……あれ、もう始まってる?
ご、ごめんちょっと考え事してて!えっと、シャルル……ううん。
シャルロット・デュノアです、こんにちは。
前回箒から説明があったと思うけど、今回は僕とシンが語り手になって話をしていくよ。
って言っても、そんな大層な話をするわけじゃなくて、箒が話してくれた場面とは違う場面で
何があったのかっていうか。
言ってみれば後日談みたいな補足というか蛇足というか。

……でもさ、僕やラウラさんにとってはとても重要な出来事で、一生忘れられないくらいの思い出なんだ。
だから、それを見てもらいたかったから僕が語り手に名乗りを上げたってわけ。
…まあ、本当に重要なことじゃないんだけどね。

じゃあ、とりあえず見てもらったほうが早いよね。
この事件をきっかけに僕とラウラさんの中で芽生えた想いを、見届けてください。
今回は僕とラウラさんと、そしてシンの物語、だよ。































「………………うっ、あうっ…………………」


凄まじい頭痛を感じて、目が覚める。
見たこともない天井と、少し日の傾きかけた夕焼け。
少しの間ぼうっとしていたが、また波のようにやってきた頭痛によって、意識が瞬く間に覚醒した。

…そうだ…。
私は確か学年別トーナメントで織斑一夏たちと戦って、その途中で奴が……確かDコアとかいったか。奴が暴走して。
そしてそんな私を止めるためにシン・アスカが飛び込んできてくれて……それで……。
私は頭を振ってゆっくり体を起こそうとする。
でも凄まじい倦怠感に襲われ、再びベッドに沈み込んだ。
ぐっ……うう。何なのだこのダルさは……?まるで体が自分のものではないような……。

でも、体に反して心は………とても穏やかだった。
胸に圧し掛かっていたような重圧も、心に纏わりついていた悪意のような感情も、すっかり霧散してしまっている。
…何より、もう奴の存在を感じない。
私という存在が、私自身に戻ってきたとでもいうべきか。
とにかく、今までの日々が嘘のような、とても晴れ晴れとした気分だった。

と、ふいに扉をノックする音が聞こえてきて、私の返事を待たずにその扉が開かれる。
入ってきた人影は窓から差し込む光でよく見えなかったが、その声から誰かはすぐに分かった。
……私が今一番会いたかった、アイツの声が。


「……よお、ボーデヴィッヒ。寝てるのかと思ってたけど、もう目を覚ましたんだな。
 気分は、どうだ……?」

「シン・アスカ………うん。とても晴れやかな気分だ。
 今まで心につかえていたものが取れたとでもいうべきか。
 …もう私の中に巣食っていた奴の存在は感じない。
 ……ありがとう、シン・アスカ。お前が肩に怪我をしてまで私を助けてくれたお蔭だ」

「あ、やっぱりあの時の記憶はあるんだな。
 …礼なら俺より、一夏たちに言ってくれよ。俺はただ、自分で言ったことのけじめをつけただけだ。
 本当に自分達で動いて頑張ったのは、あいつらなんだからさ」


そう軽い口調で喋るシンの表情は見えない。
でも言葉こそ明るいものの、それに含まれる響きにはとてもひっかかるものを感じた。
……何だ、この響き、聞いたことがある。
何か耐え難い苦痛を我慢しているような、そんな感じが………。


「……でも、良かった。お前の調子が一番心配だったから俺も医務室を抜け出してきたんだ。
 その甲斐があって、本当に良かった。
 お前も元に戻ったみたいだし、布仏さんや教室の皆も、これで一安心だな」


布仏、教室の皆。それを聞かされて「一番心配していた」と言われて浮かれていた心が
一気に静まり返る。
……そうだ、何を自分のことばかり喜んでいるのだ私は。
私に、そんな資格などありはしないじゃないか。
皆の優しさを、仇で返した私が。私を心配してくれた布仏にあんな暴言を吐いた私が。
今更どの面下げて顔を合わせろというのか。

と、黙り込んでしまった私をシンはじっと見つめていたけど。
やれやれとでも言いたげに溜息を吐き、「おい」と呟いたあと、右の方を顎でしゃくった。
訳が分からずそっちを見ると……。


「……これは、紙細工か? 鳥………のように見えるけど」

「千羽鶴っていうんだよ。よく入院している人に病気快癒を願って贈るんだ。
 ……それな、教室の皆が試合前からせっせと作ったものなんだぜ?」

「……………………え?」

「まあ実際は早くボーデヴィッヒが元に戻るのを願って、だけどな。
 …皆、お前のことを心配してたんだ。布仏さんなんて特にな。
 だから試合の後お前が医務室に寝かされたって聞いて、届けに来たんだと。
 俺も、織斑先生から聞いたんだけどさ」


私は、信じられないという気持ちで、その千羽鶴を見る。
それは幾多にも紡がれた鳥の群れで、それを見ていると何故か皆の声が聞こえてくる気がした。



― ラウっちは、一人じゃないんだよー。だから、早く元気になって、またご飯食べたいな ―

― ラウラさん、早く戻ってきてよ。じゃないと、皆して泣いちゃうんだからねっ! ―



……私の、ただの幻聴のはずなのに。
本当に傍に皆がいて、私を励ましてくれたように感じて。
私はシンがいるにも関わらず、声を上げて泣き出していた。
シンは何も言わずにその場で佇んでいて。ようやっと泣き止んだ私に向かって、シンはポツリと呟いた。


「……ボーデヴィッヒ。仲間って、友達ってさ、いいもんだな。
 自分ひとりの力なんて、たかが知れている。
 でも誰か一人でも自分を理解してくれている人がいれば、心配してくれる人がいれば。
 きっと、それだけで救われるんだ。……俺も、そう思ったから」

「お前が? ……でも私は、お前が誰かの助けを借りるような弱い人間には……」

「………俺なんか、何もできないのさ。
 誰かのために戦ったって、何もできない。誰かを守ることすらできない。
 今なんて、普通に生活することすらできないって分かったから……。
 だから、さ………………」


苦虫を噛み潰したような、とても苦渋に満ちた声色でそう言ったシンは、一拍空けた後私に語りかけた。
……その言葉に何か諦観のようなものを感じたのは、きっと気のせいだと思う。


「俺は、一夏みたいに強くないんだ。
 お前をこの病室に運ぶ時に一夏、言ってただろ?
 『俺は全く強くない。それでも俺が強いのなら、強くなりたいから強いんだ』
 『自分の全てを使って、ただ誰かのために戦ってみたい』
 『だからお前のことも、守ってやる』ってさ」


ああ、確かにそう言われた。
トーナメントで織斑一夏が見せた『強さ』。
それについて尋ねた時のやり取りだ。
……あの時は不覚にもときめいてしまったが、シンの声は彼のとは違い、酷く沈んで聞こえた。


「…俺は、誰かを守りたい。傷ついて苦しんでいる奴がいたら、そいつを守りたい。
 でも、俺にはそんな力も…………多分、その資格もない。
 だから俺はお前に、『守ってやる』なんて言えない。
 今回は結果的に守れたけど、それもお前があの時奴を止めてくれなかったら、俺は死んでた。
 だからあの結果すら、俺一人の力で勝ち得たものじゃないんだ。だから…………。
 俺がお前に言えるのは、たった一つだけなんだ」


そこで少しだけ間を置いて、シンは静かに口を開いた。


「もしまたお前が何か辛いことがあったら、苦しいことがあったら、俺が俺の全てを使って守ってやる。
 その代わり、もし俺がどうしようもなく堕ちちまったら、その時は……。お前が、俺を助けてくれ」


……今にして思えば、シンはこの時既に自分の中の異変に気付いていたんだと思う。
でもその言葉にどれだけの悲痛な想いが込められているかなんて、その時の私には知る由もなくて。
シンはそれだけ言うと、医務室から出て行ってしまった。

………『助けてくれ』。
そんなことを言われたのは、初めてだった。
今までただの戦闘兵器でしかなかった私が、初めて誰かと対等として認められた、そんな気がした。
その言葉は織斑一夏の言葉と同じくらい、いやそれよりも私の胸に刻み込まれて。
私はその後もずっと、彼のことばかり考えていた。

……その後医務室に入ってきた教官からあの後起こった全てについて聞かされた。
そして私が奴を止めるために内側から押さえている間に、シンの身に起きた全てを聞かされて。
……私が唯一封じ込められなかった左手で殴られ続けたこと、そして両手の平に一生かかっても治せない
傷痕が残ったことを聞かされて。
…それでも何も私に言わなかった彼の優しさを実感して。
私はもう一度、教官がいるにも関わらず、声を上げて泣きじゃくった。

そして私にはもうシンの……彼のことしか考えられなくなっていた。
初めて彼への………あの人への想いを、認識することができた。
今回は、ただ、それだけの話だったのかもしれない。
































…もうすっかり陽が落ちちゃった。
いつもならそろそろ夕食を食べに食堂へ向かってる時間だけど、今はそんな事
言ってる場合じゃない。

学年別トーナメントで異形の姿と化した偽ラウラさんの猛攻を受けて気絶してしまった僕は、
次に目を覚ました医務室でシンの事を聞かされた。
シンが何らかの手段で観客席の防壁を突破し、ラウラさんを食い止めるために
立ち向かっていったこと。
それによって重傷を負ったにも関わらず、寝かされていた医務室から姿を消したこと。

話を聞き終えると同時に僕は傍にあった上着だけ羽織って外に飛び出した。
前をとめてないから胸元がはだけてしまっているけど、気にならない。
一応デュノア社特注のインナーを着ているけど、最近さらに大きくなってきた僕のおっぱい…。
見る人によっては僕が女だとバレてしまうかもしれない、でも気にならなかった。
散々に打ち据えられて体中が痛むけど、気にならなかった。

全速力で学園内を走り回る。
脳裏に焼きついて離れないあの光景に突き動かされるように、彼の姿を探し続ける。
咆哮する偽ラウラさんに打ちのめされてなお雄叫びを上げて立ち向かっていった、シンの姿を。

息が切れてたまらず立ち止まる。大きく大きく深呼吸して早鐘を打つ心臓を押さえつける。
シン、どこにもいないよ…。
目ぼしいところは全部探したはず、大分酷い怪我だったらしいし、そんなに遠くには
行ってないはずなのに……。

息を落ち着けて、ひとまず医務室に戻ろうと踵を返す。
もしかしたらもう他の誰かが見つけて、連れ帰ってるかもしれない。
ひょっとすると入れ違いになったのかもしれない、そんな淡い期待を抱きながら。
でも、数歩歩いたところで、ふとまだ探してなかった心当たりを思い出す。


「そうだ。あそこなら、もしかして……」


思い立ったが何とやら、僕は深く考えもせずにそこへと向かう。
ラウラさんが運ばれたという、別校舎の医務室へと。
考えてみればそこが一番可能性が高い。
だってラウラさんのことを特に心配していたのは、織斑先生と布仏さんと、そしてシンだった。
特にシンの彼女への気の遣いぶりは端から見ていても過剰だったから。
シンなら、真っ先に彼女の安否を確認しに行っていてもおかしくない。

さっきまでのおぼろげだった可能性はもはや確信に変わっていて、僕は棒のようになってしまった
足を無理やり動かしてそこへと向かった。
そして目の前の角を曲がれば到着というところで、僕の足は止まった。
だってその先からとても真剣味のある箒の声と、か細いシンの声が聞こえてきたから。
僕は何故かすぐに出て行くことはせず、少しだけ顔を出して、そこを覗き見た。
そこにはベンチに腰掛けるシンと、彼の前に膝を付いて手に包帯を巻いている箒がいた。
シンは俯いていて、ここからじゃ顔は見えない。
でも彼は上半身裸、その上に制服の上着を羽織った状態で、右肩に巻かれた包帯が何とも
痛ましかった。
それに箒が手に包帯を巻いているのを見るに、そこも怪我したってこと?
もっと近くへ行って確認したいけど、今出て行ってはいけない気がした。
だって…、箒はとても悲しそうな顔で、涙を止め処なく流しながら、包帯を巻いていたから。
と、包帯を巻き終えたところで、箒はシンに話し……いや、語りかけた。
その言葉からは彼女のシンへの純粋な心配と、そして疑問が含まれていた。


「……アスカ、私は意識を失った後、何が起こったか事細かには知らない。
 でも、お前がとてつもない無茶をしたことくらいは分かる。
 どうしてだ……?どうしてこんなになるまで、お前は……」


それは、僕も知りたい。
考えてみればシンの彼女に対するそれは、度を越していた。
ラウラさんとシンは出会ってまだ間もない。
確かにラウラさんは初対面の時からやつれて、まるで幽鬼のように青ざめていて。
でもシンが彼女のことを過度に心配する理由にはならない。
これは僕の私見だけど、シンはまるで何かの「使命感」に突き動かされていたように思う。
彼の必死な姿を見て、僕は勝手にそう思っていた。もちろんその理由なんて分からないけど。
そして、そんな私たちの疑問に対して、彼の答えは至極シンプルなものだった。


「…………………守りたかったんだ………………………」


彼の言葉はとても簡潔で、でも僕はそれを聞いたとき、とても身震いした。
もはや心ここにあらずといった状態の彼が呟いたその言葉は、僕の耳にはとても空虚で、
冬の木枯らしのように寒々としていて、そして、とても悲しく響いたから。
箒もそう感じたのかは分からないけど、尚も語りかけた。
何故そこまでの怪我を負ったのに、そんなに穏やかでいられるのか。
それを負わせたラウラさんに、思うところはないのかと。
でも彼は首を横に振ってそれを否定する。
その時初めて見えた彼の顔は全体が赤く腫れていて、所々内出血で青くさえなっている。
だけど確かに箒の言うとおり、彼の顔は僕から見てもとても穏やかだった。
いつも彼の看病をしてきた僕達だからこそ分かる、微妙な違いだけど。


「……なあ、篠ノ之。もしさ、自分の全てを使って、どうしようもなく苦しんでいる人を
 助けられたなら、それはとても素晴らしいことだと思わないか?
 俺は……一夏みたいに『俺がやりたいからやる』なんてカッコいい理由で命は張れない。
 あの時は『俺がやらなきゃいけない』から、俺が飛び出した。
 そうしないと、もしかしたら誰か死んでたかもしれない。
 ボーデヴィッヒが、大変なものを背負うことになっていたかもしれない。
 いつも、どんな時でもそうだったんだ……。誰も死なないように、少しでも被害が少ないように……。
 エースと称されていた俺たちが駆りだされた。それで少しでも被害が減るならって……。
 でも、でもさ。それでもいいって、思えるんだ。
 俺はさ、篠ノ之。何の価値もないんだ。ただただ戦って壊すだけの存在。
 今も……多分、これからもずっと。
 だけど、さ。そんな俺でも誰かを助けられたなら……それって、とても素敵なことだと思うんだよ。
 だから、俺は何も思わない。ただ、嬉しいんだ。だって、ボーデヴィッヒも助かったし。
 何より俺、生きてるからさ………」


シンがか細い声でそう話し終えた後、僕はその場から動くことができず、ただ呆然としていた。
…頬が冷たい、そっと指でなぞると零れた涙がそれを濡らした。
僕はシンの言っていることの意味は分からない。
その言葉は分かる。でもそれに内包された感情までは読み取れない。だけど……。
どうして…?何でこんなに悲しい気持ちに、苦しい気持ちになるんだろう…。
少しだけ顔を出して伺ってみる。そこにはシンを優しく抱きしめる、箒の姿があった。
箒の伏せられた瞳からも涙が溢れている。きっと僕と同じ気持ちなんだね…。

僕は涙を袖で拭うと、ゆっくりその角を曲がって、二人の前に出る。
今、僕の心にあったのはたった一つの想い。
…早くシンを、介抱してあげなくちゃ、だよ。
いつも彼を看病している時と同じ。
彼が辛そうに、悲しそうにしている。それだけで、僕は自分の全てを使って何とかしてあげたいって思う。
今回だって同じさ、他に他意はなかった。
だから箒にシンを託された時「頑張って伝えるんだぞ…」って囁かれた時は、心臓が跳ね上がった。
あ…そうだった。ラウラさんが助かったら、シンに僕が女だって伝えるんだったっけ。
まあ今はそんな些末なことはどうだっていいけどね。
それはシンが元気になったら改めて伝えればいいことだよ。今はすぐに医務室に、ね。
僕はシンの肩を担いで医務室へと戻る。
彼の体重はとても軽くて、女の僕でも容易に運べた。
その道中シンが僕にしきりに「怪我はなかったか?」って聞いてくるのが、とても痛々しかった。





              ・





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              ・





              ・





              ・





「…シン、ベッドに横にならないと。体力も回復しないし、辛いでしょ?」

「…………………………」


ようやっと着いた医務室には誰もいなかった。
織斑先生たち、まだシンを探しているのかも…。
それにしたって医務室の先生までいないのはどういうことだろう。
まあそれはともかく僕はここに到着するや否やシンをベッドに寝かせようとしたんだけど、シンは首を振ってそれを拒否した。
理由が分からずなおも問いかけると、消え入りそうな声で、彼が囁いた。


「……悪い、今眠ると、流石にヤバイかもしれないから……。
 横になったら、多分間を置かずに寝ちまうだろうし…。
 そしたらもう…戻れないかも…。だから、このままでいさせてくれないか? デュノア……」


僕は心臓を握りつぶされたかのように硬直した。
直接的な言い回しは避けているけど、シンはこう言ってるんだ。
『今眠ったら、死んでしまうかもしれない』って…。
それは、聞いたことがある。
極限まで衰弱している状態で眠ってしまうと、そのまま二度と目を覚まさないことがあるって。
それにシンは眠るといつも酷くうなされている。
ただでさえいつも目を覚ましたら顔面蒼白で、顔だってその度に細っていくのに、今のこの状態でうなされたりしたら…。
僕はそれ以上想像するのは止めて、彼をベッドに腰掛けさせる。そしてその横に僕も座る。

僕は先生たちが戻るまで、シンに話しかけ続けた。
シンはちょっと目を離すとすぐに船を漕ぎ始めるし、専門的な医療知識のない僕ができることは、彼を寝させないこと。
これしかなかったんだ。
だから僕は色んな話をした。
この学園に来てからの楽しかった出来事や、面白かった出来事。
箒と名前で呼び合うくらいに仲良くなったこと。
僕の故郷のこと。もちろん詳しい事情だとかは丁寧に省略したけど。
その時はとにかく何か話さなきゃって、そればかり考えてて。
自分がどんな失言をしたかなんて、ちっとも頭になかったんだ…。


「……でさ。僕が中等部に上がったばかりの頃、スクールの二学年上だった先輩が僕に告白
 してきたんだよ。『初めて君を見た時から君のことが好きだった。俺の彼女になってくれ』って。
 その時はとってもビックリしちゃったよ。だってその先輩とは話もしたことなかったし。
 あ、もちろんすぐに断ったんだ。今はそういうこと考えられませんって。
 でもその先輩その後も執拗に僕に話しかけてきたりしてさ。放課後僕が下校するのを見計らって
 声かけてくるし。それにしつこく僕をデートに誘ってくるんだ。
 そんなことしたら、余計に頑なになるに決まってるのにね。まあ無視し続けたら声をかけてくることも
 なくなったけどね。あの時は本当に困ってたし、それにとても怖くてさ。
 …もしシンがその時一緒に居てくれてたら、きっとその子を追い払ってくれたんだろうけどね……って!
 何言ってるんだろうね僕! あははははっ!」

「………………………なあ」

「えっ!?どうしたの、シン!? 君から話しかけてくれるなんて嬉しいよ!
 ずっと何も返してくれないから心配で心配で……あ、そうじゃなくて!
 そ、それでどうしたのシン? 今の話で、何か気になることでも……」

「……いや、気になることっていうか……。
 デュノア、告白されたんだよな? 二学年上の、男の先輩に。俺の『彼女』になってくれって。
 …一応聞くけど、お前『男』なんだよな?
 てことはその先輩ってのはホモだったのか? それともバイセクシャルな方面だったとか…」

「……………………………………………………………」


あ…………あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!????
いけない、いけないよっ!?
今までずっと秘密にしていた重大事項が、こんな間抜けなミスで明るみになろうとしているよ!?
ど、どうしよう!?何とかフォローした方がいいのかな!?
いっそあの先輩をホモ認定して切り抜けるとか!でもそれだと先輩に悪いし…。まあ本人に聞かれる
わけじゃないけれど。
それとも今の話自体を捏造した思い出ってことにするとか!
で、でもそれじゃシンに嘘の思い出を話したってことになって、シンに嫌われちゃうかも…。
い、嫌だ!!それだけは絶対に嫌だよっ!!!
でもそれじゃ、それなら…………………。

そこまで混乱しながら考えて、ふと冷静になる。
そうだ…別に、もう秘密にすることないんだよね。
だってラウラさんが助かったら話すって、前々から決めてたわけだし。
さっきはシンの体調が完調になったらって思ってたけど、よく考えたらこれってとても良い機会だし。
今は何か話し続けないといけないんだから、ここで伝えたって…。
だって、僕だってなるべく早くシンに、僕の本当の姿を知ってほしいんだから……。
そこまで考えて僕は大きく深呼吸をする。
そして不思議そうに首を傾げるシンに向き直った。
改めて真正面から見据えると、本当にシンの顔は歪に腫れていて目を逸らしたくなるけど。
それでも気持ちを落ち着けて、ゆっくり息を吐いて、口を開く。


「………ねえ、シン。こんな時に言うことじゃないのは分かってるんだけど、
 もし君がいいなら聞いてほしいことがあるんだ。
 ラウラさんの件が解決したらシンに伝えようって、前々から決めてたから」

「え? あの、さっきの質問の答えが…」

「それにも関係あることだよ、すごく。
 言っておくけど無理に話題を逸らそうとしているわけじゃないから。
 あと僕がホモだとかバイセクシャルだとかそういう話でもないから。
 僕はいたってノーマルだから」


シンは物凄い勢いで首を縦に振っている。
何か怯えてるようにも見えるけど、シンに限ってそんな事ないよね。
僕もすごく優しく言ってるわけだし。
コホンと咳払い一つ、何故か冷や汗をダラダラ流すシンを内心心配しながらも、ようやく本題に入る。


「…本当は、ずっと言わなきゃ言わなきゃって、思ってたんだ。
 でも僕には、ラウラさんみたいに、ありのままの姿を皆に見せる勇気がなくて…。
 だけど…ふふっ。箒には一足先にばれちゃってたみたいだけど。
 …ああ、他の女の子にも、なんだね」

「お、おいデュノア…。一体何の話を……」

「シン、あのね……。僕は本当はね、お、男の子じゃなくて…………」


心臓が早鐘を打っている。今すぐここから逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
もし本当のことを言って、シンに嫌われてしまったら……?
それを想像しただけで目の前が真っ暗になる。
でも……でも、もう決めたから。
僕もラウラさんみたいに、素直になって、本当の姿を、皆に……!
いけっ!いくんだっ!シャルロット、ファイトっ!



「お、お……………『女の子』なんだ…………………!」

「え? お、おう………知ってたけど……あっ!!」

「え?」

「い、いや! 今のなしで! ちょっと意識が飛んでたから迂闊なことをっ!
 俺は何も知らないし気付いてないから!
 隠してるつもりなのかもしれないけど、盛り上がった胸やら尻やらは隠せてないぞとか
 諸所の動作がいちいち色っぽいんだよとか看病の仕方が献身的すぎて男はそこまで
 一人の男に尽くせないよとかそんな艶っぽい目で何で俺を見るんだアロンダイドが
 咆哮して天高く反り返ってしまうだろとかそんなことはあっああ!!?
 俺、また迂闊なことを! デュノア、聞いてないよな!? 俺の今の発言の一部始終を……って、
 デュ、デュノア……さん?」



シンの戸惑うような声が聞こえてくる。
両手で顔を覆って沈み込む僕に、どう対処していいか分からないみたいだね。
それでいいよ。僕今滅茶苦茶恥ずかしいし、すごく情けないし。
まさかシンまで気付いていたなんて。
いや、以前おっぱいを見られた時にやけにはぐらかされていたから、もしかしてとは思ってたけど。
あの時の出来事は僕にとってもトラウマだからなるべく考えないように、触れないようにしてたらこれだよ。
これって世間一般でなんて言うんだっけ?ピエロ……いや道化だったっけ。
ふ、ふふ。ふふふふふふふふふふふふふ。
もうこれはあれだね。穴があったら入りたいってやつだね。
でも今は適当な穴がないなぁ。あ、そうだ。確か体育用具室にはスコップあったような気がするよ。
よし、今からそこに行って借りてこよう。
そして穴を掘って埋まるんだ。いつまでもそこに、永遠に、ほとぼりが冷めるまで。


「デュノア待てよっ!? そんなフラフラしながらどこに行くんだよ!?
 ぐっ、凄い力……!? 一体どこにこれだけの力が……お、おい!
 デュノア行くなっ! 何かとても嫌な予感がっ!
 デュノア……デュノアーーーーーーーーーーっ!!!」


………………………………。
えっと、シンに性別のことをカミングアウトしてからこっち、記憶が曖昧なんだけど。
気付いたら僕は医務室の扉の前でノブに手をかけた状態で。
僕の腰にシンがしがみついていて、必死に僕を抑えようとしていた。
後で僕がスコップだとか穴だとか言いながらどこかに向かおうとしていたのだと聞いて。
今は再びシンと一緒にベッドに腰掛けて皆を待っている。
僕は満身創痍のシンに無茶をさせたことによる罪悪感で顔を上げられず、そんな僕をシンが何とか
慰めようと話しかけている。
何か、さっきと真逆の光景になってしまっていた。


「だからそんなに落ち込むなよデュノア! お前のお蔭で、こうやって俺の意識もはっきり戻ったわけだし!
 それに性別のことならそんなに気にすることなんてないって!
 篠ノ之も何か事情があるから隠してるんだって気付いてたんだろ?
 教室の皆だって別にお前のことを影で笑ってたんじゃないと思うぞ?
 篠ノ之が言ってた理由が本当だと思う。皆お前が無理してまで隠してるのを尊重してたんだ。
 だからそんなに気にすることないんだよ!
 お前は今俺に本当のことを話してくれた!だから皆にもそれを伝えたら、それでこの話は解決するんだから!」


……そうシンは明るく言ってくれるけど。
僕が性別を偽っていた理由を知っても、そう言ってくれるのかな?
…僕はもう、自分を偽らないって決めたんだ。
ちゃんと言うべきことは、言わないと。


「…その事情が、シン。君のISデータを盗むためだって言ったら、どうする?」

「あ?」

「知ってるよね、僕の実家がIS開発をしている会社だって。
 そこがね、IS開発の遅れから酷い経営危機に陥ってるんだ。
 どうせなら他企業の傘下に入るか、いっそのこと潰れてしまえばいいと思うんだけどね。
 僕の父………デュノア社社長ダニエル・デュノアはそれを良しとしなかった。
 そこで打った苦肉の策が、自分の娘を男と偽ってIS学園に転入させる、だったんだよ。笑っちゃうよね?
 彼は世界で二人目の男性操縦者として僕が有名になることで、僕が纏っているラファールが、ひいては
 それを製作しているデュノア社が有名になると踏んだ……らしいよ。
 そしてもう一つ、僕の転入には理由があった。
 それがね、謎の男性操縦者シン・アスカの専用機『ヴェスティージ』のデータの奪取。
 あの篠ノ之束謹製のISデータを盗んで自社のそれに転用しようと考えたんだ。
 馬鹿だよね、IS学園でさえ把握できないものをデュノア社で解析できるはずないのにさ」


ずっと心の奥に溜め込んでいた膿を搾り出すように、僕は淡々と述べていく。
もうこの時点でシンは軽蔑の目で僕を見ているのかもしれない。
怖くて怖くて、心が凍っているはずなのに震えが止まらなかった。


「僕がIS学園に来た真の目的はそこにあったんだ。本来なら教室で初めて君と出会ってから、
 少しずつ君に近づいて、あわよくばそれを盗むつもりだったんだ。
 でも…ふふっ、まさか入学前日に君と学園の広場であんな出会い方をするなんて思ってなかったけどね」

「…………………………」

「でも、それが真実なんだよ。僕が自分の性別を偽っていた理由は、そんな下卑たものだったんだ。
 ……軽蔑した?そうだよね、僕が君の立場なら絶対相手を軽蔑してるはずだよ。
 だからさ、僕の性別のこと、先生に言ってきてほしいんだ。僕だってこれが正しいことじゃないなんて
 百も承知だからさ。せめて自分のケツは自分で………あいたっ」


自分でも不思議なくらいにスラスラと喋っていると、不意にシンに優しく頭を小突かれて中断させられる。
どうしたのかと恐る恐るシンを見ると、彼は呆れるように小さく息を吐いて、僕を見つめていた。
でも軽蔑してるとか、そんな表情じゃない。
いつも彼が僕に向けてくれていた、相手を労わるような優しい顔だった。


「なぁ〜にが、『真実』だよ。そうじゃないだろうデュノア。
 確かにお前がIS学園に転入してきた目的はそれだったんだろうけど。
 でもお前、一回もそれを実行しようとしなかったじゃないか。
 俺は覚えてるぞ? お前はいつだって誰かに対してどこか罪悪感を感じてるような沈んだ顔をしていたし。
 ターゲットである俺に対してはあんなに献身的に尽くしてくれていたじゃないか。
 あれが嘘だなんて言わせないぜ。お前だって実家のその命令には反対だったんだろ?
 それを話してる時のお前、とっても嫌そうな顔してたしな。
 …ほら、どうなんだよ? 言っとくけど、ここで嘘なんていらないからな」

「え……あ、うん。それは、もちろん。僕だってこんな事、したくなかったよ。
 だからデュノア社から矢の催促があっても、ずっと有耶無耶のままきたんだから」

「だったらそれで問題は解決だ。確かに性別を偽ってたのは看過できる問題じゃないってのは
 頭の悪い俺でも分かるさ。でもその責を負うべきはそのデュノア社だ、お前じゃないよ。
 仮に周りがお前が責任を取れって言ってきたら、俺がそいつらを黙らせてやるよ。多分、織斑先生だって
 そう言うに決まってる。
 だから、『お前がその命令を快く思っていなかった。実際にそれを実行しなかった。皆に対して
 罪悪感を持っていて、今それを清算しようとしている』。
 …それが真実だ。他に真実なんて、何もないよ」


そう言ってまるで子どものようにニカッと笑いかけてくれるシンを見て、泣きそうになる。
僕は思わず顔を伏せてしまう。シンはそんな僕の横に、ただ座って待っていてくれた。
彼が何も言わないことをいいことに、僕は何度も「ごめんね…」と呟いた。
それを受けて彼は小さく「ああ」とだけ囁いた。
それだけで、僕は救われているような気がした。
どれだけそうしていたか分からない。でもようやく気分が落ち着いて僕は再び顔を上げる。
シンは僕を見ずにただ前を見つめていた。
…それが僕に対する心遣いだと感じるのは、気のせいかな?

僕は一旦気を落ち着けて、最後の『真実』を告げる決意をする。
彼はここまでの話を全て受け入れてくれた。
最後も、きっと大丈夫。シャル、彼を信じるんだ……。


「……ねえ、シン。最後にもう一つ、聞いてくれるかな? 僕の秘密…」

「…ん?他にもまだあるのか?」

「うん、僕の、本当の名前。僕の本名は『シャルロット』…。
 シャルロット・デュノアっていうんだ。
 IS学園に転入する時にね、彼が僕に『シャルル・デュノア』って名乗るように強制してきたんだ。
 僕の、男としての名前だって。学園を卒業するまで、僕に本名を口にすることは許さないって」


彼は黙って僕の話を聞いてくれている。
名前のことは……僕の中でとても重くのしかかっていたこと。
知らず、言葉にも熱が入る。


「酷いよね。名前は、僕のシャルロットっていう名前は、お母さんがつけてくれた大切なものなのに。
 彼はそれを何の遠慮もなしに、自分の勝手な都合のために、それを踏みにじったんだ。
 そしてその上から、こんなシャルルなんて名前を塗りたくって。僕を、嘘で塗り固めてさ。
 それは僕もそれを受け入れてしまったけどさ。でも、あんまりだと思うんだよ。
 だって名前は僕にとって、かけがえのない、お母さんとの最後の絆なんだからさ。
 だから……知ってほしかったんだ。僕の本当の名前を……シャルロットって名前を。
 自分勝手だって、分かってるけどさ」

「……てことは、デュノアにとってその名前は、何よりも大切なものだったんだな」

「え、うん。そうだよ。…お母さんが僕にくれた、大切な宝物だから」

「……そっか。……ああ、ようやく納得した。だからお前、『シャルル』って呼ばれるたびに
 辛そうな顔してたんだな。得心がいったよ」


一人でそんなこと言ってうんうん頷きだしたシンに、首をかしげる。
辛そうな顔って…、なるべくそういう表情しないように特に気をつけていたのに。
それは、僕は『シャルル』なんて名前、大嫌いだ。
だから皆からそう呼ばれるたびに、僕の心は軋んで、悲鳴を上げていた。
…シンはそれに気付いていた? だから納得したなんて言ったんだろうし………え?

そこまで考えて、僕はまるで稲妻に打たれたような衝撃を受ける。
気付いたからだ、ある事実に。
今まで僕はクラスの皆から、友達から、一夏からも『シャルル』と呼ばれていた。
でもその中で僕のことを『シャルル』と呼ばなかった人物が二人いる。
一人は織斑先生。そしてもう一人が……。


「ね、ねえシン。もしかしてシンは、気付いていたの?
 『シャルル』が僕の本当の名前じゃないって。
 だってシンは今までに一回だって僕のことを『シャルル』って
 言わなかったもんね? ずっと『デュノア』って呼んでたし。
 僕が『シャルル』って呼んでって言った時も、何でかそれを断って
 デュノアって呼び続けていたし……」

「いや? それが偽名だなんて気付いてなかったよ。
 俺はそんな聡い性格じゃないんでな」

「で、でも……。それじゃ、どうして……」

「……お前が、その名前を嫌っているように感じたから、だな。
 気付いてなかったのか? お前と初めて出会った時もそうだったけど……」





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「……よっと。これで全部バッグに詰め込み終わったな。
 多少ぐちゃぐちゃになっちゃったけど」

「う、ううんいいんだよ! 荷物をバラシちゃったのは僕のせいなんだし!
 それよりさっきはせっかく親切に手伝ってくれようとしてくれたのにあんな断り方を
 しちゃって、本当にごめんね!」


まあ自分の下着を見ず知らずの男に手掴みされるのは気分の良いものじゃないのは分かる。
それにあの状況じゃ混乱してああいう言い方になるのは致し方ないと思うよ。
俺が同じ立場なら確実にそうするし。
でも流石にあんな涙目で必死に散らばった下着かき集める姿見せられたら、手伝わない
わけにはいかないだろうが。
……まあ、何故女の子が男の制服着ているのかは聞かないことにしよう。
女の子って思っておかないと、散らばった下着との矛盾が発生してしまう。
俺の見る限り『彼女』はノーマルだ。決して女装癖があるとは思えない。
…俺個人の希望でもあるが。


「あ……ごめんね。手伝ってくれた人に名乗りもせずに僕ったら…。
 あの僕……。……『シャルル・デュノア』っていうんだ。
 明日からこのIS学園に転入することになったんだ、よろしくね」

「あ、そうなのか。俺の名前は………………」

「? どうかしたの?」

「え? あ、いや何にもない。俺はシン・アスカっていうんだ。よろしくな」


咄嗟にそんな事を言って誤魔化したけど、俺は内心とても驚いていた。
こいつ……なんて目をしてやがるんだ?
まるで全てを諦めたかのような悲しみに満ちた目。
さっきまではこんな目はしてなかったはず……そうだ。
確か自分の名前を言った時からこんな光のない目になったんだ。
さっきまでの優しげな光は微塵もなくなって、あらゆることに絶望したかのようなこの瞳。

……どうしてだ、俺はこの目を知っている気がする。
何度もこういった『絶望しきった瞳』を見ている気がする。
こいつの場合は、自分の名前を言った直後にこうなった。
てことはこいつ、『シャルル』って名前が嫌いなのか? だって『シャルル』って単語を口に出した瞬間に
目から光彩が失せたからな。俺にはそれくらいしか想像できない。
よく見ると表情も悲痛そうに歪んでいるし。というかそんな顔されたら………。
……ほっとけないじゃないかよ。


「なあ、アンタ……『デュノア』だっけ? 転入は明日ってことだけど、何でここにいるんだ?
 もしかして、入学前の手続きかなんかか?」

「あ、そうなんだよ。なので学園の総合案内に向かう途中だったんだけど…
 でもこことっても広いね。地形も分かりづらくて……。まあ地図があるから大丈…」

「……それじゃあ、俺が総合案内まで連れて行ってやろうか?
 いくら地図があるからって、ここはかなり複雑だから歩き慣れてないと、やっぱり迷うぜ?」

「へ? で、でも地図だってあるから別に迷子にはなってな」

「いいからいいから。ほらバッグ貸せよ。俺が持って行ってやる。…なにしてるんだよデュノア。
 早く着いて来いよ」

「え、ええ?? 別に案内なんてしてもらわなくても大丈夫……あ、シン君!
 ちょっと待ってよぉ!」






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「っ!!!!!」


シンの話を、僕は今日一番の衝撃をもって受け止めた。
そんな、出会ったあの時から、シンは気付いていたの?
僕が、『シャルル』って名前を嫌っていることに。
そしてシンが語ってくれたその話から、僕はシンがどうしてあんなに不自然なくらいに
あの時親切にしてくれたのかを悟る。
あんな少ないやり取りの中でそこまで考えて、シンなりに不器用でも、僕を労わろうと
してくれていたなんて……。
…あ、不味い、泣きそう。でも、我慢我慢。シンを心配させちゃうから…。
で、でも僕だって名前を呼ばれた時に嫌な表情をしないよう、結構練習してたんだよ?
そんな簡単にそこまで看破されるなんて……。


「ぼ、僕そんな目なんてしてないよー。あの時だってポーカーフェイス作ってたし…」

「そりゃ自分で気付かなかっただけだろ。…実際酷い顔してたぜ、あの時は」


……っ!!
いよいよもって耐えられなくなって、顔を手で隠して泣き出してしまう。
もちろんシンの前で声を上げて泣くわけにはいかないから、なんとかそれを殺していたけど。
シンはそんな僕から目を逸らしつつ、背中をポンポンと叩いてくれた。
ちょっとぶっきらぼうだけど、その優しさが僕を暖かく包んでくれる……。
……やっぱり僕、ここに来てよかった。
やっと、僕はありのままの自分を、さらけ出せたんだ。
そしてそれを初めてさらけ出したのが、シンで……。彼で、良かった。

僕はいつの間にかシンの左肩に頭を乗せ、擦り寄っていた。
シンは恥ずかしそうにしていたけど、そのままの体勢でいてくれた。
全く、どっちが介抱されてるのか分からないね。
ごめんね、シン。シンは大怪我で辛いはずなのに……。
でも、もう少しだけ…。もう少しだけ、このままで……。


「…………何を医務室でラブコメしてるのだ、馬鹿者共」

「うぇっ!!?? お、織斑先生いつの間に!? い、いやこれは! あの、その!」

「そうですよ織斑先生。俺とシャルロットはただ今までのことと、それからこれからの
 ことを少し話してただけですよ。やましいことなんて、何もしてませんから」

 
……! シン、僕のことシャルロットって……。
う、嬉しいな。シンが初めて僕のことを名前で呼んでくれた……。
体がふわふわして言うこと聞かない。ど、どうしよう。シンの顔見れない……あたっ!?


「ラブるなと言っているだろう馬鹿者。……しかし少し見ない間に、『シャルロット』とはな。
 ……デュノア、お前もようやく、自分が『何者』なのか見つけられたようだな。
 ラウラはまだ少し、時間がかかるようだが」

「……え? 織斑先生、シャルロットのこと、知ってたんですか?
 『シャルル』が、本当の名前じゃないって……」

「え………えぇ!?」


シンがそんなことを言い出すので、思わず目を剥いてしまう。
え、そんな事って……。だって僕は『シャルル・デュノア』としてこの学園に入学させられたのであって、
それは学園関係者の誰にもバレてないって、彼が………。
織斑先生は僕の顔を見て、考えてることを悟ったのか、溜息をつきながら口を開いた。


「あのな、IS学園は各国からその国の代表者が集う国際機関だぞ。
 偽名での入学なぞできるはずがないだろう。
 当然お前も『シャルロット・デュノア』として入学手続きがなされている。
 …その事は生徒には知らされてはいないがな」

「え、え、え??」

「……どういうことだよ? それじゃ何のためにシャルロットは偽名まで名乗らされて
 性別を偽ってまでIS学園に……」


僕は織斑先生が何を言ってるのか全く分からなかった。
その後も結局織斑先生は僕たちの質問に答えてはくれなかった。
でも先生はただ一つだけ僕に口を開いてくれた。
とても優しげな、聖母のような笑みを浮かべて。


「……シャルロット・デュノア。
 明日からお前は『女生徒』ととして学園に入学し直すことになる。
 もう無理に男を演じる必要はない。女生徒用の制服は後で持ってきてやる。 
 …お前はこうして、お前を真に支えてくれる者に巡り合った。
 これで、私も肩の荷が下りたというものだ。
 やはり、お前とアスカを同室にして、正解だったようだ」


結局僕は何も知らされないまま、他の皆も続々と医務室へ帰って来て。
彼がどうして僕に性別や名前まで偽らせてIS学園へと転入させたのかは、最後まで謎のままだった。
……その理由を僕が理解するのは、もっとずっと、先のことになる。































「…………いふぁい」


あの激戦から一夜明けて。
俺はあの後医務室から学園の医療施設に移されて、本格的な怪我の治療と点滴を受けて自宅療養となった。
舛田先生からは入院を勧められたが、そう何度も入院などしたくない。
結局先生から毎日放課後に傷の処置と点滴のために通院することを念押しされてしまった。
別にこれくらいの傷なら慣れっこだから耐えられるってのに。
わざわざ栄養剤なんて点滴しなくてもセシリアの料理さえあれば生きていけるのに……痛っ!?


「いへへへへへへへっ!! 手、手ふぁっ!!」


考え事をしていたらついつい手を握り締めてしまっていたらしい。
あまりの痛さに身悶えしてしまう。
ちなみに今俺がいるのは教室で、時間はSHR前だ。
俺の喋り方が変なのは、一夜明けて顔がさらにパンパンに腫れあがってしまったため、上手く喋れないから。
腫れって時間経つほどに余計酷くなるんだったよな、迂闊だった。
つまり今の俺は日常会話すらおぼつかない状況なのだ。
そのはずなんだけど………。


「ほらアスカ。また何か変なことでも考えていたな?
 手の傷が一番酷いから握りこぶしは作るなと、先生からも言われているだろう。
 ……ああ、また血が滲んでいる。すぐに包帯を取り替えるから、手のひらを出せ」

「べ、べふにほんなほとひなふてもだいひょうふだっへひほほほ。
 ほれにみんふぁみへふひゃはいは。ほんはみにふひきふなんへみへるもんふぁないっへ」

「何ともないことなどないだろう。やせ我慢は止めろと、昨日あれほど言ったはずだぞ?
 皆もお前の傷のことは知っている。昨日私や一夏たちで説明したからな。
 お前はそんなことなど気にせずに、治療に専念しろ。
 そもそも本来なら入院して然るべき傷のはずなのに、お前がどうしても入院したくないと
 いうからそれを尊重して…………」


くどくどと篠ノ之のお小言が始まる。
と言ってもその顔はとても心配そうに歪んでいるので、何も言い返せない。
というか篠ノ之の言葉が正論過ぎて何も言い返せないのが現実か。
そりゃ、俺だって早く怪我を完治させるには入院したほうがいいって、分かってるさ。
でもどうしても今日は登校したかったんだ。
何故なら………。


「ほら馬鹿者共席につけ、SHRを始めるぞ。
 それに今日は新しい転入生を紹介しないといけないからな。
 ……よし、入ってきていいぞ」


教室に入ってきた織斑先生が、開口一番そう言い放つ。
転入生。その言葉に教室内はざわざわと色めき立つ。
ある者は爛々とした狩る者の目で扉を見つめ、またある者は携帯を片手にシャッターチャンスを狙う。
もしそれが男だった場合、あとでプリントアウトして売りさばく算段なのだろう。
しかし、教室に入ってきたその人物を見とめて、皆のボルテージが一気にしぼんでいく。


「あ、あのえっと………。し、シャルロット・デュノアです!
 今日からこの学園に転入してきました……お、『女の子』として。
 い、今まで騙していたのは本当に申し訳ないと思ってますけど、どうかよろしく……」


女子の制服に身を包んだシャルロット。
ズボンからスカートに変わっただけで、こうまで違うものか。
もはや可憐な女の子としか形容できない。間違っても男装の麗人なんて雰囲気じゃない。
ていうか、可愛すぎだろ……!? 何だよこれ、想像以上じゃないか……!
と、俺の反応はさておき。教室の皆の反応はというと……。


「あ、やっとカミングアウトすることにしたんだシャルちゃん」

「やっぱり予想通り女の子の制服似合ってるよね。こっちの方が断然いいよ!」

「ちょっとネタバレまで時間かかっちゃったけどね。ちゃんと自分の口から言ってくれたし、
 良しとしますか」


なんて、その反応はとても温かいもので、誰もがシャルロットが自分から性別について話すのを
待っていたらしい。
……やっぱり皆、女だって気付いてたのか。
あ、よく見たら一夏も嬉しそうな顔してやがる。ちゃっかりアイツも気付いてやがったのか。
まあアイツほど周りに目を配ってる男もいないしな……自分のことには無頓着だが。
シャルロットは最初皆の反応に呆然としていたけど、やがて涙ぐんで皆に頭を下げていた。
皆もそんなシャルロットにハートを撃ち抜かれたのか、彼女の傍に駆け寄って抱きしめた。
……良かったな、シャルロット。お前の苦悩、無駄じゃなかったみたいだ。


「……良かったですわね、シンさん。でも、その落ち着き振りを見る限り、シンさんも
 気付いていたのですね。てっきり一夏さんとシンさんは気付いていないと思ってましたわ」


そんな事はない。色んなハプニングによって早期に気付いていました。
そのハプニングについてはあまり認知させたくないので黙っているが。
シャルロットがチラッと俺を伺う。
俺はそんな彼女にグッと親指を立てて答えてやる。
それを見た彼女はまるで陽の光浴びる一輪の花の如く、サンサンと光り輝いて見えた。
…良かった、彼女のそんな笑顔が見れるなんて、思ってなかったから。
そんな感じでその暖かなやり取りが続いていたんだけど、遠慮がちに教室の扉が開いたことで、
それも一旦中断される。


「………………………………あ、あの」

「…………ラウ……っち…………?」

「の、布仏………皆………。あ、あのその………すまなかった!!
 わ、私はもう大丈夫なんだけど、皆に多大な迷惑をかけてしまって……!
 ……あ、あの、皆………?」


一瞬教室内は静寂に包まれる。
そして次の瞬間には、爆発するような熱気が空間全てを席巻した。



「「「「「ラウラさ〜〜〜〜〜んっ(っち〜〜〜〜〜〜)!!!!!」」」」」

「えっ、わぷっ!??」



シャルロットも、他の皆も、俺と話していたセシリアも、篠ノ之も。
皆ボーデヴィッヒを取り囲んで押し競饅頭状態だ。
皆の目じりには薄っすら涙が滲んでいて、布仏さんについては号泣している。
ボーデヴィッヒも最初は呆然としていたけど、状況が追いついてきたみたいで、皆と一緒に
わんわん泣いている。
………こっちも、良かった、本当に。
随分回り道したけど、これでようやくボーデヴィッヒも、『普通の』女の子に戻れたってことか。

と、皆と抱き合っていたボーデヴィッヒがふと俺に顔を向ける。
彼女は今までの泣き顔から一転表情を引き締めてツカツカと俺の元へとやってきた。
……?何だよ、そんな怖い顔して。


「……シン・アスカ。本当ならお前に一番に礼を言わなければならなかったのに、
 遅くなってすまなかった」

「…れいなんふぇへふにいいほ。おまへはくふひんへくふひんへ、それへもひふんほみふひなはなはっは
 はら、あのひへほのほうひはらへはんは。はかは、へんふおまへほかひほっはほほなんはほ」

「…いや、私一人では、何も出来なかった。現に私はお前がくれた優しさだって、何度も突っぱねたじゃないか。
 でもお前はそんな私のことを見捨てないで、私のために走り回ってくれて。
 それに、こ、こんな……。こんな怪我まで、してしまって………」


机上に振舞っていた彼女の瞳に、涙が浮かぶ。
そして腰を屈めて俺と目線を合わせてくる。
……というか、よく俺が話してることが分かるなって、おお!?
ボーデヴィッヒは俺の手に優しく手を添えて、体を震わせる。
小さく「ごめんなさい……」と呟くのが、とても罪悪感に駆られる。
この怪我は俺の未熟が招いた結果だ。
ボーデヴィッヒに過失などありはしないのに。


「…ほーへふぃっひ、ほんはひあやははふへほいいんはほ。
 ほはへははふひほは、はれほほほっへはひんははは」

「……いや、やっぱりあれは、私のせいだったんだ。
 私の心の弱さが招いた惨事。でもお前は……いや、貴方は。
 そんな私を、救ってくれた……」


……ん?
気のせいかな、声に妙に艶があったような……。


「生まれて初めてだったんだ…。教官以外に、いや。男の人に、こんなに優しくしてもらえたのは……。
 そのせいで貴方はこんな怪我を負ってしまったのに、それに対して貴方はただの一言も咎めなかった」


……おい、何だよ。
何でそんなに顔を近づけてくるんだ。
ちょっ、おい! 近いっ! 近いって!


「私も色々な書物を読んでいるから、今この身を焦がすこの感情を何と呼ぶのか知っている。
 ……『恋』、そう呼ぶのだったな。
 そして、恋をした相手にすることも、ちゃんと勉強している………」

「ふぉ、ふぉい……。いっはいはひほひっへ………むぶっ!!!???」


「「「「「「「「「 !!!!!!!!!????????? 」」」」」」」」」


あ、あれ? 俺は今、何をされてるんだよ?
何でボーデヴィッヒの顔が、こんな間近にあるんだよ?
何か、口の中にぬるぬるとうごめくものがあああああああああっ!!!???
き、キスされてるぅああああああああああ!!??
何だよ、何なんだよこれはぁ!!??
めちゃめちゃ甘い味がするんだけどそうじゃなくてだなぁ!!
すぐさま彼女を剥がそうとするが、ここで重大なことに気付く。
……怪我してて、手が使えない。
そして身じろいで引き剥がす力も、出ない。
時間にしてわずか五秒程度の時間だったはずだが、俺にとってはまるで永遠のように感じられた。
そしてようやっと顔を離した俺とボーデヴィッヒの間に一筋の糸がつうっと垂れて消える。
顔を上気させたボーデヴィッヒは俺を見据えたまま、息を整え。
そして、俺を指差して声高に叫んだ。




「わ、私は貴方様の……いや! 旦那様の嫁になる! け、決定事項だ……私の中では。
 い、異論は! ……もしあったら、泣いてしまうかも…………。
 というか、こ、告白というのはこれで合っているのだろうか?
 確か『キ○キス』単行本三巻にはご主人様と呼んだほうが良いと記されていたが。
 やはり夫婦というのであれば主従関係よりも旦那様の方がしっくりくると思ったのだが……どうか?」




………どうか、じゃねえよ。
そうボーデヴィッヒが言い終えた後、俺は教室の皆から物凄い目で睨まれた。
特に篠ノ之と壇上にいるシャルロットからの視線が痛い。死にそうになる。
だって二人とも、目から光が消え去っているんだから。
今にも包丁でも取り出してきそうなその姿に冷や汗を流しながら、二人から視線を逸らす。
……と、セシリアと視線があった。鬼の形相をしている。また視線を逸らす。
……秋之桜さんと視線があった。彼女の手には包丁が握られている。迷わず視線を逸らす。
……一夏と視線があった。アイツはニマッと素敵な笑みを浮かべている。
殴りたくなったけど、今までのそれよりかはマシだったのでそこで首を固定する。
にじり寄ってくる皆から目を背けるために。殴られるとかはしないはず……だよな?

結局その日は皆から……特に篠ノ之とシャルロットが何故か滅茶苦茶悲しそうな顔をしていて
気が気じゃなかった。
そしてそんな俺を、ボーデヴィッヒは優しげな、愛おしげな瞳で見つめていた。


これは、ただそれだけの話。
シャルロットとボーデヴィッヒが皆と一緒に笑い合えるようになれた、とても素敵な物語。
それはきっと、素敵な物語。



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