エリゼに別れを告げたリィンたちは騎神を回収した後、キーアの案内でアイゼンガルド連峰の山深い場所へ足を運んでいた。
 そこでリィンたちを待っていたのは、騎神を超えるほど巨大な姿をした蒼い狼だった。

「お待たせ。ツァイト」
「……これが、お前の言ってた案内役か?」

 ツァイト。リィンは、その名に聞き覚えがあった。
 ある事件を切っ掛けにクロスベル警察・特務支援課の分室に住み着くようになった名目上の警察犬の名だ。
 その正体はクロスベルの伝承に登場する神狼。〈七の至宝〉の行く末を見守るために女神が遣わせた聖獣の一体だった。
 そして目の前の巨狼が、シャーリィたちを導いた犬の正体なのだろうとリィンは察する。

「そうだよ。道はキーアが開くけど、リィンの世界への案内はこの子がするから」

 自分のことのように嬉しそうに、キーアはそう話す。ツァイトを褒められたと思って喜んでいるのだろう。
 至宝の行く末を見守る使命を帯びた聖獣と、その身に至宝の力を宿した少女。
 ある意味で納得の組み合わせだと、リィンは一人納得する。しかし、ならば尚更気になることがあった。

「どうして、ここまでしてくれるんだ? 俺はお前を殺すために呼ばれたんだろ?」

 リィンが気になっていたことは、それだ。キーアはリィンのことを世界が歪みを正すために呼んだ存在だと言った。それはシャーリィも言ってたように、元凶を殺すということに他ならない。いや、この場合は原因となった至宝を消滅させるために呼ばれたと言った方が正しいだろう。だとすれば〈王者の法〉なんて人の身に余る力が、自分に宿っている理由にも理解が行くとリィンは考えていた。
 恐らくは転生する際、至宝を消滅させるための力としてキーアのいう世界≠ェリィンに与えたものなのだと推測が出来る。そしてそれこそが以前シーカーが口にしていた真理。〈外の理〉と呼ばれるものを司る根源なのだとリィンは悟っていた。
 だがそれなら尚更、キーアにとってリィンは天敵とも言える存在だ。自分を殺すために呼び出された相手を、キーアがどうして助けようとするのかリィンには分からなかった。

「それがキーア≠フ願いだから」

 そう言って、苦笑するキーア。彼女の言うキーアが自身のことではなく、別のキーアであることはなんとなく分かる。
 恐らくは、すべての元凶。最初に因果に干渉し、歴史を歪めたキーアのことを言っているのだろうとリィンは察した。

「リィン。あなたは世界が生んだ修正力そのもの。改変された歴史を見守り、キーアを肯定する〈碧き虚ろなる神(デミウルゴス)〉とは対極に位置する存在。だけど、キーアの願いが生んだ罪≠ナもある」

 彼女はリィンのことをよく知っていると言った。それは当然だ。
 彼女もキーアの願いによって生まれた存在。リィンもまた、その願いによって呼ばれた存在だ。
 だから、自分のことも彼女はよく理解していた。

「自分の罪から逃れることも、目を背けることもキーアは望んでいない」
「だから、俺たちを助けるって言うのか? その結果、自分が殺されることになっても……」

 その一言でリィンはキーアが何を望んでいるのかを悟った。
 これは彼女にとって贖罪なのだ。キーアは自身が犯した罪が許されないものだということを理解している。だから罪から逃れることも、目を背けることもよしとしていない。それはリィンだけでなく自身の存在を否定することに繋がるからだ。
 いや、誰かに罪を裁いて欲しいと心のどこかで願っているのかもしれない、とリィンは考えた。〈碧き虚ろなる神(デミウルゴス)〉はキーアを肯定すると言った。それはそういう意味も含まれているのだろう。
 そんなキーアの気持ちを察して、リィンは頭を掻きながら深い溜め息を吐く。

「さっきも言ったが、俺は誰の言いなりになるつもりもない。ましてや、俺の意思を確認せずに別の世界へ転生なんてさせたクソッタレな奴の言うことなんてな」

 キーアが何を思っていようと、リィンにキーアを殺す理由はない。
 ましてや本人の意思を確認せずに異世界へ転生させた世界≠ニやらの言いなりになるつもりはなかった。

「リィンは優しいね」

 性格は全然ちがうけど、少しだけロイドに似てる。そんな風に思いながらキーアは笑った。


  ◆


 キーアの開いた道から、次元の狭間を行く二体の騎神と一匹の神狼の姿があった。

「――そうですか、カイエン公が……」

 ヴァリマールの操縦席で、リィンからカイエン公の最期を聞いたエマは悲しげな表情を見せる。互いに利用する関係だったとはいえ、嘗ては協力関係にあった人物の死だ。エマとしても複雑な想いがあるのだろう。
 リィンもあの執念にだけは驚かされた。獅子戦役から続く二百五年に及ぶ妄執に取り憑かれた男の最期。あれこそ帝国が抱える大きな闇の一部と言ってもいいだろう。そういう意味では〈結社〉の思惑も成功したと言っていい。
 そして、ふとあの男≠フ顔が頭を過ぎり、リィンは気になってキーアに尋ねた。

「そう言えば、キーア。お前は何か知っているみたいだったが、結局あの世界はなんだったんだ?」

 それは以前から、ずっと気になっていたことだった。
 最初は原作の流れの世界なのかと思ったが、明らかに共和国の動きや内戦以降の歴史の流れが大きく異なっている。それにキーアは生きていると言ったが、あの世界のリィンがどうして行方を眩ませたりしたのか、その辺りの事情がさっぱりと分からなかった。
 そんなリィンの質問にツァイトの背中に掴まりながら、少し俯いた様子でキーアは答える。

「キーアを助けようと遺跡に向かったロイドが、ヨアヒムに殺された最初の世界。そしてリィンがクロウの無念を晴らすために血の繋がった父親を殺め、結社の魔女と姿を消したのが、リィンが流れ着いた世界の歴史だよ」

 キーアの話にリィンは目を丸くして驚く。だが、そう考えると確かに合点が行く部分も多かった。
 共和国の侵攻を許す結果となったのはギリアス・オズボーンが死亡し、〈灰の騎神〉の起動者であるリィンが姿を消したためかとリィンは理解する。
 だとすれば、クロスベルも――

「そういうことか。じゃあ、倉庫にあった刀とオーブメントは……」
「……うん。リィンが姿を消す時に置いていった物。それを帝国の皇女から預かったリィンのお父さんが、エリゼにも内緒で保管していたんだと思う」

 決別の証のつもりだったのか? それとも他に理由があるのか?
 リィンが刀とオーブメントを置いて姿を消した理由を考え、リィンは頭を振る。考えても仕方のないことだ。
 あの世界のことは、あの世界の人々がどうにかするしかない。そしてエリゼなら兄との再会を果たし、上手くやっていくはずだとリィンは信じていた。
 そこまで考え、ふと気付く。

「ああッ! そういや、俺の武器やオーブメント!?」

 大変な忘れ物をしていることに気付き、リィンは声を上げて慌てる。
 そんなリィンの慌てように気付き、シャーリィは操縦席の脇に置いてある一本のブレードライフルに目を向けながらリィンに尋ねた。

「あれ? リィン、もしかして武器をなくしちゃったの?」
「いつの間にか、なくなってたんだよ! 親父の形見の剣もあったのに!?」
「借りてた奴なら一本だけだけど、ここにあるよ?」
「……え?」

 そう言えば、とリィンは思い出す。一本はマクバーンに折られ、もう一本はシャーリィに貸したままだった。
 しかし実はもう一本、予備にと持ってきていたブレードライフルがあったのだ。それがゼノから譲り受けたルトガーが生前に使っていたブレードライフルだった。
 その一番なくしてはならない形見の武器を落としてしまったことに酷くリィンは落ち込む。
 今度ゼノに会ったらなんて言い訳しようとリィンが頭を抱えていると、キーアは何かを決心した様子でツァイトに声を掛けた。

「ツァイト」
「……仕方あるまい。少し寄り道をすることになるが構わぬな?」
「え? お前、やっぱり話せて――」
「ワンコがしゃべった!」

 ずっと黙っていたツァイトが急に人間の言葉を話したことで、知っていたこととはいえ、少し驚いた様子を見せるリィン。
 そんななかで目を輝かせたシャーリィが騎神に乗ったままツァイトに近付き――抱きついた。

「恐いもの知らずだな。ほんとに……」
「ですね……」

 騎神に抱きつかれる神狼を見て、何とも言えない表情になるリィンとエマ。

「よせ! 私は犬ではない!?」
「そうだよ。ツァイトは普通の犬じゃなくて留守番も出来る番犬さんなんだから!」
「いや、キーア。それも少し違うのだが……」

 キーアのフォローになっていないフォローに、ツァイトは渋い表情を浮かべる。
 そんな緊張感のない二人と一匹のやり取りを前に溜め息を漏らし、リィンは気になったことをツァイトに尋ねる。

「お前もキーアと同じように、あちらの世界のツァイトじゃないのか?」
「それは正確ではない。私を含め、お前たちが〈紅き終焉の魔王〉と呼ぶ者たちは、理の地平より召喚されしものだ。現世の姿は、現し身に過ぎない」
「……ようするに、元は一つってことか?」
「然り。そういう意味で言えば、お前も我等と似た存在と言える。唯一無二の魂を有している時点でな」

 ツァイトには失礼かもしれないが、あの魔王や聖獣と一緒と言われてリィンは微妙な表情をする。だが、それだけ聞ければ十分だった。
 リィンが知りたかったのはあちらで聖獣に会った時、どういう風に対応すればいいかという問題だけだったからだ。
 いまの話を信じるなら、現世のツァイトも事情を理解していると考えていいだろう。なら、残された問題は一つだけだ。

「話を戻すが、見つけられそうなのか?」
「……当然だ。貴様の纏うニオイは独特だからな。その程度のこと造作もない」

 心の中で「それ、やっぱり犬なんじゃ?」と、リィンはツッコミを入れるのを忘れなかった。


  ◆


 ――緋の帝都ヘイムダル。
 内戦終結から一ヶ月が過ぎ、ようやく帝都は復興の兆しを見せ、人々の生活も落ち着きを取り戻しつつあった。
 そんななか街の中央にそびえ立つバルフレイム宮殿の一角にある執務室で、オリヴァルトは慣れない執務に悪戦苦闘していた。
 民の生活は元に戻りつつあるとは言っても、先の内戦は帝国の政治と経済に消しようのない爪痕を残したままだ。
 ユーゲント三世の不在に加え、先日クロスベルでだされた声明を巡っては国内でも意見を二分し、大きな問題として取り上げられていた。

「まいったね。まさか、こんな手で来るとは……」

 息抜きに新聞を広げながら、今回ばかりは本気で困った様子でオリヴァルトは呟く。
 新聞には『百日戦役の真実! 隠された帝国の陰謀』という見出しがデカデカと書かれていた。
 二週間前にクロスベルでだされた声明。それはユーゲント三世が亡命政府を設立し、それをクロスベルが受け入れたというものだった。その理由として公表されたのが、リベールの口を塞いでまで帝国が隠し続けてきたハーメルの真相だった。
 記事にはこう書かれていた。呵責の念に苛まれ、百日戦役の真相の公表を迫ったユーゲント三世を貴族派は幽閉した。そのことを知ったオズボーン宰相は貴族派の陰謀を食い止めるために行動にでるが、テロリストの銃弾の前に負傷してしまう。そんななかルーファス・アルバレアが密偵として貴族派に潜り込み、考えを同じくする同志たちと共に皇帝を救出して祖国を脱出。オズボーン宰相とクロスベルで合流し、亡命政府を立ち上げるに至ったと事細かに記されていた。
 如何にも大衆が喜びそうな記事だとオリヴァルトは評価する。そして、その筋書きに帝国は踊らされていた。

「皇帝の良き理解者、ギリアス・オズボーン。それに皇帝を窮地より救い出した若き英雄、ルーファス・アルバレアか」

 鉄血宰相の名で知られるギリアス・オズボーンは内外に敵も多かったが、同時に結果を残してきた男だ。それだけに未だギリアスを支持する人間は少なくない。そこに加えてユーゲント三世が百日戦役の過ちを認め、公式に謝罪をしたことで周辺各国では民衆を中心に彼等に対する同情の声が上がっていた。
 まだ帝国は正式なコメントを発表していないが、ユーゲント三世の行動を認めるということはギリアスやルーファスの罪を不問とすることに他ならない。だが皇族派が内戦を終結させ、セドリックの下でようやく再スタートを切ったばかりの帝国に再び彼等を戻すというのは、元の木阿弥になりかねない行為だ。いや、それ以上の混乱を招く恐れがある。それこそ、ギリアスの思う壺だとオリヴァルトは考えていた。

「嘗て宰相の行為を非難した僕が、真実を認めるわけにはいかない立場にあるとはね。皮肉なものだ」

 これでは彼等のことを言えないな、とオリヴァルトは自虐的な笑みを浮かべる。
 しかし、それが政治の世界だ。この国の人々を愛するが故に覚悟を決めて立ち上がった弟や妹のために、信念を曲げることになっても後悔はない。

「リィンくん。キミなら、こんな時どうするんだろうね?」

 あれから姿を見せない青年のことを考え、オリヴァルトは天を仰ぎながら呟いた。


  ◆


「リィンさんなら何もしないでしょうね」
「……何もしない?」
「私との契約は内戦が終わるまででしたし……」

 そう言って頬に手をあてながらアルフィンは答える。
 突然、相談を持ち掛けられて何かと思えば、そのことかと納得しながらアルフィンはセドリックに話す。

「それでも彼に何かをさせたいなら、彼を納得させるだけの物を見せて交渉するしかないでしょうね」
「それは、お金ってこと?」
「それだけで動いてくれるのなら簡単なのでしょうけど……」

 リィンは猟兵だ。故に無償で人助けをしない人間であることをアルフィンはよく知っている。まったく人助けをしないというほど薄情でもないのだが、遊撃士と違ってリィンは自分を安売りしたりはしない。だからと言って多額の報酬を用意すれば依頼を受けてくれるというものでもないことは、リィンの性格を知るアルフィンにはわかっていた。
 そもそも契約の延長はアルフィンも考えていたことだ。以前、吹っ掛けられた十億ミラという金額をだしてでも、〈灰の騎神〉やリィンの実力を考えれば引き留めたいと考えるくらい惜しい。だが帝国に引き入れようとしたところで、それは難しいだろうとも思っていた。
 結果、アルフィンのだした答えは、リィンが姿を見せたら一応は打診してみるが強要はしない。出来ることなら、これからも良い関係を構築していきたいという一見すると消極的なものだった。

「前から聞こうと思ってたんだけど、アルフィンはリィンさんのこと心配じゃないの?」
「少しは心配をしていますよ。ですが、信頼もしているので」

 そんなアルフィンの答えに、セドリックは少し驚いた様子を見せる。しかしリィンの実力を考えれば、納得の行く話でもあった。
 セドリック自身、こんな相談をアルフィンに持ち掛けたのは、リィンが死ぬはずがないと心のどこかで確信しているからだ。

「僕も兄上やリィンさんみたいに強ければ、そんな風に迷わずに済むのかな……」
「……何かあったのですか?」

 いつもと違うセドリックの様子に、アルフィンは訝しげな表情で尋ねる。

「分からないんだ。本当にこのままでいいのかって……」

 そう俯きながら話すセドリックを見て、アルフィンは何を悩んでいるのかを察する。
 前から少し様子がおかしいことには気付いていたが、ようするに今頃になって怖くなったのだろう。国を背負うということ、その重圧に押し潰されそうになっているのだとアルフィンは感じた。
 そこに加えてクロスベルでだされた声明だ。そこにギリアスやルーファスだけでなく自分の父親まで関わっているとなると、真面目なセドリックが思い悩むのも仕方のないことだとアルフィンは溜め息を漏らす。

「後悔してる?」
「それは……」
「なら、言い方を変えましょうか。セドリックはリィンさんに言われたから決めたの?」

 アルフィンの言葉がセドリックの胸に突き刺さる。
 セドリックにとっては酷な質問だと理解しつつも、これだけは聞いておかなくてはいけなかった。

「……それは違う。僕は皆のために自分に出来ることをしたくて……」
「なら、その気持ちを大切にすればいいんじゃないかしら?」
「……アルフィン?」

 これでリィンに言われたから決めたと言われれば頬を叩いていただろうが、そのことがわかっているのならアルフィンも特に何かを言うつもりはなかった。
 重要なのは他人に言われたから決めたのではなく、自分の意思で選択したという事実だ。

「憧れるのは自由だけど、決してその人自身にはなれない。なら、セドリックにはセドリックにしか出来ないやり方で強くなっていくしかない」
「僕にしか出来ないやり方……」

 自分にしか出来ないやり方で強くなるしかないと言われて、セドリックは真剣な表情で考える。この様子なら、もう大丈夫だろうとアルフィンは思う。
 セドリックは愚かな人間ではない。自分で考え、自分の足で歩いて行ける人間だ。
 知識は勉強すれば身につくものだ。経験は時間が解決してくれる。足りないものは出来る人間に補ってもらえばいい。しかし、為政者として一番大切なもの。それは学んだからと言って身につくものではない。
 皆のために自分に出来ることをしたい、とセドリックは言った。その決意があれば、結果は自ずと付いてくる。

(とはいえ……)

 セドリックの成長を待っていられるほど、帝国には――いや、世界には猶予が残されていない。
 クロスベルを中心に蠢き始めた陰謀。ゆっくりと忍び寄る動乱の兆しをアルフィンは感じ取っていた。



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