距離にして十セルジュほど離れた場所から双眼鏡を手に、高台にある領主の屋敷を観察する二つの影。
 その双眼鏡が捉えた人物を見て、影の一つ――リィンは深刻そうに呟く。

「あれは……やばいな」

 リィンが捉えた人物は二人。長い銀髪の女性と、浅黒い長身の男だ。
 男の方もかなりの達人であることは間違いないが、リィンの見立てからして女の方は桁が違っていた。
 もう一方の影――フィーも相手の力量が読み切れない様子で、リィンに尋ねる。

「勝てそう?」
「あの力込みで五分……いや、ちょっと厳しいかもしれん」

 その言葉には、フィーも驚く。あの力というのは〈鬼の力〉込みということだ。
 リィンが〈鬼の力〉を使って勝てなかった人物を、フィーは一人しか知らない。〈西風〉の団長ルトガー・クラウゼルだ。だとすれば、あの銀髪の女性は〈猟兵王〉と同じか、それに近い実力を有しているということになる。
 こうして距離を取っているのも、これ以上近づけば気付かれる恐れがあるという理由からだった。
 リィンは原作知識のこともあるが、あの二人に関しては猟兵時代からよく噂は耳にしていた。帝国の武の世界において、その名を知らぬ者はいないと言われるほどの実力者だ。直接やり合ったことはないが、こうして遠巻きに観察しているだけでも、かなりの実力者であることが見て取れる。
 銀髪の女性の方が、オーレリア・ルグィン。若くして伯爵家の当主となった女性で、『帝国の武の双璧』とも呼ばれる〈アルゼイド流〉と〈ヴァンダール流〉の二つを修めていることで有名な貴族派きっての実力者だ。現在はラマール領邦軍の総司令を務めている。
 そして浅黒い肌をした長身の男は、ウォレス・バルディアス。爵位は男爵で、高原の民で知られるノルドの血を引く槍の名手だ。階級は准将。こちらはサザーラント領邦軍の総司令を務めており、二人とも武の世界では知らぬ者がいないと言われるほどの達人だった。

「どうするの?」
「戦闘は回避するしかないだろうな。〈赤い星座〉と領邦軍の二つを相手にするのは、さすがに無理だ」
「ん……なら、取れる選択肢は二つしかない」

 フィーの言いたいことは、リィンもわかっていた。
 領邦軍にこのまま任せるか、領邦軍より先にセドリックを救出する。そのどちらかしか選択肢はないということだ。
 しかし、セドリックをカイエン公に渡せないということを考えると、取れる選択は決まっている。

「フィー、皆のところへ戻るぞ。作戦会議だ」
了解(ヤー)

 撤収を始める二人。その顔には、猟兵としての覚悟と決意が表れていた。


  ◆


 レグラムに入ったリィンたちは、遊撃士協会の支部に身を潜めていた。
 遊撃士協会の支部は、ここレグラムを含めて帝国内には僅かしか残っていない。二年前の遊撃士協会・エレボニア支部襲撃事件に端を発した帝国政府の圧力による結果だ。レグラムの支部も存続しているとは言っても肝心の遊撃士(トヴァル)が不在の状態で、この内戦が起きてからは活動休止状態にあった。
 そんななかでリィンたちを出迎えたのは、マイルズという名の眼鏡をかけたギルドの受付で働く男性だった。
 元々は別の支部で働いていたらしく、ギルドとしても状況を把握するため、情報収集にレグラムへやってきたらしい。
 というのも、ここレグラムはエベル湖を挟んで帝国西部のサザーランド州と隣り合わせの位置にあり、貴族派・革新派のどちらにも属さない中立勢力で、ギルドに対しての風当たりも強くない地域だ。東部にいながら西部の情報も入手するには、ここほど条件の揃った町は他になかったというのが、マイルズがこの地を選んだ理由だった。
 そうしてレグラムを拠点に情報収集を行っていたマイルズだったが、ここ最近、手に余る事態に遭遇して困っていた。そんな時にトヴァルから連絡があり、マイルズは情報交換を兼ねてトヴァルに相談を持ち掛けたのだ。
 そのマイルズの相談というのが、ローエングリン城を根城とした猟兵団のことだった。
 いまのところ町を猟兵たちが襲ってくることはないが、何度か偵察と思われる猟兵の部隊と遭遇し、町の警備にあたっていた住民にも負傷者がでていた。そうした情報からローエングリン城を拠点としているのは〈赤い星座〉の可能性が高いという推測に達し、リィンたちへと連絡が行ったわけだ。
 セドリックの姿が確認されたわけではないが、バリアハート方面の集落で〈赤い星座〉と思しき集団と一緒にいる赤い服を着た金髪の少年の姿が目撃されていた。これまでの情報と照らし合わせても、その金髪の少年がセドリックである可能性が高い。問題は、二日前からレグラムに滞在している領邦軍のことだ。
 彼等の目的もセドリックの救出らしく、『殿下を拉致した逆賊を匿うつもりか』などと脅されては、町としても協力を拒むことは出来ない。それが中立派の町に、領邦軍が堂々と滞在している理由だった。
 しかも厄介なことに、領主の娘や同じくレグラムに避難してきた士官学院の生徒が保護を名目に、領邦軍の兵士によって高台にある屋敷に監禁されていることが分かった。恐らく、そのなかにVII組の生徒もいるのだろう。
 マイルズから話を聞いた時のエリオットの反応からして、領主の娘というのは〈光の剣匠〉の娘――ラウラ・S・アルゼイドのことで間違いない。他の生徒というのも気になるが、そちらも放って置けそうにはなかった。

「申し訳ない。こんなことになってしまって……。もっと早くにキミたちへ連絡が出来ていれば……」

 本来であれば歓迎したいところだが、満足に町の様子すら見て回れない。
 自分から相談を持ち掛けておいて、そんな不便を掛けていることをマイルズは申し訳なく思っていた。

「僕に協力できることがあれば、町のためにも出来るだけのことはさせてもらうつもりだ。もっともギルドとして協力できることは場所や情報を提供することくらいで、他には何も出来そうにないけど……」
「いや、こうして匿ってもらっているだけでも随分と助かってます」
「ん……それに有益な情報も幾つか貰ったし、十分役に立ってる」

 リィンとフィーに励まされ、マイルズは少し表情を和らげる。
 もっとも二人も、マイルズを気遣うためだけに言ったのではない。実際に彼の協力には感謝していた。
 リィンから渡された情報を基に調査を進め、バリアハート方面に〈赤い星座〉が潜伏していることまでは突き止めたトヴァルだったが、さすがにアルバレア公の本拠地に近いこともあって領邦軍の警戒も厳しく、そこで調査は難航していた。
 少なくともマイルズの情報がなければ、〈赤い星座〉がローエングリン城に潜伏していることは分からなかった。その点に関してリィンは感謝こそすれ、マイルズを責めるつもりはなかった。
 問題は領邦軍がどうやって、〈赤い星座〉の潜伏場所の情報を掴んだかと言うことだ。

(一番怪しいのは、ルーファスなんだがな……)

 セドリックが誘拐されたことを知る者は、リィンたちや〈紅い翼〉の関係者以外では、クレイグ中将やクレアなど極少数の人間に限られている。ましてや〈赤い星座〉の潜伏場所の情報は、先日トヴァルから伝え聞いたばかりだ。スパイがいるとすれば、かなり身近にいるということになる。そのなかで最も疑わしいのは、アルティナ経由でルーファスから情報が漏れたというものだ。
 しかしそうすると、ルーファスが領邦軍に情報を漏らしたということになり、それならセドリックの救出をリィンに依頼した意味が分からない。
 後は領邦軍が独自の調査で〈赤い星座〉の潜伏場所を発見したという線だが、それにしてはタイミングが良すぎるのが気になる。
 この件にはまだ何か裏があるとしか、リィンには思えなかった。

「それで、どうされるのですか? 状況は、かなり厳しそうですが……」
「厳しいだろうな。さっき見てきた〈黄金の羅刹〉と〈黒旋風〉も厄介そうだった」
「貴族派の英雄――ルグィン伯爵と、バルディアス男爵ですか」

 その名はアルフィンもよく知っていた。言葉を交したことも何度かある。
 領邦軍の若き英雄。帝国でも名のある武人として知られる二人だ。特に〈黄金の羅刹〉の異名を持つオーレリア・ルグィン伯爵は、一部で〈光の剣匠〉に迫る剣士として名を挙げられるほどの実力者だった。
 とはいえ、正直なところ貴族派が誇張して噂を広めているだけだろうと、アルフィンはこれまで思っていた。
 しかしリィンの反応を見るに、その認識は間違っていたのかもしれないとアルフィンは考えを改める。

「リィンさんでも勝てませんか?」
「やってみないと分からないが……正直、厳しいな」

 勝てないとは言わないが、厳しい戦いになることは予想できた。
 リィンの力をよく知るだけに、アルフィンの表情も険しさを増していく。

「ただまあ、厳しいことに変わりはないが、俺たちの目的はあの二人と戦うことじゃない。あくまでセドリック殿下の救出だ」

 無理に戦う必要はないと話すリィン。その考えには、アルフィンや他のメンバーも同じ意見だった。
 そもそも、この人数で領邦軍と正面から事を構えるのは無理がある。アルフィンやエリゼ、それにエリオットも自衛くらいは出来るだろうが、実際に戦場に立つとなると些か心許ない。このなかで戦力として数えられるのは、リィンとフィー、サラとクレアの四人だけだ。

「そういえば、飛空艇のなかで話していた助っ人≠フ件は、どうなったのですか?」
「ああ、それなら……そろそろあっち≠ゥら接触があっても良い頃合いなんだが……」

 ここでリィンが言っていた協力者の話を持ち出すクレア。その時――扉をノックする音が部屋に響いた。
 領邦軍を警戒して全員が息を潜めるなか、マイルズが訪問者を確かめようと扉の前に立つ。

「はい、どちら様でしょう……か?」
「こちらにリィン・クラウゼルという男がいると聞いてきたのですが?」
「あなたは……」

 それは、騎士甲冑をまとった亜麻色の髪の少女だった。
 このレグラムには、一つの伝説が語り継がれている。〈槍の聖女〉と共に戦った〈鉄騎隊〉の伝説が――
 その中世の騎士が、そのまま物語の中から飛び出してきたかのような――どこか神秘的で不思議な魅力を放つ少女が扉の前に立っていた。
 その異様な雰囲気に呑まれ、マイルズが喉を鳴らした、その時だった。

「あ……デュバリィちゃん」
「誰がちゃん≠ナすか!?」

 リィンに『ちゃん』付けで呼ばれ、声を荒げて抗議する少女。先程までの神秘的な姿は、まったく見る影をなくしていた。


  ◆


「〈身喰らう蛇〉が第七使徒、その直属たる鉄機隊。筆頭隊士を務める〈神速〉のデュバリィですわ」
「リィン・クラウゼルだ。自己紹介で二つ名を名乗るのは、かなり痛いからやめておいた方がいいぞ……」
「余計なお世話です! くっ、さっきのことといい、調子の狂う方ですわね……」

 忠告のつもりだったのだが、デュバリィに睨み付けられるリィン。
 二つ名を持つのはリィンも同じだが、自分で口にしたことなど一度もない。この世界は、ちょっと名のある人物なら誰もが中二ネームもとい異名を持っている。
 しかし、子供の頃ならまだしも良い歳をして二つ名を名乗るなんて、前世の記憶を持つリィンには耐えられなかった。
 一方、何も知らされていなかったメンバーは困惑を隠しきれない様子で、そんな緊張感の欠片もないリィンとデュバリィのやり取りを見ていた。

「なんで〈結社〉の関係者がいるのよ……」

 協力者というのが結社の関係者と知らされていなかったサラは、げんなりした表情で肩を落とす。
 そんなサラに代わって、デュバリィに質問をするエリオット。

「〈身喰らう蛇〉って……まさか、怪盗Bと同じ組織の人?」
変態(あれ)と一緒にされるのは不本意ですが、概ね当たっています。もっとも、わたくしは〈結社〉の人間というよりは、マスターにお仕えする鉄機隊≠フ一員ですが」

 エリオットは前にある事件で〈結社〉の人間と面識があった。それが〈怪盗B〉こと怪盗紳士ブルブランだ。
 実際にはもう一人、〈蒼の深淵〉ヴィータ・クロチルダとも面識があるのだが、〈結社〉の関係者とこうしてゆっくりと話をするのは、これが初めてのことだった。
 ただデュバリィは、彼等とは若干――事情が異なっていた。

「鉄騎隊……ですか」

 デュバリィの口からでた単語に、何かに気付いた様子で反応するクレア。
 そんなクレアの反応を怪訝に思い、デュバリィは睨み付けるように返事をする。

「何か?」
「いえ、その格好といい……まるで――」
「まるで聖女と共に戦った騎士のようだと? その質問に答える義理はありませんわね。それと鉄騎隊≠ナはなく鉄機隊≠ナすわ!」

 紙にスペルを書き、鉄騎隊と鉄機隊の違いを主張するデュバリィ。
 妙なところに拘りがあるというか、答える義理がないと言う割には律儀な少女だった。

「で? アンタが〈魔女〉の言ってた助っ人≠ニ考えていいのか?」
「その通りです。それが、マスターのご意志ということもありますが――マスターと縁のある城を、猟兵などという連中に我が物顔で占拠されるなど……正直、我慢がなりませんので」

 なるほど彼女がきたのはそういう理由か、とリィンは納得する。
 とはいえ、彼女に聞きたいのは、そういうことではなかった。

「まあ、そこはどうでもいいんだが」
「どうでもよくはないのですが……」

 不満そうに答えるデュバリィ。そんな彼女にリィンは質問を続ける。

「アルティナはどうしたんだ? あと幾らなんでも、アンタ一人じゃないよな?」
「ぐっ……わたくしだけでは不満があると? 猟兵如き、わたくし一人で十分ですわ!」

 お前一人で助っ人が務まるのか?
 と、リィンに言われて微かに動揺した様子を見せるも、自信ありげに胸を張るデュバリィ。
 そんなデュバリィの強がりに一同が呆れていると、リィンがツッコミを入れるより早く玄関の方から耳慣れた声が聞こえた。

「嘘はよくないと思います。客観的に言って、あなた一人での勝率は十パーセントに満たないかと」
「ちょっ……あなた、いつの間に――」
「遅くなりました。集合場所に彼女が現れなかったので」
「あの……無視しないでもらえますか? それと、サラッとわたくしの所為にしないでください」
「あなたが先走ったのは事実ですから」
「ぐっ……」

 コントのようなやり取りをする二人。さすがに事実を淡々と確認するだけのアルティナが相手では、デュバリィも分が悪いようだ。
 大体どういうことがあったのか、その会話からリィンは推察する。しかし、それは聞きたいことの答えにはなっていなかった。

「なんとなく事情は呑み込めたが、領邦軍の件も含めて説明はしてくれるんだよな?」

 今度はデュバリィにではなくアルティナへと視線を向け、リィンは尋ねた。



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