「ここが……共和国の首都イーディス」

 人口は凡そ七十万人。共和国の首都にして最大の都市に大きなキャリーバッグを携えた少女の姿があった。
 サラサラとしたプラチナブロンドのロングヘアーに、少し風変わりなゴーグル付きの帽子を被った青い瞳の少女。
 ラヴィアン・ウィンスレット。ノーザンブリア出身の〝猟兵〟だ。

「そこの君、ちょっといいかな?」

 巡回中の警察官と思しき男女に声を掛けられ、振り返るラヴィ。
 親は一緒じゃないのかや、そんな大きな鞄を持ってどこにいくのかと言った質問をされ、身分証を提示する。

「クロスベルの旅券と言うことは〝留学生〟か」
「はい」

 予め用意してあった回答を頭に思い浮かべながら、警察官の話に合わせるラヴィ。
 現在のクロスベルと共和国は微妙な関係にあるが、それはあくまで外交的な政治の問題でしかない。民間レベルでの交流は現在も続いていた。
 特にクロスベルには高等教育機関に相当する学校が大国の思惑によって制限されていたこともあり、近隣諸国への留学を希望する少年少女が多い。そのため時期的には少し早いが、他国での生活に早く慣れるために試験の数ヶ月前から準備に訪れる学生も少なくなかった。
 年相応の少女にしか見えないラヴィの容姿も相俟って、警察官も勝手に勘違いしてくれたのだろう。

「それじゃ、滞在先を教えてくれるかな? まだ決まっていないのであれば――」
「ネイトくん。相手は女の子なのに、ちょっと根掘り葉掘り聞きすぎよ?」
「いや、でも……クロスベルの出身なら万が一と言うことも……」
「こんな小さな子が〝例の猟兵団〟と関係がある訳ないでしょ。それにクロスベルからの旅行者がどれだけいると思ってるのよ」

 留学生に限らず商売で訪れる者や観光客も含めれば、何万人と言う人間がクロスベルと共和国を往来しているのだ。
 女の警察官が言うように、そのすべてを疑うのは物理的に不可能と言っていいし、職務に支障をきたすことになる。
 それに――

「相手が可愛い女の子だからって公私混同はよくないわよ? ダスワニ警部に相談した方がいいかしら?」
「ま、待ってください! この間も注意を受けたばかりなんですから、こんなことを警部に知られたら――」
「それはあなたの〝女癖〟が悪いのが原因でしょう。みんな噂してるのよ? 可愛い子を見かけたら、すぐに鼻の下を伸ばすって」
「そ、それは誤解ですよ!?」
「警部から叱責を受けたのも、色仕掛けに引っ掛かって犯人を取り逃しかけたからって聞いているのだけど?」
「うぐっ……」

 女性警官の畳み掛けるような正論に、反論の言葉を失う男性警官。
 二十代前半と思しき若い見た目や両者の関係から言って、男の方は新米警官と言ったところなのだろう。
 ごめんなさいねと謝罪して、男を引っ張っていく女性警官の後ろ姿をラヴィが眺めていると――

「やっほー。あなたがラヴィちゃんね」
「……ラヴィちゃん?」

 横から、また見知らぬ人物に声を掛けられる。
 ラヴィよりも明るいセミロングの金髪に、派手な格好をした二十代半ばと思しき女性。
 雑誌の表紙を飾るモデルと見紛うばかりのスタイルに色香の漂う女性だが、ラヴィは正体をすぐに察する。

「あなたが〝妖精〟の言っていた協力者?」
「そそ、イセリア・フロスト。ラヴィちゃんと同じ〝北〟の出身だから、よろしくね」
「……同じじゃない。私は〈北の猟兵〉を脱退した訳じゃないから」
「そうなの?」

 思ってもいなかったラヴィの回答に、首を傾げる仕草を見せるイセリア。
 てっきり自分のように〈暁の旅団〉からのスカウトを受けたから、ラヴィも任務に参加したのだと思っていたのだろう。
 とはいえ、いまの〈北の猟兵〉は〈暁の旅団〉の傘下に収まっている下部組織のようなものだ。
 ラヴィが〈北の猟兵〉に残った理由は分からないが、それならそれでとイセリアは気持ちを切り替える。
 同じ団に所属していなくとも、同じ〝依頼〟を受けた仲間であることに変わりはないからだ。
 仕事に支障をきたさないのであれば、それでいい。その辺りの割り切りの良さは、彼女も猟兵と言うことなのだろう。

「まあ、仕事さえちゃんとしてくれるなら、ラヴィちゃんの事情を詮索するつもりはないけど」
「問題ない。そのくらいは私も弁えてる」
「でしょうね。そうでないと〝妖精〟が仕事を任せるとは思えないし」

 足を引っ張るような人間をフィーが寄越すとは、イセリアも本気で考えてはいなかった。
 それに直接の面識はないが、ラヴィアン・ウィンスレットの名はイセリアも以前から知っていたからだ。
 十四歳で北の猟兵に入団し、僅か一年で本隊への参加が認められ、紫電の再来とまで呼ばれた少女の噂を――

「長旅で疲れてるでしょ? 宿まで案内するからついてきて」

 イセリアの言葉に頷き、そのあとについていくラヴィ。
 故郷の北の大地から遠く離れた地で、複雑な想いを抱えながらラヴィの新たな生活が始まろうとしていた。


  ◆


『悪いことは言わねえから、この件には首を突っ込むな』

 それが情報屋をしている友人からヴァンが受けた忠告だった。
 ヴァン自身、龍來のニュースをラジオで耳にしてから不穏な気配は感じ取っていたのだ。
 それだけに友人の反応は予想していたのだが――

「確かに、こいつは手に余るな……」

 頑なに口を割ろうとしない友人が唯一教えてくれた情報。
 それが、あの〈暁の旅団〉の団長が仲間と共に共和国へきていると言う内容だった。
 龍來の一件にも〈暁の旅団〉が関わっていると言うことは、その話の内容からも察せられる。
 政府が情報を伏せるはずだと納得する一方で、この問題が自分の手に余ると言うこともヴァンは理解していた。
 とはいえ、

「このタイミングで依頼人からの呼び出しか。嫌な予感しかしねえ……」

 宿に届けられた一通の手紙。それはヴァンを煌都へと呼び出した依頼人からのものだった。
 仕事で来ているのだから、依頼人からの呼び出しがあること自体は別に不思議な話ではない。
 しかし今回の依頼は相手が相手だけに、依頼を受ける前から警戒はしていたのだ。
 そして、龍來の一件だ。これがただの偶然とは、ヴァンには思えなかった。

「間違いなく厄介事だろうが、無視する訳にもいかねえしな」

 しかし、依頼の内容を聞く前から逃げるような真似は出来ない。
 そんな真似をすれば下積み時代から築き上げてきた信用を失うことになるし、何より裏解決屋としてのプライドが許さなかった。
 この世界に足を踏み入れてまだ一年ほどの新参者に過ぎないが、それでもヴァンにはヴァンなりの流儀があるからだ。
 そのため、

「取り敢えず、指定された場所に行ってみるか」

 不穏な気配を感じながらも覚悟を決め、ヴァンは手紙に書かれた場所へと向かうのであった。


  ◆


 ヴァンが向かったのは新市街にある高級ホテルの一つ、九龍ホテル。
 黒月が経営に関わっていることで知られる九龍グループ傘下のホテルだ。

「ヴァン・アークライド様ですね。伺っております。どうぞ、こちらへ」

 ホテルのロビーに入ると、案内人と思しき男がヴァンの到着を待っていた。
 隙のない身のこなしから相応の使い手であることを察しながらも、ヴァンは大人しく男の案内に従う。
 男が〈黒月〉の関係者であることは間違いないし、依頼の内容を聞くために足を運んだのに抵抗したところで意味はないからだ。
 エレベーターに乗せられ案内されたのは、一般客はまず立ち入ることのないホテルの最上階フロアだった。
 赤い絨毯が敷き詰められた廊下には、如何にも高級そうな調度品や美術品が統一された間隔で並べられている。
 贅の限りを尽くしたと言わんばかりの光景にヴァンが舌を巻いていると、大きな扉の前で案内人の男の足が止まった。

「部屋の中にお進みください」

 案内はここまでと言うことだろうか?
 扉の脇で頭を下げる男の言葉に従い、ヴァンは扉の奥へと進む。
 そして、廊下と同じ赤い絨毯が敷き詰められた部屋に足を踏み入れると、新市街を一望できる一面ガラス張りの窓の前にヴァンを呼び出した男は立っていた。
 東方三大拳法の一つ〈月華流〉の達人にして、白蘭竜の二つ名で知られる黒月の幹部。
 ヴァンが出来ることなら一番〝借り〟を作りたくないと思っている相手。
 ――ツァオ・リー。それが、ヴァンを煌都に呼んだ男の名であった。

「ようこそ、お越し下さいました。大凡一年振りと言ったところですか? 思っていたよりも早く再会が出来て嬉しい限りです」
「俺は出来ることなら、アンタとは会いたくなかったんだがな……」

 下積み時代、煌都で生活していたことのあるヴァンは〈黒月〉からの依頼を引き受けたことがあった。
 依頼と言っても裏稼業に足を踏み入れたばかりの新参者に回ってくる仕事など限られている。
 ましてや殺しや強請など、犯罪に加担する仕事は請けないと決めているからには尚更と言っていい。
 そんなヴァンの懐事情を知ってか、仕事を紹介したいと近付いてきたのがツァオだったと言う訳だ。
 実際ツァオの紹介した仕事は合法とは言えないが、どれもヴァンの流儀に反するものではなかった。
 ギルドに依頼するのは憚られるが、犯罪とまでは言い切れないグレーな仕事。
 しかし、

「つれないことを仰る。これでもビジネスパートナーとして良い関係を築けていたと思っているのですが……」
「よく言うぜ。散々、人を利用して面倒事を押しつけておいて……」

 昔のことを思い出しながら、辟易とした表情を見せるヴァン。
 確かに希望に沿った仕事であったことは認める一方で、体よく利用された感の否めない後味の悪い仕事だった。
 煌都での活動を早々と二ヶ月で打ち切り、活動場所を首都へと移したのもそれが主な理由と言っていい。
 だから本来なら〈黒月〉からの依頼は二度と受けるつもりはなかったのだ。
 しかし、不本意ながらツァオに〝借り〟があることも事実だった。
 利用されたとはいえ、裏稼業をはじめる足掛かりにはなったし、そのお陰で築けた人脈もある。
 いま裏解決屋の仕事が上手く行っているのも、黒月の依頼をこなした経験と実績があってこそだとヴァンも理解していた。
 だからこそ最後にもう一度、ツァオに借りを返す意味で煌都に足を運んだのだ。
 とはいえ、

「分かっていると思うが、どんなに割の良い仕事でも〝流儀〟に反する依頼は受けるつもりはない。マフィアの片棒を担ぐつもりはないからな」
「承知しております。ヴァンさんとはこれからも良い関係を築いていきたいと思っていますので、こちらとしても無理強いをするつもりはありません。ただ〝厄介事〟を抱えておりまして、いまは人手が足りていないのも事実。ヴァンさんには〝裏解決屋〟として、手を貸して頂けないかと思いまして」

 物は言いようだが、ようするにツァオが〝厄介事〟を任せようとしていることだけはヴァンにも理解できた。
 ツァオのことだ。合法とは言えないまでも、ヴァンの流儀に反するような仕事を任せるつもりはないのだろう。
 それでも裏解決屋の力が必要な状況にあると言うことだ。
 いや、自分に仕事を依頼するのも数ある〝保険〟の一つに過ぎないのだろうとヴァンは考える。

「厄介事って言うのは、例の〝猟兵団〟のことか?」
「おや、ご存じでしたか」

 驚いた様子を見せてはいるが、それが演技だと言うことをヴァンは分かっていた。
 この街は〈黒月〉の監視下にある。当然、ヴァンが情報屋をしている友人の元へ足を運んだことも掴んでいるはずだ。
 なら、そのことをツァオが知らないはずがない。
 分かっていて、とぼけていると言うことは容易に察せられた。
 それに――

「ご存じなら話が早い。ヴァンさんには〝噂〟を聞いて集まってきた者たちの対応をお願いしたいのです」

 予想はしていたが、想定を超える無茶振りにヴァンの口からは溜め息が溢れる。
 暁の旅団の噂を聞いてやってきた者たちというのが、どういう連中かは想像に難しくないからだ。

「過激な思想を持った危険人物の対処は我々が行いますのでご心配なく。ヴァンさんには、それ以外の対処をお願いしたいのです」
「……腕に自信のある入団希望者とか、この機会に名前を売ろうとしている連中の相手をしろってことか?」
「概ね、そのように受け取って頂いて構いません」

 バカな連中がバカなことをする前に対処しろと言うことなのだと、ヴァンはツァオの話を解釈する。
 とはいえ、ヴァンもそれなりに腕が立つとはいえ、常人の域を逸脱するほどではない。
 まともに正面から戦えば、ツァオにも勝てないだろうと言うことはヴァン自身が一番よく分かっていた。
 自分一人では手に余ると判断して、どう断ったものかと模索するヴァンに――

「お一人では大変かと思いまして、助っ人を用意していますから一緒に行動して頂ければと」

 逃げ道を塞ぐかのように、ツァオは助っ人の用意があると追加の条件を提示する。
 黒月から腕の立つ人間をだしてくれるのであれば、確かに条件としては悪くない話だ。
 しかし、それでは借りを返しに来て借りを作るという本末転倒なことになりかねない。
 何よりヴァンは依頼を引き受けること自体は構わないが、マフィアと深い繋がりを持つつもりはなかった。
 そのため、ツァオの提案を断ろうと考えたのだが――

「ご安心を。〝彼女〟は〈黒月〉の人間ではありませんから」
「……彼女?」
「ええ、それにどちらかと言うと当事者でもあり、今回の〝依頼人〟でもあります」

 黒月からの依頼だと思っていたヴァンは、まさかのツァオの言葉に驚く。
 ツァオの裏に本当の依頼人が隠れていたとは思ってもいなかったからだ。
 だが、これで合点が行く。

「……なるほどな。〝恩〟を売る相手が違っていた訳だ」
「フフッ、どう受け取って頂いても構いません。あとは当事者同士、話し合って頂ければと」

 ツァオはヴァンを紹介することで、本当の依頼人に貸しを作ることが出来る。
 そしてその相手とは、裏の組織と繋がりを持ちたがらないヴァンでも断り難い相手と言うことだ。
 当事者という言葉からも、ヴァンには相手の正体が大凡察しが付いていた。

「話は済んだようですね。では、自己紹介をしても?」
「――ッ!?」

 いつからそこに潜んでいたのか?
 まったく気配を感じさせず、ヴァンの前にその女は現れた。
 東方の民族衣装と思しき戦闘装束に身を包んだ黒髪の女性。
 色香の漂う艶めかしい肢体に目を奪われそうになるが、身に纏うオーラは常人のものと違っていた。

「私の殺気を受けても動じませんか。あの〝白蘭竜〟が推すだけのことはありますね」

 ――冗談じゃない! と、心の中で舌打ちをするヴァン。
 これ以上の〝地獄〟を知っているヴァンだから耐えられたが、女の放った殺気は常人であれば気を失っても不思議では無いほど濃厚なものだった。
 一人や二人ではない。
 数多の人間を手に掛けたことのある本物の凶手でなければ、決して身に纏うことの出来ない本物の殺気。
 暁の旅団と関係があり、それだけの殺気を放てる凶手など一人しか思い浮かばない。

「東方人街の魔人……伝説の凶手って奴か」
「どうやら自己紹介は不要のようですね。お察しの通り、私が〈(イン)〉です。いえ、いまはこう名乗った方が正しいでしょうね」

 ――暁のリーシャ・マオと。



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