エレボニア帝国東部クロイツェン州の南西、レグラムの湖畔に佇む遺跡――ローエングリン城。
 槍の聖女リアンヌ・サンドロットが率いた〈鉄騎隊〉の本拠地であったことで知られる古城だ。
 現在はアルゼイド家の管理下にあり、先の内戦で外壁が崩れてからは城が佇む小島への立ち入りは制限されていた。
 そんな本来なら誰もいないはずの廃墟と化した古城に、サイドで長い髪を束ねた青髪の女性の姿があった。

 ――クレア・リーヴェルト。

 嘗ては鉄道憲兵隊に所属し、氷の乙女の名で恐れられていたアイアンブリードの一人だ。
 しかし現在は〈暁の旅団〉に所属しており、ここには団の仕事で訪れていた。

「生存者は?」
「二名だけです。残りの者は全員……」

 団員の報告を聞きながら周囲の様子を観察するクレアの視線の先には、成人と思しき男女の遺体が複数転がっていた。
 倒れているのは〈暁の旅団〉の団員ではない。古城に潜伏していた〝テロリスト〟たちだ。
 クレアに与えられた任務。それは〈帝国解放戦線〉の名を騙る集団の調査と確保であった。
 そう、情報を得るのが目的であったため、皆殺しにするつもりなどなかったのだ。
 しかし、結果はこの有様。こうなった理由は明らかだった。

「……グノーシス。それも恐らくは報告のある〝改良型〟ですか」

 先の北方戦役でも使用が確認されたグノーシスの改良型。人間を異形の姿へと変える悪魔の薬だ。
 古城に潜伏していたテロリストたちは全員、この薬を服用していた。
 その人間離れした身体能力と驚異的な再生能力は、幻想機動要塞での戦闘データからも軽視できるレベルではない。
 手加減をすれば、床に転がっていたのは間違いなくクレアたちの方であっただろう。

「子爵閣下の留守を狙い、この場所を潜伏場所に選んだことといい、想定よりも厄介な相手かもしれませんね」

 少なくとも〈帝国解放戦線〉の名を騙っているだけの素人の集まりだとクレアは考えていなかった。
 グノーシスをどこから手に入れたのかと言った疑問もあるが、状況から察するに情報収集能力に長けた人物が背後にいることだけは間違いないからだ。
 そもそもミュゼが不在の状況とはいえ、オーレリアやウォレスがいて組織の名前以外の情報を得られていないと言う時点で、この問題の厄介さを物語っている。政府に不満を持つ平民で構成された組織という以外は、ほとんど何も分かっていない状況であるからだ。
 平民が貴族に劣っているとは思わないが、それでも身分制度が何百年と続いてきたこの国で、平民が国家や貴族に対して反旗を翻すことの難しさをクレアは誰よりもよく知っていた。
 実際、クロウもカイエン公と手を組むことで貴族の支援を得て、ようやく組織をまとめることが出来たのだ。
 情報を得る手段もそうだが、武器や弾薬を揃えるのには金がかかる。
 数人ならまだしも組織の規模が大きくなるほど、必要な資金は膨らんでいく。
 そのため、この国で何の後ろ盾もなしに平民が一から組織を築くことは、ほぼ不可能に近かった。
 となれば、彼等の背後には莫大な資金力を持つスポンサーが存在することになる。
 現在の政府に対して不満を持ち、再び内戦を企てている貴族か、もしくは――

(この国の貴族でないとすれば、他国の介入……)

 彼等の背後にいるのが貴族でないとすれば、共和国の工作である可能性が一番高い。
 しかしあのサミュエル・ロックスミスが、このような計画に加担しているとはクレアには思えなかった。
 確かに帝国と共和国は領土問題を巡って長きに渡って争い続けてきたが、その一方で手を取り合えるところは協力し、ゼムリア大陸の発展に寄与してきた。
 経済や文化など互いになくてはならないほど深く結び付いている点も多く、帝国の混乱は共和国にメリットがあるように見えてマイナスとなる部分も少なくないのだ。
 実際、帝国で内乱が起きていた時期、共和国でも反移民団体の活動が活発となっていた。
 経済的な結び付きが強いからこそ、政治や文化と言った側面でも影響を受けやすいと言う側面があるからだ。

 その証拠にクロイツェン州を治めるアルバレア公が、共和国と内通していた事実が先の内戦で確認されている。
 共和国の狙いは貴族派を支援することで新たな政権に貸しを作り、自分たちに有利な条約を結ぶことにあったのだろう。
 だが、それもエレボニア帝国という国がなくなってしまっては意味がない。
 いまの帝国と共和国は表向きは対立しているように見えて、互恵関係にあるからだ。
 なのに平民の組織に協力して仮に革命を成功させれば、共和国にも少なくない混乱がもたらされるはずだ。
 そのことに、あの古狸とまで言われるサミュエル・ロックスミスが気付いていないとは思えない。
 となれば、別の勢力が今回の一件に関わっていると見るのが自然であった。
 それもグノーシスを手に入れることが出来、莫大な資金力を持った何者かが背後にいることになる。

「負傷者の手当てを最優先に――絶対に死なせてはいけません」

 ただ踊らされているだけであれば、帝国解放戦線を名乗る彼等は何も知らない可能性が高い。
 それでも手掛かりを失う訳にはいかないと、クレアは団員に指示を飛ばすのであった。


  ◆


 新市街のオフィス街の中心には、煌都のランドマークと呼べる巨大な建造物がそびえ立っていた。
 ――ラングポート貿易センタービル。『煌天楼』の名で知られる煌都最大の高層ビルだ。
 そんな新市街を一望できる最上層の応接室に〝リィン〟の姿があった。

「さすがに金を掛けてるな」

 オルキスタワーから眺めたクロスベルの街並みを頭に思い浮かべながら、リィンはそんなことを口にする。
 一面ガラス張りの窓から見える景色は、クロスベルと比較しても決して見劣りしないものだ。
 むしろ、近代的と言う意味では煌都の新市街の方が前世の記憶にある日本に近かった。
 林立する無数のビルに映画館やショッピングモールなどの商業施設。
 まだ中世のような街並みが広がっている国が少なくない中で、大陸でも有数の近代都市と言えるだろう。

「如何かな? 煌都の街並みは――」

 街の景色を眺めていると声を掛けられ、リィンが振り返ると目の前には恰幅の良い男が立っていた。
 如何にも高級そうなスーツを身に纏っているが嫌味がなく、メガネの奥に潜む優しげな眼差しからは人当たりの良さが滲み出ている。
 ある意味で、ツァオとは対照的な雰囲気を纏った男。その特徴からリィンは男の正体に察しを付ける。

「ファン・ルウ。黒月の幹部にして次期長老の一人か」
「光栄だね。キミのような有名人に名前を知ってもらえているとは――」
「よく言うぜ。猟兵の間でも、アンタの名前を知らない奴はほとんどいないはずだ」

 ――ファン・ルウ。
 アシェンやシンの父親にして、ツァオの直接的な上司とも呼べる人物。
 次の長老に最も近い人物と噂され、裏の世界に身を置く者であれば知らない者はいないと言い切れるほどの大物だ。
 共和国で第二位の資産を持つ九龍銀行の副頭取としての顔も持ち、表と裏双方で顔の売れた有名人だった。
 幾らなんでも知らないはずがない。

「私など父上と比べたら、まだまださ」
「ルウ家の現当主にして長老会の筆頭、ギエン老か。確かにあの爺さんと比べたら、アンタでもまだ子供扱いか」
「……父上と面識が?」
「いや、直接の面識はない。〝親父〟から話を聞いて知っているだけだ」

 リィンの話を聞いて、納得した様子を見せるファン。
 リィンの養父であるルトガーの噂は、ファンの耳にも届いていたのだろう。

「私も直接の面識はないが、先代の猟兵王殿の話は父上より伺っている。猟兵の中の猟兵であり、最も敵に回したくない人物であったと――」
「親父と似たようなことを言ってるな。ギエン老に対する親父の評価も、概ねそんな感じだった」

 お互いの話を聞いて噴き出すように、笑い合うリィンとファン。
 それだけ互いにとって、二度と敵に回したくないと思えるほどに厄介な相手だったと言うことなのだろう。
 実際ルトガーは腕も立つが、それ以上に広い視野を持ち、搦め手を得意とする歴戦の猟兵だった。
 ギエン老も黒月の長老の一角を担うとあって、一筋縄ではいかない厄介な人物だと噂だ。
 そんな二人が裏の仕事でぶつかるようなことになれば、どういう結果に落ち着いたのかは想像が付く。
 痛み分け。お互いに手を引かざるを得ない状況に追い込まれたのだと――

「ツァオから話を聞いていたとはいえ、実のところ少し警戒をしていたのだが……」
「なるほど。それで長老との面談を前に、アンタが品定めにきたと言う訳か。〝お供〟を引き連れて」
「――ッ!?」

 リィンの言葉に驚いた様子を見せるファン。
 彼が驚くのも無理はない。実のところ部屋の中には、ルウ家が抱える手練れの凶手を複数潜ませていたからだ。
 勿論リィンを襲わせるつもりなどなかったが、万が一と言うこともある。
 もしもの時の保険として、護衛の代わりに潜ませていた凶手の存在に気付かれるとは思っていなかったのだろう。

「……いつから気付いていたのかね?」
「最初からだ。さすがに上手く気配を隠してはいるが、こういうのには慣れててね」

 次の瞬間、リィンの身体から強烈な殺気が放たれる。
 常人であれば気が狂うほどの殺気に当てられ、ファンが息を呑むと――
 気配を消して姿を隠していた凶手たちが膝をつくように体勢を崩して、二人の前に姿を現す。

「おっと、動くなよ。余計な動きをすれば、命の保証はしない」

 蛇に睨まれた蛙のようにその場に固まり、身動きが取れなくなる凶手たち。
 リィンの言葉がただの脅しではないと、動いた瞬間に殺されると本能で悟ったのだろう。

「――その辺りにしてもらえるかね?」

 ファンや凶手たちが声を発するどころか指先一つ動かせない中、何者かの声が部屋に響くのであった。


  ◆


 呆然と立ち尽くすファンの横を涼しい顔で横切り、リィンの前に立つ一人の老人。

「ようやく姿を見せたか。――ギエン・ルウ」
「どうやら、儂が隠れていることにも気付いておったようだな」
「まあな。爺さんこそ、噂に違わないようで安心した。この程度の〝挨拶〟で身動きが取れなくなるようじゃ、先が思いやられるしな」
「フフッ、言いよるわ。だが、確かに平和ボケをして少し弛んでおるのやもしれんな」

 そう言って、睨み付けるような視線で凶手たちを一瞥するギエン。
 仮面の下で冷や汗を流しながらギエンの視線の意図を察して、凶手たちは再びリィンの前から姿を消す。

「御主もだ。儂のためを思っての行動であろうが、試す相手を間違えたな」
「……肝に銘じております。父上」

 ギエンの言葉に逆らうことなく、ファンは自分の対応が誤りだったと認める。
 もしもの時の保険にと連れてきた凶手たちであったが、その存在に気付かれた時点で目論見は失敗に終わっていたからだ。
 危害を加えるつもりはないと言ったところで、手練れの者を同行させて部屋に潜ませていた時点で弁明は難しい。
 圧倒的な強者を前にそのような真似をすれば、仮に殺されたとしても文句を言えない。
 しかも、相手は猟兵だ。ここが戦場なら弁明の機会すら与えられず、命を奪われていただろう。

「しかし、恐ろしい男よな。噂に違わぬ――いや、噂以上と言ったところか」

 真っ直ぐ視線を合わせながら、リィンの実力を見定めるギエン。
 息子が対応を誤ったように、ギエンにとってもリィンの力は想像を遥かに超えていたのだろう。
 十万の兵を壊滅させたという情報が嘘だとは思っていないが、多少は誇張されたものと考えていたからだ。
 騎神の存在があってこそのものだと、心の何処かで考えていたのかもしれない。
 しかしリィンの身に纏う人外とも言える覇気と、いままでに感じたことのない濃密な死の気配からギエンはすべてを察したのだ。

「我等の〝命運〟はヌシが握っておる。それだけの力をもって、何を為す?」

 黒月が力のすべてを結集してもリィン一人に一蹴されると理解した上で、ギエンは尋ねる。
 敵に回すのは危険な相手。だからと言って、放置も出来ない厄介な存在。それが黒月から見た今のリィンの立ち位置だった。
 弱肉強食の摂理が〝法〟や〝言葉〟に勝る裏の世界において、圧倒的な強者を前に取れる手段など限られている。
 相手が対等な会話を望んだところで、自らを一方的に滅ぼせる相手と対等な関係が成立するはずもないからだ。
 実際、黒月もそうしてきた。力を誇示することで、自分たちのルールを他の組織に押しつけきたのだ。
 共和国の裏の秩序はそうして保たれてきた側面がある一方で、自分たちも定めから逃れられないことをギエンは悟っていた。
 だからこそ、リィンの真意が知りたかったのだろう。
 その選択が共和国の未来と、黒月の命運を左右すると考えたからだ。

「最初に言ったはずだ。俺は喧嘩をしにきた訳じゃない。求めているのは〝対話〟だと」
「……ヌシはそれが通用すると思っておるのか?」
「通じるさ。アンタたちの流儀で言えば、強者こそがルールなんだろう? なら、俺の〝やり方〟がそのままルールになるってことだ。違うか?」
「……違わぬな」

 リィンとて裏の世界のルールは理解している。
 だからこそ、どんなに言葉を尽くしたところで疑念を晴らすことは出来ないと言うことが分かっていた。
 なら黒月がしてきたように、多少は強引でも力尽くで自分たちのルールに従わせてしまった方が話は早い。

「ヌシの考えは分かった。我等としてもヌシが対話を望むのであれば、拒む理由はない。しかし、ヌシが考えている以上に人は弱い生き物だ。強すぎる力は〝恐怖〟を生み、人心を狂わせる。そのような甘い考えでは近い将来、後悔することになるやもしれぬぞ」
「……まるで見てきたかのように言うんだな」
「ヌシよりも長く生きておるからな。そういう〝愚かな人間〟を知っておると言うだけの話だ」

 どこか昔を懐かしむように話すギエンの言葉に違和感を覚えながらも、リィンは年寄りの忠告として素直に受け取るのだった。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.