「よし、通っていいぞ」

 領邦軍の兵士に通行書を見せ、検問を通り過ぎる一台の導力車。運転席にはリィン・クラウゼル。その助手席にはフィーが――後部座席には帽子を深く被り、旅行客に変装したアルフィンとエリゼ。それに私服姿のアルティナが乗車していた。
 アルバレア公爵家の紋章が入った正式な通行書。これを用意したのはアルティナだ。
 正確にはルーファスが任務のため、アルティナに持たせた通行書だった。

「さすが公爵家の威光。まさか、検問を素通りとはな」
「ん……それでも、適当すぎ」

 アルバレア公爵家の紋章が入った通行書があるとはいえ、車内を検めずに検問を通すなど杜撰極まりない対応だ。緊張感が余り見受けられない領邦軍の兵士の姿に、フィーも呆れた表情を見せる。
 ルーレで車を調達したリィンたちは街道を南へ下り、士官学院のあるトリスタ方面を抜け、西ケルディック街道を東へ進んでいた。

「見えてきましたね。ケルディックです」
「アルティナはきたことあるのか?」
「いえ……ですが、資料に書かれている程度の情報なら知っています。各種交易が盛んな町で、週に一度、大市が開かれているとか。今日がその日みたいですね」

 ――交易町ケルディック。毎週開かれる大市には、近隣の都市だけでなく外国からの観光客も大勢訪れ、賑わいを見せている。広大な穀倉地帯に囲まれ、各種交易で栄えている町だ。
 ケルディックへと到着したリィンたちは車を宿泊先の宿に預け、町の様子を観察するがてらアルティナの話にもあった大市を見て回ることにした。
 しかし、活気があるとはとても言えない閑散とした市場を前に、アルフィンは立ち尽くす。

「ここがケルディック……」

 呆然とした表情で、戸惑いの声を漏らすアルフィン。
 客が少ないこともそうだが、店先に並んでいる商品も空白が目立つ。大陸横断鉄道を領邦軍に押さえられ、東部と西部の物の行き来が大きく制限されている現状では仕方のないこととはいえ、内戦の影響はこんなところにもでていた。
 それでも、どうにか市場を盛り上げようと頑張っている人々の姿も見受けられるが、やはり領邦軍の締め付けは厳しい様子で、その表情にはどこか暗い影が見える。
 町の人々から情報を集めていく内に、段々とケルディックの現状がわかっていく。収入は減るばかりか税金は重くなる一方。更には、そのことに抗議した人は反乱軍の仲間と見なされ、逮捕される例も少なくないと言う。特にアルバレア公のお膝元でもあるケルディック周辺の町や村では、厳しい取り立てや領邦軍の横暴さが際立っていた。
 物や人の出入りに制限はあるものの、四大名門の一角ログナー侯が治めるルーレや帝都界隈の都市では、ここまで酷くはなかった。
 それだけに、ケルディックの現状を知りアルフィンの表情に影が差す。

「姫様……」

 そんなアルフィンを気遣い、傍に寄り添うエリゼ。
 しかし、これは彼女が望んだことだ。内戦の影響を知りたい。民の生活を見たい――そう願ったのは他ならぬアルフィン自身だった。
 だからこそ、アルフィンは目を背けず、ありのままの現実を受け止めようとしていた。
 エレボニア帝国の皇女として、この内戦と向き合うために――


  ◆


「アルフィンは?」
「疲れて寝ちゃったみたい。いまはエリゼがついてる」
「そうか……」

 責任感の強いアルフィンが、ケルディックの現状を知ってショックを受けるのは無理もない。しかし、リィンとフィーにとっては見慣れた光景でもあった。
 いや、もっと凄惨な光景を二人は猟兵時代に数多く目にしてきた。
 戦争によって焼かれた村。家や財産、そればかりか家族や大切な者の命すら失い、絶望する人々。
 ギリアス・オズボーン主導の下、帝国政府がこれまで行ってきた領土拡張政策によって故郷を奪われ、嘆き、苦しみ、死んでいった人々も大勢いる。
 誰が悪いわけでもない。しかし、これが戦争。内戦によって引き起こされた現実だ。
 エリゼを連れてきて正解だったとリィンは思う。戦争を仕事の一つとして考え、その本質を冷静に捉えすぎている猟兵(じぶん)の言葉では、アルフィンに届かないと感じていたからだ。
 何も感じないわけではない。領邦軍の横暴さや、それを放置しているアルバレア公に思うところはある。
 しかし、こんな状況でも冷静でいられる自分を、リィンは客観的に見詰めていた。
 そんなリィンの気持ちを察しながらフィーは何も言わず、淡々と必要な言葉だけをかける。

「行くの?」
「ああ、そろそろ約束の時間だからな。二人のことを頼む」
「ん、了解」

 とても自然に言葉を交す二人。余計な言葉など紡がなくても意思は伝わっていた。
 アルフィンが皇女として、この内戦と向き合い、何かを為そうとしているように――
 リィンとフィーの二人もまた、自分たちの為すべき道を歩き始めようとしていた。


  ◆


「アルティナか。やっぱりついてきたな」
「……お邪魔でしたか?」

 リィンが声を掛けると、月明かりの下、何もない闇の中から傀儡と一緒にアルティナが姿を見せる。
 本当は、こっそりと後をついてくるつもりだったのだろう。
 しかし、そんなことはリィンもお見通しだった。

「いや、こっちから繋ぎを頼んだ以上、お前には見届ける権利がある」
「……不可解です。私に知られては困る何かを企んでいるのかと思っていましたが……」
「さてな。ただ、お前の依頼人≠ノ知られても、たいして困らない話ではあるな」
「そうですか……なら遠慮無く、ご一緒させてもらいます。それが任務≠ナすので」

 隠そうともせず、任務と言ってのけるアルティナに苦笑を溢すリィン。
 本人は気付いていないかもしれないが、彼女も少しずつではあるが変わってきていた。
 最初に出会った頃よりも言葉に温かみが増し、感情が豊かになったように思える。
 以前のアルティナなら淡々と黙ってついてくるだけで、あんな皮肉を口にはしなかっただろう。
 何れにせよ、良い傾向だとリィンは思っていた。
 アルティナの出自に関して詳しく知るわけではない。しかし、生まれてきたからには、なんらかの意味があるはずだ。淡々と任務をこなして、まるで興味がないかのように冷めた目で世界を見る。そんなつまらない生き方ではなく、アルティナ自身のやりたいこと、楽しいと思えることを――生きる意味をリィンは見つけて欲しかった。
 お節介だとは思うが、どうしても昔のフィーに重ねてしまい、放って置くことが出来なかったからだ。
 リィンが前世の記憶を持ったままこの世界≠ノ転生して、大きな混乱もなく冷静でいられた理由。それは幼いフィーが、リィンの傍にいたからだ。
 ルトガーに拾われた当時のフィーは、いま以上に無口な少女だった。いや、感情を表にだすのが苦手な少女だった。
 生みの親や本当の家族を覚えておらず、気付いた時には戦場にいて日々を生きるのに精一杯だったフィーには、そんなことを考える余裕もなかったのだろう。
 ルトガーにフィーの面倒を任された時、自分のことで精一杯だったリィンは、正直――面倒だと思った。
 そして同時に、こんな目をする女の子がいるのかとも思った。
 絶望しているわけでもなく、死にたがっているわけでもない。
 ただ、ありのまま――現状を受け入れている目。
 いまのアルティナのように、あの頃のフィーには自分というものがなかった。

「……どうかしたのですか?」
「いや、変わるものだなと思って」
「……?」

 人は変わる。ずっと子供ではいられないように歳月は人を変えていく。
 フィーだけでなく、アルティナも――そしてアルフィンやエリゼだって――

(俺も……少しは変われたのかね)

 昔より弱くなったということはないだろう。ただ、まだあの背中には届かないとリィンは思う。
 失ってから気付くものがある。後悔先に立たずと言うが、まさにその通りだ。
 ルトガー・クラウゼル。あの大きな背中に一番憧れていたのは、他ならぬリィン自身だった。
 だから、あの背中に少しでも追いつくため、その一歩を踏み出すためにリィンはここにきた。
 中央の通りから外れた場所にある一軒の店。この扉の向こうに、その答えはあった。

「待たせたな」
「時間通り……と言いたいところだけど、女性を待たせるものではないわよ?」

 店内で待っていた人物に声を掛けるリィン。
 長く、蒼い髪をした絶世の美女。歳の頃は二十代半ばと言った様子。髪の色に合わせたイブニングドレスを身にまとっている。
 彼女の他には客の姿は疎か、店員の姿すら見えない。恐らくは、なんらかの魔術≠ナ人払いをしているのだろう。

「遅れたお詫びに一杯おごらせてもらうよ。魔女%a」
「……ええ、お言葉に甘えさせてもらうわ。〈妖精の騎士〉さん」

 結社〈身喰らう蛇〉の第二使徒――〈蒼の深淵〉ヴィータ・クロチルダ。
 彼女こそ、リィンがこの町にやってきた理由だった。


  ◆


「上手いものね」
「昔取った杵柄という奴だな。ああ、アルティナはこっちな」
「……これは?」
「ホットミルクだ。身体も温まるし、気持ちが落ち着くぞ」

 ヴィータの前には特製のカクテルを――
 アルティナには蜂蜜入りの甘いホットミルクを差し出すリィン。
 カウンターに立つ姿は、ヴィータが褒めるのも分かるほどに、なかなか様になっていた。

「それで? 取り引きがしたいという話だったわね」
「ああ、ユミルまで来てもらってもよかったんだが、こちらから話を持ち掛ける以上、やはり出向くべきだと思ってね」
「それは殊勝な考えね。謙虚な男の子は好きよ」
「それはどうも。でも、なんでケルディックなんだ?」
「フフッ、それは今日あなたたちが見てきたものが答えよ。帝国が置かれている現状の一端を知るには、丁度良い場所だったでしょ?」
「魔女なりの気遣いってか? 性格悪いぞ」

 リィンに――いや、正確にはアルフィンに町の様子を見せることがヴィータの狙いだったのだろう。
 確かに西部を除けば、この町が一番、内戦の煽りを食っていることは間違いなかった。
 貴族連合の主導権を握るため、カイエン公とアルバレア公の確執が理由として背景にあるのだろう。

「遊びが過ぎると思うがな。〈結社〉の目的に、あの姫様は関係ないだろう」
「……どうして、私たちの計画の内容を知っているのか、聞いてもいいかしら?」

 結社の者しか知らない計画のことを、どうして目の前の男が知っているのか?
 ヴィータは内心驚きながら探るように、その疑惑の視線をリィンへと向ける。

「さてな。〈幻焔計画〉とか言ったっけ? クロスベルで、あんたたちがやっていることも大筋掴んでいる。結社が計画遂行のためにカイエン公に協力していることや、そこのアルティナが十三工房の一つ〈黒の工房〉の出身だってこともな」
「あなた一体……」
「おっ、やっぱり当たってたか」

 言ってみるもんだ、と笑みを浮かべるリィン。一方、ヴィータは驚愕した表情で警戒の色を強める。
 アルティナが話したという可能性を考えるが、すぐにそれはないとヴィータは否定する。
 彼女が自分の意志で秘密を漏らすようなことはありえない。もし、そんなことがあるとすれば、彼女の背後にいる人物――カイエン公、もしくはルーファスがそう指示したということになる。だが、あの二人に結社を裏切る理由は今のところないはずだ。
 だとすれば、どうやってそのことを知ったのか? ヴィータは双眸を細め、リィンを睨み付ける。

「誰か、身内に裏切り者がいるんじゃないか? そう考えている顔だな」
「揺さぶりを掛けても無駄よ。そんなくだらないことを話すために、私を呼んだのなら――」
「おっと早まるな。こんなところで、やり合うつもりはないし、正直〈結社〉の計画そのものに俺は興味がない。やるなら勝手にやってくれっていうのが嘘偽りのない本音だ」

 これは言葉の通り、リィンは〈結社〉のやろうとしていることに興味がなかった。
 自分たちに害が及ばないのであれば――という条件は付くが、関わり合いになるつもりはない。やるなら勝手にやってくれというのが、リィンのスタイルだ。
 しかし、ここまで話しておいて『興味がない』というリィンの言葉を素直に信用するほど、ヴィータは愚かではなかった。

「……何を企んでいるの?」
「手を組まないか?」

 目を瞠るヴィータ。まさか、警戒している相手に協力を持ち掛けられるとは思ってもいなかった。
 結社の計画に興味がないと言っておきながら、手を組まないかとはどういうことなのか?
 リィンの真意を探るように、ヴィータは質問を返す。

「それは〈結社(わたしたち)〉の仲間になりたい……という意味かしら?」
「違う。貴族連合でも結社でもない。ヴィータ・クロチルダ――俺はあんたに取り引きを持ち掛けてるんだ」

 組織にではなくヴィータ個人に協力を持ち掛ける。その意味をヴィータは考える。
 貴族連合に所属するつもりはないというのは確かなのだろう。リィンのことは、ヴィータも大筋の情報を掴んでいた。
 彼の性格からして、アルフィンを貴族連合に引き渡すような真似はしないはずだ。ルーファスから協力の話を持ち掛けられたようだが、それはあくまでセドリックを救出するまでという条件の下、一時的にルーファス個人と手を結んでいるに過ぎない。

(組織ではなく私個人に協力を持ち掛ける理由……貴族連合を警戒してのこと? それとも結社とカイエン公の不和を狙っている?)

 ヴィータはいま、結社の計画のために貴族連合に雇われているというよりは、カイエン公の協力者に過ぎない。ヴィータに協力を持ち掛けることで、そのカイエン公との不和を狙っているのだとすれば、リィンの行動も分からなくはない。しかし、それでも幾つかの疑問は残る。
 何故、ヴィータでなければならないのか?
 そもそもカイエン公とヴィータが裏で手を結んでいることを、リィンはどこで知ったのか?

「どうして、私と?」
「あの面子のなかでは、あんたが一番まともそうだからな」
「……その口振りだと、こちらの戦力まで把握しているようね。なら、分かるでしょ? 私たちが、その気になれば――」
「やってみるか? もっとも、あんたはそういうことが出来るタイプじゃない。やるならもっと優雅(エレガント)に、念入りに準備を整えてから行動に移すはずだ。リスクを承知の上で博打をするタイプでも、無闇に不確定要素に手を出すほど愚かでもない。それに、計画――上手くいってないんじゃないか?」

 計画云々はただの想像ではあるが、ヴィータの反応を見るに当たっていたようだとリィンは内心ほくそ笑む。
 ここまで原作と違っているのだから、結社の計画にも支障がでているのではないかと予想していたのだ。

「あなたの情報の出所が気になるところだけど、それを聞いても答えてくれそうにないわね」

 ヴィータの性格をよく知らなければ、言えないような台詞だ。それだけにヴィータは一層、リィンへの警戒を強める。
 ヴィータはリィンのことを知らない。話したことは疎か、一度も会ったことがないのに、相手は自分のことを知っている。これほど不可解なことはなかった。
 しかし、それだけに――リィンの話にヴィータは興味を持ち始めていた。

「悪いな。それに秘密主義≠ヘお互い様だろ?」
「そうね。そして、あなたの話はどうやら聞く価値≠ェあるみたいね」

 得体の知れない相手。しかし、その情報には価値があるとヴィータは判断する。
 どこまで結社や計画のことを掴んでいるのかは分からない。だが、まだ他にありそうな予感がヴィータにはあった。

「聞かせてもらいましょうか? あなたが私に持ち掛ける取り引き≠フ内容を――」



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