「アホだ……俺よりもアホがいる……」

 オルキスタワーに設けられた政府専用のフロアで、ラジオから流れるリィンの話を聴いていたレクターは、いつになく動揺した姿を見せる。まさか記者会見で宣戦布告とも取れる発言をしてくるとは、さすがのレクターも予想していなかった。
 下手をすれば国際問題になりかねない発言だ。いや、相手は猟兵だ。そもそも国ではないのだから、抗議したところで効果があるとは思えない。それにクロスベルを非難するのではなく、ギリアスを名指しにしてきたところが如何にもいやらしかった。
 ギリアスに的を絞っているとわかれば、共和国を始めとした周辺諸国も恐らくは静観を決め込むだろう。リスクを冒してまで虎の尾を踏む必要はないと考えるほどに、あの会見はインパクトが強すぎた。噂を逆手に取って血縁関係を認めることで国と国の問題ではなく、ただの親子喧嘩に問題をすり替えたのだ。以前オリヴァルトの奇想天外な行動に驚かされたことがあるが、あの時以上の驚きだった。政治の世界に生きる人間には絶対に思い浮かばない考え。まさに常識の斜め上を行く発想だとレクターは評する。
 そして先程から椅子に背を預け、一言も発さないギリアスにレクターは尋ねた。

「で? あの挑発に乗っかるんで?」
「ククッ、まさか。猟兵の言葉に踊らされ、付き合う必要はあるまい。我々は座して待てばいい。既に種は撒かれているのだからな」

 確かにその通りだ。あの共和国軍を撤退に追い込んだ騎神を相手にするなんてバカげている。
 しかし同時に、ギリアスらしくないとレクターは思った。

(何を考えてる? どうにも、おっさんらしくない。何か、まだあるのか?)

 いつものギリアスなら、挑発に乗らないまでも何らかの手を講じるはずだ。
 このまま静観するということは、逆にクロスベルが国際社会から孤立しかねない。それでは相手の思う壺だ。
 いや、それがわかっていてやっているのだとすれば――

(そうか。最初からリィン・クラウゼルを誘い出すことが狙いだったってことか)

 ハーメルの真相を公表したところから、すべてたった一人の青年を表舞台に引き摺りだすのが狙いだったのだとレクターは気付いた。
 しかし、分からない。強いとは言っても一人の猟兵に、ギリアスほどの男がそこまで執着する理由がレクターには分からなかった。
 血が繋がっているからと親子の情で動くような人間には思えない。だが何らかの思惑があって、この状況を作りだしたことは間違いなかった。

(アイツに何があるって言うんだ? これがおっさんを裏切った理由ってことか? クレア)

 袂を分かった元同僚のことを考えながら、レクターは窓の外に見える景色に目を向ける。
 ギリアスはクレアが裏切る可能性を考えていたようだが、クレア・リーヴェルトとは義理堅く不器用な女だ。
 恩という枷で縛っている限り、少なくともクレアからの裏切りはないとレクターは考えていたのだ。
 しかし、そんな彼女がギリアスを裏切った背景には、リィンが深く関わっているとレクターは見ていた。

(……リィン・クラウゼルか)

 偽りの繁栄と平和を享受するクロスベルの街並みを眺めながら、レクターは嵐の訪れを感じ取っていた。


  ◆


「最初はどうなることかと思ったけど、無事に終わってよかった……」

 記者会見が無事に終わり、オリヴァルトは安堵の息を吐く。正直なところ無茶の過ぎる計画だと思っていた。
 しかし、あのくらいのことをしなければ、ギリアスに対抗できないこともわかっていた。
 大陸を見渡したところで、あの男に政治と謀略で敵う者はいないと言ってもいい。
 だから敢えてリィンは常識外れなことをすることで、相手を自分の土俵に引き摺り出そうとしたのだとオリヴァルトは解釈した。

「挑発に乗ると思うかい?」
「乗らないだろうな。少なくとも俺なら罠とわかっていて飛び込んだりはしない」

 オリヴァルトの考えとは少し違い、リィンは最初からこの流れもギリアスの思惑の内なのだろうと推察していた。
 それを承知の上で相手の挑発に乗ったのだ。当然、意趣返しはさせてもらったが、これでようやく振り出しに戻っただけだ。
 ギリアスに対しては効果は薄いだろうが、周辺諸国に対しては別だ。あれだけ釘を刺しておけば、しばらくは共和国も大人しくしているはずだ。
 少なくとも半年から一年、準備が整うまでの時間を稼げれば十分だとリィンは考えていた。

「それに、これで大衆の目は自然とこっちに集まるだろうしな」
「なるほど……」

 オリヴァルトはリィンの狙いを察し、納得した様子で相槌を打つ。先の内戦のことなど吹き飛んでしまうくらい、今回の記者会見はインパクトが強かったはずだ。
 大陸中の国々が〈暁の旅団〉とリィン・クラウゼルに注目している。ギリアス・オズボーンに関しても疑惑は簡単に消すことは出来ない。
 人は自分の信じたい情報を信じ、憶測や噂に踊らされる生き物だ。だからこそギリアスも大衆を煽り、自分たちにとって有利な状況を作りだそうとした。
 リィンはギリアスのやり方を真似、そんな人間の性質を利用したに過ぎなかった。

「それで、彼等はどうだい?」
「ああ、よく働いてくれてるよ」

 彼等というのは、先日オリヴァルトから引き取った帝国解放戦線の元構成員たちだった。とはいえ、そのほとんどは先の内戦で死亡している。生き残っているのは作戦には直接参加しなかった非戦闘員ばかりだ。数にして二十人ほどだが、ヴァルカンやスカーレットと一緒にリィンは彼等も預かることにしたのだ。その理由として、カレイジャスの船員の問題があった。
 船を動かすには人手が必要だ。これまでは士官学院の学生たちがいたことで、どうにか船を動かすことが出来ていたが、これからは団員だけでどうにかする必要がある。そこで丁度良いと考え、彼等を船で働かせることにしたのだ。テロリストと言っても、ヴァルカンのように荒事に慣れた人間は少ない。どちらかと言えば元一般人が多く、帝国解放戦線に入った理由もギリアスの行った政策によって住む家や仕事を奪われたからというものが多かった。言ってみれば、テロに加担した犯罪者であると同時に、帝国の歪みが生んだ被害者とも言うべき人々だ。やったことは犯罪に違いないが、これならケルディックを焼き討ちした領邦軍やノルドの集落を襲った猟兵の方が余程悪人と言えるだろう。
 どちらにせよ猟兵になるような奴に、まともな過去を持った人間は少ない。普通の仕事に就くことが出来ない、そういう生き方しか知らないような連中ばかりだ。そういう意味では人生を踏み外した彼等にとって、これ以上ない就職先だろうとリィンは思っていた。
 それに船員を募集したところで、これ以上の人材が集まる保証もない。それどころか高確率で他国の諜報員や、猟兵とは名ばかりの腕自慢が集まるだけだとリィンは確信していた。それだけに一から人材を育てた方が早いと考えたのだ。そのなかでも一番必要なのは整備士だ。最新鋭の飛行船を運用しようと思えば専門技術を有した人間が必要となるが、生憎と整備経験のある者はいたが扱ったことがあるのは小さな飛空艇くらいで、実際に運用するには不安が残る結果となった。そこでリィンはラインフォルトを頼ることにした。
 元々カレイジャスはリベールにあるツァイト中央工房とラインフォルト社が協力して造った船だ。それだけに船のことは製造元に聞くのが一番早い。アリサの母親でもあるラインフォルト社の会長イリーナ・ラインフォルトと交渉をした末、リィンはラインフォルトからの出向というカタチで技術者を寄越してもらい、船員の育成に力を貸してもらう約束を取り付けていた。

「それより、そっちは大丈夫そうなのか?」

 リィンが何を心配しているのかを察して、オリヴァルトは苦笑する。

「ああ、なんとか抑えられそうだ。貴族勢力の中心となっていた人物が死亡したことで、貴族派の影響力は削がれているからね。まあ、革新派とのバランスが崩れ過ぎるのもよくはないんだが……」

 一応の終結を見たとは言っても、帝国が抱える問題が完全に解決したわけではない。貴族という特権階級が存在する以上、改革を推し進めていけば、これからも先のような問題は発生する。だからと言って中途半端に改革を止めてしまえば、改革を支持する民衆からの反発も強まるだろう。伝統と格式を重んじることは確かに大切だ。しかし伝統に拘り過ぎれば、それは因習となり帝国は時代に取り残されることになりかねない。そうならないためにも、改革そのものは必要だとオリヴァルトは感じていた。
 とはいえ、急速な改革は先の内戦のような失敗を招きかねない。そのバランスを取るのにオリヴァルトは四苦八苦していた。
 ただ良いニュースもある。帝国の未来を担う若者たちが、貴族派・革新派の垣根を越えて集い、セドリックを頂点とした皇族派を盛り立てていた。
 そのことが原因で領邦軍と正規軍の関係が改善され、以前よりマシになっていることは唯一の救いと言えた。
 その話をオリヴァルトから聞いたリィンは、「あの気弱そうな坊ちゃんがな」と意外そうに呟く。

「まあ、僕の弟だからね!」
「うん……お前に似なくて本当によかったと思うわ」

 容赦のない皮肉を言われても、まったく堪えた様子のないオリヴァルトを見て、リィンは少しだけミュラーの気持ちを理解する。
 そして、噂をすればなんとやら――

「すまない。あのバカを見なかったか?」

 黒いスーツを身に纏い、サングラスをかけたミュラーが姿を見せた。リィンはミュラーの問いに答えるように、そっとコンテナの陰に視線を向ける。
 一瞬でミュラーの接近を察知し、あんな場所にまで逃走してみせたオリヴァルトの勘の鋭さにリィンは呆れた。
 しかしミュラーも慣れたものだ。リィンに礼を言うと踵を返し、逃走するオリヴァルトの追跡に移る。
 逃げるオリヴァルト。追い掛けるミュラー。そんな二人を見送り、リィンは疲れきった表情で自分の部屋へと戻っていった。


  ◆


 トールズ士官学院の敷地内にある技術部が管理する格納庫で、トワは膝を抱えながらラジオの放送を聴いていた。

「リィンくんらしいね」

 常識を非常識で覆す。そんなリィンの行動に懐かしさを覚え、トワは笑みを漏らす。本当はリィンの帰還の報せを受けた時にすぐにでも会いに行きたかったが、トワはそうしなかった。この春で学院を卒業することから生徒会の引き継ぎなどで忙しいというのも理由にあるが、ギリギリまでここで帰りを待ちたい人物がいたからだ。
 学院を離れている間に、もし彼が帰ってきてしまったら出迎える人間が誰もいなくなってしまう。そう考え、トワは生徒会の仕事がない時はこうして彼の帰りを待ち続けていた。その理由は、ジョルジュとアンゼリカがもう学院にいないことにあった。
 元々ジョルジュは技術者としての腕を磨くために、大陸を代表する各国の技術工房への武者修行を計画していた。その第一候補として考えていたのがエプスタイン博士の三高弟の一人、アルバート・ラッセルがいるツァイス中央工房(Zeiss Central Factory)――通称ZCFなのだが、そのZCFから連絡が来たのだ。
 最初はジョルジュも春までは学院に残るつもりだったみたいだが、そんな彼をトワは後押しした。ジョルジュがどれだけ自分の夢に向かって頑張っていたかを知っているからだ。
 そしてアンゼリカもまた、侯爵家の娘として責務を果たすために学院を一足早く去っていた。四大名門のうち二つの家の当主が死亡したことで、貴族社会には大きな波紋が広がっている。当然その影響はログナー侯爵家も受けており、ハイデル・ログナーがルーレの一件で失脚したことによって猫の手も借りたい状況が起きていた。そこで実家からアンゼリカに打診があり、それを彼女が了承したというわけだ。
 当分は大陸横断の夢も実現できそうにない、と言って彼女が置いていった導力バイクが技術棟の一角には保管されていた。
 寂しくないと言えば嘘になる。でも、皆の門出を祝福したいとトワは思っていた。そんなトワも、この春で学院を卒業する。
 進路も既に決まっており、このままでは待ち人が帰ってくる前に彼女も学院を去ることになる。それだけに僅かな焦りもあった。

「ほんとに遅いよね。いつも遅刻ばっかりなんだから」

 トワが背中を預けながら語りかける先には〈蒼の騎神(オルディーネ)〉の姿があった。
 内戦の後、人目を避けるように学院(ここ)に運ばれてきたのだ。恐らくは軍や政府の介入を防ぐために、オリヴァルトがそうしたのだろうとトワは気付いていた。
 そのままにしておけば、また争いの火種となりかねない。だから騒動が落ち着くまでは、ここに保管しておくつもりだったのだろう。

「……クロウくん」

 膝を抱え、俯きながらトワは彼の名前を呟く。ここにいれば彼が――クロウが帰って来るのではないかとトワは思っていた。
 ただの希望的観測に過ぎない。クロウが捕まって軍の施設に収容されていることはトワも知っていた。
 それでも希望がなくなったわけではない。出来ることなら学院を一緒に卒業したい。そんな風にトワは願わずにはいられなかった。

「呼んだか?」
「……え?」

 トワの耳に懐かしい声が届く。
 顔を上げ、声のする方へ誘われるように立ち上がるトワ。そして――

「たくっ、湿っぽい顔をしてるんじゃねえよ」

 目の前に彼、クロウ・アームブラストはいた。
 トワと同じ深緑の制服に身を包み、頭に巻かれたバンダナはどこか懐かしさすら覚える。
 いつものように悪びれた様子もなく、頭をポリポリと掻きながら近づくクロウを見て、トワの瞳から自然と涙がこぼれ落ちる。

「ああ……なんだ。悪かったよ。だからな。ほらっ、なんかこれだと俺が泣かせてるみたいじゃないか? こんなところゼリカやジョルジュに見られでもしたら――」

 急に泣きだしたトワを見て、必死に慰めようとするクロウ。
 こんなところをあの二人に見られでもしたら、一大事だとばかりに本気で焦っていた。
 そんな焦るクロウの姿に、思わずトワはプッと息を吹き出す。

「二人なら、もういないよ。一足先に卒業しちゃったから」
「……悪かった。なんか、待たせちまったみたいで……」
「うん、大遅刻だね」

 涙を指先で拭いながら、トワは笑顔でそう答える。
 本当はもっといろいろと話したいことがあった。言いたいことがあった。
 なのに結局は、いつもと変わらない。遅刻したクロウを叱りつけるトワの姿がそこにあった。



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