ここは全年齢対応の小説投稿掲示板です。小説以外の書き込みはご遠慮ください。

滝野純一物語 第4話「トランペット、無音、音楽室にて」
作者:こー   2025/09/20(土) 23:39公開   ID:5OJ6yzoy51A
「じゃ、行ってくるわ」
純一と、妹で中学3年生のさやかはそう言って母親の美樹にそう言う。美樹も手を振り、奥では父親の祐二が出勤の準備をしている。
口では元気よく「行ってくるよ」と言ったが、数日経った今も、滝野は憂鬱な気分から抜け出せずにいた。優子の温かい、しかしどこか見透かすような言葉が、ずっと頭から離れない。
陰鬱な表情で学校に登校する純一。駅に向かうバスの中。何度も家の方向を見る。駅に着いてからも、足が家の方に向かいかけ、それを必死で抑える。電車の中でも心臓の鼓動が以上に激しく、学校の門をくぐる時に至っては、まるで刑場の階段を登る死刑囚のような気分だった。
(「何かあったら、私に相談しなさい」…って、何をだよ。相談することなんて、何もないだろ……それに、どんな気持ちで話せばいいんだよ…)
ため息をつきながら、昇降口に向かっていると、不意に、音楽室からかすかにトランペットの音が聞こえてきた。また香織先輩だろうか。そう思い、少しだけドアを開けて中を覗くと、意外な人物がいた。高坂麗奈だった。
麗奈はユーフォニアムを手に取り、慣れない様子で音を出そうと試みていた。しかし、出てくるのは「ブフー」という情けない音ばかり。何度も何度も挑戦しているが、成功する気配はない。
「…何してるんだ、高坂」
思わず声をかけると、麗奈はビクリと肩を震わせ、振り返った。その顔は、珍しく動揺に満ちていた。
「…滝野さん」
「トランペットのあんたが、ユーフォなんて。どうしたんだよ」
「ちょっと、気になっただけです。トランペットとは、全然違うんですね…」
麗奈はそう言って、再びユーフォニアムに唇を当てた。しかし、やはり音は出ない。ただ空気が抜けるような、虚しい音だけが響く。
滝野は、そんな麗奈の姿をじっと見つめていた。高坂麗奈といえば、天才トランペッターとして、誰にも一目置かれている存在だ。そんな彼女が、こんなにも不器用に、一つの楽器と向き合っている。その姿は、どこか自分と重なるようにも思えた。
(オレも、香織先輩に憧れてトランペットを持ったんだ。最初っから、香織先輩みたいに綺麗な音が出せるわけないって、分かってたはずなのに…)
滝野は無意識のうちに、麗奈に声をかけていた。
「…コツ、教えてやろうか」
麗奈は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに真剣な眼差しで頷いた。滝野は、麗奈の持つユーフォニアムを手に取ると、ゆっくりと説明を始めた。唇の当て方、息の吹き込み方。一つ一つの動作を丁寧に、分かりやすく解説する。
麗野は、滝野の言葉を集中して聞いていた。そして、再びユーフォニアムを構え、深く息を吸い込んだ。
「ブー」
まだ完璧ではない。それでも、さっきまでの「ブフー」という情けない音とは違う、しっかりと楽器が鳴っている音だった。
「…すごい。鳴った…」
麗奈は、信じられない、といった表情でユーフォニアムを見つめる。その瞳は、まるで初めて楽器に触れた子供のように、キラキラと輝いていた。
その瞬間、滝野は、自分の中で何かが変わっていくのを感じた。香織先輩への叶わぬ恋に囚われ、ただただ悶々としていた日々。しかし、今、目の前には、ユーフォニアムを吹くことに、純粋な喜びを感じている麗奈がいる。
そして、その喜びに、ほんの少しだけ自分が関われた。
この部活に、まだ自分の居場所があるのかもしれない。そう思えた瞬間、滝野の心は、少しだけ軽くなった。
音楽室には、トランペットの音はなかった。しかし、確かな「音」があった。それは、楽器の音ではなく、二人の心が通じ合った、温かい音だった。
「ユーフォ、わかるんですか?」麗奈がそう問いかける。
「まあね。僕はもともと、音楽にはそんな興味なくてさ。いろんな楽器を調べたんだ。広く浅くだよ。あんまり期待しないで」
「そうなんですか。ああ、滝野さんに聞きたいことが」
少しの動揺を抑えつつ、冷静に振る舞う滝野。
「滝野さん、香織先輩に告白したそうですね。結果は…聞くまでもありませんでしょうけどね」
「あ…まあ…。俺みたいなやつと部活のマドンナは釣り合わないとか、思ってません?」
「あ、いやいや、そんなことないです」
「自分でもわかってるよ。そんなことぐらい。中高生男子っていうのはみんなそんなもんだからさ」
「そうですか。ありがとうございます」そう言って、麗奈は音楽室を出て行った。

----

翌日の昼休み、滝野は隣席の塚原奏汰つかはらかなたに、これまであったことを打ち明ける。
「ねえ、塚原さん」
「どうしたの?滝野くん」
「オレ、同じ部活の人に告ったんだ」
「誰に告ったの?中川夏紀だったら絶対に許さない」
「名前は、中…世古香織さんっていう先輩。うちの部活の天使みたいな人さ」
「おい。一瞬私をドギマギさせようとしただろ。っつーか、中世古香織?え?嘘でしょ?あの中世古さん?あんたよく告白しようと思ったな。クラスでもめちゃくちゃ人気だぞ。嫉妬とかされなかった?」
「けっこうめちゃくちゃ言われたよ。吉川優子って言うガーディアンがいてさ。『先輩があんたみたいな男のどこに目をつけろって言うのよ』って言われたわ(笑)こういうことを避けるために一応隠密行動したんだけどなぁ…」
「当たり前だ。で、結果は?」
「ご想像にお任せします」
「振られたんだね」
「当たり前。僕と香織先輩では釣り合わないよ」
「香織先輩、確かに人気って聞くしね…。私の幼馴染の中居達登なかいたつとも告白したらしいよ」
「要するに、俺と同じ人間ということか。結果は分かりきってるよ…」苦笑いする滝野。
「あの優しい雰囲気のままに振られて、数日間は何もできなかったって」
「そりゃきっついだろうよ。だけどさ、あの告白から、香織先輩と吉川が俺に優しくなったような気がするんだよ、明らかに。こっちも罪悪感があるわ」
「そうなんだ。2人ともみんなのことを考えるからね」
「オレ、塚原さんと話せて、いくらか心が楽になったよ」
「そう。嬉しいな」
滝野は、1期後輩の塚本秀一、瀧川ちかおと共に部費滞納の常習犯であった。香織は会計担当。そう、香織に構ってもらいたいというのもあるのだ。毎月初めに「滝野くん、部費」と催促される。決してポジティブなものではないとはいえ、滝野にとっては幸せなことだった。なんてことない日々がかけがえないの、妹が見ているアニメの歌詞に、こんなものがあった。
(憧れは…捨てなくていいよな…)
しかし、香織には振られてしまった。残念だが、当然のことだ。この日を境に、滝野は、中世古香織に抱いている恋愛感情、妄執にも似た感情を捨て、新たな未来へと進むことを考えるのだった。


■作家さんに感想を送る
■作者からのメッセージ
作者からのメッセージはありません。
テキストサイズ:5377

■作品一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集
Anthologys v2.5e Script by YASUU!!− −Ver.Mini Arrange by ZERO− −Designed by SILUFENIA
Copyright(c)2012 SILUFENIA別館 All rights reserved.