カレイジャスの甲板から地上を見下ろす二つの人影。

「行ったみたいだな。これでよかったのか?」
「アイツ等はもう子供やない。一人目の猟兵や。なら、子の独り立ちを見送るんもまた――家族(オレ)らの役割やろ。……団長の分までな」

 このままリィンたちだけで行かせてもよかったのか、という問いだったのだが、ゼノのある意味で予想通りといった回答にレオニダスは苦笑する。
 そうは言いつつも、ゼノがリィンやフィーのことを気に掛けていることはわかっていた。
 勿論、レオニダスも二人のことが心配でないという訳ではなかった。しかし、それ以上に信頼もしていた。
 フィーの実力は今や〈西風〉で連隊長も務めたことのあるゼノやレオニダスに迫るほどだ。戦い方や状況によっては、この二人でも敗北を余儀なくされるかもしれない。そしてリィンに至っては、あのルトガー・クラウゼルに迫る――いや、単純な力勝負では既に〈猟兵王〉の二つ名を持つルトガーを超えているかもしれないと二人は考えていた。
 この内戦であの二人が何を考え、何を為してきたのか、ゼノとレオニダスは密かに見守ってきた。
 リィンたちには話していないが、ルーレで再会するまで二人の前に顔をださなかったのは、イリーナとの契約だけが理由ではなく二人の成長を見守りたかったからというのが理由として大きかった。
 その期待に、あの二人は十分以上に応えたと言える。だからこそ、二人が〈西風〉に戻ることをゼノは拒絶したのだ。

 雛は育ち、巣を飛び立った。

 あの二人はもう守られる側の人間ではない。大空を自分の翼で飛び立てる一流の猟兵だ。
 リィンは思い違いをしているが、ルトガーが二人を団から追い出したのは、猟兵以外の別の生き方を見つけて欲しかったから、という理由だけではない。
 勿論、他の幸せ、生き方を見つけられれば、それが二人にとっての幸せになるだろうという考えはあった。
 だが、それ以上に――〈西風〉という檻は、若いリィンやフィーにとって狭すぎると彼は感じていた。
 フィーをリィンに頼むと言ったのは、リィンを〈西風〉から巣立たせるためでもあった。
 そのことにレオニダスもゼノも気付いたのだ。ルトガーの残した遺言の意味に――

「団長、強うなったで。あの二人は……」

 家族を残し、空の向こう側に旅立った団長に、一年越しの報告と別れを告げるゼノ。
 ルトガーが亡くなり一年。このままではいけないという思いは、ゼノたちにもあった。
 本当は会わないつもりだった。それでもリィンとフィーの前に顔を見せたのは、ゼノなりのケジメのつもりだった。
 西風の翼は、まだ折れてはいない。
 ルトガーが死した今も、団員たちの心に〈風切り鳥〉の教えは深く刻まれていた。

「ゼノ。クライアントからの連絡だ。あちらの準備は整った、と」
「なら、いこか。オレたちの戦場≠ノ――」

 それは一年の休眠を経て、〈西風〉の名が再び世界を震撼させる予兆でもあった。


  ◆


 帝都へと通じる地下水道を進む複数の人影があった。
 妖精の騎士ことリィン・クラウゼル。彼の義妹、妖精の異名を持つフィー・クラウゼル。
 血染めの名で恐れられる少女、シャーリィ・オルランド。
 そして〈銀〉の名を継承する東方人街の魔人にして伝説の凶手、リーシャ・マオ。
 一人一人が一騎当千の力を持つ実力者だけに、魔物も彼等を恐れて身を潜めていた。

「帝都にこんな地下があったなんて……」

 リーシャは共和国の出身だ。帝国に向かう前に最低限の情報を入手してはいたが、まさか帝都の地下にこれほど広大な地下水道が通っているとは思ってもいなく、その光景に驚かされていた。
 彼女の格好はVII組の制服姿から一新して、東方に伝わる民族衣装のようなものに変わっていた。基本となる衣装は、太股にスリットの入ったチャイナ服と言えば、イメージしやすいだろう。その上からジャッカスに頼んで用意してもらった鋼鉄製の手甲と脚甲を装備し、仮面と外套で姿を偽っていた時よりも遥かに動きやすく戦闘に特化した姿へと変わっていた。
 シャーリィに打ちのめされ、彼女は生きる意味と目的を見失い、迷っていた。
 もう共和国にもクロスベルにも自分の居場所はない。そう思っていたリーシャに別の選択肢と、生きる意味を与えてくれたのはリィンだった。
 だが、その期待に応えることが出来ず、自分の迷いと焦りがカレイジャスを――皆を危険に晒してしまった。
 デュバリィの助けがなければ船は破壊され、あの場で倒れていたのは自分の方だったに違いない。だからこそ、心に誓ったのだ。

「もう、迷いません」

 リーシャは出発の前に、そうリィンに約束した。
 シャーリィを言い訳にしているが、それはすべてリーシャが自分で積み重ねてきた結果でしかない。あそこでシャーリィと出会わずとも、裏の仕事を続けていれば、何れ同じような問題に直面していただろう。
 劇団の皆を、苦楽を共にした仲間を、イリア・プラティエを信じ切れなかったのは他の誰でもないリーシャ自身だ。
 本当の自分を知られるのが嫌だった。大切な人に拒絶されるのが、恐れられるのが怖かった。
 光に溢れた表舞台を知り、再び視界が闇に閉ざされるのをリーシャは恐れ――そして逃げたのだ。
 そんな中途半端な想いで、シャーリィに敵うはずがない。リーシャに不足していたのは、自分の弱さを認める心だ。

 裏社会で恐れられる伝説の凶手――〈銀〉としての彼女。
 アルカンシェルのアーティスト、リーシャ・マオとして過ごした時間。

 何一つ欠けても、いまの彼女は存在しない。どちらも彼女にとって切り捨てることの出来ない大切なものだ。
 随分と遠回りをしてしまったけど、そのことをようやく彼女は知ることが出来た。
 いつか、イリアや――クロスベルに残してきた皆に謝りたいとリーシャは思う。しかし、その前に彼女にはやるべきことがあった。
 リィンから受けた依頼を彼女は完遂していない。与えられた恩に報いるため、〈銀〉としての矜持と仕事を全うするため、彼女は自ら進んで戦いに赴くことを決意した。
 その決意の表れが、この衣装だ。仮面と外套を脱ぎ捨て、正体を隠すことを彼女は辞めた。
 偽りの自分ではなく、リーシャ・マオとして全力を出し切るために――

「いまのリーシャとだったら楽しく()れそう♪」

 そんなリーシャに挑発的な笑みを向ける赤髪の少女、シャーリィ・オルランド。
 こちらも着用していたVII組の制服を脱ぎ捨て、仕立てたばかりの朱色のコートとローライズの衣装をまとっていた。
 コートが色違いなだけで、概ね動きやすい衣装を好むフィーと似たような服装だ。
 そして肩には、修理から戻ってきたばかりの愛用の武器――〈赤い頭(テスタ・ロッサ)〉を抱えていた。

「はい。機会があれば、是非……あなたとは決着を付けておきたいですから」

 怒るでも呆れるでもなく、こんな風にシャーリィの挑発に答えることが出来るのは、リーシャが成長した証と言えるだろう。
 しかし、良い傾向だと思いながらも、こんなところで始められては堪らないと、リィンは二人に釘を刺すことを忘れなかった。

「やめてくれよ。作戦の前に仲間割れなんて……」
「ご心配なく。やるからには日を改めて、万全の状態で勝負をしたいと考えているので。シャーリィさんも、その方がいいですよね?」
「フフッ、よくわかってるじゃない。いいよ、その時は思いっきりやろう」

 良い傾向なのだろうが、吹っ切れすぎじゃないかと心配になるリィン。
 リーシャの心の奥底に眠っていた獅子を目覚めさせてしまったかのような、そんな錯覚すら覚える。
 以前のリーシャが相手なら、例え敵に回ったとしても、リィンは自分が負ける可能性はないと考えていた。
 しかし現在のリーシャと戦って確実に勝てるかというと、その自信がリィンにはなかった。
 これまでのリーシャは気持ちで負けていて、本来の実力を半分も発揮することが出来ないでいた。
 しかし、その枷が外れたと仮定すれば、案外シャーリィとも良い勝負をするかもしれないとリィンは考える。
 とはいえ――

(なんか、俺の周りの女って、皆こんなのばっかりだよな……)

 アルフィンやエリゼもああ見えて強かだし、さすがは皇族・貴族の娘だと感心させられるところがある。
 トワも普段は天然が入ってはいるが、その実は誰よりも冷静な分析力と何事にも動じない強さを兼ね備えている。
 他にもリィンがこれまで出会ってきた女性は、誰もが強い信念のようなものを胸に秘めていた。
 どちらかといえば、双龍橋で囚われの姫役を演じたエリオットや、皆の身代わりとなって猟兵団に連れて行かれたユーシスの方がヒロインをやっていると思えるくらいに、この世界の女性は強い。

「……リィン? 何か失礼なことを考えてない?」
「い、いや、そんなことないぞ」

 そして、家族(フィー)には隠し事が出来ない。そのことを実感するリィンだった。


  ◆


 帝都は元々、暗黒時代の遺跡の上に造られた街だ。
 その下には、現在は下水道として利用されている広大な遺跡が広がっている。そのため、帝国政府も地下遺跡の構造を完全に把握しているとは言い難く、危険な魔物が徘徊していることから封鎖されている区画も少なくなかった。
 二ヶ月前にフィーがアルフィンとエリゼを連れて、帝都の郊外へと脱出するために使ったのも、この経路だ。

「〈赤い星座(わたしたち)〉も、この遺跡のことは把握していたけど、リィンは凄いね。いつの間に、こんなマップを用意してたの?」
「……帝都で喫茶店を開いてた頃からだ。何れ必要になるだろうと思ってたしな」

 シャーリィの質問に素直に答えるべきか逡巡するも、あっさりと白状するリィン。
 昔ならいざ知らず、いまのシャーリィは運命共同体と言っても良い。シャーリィの性格から言って、〈赤い星座〉が用意したスパイの可能性は低い。やるからには真っ向勝負。正面から戦場でケリを付けることを好む連中だ。これまでの言動からも、今更シャーリィが裏切るとはリィンも思ってはいなかった。そうでなければ、戦場で背中を預けたりなんてしない。

「そんなに前から? はあ……敵わないはずだよね」

 珍しく感心した様子を見せるシャーリィ。少し勘違いしているようだが、帝都で生活をしていた半年余りの時間、リィンも無駄に時を過ごしていたわけではなかった。
 リィンがフィーと共に営んでいた喫茶店『ヴィヴィアン』には、この地下遺跡に繋がる扉が隠されていた。
 リィンとフィーは腕が鈍らないように定期的に地下の魔物を駆除すると共に、半年もの時間をかけて広大な地下遺跡のマッピングを行っていた。すべては内戦に備えるためだ。
 とはいえ、こんな風に帝都に戻ってくることになるとは、さすがのリィンも想像してはいなかったが――

「リィン、この先――」
「ああ、到着したみたいだな」

 フィーの言葉どおり広い空洞に出たところで、リィンは足を止めた。
 目的地である魔煌城までの距離は、ここからだと凡そ六百アージュと言ったところだ。
 ここでリィンが足を止めたのは、とある人物と落ち合う約束をしているからだった。

「やっときたみたいね」

 待ち兼ねた、とばかりに溜め息を吐きながら、柱の陰からヴィータが姿を見せる。
 その後ろに、少し顔を合わせづらそうに銀髪の青年――クロウ・アームブラストが隠れていた。

「数日振りだな、クロウ。まだ、ルーレでの一件を気にしてるのか?」
「……そんなんじゃねーよ」

 てっきりルーレでのことを気にしているのでは? と思っていたリィンは首を傾げる。
 他にクロウがこんな態度を取る理由が思い至らなかったからだ。
 しかし、その疑問はヴィータの口から、すぐに明らかになった。

「クロウは素直じゃないから……。スカーレットとヴァルカンの件で、あなたに御礼が言いたいそうよ」

 そう言えば、そんなこともあったなとリィンは今更ながらに思い出す。
 理由はどうあれ帝国解放戦線のやったことは、テロリストと同じだ。その結果、失われた命も少なくない。本来であれば帝国の法で裁かれるはずの彼等だが、アルフィンやセドリックと交渉した結果、リィンは報酬の一部として彼等の身柄を預かることに成功していた。
 勿論すぐに釈放とはいかないが、帝国での裁判を受けた後、その身柄はリィンに預けられることになっている。このなかにはスカーレットやヴァルカンの他に、クロウの身柄も含まれていた。
 しかしこれは、クロウとの取り引きの結果でもあった。
 リィンからすれば約束を果たしただけで礼を言われるようなことではないのだが、ヴィータの考えは違っていた。

「それに士官学院の子たちのことも、気に掛けてくれたのでしょう?」

 ぐっ、と唸るリィン。そんなつもりはないと言いたいが、結果的にそうなっていることは否定できなかった。
 クロウと仲の良かったトワやジョルジュ、アンゼリカ。VII組の生徒たちは当然、クロウの処刑を望んではいない。
 リィンが行動にでなければ、きっと彼等はどんなことをしてでもクロウの助命を嘆願しようとしただろう。
 それに、この戦いに彼等を連れて来なかったのは、リィンなりの優しさでもあるとヴィータは気付いていた。
 ヴィータがそのことに気付けたのは、クロウのことをよく観察しているからだ。
 敢えて嫌われ者を演じようとするところや、素直になりきれないところは、二人ともよく似ていると心から思う。

「「そんなんじゃねえ!」」

 ヴィータに抗議しようとして、声がハモるリィンとクロウ。
 一瞬目があったかと思うと、何も言わず顔を背ける。

「そんなことより〈騎神〉はどうした?」
「お前だって持ってきてないじゃないか」
「俺は、いつでも好きな場所にオルディーネを転位できるからな」

 お前は出来ないだろ、と少し自慢気に語るクロウ。
 まだリィンは試練を突破したばかりだ。騎神を乗りこなせていないとクロウは考えていた。
 普通であれば、その考えは間違いではない。しかし何事にも例外は存在した。

「出来るぞ」
「はあ!? ちょっと待て、お前まだ騎神での実戦経験はないだろ!?」
「あんなのマニュアルを理解してれば、誰だって出来るだろ?」

 周囲に聞こえないほど小さな声で「ゲームと大差ないしな」と呟くリィン。
 そのリィンの呟きは聞こえなかったが、クロウにショックを与えるには十分だった。
 生身では勝てなくても、まだ騎神でなら自分の方が有利だとクロウは考えていたのだ。
 実際クロウは騎神に乗って三年以上のキャリアがある。その扱いは誰よりも長けているという自信があった。

「俺が転位を習得するのに半年以上かかったっていうのに……」
「意外と不器用なんだな」
「お前が異常すぎるんだよ!?」

 クロウが文句の一つも言いたくなるのは無理もない。
 しかしリィンには触れたものの構造を瞬時に解析するという能力と、前世から培った知識と経験があった。
 リィンが「ゲームと大差ない」と口にしたのは、騎神の操作性が機甲兵と比べても異常に優れていたためだ。
 慣れは確かに必要だが、こうしたものに対する適応力は、この世界の人間よりもリィンの方が遥かに優れていた。ただそれだけの話だった。
 いまは共闘する立場にあるが、この戦いが終わったらクロウはリィンとの決着を付けるつもりだった。それが結社の――ヴィータとの約束でもあったからだ。しかし、改めてリィンの異常さを目の当たりにして、その気力が段々と削がれていく。
 幸い、ヴィータの話では〈灰の騎神〉には、専用の武器がないと聞いている。
 その一方でクロウの騎神オルディーネには、ゼムリアストーン製のダブルセイバーが装備されていた。それでも――

(……やばい。全然、勝てるイメージが湧かねえ)

 クロウは目でヴィータに助けを求めるも、視線を逸らされてしまう。
 その態度が勝負の結果を告げているようで、クロウは訪れる未来を想像し、重い溜め息を溢すのだった。



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