――――AM8:00――――

 

 

 すでに廃墟となりかけたエヴァンジェリン邸で、茶々丸はいつも通り目覚める。目覚めた瞬間、違和感を感じた。

 感じ慣れたこのログハウス周りの空気感に、何か異質な物が混じっている。全く異質な魔力が混じっている。

 

 それを感じた瞬間、茶々丸は跳ね起きて、チャチャゼロの残骸を大切に抱えながら、玄関跡から外に飛び出した。

 

 

「…さすが、『闇の福音』の従者、絡繰茶々丸ですね。もう気付きましたか。」

 

 

 玄関先には、数名の魔法使いが立っていた。全員が全員茶々丸の一挙一動に警戒しながら、いつでも魔法を放てる状態で待機していた。

 

 

「葛葉様でしたか。それにこれは…結界、ですか。私をこのログハウスの敷地内に留めるための。」

 

 

 ログハウスを覆う術式を読み取りながら、先頭で真っ先に茶々丸に話しかけてきた剣士―――葛葉刀子に、確認を求めるかのように言葉を投げかけた。刀子は返事をしなかったが、茶々丸はその無言を肯定と見なし、改めて魔法使いたちに向き直った。

 

 

「さて、本日はどのような用向きでこちらにいらしたのでしょうか?生憎ですがマスターはご不在で、いつ戻られるかは未定でございます。用件がございましたら、マスターが戻り次第私がお伝えいたしますが。」

 

「いえ、本日我々が用があるのは貴方です、絡繰茶々丸さん。」

 

 

 自分への用事だと言う事は茶々丸にも分かり切っており、本気で言っていたわけではない。単なる挑発だ。

 

 

「そうでしたか。ああ、いえ、用件は仰らなくても結構です。皆様それほどまでに殺気だっていらっしゃって、察するなという方が無理でしょう。

 ―――ええ、やはり練習だけでは物足りない。彼女の万分の一のも満たぬ敵だとしても、実戦に勝るものはありませんから。」

 

 

 そしてその挑発が意味を為さなかったため、更なる挑発に打って出た。ガトリングガンを召喚し、戦闘態勢を作る。

 魔法使いたちもそれに呼応し、各々の武器や魔力を向け始めた。刀子も刀を抜き、切先を茶々丸に向ける。

 

 

「別に貴方の討伐のために来たわけではありませんが、貴方がその気なら、こちらとて容赦はしません。貴方が彼女の味方であろうとなかろうと、せっかく封印したエヴァンジェリンを復活させられては困りますし。」

 

「…?私が誰の味方だと?」

 

「長谷川千雨―――サウザンドレイン・ザ・ホーンフリークです。」

 

 

 自分が狙われたのではない、という事を知った茶々丸が訝しげに尋ねると、刀子からすぐに答えが返ってきた。茶々丸は目を丸くして刀子を見つめた。

 

 

「本日、メガロメセンブリアより、サウザンドレイン・ザ・ホーンフリーク討伐部隊が差し向けられます。彼女の拿捕を邪魔されるわけにはいきません。ですので、彼女が捕まるまでの間、貴方の動きを抑えることが我々の―――」

 

 

 

 

「―――――なら、私がここで戦う必要はありませんね。」

 

 

 

 

 そう言って茶々丸はガトリングガンを引っ込め、敵意も消し、無抵抗をアピールするかのように玄関先に座り込んだ。胸ポケットに入れていたチャチャゼロを左手に持ち直し、呆気に取られた様子の刀子たちに、気さくな感じで話しかけた。

 

 

「ご安心ください。私は彼女のために動く気など微塵もありません。貴方がたが大人しくしていろと言うのなら、ここから動かず、大人しくしていましょう。

 ―――ともあれ、長丁場になりそうですし、お茶でも淹れましょうか?」

 

 

 

 ――――AM8:30――――

 

 

 降りしきる雨の音を窓の外に聞きながら、楓は通い慣れた3−A教室への道をいつも以上の早足で駆け抜けていた。

 目的地にはすぐに着き、勢いを付けて扉を引き開ける。がらんどうの教室の後方で、真名が腕組みしながら待っていた。

 

 

「遅いぞ楓。待ちくたびれたじゃないか。」

 

「済まぬな、部屋を出る時風香と史伽に捕まってしまって、引き離すのに時間を取られた。」

 

 

 そう語る様子からは、休日の朝にいきなり呼びだされた不満が見え隠れしていた。その様子を見て、真名はいきなり本題を切り出すことにした。

 

 

「その様子だと、長谷川が指名手配を受けた事は知らないようだな?」

 

「―――――!?どういう事でござるか、真名っ!!」

 

 

 効果は覿面だった。楓は一気に感情を沸騰させ、机を蹴り飛ばして真名に詰め寄ろうとする。しかし真名に片手で押し留められ、落ち着いて聞け、と窘められた。頭は常に冷静に、という千雨の教えを思い出し、一度深呼吸をして落ち着きを取り戻した。

 真名は千雨の手配書を渡した。平静を取り戻したはずの楓であったが、手配書を読むにつれ、顔が青ざめていくのが見て取れた。

 

 

「ご覧の通り、桁違いの懸賞金をかけられてる。世界中の魔法使いを敵に回したような物だ。少なくとも麻帆良学園(ココ)に居る限り、安息は訪れないだろうな。…まぁ、逃げ出すとしてもすでに手遅れだが。」

 

「それはどういう事でござるか?」

 

 

 真名が付け足した一言に耳聡く反応した。楓の手の中の手配書は、破れんばかりの力を込められたため、くしゃくしゃに歪んでいる。

 

 真名は一瞬考える素振りを見せてから、腕組みを解いた。

 

 

「そうだな、まぁ―――――先に説明しておこうか。」

 

 

 

 

 そして、真名の腕が閃くように動き。

 コンマ1秒と経たずに、楓の心臓に銃口が向けられていた。

 

 

 

 

「―――――っ…!何のつもりだ、真名…!!」

 

 

 楓が唸る。距離を取るどころか指一本動かせず、ただ怒りと困惑を込めた視線で真名を睨むしか出来ない。

 

 本来、数メートル離れた距離から銃口を突き付けられている事など、楓にとって何の問題にもならない。撃たれた後で避けることも、弾くことも、掴むことも、自在に出来る。そもそも数メートルなど、引き金を引かれる前に詰めれる距離だ。これで相手が真名で無ければ、せせら笑ってやる場面だ。

 

 

 ―――だが、そうではなく、指一本動かせない(・・・・・・・・)のだ。

 まるで空気に全身を縫い止められたかのように、身体の自由を根こそぎ奪われていた。

 

 

「何のつもり、と言われてもな。私はただ、自分の仕事をこなしているだけだ。」

 

 

 楓の真正面に立つ真名は、拳銃を再度懐にしまいながら、冷徹な視線で睨み返す。

 

 

「本日、メガロメセンブリアより、サウザンドレイン・ザ・ホーンフリーク討伐のために魔法戦士部隊が差し向けられることになった。しかし、彼女の仲間による討伐活動の妨害が予想される。今を逃せば彼女を捕まえる機会は無くなるだろう。そこで、学園内でも有数の実力者たちが、判明している限りの仲間を押さえることになったのさ。」

 

 

 意図を察した楓の視線が怒り一色に染まる。真名は表情を崩すことなく、淡々とした調子で続けた。

 

 

「私は学園に雇われている身だ。与えられた仕事は、キッチリこなさないとな。

 そう言う訳で、楓。しばらく私に付き合え。この学園内に潜む指名手配犯が捕まるまで、な。」

 

 

 

 ――――AM9:00――――

 

 

 明け方から降り始めた雨は止むことなく、道端の排水溝からは溺れているかのように水が溢れ出している。

 土曜日の朝方、それも生憎の雨天ということで、人影はほとんどない。お陰で、人除けをする必要も無く、明石教授は待ち人たちを迎えることができたのだった。

 

 

「メガロメセンブリア元老院直属魔法戦士部隊“セントエルモの火”47名、ただ今到着致しました!団長のウェルダン・B・スナッチーズと申します!雨の中お出迎えありがとうございます!」

 

「本日出迎えを仰せつかりました、関東魔法協会所属の明石裕一郎と申します。本日は悪天候の中、皆様方にお出でいただきまして、誠にありがたく思います。」

 

 

 傘を差したままの一礼に、数十名を超える男たちが、これがジャパニーズオジギか、と感心した様子を見せながら、同じように一礼を返した。

 

 

「本日は重犯罪者サウザンドレイン・ザ・ホーンフリークの拿捕に参りましたが、ミスター・アカシは、顔を知っておられるのですか?」

 

「はい、実は言葉を交わした事もありまして、一番適任だろうと思い、及ばずながら皆様方の案内を買って出た次第です。至らぬ所は多いですが―――」

 

「いえ、こちらも顔を知ってらっしゃる方にご案内いただけるとは運が良い!そうでなければ、数日から数週間こちらに居座り、見張らねばならなくなってしまいますから!」

 

 

 そう言って笑う彼らは、いずれも筋骨たくましい男たちだ。そんな男たち数十名を引き連れて歩く今の光景は、かなり異様だ。それが毎日闊歩しているとなれば、生徒たちも気が気でないだろう。そんなジョークの意味が理解できたのだろう、明石教授も軽く笑い声をあげた。

 

 

「しかしミスター・アカシ、そのサウザンドレイン・ザ・ホーンフリークを、どうやっておびき出すのです?すでに彼女も、自身の手配については知っているはず。学園外に出られないとなれば、必然的にかなり警戒していると思われますが―――」

 

「はい、一応住所の方は押さえておりますが、もう一つ手を回していまして、そちらが上手くいってくれれば良いのですが―――」

 

 

 明石教授は昨日の夜、娘の裕奈に千雨と連絡を取ってもらった。曰く、『お父さんの同僚の人が明日来るが、その人がサックスが大好きで、千雨の話をした所是非演奏してもらいたいと言っている』と。

 もし断られれば、彼女が寮を出るタイミングを見計らって話しかけに行くつもりだったが、驚くことに千雨は二つ返事で了承してくれたという。こちらの作戦を見抜き、さらに罠にかけるつもりか、とも考えたが、自分の後ろには魔法戦士部隊が控えているのだから、ちょっとやそっとの事なら大丈夫だ、と考えた。

 

 明石教授はちらっと腕時計を見る。まだ9時を回ったばかりだ。約束の時間には大分余裕がある。なので、どこかで作戦会議を開こうと提案しようとして、突然後ろから声をかけられた。

 

 

「オーーーーイ!おっ父さーーーん!」

 

 

 聞き慣れた声に振り向くと、そこには自分の愛娘が居た。

 しかも裕奈だけではない。まき絵、亜子、アキラと、友人たちまで勢ぞろいだ。

 

 絶句する明石教授に裕奈が満面の笑顔で近付いてくる。いつもなら彼にとってこの上なく心癒される姿だが、そんな事を考えていられる余裕は無かった。

 

 

「いやぁ、ゴメンネ、お父さん!昨日長谷川さんに演奏会お願いしたことまき絵に言ったら、すごく羨ましがっちゃってさ!せっかくだから、私たちも聞かせてもらえないかなって!図々しいのは分かるんだけど、最近あんまり長谷川さん演奏してくれなかったから、すっごく聞きたかったんだ!」

 

 

 無邪気な笑顔と言葉からは、他意など微塵も感じられない。裕奈たちは純粋に、千雨の演奏が聞きたいがために集まったのだ。

 

 

「あ、ひょっとしてお父さんの同僚の方ですか?初めまして、娘の裕奈です。お父さんがお世話になってます。」

 

 

 戦士たちの人数や風貌に少々気おくれしつつも、丁寧に挨拶する。父親がこんな厳つい人たちと知り合いだったことに驚いたが、確かにこの人数なら、演奏会を開いてほしいとわざわざ頼むのも分かる。ちなみにまき絵たちは裕奈以上に気おくれしてしまって、3人で顔を見合わせながら様子を伺っている。

 一方戦士たちは、じっと裕奈たちを見ていた。

 

 

「あの、厚かましいお願いだとは思うんですが、実は今日サックスを演奏することになってる長谷川千雨は、私たちのクラスメイトでして、私たちも彼女の大ファンなんです。だから、もし良かったら、私たちにも聞かせてもらえないかなぁ、と…。」

 

 

 そこでようやく、明石教授が停止状態(フリーズ)から解けた。

 そして同時に、『眠りの霧(ネブラ・ヒュプノーティカ)』の呪文を詠唱し始めた。

 裕奈(むすめ)は絶対に引き下がらない。戦士たちが言葉の限りを尽くして断ったとしても、後を付けてくるぐらいの事はやりかねない。

 何より、娘が懐いている同級生が逮捕される瞬間など、間違っても見せるわけにはいかない。

 

 

 

 

「――――――ええ、構わないですよ。」

 

 

 

 

 だが、明石教授の思いは、予期せぬ方向から裏切られた。

 部隊長―――ウェルダンの方を振り向き、その表情を見た。

 

 

 

 微笑んでいた。

 

 

 

 裕奈を見て、にこやかな笑みを浮かべていた。

 部隊長だけでなく、その後ろに控える隊員たちも皆、同様の微笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 全く同じ事を考えていると言わんばかりの、下卑た笑みを。

 

 

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 教授の全身から、嫌な汗がどっと吹き出る。

 何かとてつもなく不味い、と直感が訴え、警戒心を最大限まで上げる。

 同様の危機感を裕奈もまき絵たちも感じ取ったのか、一歩後ずさって隊員たちから距離を取っている。

 

 ウェルダンは、ゆっくりと、拍手喝采を求めるように大仰に手を広げながら、より大きく、嘲るかのように笑顔を深めた。

 

 

「ああ、本当に―――――良い仕事になりそうだ。」

 

 

 

 

 

 

 ――――AM9:10――――

 

 

 

 近右衛門の携帯電話が鳴ったのは、ちょうど新幹線が名古屋に着く直前のことだった。

 番号は非通知設定になっている。訝しみつつも、通話ボタンを押した。

 

 

「もしもし、どなたかな?」

 

『天ヶ崎千草どす。先日は毎度♡』

 

 

 聞きたくもない声だった。心の中で悪態を吐きつつ、それを表に出さないまま静かに問うた。

 

 

「ふむ、数日ぶりじゃの、天ヶ崎殿。生憎じゃが儂は今仕事中での。用件があるならば、手っ取り早く済ませてくれないかのう?」

 

『おやおや、休日の朝からお仕事どすか。管理職は大変どすなぁ。そないな時にこんな用件で申し訳ないんやけど、聞いておくれやす。』

 

 

 今すぐ電話を切りたい衝動に駆られながらも、何とか平静を装って先を促す。

 どうせ碌な話ではない、というのは勘付いているが、有益な情報を悪意でまっ黒に染め上げて寄越すというのが、天ヶ崎千草の常套手段だ。聞かなければ聞かないで損をすること請け合いだ。

 

 

『ほなリクエストにお応えして…。2年前に請けた仕事について、話しまひょか。』

 

 

 近右衛門は首を傾げる。わざわざ2年も前の話を持ち出してきて、何と関連があるというのだろうか。

 

 

『ウチがその仕事を請けたのは、ホンマに偶然でなぁ。何でウチを見初めたんかは、よう覚えてへんけど、とにかくソイツ等に頼まれて、策を一つ練ったったんどす。』

 

『ソイツ等はまぁ、同業他者のウチの目からしても、えげつない真似やっとる連中でなぁ。一言で言えば人身売買や。臓器一欠けらから奴隷百人までご要望のまま、っちゅうのがウリの下衆共や。調達方法もまあエグイ。人が仰山居るトコ襲って、使えるモンだけ奪って残りは後腐れなく皆殺し。しかも襲う過程でやりたい放題。節度っちゅうモンを母胎の中に置いてきたとしか思えん、腐れ外道共やった。』

 

『けどまぁ、ちょいとやり過ぎたんやろな。本国から討伐部隊が差し向けられた。所詮は徒党の輩、訓練された軍隊に敵うはずもなく、どんどん追い詰められてった。』

 

『そこに現れたのがウチやった。相当切羽詰まってたんやろな、3倍の値段で合意してくれましたわ。』

 

『ま、引き受けた以上はきっちりこなさんとアカンし。お望み通り、3日でその部隊一人残さず全滅させたりました。』

 

『で、話はここから。思ったより綺麗に片付いたモンやから、部隊の鎧とか旗とか残りよってん。それで、捨てるか売るかっちゅう算段になった時に、その連中の頭が言うたんや。』

 

 

 

『コイツ等が全滅した事を知ってるのは、自分等のみ。それやったら、自分等がこの部隊に成り変われる(・・・・・・)ん違うか、って。』

 

 

 

『で、ウチは口座番号だけ教えてスタコラ逃げました。後で全額に、さらに口止め料で5割。儲かりましたわぁ。にしても相当な金額になるんやけど、それを耳揃えて払える辺り、お仕事頑張ってるんやなぁ、と思いましたけど。』

 

 

 ここで千草が言葉を切り、二人に沈黙が流れた。千草はこの沈黙という余韻を、じっくり味わっているのだろう。

 

 

 ―――近右衛門の顔は、真っ青に染まっている。

 愕然とした彼の表情を想像し、千草は悦に浸っているのだ。

 

 

『そういえば、今日麻帆良学園に本国から部隊が来るらしいなぁ?いやはや、それがウチの潰したはずの連中やないとええけど。

 ―――――戻ったら数百名単位で人が居のうなってるなんて事、誤魔化しようがあらへんからなぁ?」

 

 

 千草の声が受話器越しではなく、自分の耳に直接聞こえてきた瞬間、近右衛門の全身に悪寒が走る。

 

 しかし、声が聞こえた方向に振り向くよりも速く、手の中の携帯が風に攫われていった。携帯電話は宙を舞い、回転しながら、通路を歩く女性の手に収まった。

 女性は背を向けたまま携帯電話をキャッチし、そのまま通路の先へと去っていく。近右衛門が立ち上がった時には、その姿は自動扉の向こうに消え、それとほぼ同時に、新幹線が名古屋駅を発車した。

 

 

 近右衛門の身体が力を失い、座席に崩れ落ちる。

 事ここに至り、千雨を追い詰めるための策が、自分までも追い詰めてきた。偽魔法戦士部隊の来訪予定時刻は午前九時。時間的に手遅れな上に、連絡手段はたった今絶たれた。戦士部隊に変装した人身売買集団の学園内侵入を許すなど、前代未聞の大不祥事だ。関東魔法協会の失墜は免れない。

 

 次第に速度を上げていく新幹線と、それに合わせて流れ去っていく窓の外の景色。

 今はそんな風景すら憎らしく思える。今すぐこの列車を止めて、一目も憚らず魔法を使って戻りたい。

 

 それはほぼ、近衛近右衛門の敗北宣言に等しかった。

 

 

 

 

 ――――AM9:15――――

 

 

「―――で、結界の何処に穴開けれそうだって?」

 

『正門。何か、外部の魔法使いの集団が来たらしくて、ちょっと穴開けたみたい。そこを利用すれば、何とか昼までには開けられる。開けたらすぐにバレると思うけど。』

 

 

 レインは急かすような口調で告げる。千雨が礼を告げると、レインは気ぜわしげな雰囲気を一層強くした。

 

 

『…本当に、明石教授の頼みを受けるの?どう考えたって罠だよ?』

 

「分かってるよ、んなこと。別に大丈夫さ。私に奇襲は効かない。」

 

 

 レインの心配はもっともだし、千雨も十中八九罠だろうとは思っている。レインに言われるまで気付かなかったが、明石教授本人が魔法使いなのだ。

 とはいえ、千雨の申告通り奇襲は無意味なので、然程脅威にはならないし、何より裕奈(クラスメイト)の最後の頼みでもある。

 

 

「演奏してくれ、なんて頼まれるの、多分これで最後だからな。思い出作りにはちょうど良い。…そう心配するな。事が終わったらすぐに駆けつけるからさ。」

 

『…うん。』

 

 

 そこで会話が途切れた。千雨も電話を切ろうにも、不安げなレインの様子が気になって、切るに切れないでいる。

 そうこう迷っているうちに、レインが先に口を開いた。

 

 

『―――――千雨は、負けてないよ。』

 

 

 静かな、しかし強い確信を伴った声だった。

 

 

『千雨がどう思ってるのかは知らない。けれど千雨は、間違いなく3−Aを守り切った。千雨が居なかったら、近衛木乃香も、宮崎のどかも、きっともっと酷いことになってた。…それに、千雨の意志を継いでくれる人だっている。だから大丈夫。だから千雨は安心して―――安心して、こことは関わりのない、何処か遠い場所で、平穏に暮らして。千雨は、そう過ごしてもいいだけの戦いを送ってきたんだから。』

 

 

 そこで言葉が途切れ、受話器の向こうから小さく鼻を啜る音が聞こえた。千雨も胸に渦巻いた熱い感情を、何とか言葉にして伝えようとするも、どうにも言葉が出なかった。

 

 

「―――ああ、ありがとう、レイン。…また後で。」

 

『…うん、また後でね。』

 

 

 代わりに、後で会った時に伝えるつもりだった感謝の思いを前借りし、電話を切った。

 すでに寮の外に出ている。荷物は最小限にして、サックスケースに押し込んだ。振り向き、2年を過ごした建物を見上げながら、朝からずっと千雨を見張っていた彼女を労るかのように声をかけた。

 

 

「…電話は終わったぜ。出て来いよ、綾瀬。」

 

 

 一瞬の沈黙の後、千雨の真後ろの茂みから、夕映が現れた。油断なく杖先を向けたまま、歯を剥き出しにして睨みつけている。

 

 

「…どちらに行く、いえ、逃げるおつもりですか?」

 

「さあな。別に決めてない。というか、何で知ってるんだお前。」

 

 

 夕映は答えなかった。おそらくネギ先生周辺だろうが、千雨が今更それを愚痴った所でどうしようもない。

 目の前で敵意を撒き散らす夕映が、退いてくれるわけではないのだから。

 

 

「お前がここから居なくなってくれるのなら、それ程嬉しい事はありません。さっさと死刑になってほしいくらいです。

 けれど、のどかの恨みも晴らせないまま居なくなるのも、それはそれで非常に腹立たしいので。」

 

 

 夕映が懐から何かを取り出す。

 試験管だ。中には無色透明の液体が入っている。間違いなく何らかの薬物だろう。夜中ずっと、自分に勝つための武器を探し回っていたのだ、と千雨は思い至った。

 

 

「どうせ、のどかの所に寄るつもりなんでしょう?私が連れてってあげるですよ―――」

 

 

 いや、試験管だけではない。

 まだ見せていないだけで、フラスコ、ガラス瓶、スプレー缶など、様々な容器が入っている。その器の中には一体何が入っているのか。

 

 

「―――――ボロ雑巾のようにして、のどかの前に叩きつけてやるです!」

 

 

 杖の先から魔法の射手が飛び出す。千雨は渋々といった感じでサックスを取り出しながら、それを難なく避けた。

 

 

「…意味が分かって言ってるんだろうな、綾瀬。」

 

 

 試験管を投げつけようとする夕映を、視線だけで制しながら、戦闘態勢に入る。その滲み出る気迫だけで、夕映は体の芯まで震えそうになるが、必死でそれを押し殺して対峙する。

 

 

 しかし対峙していたのも数秒のこと。不意に千雨が何かを探すように空を見上げ始めた。

 

 

「…悲鳴…?何処から…。それに、この声…明石か!!」

 

 

 そう叫ぶや否や、夕映を突き飛ばして走り出した。雨に濡れた地面に尻餅を着き、怒号を返す夕映には見向きもせず、声のした方角へと駆け出す。

 

 

(今聞こえたのは、間違いなく明石の声…!けど、反射した声が私の耳に届いたに過ぎない。つまり、もっと遠く…!)

 

 

走りながらサックスを咥え、吹き鳴らした。全神経を耳に集中させ、ありとあらゆる音を鼓膜に収め、拾っていく。

やがて、一つの決定的な情報をもたらした。

 

 

「―――――麻帆良ヶ丘公園か!!」

 

 

 

 

 

 ――――AM9:20――――

 

 

 

 麻帆良ヶ丘公園。その南側。

 晴れていればヒーローショーも行われる野外ホールで、笑い声とくぐもった声、そして少女の悲鳴が響いていた。

 

 

「お父さんっ!!」

 

 

 少女の悲鳴と共に、男性の体が崩れ落ちた。それを取り囲むのは、数人の男と、漆黒の体を持つ異形の生物たち。

 

 

「きゃははははははは!!やっぱり凄いわねぇ、親の愛情って!数十体の悪魔に一歩も引かずに、こんなボロボロになるまで戦ってさぁ!バカの一つ覚えみたいに『娘を離せ』ってさ!キモッ!きゃはははははは!」

 

 

 取り囲む男たちの中の一人、子供並みに小柄な男が、まるで似合わない子供そのものの甲高い声をあげながら、倒れ伏す明石教授を足蹴にしている。

 

 

「でさぁ、副団長(ミディアム)?何でコイツ殺しちゃいけないのよ?」

 

「気持ちは分かりますがね、落ち着きなさいレア。それに、殺しちゃいけない、とは一言も言ってないですよ?」

 

 

 小柄な男―――レアの訴えに、ミディアムと呼ばれたビジネススーツの男が答える。

 その手には4本の鎖があり、その先端には、犬用の首輪と、それに繋がれた少女たち―――裕奈、まき絵、亜子、アキラの姿があった。

 

 

「せっかく今から、仕事前のお楽しみ(・・・・)の時間なんです。どうせなら父兄参観と行きましょう。どうせ5人とも解体(バラ)売りするんですから、趣向ぐらい凝らさないと、仕事に精が出ませんからねぇ?」

 

 

 ミディアムの台詞に、残る全員の爆笑が重なる。全員が全員、ギラギラした熱気と下卑た笑いを浮かべており、舌なめずりして餌の解禁を待ち焦がれていた。

 

 

「ヒッ…!」

 

 

 亜子やアキラが涙目で怯える度、男たちの熱気は濃くなっていった。まるでお預けを喰らっている犬のようで、人間じみた者など一人も居なかった。

 

 

団長(ウェルダン)、そろそろ皆我慢の限界ですよ?あの男ももう逆らう気力も無さそうですし、いいんじゃないですか?」

 

 

 ミディアムがメスを片手に弄びながら、もう片方の手で握る鎖の先を見る。

 鎖の先端を握る男―――先ほどまで“セントエルモの火”団長と名乗っていた男、ウェルダンは、裕奈たちを取り囲む男達の誰よりも獰猛な笑みを浮かべていた。

 そしてその脇には、憮然とした表情の老紳士が控えている。

 

 

「まあ待て、お前ら。どうやら説明が欲しがってるみたいじゃねぇか。ちゃんと教えてあげなきゃ、コイツ等も死ぬに死にきれねぇだろうよ!」

 

 

 そう言って全員で大笑いしながら、明石教授の元に近づく。

 そして思いっきり蹴り上げて仰向けにした。明石教授の顔が苦しげに歪み、血反吐を吐き散らす。

 

 

「お前、たち…っ!何者だっ…!」

 

 

 息も絶え絶えに問いかける言葉に、踏みつけと爆笑で返す。

 

 

「決まってるだろ、“セントエルモの火”さ。生産、調達、卸売、小売、部品(パーツ)から奴隷(ワイフ)まで、即日調達、即日配達、ご要望のまま!魔法界きっての精肉会社(・・・・)、“セントエルモの火”でございます!どうぞご贔屓に!」

 

 

 テレビCMの宣伝のような謳い文句に、またしても笑いが起こる。無論それは、“セントエルモの火”を騙る男たちの笑いであり、明石教授や裕奈たちは、絶望的な表情を浮かべている。

 

 

「こいつは慈善事業さ。ちゃんと使える所は残しておいて、他に欲しがってる人に渡してあげるんだからな。特に若い娘のパーツなんてのは、引く手数多だろうぜ!」

 

「き―――――貴様らぁぁぁぁぁ!!」

 

 

 最後の力を振り絞り、起き上がって魔法を放とうとするも、横合いから伸びてきた腕が、明石教授の首元を押さえつけた。

 

 

「ああ、ミスター・ヘルマン。そのままその親父抑えとけ。娘の顔がちゃんと見れるようにな。顔逸らさせるなよ?後、舌噛み切らないように注意しとけ。」

 

 

 ヘルマンと呼ばれた老紳士―――の皮を被った、伯爵級の悪魔は、頷きすら返さなかった。喋れないわけではないが、あえてこの連中の前では喋らないようにしている。

 

 ヘルマンや、今明石教授を取り囲む悪魔たちは、ウェルダンによって召喚された存在だ。なのでウェルダンの命令には服従せねばならないが、ヘルマンにとってはウェルダンのような下種の極みと言うべき存在に使われなければならないことは、何よりの屈辱であった。

 本心では、今自分が抑えているこの男に力を貸したい程だ。自分を消してもらっても構わない。とにかく一刻も早く、この連中に視界から消えてほしかった。

 

 

「さあお前ら、待たせたな。今回はかなりの上玉だ。好き放題に弄るとしようか!ああ、俺はいつも通り最後でいい。何もかも滅茶苦茶にされた後の方が好きなんでな。」

 

「私は今回はパス。ガキは好みじゃないのよ。あ、でも声帯は傷つけないでね?そろそろ新しいヤツが欲しかったからさぁ!」

 

 

 レアがそう要望しているが、ウェルダンの宣言と共に上がった雄叫びのせいでかき消された上、この興奮状態では、それを聞き届けた者が居るかは怪しかった。

 

 

「嫌っ!来ないで、来ないでよぉ!」

 

 

 亜子が叫ぶも、それを聞く者が居るはずもなく、アキラは絶望と諦めに目を閉じる。感じるのは、体を打つ雨の滴と音、薄汚い熱気、そして頬を伝う涙。

 

 

 

 

「ひっ!?ひ、ぎぎ、頭、ぎぃ、が、い、痛、ぎ、がぁぁ!?」

 

 

 

 

 だが突如真後ろから、男の苦悶の声が響いた。

 目を開けて振り向くより速く、何かが破裂する音と共に声が途切れ、生温かい物がアキラの足に滴った。

 

 

「―――――っ!フレッシュが殺られた!敵だ!」

 

 

 その声と共に、首輪が思いっきり上に引っ張られた。裕奈たちもだ。

 男の一人が首元にナイフを突きつけ、人質代わりにしていた。先ほどまでの薄ら笑いを浮かべていた様子とはまるで違う、殺気だった様子だ。ミディアムやウェルダン、レア、ヘルマンたち悪魔も、警戒するように周囲を探っていた。

 

 

 パン、と音が響いた。

 同時に、アキラたちの後ろで、人が倒れるような音がした。

 

 

「―――――っ、そこかぁ!!」

 

 

 ウェルダンが掌を階段状の座席の左手に向け、魔法の射手を放つ。それに合わせて残りのメンバーも、一斉に魔法を放った。

 轟音と共に座席の一部が砕け散る。それを避けるように、一人分の人影が飛び出し、アキラたちの眼前に飛び降りた。

 

 

「「「「え!?」」」」

 

 

 4人分の驚く声が重なった。

 45人分の手が、杖が、銃口が、全身に向けられているにも関わらず、その全てをまるで蚊柱か何かのように睥睨しているその姿は、ついさっき、その音を聞きたいと思っていた彼女に相違なかった。

 

 

「何だ、テメエは。」

 

 

 メンバー全員の殺意を代表するかのように、ウェルダンが問いかけた。

 

 

 

 

「ただの音楽家だよ。ソロコンサートを頼まれてたんだが、会場はここで良いのか?」

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第34話。プロデューサーさんっ!噛ませ犬ですよっ!回。まぁ皆さん分かってるとは思うのでバラシちゃいますが、千雨が全員殺します。

 

 というわけで、とうとうオリキャラ出しちゃいました。ここ以外オリキャラは出ませんが。言うまでもなく、TRIGUN原作の人買いロートレックがモチーフです。原作や外伝の雷神でのコイツ等の下衆っぷりを真似たつもりですが、いかがだったでしょうか?セントエルモの火は適当に付けました。別に深い意味は無いです。上でも書きましたが、千雨に鏖殺されるために登場したような方々です。

 

 ちなみに彼らの名前ですが、冲方丁先生の「マルドゥック・スクランブル」で出てきた畜産業者「バンダースナッチ」のメンバーから取ってます。彼らも同業者ですし、レアとかそのまんまです。しかし、映画版のミディアムの声に若本規夫氏を充てたのは何故だったのだろう。穴子さんが「どちらが早いか勝負だぜ、タフガイ」とか言ったって合わないと思うんだけど。…アレ、この台詞、映画版で言ってたっけ。好きな台詞なのに。

 

 それと、明石教授の下の名前も勝手に付け足しました。ネギま原作で出てなかったですよね?

 

 そして今回、ついに近右衛門が膝を付きました。千草さんは完全に嫌がらせのためだけに新幹線に乗り込んでます(笑)とはいえこの後近右衛門は、京都で彼女とご対面という美味しい場面が待ってますが。茶々丸と楓、さよは一旦ログアウトです。

 

 というか今回はめっちゃ長くなってしまい、まさかの2分割(汗)まぁ3章は、これまで出てきたほぼ全員に見せ場があるので、情報量も必然的に多くなり、結構書くのが大変です。ネギ先生にもようやく出番があるし。次回どこまで書けるかな…。予定ではひと山迎えることになるけど…。

 

 …というか今回、あんまり出来が良くない感じなんだよなぁ…。大丈夫かな、今後…。

 

 今回のサブタイは久々にアリプロ。アニメ「Another」のOP「凶夢伝染」。高校の時の友人たちと旅行に行った時に、友人の一人が録りためてたアナザーを皆で一挙見してました。温泉地のホテルで、わざわざ(笑)アナザー自体がアリプロの世界観をモチーフに綾辻先生が書いた作品だそうなので、タイトルからPV、内容までドエラい親和感です。実写版?アリプロ起用してから出直せ。

 

 次回は色々あります。なるべく早く、今度は一話にまとめれるように書きますので、よろしくお願いします!それではまた次回!

 

押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.