『君はノーマンズランドに居た頃、何を考え生きてきた?生活すら満足に立ち行かず、銃弾が飛び交い銃口が突き付けられ、油断や信頼が己の死を招く―――そんな世界で、君はどうやって生き抜いてきた?』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『簡単なことさ。誰も信じない。誰も残さない。それが君のやり方だった。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『銃を突き付けた人間を。銃を持った人間を。銃を持たない人間を。無抵抗な人間を。女を。子供を。老人を。怪我人を。視界に入った人間を。視界に入っていない人間を。君は全てを殺し尽くして生き長らえてきた。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『ああ、別にそれが悪いことだと言っているわけじゃない。ノーマンズランドではそれが普通のことだったし、そうしなければ生き残れなかった。例え自分が遠からず、自分が殺してきた人間と同じような結末を迎えるだろうと分かっていても。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『だが君は―――――生き返ってしまった。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『一度死んだ人間が生き返るなんて事、数えきれないほどの人間を殺めてきた君が誰よりも否定したい事態だろう。自分が生き返った事を知った時の君の苦しみは、想像に余りある。だけど、最大の問題はそこじゃない。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『一番の問題は、君が生き返った世界―――平和と安心を形にしたかのような、優しい世界だったことだ。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『照りつける陽光は穏やかで、吹き荒ぶ風に砂塵は無い。銃声や爆音、悲鳴など以ての外。明日の命など心配しなくてもいい。自分に敵意を向けてくる人間など居ない。治安は保たれ、人々の間には確かな信頼感がある。豊かな水と緑と食糧に囲まれた―――およそ、ノーマンズランドとは対極の世界。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『そんな世界の真っ只中に、ノーマンズランドで生き抜いてきた君が生まれ落ちた。それは君にとって、どれほど苦痛(・・)だったろうね?』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『君はノーマンズランドで、他人を蹴落とし蹴り殺す事で生き抜いてきた。それが君の生き方であり、ノーマンズランドでの常識だ。だが君が生まれ落ちた世界では、そんな生き方や常識など通用するはずもない。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『だが君は、その生き方と常識しか知らない。それを打ち消すには、あまりにも身体に染みつき過ぎてしまい、忘れることなど出来やしない。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『何故ナイブズ様が、君をGUNG-HO-GUNSにスカウトしたか、分からない訳ではないだろう?ナイブズ様は君の、他者を一切省みない殺し方を、ナイブズ様の考える人間の醜悪さを形にしたかのような人間性を、非人間的かつ利己主義的な人間性を見初めたんだ。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『つまり逆に言えば、君の生き方はナイブズ様の感嘆に値する程、醜悪な物だったということさ。君はただ生き返っただけで、生まれ変わった訳じゃない(・・・・・・・・・・・・)。そんな君が、ノーマンズランドとは真逆の価値観を抱く世界で、新たな生を謳歌出来るかといえば―――間違いなく、否だ。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『君にとって他人とは、殺し踏み躙って然るべき物。信頼する事など、愛情を向けることなど有り得ない。慣れ合いなど反吐が出る。詰まる所、君にとって平穏など、本来の君自身を侵す毒でしかない。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『君は何よりもそれを恐れ、そして、自分の価値観を揺るがすこの世界の平和を、平穏を、嫌悪していた。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『この世界に魔法があると知った時、内心君は期待していたのだろう?懐かしき戦場を、惨状を、血の臭いを、もう一度“音界の覇者”としての自分を取り戻せる機会を。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『クラスメイトを暴力の世界から守るなんてのは、お為ごかしも良い所だ。本当は君自身が、暴力の世界に身を投じたかったからこそ、そんな体の良い理由をこじつけ、無理矢理割り込んでいった。』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『もしあの時、高畑・T・タカミチの邪魔が入らなかったら、君はエヴァンジェリンをどうしてた?長瀬楓に頼まれた特訓の最中、彼女を本気で殺そうとした事が何度あった?京都の本山でどれだけの人間を殺めた?無抵抗な巫女たちを殺そうとした事を忘れたのか?今もクラスメイトの前でどれだけの人間を殺した?』

 

 

 ――――――――――。

 

 

『結局君は平和な世界においても、両手を血に染める事を選択した。他の選択肢もあっただろうに、自分から自分の手を汚すことを選んだ。これを欺瞞と言わずして、何と言うんだい?』

 

 

 ――――――――――。

 

 

 千雨は何も言い返せず、ただ俯き、黙って、体を震わせている。

 突如体が大きく跳ね、先ほどよりもさらに激しく、自分の体を力一杯抱きしめながら、歯の根までガチガチと震えだした。

 

 すでにレガートの気配はない。だが、それを遥かに上回る禍々しき気配が、背後から近付いてきていることを感じていた。千雨にはそれが誰であるか、振り向くまでもなく分かり切っていた。これほどの恐怖を呼び起こす存在など、一人しかいない。

 気配の持ち主が、千雨の真後ろに立つ。まるで遥か高みから見下ろされているような、絶対零度の視線。

 

 その視線の持ち主の名は、ミリオンズ・ナイブズ。

 

 

 

 

『―――――現実を凝視しろ。お前は矛盾だらけだ。』

 

 

 

 

 その言葉が、まさしく止めとなって、千雨の心に突き刺さった。

 

 

 

 

 

#38 やわらかな傷跡

 

 

 

side 千雨

 

 

 

 膝が折れ、両手を暗闇(じめん)に落として項垂れる。

 

 私はこのまま死んでいくのだと、直感した。

 

 ――――君はただ生き返っただけで、生まれ変わった訳じゃない。

 

 そうだ、私は結局、何も変わらなかった。平和な世界にあって、他者を傷つける生き方を変えることはなかった。

 

 ――――自分の価値観を揺るがすこの世界の平和を、平穏を、嫌悪していた。

 

 私の価値観。人を殺す事で己の生を得る生き方。そのための技を、人生をかけ、必死になって磨き上げてきた。その生が無駄になる事が、耐えられなかった。

 

 ――――懐かしき戦場を、惨状を、血の臭いを。

 

 人の命を奪うことで生き長らえてきた。その生き方が私にとっての当たり前だった。だから、茶々丸を壊した時の、あの言い様のない懐かしさが胸に深く刻み込まれた。

 

 

 

 ―――現実を凝視しろ。お前は矛盾だらけだ。

 

 

 

「うっ、あ、うあああぁぁぁぁぁぁぁ…。」

 

 

 嗚咽が喉から零れ出す。身体は四つん這いになったまま、立ち上がる力も起こらない。

 今のレガートやナイブズの言葉は、私の心が作り出した虚像。故に、私の心の代弁者でもある。

 つまり、今浴びせかけられた言葉は全て、私の心の奥底を表した真実だ。

 

 ―――ああそうだ。自分でも分かっていた。分かっていたから、ずっとそこから目を逸らしてきた。

 

 私はただ、私の力を振るいたかっただけだった。

 

 ノーマンズランドで生き延びるために磨き上げてきたこの聴力と演奏は、自分自身の証でもあった。至って普通の楽士を装い、何の警戒も受けることなく寝首を掻ける、およそ殺人を生業にする者としては最高峰であるという自負があった。

 

 だがそれは、それを誇れる世界に居たからこそ。殺人が許される道理もなく、人を殺さねばならない理由もない。そんな光に満ちた世界に、闇の住人たる私の居場所があるはずもなかった。

 地上を這うミミズと同じだ。地中の住人が光ある世界に引っ張り上げられた所で、何も出来ずに干乾びて、無様に路傍に朽ち果てるだけだ。

 

 それが怖かった。“俺”が、“俺”の力が、“俺”の費やした人生が、無駄になってしまうことが耐えられなかった。そしてそんな世界の在り方を疎ましく思った。

 

 この世界に魔法が、薄暗い部分があるのだと知った時、内心どれほど嬉しかったことだろうか。それに巻き込まれることを幾度夢見ただろうか。桜通りで茶々丸と戦った時、どれだけ爽快だったことだろうか。

 

 友の思いも自分の心も、見ない振りをして思うがままに人を傷つけていた。

 

 何て醜悪。何て偽善。

 ただの血に飢えた獣と何ら変わりない。いや、理由を付け足している分、よっぽど性質が悪い。

 

 

 

 そうだ、私は―――薄汚い殺人鬼でしかないんだ。

 

 

 

「ははっ…ははは…。」

 

 

 もうこれ以上動きたくなかった。体を暗闇の中に横たえ、諦めに身を浸す。

 途端に体が冷えていく。指先、髪の先から体温が奪われるかのように、極寒の冷たさに包まれていく体を、まるで他人事のように眺めていた。

 

 ―――――この冷たさが心臓に届いた時に、私は死ぬんだ。

 

 それならそれで構わない。速く殺してくれ。そう願えば願うほど、体を覆う冷たさはその速度を増していく。迸るその寒さが、不思議と心地良かった。

 目を瞑る。瞑らなくてもいい様な暗闇だが、その辺は気分だ。冷気はもう、肩に、首元に、腹に達している。

 きっとのどかやレイン、楓は悲しむだろう。茶々丸は悔しがるだろう。もし言葉が届くなら、私の事は忘れてくれと、一言遺したかった。それが小さな心残りだが、お前は他人を気にするような人間じゃなかっただろうと、心の何処かで嘲る声が聞こえてきた。

 

 ――――ああ、疲れたな。

 

 最期にそんな事を思いながら、消えゆく心臓の暖かさを感じ――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――無くならない。

 

 

 

 

 

 

 気のせいなんかじゃない。確かな暖かさ、いや、熱さを、胸元から感じる。

 

 

「心臓、じゃない…。胸ポケット…?」

 

 

 凍りついた体を動かし、胸ポケットをまさぐると、何か小さな物が零れ落ちた。

 

 

「何だ…?」

 

 

 それはヒラヒラと暗闇の中を舞い、私の足元に不時着した。この無明の闇の中で、有り得ない程に眩く光り輝いていた。

 震える手でそれを取る。まるで太陽を掴み取ったかのような熱さと光。両手で包んだその隙間からも光は零れ出している。

 

 包み込む手を解き、その中身を見る。

 

 黄金の光を放つ天使の羽根が、そこにはあった。

 

 

「、あ―――――」

 

 

 何故そうしようと思ったのかは分からない。

 けれど気付いた時には、その羽根を、額に当てていた。

 

 閃光と、小さな破裂音と共に、羽根が弾け飛んで―――――――

 

 

 

 

 

 

 ―――熱砂の砂漠。

 ―――二つの太陽。

 ―――轟く発砲音。

 

 ―――乾き切った世界を駆け抜ける、真紅のコートを羽織った男。

 

 

「これは…ノーマンズランド!?それに、ヴァッシュ・ザ・スタンピード!?」

 

 

 脳裏を見た事もない映像が駆け巡る。何十ものブラウン管を同時に見せられているかのように、幾多の光景が再生され続けている。

 そのほとんどに、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの姿が映し出されていた。

 

 

「まさかこれ…私が死んだ後の…。」

 

 

 確証はない。だが、直感的にそうだと悟った。自分が龍津城砦で死んだ後、ノーマンズランドが辿った未来。それを今、映し出されているのだ。

 自分の知っている人間が、知らない人間が、次々と映し出される。

 

 

 龍津城砦で人質に取った女。

 ―――メリル・ストライフって名前だったのか。

 

 同じく龍津城砦で、ガントレットへの援護の邪魔をした女。

 ―――ミリィ・トンプソンか。覚えた。

 

 ジュラルミンケース型のパイルバンカーを持ったオカマ。

 ―――エレンディラ・ザ・クリムゾンネイル。まさかまだこんな化物が居たとはな。

 

 車椅子に乗った老人。

 ―――本物の“チャペル”か。気に喰わない野郎だ。

 

 鬼の面を付けた背の高い男。

 ―――リヴィオ・ザ・ダブルファング。何か一物抱えてそうな、陰鬱な男だ。

 

 プラント達の真実。力の限界。黒髪化。方舟。

 自分の知らなかった事実が自分の脳に閃き、根付いていく。さながら情報の洪水だ。

 

 ニコラスが戦う。

 ―――大切な人たちと大切な場所のため。外道に堕ちてしまった、かつての家族を救いだすため。

 

 レガートが戦う。

 ―――忠誠を誓った災厄の化身のため。いつかその手で殺されることを知りながら、動かなくなった身体を無理矢理動かしてまで。

 

 人間たちが戦う。

 ―――自分たちの未来のために。傲慢と強欲を自覚しながら、それでもなおと生き足掻く。

 

 ナイブズが戦う。

 ―――人類を滅ぼすため。憎悪と、憤怒と、絶望を込めて。

 

 ヴァッシュが戦う。

 ―――人類を守るため。祈りと、希望と、慈しみを込めて。

 

 

 最終決戦。

 地球より来る救いの舟。最新鋭の戦闘艦9隻。

 それらを同時に、一人で相手するナイブズ。

 黒く染まった髪を靡かせ、ナイブズとの一騎打ちに挑むヴァッシュ。

 

 ダブルファングとクリムゾンネイルの血みどろの戦い。

 ヴァッシュの妨害に現れ、死闘の末ヴァッシュの心を折ったレガート。

 諦めない人間たちの奮起と、再度立ち上がるヴァッシュ。

 プラントたちの意識と記憶が、羽根になって降り注ぐ。

 

 そして――――――――――――

 

 

「何だってんだよ…!」

 

 

 映像から目を逸らし、何もない漆黒の空を見上げ、叫ぶ。

 

 

「これが何だってんだよ!?何が言いてえんだよ!?今さら故郷(ノーマンズランド)の辿った未来なんて見せられたって、しょうがねえだろうが!こんなモンで、私が安心して死ねるとでも思ってんのか!?」

 

 

 生存(ハッピーエンド)だろうと絶滅(バッドエンド)だろうとどうでもいい。最早戻る事のない世界の行く末を知った所で、二度目の死を迎える私に何の益が有るというのか。無意味にしか思えない映像の羅列に、八つ当たりのように激高した。

 

 だが、その声に呼応するように、天地全面が一つのスクリーンに変わる。

 

 360°視界一杯に広がる灰色の波。ノーマンズランドの映像は、月を背に翻る災厄の天使(ナイブズ)の姿を映し出したまま、停止していた。灰色の波の途切れぬ動きは、まるで私を導くのを待ち焦がれているかのようだ。

 

 

 唾を飲み込み、恐る恐る足元のスクリーンに手を伸ばす。

 不思議と暖かいスクリーンの上に膝を折り、掌を乗せる。

 

 その瞬間、私の脳裏に浮かび上がったのは―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ次は、出席番号21番の、那波さん。自己紹介を。」

 

「ハイ、那波千鶴と申します。これから3年間、よろしくお願いします。趣味は―――」

 

 

 さっきから何度目か分からない拍手を打ちながら、那波の自己紹介を聞き流す。担任の高畑教諭の視線が、一瞬こちらを向いた。気にせず頬杖をついたまま、窓の外の桜を眺めていた。

 

 “長谷川千雨として生きる”とレインと約束してから、はや数日。とはいっても、何をどうすればいいのか分からないまま、煩悶とした日々を送ってきた。いっそ音楽から離れてみようかとも思ったが、数時間で挫折した。部屋に居ればサックスを弄り、サックスを持たずに外に出れば、楽器屋の親父の所へ行くか本屋で音楽雑誌かレンタルCDを漁るかしかしないのだから、始末に負えない。

 そして迎えた中学生としての初日。変わるのならこの自己紹介の場が最適だろうが、結局具体的にどうすればいいのか、どうなればいいのかが掴めていない。

 

 ―――まぁ、今私の後ろに置いてある、どこぞのお節介焼きが持ってきたコレを、上手く使えという話なのだろうが。

 

 

「ハイ、葉加瀬さんありがとう。それじゃあ次は長谷川さん、よろしく。」

 

 

 あれよあれよという間に葉加瀬聡美の自己紹介が終わり、私の番が巡ってきた。クラス中の視線が私に注がれる。

 

 

「え、えっと…。長谷川千雨です。趣味は音楽で、自分で演奏とかしたりします。…えっと…、こ、これから3年間よろしく、お願いします。」

 

 

 何の捻りもない、無難な台詞に落ち着いてしまった。趣味は音楽、と口走った辺りから、妙な気恥かしさが先に立ってしまって、考えてた台詞が言えなくなってしまった。

 それでもクラスメイトからは、暖かな拍手とよろしく、という言葉が口々に送られてきた。しかし座る直前、誰かが起爆剤を投入してきた。

 

 

「その後ろにある大きなケースって、長谷川さんの?何が入ってるの?」

 

 

 教室の後ろに鎮座する、黒いサックスケースを指差される。

 やっぱり指摘されたか、と陰鬱な溜め息を吐く。これは私が持ってきた物ではない。気付いた時には私のすぐ後ろにあったのだ。間違いなくレインが運んできたのだろう。後でシメる。

 とはいえ、問われた以上は答えねばなるまい。

 

 

「そう、私のサックスケース。」

 

「え、長谷川さんサックス出来るの!?」

 

 

 クラスメイトの視線が好奇を孕んだ物に変わる。その物欲しげな視線は何よりも雄弁だ。渋々ケースを開き、サックスを取り出す。サックスを見た瞬間、クラス中から感嘆の声が漏れた。

 

 

「…じゃあ、一曲だけ。」

 

 

 とは言ったものの、何を演奏するべきか。出来ればやっぱり良い所を見せたいし、分かりにくい曲も不可だ。となると、自分のレパートリーで難易度はそれ程高くなく、かつ雰囲気に合った曲というと―――――

 

 真っ先に思い浮かんだのは、前世で好きだった曲。吹くのは久しぶりだが、多少の年月が経ったからといって忘れられるような旋律でもない。

 

 後はいつも通り、黄金のサックスに命を吹き込む。演奏に合わせて身体を動かし、空中に音を散らしていく。ついでに、いつもより多めに動いております、だ。

 最初は歓声を挙げていたクラスメイトたちが、自然と静かになっていく。高畑教諭も真剣に見入っていた。

 その静けさが懐かしく、心地良く、演奏にも熱が入ってきた。旋律を変えない程度に、少しアレンジしてみる。思いの他手応えを感じ、もう少し、もう少しと演奏し続け、気付けば3分以上経過していた。

 

 キリの良い所で演奏を終わらせ、一礼と共に顔を上げると、クラス中の呆然とした表情が映った。

 

 

『すっ………すっっっっっげぇーーーーーーーーーーっ!!』

 

 

 沈黙をぶっ壊し、学校中に響いたんじゃないかと思うぐらいの大歓声が沸き起こった。

 

 

「スゲェっ!!私サックスとか初めて聞いたし全然詳しくないけど、マジスゲェ!!何かこう、別の国に居る気分だった!」

 

「何処で習ったの!?どれぐらい練習したの!?ホントに同い年!?」

 

「は、長谷川さん!?今度父の会社のパーティーがあるのですけど、そこで演奏してくださらないかしら!?お礼なら弾みますわ!!」

 

 

 次々に賛辞を伝えられ、頬が赤く染まっていくのが自分でも分かった。

 人を殺す以外のために音を奏でる。邪道を極めた私の音楽が、今更正道を奏でるなんて、あまりにも滑稽な話だ。

 だけど、心地良かった。

 人から向けられる暖かい眼差しが、拍手が、賛辞が、声援が、前世で得られなかった物が、胸に染み込んで行く。心臓が、息を吹き返したかのように、心地の良い鼓動を奏でている。

 

 私の音楽で。

 人を殺すために練り上げられた私の音で、こんなにも人を喜ばせる事が出来るのか。

 

 

「長谷川さん、アンコールお願いっ!」

 

「そうそう!アンコール!アンコール!」

 

 

 クラスメイトからアンコールの大合唱が始まった。高畑先生もそれを止める気はないようだ。ふと廊下を見ると、他の教師や生徒も集まって来ている。その期待感のこもった眼差しは、前世で皆殺しにする直前に観客が見せるものと同じだった。

 かつては侮蔑しか思い浮かばなかったその表情に、自然と顔がほころんでしまう。

 

 いいとも。

 その眼差しに、期待に、全力で以て何曲でも応えようじゃないか。

 

 2曲目を始める。すでに盛り上がりは最高潮だ。

 

 ああ、なんて心が躍る―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬を伝う涙の感触で目が覚める。

 途端に膝から崩れ落ち、両手両膝を地面に付ける。地に着いた手の甲の上に、止めどない涙が滴り落ち続けた。

 

 変わろうと思った。

 変わりたいと願った。

 けれど変われなかった。

 

 それが今、悔しくてたまらない。変われなかった自分が憎くてたまらない。

 

 

 

 ああ、そうだ。

 変われなかった事を悔むこの感情の源泉は。

 

 あの日の演奏と、差し向けられた暖かな感情だったのだ。

 

 

 

 私の演奏を心から褒めてくれた。喜んでくれた。それが嬉しくてたまらなかった。きっと大丈夫、私は長谷川千雨として生きていけると、信じる事が出来た。

 私に生まれ変われる機会を与えてくれたのは、他でもない、3−Aのクラスメイトたちだ。

 

 だから、守りたかった。

 私に手を差し伸べてくれたクラスメイトたちを。彼女たちの笑顔を。

 それこそが私にとっての平穏であり、日常であり、憧憬であり、希望であり、原動力だったから。

 

 

 

 例え私が本心では、かつての自分を失う事を恐れていたとしても。

 クラスメイトへの、その想いだけは、間違いなく本物だった。

 

 

 

 ふと、手の中に何かを握り込んでいることに気付く。涙を拭い、掌を開いた。

 

 その中にあったのは。

 レインと結んだ契約の証、何も書かれていない仮契約(パクティオー)カード。

 

 

 それはまるで、白紙の切符のようで。

 

 

『―――――じゃあ仕切り直せよ。』

 

 

 突如暗闇の中に声が響く。

 紛れもなく、ヴァッシュ・ザ・スタンピードの声だった。

 

 

『死なせるな。裏切るな。幸せを掴め、夢を語れ!』

 

 

『未来への切符は―――――』

 

 

 

 

『―――――いつも、白紙なんだ。』

 

 

 

 

 ―――――ドクン。

 

 

 止まりかけた心臓に、力強い鼓動が戻る。

 身体が思いだしたかのように体温を取り戻し、火照っていく。

 

 湧き起こる強い感情のままに、地を這う体に力を込める。

 

 だが、何か強い力が体を引っ張る。全身に黒い霧がまとわりついていた。その感触は私を地獄に招こうとする亡者の手―――きっと、私が殺した人間たちの怨嗟そのものだ。

 それだけではない。奴の気配が前方に移動し、再びを見つめている。

 

 

「ナイ、ブズ…っ!」

 

 

 一切の反逆を許さぬ、絶対的殺意が襲う。噴出する冷や汗と共に身体が震え、取り戻したはずの体温が奪われていく。体を掴む亡者の手は力を強めていき、皮膚を裂かんばかりだ。

 

 だが、痛みに喘ぐ脳はそれでも、級友たちの笑顔を映し出し続ける。

 

 

「そうだ、こんな所で、這いつくばってなんかいられない…!」

 

 

 立て。

 

 私がまだ、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク(わたし)である事を悔いているなら。

 私がまだ、長谷川千雨(わたし)でいたいと思うなら。

 

 立ち上がって、戦え。

 未だ危機に瀕したままの、人買い共に狙われたクラスメイトたちを、その手で救え。

 

 みっともなくていい。

 格好悪くていい。

 

 今はただ、胸の滾りの赴くままに。

 立って、歩いて、戦って、立ち向かえ。

 

 

 座したまま変えられる未来など、ありはしないのだから――――――――!!

 

 

「其処を退け、ナイブズっ…!」

 

 

 亡者の手を力ずくで振り解き、震える足で立ち上がる。

 睨みつけた先は暗闇。影すら見えなくとも、間違いなくそこに居るという確信があった。

 

 だから、積年の恨みと思いの丈を込めて、暗闇に向かって駆け出した。

 

 

 

「私にはまだ、やるべき事があるんだよ―――――!!」

 

 

 

 そして、駆け寄った勢いのまま、見えぬ人影に向かって全力で拳を――――――

 

 

 

side out

 

 

 

 

 

 

「ふっ――――――!」

 

「…っ、クソッ…!」

 

 

 降りしきる雨が、激しくぶつかり合うレインとヘルマンの体を濡らす。

 状況はどう見てもレインの不利だ。本来なら千雨やエヴァにすら引けを取らない実力の持ち主ではあるが、いかんせん魔力を封じられ、女子中学生並の腕力しか持たない状態では、せいぜい迫る拳を避けるかいなすかぐらいしか出来ない。当たってしまえばゲームオーバーだ。

 

 ネギたちも、まき絵たちも、見守ることしか出来ない。

 だが、不意に小さく舌打ちが響いた。

 

 

「いつまでもチンタラ戦ってんじゃねえぞヘルマン!!レイン(そのガキ)は無視して、赤毛とチビ二人を捕まえろ!悪魔共、その4人締め上げて連れて来い!」

 

 

 ウェルダンの檄が飛ぶ。

 同時に、まき絵たちを覆っていた水玉が弾け、悪魔たちが4人の首を腕で抱え上げた。

助けに入るため駆け出そうとしたレインの体を、明日菜たちの方へ向かうヘルマンが突き飛ばす。無様に尻もちをつくレインが見たのは、ヘルマンの苦々しい表情だった。

 だがそれが見えたのも一瞬の事。突風のような速度で駆け出したヘルマンが、たった一歩で明日菜たちとの距離を詰め、右手を突き出す。

 

 明日菜が庇うように立ち塞がった。夕映も王水を出そうとするが、もう遅い。

 

 ヘルマンの手が明日菜の頭部を掴み上げようとする。明日菜と夕映は目を閉じて――――――

 

 

 

 

「―――お客様。演奏中の軽挙妄動は、慎まれますよう。」

 

 

 

 

 まるで、コンサート場の警備員のような台詞が聞こえた。

 

 恐る恐る目を開ける。

 そこには、当然のごとく千雨が居て。

 体を明日菜たちの方に向けたまま、ヘルマンの右手を片手で難なく掴み、その腕一つだけで完全に動きを封じていた。

 

 まるで、屹然と聳え立ち塞がる城壁のように。

 

 

「は、せ、がわ…さん…?」

 

 

 夕映の声が震えている。先ほど千雨は石柱に押し潰されていたはず。つい数分前のその映像は、忘れようにも忘れられない。立って歩くどころか、生きていることさえ信じられない。

 

 

「貴様…その傷で、どうやって。」

 

 

 ヘルマンが呻く。掴まれているのは拳だけなのに、全身動かない。小さく歯軋りをこぼすヘルマンを千雨は完全に無視し、明日菜たちに儚げな笑顔を向けた。

 

 

「…ゴメンな、神楽坂、綾瀬、それにネギ先生と、明石たちも…。私のせいで、碌でもない目に遭わせちまった。」

 

 

 千雨の顔は明らかに血色が悪く、呼吸もおかしい。だが、それを指摘出来るはずもない。そんな事、千雨が一番よく分かっているのだろうから。

 

 明日菜は千雨の後ろを盗み見る。

 ウェルダンたちは驚愕と困惑、そして怒りを顔に張り付けている。今から千雨は、彼らと戦うのだろう。自分たちのために。そしてそこに、自分が手助けする余地はない。それが歯痒くて仕方なかった。

 そして裕奈たちの方を見る。4人とも泣きそうな顔で千雨を見ていた。その背後で、裕奈たちを掴み上げていた悪魔が消滅していくのが見えた。

 

 そこに違和感を感じた。

 自分たちの場所、裕奈たちの場所、そして千雨が潰された場所。3つはそれぞれ十数歩分離れている。千雨は潰された地点で立ち上がり、裕奈たちを捕まえていた悪魔を斃して、ヘルマンと自分たちの間に割り込んだというのか。

 

 明日菜が自分の思考に没頭している間に、千雨がヘルマンの拳を振り解き、その勢いでウェルダンたちの方まで後退させた。

 

 

「レイン、皆を守ってやってくれ。後は私が引き受ける。」

 

「でもっ…!」

 

 

 レインの悲痛な声が響く。ウェルダンたちの視線に応えるように、千雨が体をそちらに向け、明日菜たちに背を向けた。

 

 その背中に、明日菜たちが思わず小さく悲鳴をあげる。

 

 先ほどヘルマンは、その傷で(・・・・)、と呟いた。ウェルダンたちや裕奈たちも、信じられない、という表情を浮かべていた。

 

 

 

 そう考えるのも当然な程、千雨の背中はぐちゃぐちゃに歪んでいた。

 

 

 

 内臓や背骨が飛び出していないのが奇跡と思えるほどの。

 見るだけで心臓が止まってしまいそうな程の。

 目に痛いほどの真紅に染まった、誰の目にも明らかな致命傷。

 

 出血も負傷も、すでに人体の許容外。

 それでもなお千雨は、凛とした立ち姿を崩さない。

 

 

「大丈夫だ。まだ私は死なないよ。」

 

 

 一層激しく降り注ぐ雨の滴が、血を吸って赤く染まり、腕や足を伝っていく。体の内側からの出血が、食道を這い昇って口の端から溢れ出す。今に鼻や目からも溢れ出しそうだ。

 正に歩く(リビングデッド)と称するに相応しいその有様。だがその眼だけは、生きる気力に満ち溢れている。否、満ち溢れすぎている。

 その、残り僅かな生への執念に火を灯し、千雨はウェルダンたちを睨みつけた。

 

 

「―――さあ、お仕置きの時間だぜ下劣極まる観客共。人の演奏中にずかずか割り込んで汚い音を出す輩は、懲らしめてやらねえとなぁ?」

 

 

 静かに気炎をあげるその姿からは、まるで(タイムリミット)を感じさせなかった。

 

 

 

 

 

 

 


(後書き)

 第38話。立てっ!立つんだ千雨ー!回。地元の歯医者にジョーが全巻置いてあるんですが、殴られて歯が飛ぶようなマンガを置いておくな、と言いたい。

 

 そんなわけで、千雨復活回でした。ザ・王道展開です。鬱鬱とした昨日の自分にBYE-BYE!ってな訳で、やさぐれ千雨はここでお別れです。いやぁ、自分でも鬱っぽいキャラとか書くのしんどかったので、解放感に満ちてます(笑)心情描写はもう一回入りますけど、そっちは明るい方面になる予定なので。

 

 そしてTRIGUN原作の名台詞を引用しまくりました。ゴメンナサイ。しかし一言二言入るだけで話がしっかりとまとまる、この安定感は凄まじい。内藤先生の技量に改めて脱帽です。

 

 なお千雨バレイがノーマンズランドのその後を知ることが出来た理由は、プラントの羽根の力だと思ってください。詳しい説明とか無理です。ホントはヴァッシュの台詞の所を、14巻のメリルの台詞にしようかと思っていたんですが、それよりもやっぱりヴァッシュの名台詞の方が、説得力というか千雨を奮起させる力に満ち溢れていたので、こちらにしました。けれどやっぱり勿体ないなぁ。メリルのあの台詞すっごい好きですし。何処かで使えないかしら。

 

 ナイブズがGUNG-HOに勧誘の件は私の妄想です。原作でニコラスも「だからこそ人間なのかもしれへん。この罪深き存在よ。」と語っていたように、ナイブズの考えていた「人間」という存在に合致する在り方を見初めたのだと思いました。人間の醜悪さをヴァッシュに見せつける、という意味でも都合の良い存在ですし。

 

 そして立ちあがった千雨。勘の良い方はもうすでに、千雨が今何をしているかお気付きでしょう。まんまですし。

 

 今回のサブタイはCoccoの「やわらかな傷跡」です。最近あんまり活動してないみたいですけど、「音速パンチ」とか「ポロメリア」とか隠れた良曲多いですよね。

 

 次回は千雨が戦います。死ぬ気で。後ネギ君の出番もアリ。バイト忙しいのでまた書くの遅くなるかもしれませんが、お楽しみに!それではまた!

 

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