そうに鼻を鳴らし振り向いて、さらに顔もしかめた。



「よ、よおボーデヴィッヒ。今日は食堂に来たんだな。ここの料理も中々に旨いもんな……」

「……………………」


そこにはまるで悪戯を咎められ小さくなった子供のように体を縮こませたシン・アスカが立っていた。
顔には大きなガーゼを貼り付けて、目の下のクマと相まって、まるで戦場帰りの兵士を思わせる。
まあ、その傷を負わせたのは他ならぬ私なのだけど。
そんなシン・アスカは何故かそわそわと落ち着かない様子でぎこちなく私に話しかけてくる。
……何なんだこの男は?少し気味が悪いな………。
今朝私にクラスメートたちの前で蹴り飛ばされたことを忘れたわけじゃあるまい。
私にとっては胸のつかえが取れた、まさに「いい気味」だったが、奴にとっては大勢の人間の前で
女に蹴り飛ばされるなど、屈辱以外の何物でもなかったはずなのだが……。
だから私は昼休みにいきなり話しかけてくる奴の心中を計りかねていた。
と、シン・アスカは小さく深呼吸するとピシッと姿勢を正し、そのままググッと腰を45度曲げてくる。
………何をしてるんだ、こいつは?


「その………悪かったボーデヴィッヒ!昨日のサンドイッチがそんなに口に合わなかったなんて
 想像もできなかったんだ!そのせいでまたお前の心身に負担をかけちまったみたいで……。
 何て言っていいか分からないんだけど、その………」

「………貴様の嘘丸出しの弁解など聞く気はないんだが。
 そもそも貴様、私に本当に許してもらうつもりで来たのならタイミングを考えろ。
 見れば分かるが、私は今食事中だ」

「う、嘘なんか言ってないって!でもタイミングのことは……その、考えてなかった。
 一刻も早く謝らないとって、それだけ考えたから……。
 教室では他の奴らがいたし、そこで謝るのも悪いかなと思って……本当にすまない」


………だからわざわざこんな所まで追ってきたというのか?
私が一人になる時を狙って、ただ私に謝るためだけに?
でもしどろもどろになりながらも頭を下げてくる奴を見ていると、それが嘘だとは
どうしても思えなくて。
…まああの毒物が口に合わないというのが想像できなかったというところは断固として
嘘だろうと言えるが。
しかし奴が誠心誠意謝っているのは分かるので、何だかこっちが罪悪感を覚えてきてしまう。
私は軽く息を吐き出して、考える。

……全く読めんなこいつのことは。
初対面の時に見せたあの熟練の戦士のような威圧感はどこにもない。
今のこいつはまるで悪い事をして友達に許してもらおうと必死に謝る小学生のよう。
その姿は何だか可愛くもあって、でも少し不自然にも感じて。
もちろん私はそれを表面に出すことはせず、こんなに謝ってることだし、まあ
許してやってもいいと言おうとして、ほんの少し、魔が差した。


「ふん……もういい。こんな場所で頭を下げられることの方が迷惑だ。
 お前の誠意は分かった。もう許してやるから、さっさと頭を上げろ」

「ほ……本当か!?」

「ああ、私も少々やり過ぎたからな。……そうだ、私もお詫びの品を渡そうか。
 仲直りの印だ。ほら……ドイツの定番料理、ザワークラウトだ。美味いぞ」

「ああ……ああ!頂くよ!サンキューなボーデヴィッヒ!」


奴は途端パッと顔を輝かせ、私の差し出した皿からザワークラウトをひょいとつまんで、
口に放り込んだ。
……自分から許しておいてなんだが、こうまで喜ばれるとむず痒いものがあるな。
と、ザワークラウトを咀嚼していたシン・アスカの顔色が徐々に黄色く染まっていく。
そして口を梅干のようにすぼめて、叫んだ。


「す…………すっぺぇ〜〜〜〜〜〜!!??」

「ドイツ料理、ザワークラウト。塩と香辛料で漬け込んだキャベツの漬物だ。
 この酸味が何とも言えないだろう?ドイツではこれは料理にも使われるんだ。
 昨日お前が私にくれたサンドイッチよりも酸味は大分薄いが、その分
 いくらでも食べられる、病み付きになる味だろう?」

「あ、あのサンドイッチは酸味だけじゃなく他の旨み成分とも奇跡的に調和して……ぐおぁぁ!!
 み、水!水、水!!」


シン・アスカは口を押さえて目を白黒させながら配膳カウンターへ走っていく。
そこで水を貰い、勢いよくがぶ飲みしていた。
……しかしザワークラウトは駄目であの劇物指定のサンドイッチはOKなど、どんな
味覚をしているんだ奴は?
ともあれこれで完全に気は晴れたし、これくらいで水に流してやろうと息をつく。
奴が戻ってきたら、今度は癖の強いレバーソーセージでも勧めてやろうかと考えていると、
入り口の方からやけにのんびりとした声が聞こえてきた。


「おわー、見事に満席だねぇー」

「そうね。今日は早めに仕事を切り上げたつもりだったのだけど、昼休みの混雑を甘く見てたわね」


やけにテンポの遅い声と、対照的にきびきびとした明瞭な声。
それが何となしに気に止まって、私はふとそちらに目をやる。
そこにはやたらのべーっとした柔らかい顔つきの女と、どこか事務然とした固い表情の
眼鏡をかけたポニーテールの女がトレイを持ってキョロキョロしていた。
どうやら席を探しているらしく周りを見回していて……ふとその眠たげな視線が、私のそれと交差する。
……いや、正確には私の座っている丸テーブルを見つめていて、その表情がパァ〜と
三割り増しくらいに輝きだす。
そういえば冒頭でも言ったが、今私の座っているテーブルには計四つの椅子があるのだが、
そのうちの三つは空席だった。
他の生徒は席がないにも関わらず私を見るやそそくさと退散していくのだ。
その理由は……まあ想像に難くないが、それが逆に私には好都合だった。

しかしあの暢気そうな女の無垢な瞳を見ていると、何故だか猛烈にいやな予感がして。
私はさっと目を逸らすが、次に聞こえてきた声に体を強張らせる。


「あー、あそこ空いてるよお姉ちゃん〜」

「どこ?……あそこに座っているのは確か……。…まあいいわ、この際相席でも
 已む無しだわね」


そう言うと二人はつかつかとこちらへ向かってくる。
私としては一人で静かに食事を続けたかったのだが、流石に彼女らに「座るな」とは言えず、
ただそっぽを向いてパンケーキを齧るだけだった。


「すいません、相席よろしいですか?」

「………ああ」

「あれ?……あー、よく見たらラウラさんだーやっほー」


………?
のんびりした方の女に名前を呼ばれて顔を上げる。
何だこの女は?知り合いでもないのにやけに馴れ馴れしく話しかけてくるな……。
と、私が首をかしげているのに気付いたのか、彼女はプクーッと頬を膨らませる。
……………可愛い。


「むー、ラウラさん私のこと覚えてないのー?
 一緒のクラスだし、自己紹介の時は手まで振ってたのにー」


く、クラスメイト?
……そういえば、確かに教室の隅っこに彼女がいたようないなかったような……?
その時私の精神状態が最低最悪だったせいか、どうにもうろ覚えだ。
と、隣にいた眼鏡の女が彼女をたしなめるように口を開いた。


「ラウラさんを困らせないの本音。…ごめんなさいラウラさん。
 貴女が体調を崩していて具合も大分悪いことは知ってるわ。
 ほら本音、謝りなさい」

「うー、ごめんねラウラさん〜。
 でもでも、今はこうやって同じテーブルを囲んで座ってるんだし、
 改めて自己紹介しようよ〜。
 私はー、布仏本音。よろしくね、ラウラさん〜」

「私は三年の布仏虚。よろしく、ラウラさん」


彼女ら……布仏本音と虚はにこやかにそう自己紹介してくる。
私は自分でも分かるほど赤面して顔を明後日の方向へ向け、「……ラウラ・ボーデヴィッヒ」とだけ呟いた。
何か……同年代の同姓からこのようにフランクに話しかけられるのは久しぶりで、とても新鮮な感じだ。
「シュヴァルツェ・ハーゼ」では友達と呼べる者はほとんどいなかったし。
そんなこんなで非常に狼狽しながらまごまごしていると、布仏本音と名乗った彼女がエビフライを口いっぱいに
頬張りながら、私を見つめてくる。


「もむ……もむ……。へもへも、ラウラはんひのうよひほへんひほうへ………」

「……本音、口の中のエビフライを飲み込んでから喋りなさい」


布仏虚……眼鏡女がきつねうどんをちゅるちゅるとすすりながら、ジト目を向けている。
布仏本音は慌ててエビフライを飲み込んで、再びのんびりとしたトーンで喋りだす。


「ごっくん……ふう。でもでも、ラウラさん昨日よりも元気そうで安心したよ〜。
 ずっとフラフラしてるし今にも倒れそうだったし、心配してたんだよー」

「……心配、してたのか?私を?」

「そりゃそうだよ〜、クラスメートなんだからー」


あっけらかんとそう言って笑う布仏本音を、私はポカンとしながら見ていた。
一度も面と向かって話もしていない私を、心配していただと?
俄かには信じられないけれど、その陽光のような微笑みを見つめていると、本当にそうだったんだと、
無意識ながらに理解していた。
と、隣でうどんをすすっていた布仏虚も私を優しく見つめてくる。
ちなみにそのどんぶりの中は既に空だ。食べるの早いな……。


「私も貴女の噂は小耳に挟んでいたし、妹からも貴女のことを聞いていたので、気になっては
 いたんです。生徒会の一員としては、一度貴女ともお話したいと思っていたんですよ。
 でも安心しました、噂ほど酷い状態ではないようですね。
 ……もし何かありましたら生徒会を訪ねてきてください。美味しい紅茶を淹れてあげますから」


花のような微笑に当てられて、再び顔を伏せて口を紡ぐ。
こんなに暖かい思いやった言葉をかけられて、私の心は激しく浮き立っていた。
歓喜が全身を包み込む。
汚くて汚れた私には初対面の相手をここまで心配することなどできない。
それをしてもらったのは教官以外初めてで……。
なのにコミュニケーションの苦手な私はそれに対し、「……すまない」とポソポソ呟くしかできなかった。
でも二人はそんな私の言葉に深くした笑顔で返してくれた。

…この学園に来てようやく三日。
まだまだ『私』の存在が重くのしかかっているし、悩みも尽きないのだけど…。
今この瞬間だけは、その全てを忘れることができて。
この学園に来て良かったのかもしれないと、心から思うことができた。

………そういえば水を飲みに行ったっきり、シン・アスカが戻ってきていない。
しかし私は布仏姉妹との会話が楽しくて、それを完全に忘却していたのだった。





























「……どうしたものかなぁ、ボーデヴィッヒが俺を許してくれる方法ってあるのかな……?」


俺はそんなことを呟きながら、トボトボと教室へと続く長い廊下を歩いていた。
今朝ボーデヴィッヒに蹴っ飛ばされて重大な過ちを犯していたことに気付いた俺は、
昼休みに食堂へ向かったボーデヴィッヒを追ってそこへ向かい、彼女に頭を下げて謝った。
すると彼女はいきなり押しかけた俺を許してくれるといい、お詫びの品として食べていた
料理を俺に勧めてくれたのだが……その料理が、何というか凄まじかった。
まだ口の中が酸っぱい……ちくしょう何なんだよあの漬物。
まるで口の中に大量の梅干を投下されたと思ったぜ。
あれならセシリアのサンドイッチの方がよっぽど………いやいや。
とりあえず、そのことは今はいい。いいんだ。

問題なのはあんな漬物をお詫びの品として寄越すんだから、彼女の怒りはまだまだ治まってない
だろうということだ。
そのことがショックで彼女の席に戻らずにこうして教室にすごすご退散しているわけだし……。
はあ、どうしたもんかなぁ?
肩を落としつつ教室に入ると、女子達が数人集まって、なにやらコソコソと密談していた。
やけにそのことが気になって、俺は忍び足で彼女らに近づく。


「……だから、シャルル君に気付かれないようにケーキとか用意してさ……」

「プレゼントは何がいいかな?シャルル君貴族然としてるから、紳士的な服とか
 喜ぶかも!」

「でも私たちで用意できる予算なんて知れてるから、皆でお金を出し合って一品ってな
 感じになりそうね……」

「何を話してるんだ?アンタら……」


ビクゥゥゥ!!!!!!
ヒソヒソと話し込む彼女らに声をかけると、彼女らは大きく仰け反って俺の方を振り向く。
そして俺の姿を確かめるとホッと安心したかのように息をついた。
彼女らの一人が息を整えつつ、話しかけてくる。


「な、何だアスカ君か……。おどかさないでよ。いきなり声かけるんだもん、びっくりしたよ。
 ………ところで、シャルル君は一緒じゃないよね?」

「ん?ああ、今頃一夏たちと飯食ってると思うけど………。
 今何話してたんだ?プレゼントがどうだとか聞こえたけど……」

「聞いてたんだ、私たちの話。……でも、どのみちアスカ君にも手伝ってもらうことに
 なるんだし、話しちゃってもいいよね。
 ……実はね、私たち近々パーティを開こうかって思ってるんだ。
 シャルル君の歓迎会を」


少し小声でそう囁く彼女に、俺は首をかしげて問い返していた。
歓迎会………歓迎会とな?


「……歓迎会?デュノアの?」

「うん!晴れてこの教室の一員となった三人目の男性IS操縦者・シャルル君!
 立ち振る舞いも紳士的だし優しいし、既にファンクラブまでいくつも出来てるんだよ!
 で、その娘たちから言われたの。『我らがシャルル様にいつまでも歓迎会を開かない
 なんて不敬にも程がある!』って」

「それはまた………キてるな、色々と」

「あはは、まあね〜。でもシャルル君には私たちもお世話になってるし、一夏君や
 アスカ君のときも趣旨は違ったけどパーティを開いたわけだしさ。
 この機会にシャルル君を主賓にサプライズパーティを開こうってことになったの。
 もちろんシャルル君にバレるわけにはいかないから、今水面下で企画を練ってる
 ところなんだけど。
 あ、アスカ君も良かったら企画会議に参加してよ!
 シャルル君を呼び出したりする時は、アスカ君や一夏君の方がいいしさ!」


そこまで話して笑いかけてくる彼女のことも、今の俺には気にならなかった。
それを遥かに上回るインスピレーションが俺の中でビックバンを起こし、
今まさにコスモが誕生しようとしていたのだから。

そうか……歓迎会。サプライズ歓迎会………それだっ!!
ボーデヴィッヒに喜んでもらって、彼女の負担を少しでも減らせる策!!
ことここまで追い詰められて、ついに俺は奇跡の逆転の一手に至ったんだ!!
もちろんデュノアの歓迎会であることを忘れてはいないけど……!

俺はその感情の赴くままに息を巻きながら彼女らに詰め寄った。
すぐ吐息のかかる距離まで顔を詰め寄ったせいか、何故か彼女の顔が紅潮して
潤んだ目を大きく見開いているが、それは幻覚だ!気にしない!!
俺は彼女の顔を両手でそっと掴み、力強く言い放った。



「その歓迎会………ボーデヴィッヒの歓迎会も兼ねた、ダブル主賓にしよう!
 デュノアとボーデヴィッヒ、二人のサプライズ歓迎会だ!!」



これが俺の誠心誠意の謝罪の証だ!
謝罪は百の言葉を並べるより、一つの行動で示した方が伝わりやすい!
俺はぐっと握りこぶしを作り、ボーデヴィッヒの喜ぶ顔を想像しながら、
一人決意を固めていた。

このサプライズ歓迎会……絶対に成功させる!!
迷惑をかけまくったボーデヴィッヒのためにも!!! 



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