ラクリマ湖の戦いから一夜が明け、貴族連合の勢力圏から無事に逃れることに成功した〈紅き翼〉はそのままアイゼンガルド連峰を越え、ノルドの民を避難させるために一時ユミルに身を寄せていた。
 百人もの避難民を快く受け入れてくれたシュバルツァー男爵や、困った時はお互い様と言って協力を申し出てくれた領民たちの理解と懐の深さには感謝と言ったところだ。
 日用品や食料品などの必要な物に関しては、バリアハートで多めに補給しておいたことが幸いした。
 取り敢えずはカレイジャスの予備物資を提供することで、ユミルがすぐに物資不足に陥ることは避けられていた。

「やっぱり監視塔か……」
「はい。塔の屋上に設置されていました」

 リィンは今後の方策を練るために、カレイジャスの執務室でフィーとアルティナから監視塔の調査報告を受けていた。
 装置の場所はこれで確定したが、問題はこれからだ。
 正面から乗り込むにせよ、潜入するにせよ、現在の戦力でそれが可能かどうかを見極める必要があった。
 その点について、リィンはフィーに確認を取る。

「装置の奪取は可能だと思うか?」
「ん……ちょっと厳しいかも。一時的な駐屯基地になっているみたいで、機甲兵や領邦軍の兵士がたくさんいた」
「……数は?」
「機甲兵が五十。軍用艇がそれと同じくらい。兵士の方は、最低でも三千を超えてたと思う」
「となると、正面作戦は無理か」

 フィーの見立てが間違っていなければ、三千以上は確実。そこにアルバレア公の部隊も合流していると考えれば、五千近い兵力を保有している可能性がある。さすがにリィンたちでも、それだけの戦力を相手にするのは厳しい。
 いっそ情報だけを渡して正規軍に任せるという案もあるが、それも難しかった。
 国の規模や時代によって人数は異なるが、この世界の師団といえば三千から多くとも五千人程度だ。
 二十ある師団をすべて結集すれば、帝国正規軍の総戦力は凡そ十万に達すると言われているが、現在ゼンダー門に駐留している第三機甲師団の兵力は四千ほどしかいない。
 それに、基本的には守る側が有利と言っても、それは援軍が期待できる場合の話だ。
 補給線を絶たれ、通信を妨害されていることを考えれば、第三機甲師団の方が圧倒的に不利な状況に変わりはない。
 最低でも通信妨害をどうにかしなくては、反撃にでるのも難しいだろう。

「サクッと破壊しちゃえばいいんじゃない? 監視塔ごと」
「お前な……」

 シャーリィの過激な発言に、若干呆れた声を漏らすリィン。
 とはいえ、その意見も効率の面を考えれば、満更間違っているというわけではなかった。

「最悪それも考慮にいれないとダメか……」

 今後のことを考えると通信機だけでなく妨害装置の方も回収しておきたいが、それもやむなしかとリィンは考える。
 破壊するだけであれば潜入なんて危険を冒さなくとも、リィンの〈アルス・マグナ〉を使えば、目視できる距離まで近づく必要はあるが遠距離からの破壊も可能だ。
 もっとも連発は出来ないため、領邦軍の反撃を警戒するなら第三機甲師団の協力が欲しい。

「やっぱり解析結果待ちだな」

 作戦を立てるにしても、装置の解析結果を知るのが先だという結論に達する。
 それにゼクス中将との約束もある。彼の協力を得るためにも、ここで手を抜くわけにはいかなかった。


  ◆


 トワたちとも話し合いをした結果、まずはグエンの解析結果を待つ運びとなった。
 そんななか一人執務室で作戦を練っていたところ、リーシャ・マオが目を覚ましたとの連絡を受け、リィンは医務室へ向かっていた。
 シャーリィによってカレイジャスに運び込まれた彼女だが、背中から銃弾を受けて意識不明の重体にあった。
 どうにか一命は取り留めたものの衰弱が酷く、医者の話では意識が戻るかどうかも分からないと言われていたのだ。
 それが一日ほどで意識を回復させるなど、驚きを通り越して呆れた生命力という他なかった。
 しかし、その理由はすぐに判明する。

「あ、リィンだ」
「……シャーリィ。こんなところで何してるんだ?」
「何って……お見舞い?」

 連絡を受け、医務室に顔をだしたリィンは、そこで先客の姿を見つける。シャーリィだ。
 シャーリィは相変わらずの調子だが、リーシャからは何とも言えない空気が漂っていた。
 他に誰もいないのはこれが原因かと察しながら、リィンは「寝て無くていいのか?」とリーシャに尋ねる。
 すると、「大丈夫です」という答えが返ってきた。
 二人の間に割って入るようにシャーリィの隣に腰掛け、簡単な世間話から入るリィン。
 体調はどうだとか、傷は大丈夫かとか声を掛けていると、医者もびっくりするような話がリーシャの口から飛び出してきた。

「仮死状態? 内気功でそんなことが出来るのか?」
「はい……出来ませんか?」

 リーシャは気を用いた肉体操作を得意としている。
 これを極めれば、声や体格ばかりか気の性質・気配までを変え、別人に成りすますことすら可能だ。
 自らの意思で仮死状態に陥る技術は、一定以上の気の使い手であれば習得の難しい技術ではない。リィンが闘気を巧みに使って見せたことから、その程度のことは出来るだろうと考え、リーシャは聞き返すような真似をしたのだが、リィンの反応は彼女の想像と大きく異なっていた。

「いや、俺はそこまで非常識じゃないし……」
「ですが、武器に気を纏わせていましたよね? それに、いろいろなカタチに変化させて」

 本来、武器に気を宿すというのは、気を用いた戦闘技術のなかでも高度な技法だ。
 ましてや武器の形状を変化させ、気によって武器の属性や性質までも変化させるなんて真似はリーシャにだって出来ない。
 なまじ気の扱いに長けているがために、彼女が勘違いするのも無理はなかった。

「あれは技術というか、持って生まれた力……異能みたいなものだ」 

 そもそもリィンの場合、特定の能力に特化しているだけだ。
 オーバーロードも一見すると便利に見える能力だが、手で直接触れていないと形状変化を維持できないなど欠点を抱えている。リーシャのように技巧に長けているわけではなかった。
 体内の気を循環させて傷の治りを早くしたり、仮死状態になると言った器用な真似は当然できない。
 そんな真似を平然と「出来ますよね?」と尋ねてくるリーシャは、やはり常人から懸け離れていた。
 もっとも、もっと非常識な人物がリィンの隣にはいるのだが――

「怪我なんて、ぐっすり寝て、お腹一杯ご飯食べたら治るよね?」

 そんな訳あるか、とシャーリィに突っ込みを入れるリィン。
 しかしシャーリィは、あのオルランド一族の血を引いているだけに嘘とも言えなかった。
 これだから戦闘民族は、と呆れながらリィンは話を戻し、これからのことをリーシャに尋ねる。

「いろいろと聞きたいことはあるが、これからどうするつもりだ?」

 リーシャのことだが、今頃は猟兵たちと共に戦死した扱いになっているだろう。
 任務は失敗。戻ったところでスパイ疑惑をかけられ、拘束される可能性だってある。捕虜となった兵の末路など、そんなものだ。それどころか失敗して生きていることが知れれば、命を狙われる危険だってあり得る。それが裏の世界に関わるということだ。
 裏社会で生きる者にとって、契約とは絶対だ。裏切り者には厳しく、逃亡者は必ず粛清される。
 同様に仕事を失敗すれば信用を失い、今後の仕事に大きな影響を与えることになる。それは猟兵も暗殺者も同じだ。
 とはいえ、仕事の失敗=死であることが当たり前の世界だ。足が付くことを考えれば、生きてるかどうかを調査したり、依頼を失敗したからと言って本気で命を狙ってくる者は少ない。このまま、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていれば、普通に生活を送ることは十分に可能だろう。
 リィンが聞きたかったのは、彼女の今後の身の振り方だった。
 殺すつもりなら、最初から治療などしない。リーシャがこうなったのも、シャーリィがそもそもの原因だ。
 すぐにとはいかないが、一連の問題に片が付けば、彼女を解放してもいいとリィンは考えていた。

「……わかりません。もう、私に帰る場所なんて……」

 俯きながら、そう話すリーシャを見て、リィンはどうしたものかと頭を掻く。
 シャーリィからリーシャがおかしいとは聞いていたが、確かにこれは重症だと思った。
 気持ちは分からないでもない。しかし、未練を残すくらいならクロスベルを離れなければよかっただけの話だ。
 シャーリィにも責任がないとは言えないが、劇団のアーティストではなく――〈銀〉として生きる道を選んだのは、他の誰でもない彼女自身だ。
 そこまで考えて、リィンは溜め息交じりに口にした。

「なら、ここにいろ」
「……え?」

 突然、リィンから予想外のことを言われて呆けるリーシャ。
 出て行けと言われるならまだしも、ここにいろと言われるとは思ってもいなかったという顔だった。

「シャーリィの遊び相手が足りなくて困っていたところだ。顔見知りだし、丁度良いだろ?」

 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべながら、リィンはそう話す。
 一方、リーシャは顔をしかめ、困惑と不満を隠そうともせずリィンを睨み付ける。

「私に……彼女と行動を共にしろと?」
「死にかけのお前を拾ってきたのは、そこにいるシャーリィだ。命の恩人に借りも返さないまま、とんずらする気か?」

 返答に詰まるリーシャ。思うところがない訳ではないが、シャーリィに助けられたことは事実だ。礼も言わず、挙げ句に恩も返さないでいるのは、確かに人としてどうかと思う部分もあった。
 まさか暗殺を生業とする自分が、猟兵であるリィンに人の道を問われるとは思っていなかったリーシャだが、劇団を辞めてクロスベルを離れたことも結局は自己責任で、シャーリィに対する気持ちも半分は八つ当たりのようなものだとわかっていた。それだけに、そんな風に言われれば返す言葉が見つからない。
 しばらくリィンと睨み合うリーシャだったが、観念した様子で息を吐き、シャーリィに向き合うと頭を下げた。

「……ありがとうございました」

 複雑な感情の入り混じった声で、リーシャは感謝を口にする。
 まさか御礼を言われると思っていなかったのか、目を丸くして驚くシャーリィ。
 しかし、すぐに笑みを浮かべ、そんなリーシャの気持ちにシャーリィは応えた。


  ◆


 現在ユミルに配備されている鉄道憲兵隊の隊員は四人。交代で見張りについてはいるものの完璧には程遠い状況だ。
 そこで、槍術に長けたノルドの戦士を郷の警備に組み込むことで、守備計画の見直しをクレアは考えていた。これはノルドの民から申し出があったためだ。
 世話になってばかりでは心苦しいと、彼等は進んで郷の手伝いをしていた。リィンも恐らくはこうした流れを予測して、彼等をユミルに連れてきたのだろうとクレアは思う。
 どちらにせよ、計画の見直しは必要だった。いつまでも鉄道憲兵隊の隊員をユミルにだけ留まらせることは出来ない。バリアハートが解放された今、鉄道憲兵隊が担う役割はこれまで以上に重要となってくるだろう。
 自分を含め、そろそろ本来の任務に戻るべきだと思いつつも、クレアは踏ん切りが付かないでいた。

「私はどうしたいのか。いえ、どうするべきなのか……」

 茜色に染まる空を見上げながら物思いに耽るクレア。どうすべきかなど答えは決まっている。
 しかし、それは軍人としての考えで、本心かと問われると自信がない。
 迷っていた。真実を見誤るな、とリィンに以前言われた言葉が頭を離れない。
 もう大凡の想像は付いていた。情報局の独断だけで、これほど大掛かりな仕掛けが出来るはずもない。レクターが関わっていることは勿論だが、背後には間違いなくギリアス・オズボーンがいるはずだ。
 ギリアスが生きていたことを嬉しく思う反面、同じくらいクレアは戸惑いも抱えていた。
 軍人としての立場。〈子供たち〉の一人であるという現実。それを踏まえ、どう動くべきなのか?

「閣下を裏切るような真似は出来ない。でも……」

 行き場を失っていたクレアに、能力を活かせる場所を与えてくれたのはギリアスだ。そのことにクレアは感謝している。
 しかし、リィンたちと行動を共にし、帝国を取り巻く状況を目の当たりにするなかで、本当にこのままでいいのかという考えも彼女のなかにはあった。
 ギリアスのやってきたことが間違っていたとは思わない。でも、いまのクレアには正しかったと言い切ることも出来ない。
 このままリィンたちと行動を共にすれば、ギリアスと対立する時が、いつか必ず来るという直感がクレアにはあった。
 彼女の立場であれば、ギリアスに付くのが自然だが、リィンたちに銃を向けられる自信がクレアにはない。
 リィンが双龍橋で何故あのようなことを言ったのか、クレアは今なら分かる。それだけに答えを出せずにいた。

「クレア――ッ!」

 息を吐いた、その時。どこからともなく、クレアの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
 それは懐かしい声だった。クレアが聞き間違えるはずがない少女の声。

「まさか――」

 声の主を捜して、クレアが直上を仰いだ瞬間。タックル紛いの一撃で、少女がクレアに抱きついた。
 受け止めきれず雪の上に尻餅をつきながら、胸に顔を埋める少女を見てクレアは名前を呼ぶ。

「ミリアムちゃん!?」
「うん、久し振り!」

 青い髪に金色の瞳。天衣無縫といったイメージが頭を過ぎる幼い少女。〈白兎(ホワイトラビット)〉の異名を持つ情報局のエージェント。
 ――ミリアム・オライオン。クレアと同じ〈子供たち〉の一人だった。



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