人間っていうのはどれほど錯乱していても強固な目的意識さえあれば
案外動けるもんだ。
後にシン・アスカは当時の事を振り返り、友人達に冗談交じりにそう言って
笑ってみせたらしい。

臨海学校二日目、突如発生した軍用IS『銀の福音』の暴走。
政府からの要請を受け学園上層部からその解決を一任された織斑千冬は引率の教師と
代表候補生を率い、銀の福音の制圧作戦を企てる。
その作戦にはシン・アスカもオペレーター兼参謀として参加するはずだったが、目標を
モニターで視認した直後意味不明な単語を喚き散らし、ついには重度の心神喪失に陥る。
作戦に支障が出ると判断した織斑千冬によってISを没収された挙句、自室待機を
言い渡されてしまう。

もはや体も言う事を聞かず、敷かれた布団の上で横たわることしかできない。
しかし身を焦がさんばかりの焦燥が絶望に浸りきった体を、心を突き動かす。
極度の精神的ストレスにより激しい動悸に襲われ、僅かに残っていた体力を
根こそぎ奪われたシン。
既に自力で歩くことすら難しかったが、それでもシンは部屋を抜け出す。
長い長い廊下を、文字通り這いながら。
自室待機の命令によって生徒の誰もが廊下を這いつくばるシンに気が付かなかった
ことだけが救いか。
静まりきった廊下に、シンの呻くような声だけが響く。

外の気温に比べて古めかしい木造の床はひんやりと冷たい。
だがそれも溶岩のように煮えたぎる脳みそを冷ますには程遠く。
一人作戦から外されたこと、姿形を変え現れたフリーダム、作戦に赴いた仲間の安否。
尽きない懸念は膨大な熱へと変換し、シンの毛細血管の一本に至るまでめぐり、内から
炎を噴き上げる。
その炎がシンがら思考能力を奪い、ただ本能のまま自身の願いのままに動かす。
もうシンには、正常な判断力さえ失われていた。






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……篠ノ之……一夏……セシリア……シャル……ラウラ……凰……。
皆……皆は、どうなった……無事なのか……?
フリーダムを制圧……いくら千冬と山田さんが迎え撃つといったって安心できない…。
奴のあの動き…戦闘中に度々見せる本気の動きだ。
クレタ沖でアスランのセイバーを堕とした時、ベルリンでステラの駆るデストロイを
討ち取った時、オーブで俺の打ち下ろしたアロンダイドを白刃取りしてみせた時。
その人間離れした鋭い一挙一動を思い出し、背筋に冷たい汗が滲んでいく。

…大丈夫、大丈夫だ…。
千冬の強さはフリーダム、キラ・ヤマトに比肩しうるレベルだし、ISには絶対防御の機能がある。
例え重傷を負ったとしても死ぬ事はない…はずだ…。
ぐっ……動けよ体……。早く、「風花の間」へ行かないと……。
もう少し……もう少しだ……。
あの角を曲がれば、もうすぐ……。


「これは、一体どういうことなの!? 連中はどこから現れたっていうの!?」

「分かりません、こちらでは何も把握が……! 衛星からの映像にも敵機の姿は映っていませんでした!」

「ステルスモード!? でもIS学園の設備でも捉えられないほどの高性能なステルス機能…!
 そんなものを搭載したISなんて聞いた事がないわ!
 あの包囲網をすり抜けて、尚且つ攻撃するその時まで探知できないなんて……!」


早乙女先生とオペレーターの先生の、困惑したような叫声が部屋の外まで響いている。
何だ……どうかしたのか……?


「あの襲撃者たちはどこの所属なの!? よりにもよってこんな時に……!」

「映像より検索、データ照合……駄目です! 該当するISはありません!」

「どこかの国が秘密裏に組み立てた新型? それとも既存の467機以外のコアを用いたIS?
 いずれにしても性質の悪い冗談だわ…! しかもその内の一人が男だなんて……!」


先生たちは一体何を話している……?
作戦は…? フリーダムはどうなった……?
もっと近くに……胸騒ぎがする……。
襖を少し開けて、中を……。


『早乙女先生、すぐに封鎖部隊を全員一夏と篠ノ之の元へ向かわせろ!!
 奴の目的はアスカだ!! 奴はおそらく一夏たちを餌にアスカをっ!!?』


な、何だ今のは……?
千冬……? 何であんな切羽詰った声を……?
俺が、目的……? 餌……一夏たちが……? どういうことだよ……?
どういう…くっそ、動けよこのポンコツ体!! こんな時に動かなくてどうする!!
あと少し……よし、届いた……!
バレないように静かに……。
…何だ、ディスプレイに映っているISは…?
学園のISじゃない、皆の専用機でも…。
何故千冬と戦っている……? 意味が分からな…。


「織斑先生っ! くっ…これ以上の通信は戦闘の妨げになる。
 銀の福音はどうなってるの!?」

「目標は超音速飛行に入りさらに加速! 
 二十km先で空域を封鎖している織斑君たちに一直線に向かっています!
 このままだと約二分後には二人に接触するかと…!」

「時間がないわね……! 各隊に連絡!
 予想外のトラブル発生よ! 銀の福音が制圧隊をかわして一夏クンたちの封鎖ポイントへ
 向かっているわ! 各隊は直ちに一夏クンたちの援護に回って!
 一夏クン、篠ノ之さんも聞いているわね! 銀の福音の狙いは貴方たちよ!
 皆が到着するまで目標を食い止めて!
 でもくれぐれも無茶は避けて! 防御と回避に専念するの、いいわね!!」


な、何だよそれ……どういう事だよ!?
フリーダムが一夏と篠ノ之を狙って……!?
そんな…いくらISを纏っているからって、二人だけではフリーダムには…!
どうしてフリーダムが二人を狙わなくちゃならない!? どうして………。
……俺の、せい?
さっき千冬が叫んでいた、フリーダムの目的は俺だと。
一夏たちは餌なのだと……。
俺のせいで、二人が傷つく……?
俺のせいで、俺が戦えないから……。
俺が守れないから……また大切な人が……。
俺の、せいで……。


「織斑先生たちはどうなってるの!」

「未だ襲撃者と交戦中! そんな…二人とも完全に押さえられています!」

「くっ、まさか織斑先生まで止められるなんて……!
 白い方も強いけどあのライオンみたいな男…格が違う…強すぎる!!
 先生たちは襲撃者の相手で手一杯、一夏クンたちに一番近いシャルロットさん、
 ラウラさんでも到着までに三分以上はかかる…。
 これも全てアスカ君を狙って? 一体どうして……!」


…もう、待っている暇はない。
行かなきゃ……行かな、ければ……。
何でフリーダムがここにいるか、俺を狙うのか…。その理由は、今はどうだっていい……。
どうしてこうなったかなんて、後でいくらでも考えられる……。
ただ一つ確実なことは……。
フリーダムの狙いが俺だというのなら、俺自身がそこに出向いてやればいいんだ…。
そうすれば一夏たちが餌として攻撃されることもなくなる……。
でも、どうやって…? 『ヴェスティージ』は千冬に没収されちまったし…。
…そうだ、さっき篠ノ之が『良妻賢母』を受領した海岸……。
今日のISの運用データ収集もそこで実施だったはず…。ならばそのための訓練機が
置いてあるかも……。
確証はない、だからってここでまごついている時間もない…。駄目もとで行ってみるか…。

……はぁ……はぁ……動け……俺の、体……。
一歩でも、先へ……早く……早く……!




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「…早乙女先生、狙いがアスカ君ということなら、あの襲撃者たちの別働隊が
 直接ここに乗り込んでくる可能性はないんでしょうか?」

「私たちの目をアスカ君から遠ざけるだけなら銀の福音を暴れさせるだけで十分のはず。
 あの襲撃者たちが織斑先生たちを攻撃する必要がないのよ。それより…」


それよりあの大男が私たちに聞こえるように銀の福音に叫んだこと、そちらの方が気になる。
むしろ私たちに自分達の目的を「聞かせた」ように感じる。
でも何故そんな真似を? 襲撃者たちにとっては何のメリットもないはずなのに……。
いえ、むしろそこにメリットがあったと考えるべきか…。
いずれにしても情報が少なすぎる…。


「…あら? 襖、少し開いてる?
 ちゃんと閉めていたはずなのにおかしいわね。
 …早乙女先生。もしですよ? アスカ君がさっきの話を聞いていたとしたら、
 どうしたでしょうか?」

「え? …多分彼の性格から察するに問答無用で飛び出そうとするでしょうね。
 でも例え聞いていたとしてもどうにもならないわよ。
 彼の状態は私も聞き及んでいるわ、ISの搭乗者保護機能があっても彼は戦えない。
 それに織斑先生が没収した彼のISならここに……」


そう言いながら何気なしに後ろに置いてあるはずの黒く濁った貝殻のペンダントに目を向ける。
そして、『目』が合った。
照明の落ちた薄暗い部屋の奥に鎮座する、黒ずんだ血で汚れきった傷だらけのISと…。


「……あら?」


一瞬言葉を失う。
そんな私たちに気付いたように突如背面のスラスターが大きく開き、勢いよく噴射をはじめる。
徐々にその機体が空中へとせり上がっていく。
発せられた熱風を受けて少し後ずさる。
驚愕…いや、そもそも信じられなかった。
ISが無人で動いている。過日学園に乱入してきた正体不明のISも無人機だったらしいが、
私はそれを信じていなかった。
その無人機とやらは自爆によって跡形もなく消滅してしまったし、そもそもISというのは
人が搭乗しなければ動かない。そういうものなのだから。
でも、眼前にあるISの搭乗部は空洞、無人だ。
有り得ない、こんな事が……!?

まるで呆けて動けない私たちを嘲笑うように数秒そこで静止していたIS『ヴェスティージ』は
スラスターを限界まで開き、そのまま飛翔。
天井を発泡スチロールのように粉々に突き破り、どこかへと飛び去ってしまった。


「さ、早乙女先生……!?」

「ああ……何てこと……!!」


半ば放心しながらようやくそれだけ呟く。
頭の中ではぐるぐるとこの短時間で起こった出来事が渦を巻く。
しかし私の理解力、脳の処理スピードではその答えを見つける事ができない。
何故彼のISが突如起動した? 無人で? もしやヴェスティージだけの特殊能力?
にしても何故「今」起動した? このタイミング、どう考えても作為的なものを感じる。
そして飛び去ったヴェスティージはどこへ行った?
そもそもISは緊急時を除いた指定区域以外での起動は国際条約でも禁じられている。
IS学園生のISが、無人で学園の制御下を離れてどこかへ飛び去ったなんて、それこそ
今回の作戦同様の大問題だ。
その責任は彼のISを預かり監視していた人間…そう! 私に追及されることになる!

戦々恐々と震えていると、ドタバタというけたたましい足音が聞こえてくる。
襖が勢いよく開けられると、そこには血相を変えた仲居さんが二人立っていた。
ああ…そりゃああれだけ大きな音立ててりゃ飛んできて当然ね。
彼女らはパラパラとホコリと木屑が落ちてくるのに気付き、上を見上げる。
そこに広がる大空を仰ぎ見て、片方の熟年の女性が奇声を上げた。
あああ…また話がややこしく……。


「き、キィーーーーーーヤーーーーーーーーー!!!!???
 て、天井に穴がっ! 歴史ある「風花の間」の天井に大穴がぁーーー!!??
 創業以来一度も改修したことのない格式高い宴会場が目茶目茶にぃ……ぐふっ」

「せ、先輩っ!? 先輩しっかり! ちょっ、こんな時に気絶なんてしないで下さいよ…ああもうっ!
 IS学園さん、一体全体どうしてこんな大穴開けちゃってるんですかぁ!?
 理由は知りませんけど、この責任はきっちり取ってもらいますからね!!?」

「は、はいそれはもちろんっ! 今回のことは全て我々の不手際で……!
 IS学園としてはこの責任はとらせていただきますので、ここはどうか……!」


鬼の形相で詰め寄ってくる若い仲居さんにひたすら平謝りする。
うう…何で私がこんな目に…。アスカ君のISが勝手に起動するなんて誰も予想できないのに…。
それに毎年懇意にしていただいている花月荘にこんな損害を与えてしまうなんて…。
もし来年からの臨海学校受け入れを断られでもしたら大問題に…!
しかもそれを引き起こしたのが引率の教員とくれば、もう私の給料どころかクビの危機にさえ…!
ただでさえ毎月キツキツなのに、これ以上節制を強いられればエビスを発泡酒に……!?
い、嫌っ! 私はあんな酸っぱい薄い味しかしないお酒もどきなんて飲みたくない!
あの濃厚な麦とホップの味とお別れなんて考えただけで脂汗が…!


「…もうっ、これ以上ここで喚いていても仕方ないですね。
 とりあえず先輩をお布団に寝かせたいので、運ぶの手伝ってもらえます?
 卒倒した時に頭打ったみたいなので」

「えぇ!? さらに傷害沙汰にまで……!? あっ…とにかく分かりました!
 私は上半身を持ちますので、貴女は足の方を…」

「分かってますよっと……、結構重いわね先輩……。
 さ、とりあえず私たちの休憩室に……あ、そうだ。
 すっかり忘れてた…実は貴方達に報告することがあったんでした。
 例の男の子……シン・アスカ君でしたっけ?
 頼まれていた通りさっき様子を見に部屋に行ったんですが…いらっしゃいませんでしたよ?
 辺りを他の仲居と一緒に探しましたけど、どこにも」

「……何ですって?」


知らず手から力が抜け、担いでいた仲居さんを取り落としてしまう。
足元から「ぐえっ」という潰れたカエルのような声が聞こえてきたけど気にならない。
気にならないほどに、私は言いようのない不安に取り憑かれていた。
それはある不吉な想像が脳裏をよぎったため。
無人にも関わらず勝手に起動しどこかへ飛び去ってしまったIS『ヴェスティージ』。
それと同じくして織斑先生の部屋から姿を消したアスカ君。
偶然、なの……?
考えるほどに胸のモヤモヤは酷くなる一方、居ても立ってもいられなくなる。
何より、事の進み方次第では私の晩酌が目を覆わんばかりの惨憺たるものになる可能性がある。
本当に、居ても立ってもいられない。
私は、心を決める。これ以上不安要素を増やさないため。
何より、芳醇な苦味と酸味を生み出す麦とホップのために。


「ちょっ、早乙女先生どちらへ!?」

「自室待機を命じている生徒を招集してアスカ君を探します!
 嫌な予感がするの…先のヴェスティージの件も絡んでいる気がする…。
 貴女はそこで織斑先生のバックアップをお願い! 私もすぐに戻るわ!」

「ええぇ!? 何言ってるんですか、作戦行動中に指揮官が現場を離れるなんて……!」


彼女の言葉を待たずに私は廊下を猛然と走りながら大声を張り上げる。
こういう時の私の嫌な予感は、それはそれは当たるのよ。もう怖いくらいに。
そんな状況でそれを察知した私が指をくわえて指揮官面していろと?
冗談も大概よ、もう織斑先生の叱責も怖くないわ!
私にこのような強攻策を強いているのは減給への恐怖であり、本物のお酒を奪われることへの恐怖よ!
真のヒーローの活躍というのは全てが終わってから評価されるもの。
この端から見たら血迷ったような行動も、終わりよければ全て良しとなるものなのよ!
お願い…お願いだからすぐに見つかるところにいて、アスカ君!!





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ずり……ずり……ずり……ずり……。
げほっ………げほっ………はぁ………ぁ…………。

廊下を腹ばいで進み、階段から誤って転げ落ち、外を這い進む段階で擦り傷だらけになってしまったけど、
何とか今朝の海岸までやって来ることができた、奇跡だ。
側にあった岩に手を置き、何とか体を起こして周りを見回す。
しかしそこには朝見たのと同じどこまでも透き通る白い砂浜と海が広がるのみ。
誰の声も聞こえない。
ただ波の寄せる音と引く音が交互に聞こえてくるだけ。

そんな……てっきり他の皆がここでISのデータ収集のための機材や機体を運んでいると思ったのに……。
……あ、そうか。確か千冬が言ってたっけ、フリーダムの制圧作戦のために今日のテストは全て中止って…。
くそ……こんな大事な事忘れるなん、て…………ぐ…………。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、その場に崩れ落ちる。
荒く息をつきながらも起き上がろうと手に力を入れる。
でもバランスを崩して顔面から砂浜に倒れこんでしまった。

……限界、なのかよ、ポンコツ……。
本当に肝心な時に、役に立たない俺自身め……。
この暑さも相まって頭に血が巡らない、ボーッとしてくる…。
意識が、混濁して、暗闇の中に溶けていく……。
……行かなくちゃ……いけないのに………皆を守る、ために……俺が………………俺……………が………………………。


『ヒヒヒ……いつもご大層に守る守る連呼してるくせに案外だらしねぇなぁご主人サマよぉ。
 こんな暑さくらい、今日び幼稚園児のガキでさえはしゃいで駆け回るレベルだってのによぉ』


――――――っ!!!
聞き覚えのある地の底から響いてくるようなおぞましい陰湿な声。
でも普段なら嫌悪感に身を震わすほどなのだが、今だけは内心歓喜に打ち震えていた。
コイツが出現した、つまりそれが意味する事はただ一つだけだ。
顔だけを力いっぱい上げる。
真夏の太陽を背に仁王立ちするそいつの姿は逆光で見えない。
しかし俺には分かる、今の奴の表情が。
奴め…いつも以上にニヤニヤして、俺が苦しむ様を楽しんでいやがる……!


「げほっ……何で、お前がここにいるんだよ……。
 ネックレスは、千冬に没収されたはずなのに、どうして…………」

『あ? テメェは世に言うツンデレか何かかあぁん?
 言葉とは裏腹にだらしねぇくらいに面ぁ崩しやがってよぉ。
 俺様にゃあそのケはねぇんだぞ?』


…たくっ……相変わらず憎たらしい野郎だ。
これでもかってくらい俺の癇に障るばかり言いやがって…。
けど、今に限ってはそれにすら感謝する。
だって俺のすぐ近くから、はち切れんばかりの力の脈動を俺の感覚が感じ取ったからだ。
少しずつ目の焦点が合ってくる。
覚醒したばかりでぼんやりと揺らぐ景色の中に、その清涼な場所に調和することもなく
座して動かない異物が映る。
その各部パーツの真ん中にぽっかりと口を開けて、まるで餌が入ってくるのを待っているようにも見えて。

しかしそう見えるにも関わらず、俺の手足は吸い寄せられるように砂をかき分け、体はミミズが
のたくるようにズルズルと前進する。
そうして進みながらも、奴との会話は止めない。
むしろ奴と言葉のやり取りをすることで、不思議と心が高揚してくるのだ。
この不愉快極まりない心の奥底に沈むヘドロのような感情も、何故か心地良いものに感じる。
『力』…奴と俺との間にある繋がり。
俺が今、最もそれを渇望しているからだろうか。


「いつの間にここまで来たんだよ……? 全く気が付かなかったんだが……?」

『テメェが砂浜にダイブして土左衛門になってる間に着陸したんだよ。
 少し意識を飛ばしてたみてぇだから気付かなかったのも無理はないがなぁ』


ああ、そうか……。
俺、あの時気を失ってたのか……少し?
まあ、どうでもいいか、そんな事は……。


「じゃあどうしてお前はここまで来た……? ISっていうのは人が搭乗しないと
 動かない地球に優しい兵器じゃなかったか……?」

『ハッ、いつまでもそんな古くせぇ既存の考え方に囚われていちゃあ、大切なモン
 見失っちゃうぜ! 
 つかよぉ、ISっつーのはその蓄積した経験値に応じて自己進化するモンだろ?
 ならその過程で自立的に搭乗者なしで起動できるようになっても、何ら不思議じゃねぇだろ?』


そりゃ正論だな。
実際俺は以前無人のくせにやけに手強いISとやり合ってるわけだし、不可能な話でも何でもないのかも…。
そんなやり取りをしているうちに、ようやっとヴェスティージに辿り着く。
体躯を這い回るウジのようにゆっくりとその開いた搭乗部へと乗り込み、体をそこに預けた。
同時にプシュッという排気音とともに各部パーツがやせ細った体に装着されていく。
体中にみなぎっていく力に安堵感を覚える。緊張が良い意味で解け、ほっと胸を撫で下ろした。
ようやっと返ってきた俺の力。
これでもう、何も恐れることはない。


『で、これからどうするよご主人サマよぉ?
 ここから北東二十三km地点にて交戦状態のISが三機いるぜ。
 もしかしなくともテメェの目的地はそこだろぉ?
 しかしそこに行くまでには最大加速でも五分以上は余裕で……』

「そんなに時間はかけてられない…。ならば『瞬時加速』の連続使用で飛べばいい…。
 大分時間を稼げるはずだ…げほっ!!」

『おいおい正気かぁ? んな事したらエネルギー喰いまくって到着する頃にはほぼすっからかんだぜぇ?
 それにあの技は搭乗者への肉体の負担も莫大だ。
 最悪今のテメェの状態じゃ死んじまうかも………』

「いいから………! そこに到着するまでにエネルギーが少しでも残っていればそれでいい!!」


ヴェスティージはじっと俺を見つめていたが、溜息混じりに「りょーかーい」と気持ち悪い
猫なで声で囁きやがった。
それに合わせてスラスターが開き、瞬く間に俺を空の彼方へと運び去る。
そして一旦空中で静止、フリーダムと一夏たちが戦っているであろう遥か遠方を定める。
俺も堕ちそうになる意識を必死に繋ぎ止め、腹の底から声を張り上げ叫んだ。


「シン・アスカ! ヴェスティージ、行きます!!」


即座に瞬時加速、ISを纏っていても凄まじい負荷が襲い掛かり、体が粉々になりそうになる。
ブラックアウトしそうになる意識を歯を食いしばって押しとどめながら、さらに二度目の瞬時加速。
体中から上がる悲鳴に耳を傾けながら、途中の合間に激しい嘔吐を繰り返しながらも、俺はまた加速した。
一夏は…篠ノ之は…無事だろうか……?
皆が無事なら……俺は………………………。































『一夏クン、篠ノ之さんも聞いているわね! 銀の福音の狙いは貴方たちよ!
 皆が到着するまで目標を食い止めて!
 でもくれぐれも無茶は避けて! 防御と回避に専念するの、いいわね!!』

「り、了解!」


早乙女先生の切羽詰った叫びに何とか返事を返す。
俺の横では篠ノ之も表情を硬くして聞いている。
聞いた情報によると、状況はかなり厳しい。

銀の福音の制圧に向かった千冬姉と山田さんが正体不明のISに襲撃を受けた。
その隙をついて福音が離脱、俺たちの封鎖する空域に急接近しているとのこと。
正直話を聞いても分からないことだらけだ。え、襲撃? 何それ?
福音の狙いがシン? 意味が分からないけど千冬姉? みたいな。

だけど明らかなことは俺たちは二人きりで千冬姉クラスの化け物を押さえなければ
いけないこと。
増援もすぐには望めないこと。
俺たちはそれぞれ何とは言わず覚悟を決める。
気を引き締め、臨戦態勢に入る。それぞれの得意な獲物を手に雑念を散らす。

俺は唯一にして最強の武装『雪片弐型』を少し腰を落として構える。
箒を見る。淡い紅色の機体が見える。やっぱり何度見ても溜息が出ちまうな…『良妻賢母』。
こんなに温かみのあるISなんて初めてだ……。
箒自身これが初登場らしいし、どんな武装を持ってるのかな。

箒の右手に光の粒子が収束、像を成す。
そこにあったのは鍔のない細身の長刀。
柄の先には撫子色の愛らしい紐が結いつけてある。
鍔のない刀は扱いづらいんじゃないかと思うけど、箒は剣道の全国大会で優勝経験もある。
こういった日本刀型の武器も、お茶の子さいさいで操っちゃうのかもしれないな。
その抜身の居合刀をしげしげと眺めながら、ポツリと呟く。


「『剣心一如』……」

「え?」

「この刀の名前…『良妻賢母』にただ一つの近接武器みたいだ。
 刀先にエネルギーが帯びていて、調節次第でいつでもどんな状況下でも
 その刀身を三倍近く長くすることが可能、だそうだ。
 敵が刀の間合いの外にいても、瞬時にその距離を詰め、両断する事ができる、らしいぞ」


フォンフォンと雲を相手に素振りしてみせる箒。
どうやらその刀は予想以上に手に馴染むらしく、箒自身驚いているようだった。
それを腰だめに構え、姿勢を低くする。
俺も箒も、準備は万端だ。後は福音がどういった戦闘を行うか、そこだけだな。
そもそも基本スペックは俺たちよりも上らしいし、どう立ち回ったものか…ん?

ふと横目で箒の様子を窺う。
そこには目の前の雲海から視線を一時もはずさない箒がいた。
顔に深い皺まで作って…その姿は俺の目にも力入りすぎているように見えて、俺も
目の前から顔を背けずに、話しかける。


「…しかしどういことなんだろうな? 銀の福音の目的がシンだなんてさ」

「分からない…でも私たちを嬲るのを見せつけることでアスカをおびき出そうと
 しているのなら、そんな事を許すわけにはいかない。私一人でも目標を撃墜して……!」

「待てって箒、早乙女先生も言ってたろ? まずは防御と回復に専念して皆を待てってさ。
 俺たち二人だけで千冬姉と肩を並べる怪物を相手にできるとも思えないし」

「そんな悠長なことを言って、もし戦闘が長引いている間にアスカがこの事を聞きつけたらどうする!?
 アスカのことだ…絶対無理を押して、どんな手を使ってでもここまでやってくる…!
 自分が狙われてるのもお構いなしに、私たちを守ろうと……!
 嫌な予感がする……胸騒ぎが止まらない……胸が締め付けられるんだ!
 一夏はアスカのことが心配ではないのか!? 何故そんなに落ち着いている!? 何故……」

「俺が、シンのことを心配してないとでも?」


ほんの少しだけ語気を強めて、凄い剣幕でまくし立てる箒を遮る。
グッと言葉を詰まらせた箒は驚いたように俺を見ているようだった。
俺は変わらず前だけを真っ直ぐ見つめたまま一拍置く。
暫しの沈黙の後、気流の波にかき消されそうなほど小さい、箒の遠慮がちな声が聞こえてきた。


「一夏…お前は千冬さんのことが心配ではないのか?
 謎の襲撃者と交戦中らしいが……」

「ん……まあ気にならないって言えば嘘になるけど、別段心配はしてないな。
 千冬姉が襲撃なんてする卑怯者に負けるわけがないから。
 それに千冬姉なら絶対にこう言うぜ。
 『目の前の敵にさえ苦戦する実力で、自身の身さえ守りきれない実力で、
  他人のことを心配するな馬鹿者』ってさ。
 まあそれでもいざという時はそんなのお構いなしに俺は戦うし、千冬姉もそれを良しと
 してくれるだろうけど」

「………………」

「でもさ、それはそれで正しいって、今の俺は思ってる。
 自分の身さえ守れないのに自分が誰かを守ろうっていきなり出しゃばるのは、それは違うって。
 まずは自分だけでいきり立つんじゃなくて、出来うる全ての手を尽くして、仲間の手を
 借りられるだけ借りて、それでも誰かを体を張って助けなくちゃいけなくなったら、
 問答無用で戦えばいいんだって。…誰かさんを見ていて、そう思ったんだ。
 だからさ箒、まずは落ち着こうぜ。そして、皆を待つんだ。
 どうしても助けたい奴がいるのなら、そいつに傷ついてほしくないのなら、まずは冷静になるんだ。
 俺は皆を信じてる、皆と一緒なら福音にだって勝てる。それでもやられそうになったら、
 俺が俺自身の全てを使って、箒を、シンを、守ってやるからさ」


最後に一瞬だけ箒へ顔を向け、笑いかけてやる。
俺の目に映る箒は今までの強張った表情をフッと和らげ、微笑み返して見せた。
…やっぱ箒は笑ってた方がいいな。シンと一緒の時みたいな笑顔には、できなかったみたいだけどさ。


「本当…そういう所は敏感だな、一夏。
 でも、少し落ち着いた。ありがと―――――――――」


そう、言い終わらないうちだった。
白式が喧しいほどの警戒アラームを鳴らし、目の前に浮き出る警告の文字。
反射的に身を翻す。
見れば箒もスラスターを逆噴射、僅かに機体を後方へ動かす。
間を置かず俺たちが寸前まで停止していたそこに、二本の高出力エネルギーが通過していく。
雲海を散らし、周りを覆っていたそれに大穴をこじ開ける。
姿勢制御しつつエネルギーの飛来した方向をズームする。
しかしそれでもまだ敵影を視認することはできなかった。

認識外からの狙撃!? しかもここまで正確に俺たちを狙うなんて……!
そこでまたも警告音、現れた画面には「ロックされている、注意しろ」的なことが表示されている。
俺は油断せず散らされた雲の隙間からその遥か先を注視する。
その、次の瞬間だった。


「っ……ぐあっ!!? ああああぁっ!!!??」

「な…一夏っ!!?」

「俺の事はいいから、後退するぞ箒! 福音が、来るっ!!」


俺のちょうど「真上」から降りそそいだ数条のビーム。
その全てが余すことなく正確に白式のシールドバリアーをなでていく。
オープンチャネル越しに箒の叫び声が聞こえる。
俺はそれに怒鳴り返しながら機体の体勢を必死に立て直す。

く…どういう事だ!?
俺は初撃が飛んできた方向に気を向けていた、それを一瞬たりとも逸らしてはいない!
なのに何故、攻撃が「上」から降ってくる!?
初撃を避けてから一分も経ってないのに、俺の真上まで大きく移動したっていうのか!?
それほどの機動力だってのか、第二形態移行した銀の福音は!?

錐もみする機体の中で必死に考える最中、浮かび上がる映像の端に、向かってくる何かが映る。
体に電流が走る。体が勝手に反応し、その場で小さく旋回する。
そこを目にも止まらない速さで通り過ぎていく光の刃。
何とかその場で姿勢制御を取り戻した俺は、俺の元に飛んできた箒とともに対峙する襲撃の主を睨みつける。

銀の福音だ。しかしその姿は第二形態移行したことで随分変わっていた。
まず最大の特徴である一対のスラスター翼がなくなっている。
代わりに背面に備わった八枚の蒼い翼。
俺たちを牽制するように大きく広げられ、淡く青白い排気が噴出している。
その各部パーツの形状もさらにシャープに、より人の形に近く変化している。
搭乗者の顔はフルフェイスのハイパーセンサーに覆われ、その表情を窺い知ることはできない。
現在展開中の武装は両手に握られたレーザーサーベル。
薄く発光する紅色の刀身が不気味に揺れている…まるで噛み付く獲物を選んでいるかのように。


「一夏、大丈夫か!?」

「っああ…。結構エネルギーは失ったけどな。
 しかし予想はしてたけど問答無用なのな福音の奴。こりゃ手加減なんか……」

『目標IS二機を確認。これより戦闘状況を開始……全て殲滅する』


俺たちの会話に抑揚のない女の声が被さる。
今一度大きく蒼い翼を広げ、こっちへ向かってくる銀の福音。
俺は雪片をきつく握り締め、箒と共に真正面から迎え撃つ。


「してくれるわけないよなそりゃっ!!!」

「いくぞ一夏っ! まずは奴を押し返す! シャルロットたちが来るまで私たちで
 食い止めるのだろっ!?」


高速で接近する福音に打ちかかる。
ここまで接近されちゃ逃げ回ることさえできないから、まずは打ち合って、隙を見て距離を開ける!
ぶつかり合う雪片とサーベル。うねるように切り込んでくる光刃を何とか受け止め、捌き、払う。
しかし相手は二刀流、しかもその太刀筋は変幻自在にして流麗。
十合ほど打ち合うがどんどんこちらが追い込まれていく。
鍔迫り合ったままスラスターを全開まで開いて噴射、押し切ろうとするがビクとも動かない。
逆に福音の方が翼を広げこっちを押し込んでくる。
そのかかる圧に何とか耐えるが、俺の口元は緩んでいた。
こっちはお前と違って、二人がかりなのだから。


「はあああっ!!!」


素早く間合いを詰めた箒の一閃。
しかし福音はそれを難なくかわし、後退する。
だが未だ箒の目に宿るは敵を撃滅する鬼神の煌き。
即座に放たれた追撃の一太刀、それは刃先から見る見るうちに光刃を伴い、彼方を
飛び回る福音に追いすがる。
そこにある空を真っ二つにしながら薙ぎ進む斬撃を、しかし機体を反転させ苦もなく
かわしてみせる福音。
だが俺たちは気にせずその隙に距離を取る。
俺たちの当面の作戦は仲間たちとの合流、それまでの時間稼ぎだ。
無理に福音と刃を交える必要はない。
福音が逃げに転じた俺たちから目標を変えて飛び去ろうものなら話は別だが…。

少しの間動きの止まる福音。
だが一呼吸置いてその両手にあったサーベルが粒子となって消え、代わりに二丁の
ライフルがそこに収まる。
その銃口を俺たちに向けながら、起伏の乏しい声が大空に響き渡る。


『敵機に近接戦闘の意思なしと推測。戦闘パターンを中・遠距離戦へと移行』


同時に発射されるビームの連射。
さらに両肩、両腰に小型のレール砲が計四門展開。
それらが一斉に俺たちに火を噴いた。
絶え間なく放たれる火線の中を目まぐるしく動き回る俺と箒。
だが奴は俺たちを上回る速度で加速し、回りこみ、包むようにビームとレールガンを
吐き出し続ける。
天地上下の把握さえできず、ただ目に映る光の矢をかわすのに夢中になっていた。


「くっそぉ!! 野郎、どれだけ撃っちらかせば気が済むんだよ!?
 反撃の隙もない、逃げ回るのさえ難しいなんて!!」

「ぐ……しかもこいつの射撃精度、尋常じゃ……っ!!?
 うああああああっ!!!!!」

「箒っ!!? くそっ……!!」


福音はスラスター翼を広げるとライフルを撃ちながら俺たちに急迫、追い越していく。
そのすり抜け際に片手にサーベルを展開、箒に一太刀浴びせてさらに加速する。
堕ちていく箒に何とか追いつき抱きとめるが、福音は俺たちのISを凌駕する機動のまま反転。
展開している武装、再びグリップし直した両手のライフル、その全砲門を俺たちに向けた。
三度の警告。ロック……狙われている。
計六つの熱線が俺たちに集中する。

まずいっ……!! この体勢じゃかわせない!!
箒の肩にかけていた手により力を込め、抱きかかえるように背を向ける。
俺はどうなってもいい! せめて、箒だけは……!!


「一夏っ! 私は大丈夫だから、私をあのビームの前にっ!!」

「なっ! ほ、箒っ!?」

「間に合えっ……『桜花爛漫』―――――――っ!!!」


箒の叫びに驚いて抱き寄せていた力が少し緩む。
箒はすぐさま俺の前へと踊り出て素早く機体をターンさせる。
すると腰部に取り付けられた撫子色のレースから「桜の花びらのような何か」が
大量にばら撒かれた。
それはまるで火線と俺たちとを隔てる壁のように空中にひしめき、その花びらに
ビームが触れた途端、それが膨張。大爆発を起こした。

す、すげぇ…あれを全て相殺した……?
そう思ったのも束の間、爆炎の中を二本のレールガンが突き抜けてくる。
体が勝手に動く。今度こそ箒を抱きしめ、向かってくる凄まじい熱量を背で受け止めた。


「い、一夏っ!? 一夏ぁ!!?」

「ぐがぁっ……!!」


あまりの衝撃に意識が飛びそうになるが、歯を食いしばって何とか踏みとどまる。
ぐっ…あの花びらのお蔭で若干威力は弱まっていたけど、それでもこの破壊力か…!
シールドバリアーの減りが半端じゃない……!!


「一夏っ…! ああ…すまない…私が一人で息巻いておきながら、お前にこんな……」

「っつつ…何言ってるんだよ。箒のお蔭でこの程度のダメージで済んだんだぜ?
 さっきの、『桜花爛漫』って言ったっけ? 綺麗だったな、桜の花びらか?」

「あれはデコイ…一種の囮なんだ。
 あの戦闘には場違いの幻想的な形状で一瞬敵の虚を突き、足を止める。
 それにあの花びらには機雷としての機能も備わっていて、密集させれば
 高出力のビーム砲でさえ相殺できる、はずだったんだ……。
 まだどれくらいの出力に耐えうるかは確認していなかったからこんな事に…。
 本当にすまない……」

「だから謝らなくていいんだって。俺と箒、お互い助け助けられのイーブンだったんだから。
 ……それより、今考えなくちゃいけないのは……」


全砲門一斉射撃を防がれ、さっきから微動だにしない福音だ。
何故その程度の事で動かなくなったのか、逆に不気味で一瞬たりとも気が抜けない。
今までの攻防で分かったこと。
それは福音の底知れぬスペック、特にその機動力。
まだ見せていない武装も当然あるはずなのにこの攻撃力。
そう考えると一つの懸念が生まれる。皆が到着するまで、耐え切れるかということ。
白式は既にエネルギーの三分の一を消耗している。
箒の良妻賢母はどうか分からないが、やはり万全とはいえないだろう。
冷汗を流して警戒する俺たちに突如として降りてくる冷たい手触りの女の声……福音だった。


『戦闘状況の膠着を打開できず。敵機の増援の接近を確認。
 このままでは作戦に支障をきたす恐れあり。
 これより戦闘パターンを高機動空戦及び全砲発射形態…「ハイマットフルバースト」へと移行。
 特殊兵装『ファントムドラグーン』を展開』


直後福音の背面から何かが四方に飛び散る。
それは福音の八枚ある蒼いスラスター翼。
それぞれがまるで生き物のように大空を自在に泳ぎ回る。


「あれは……セシリアの『ブルー・ティアーズ』! しかもそれが八機も!?」

「一夏…それに銀の福音の背中……。スラスターが分離したあそこから漏れ出しているのは……」


ビットを射出した後に残ったウイング状のフレームから放出されているのは、まるで悪魔の如き
漆黒の光の翼。
さっきまでの荘厳な雰囲気から一変、まるで福音が鎌を携えた死神のように映る。
いつかシンが言っていた…まさに「死の天使」と呼ぶに相応しい様相。
呆然としていたのも束の間、福音のライフルとレールガン、さらには漂っているビットが
俺たちに向けられる。
計十四にもなる砲口が目の前の獲物を蹂躙せんと、その口に莫大な熱量を蓄え始める。


「あいつ…まさかあれを一度に撃ち出してくるつもりじゃないだろうな!?」

「回避が間に合わない……! 一夏、私の側に!! 
 頼む……『トゥルー・エンゲージ』っ!!!」


箒の左手の薬指が淡く煌く。
そこに展開された超小型の武装。
そこらで誰かがはめている指輪と何ら大差ないシンプルな形状。
しかしそこに取り付けられたクリスタルから光の輪が形成され、見るうちに俺たちを
取り囲むように広がった。
さらにそこから上下へと自動で展開、僅か三秒もしないうちに巨大な光の球体が完成する。
それと同じくして福音の無機質な声が脳裏にまで響いた。


『―――――――――――――――――――――――殲滅』


全ての砲口から全方位に放射された膨大な熱、質量。
それらは一瞬にして俺たちのいる空域を薙ぎ、焼き払いながら襲来する。
淡い光の膜に次々と突き刺さる光の針、それが球体を構成する分子結合さえも切り裂いて
間もなく崩壊させる。
『トゥルー・エンゲージ』の防壁によって弱められたビームの驟雨は尚もその勢いを失わずに
俺たちを押し包むかのように見えた。
それらはシールドバリアーを容赦なく蹂躙し、俺たちは爆炎の中に身を晒された。


「うわあああああああああああああああっ!!!!!?????」

「きゃあああああああああああああああっ!!!!!?????」


一方的な戦争が終わる頃、俺たちもようやくその衝撃から覚醒する。
箒の機転で直撃は避けられたものの、シールドバリアーが大きく損耗している。
それは箒も同様のようだった。


「ぐっ……何て、威力だよ……!」

「い、一夏…無事か……? 銀の福音め……このままじゃ、皆が来るまでに……。
 ……っ!!? ぐ……やはりまだ向かってくるのか……!?」


俺たちの健在を視認した福音がビットをけしかけ、自身も砲門を開いたまま向かってくる。
もう、逃げ場などどこにもないと悟る。
ここで背を向ければまたさっきの一斉放火を浴びる事になるだろう。
二度目はもう防ぎきれない、確実に沈められてしまう。
俺たちは目配せのうちに覚悟を決め、それぞれがその手に武装を握り締める。
俺は雪片を、箒は剣心一如を。
さらに箒はその両肩に取り付けられていた鳥のようなパーツを分離させる。


「『鴛鴦の契り』……! アスカ……私に力を……! 私は必ず、お前の元に……!」

「行くぞ箒! もう逃げ回るのはなしだ……! 後手に回ればこっちがやられる!!
 あいつを撃墜するつもりでやるぞっ!!!」


俺たちは互いを気にしながらも一直線に銀の福音に向かっていく。
もはや小細工なし。
俺たちが福音にやられるのが先か、それともセシリアたちが到着するのが先か。

激闘の第二ラウンドが始まる。



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