「はあ……お前も段々と太老に毒されてきたな」

 と、第一声は千冬姉のため息からはじまった。
 いや、何気にあの人と同類に扱われるのは大変に遺憾なんだが……。そもそも、なんでここに千冬姉がいるんだ?

「ちふ……織斑先生はどうしてここに?」
「今は就業中ではないからな。名前でいい」
「わ、わかった」

 どうも最近は織斑先生と呼ぶことの方が多くて、ぎこちなくなってしまう。
 やはり、身内がクラスの担任というのは色々と問題があるな。

「山田先生達と買い物だ。お前もそうなのだろう?」
「たち? えっと、まあ……」

 山田先生達と言うのが気になったが、敢えて質問はしなかった。
 まあ、千冬姉にも色々とあるんだろう。社会人だしな。プライベートにまで口を挟むような野暮な事はしない。
 千冬姉の視線に萎縮してしまったのか、女子達の方も先程までのような元気はなくなっていた。
 鈴やセシリアですら、遠慮して距離を取っているくらいだ。鈴など箒の背中に隠れている。
 というか、鈴の奴。まだ、千冬姉が苦手なところ変わってなかったんだな。

「あれ? 織斑くんじゃないですか。……えっと、デートですか?」
「そう……見えますか?」

 これがデートに見えるなら、山田先生はその曇った眼鏡を買い換えることをお勧めする。
 どこに三十人を超す女子に囲まれてデートをする男が居るって言うんだ。
 まあ、世の中にはホストなんて職業があるくらいだ。居ない事もないのかもしれないが、残念ながら俺はそこまでの甲斐性もなければ、そんなことが出来るほど器用な男では無い。

「山田先生。榊原先生は?」
「まだ洋服と睨めっこ中です。鬼気迫る表情で、店員の方が少し引いてました」
「そうか……」

 榊原先生? その人がさっき言ってた『達』の正体か。
 でも、千冬姉がこんなに疲れ切った表情をするなんて、余程のことがあったようだ。
 なんだか危険な香りがするし、訊かない方が身のためだな。
 榊原先生か。千冬姉にこんな顔をさせるなんて……今後のためにも要注意人物として名前を覚えておこう。

「あ、折角ですから、あの子達に手伝ってもらいます。榊原先生も若い子の意見が聞きたいでしょうし」

 そう言って、何かをひらめいたかのように言葉を発し、女子達の方に近付いていく山田先生。
 そのまま強引に女子全員を連れ、婦人服売り場の方へ消えていった。
 ううん……一体、何がしたいんだ? あの先生は……。

「……全く、彼女は余計な気を遣う」
「は?」
「ふう……やはり、お前には言っても仕方の無いことか」

 なんだかバカにされた気がした。
 とはいえ、そんなことを言えば、きっと凄い反撃が待っているに違いない。力でもそうだが、言葉でも千冬姉には勝てる気がしない。それもそのはず、お互いに良い部分も悪い部分も知り尽くしているし、俺は俺で千冬姉に頭が上がらないことがたくさんあるから当然だ。
 でも、なんとなく腑に落ちない言葉だ。

「丁度良い。お前に選んでもらうか」

 そう言って千冬姉が手に取ったのは、近くに置いてあった白と黒の水着だった。





異世界の伝道師外伝/一夏無用 第29話『乙女の買い物』
作者 193






「はあ……織斑先生が相手じゃ仕方ないか」

 真耶に連れられて婦人服売り場にやってきたシャルロットは、ついでにとばかりに自分用の服を物色していた。
 他の女子が相手ならまだしも、千冬が相手では張り合うだけ無駄。あの姉弟(きょうだい)の間に割って入っていける女子は少なくともこの場にはいない。
 それは、一夏と古くから付き合いのある幼馴染みのふたりとて同じことだった。

「ラウラ? 欲しい服でもあった?」
「いや……」

 言葉で否定しながらも、ラウラの視線は一着のワンピースへと向いていた。
 店頭のマネキンに掛けられた、恐らくは客寄せのために用意したのであろう一品物の洋服。
 夏らしく涼しげな感じの肩の露出した黒のワンピース。色白で艶やかな銀髪をしたラウラに、よく似合いそうな洋服だった。

「気に入ったなら試着してみたら?」
「しかし、私にこのような服は……」
「似合うと思うよ。一夏に見せたいんだよね?」
「うっ……」

 シャルロットの的確な指摘に、頬を染めてたじろぐラウラ。実はラウラは、ほんの少しシャルロットが苦手だった。
 昨晩から、同じ部屋で暮らすルームメイトになった二人。元々、誰とでも上手くやれるシャルロットと違い、ラウラは人付き合いが余り得意ではない。一言でいえば愛想がない、不器用。付き合って行く内に可愛らしい一面も見えてくるのだが、そこに気付くまでが大変。そのため、ラウラと同室だったルームメイトの女子が先に音を上げてしまった。
 そこで教師に部屋を変えて欲しいと女生徒が嘆願しているところを、『僕でよければ』とシャルロットが引き受けたのだ。
 ただ、シャルロットが部屋を変わるのを引き受けたのも、ある理由からだった。

 一夏との同室をラウラが希望していたことだ。

 当然そんな許可が下りるわけはないのだが、ラウラは一夏の部屋に忍び込んだ前科持ちだ。このままだとなし崩し的に、一夏の部屋に住み着いてしまう可能性だってある。しかも一夏のことを『嫁』と呼び、あの事件以降、一夏にベッタリの生活を送っていた。
 だが、それもラウラが世間知らずなのが原因。年相応の恥じらいと常識を身につければ、ラウラの態度も少しは変わるはず。そこでラウラの監視と教育を目的に、シャルロットは同室を願い出たのだ。
 それはラウラに振り回されてばかりの一夏のため、そして自分のためでもあった。

「あのーすみません。こちらの服を彼女に見せてもらってもいいですか?」

 丁度いいとばかりに行動に移すシャルロット。すぐに近くの女性店員へと声をかけた。
 ラウラが一夏のためとはいえ、洋服に興味を示したのは悪いことではない。これを切っ掛けに少しでも年相応の女の子らしさを身につけてくれれば、とシャルロットは考えた。
 でもそれ以上に、ラウラにこの服が似合うと思ったのも事実だ。

「あ、はい…………」

 そしてそれは、声を掛けられた店員も同じだった。
 ラウラを見て、かなり驚いた様子で硬直する店員。熱を帯びた瞳で甘い息を吐く。
 無理もない。そこにいるのは銀髪の妖精。童話の中から飛び出してきた登場人物のように、女性の目から見ても思わずため息が漏れるほどの美少女が、彼女の目の前にいた。
 実際、シャルロットの目から見ても、ラウラは文句なしに可愛らしかった。ただ、ラウラにとっては、この状況は余り好ましいものではなかった。
 今ラウラが着ているインナーに綿のカーディガンを合わせた実用性と女の子らしさを兼ね備えた服は、前に正木に訪れた際に太老の秘書達に強引に着せ替えをされ、そこでもらった服の一着だった。
 その時の記憶はラウラの心の奥に深く残り、ちょっとしたトラウマになっていた。
 そして、その時の秘書達と同じ眼をした店員がラウラの目の前にいる。身の危険を感じたのか、脅えた表情でじりじりと後退するラウラ。だが、そんなことで逃がしてくれるほど、店員もシャルロットも甘くはなかった。

「い、いや……私は」
「すぐにご用意します! 是非、こちらにどうぞ!」
「折角だから、僕はラウラに似合いそうな他の服を取ってくるね」

 迅速かつ丁寧に洋服をマネキンから外し、ラウラを試着室に案内する店員。
 シャルロットも店員に続き、棚からラウラに似合いそうな服を色々と物色しはじめた。
 そんな二人の目は爛々(らんらん)と輝いていた。


   ◆


 淑女同盟――暗黙の了解というものは必ず存在する。
 今回の買い物もそうだ。一夏からの誘いは別として、原則抜け駆けは禁止。千冬の件にしても、姉弟(きょうだい)水入らずの場に割って入るといった愚かな行動にでる者は、この場にひとりとしていない。
 織斑一夏は学園唯一の男にして、世界唯一の男性IS操縦者。
 幼馴染みや専用機持ちが一歩も二歩もリードしていることは確かだが、基本的には全員に同じチャンスがある。なくてはならなかった。

「結局、一夏さんと余り話せませんでしたわね」
「でも、ラウラとふたりきりにさせるよりマシよ」
「そこは同意しますわ」

 セシリアと鈴。このふたりも、そんな女子の集まりのなかで抜け駆けをするほど命知らずな猛者ではない。
 幾ら好意を寄せている異性が近くにいるとはいえ、女の恨みは恐ろしい。鉄の掟を破れば、どんな目に遭わされるかわかったものではなかった。
 それに千冬から一夏を奪うなんて真似が出来る猛者は、そうはいないはずだ。
 鈴が千冬を苦手としているからと言っただけの話ではない。相手は初代ブリュンヒルデ。引退して現役を退いたとは言っても未だにその力は衰えを知らず、世界最強と呼び声の高いIS操縦者だ。
 IS学園にも、千冬に憧れて学園に入ってきた生徒が大勢いる。ISの世界において、篠ノ之束や正木太老と言った著名人と並ぶほど、織斑千冬はISに関わる者達にとって有名な人物だった。
 そんな有名かつ理想とする人物に意見できる生徒など、IS学園に居るはずもない。そこには教師と生徒という以上に、強者と弱者の絶対的な力関係が存在した。

「セシリア、そういう派手な下着は逆効果だと思うわよ?」
「そういう鈴さんこそ。もう少し色気のある下着を身につけた方がいいのでは?」
「私は、これでいいのよ。変に大人ぶっても一夏は引くと思うし」
「サイズの合う下着がないだけでしょうに……」
「な、なんですって!?」

 セシリアに胸のことを遠回しに指摘されて激昂する鈴。胸の話は鈴にとって触れてはならない禁忌の一つだった。
 下着を手に、一触即発と言った様子でにらみ合う鈴とセシリア。
 場所が場所なら、ISを展開して戦闘にでも発展しそうな張り詰めた空気が場に流れる。

「すみません。この種類の下着で、もう少し上のサイズの物はありませんか?」
「申し訳ありません。お客様のサイズですと、こちらの物は……。あちらに大きいサイズの物を取り揃えていますので、そちらの方からお選び頂けますか?」
「うっ……やはりダメか。仕方無い」

 そう言って肩を落としながら、箒は店内の隅に設けられたコーナーにトボトボとした足取りで歩いていく。
 箒が諦めた下着と自分たちの下着を見比べて、愕然とするセシリアと鈴。
 特に、鈴のショックは目に見えて大きかった。

「不毛な争いはやめましょう……」
「そうね。なんだか、ドッと疲れたわ……」

 メロン。いや、スイカがそこにあった。
 ふたりは同じことを考え、大きいだの小さいだの自分達が如何にしょうもないことで言い争っていたかを恥じる。

「「はあ……」」

 同時に、ため息が溢れた。


   ◆


「お前は本当に分かり易いな」

 結局、千冬姉が選んだ水着は機能的な白の水着ではなく、大胆な黒のビキニだった。
 俺が選んだのは白だったのだが、俺が動揺する姿をみて黒を選んだらしい。
 いつも思うことだが、そんなに俺って顔に出やすいだろうか?

「全く、弟が余計な心配をするな。大体、私がそこらの男になびくような女に見えるか?」
「いや、見えないけど……千冬姉って彼氏とか作らないのか? そういう話とか全然しないしさ」
「手のかかる弟がいるからな。そういうお前はどうなんだ? これだけ大勢の女性を(はべ)らせてデートなど、普通はなかなか出来るものではないぞ?」

 う……藪蛇だった。千冬姉までそんなことをいうのか。どう考えても遊ばれているだけだと思うんだがな。学園に一人だけの男だから、物珍しさが大きいと思う。
 モテるとはまた少し意味が違う気がするんだが、そんなことを言っても聞いてはもらえないんだろうな。
 五反田なんて、比喩などではなく血の涙を流して本気で殴りかかってきそうな勢いだったし……。

「あ、太老さんとかはどうなんだ? あの人って変なところはあるけど……」

 反撃とばかりに言いかけた言葉を、俺は呑み込んだ。千冬姉の身体から発せられているプレッシャーが怖かったからだ。
 ここで迂闊なことを口走れば、確実に俺は明日の朝日を拝めない身体にされるだろう。
 実の弟であろうとやる。そう思わせるだけの迫力が、今の千冬姉にはあった。

「賢明な判断だな」

 うん、その通りだ。今回ばかりは自分の直感を褒めてやりたい。
 でも、太老さんってなんだかんだで凄いところがあるからな。千冬姉に釣り合うほどの人物というと、あの人以外に思いつかない。
 一つだけ気になる点があるとすれば、あの人のことを『義兄(あに)』と呼ばなくてはいけなくなることだ。
 ないな……それだけは全然ピンとこない想像だった。

「その様子では、今のところ全員横並びと言ったところか。脈は……薄そうだな」
「なんのことだ?」
「わからないなら、それでいい。だが、お前はもう少し女心を理解すべきだ。いや、それは私が言うべきことではないか……」

 さっぱり意味がわからん。千冬姉は俺に何を言いたいんだ?
 女心、女心か……ダメだ。そもそも、理解しようにも想像すら出来ない。
 IS学園は不思議の宝庫だと以前に言ったが、あの学園の女子の考えていることを理解しろというのは無理だ。
 個性的な人物が多すぎるんだよな。そう、例えば……のほほんさんとか?

「呼んだ? おりむー」
「って、ええ! なんで、ここに!?」

 振り向けば、そこにはのほほんさんが居た。というか、また心を読まれた?
 なんで、のほほんさんがここに? あ、そういえば今日のメンバーのなかにはいなかったな。
 いつも着ている学園指定の制服ではなく私服なんだが、夏なのに長袖で袖のだらんとした感じとか、如何にものほほんさんと言った感じだ。
 自分でも何を言っているのかよくわからんが、このふわふわとした感じは彼女特有のものだった。

「今日はー、お姉ちゃんとお買い物なんだよ〜」
「え? のほほんさんって姉がいたのか?」
「うん。いるよー」

 そうか、居たのか。しかし、やっぱり癒されるなこの人。
 思わず頭を撫でたくなる気持ちをグッと我慢する。同年代の女子にそれは可哀想だしな。
 のほほんさんなら、なんとなく頭を撫でてても許してくれそうだが。

「おりむー。頭を撫でたいの?」
「え? いいのか?」
「うん、おりむーならいいよー」

 また心を読まれてしまった。俺って、そんなに顔に出やすいんだろうか?
 だが、本人の了承が得られたんだ。遠慮無く撫でさせてもらおう。

「えへへ〜」

 なでなで、なでなで。ううん、このなんとも言えない感じ、凄く癒されるな。
 思わず癖になる撫で心地の良さだ。
 のほほんさんも頭を撫でられて心持ち、気持ち良さげな表情を浮かべていた。

布仏(のほとけ)、今日はプライベートか? それとも生徒会の用事か?」
「あ、織斑先生ー。そうですねー、今日はそっちじゃありません。どちらかというと、家≠フ用事ですー」

 もう、なでなでタイムは終わりか……。少し残念だ。
 たったあれだけのやり取りで、のほほんさんの話を千冬姉は理解しているようだった。
 なるほど、これが女心を理解するということか。勉強になるな。俺には難しそうだが……。
 しかし布仏っていうのか、のほほんさんの名字は……。はじめて知った。
 いや、名前で呼ぶことなんてなかったしな。のほほんさんは、のほほんさんだし。多分それは、これからも変わらないだろう。

「そうか。ならば、姉を待たせていていいのか?」
「ううん〜、そうですね。それじゃあ、私はお邪魔みたいですしー、ここで失礼しますー」

 そう言って手を振って走り去る、のほほんさん。文字通り風のように現れ、風のように去っていった。
 どうせなら、お姉さんにも会ってみたかったが仕方無いか。
 のほほんさんの姉か、全く想像がつかないな。ふたりしてあんな感じだったら……それはそれでちょっと怖い気がする。

「千冬姉、どうかしたのか?」
「いや……なんでもない」

 何かを考えている様子で少し険しい顔をしながら、レジの方に歩いていく千冬姉。
 なんだか腑に落ちないものを感じつつも、俺は何も言わずその背中を見送った。





 ……TO BE CONTINUED



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