「一歩間違えると〈黒月〉と全面戦争でしたよ?」

 ギエン老とのやり取りを聞いて、呆れた口調で話すミュゼの姿があった。
 とはいえ、内心ではミュゼが今の状況を楽しんでいることにリィンは気付いていた。
 そもそもリィンを煌天楼に連れてきたのはミュゼだからだ。
 ファン・ルウとの会談だけでなくギエン老とのやり取りも織り込み済みだったのだろう。

「仮にそうなったら、その時だ」
「……ここは彼等の〝本拠地〟ですよ?」
「だから? 俺が〝遠慮〟する理由にはならないな」

 傲岸不遜とも取れるリィンの態度に、ミュゼの口からは溜め息が溢れる。
 しかし、それこそが彼等――猟兵のやり方であると言うことを、ミュゼは承知していた。
 法の力が及ばない裏社会において、力を伴わない言葉など意味がない。
 金や権力、暴力が支配する裏の世界において、弱者は強者のルールに従うのが摂理だ。
 そのためにも話し合いを望むのであれば、まずは力を示す必要がある。
 対等な存在だと相手に認めさせなければ、そもそも会話など成立しないからだ。
 黒月が共和国の裏社会における秩序を担ってきたのも、その絶対的な組織力があってこそだった。
 そんな相手と〝話し合い〟をしようと言うのだ。対等な関係を望むのであれば、黒月を脅かす存在でなければ意味がない。
 だからこそ、リィンは危険を承知でファンやギエンを相手にあのような対応を取ったのだろう。
 しかし、

「ギエン老はともかく他の長老たちが素直に応じるでしょうか?」
「まあ、無理だろうな。反対する奴は当然でてくるだろう」

 暁の旅団は確かに名前が売れてきてはいるが、たくさん存在する猟兵団の一つでしかない。
 共和国の裏社会を支配する黒月と比べれば、大陸最強と言っても小さな組織でしかないのだ。
 ルバーチェ商会を傘下に置き、クロスベル政府との繋がりがあると言っても資金力や組織力は黒月に劣る。
 少数精鋭と言えば聞こえは良いが、裏を返せばそれは組織としての規模は小さく人手が足りていないと言うことでもあった。
 ましてや百年以上に渡って存在してきた黒月と比べれば、ぽっと出の新参者でしかない。
 そんな相手と対等な――五分の関係を築くなど、黒月の長老たちにとっては受け入れ難い話だろう。

「十万の帝国軍を殲滅したという事実や、ルウ家が力を認めても……ですか?」
「人間、自分の目で見たものしか信じないものだ。いや、仮に分かっていても信じがたい現実から目を背けようとする。それはお前が一番よく分かっているんじゃないか?」
「……耳の痛い話ですね」

 先の内戦で亡くなった叔父やバラッド候のことを言われているのだとミュゼは察し、苦い顔を浮かべる。
 先代のカイエン公はともかく、ミュゼの大叔父であるバラッド候は〈暁の旅団〉の力を知っていたはずなのだ。
 しかし自分たちに都合よく物事を考え、あくまで〝噂〟としてリィンの力を過小評価した。
 その結果が貴族派の壊滅であり、ノーザンブリアの戦争の結果だ。
 現在は捕らえられて裁判を待つ身だが、それでも未だに現実を受け入れられず牢の中で無実を訴えているという話だった。
 戦争を引き起こし、多くの人間を死に追いやったと言う自覚がバラッド候にはないのだろう。

「それに、この状況はギエン老にとっても筋書き通りだろう。お前も本当は気付いているんだろう?」
「……やはり、侮れない人ですね。ええ、これは組織の分断を招きかねない状況ですが、根の腐らない大樹は存在しない」

 組織の腐敗。それは黒月とて避けられないものだとミュゼは考えていた。
 百年以上もの間、これだけ巨大な組織を維持し続けてきたのは尊敬に値するが、人の寿命には限りがある。
 そして、代が変われば考え方や思想も変わる。
 彼等が〝掟〟と位置付けていることも、絶対的なものから少しずつ形骸化していく。
 しかし、これだけ大きな組織となると自分たちの力だけで改革を成し遂げるのは難しい。
 膿をだすにしても外からの刺激が必要と言うことだ。

「長きに渡って続いてきた長老会の改革。若干、利用されている感は否めないが、アイツには貸しを作っておいた方が良さそうだしな」
「アイツ? リィンさん、まさか最初から……」

 ニヤリと笑うリィンを見て、最初からすべて仕組まれていたのだとミュゼは察する。
 自分も駒として利用されたのだと――
 いや、今回の計画。リィンも自分が駒の一つであると理解した上で、流れに乗ったのだろう。
 となれば、ファンでもギエン老でもない。この筋書きを描いた黒幕は恐らく――

(……ツァオ・リーですか)

 白蘭竜の二つ名を持つ黒月の幹部。
 恐ろしく頭の切れる人物だというのはミュゼも知っていたが、想像以上だと認識を改める。
 しかし、今の状況はミュゼにとっても悪いものではなかった。
 この計画が上手くいけば、黒月に貸しを作ることが出来るからだ。
 これからのことを考えると、共和国の裏組織とのパイプはあって困るものではない。

「いえ、なんでもありません」

 この件には触れない方がメリットが大きいと考え、ミュゼは深く追求しないことを決めるのであった。


  ◆


「ルウ家の提案に大半は静観、反対は一家のみか」

 意外だな、とアシェンの話を聞きながら呟くリィン。
 黒月の最高幹部である長老会に名を連ねる家の内、明確に反対の立場を示したのは一家のみだと言うのだからリィンが驚くのも無理はない。
 しかし、

「あんな真似をしておいてよく言うわ」
「あんな真似?」
「龍來のことよ。例の噴火騒ぎ、あなたたちの仕業なんでしょ?」

 ルウ家の提案に大半の長老家が反対の立場を示さなかったのは、龍來の事件が影響しているとアシェンは考えていた。
 ただでさえ〈暁の旅団〉が裏社会に与えた衝撃は大きなものだったのだ。
 そこに加えて、先日の事件。
 裏社会に身を置く者であれば、龍來の騒動に〈暁の旅団〉が関わっていることに気付いている。
 黒月の長老たちも、龍來での騒ぎをリィンからの〝警告〟と受け取ったに違いなかった。

「大半の長老家は畏縮してしまって、出来ることなら様子見したいというのが本音でしょうね」
「ルウ家が個人的に関係を持つことを止める理由はない。だが、黒月としての対応は状況次第と言ったところか」
「そういうこと。長老たちもバカじゃないわ。あなたたちと事を構えるリスクは理解している」

 だからこそ、暁の旅団との〝同盟〟という話を持ちだしたルウ家の提案に賛成も反対もしなかった。
 問題が起これば、すべてルウ家に責任を押しつけてしまえばいいだけの話だからだ。
 逆に〈暁の旅団〉との関係が黒月に益をもたらすのであれば、ルウ家に追従すればいい。
 それが他の長老家の考えなのだろう。

「だが、反対した長老もいるんだろう?」
「……ライ家のことね」

 長老会の筆頭はルウ家だが、次席に名を連ねているのがライ家だった。
 次席と言っても構成員の数や資金力共に、ルウ家に見劣りしない武闘派の長老家。
 最近はよくない〝噂〟も耳にするが、かの家が黒月の一角を担っていることは紛れもない事実だった。
 それだけに反対したのが一家だけとはいえ、軽視することも出来ない。

「どんな〝条件〟をだしてきたんだ?」
「……実力を見せて欲しいらしいわ。ライ家の用意した戦士と戦って勝てば、あなたたちを認めるそうよ」
「随分と上から目線だな」
「それだけ自信があるのでしょうね。ライ家には月華最強と噂される拳士もいるから……」

 なるほど、とアシェンの話を聞いてリィンは納得した様子を見せる。
 仮にリィンがライ家の代表に敗れるようなことになれば、ルウ家には見る目がないと証明することが出来る。
 次席に甘んじるつもりはなく首席の立場を狙っているライ家からすれば、ルウ家を追い落とす絶好の機会と言うことなのだろう。
 しかし、アシェンの言うように自信があるのだとしても、分の良い賭けとはリィンには思えなかった。
 仮にも長老会の一角を担う家だ。それも次席となれば、相応の情報収集能力を持っているはず。
 噂をすべて信じていなくとも、リィンが相応の実力を有していることはライ家の者たちも理解しているはずだ。

(それでも勝てる自信があると言うことか? 自惚れでないのだとすれば……)

 月華最強の拳士と言うのがどの程度の実力なのかは分からないが、最強と言うからには同じ流派の使い手のツァオより強いことは間違いないだろう。
 だが、ツァオが相手であれば間違いなくリィンが勝つ。
 少なくともオーレリアやヴィクタークラスの実力がなければ、勝負にすらならないだろう。
 そう考えると剣聖クラスの実力を持ち、勝算が十分にあると考えるだけの何かがあると言うことだ。

「負けないわよね? 正直、勝ってもらわないとルウ家としては困るのだけど……」
「さてな。相手の実力が分からないことには何とも言えないが、負けるつもりはないから安心しろ」

 歯切れの悪い返事に不安を覚えながらも、アシェンは決闘の日時と場所をリィンに伝えるのであった。


  ◆


(これが〝銀〟か……)

 息一つ乱さず床に転がった男たちを見下ろすリーシャの姿に、ヴァンは息を呑む。
 床に転がっている男たちは、暁の旅団の噂を聞きつけて煌都に集まってきた裏社会の人間だ。
 実力はマチマチで目的も様々だが、仮にも裏社会に身を置く者たちだ。
 大半は半グレと言ったチンピラに毛の生えた程度の相手ばかりだが、なかにはヴァンと同等か、それ以上の使い手も含まれていたのだ。
 だと言うのに、そうした実力者たちをリーシャはほぼ一撃で意識を刈り取っていた。
 殺してはいないようだが、それも圧倒的な実力差がなければ不可能なことだ。
 伝説の凶手――噂くらいは耳にしたことのあるヴァンだったが、リーシャの実力を目の当たりにして噂以上だと感じていた。

「暁の旅団っていうのは、アンタみたいな実力者ばかりなのか?」

 噂くらいはヴァンの耳にも届いているが、どれも信憑性の乏しい話ばかりで誇張されているのか真実なのか分からない。
 赤い星座や西風の旅団と違い、まだ起ち上げから日の浅い猟兵団と言うことも理由の一つにあるのだろう。
 短期間で多くの実績を上げているが、それだけに裏付けの難しい話も多いと言うことだ。

「私なんて、まだまだです。単純な戦闘力だけで言うのなら、上はたくさんいますから」
「マジかよ……」

 リーシャよりも上の実力者が大勢いると聞いて驚くヴァン。
 信じがたい話ではあるが、リーシャが嘘を吐いているとは思えなかった。
 まだ出会って数刻とはいえ、彼女が〝誠実〟な人間であることは察せられたからだ。
 凶手に対して誠実と言うのは奇妙な話かもしれないが、少なくとも仕事については信頼の置ける人物だとヴァンは考えていた。
 と言うのも仕事を請ける条件として、ヴァンはリーシャに〝可能な限り人を殺さない〟という簡単なようで難しい条件を付けていたからだ。
 民間人の安全と命を最優先とする遊撃士と違い、裏社会の人間同士の戦いは文字通り命の奪い合いとなるケースが多い。
 相手が殺すつもりで向かってきていると言うのに、殺さずに捕らえると言う行為は自らの命を危険に晒しかねない。
 かなりの実力差がなければ難しいことから自分でつけた条件とは言え、何人かは命を落とすことをヴァンも覚悟していたのだ。
 しかし、いまのところ誰一人として命を落とした者はいなかった。
 そのことから出会った時と比べれば、ヴァンのリーシャに対する警戒も薄れていた。
 まったく警戒していないと言う訳ではないが、少なくとも〝約束〟は守る人物だと分かったからだ。

「もう一つ聞いてもいいか? アンタたちの団長、リィン・クラウゼルの噂はどこまでが本当なんだ?」

 だからこそ、ずっと気になっていたことをヴァンはリーシャに尋ねる。
 リーシャの実力は噂に違わぬものだった。
 しかしそれでも尚、リィンについての話は信憑性に欠けるものばかりだ。
 幾ら強いと言っても一人の人間が大国の軍隊を圧倒し、十万の軍を壊滅させるなんて真似が出来るとは思えない。
 仮にそんなことが出来る人間がいるとすれば、もうそれは人の枠を超えた〝怪物〟だ。

「真実ですよ。何一つ誇張はされていません」
「じゃあ、軍隊を一人で壊滅させたって言うのも……」
「事実です」

 寸分の迷いもなく答えるリーシャを見て、それが嘘ではないと言うことに嫌でもヴァンは気付かされる。
 そして、ずっと忘れようとしていた忌まわしい記憶がヴァンの頭を過る。
 普通の人間には絶対に不可能なこと。人の枠を超えた圧倒的な力。
 皆が噂し、リィンにつけられたもう一つの二つ名――魔王。
 暁の魔王などとも呼ばれているが、もし本当にそんな力をリィンが持っているのだとすれば――

(くそっ……ありえないだろ!)

 胸がざわつくのを感じながら、ヴァンは自らの考えを否定する。
 もし自分の想像が当たっていた場合、想定よりも遥かに危険な人物だと分かるからだ。
 それだけに放って置くことなど出来ない。〝確かめる〟必要があると感じていた。

「この仕事が終わったら、もう一つ〝報酬〟を追加してくれねえか?」
「報酬ですか? 私の一存では決められませんが、それでよければ……」
「構わない。この仕事が終わったら――」

 アンタたちの団長に会わせてくれ――
 と、ヴァンはリーシャに追加の報酬を要求するのであった。



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