――煌都ラングポート。
 カルバード共和国の南部に位置する港湾都市で、人口は凡そ五十五万の首都イーディスに次ぐ大都市だ。
 東方にルーツを持つ移民が多く暮らす街としても知られ、共和国最大の移民系資本〈九龍(クーロン)グループ〉の影響が色濃いことでも知られている。ちなみに〈九龍グループ〉は共和国最大のシンジケート〈黒月〉のフロント企業でもあった。
 実際、いまの九龍銀行の副頭取はアシェンの父親が務めており、グループ傘下のホテルなども〈黒月〉が深く経営に関与していた。
 暁の旅団で言うところの〈ルバーチェ商会〉のようなものだとイメージすればいいだろう。
 とはいえ、リィンの場合は経営に口をだすことなど滅多にないのだが――

「ここが噂の屋台街ですか! いろいろな店がありますね」

 ガイドブックを片手に興奮冷めやらぬ様子を見せるアルフィン。
 ラクシャ、エリゼ、フィーの三人と一緒に観光名所の一つともなっている屋台通りに来ていた。
 龍來での事件から二日。煌都に到着した一行は新市街のホテルに宿を取ったのだが、

「アリサさんとエリィさんは残念でしたね」
「ん……仕事なら仕方ない。アリサはエイオスの代表だし、エリィもクロスベルの政務官だから」

 一緒に来られなかった二人のことを話しながら、エリゼの腕を引っ張って屋台をハシゴするアルフィンに視線を向けるラクシャとフィー。一応、アルフィンもクロスベルの〝総督〟という立場にあるのだが、彼女にそう言った仕事が回って来ないのはエリィがそれだけ優秀と言うことなのだろう。
 いや、誤解のないように言っておくとアルフィンもまったく仕事をしていないと言う訳ではないのだ。
 重要な式典の参加や各国の要職との会談など、総督という立場に見合った仕事はきちんとこなしている。
 ただ当初の予定よりも一週間近く早く到着したため、そう言った予定がごそっと数日間何もない状態になってしまったのだ。
 エリィが一緒に来られなかったのは会談の予定などスケジュールを改めて調整する必要がでたからで、決してアルフィンが仕事をさぼっていると言う訳ではなかった。
 アリサもアリサでエイオスの代表として優先すべき仕事があるのだろう。
 一応、休暇中とはいえ、今回の旅行の目的の一つに共和国進出のための〝下見〟という目的があるからだ。
 ルバーチェ商会及びエイオスの支社進出と〈ゲート〉の設置に関する件だ。

「お二人のことも残念ですが、彼も大変ですね……」

 リィンも煌都に到着するなり、『三日ほど留守にする』とホテルに書き置きを残して姿を消していた。
 カエラと一緒にホテルを出ていく様子が団員に目撃されていたため、共和国絡みだと察することは出来るのだが――

「ミュゼも同じような書き置きを部屋に残していたそうだしね」

 ミュゼもリィンと同じ内容の書き置きを残していたことで、アルフィンが暴走しかけたのだ。
 とはいえ、ミュゼのことだ。こうなることが分かっていて、あのような書き置きを残したのだろう。
 内心ではアルフィンもミュゼにからかわれていると分かっているのだろうが、乙女心とは複雑なものだった。
 女性絡みでの信用の無さは、リィンの普段の行いが原因とも言えるのだが――

「それより、気付いてる? 監視されていることに」
「……え?」

 フィーの言葉に驚いた様子を見せるラクシャ。
 屋台の客にまじって自分たちに視線を向ける者がいることに、フィーは気付いていた。
 実のところホテルをでたところから、車で尾行されていることにも気付いていたのだ。

「それは放って置いても大丈夫なのですか?」
「ん……〈黒月〉の関係者だろうし、遠巻きに様子を見ているだけで接触してくる気はないみたいだしね」

 あくまで監視が目的だろうと言うのが、フィーの見解だった。
 気にならないと言えば嘘になるが、ここは〈黒月〉のお膝元と言える街だ。
 街の至るところに〈黒月〉の〝目〟があることを考えると、尾行を数人撒いたところで無駄でしかない。
 フィーとラクシャだけなら監視の目を欺いて姿を眩ませることも可能だが、アルフィンやエリゼも一緒なのだ。
 それにどちらかと言うと、黒月以外の勢力に余計な手をださせないための〝護衛〟と言う側面の方が大きいのだろう。
 黒月の人間がバックについていると分かれば、その関係者に手をだす愚か者などこの街にはいないからだ。

「なるほど……安全を確保するための〝監視〟と言う訳ですか」
「そういうこと。〝裏〟の人間にしか効果はないけどね」

 裏の人間と敢えて強調するフィーの視線の先には、ナンパと思しき男たちに絡まれているアルフィンとエリゼの姿があった。
 東方風の衣装を身に付けていることからも、恐らくは地元の不良少年と言ったところだろう。
 直ぐ様、二人を助けようと動くラクシャの腕をフィーは掴んで止める。

「何を――」
「あの程度の相手なら大丈夫」

 戸惑うラクシャだったが、フィーの言葉の意味を理解するのに時間は掛からなかった。
 賑わいに沸く屋台通りに男の痛々しい悲鳴が響き渡ったからだ。
 アルフィンに手を伸ばした男の腕をエリゼが掴み、そのまま地面に膝をつかせてしまったからだ。
 黒髪の少女に腕を捻られて悲鳴を上げる男に注目が集まり、屋台を楽しんでいた通行人の足も止まる。

「て、てめえ! 何しやが――」

 仲間を助けようと別の男が拳を振り上げるも、その攻撃がエリゼに届くことはなかった。
 目にも留まらぬ早業で抜剣したエリゼの剣先が、男の喉元に突きつけられていたからだ。

「……彼女、あんなに強かったのですか?」
「女学院では一番の腕前だったらしいよ。アルフィンの従者に選ばれるくらいだしね」

 アルフィンの親友と言うことで従者に選ばれたように思われているが、それだけで選ばれるほど皇女の従者という立場は軽くない。
 帝国は武を尊ぶ国として知られているが、貴族の令嬢と言えど剣術を嗜む者は少なくない。
 エリゼの成績は貴族の令嬢が通う帝都の女学院においてトップクラス。
 剣の腕も学院では並ぶ者がいないと噂されるほどの才女だった。
 その上――

「ここ二ヶ月くらいレイフォンと時々、剣術の鍛練をしていたみたいだしね」

 想像もしていなかった話をフィーに明かされ、ラクシャは驚いた様子を見せる。
 レイフォンの剣の腕前は、ラクシャも知っていたからだ。
 リィンやフィーと言った他のメンバーが強すぎるだけで、レイフォンの実力は決して低くない。
 帝国の二大剣術の一つヴァンダール流の皆伝を与えられた剣士で、暁の旅団のなかでも上位に入る実力者だ。
 ラクシャでさえ、剣術だけの勝負では勝てるか分からないほどの実力を備えていた。

「恐ろしく呑み込みが早いってレイフォンも驚いてた。ヴァンダール流の足運びとか技も、数日で体得したらしいしね」
「……それって、凄い才能なのでは?」
「経験が伴ってないから実力的にはまだまだだけど、潜在能力はトップクラスだと思う」

 フィーはお世辞を言うような性格ではないので、それだけエリゼの実力を高く評価していると言うことなのだろう。
 エリゼの思わぬ才能に驚いている間に決着はついていた。
 確かにこれだけ剣の腕が立つなら、街の不良程度では相手にならないだろうとラクシャは思う。
 とにかく、これで一件落着かと思われた、その時だった。

「オイオイ、こいつは何の騒ぎだ」

 赤い長髪を後ろで束ね、シャツから胸元を覗かせた若い男が割って入ってきたのは――
 どことなく遊び慣れている風貌の男を見て、警戒を強めるエリゼ。

「アーロン!」

 エリゼに叩きのめされ、放心状態にあった男たちが嬉々とした表情で男の名前を呼ぶ。
 しかし、

「おい、何があった」
「いや……それが……」

 赤い長髪の男――アーロンに事情を尋ねられ、言い淀む男たち。
 まさか、女一人に叩きのめされたとは、男たちも口にし辛かったのだろう。
 そんな男たちの反応に、アーロンは察した様子を見せる。
 そして――

「こいつは、お前たちがやったのか?」
「……だったら、どうしますか?」

 アーロンの問いに警戒を滲ませながら答えるエリゼ。
 身形は遊び人風だが、足運びや立ち振る舞いから相応の実力者だと見抜いてのことだった。
 さすがにフィーやラクシャほどではないと思うが、纏っている気配からして武術を嗜んでいることは間違いない。
 自分一人ではアルフィンを守り切れないかもしれない。そんな考えがエリゼの脳裏に過った、その時だった。

「すまなかった!」

 男の口から謝罪の言葉が飛び出したのは――
 ポカンと呆気に取られるエリゼ。
 まさか、そんな反応が返って来るとは思わなかったのだろう。

「どうせ、こいつらが先に迷惑をかけたんだろう。悪かったな、楽しんでいるところを邪魔しちまって」
「い、いえ……私も少しやり過ぎましたし……」

 素直に謝罪されると思っていなかったこともあり、バツが悪そうな表情で剣を収めるエリゼ。
 先に絡んできたのは男たちではあるが、過剰防衛と取られても仕方のないことをしたという自覚はあるのだろう。
 アルフィンの立場を考えれば、警察の厄介になるのは男たちの方であろうが、それとこれは話が別だ。

「そう言って貰えると助かる。自己紹介がまだだったな。俺はアーロン。アーロン・ウェイだ」

 自己紹介をするアーロンに、名乗り返すかを迷う素振りを見せるエリゼ。
 いつもなら迷うようなことではないのだが――

「わたくしはアルフィン・ライゼ・アルノールです」
「姫様!?」
「名乗られたら名乗り返さないと失礼でしょ?」

 エリゼが警戒している横で、呑気に自己紹介を返すアルフィン。
 確かに名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと言うのは分かるが、ここは帝国ではないし相手は絡んできた不良たちの仲間だ。
 そんな相手に素性を明かすなど、エリゼが呆れるのも無理はなかった。
 それに――

「アルフィン?」
「アルノールって確か……」

 周囲が騒がしくなる。
 ようやくアルフィンの正体に周囲の人々も気付き始めたのだろう。
 こうなることが分かっていたから、アルフィンを止めようとしたのだ。

「あー、やっぱりアンタたちがアシェンの連れてきた〝客〟か」
「……アシェンさんを知っているのですか?」
「説明したいところだが、ここを先に離れた方が良さそうだな」

 そう言われて周囲を見渡すと、状況を察してエリゼはアーロンに同意するのだった。


  ◆


「……姫様、どういうつもりですか?」
「場の空気が張り詰めていたから、和ませようと思って……」
「だからって、あんなところで名前を明かしたら騒ぎになるのは分かっていますよね!?」

 東方人街の一角にある料理屋で、エリゼから説教を受けるアルフィンの姿があった。
 ここは安くて美味い点心をだすことで知られているアーロンの馴染みの店だった。
 アーロンの案内で詫びを兼ねて食事を奢るからと言う理由で、この店に退避してきたのだ。
 一方で――

「まさか、声を掛けたのが他国の皇族とか……」
「……俺たち死刑になったりしないよな?」

 エリゼとアルフィンに声を掛けた男たちは、死刑宣告を受ける前の囚人のように店の隅で震えていた。
 相手がエレボニア帝国の皇女と知って、今更ながらに自分たちのしたことの愚かさを理解したためだ。

「あれ、放って置いていいの?」
「まあ、これでちょっとは懲りるだろう」

 フィーの問いに肩をすくめながら、そう答えるアーロン。
 ナンパという行為自体を否定するつもりはないが、複数人で取り囲むように女に絡むのは褒められたことじゃない。
 正直、連中には良い薬だとアーロンは考えていた。
 それに――

「それより、アンタが〈妖精〉だろ?」
「ん……知ってたんだ。そう言えば、黒月のお嬢様の知り合いなんだっけ?」
「こっちはアシェンから聞いた訳じゃないがな……。〝暁の旅団(アンタたち)〟は有名だしな」

 それもそうかと、アーロンの答えにフィーは納得する。
 いまやゼムリア大陸で〈暁の旅団〉の名前を知らない者はほとんどいないと言っていい。
 それほど勇名・悪評と共に、様々な尾ひれがついて噂は広まっていた。
 だからこそ、リィンも旅行中に襲撃を受けることを警戒していたのだ。

「大人しく引き下がったのは、私たちのことを知っていたから?」
「……それもある。だが、どう見ても非はこっちにあったからな」

 逆に言えば、男たちに非がなければ敵わないと分かっていても喧嘩を売ったとも取れる。
 どことなくアッシュに似ていると思いながらも、フィーは面白い男だとアーロンのことを評価する。
 恐らくは東方人街でも、それなりに名の知れた人物なのだと察することが出来た。

「こちらが、ご注文の点心セットです。熱いので気を付けてお召し上がりください」

 チャイナドレスに身を包んだ給仕が湯気の立った蒸籠をテーブルに並べる。
 見たことのない料理に興味津々と言った様子を見せるラクシャ。
 そして――

「アルフィンとエリゼの方はもう少し掛かりそうだし、冷める前に食べよっか」
「仕方がありませんね。冷めてしまっては作ってくださった方に失礼ですし……」

 フィーとラクシャはアーロン一推しの点心に舌鼓を打つのであった。



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