『サモンナイト2』二次小説

メルギトスシンドローム



第23話 「蝕まれる『私』」


























降り続く雨の洗い流した血が石畳を真っ赤に染め、排水溝を血の川が流れる。

石ころのように道々に無造作に転がる死体の数々は悉くが目を見開いており、安らかな死に様を晒しているものは一つもなかった。

恐怖に見開かれた目、呆けたように宙を見つめる目、激痛に悶え苦しむ表情、最後まで戦い抜いて力尽きた憤怒の表情。


生前の彼らの姿をそのまま現世に保ち続ける魂の抜け殻たちは、逃れえぬ死に抗い続けて生に執着する人間の無残を晒していた。

生きる道を戦場に見出した男たちの生の終わり、戦いの終わり。

それは決して彼らの望んだ形の終焉ではなかっただろう。

誇り高い名誉の戦死を遂げることもなく、ゴミのように打ち捨てられた彼らの無念が雨空の下の薄暗い砦に渦巻いているのを感じられるようだった。


先ほどまでの半分ピクニック気分な雰囲気はもはや遥か遠く過去のこと。

雨に降られて黄泉の国へ迷い込んだマグナたちの前に広がるただひたすらに理不尽で凄惨な光景。

恐怖と困惑に囚われた彼らの前にふらりと現れた二人の少年少女は冥府からの使いのようにも感じられた。


憔悴しきった様子の彼らの口から語られた、この砦を襲った信じられない異常現象。

死体が動き出して砦の兵士を襲い、殺された兵士が屍人となって仲間の兵士を襲う。

そうやって鼠算式に増えていく屍人たちによってこの砦は支配されてしまった。

戦いながら身を隠していた彼らは、屍人たちの活動が止まったのを見て表に出てきたのだという。


「これは、おそらく外法とされる憑依召喚の一種だと思われます」

「憑依召喚?」


クラレットの言葉にトリスが首を捻る。

そんなトリスの様子にネスティの目が釣りあがり、それを見たマグナが慌てる。


「トリス! 君はそんなことも知らないで召喚士をやっているのか!?」

「ま、待ったネス! それくらい当然知ってるって! な、トリス?」


お説教モードに入ろうとする兄弟子とそれを諌めようとフォローを入れるマグナを見比べ、トリスは慌てて弁解する。


「も……もちろん知ってるわよ? 憑依召喚でしょ? そんなの常識じゃない?」

「ほう? では、憑依召喚とはどういうものかを説明し、死体を操る術とやらがどのようにして行われているのか推察してみろ」


目を泳がせながらマグナの助け舟に乗るトリスをネスティはジロリと半目で睨みながら追求する。

トリスはマグナに助けを求めるような視線を送るが、自分に飛び火することを恐れたマグナは護衛獣のレオルドの影に隠れ、拝むポーズを取って謝罪のメッセー ジを送ってくるのだった。

マグナの盾となってトリスの恨みがましい視線を一身に受けるレオルドは、機械兵士のくせになんだか居心地が悪そうにしていたりする。


「さあ、どうした。説明してみろ」

「う、うん……。ええと、憑依召喚とは……」


言いよどむトリス。

トリスは必死に教科書の中身を思い出そうとした。

しかし真面目に目を通したことなど数えるほどしかない分厚い本の中身など頭の片隅にも残っていないことに気付いて落胆するだけだった。


(ああ、あの本だってタダじゃないんだから、ちゃんと目を通しておけばよかった……)


などと後悔しても後の祭り。

そしてそんな殊勝なことを考えるのは今この瞬間だけで、後になるとコロッと忘れて勉強をサボるのであった。


「どうした。憑依召喚とは……、なんだ?」


兄弟子の追及に冷や汗をだらだらと流すトリス。

こうなったときのネスティは蛇のように執念深く、何か答えるまでは開放してくれない。

仕方なくトリスは駄目元で口を開いた。


「憑依召喚とは……」

「憑依召喚とは?」


トリスは言葉を区切って深呼吸する。

そして大きな声で一息に言い切った。


「憑依召喚とは、死体を操る召喚術のことよ!」

「………………」


ネスティがこめかみを押さえて黙り込む。

レシィはおろおろと自らの主人とネスティを見比べ、バルレルなどは小馬鹿にしたようにキシシッと笑っている。

強気に断言したトリスだったが、当然そんな答えがネスティの望むものであるはずもなく、仮にも召喚士であるはずの妹弟子の体たらくに怒るよりも先に呆れて しまうのであった。


ネスティは眉間のしわを指で揉み解しながら沈痛な面持ちで言った。


「もういい。わかった。僕は兄弟子として、君に召喚術の基礎を一から教えなおす必要があるようだ」

「……むぅ……」


ネスティのそんな反応に頬を膨らませるトリス。

マグナも知らなかっただろうにと恨めしげな視線を送ってやると、マグナはばつの悪そうな苦笑いを返してきた。

ちなみにこういう場面で『そんなことも知らないの?』としゃしゃり出てきそうなマーン家のお嬢様は、そんな余裕もないのかハサハと共にケイナにしがみ付い て死体の山に怯えている。


ネスティは一つため息をつくと、諭すようにトリスに話し始めた。


「いいかトリス? 勉強というのは強制労働や罰ゲームじゃないんだ。誰も意地悪で勉強しろと言っているわけではない。その場をやり過ごせばそれでいいなどと考えていてはそれ こそ時間の無駄にしかならないぞ。数々の知識を己の血肉としてこそ……」


愚痴をこぼすように次から次にお説教の言葉を並べ立てるネスティ。

彼のお説教はねちっこく長時間に及ぶということを身を持って知っている双子召喚士は慌てた。


先ほどから話が本題から逸れまくっており、他の仲間たちやハヤト・クラレットからの視線が痛いのだ。

死体転がる砦の真ん中でお説教を始めてしまった兄弟子をマグナとトリスが慌てて諌める。


「ね、ネス、その話はまた今度に……」

「そうそう! 今は憑依召喚の話でしょ?」

「む……」


お説教を止められてしまったネスティは、しぶしぶ他の者たちにもわかるように憑依召喚について説明するのであった。


「憑依召喚とは、文字通り物や人などに召喚獣を憑依させる術のことだ。炎の召喚獣を剣に宿せば刀身が炎を纏い、護りの力を持つ召喚獣を人に宿せば耐久力が 向上する」

『へ〜、そうなんだ』


感心の声を漏らす双子召喚士を一睨みして、ネスティは説明を続ける。


「憑依召喚の中でも、召喚獣を憑依させて人間を操る術は外法とされ、派閥によって使用も研究も禁止されている」

「人間を操る?」

「そうだ。この砦の件も、おそらく死体に悪霊や妖怪の類を憑依させて操っていたんだろう。派閥でも最も嫌われる、魂を冒涜する禁術だ」

「魂を冒涜……」

「そんな……」


マグナとトリスの口から非難めいた声が漏れる。

その様子をネスティは複雑な表情で見つめていた。

彼らの知らない、ゲイルという名の重い十字架。

それを背負うのは自分だけで十分だと、ネスティは瞳の奥の暗い想いをメモリーの奥底にしまいこんだ。


ネスティの説明を引き継いで、実際に異常事態を体験したハヤトが口を開く。


「俺たち、その憑依召喚を行っていた召喚士に会ったよ」

『え!?』


ハヤトの言葉に驚くトリスとマグナ。


この砦の生き残りである彼らがこの事件の首謀者である召喚士を見ていても別に不思議ではないのだが、双子召喚士は何故か意外な気がした。

それは彼らが死体を操って砦一つを滅ぼしてしまうなどという所業を人間が、しかも自分たちと同じ召喚士がやったなどという話にイマイチ現実味を感じられて いなかったからだろう。

今目の前に広がる惨状が人の手によってもたらされたものだということを自覚すると、マグナとトリスの脳裏にレルムの村でのあの夜の出来事が思い起こされ、 二人は顔をしかめる。


そんな二人の様子に気付くこともなく、ハヤトとクラレットは代わる代わる自分たちの目にしたものを語り始めた。


「俺たちはこの砦の人たちと協力してなんとか屍人たちの第一陣を退けることができたんだけど、その時、あの男が俺たちの前に現れたんだ」

「彼は屍人使いガレアノと名乗っていました。強烈なサプレスの瘴気を身に纏った細身の男で、まるで死人のように血色の悪い顔をしていました」

「あいつは人の命をなんとも思っていなかった……逃げ惑う兵士たちをゴミクズのように蹴散らすあいつの顔には笑みすら浮かんでいたんだ!!」

「ガレアノの手によって屍人たちは次々に増え続け、私たちは彼らを見殺しにして、逃げることしかできなかったのです……」


怒りに握り締めた拳を震わせるハヤト。

己の無力を嘆き、視線を落とすクラレット。


マグナたちは彼らの様子にかつての自分たちの姿を重ねる。

のどかな田舎村を襲った一夜の悲劇。

斬り捨てられた村人たちの躯を掻き分け、燃え盛る炎によって浮き上がる敵の影に怯えながら逃げ延びたあの夜。


マグナは悲痛に顔を歪ませ、むっつりと黙り込んでいるネスティのマントをつらそうな表情のトリスが握る。

顔を青くしながらも気丈に振舞おうとして立ちすくんでしまっているアメルの肩にリューグがそっと手を置き、その手にアメルの震える手が重ねられる。

いつものおちゃらけた雰囲気もなく顔をしかめるフォルテ。ミニスとハサハをあやしながら、心配そうに気落ちしたハヤトたちを見やるケイナ。


痛ましい雰囲気に包まれた場の中で、一人怪訝そうに首を捻っている者がいた。

トリスの護衛獣・バルレルである。

鼻をフンフンと鳴らしながら周囲を見渡すバルレル。


(妙だな……なんでこんなに静かなんだ?)


バルレルはこの砦に漂う負の気配が異様に少ないことに疑問を抱いていた。

普通これだけの惨状であれば、人間たちの怒り・悲しみ・絶望といった負の感情から発せられる精神的エネルギーがもっと溢れかえっているはずなのだ。

しかしこの場にはバルレルの小腹を満たしてくれる程度のマナすら存在していなかった。


(それだけじゃねぇ……この獣の死体の腐臭のような胸糞悪い瘴気は……)


バルレルは自分の同類である悪魔の存在を確信した。

砦の兵士たちの発した負のエネルギーはその悪魔によって捕食されてしまったのであろう。

少し残念そうに自らの腹をさするバルレル。

もっとも、負のエネルギーを吸ったところで腹が膨れるわけではないのだが、そこらへんは気分の問題である。


(まあ、いいか。この砦の様子を見たニンゲンどもの発する負の感情でもつまみ食いしておこう)


そんなことを考えてキシシッと陰で笑うバルレル。

しかしバルレルは気付いていなかった。

件の悪魔が息を潜めてこちらの様子を窺っていることに。


























「魔公子か……」


朽ちかけた柱の影と同化するようにして姿を隠し、聖女一行の様子を窺う屍人使いガレアノ。

彼はマグナたちが門を潜って砦に侵入してくる前からこの場所に身を潜めて待ち伏せしていた。

砦内に漂う死臭とあちこちにわざと残してきたサプレスの気配によって、鋭い知覚能力を持つバルレルでさえガレアノの視線に気付いていなかった。


ガレアノは思うところがあるのか、バルレルに憎悪とも哀愁とも取れる視線を送る。

誓約によってその力のほとんどを封じられ、不自由を強いられているはずのサプレスの大悪魔。

しかしバルレルは自らを縛る召喚士、ガレアノから見れば下等な人間にしか過ぎない連中に文句も言わずに服従している。

バルレル本人は否定するだろうが、ガレアノには格下の人間に隷属する同族の恥としか見えないのであった。


「それだけの力を持ちながら、なぜ……」


力だけを心酔し、強き者に付き従うことを無上の喜びとするガレアノにはバルレルの心情は理解できなかった。

悪魔とは身勝手なものであり、基本的に人の下について働くことを嫌う。

しかし力こそが正義の悪魔たちの世界では、より強い力を持つ悪魔の下には配下になりたがる者が競うように集まってくるものだ。

力ある悪魔の下に付くことは自らの価値を高めることになる。

サプレスに住まう悪魔たちの間ではごくごく一般的な価値観だ。


強いものが弱いものを従えるのが当然。

力のないものは力を持つものに歯向かうことは許されない。

強者に牙を向ける弱者に待つものは破滅のみだ。


上には上がいて、下には下がいる。

弱き者を従え、強き者に服従する。

そんな弱肉強食の摂理を当たり前のものとして生きてきたガレアノに、絶対弱者であるはずの人間を主人とするバルレルのことが理解できないのは無理もないこ とであった。


「……む?」


今まで熱心に人間に使える魔公子の様子を観察していたガレアノが、ふいに何かに気付いたように視線を砦の城門に移す。

同じようにバルレルもその気配に気付いたようで、二人の悪魔の視線が一点に集中する。


ガレアノはその気配に覚えがある気がした。

どこか懐かしいような、それでいて胸が締め付けられるような、郷愁にも似た感情が沸き起こってくる。

自然と優しくなれるような、そんな羽毛でくすぐられるようなふんわりとした感覚はずいぶんと久しぶりに感じたものだった。


(なんだ……いったいどうしたというのだ……?)


自らの内側から湧きあがる感情に戸惑うガレアノ。

彼の心を揺さぶる気配の持ち主は、開け放たれた門を抜けて砦内に駆け込んできた。



























バルレルの鋭い視線が城門を走り抜けて侵入してきた人物に注がれる。

その人物の姿にバルレルは見覚えがあった。


(あの女、またしゃしゃり出てきやがったのか……いや……)


その姿は間違いなく聖女一向の行く先々に現れて場を掻き乱していく人物、堀江 奈菜であった。

しかしバルレルはその人物が奈菜であることを断言できなかった。


もともと奈菜はバルレルにとって不可解な気配の持ち主であったが、今はその掴みどころのなかった気配が一定の色を帯びているように感じられた。

姿形は変わらないのに、その内側から発せられる強いサプレスの気配のせいで印象がずいぶん違って見えた。

どこか懐かしさも感じさせるその気配の持ち主に警戒心に満ちた視線を向け、己の得物である槍を取り出すバルレル。


勢いよく駆け込んできた奈菜の姿にトリスたちも気がつき、口々に驚きの声を上げる。


「あれ、奈菜?」

「どうしてここに?」

「馬鹿な、どうして付いてきたんだ!」

「びしょ濡れじゃないか、大丈夫かい?」


土砂降りの雨の中を走ってきたらしい奈菜はすっかり濡れ鼠になってしまっていた。

モーリンが駆け寄ってタオルを手渡すと、奈菜に続いて二人の少女たちが砦に駆け込んできた。


「ひゃ〜っ! びしょびしょだよぅ〜!」

「奈菜! 一人で先に行かないでください!」


全身から雨水を滴らせながら奈菜に駆け寄るユエルと夕月。

ユエルは獣のように身体を震わせて水分を飛ばし、夕月は長髪を絞るようにして水切りしている。

二人の様子にモーリンのタオルだけでは足りないと思ったアメルは余っていたタオルを二人に差し出す。


「あ、ありがと!」

「申し訳ない」


アメルから受け取ったタオルで二人は身体に重たく纏わり付く水分を吸い取っていく。

しかし服の替えがない彼女たちは水をすってベタベタと張り付く衣服を我慢するしかなかった。

俯き気味にガシガシと髪を拭く奈菜の前髪の間から覗く顔色も、心なしか青白くなっていた。


「まったく、こんな雨の中を着替えも持たずに。風邪ひいても知らないよ?」

「ごめんなさい」


苦言を漏らすモーリンに素直に謝る奈菜。

マグナらも奈菜たち三人の周りに集まってくる。

メンバーの中でも比較的奈菜たちと親しいマグナ・トリスが疑問を口にする。


「どうしてナナたちがここに?」

「そうよ。スルゼン砦に来るのはパッフェルさんだけじゃなかったの?」


そう言って、トリスはアッと口を押さえた。

トリスの言葉にマグナやアメルも痛ましげに顔を歪める。


彼らはパッフェルの実力を知らない。

屍人の砦と化したこのスルゼン砦にいて、彼女が無事でいられたとはとても思えなかった。

知人の思わぬ死に、パッフェルを知る者たちは沈痛な面持ちとなり、黙り込む。


そんな彼らに奈菜はどこか精気のない瞳を向け、囁くように問いかけた。


「パッフェルさんは……どこ?」


奈菜は周りを囲むマグナたちの顔を順々に覗きこむ。

しかし誰もその問いに答える者はおらず、パッフェルと共にファナンを出たハヤト・クラレットも顔を伏せる。

その様子にただならぬものを感じたのか、いつも元気なユエルも小さくなってしまっている。


押し黙ったマグナたちの顔を見比べ、奈菜の視線は石畳の上にゴロゴロと横たわる死骸たちに向けられて止まる。

一瞬目を見開く奈菜だったが、表面上の変化はそれだけだった。

無表情に死体の山を見つめる彼女がどのようなことを思っているのか、マグナたちには分からない。

奈菜はただ黙って、うち捨てられた兵士たちの死体を眺めていた。


なんと声をかけていいのか分からず、立ち竦んだ少女を見守るマグナたち。

その中で、バルレルは警戒心あらわに奈菜を睨みつけ、ハサハは目の前に広がる惨状以外の何かに怯えてケイナに縋り付く。

夕月はバルレルのピリピリとした敵意に気付きながら、しかしいつもなら決して離れることのない奈菜の側を空けてしまっている。


「奈菜……」


戸惑いがちに声をかける夕月。

その声に肩をビクリと跳ねさせる奈菜。

夢から覚めたように、無表情だった顔に精気が戻る。


「パッフェルさん……」


そう呟くと、奈菜は駆け出した。

砦の奥へと走り去る奈菜に驚いたマグナたちは声をかけて引きとめようとする。


「ナナ! どこへ行くんだ!?」

「危険だ! 戻るんだ!!」

「ナナ待って!」


しかし奈菜は彼らの声に耳を貸さず、そのまま走り去ってしまう。

真っ先に追いかけたのは夕月だった。

マグナ・トリスも続き、ネスティも慌てて後を追う。


「奈菜!」


夕月の叫びも奈菜の耳には届かず、思いの他の俊足ぶりを発揮する彼女を見失わないよう、夕月たちは呼びかけを続けながら奈菜を追いかけた。

奈菜と夕月に遅れをとってしまいどんどん引き離される双子召喚士に、後ろから兄弟子の声がかかる。


「マグナ、トリス! アメルたちとはぐれると僕たちも危険だぞ!」


ネスティに注意を喚起された双子召喚士は、しかし言い返す。


「でも、ナナをほっとくわけにはいかないだろ!」

「ナナは戦えないのよ!? 一人にはできないわ!」

「それはそうだが……」


引き止める仲間の声も遠くなり、マグナたちは砦の奥深くへと迷い込んでいく。

先を行く奈菜と夕月は入り組んだ砦の中を奥へ奥へと誘われるように駆けて行く。

瞬発力に劣る召喚士組みは、とうとう彼女たちとはぐれてしまった。


「はあ、はあ。ナナたちは、どっちへ行ったの……?」

「……ふう、ふう。……見失ったみたいだな」

「……アメルたちとも、完全に……はぐれてしまった。ともかく……一旦戻って……」


短距離とはいえ、急に全力疾走を強いられたマグナたちは息を切らせて辺りを見回す。

息も絶え絶えなネスティが態勢を立て直すことを提案しようとするが、そのとき、彼らの死角となっていた物陰から一つの人影が勢いよく飛び出す。


「ホールドアップ!!」

「!?」

「え!?」

「なに?!」


いきなり飛び出してきて聞き慣れない言葉とともに銃口を向けてくるコートを着た男。

首筋に突きつけられた刃のように鈍い光を放つ鉄の銃身がマグナたちの目を奪い、動きを止めさせる。


「よーし、両手をあげてその場から動くなよ。でないと、こいつでズドンといくからな」

マグナたちの反応に気を良くした男は銃口とともに要求を突きつけてくる。

ネスティが小声で双子召喚士に逆らわないよう指示し、三人は言われたとおりに両手を上げた。


「オーケ〜イ。じゃ、一つだけ質問に答えてもらおうか」


男は狙いを定めながら一歩一歩近づいてくる。

相手の正体も狙いも分からずに緊迫するマグナたちに、男は真面目な顔で妙な質問を投げかけた。


「お前さんたちは、生きてんのか?」

「……はい?」


そんな質問は生まれてこの方されたことのないマグナは思わず聞き返してしまう。

自分でも妙な質問だと思っているのか、男は煩わしそうに頭を掻き毟って質問を繰り返す。


「ちゃんと生きてんのか、そのフリをしてるのか。どっちだって聞いてるんだよ、俺様は!」


そこでマグナたちはようやく思い至った。

この男は自分たちが召喚士によって操られる動く死体・屍人なのではないかと疑っているのだ。

そしてそのような質問をしてくるということは、この男は屍人でも屍人使いでもないということになる。

そこまで考えが至ったマグナたちは慌てて男に釈明する。


「ちょ……ちょっと待ってくれよ! 俺たちは死体じゃないし、操られてもいないよ!」

「そうよ! それに私たちは召喚士だけど、死体を操ったりする術なんて使えないわ!」

「あなたはこの砦の生き残りのようですね。我々は蒼の派閥の召喚士。貴方と敵対するつもりはない。だから銃を下ろしていただきたい」


三人の主張に男はしばし黙考した後、銃を下ろした。

ほっと胸を撫で下ろす召喚士たち。


「……どうやら死体じゃないらしいな。事情も知ってるみたいだし、あんたらもこの砦の人間か?」

「いや、我々は偶然立ち寄った旅の者です。事情は先ほど生き残りの方に伺いました」

「そうか……」


ネスティの説明にようやく警戒心を解く男。

コートのポケットを漁って煙草を取り出し、一本を口に咥えて小型の着火装置で火をつける。

吐き気を催すような濃厚な血の匂いに煙草の煙の匂いがブレンドされる。


「俺様の名はレナード。ステイツのロスで刑事をしていた。と言っても、あんたらにはなんのことだか分からねえだろうが」

「……召喚獣なのか?」

「人間様を捕まえて獣とは失礼だが、あんたらの言い方ならそうなるな」


ふぃーっとタバコを吹かすレナードにトリスが遠慮がちに質問をする。


「あの……貴方を召喚した召喚士の人は……?」

「死んじまったよ。ゾンビどもの仲間入りして、他の連中と一緒にそこらへんに転がってるだろうな」


ため息といっしょに煙を吐き出しながら、レナードはやれやれと首を振る。

召喚主を失った召喚獣は元の世界に帰る方法をなくし、『はぐれ』となる。

そのことを知っている召喚士たちは居たたまれない表情になる。


そのとき、門の方角から女の子の悲鳴が響き渡る。


「今の悲鳴は……ミニス!?」


仲間の危機の予感に駆け出すマグナ。

状況を察したのか、レナードもそれに続く。

しかしトリスははぐれたままの奈菜と夕月のことが気になり、二の足を踏んでいた。

それに気付いたネスティがトリスの手を引く。


「トリス、行くぞ」

「でも、ナナとユヅキさんが……」

「君だけで捜しに行くのは危険だ。一度体勢を立て直そう」


ネスティに引っ張られ、トリスも仲間たちのもとへと走り出した。

戦う術を持たないナナの悲鳴が背後から聞こえてこないことを願いながら。































「――――――?」


パッフェルはふと誰かに名前を呼ばれた気がして振り返った。

不意に頭をよぎる大切な人たちの影。

優しくて暖かい、赤い髪の人。

そしてその隣で微笑む、彼女。


しかし振り向いたそこには誰の姿もなく、パッフェルは気のせいかと自嘲の笑みを零す。

感傷を振り払うように途中ではぐれてしまったレナードを捜す為に駆け出す。

その時、彼女の耳にその声が届いた。


「パッフェルさん……」

「!?」


再びパッフェルが振り返ると、幽鬼のように精気なく立ち尽くしている奈菜の姿があった。

気配もなく背後に現れた奈菜に驚いたパッフェルは、同時に何か言いようのない違和感を感じた。


「……ナナさん?」


奈菜はフラフラとおぼつかない足取りで歩み寄ってくる。

その視線はパッフェルに向けられているが、焦点は合っておらず、どこか遠くを見ているようでもあった。

パッフェルの呼びかけにも応えない奈菜は、戸惑い立ち尽くすパッフェルのもとまでたどり着くと体から力が抜けたように崩れ落ちる。


「ナナさん!?」


慌てて抱きとめるパッフェルに脱力した身体を投げ出す奈菜。

気を失っているわけではないようだが、その瞳は虚ろに虚空を見つめていた。


「奈菜!?」


奈菜の後を追ってきた夕月がパッフェルに支えられる奈菜の姿を見付けて駆け寄る。

なぜ奈菜と夕月がここにいるのか疑問に思いながらも、パッフェルは様子のおかしい奈菜に呼びかける。


「ナナさん、しっかりしてください! 大丈夫ですか? いったい何が……?」

「奈菜、奈菜!」


二人の呼びかけに、意識をどこかへとやっていた奈菜が次第に正気を取り戻す。

ぐったりとしていた身体に若干の活力が戻り、焦点を失っていた瞳に意思の光が戻る。


「……あ……れ……?」

「ナナさん!?」

「奈菜!」


パッフェルの腕の中で寝ぼけたように半覚醒状態の奈菜。

しかしその表情は先ほどまでの精気のないものではなく、いつもの彼女の顔だった。

パッフェルはほっとして表情を緩ませる。

しかし夕月は未だ厳しい表情で奈菜の様子を窺っていた。


「ん〜〜〜?」

「な、ナナさん……?」


寝ぼけ眼のまま顔を覗き込むように至近距離に迫ってくる奈菜に戸惑うパッフェル。

奈菜はスーッと目を細めると、パッフェルの頬をぺろりと一舐めした。


「ひゃっ!?」


屍人たちの返り血を浴びたパッフェルの頬に、奈菜の舌に舐めとられた一筋のあとが残る。

目を閉じた奈菜は舐めとった血の味を口の中で転がすようにして味わった後、コクンと嚥下する。

奈菜は恍惚に顔を上気させ、身体を震わせた。


「……ナナさん? いったい、どうしたんですか……?」


舐められた頬を押さえながら不安げに奈菜に問いかけるパッフェル。

夕月は何かに警戒した様子で二人の動向を見守っている。


「あ〜……♪」


奈菜は自らの身体を抱いてなにやら身悶えている。

パッフェルに抱きついた際に服に付着した返り血を見下ろして嬉しげに頬を上気させ、興奮した様子で手についた血を顔に塗りたくっている。


奈菜の狂態はそれだけでは終わらず、自らの左手の甲を爪で傷つけ、そこから滴り落ちる血を愛おしそうに口に含み、飲み込んだ。

そして奈菜は喜色満面のまま身体を掻き抱いて前のめりに身を折る。

夕月とパッフェルからは奈菜の表情は分からず、プルプルと震える背中を不安げに見守ることしかできなかった。


夕月とパッフェルは嫌な感覚を覚えた。

背筋を冷たい汗が滴り、全身の毛穴が開いたように鳥肌が立ち、吐き気をもよおす血の匂いと死臭がいっそう強くなったように感じる。

奈菜から発せられた薄どんよりとした瘴気が二人の身体を縛っていく。

奈菜はただ身体を伏して震えているだけなのに、二人にはその威圧感で奈菜の身体が一回り大きくなったように感じられていた。


「ああ! あ……あああああ!!」


奈菜が苦しげな声を漏らす。

その途端、彼女の背から二本の黒い線が空に向かって伸びる。

その二本の黒い柱を基点として、さらに強い瘴気が放出され、夕月とパッフェルの身体の自由を奪う。


金縛りにあったように動けない二人の目の前で、奈菜は黒い柱に引っ張られるようにして宙に浮かんでいく。

だらりと身体を投げ出した姿のまま空に上がっていく奈菜と、それを見上げた夕月の目が合った。

奈菜の瞳は赤く怪しい光を放っており、到底正気とは思えない虚無の目をしていた。


「ッ、奈菜!」


いてもたってもいられずに奈菜の名を呼ぶ夕月。

その途端、二人の身体を縛っていた見えない力が消えた。

弾かれたように奈菜のもとへ駆け寄る夕月、その場に崩れ落ちるパッフェル。


気味の悪い霧のような煙のような靄を振りまく奈菜を見上げながら、パッフェルはぼそりと呟きを漏らした。


「まさか……目覚めたのですか、ナナさん……」


奈菜に駆け寄った夕月は黒い柱に導かれて手の届かないところまで昇ってしまった奈菜に懸命に呼びかける。

いつも冷静な彼女が、今は母親に置いて行かれることに怯える子供のように必死になって奈菜を呼び止めようとしていた。


「奈菜! 奈菜、奈菜ーーーーっ!!」


夕月は奈菜が自分の手の届かないところに行ってしまうような気がしていた。

奈菜の傍にあることを自分の存在理由としていた夕月にとって、奈菜と離れることは自分がこの世界にいる理由を失うことと同義であった。

だから彼女は奈菜を自分のもとに呼び戻そうと呼びかけ続けていた。


その時、夕月の背筋にゾクリと寒気がよぎる。

殺気に反応して身をかわそうとするが、間に合わず、夕月は強烈な瘴気の渦に飲み込まれ、弾き飛ばされた。


「あうっ?!」

「ユヅキさん!?」


パッフェルが悲鳴をあげ、吹き飛ばされた夕月のもとに駆け寄る。

そのとき、悲壮な雰囲気を掻き乱し、神経を逆なでするような哄笑が響き渡った。


「カーッカッカッカ! なかなかタフな女だ。今の一撃で死なぬとはなぁ」


屍人使いガレアノである。

彼は見下したような目で夕月とパッフェルを一瞥し、宙に浮かぶ奈菜に視線を向けた。

彼女の変態は最終段階を迎えようとしていた。


奈菜の背から生えた二本の黒い柱は彼女の身長ほどの長さにまで縮まり、一つ羽ばたくと真っ黒な蝙蝠の翼に変化していた。

服を透過するようにして生えている一対の羽を命一杯に開き、手足も大の字に開いて空を仰ぎ見る奈菜。

腰の辺りからは黒い尾が姿を見せ、グネグネと脈打っている。


「おぉ……あ……ああぁああああああ!!!」


奈菜は雨雲に隠れて見えない月を仰ぐように咆哮をあげる。

その瞬間、奈菜の身体から黒い波動が強烈に放出され、凄まじい瘴気が爆発するように激しく吹きつけた。

パッフェルと、抱き起こされた夕月は、あまりの瘴気の吹きつけに目を開けることもできず、意識が持っていかれないように気を強く持つのが精一杯だった。


瘴気の嵐をやり過ごし、恐々と目を開けた二人の目に映ったのは、ガレアノに抱きかかえられグッタリとした奈菜の姿だった。
















第23話 「蝕まれる『私』」 おわり
第24話 「離別」 につづく



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