結論から言えば、エリィはリィンの提案を呑んだ。リィンがエリィに求めたのは、クロスベル解放の御旗として振る舞うことだ。ヘンリー・マクダエルの娘というだけでも、エリィにはその資格が十分にある。
 一方でリィンはギリアスに宣戦布告をしたが、クロスベルを侵略するだけの大義名分を持たない。ましてや一介の猟兵が自治州を支配するような真似を共和国を始め、国際社会が認めるはずもないことはわかっていた。
 だからエリィ・マクダエルという御旗を立てたのだ。

『……最初から、これが狙いだったのですね』
「帝国にとっても悪い提案ではないはずだ」

 現在リィンは無人のブリッジで、帝都にいるアルフィンと通信を取っていた。
 少し恨めしそうな目でリィンを睨み付けるアルフィン。だが、リィンの言うように帝国にとっても悪い話でないことは確かだった。
 クロスベルを解放した後、帝国領に併合することが出来れば、長年の悩みの種が一つ減ることになる。ましてや、クロスベル側からの申し出という建て前を作れるのなら国際社会の非難を回避することも、共和国の反論を封じることも可能だ。その上で共和国が攻めてくるようなら、堂々と軍を差し向けることが出来る。少なくとも帝国に大義名分はあるからだ。
 クロスベルを経済特区として自治を認めるというのは些か揉める内容かもしれないが、総督を派遣することで帝国の統治下に置くことが出来れば、面子を重視する貴族たちを黙らせることは難しくはないだろう。
 しかしアルフィンが怒っているのは、そういうことではなかった。

『……それほど、わたくしは頼りないですか?』
「いや、頼りにはしてるさ」
『でしたら、何故――』

 確かにリィンとの契約はクロスベルの一件が片付くまでと決まっていた。しかし契約があろうとなかろうと、アルフィンはリィンに協力を惜しむつもりはなかった。
 何があろうとリィンの味方でいると心に誓ったばかりだというのに、肝心のリィンは早々と物事を決めて、自分の手が届かないところにまで行ってしまおうとしている。そのことがアルフィンは気に入らなかった。

「だからだよ。少し無理してるだろ?」

 結局はアルフィンに甘えてしまっている自分にも問題があるとリィンは思っているが、それを言ったところで解決のしない問題だ。
 アルフィンは帝国の皇女。リィンは猟兵。その立場や関係が変わることはない。
 このまま帝国に留まることを選択すれば、よりアルフィンの負担が増すことは目に見えていた。
 だからアルフィンに内緒で計画を進めていたのだ。エリィが自ら懐に飛び込んできてくれた時は、運命だとさえリィンは思った。

『……そんな風に言うのは狡いです』

 その言葉と表情からリィンが本気で気遣ってくれていることがわかり、アルフィンは嬉しい反面、少し悔しかった。
 覚悟を決めてオリヴァルトにまで啖呵を切ったと言うのに、結局は守られていることに気付かされたからだ。

『リィンさん。一つだけ聞かせてください』
「なんだ?」
『わたくしがエレボニアの皇女でなくとも、心配してくれましたか?』

 思いもしなかったアルフィンの質問に目を丸くするリィン。
 しかし、その真剣な眼差しに気付き、リィンは茶化さずに真面目に答える。

「意味のない質問だな。俺が猟兵でアルフィンが皇女だから、この関係はある。そもそもの前提からして、アルフィンがただの一般人なら俺たちは出会わなかった」
『……そう、ですよね』

 リィンらしい答えだとアルフィンは思った。
 一般人が猟兵に依頼をするようなことは滅多にない。そもそもの話、猟兵を雇うだけのミラを十代半ばの少女が用意するのは無理がある。
 アルフィンが皇女だから、猟兵のリィンと接点を持つことが出来た。それは紛れもない事実だった。
 しかし、それはアルフィンの求めていた答えではなかった。そのことにリィンも気付き、苦笑しながら言葉を付け加える。

「だが、アルフィン・ライゼ・アルノールと契約を結ぶことを決めたのは俺の意志だ。オリヴァルトではなく、俺はアルフィンを選んだ。それは皇族だからという理由ではないことは確かだ」

 寂しげな表情から一転して、潤んだ瞳でリィンを見詰めるアルフィン。
 オリヴァルトも皇族の一員だ。しかしリィンはオリヴァルトではなく契約の相手にアルフィンを選んだ。それもまた紛れもない事実だった。
 聞くまでもなくわかっていたことだった。リィンは身分で相手への接し方を変えるような人物ではない。皇族だから女子供だからと差別するのではなく、契約者としてアルフィンに接してきた。
 それはアルフィンを対等な取り引き相手として認めているからだ。

『……リィンさんは、やっぱり狡いです』

 リィンは決して優しい言葉などかけてはくれない。なのに、これまでに聞いた誰の言葉よりも強く胸に染み渡るのをアルフィンは感じていた。
 少しだけエリゼやフィーが羨ましく思う。皇女という立場でなければ、もっと素直になれたかと思うと少しだけ自分の生まれが煩わしくも思えた。しかし――
 皇女と猟兵。例え、それが契約に縛られた関係であっても、二人の間にある絆は偽りではない。だからこそ他の誰にも真似の出来ない、自分にしか出来ないことがあるとアルフィンは考えた。

『リィンさん、わたくしからも一つ相談があります』

 意を決した様子で、アルフィンは話を切り出す。
 それはリィンの負担になるかも知れないと考え、話すかどうか迷っていたことだった。

『リベール王国から〈紅き翼〉の件で問い合せがありました』

 いつかは来ると思っていただけに、リィンは特に驚いた様子を見せなかった。
 カレイジャスはエレボニア帝国とリベール王国の友好の証にと建造され、アルノール皇家に献上されたものだ。それを猟兵に下賜するに至った経緯など、建造に関わった王国が知りたいと考えるのは自然なことだった。
 特にリベールは過去の経緯から猟兵の運用を厳しく禁止している。そのことを考えれば、今回の帝国の決定を挑発のように受け取っても不思議ではない。他意はないとはいえ、両国の友好に溝を入れかねない問題だ。そうなることがわかっていてカレイジャスを下賜したのは、王国との友好よりもリィンとの関係を重視したからとも言えた。帝国にとってリィンの存在はそれほどに重く、厄介な存在でもあると言うことだ。

「リベールはなんて言ってきたんだ? その様子だとお決まりの返答で終わりとはいかなかったんだろ?」

 だが、それだけなら帝国と王国の問題だ。
 そうしたデメリットを承知の上で、帝国はリィンにカレイジャスを与えることを決定したのだから――
 アルフィンも本来であれば、リィンの手を煩わせるつもりはなかった。しかし王国は、アルフィンの予想とは違った回答をしてきた。

『昨今の帝国と王国を取り巻く国際情勢について、意見を交換する会談の席を設けたいと』
「……それの何が問題なんだ?」
『その打診はアリシア女王陛下から、わたくしに直接届けられたものです』

 思いもしなかったことをアルフィンの口から聞き、リィンは目を丸くして驚く。
 帝国政府にではなくアルフィンに直接打診してきたということは裏があると言うことだ。

「……王国は何を企んでる?」
『詳しいことはわかりません。ですが、先方はリィンさんとの非公式の会談を望んでいるようです』

 益々、胡散臭い話だとリィンは険しい表情を浮かべる。
 アリシア・フォン・アウスレーゼ。アリシア二世の名で親しまれるリベールの女王だ。六十を超える高齢ではあるが、その卓越した外交手腕は周辺諸国だけでなく大国からも一目置かれている人物だった。
 オリヴァルトではなくアルフィンを名指ししてきたということは、用があるのは自分の方だろうとリィンは察した。ようするにリィンとの非公式の会談を望んでいるということだ。
 リベールは猟兵の運用を禁止し、入国に厳しい規制を設けている。なのに、その規則を破ってまでリィンを自国に招きたい理由。カレイジャスの件は表向きの理由に過ぎないことは少し考えれば分かることだった。
 真の狙いは恐らく――

(クロスベル絡みか……)

 リベールはエレボニアやカルバートの間に立ち、不戦条約を締結させた国だ。そのことからクロスベルの問題にも積極的に関わってきた。先の西ゼムリア通商会議においても、女王の名代として孫娘のクローディア・フォン・アウスレーゼが出席していたと聞く。
 そうした経緯を考えれば、このタイミングでの王国からの接触はクロスベルの問題が絡んでいると考えるのが自然だ。疑問があるとすれば、帝国政府ではなくリィンに的を絞ってきたところだろう。
 普通なら一介の猟兵など無視して、国と交渉するのが普通だ。だが王国はアルフィンを通してリィンとの会談を打診してきた。そのことからも誰が鍵を握っているかを、正しく理解しているということだ。
 そうした状況から察するに、恐らくはアリシア二世だけの発案ではないだろうとリィンは考える。
 この筋書きを用意したと思われる人物にリィンは心当たりがあった。

(カシウス・ブライト。想像以上に厄介なおっさんみたいだな)

 ただの憶測ではあるが、ほぼ確信していた。
 カシウス・ブライト。元S級遊撃士にして百日戦役を終結に導いた英雄。リベールの切り札とも言っていい男だ。
 そして先の帝国で起きたギルド襲撃事件においても、事件を解決に導いた最大の功労者と目されている人物だった。

「アルフィン。その話、受けといてくれ」
『よろしいのですか? 何かの罠の可能性も……』
「そういう姑息な真似をするようなタイプじゃないさ。どちらかと言えば……」

 どうでるか反応を試されているのだろう、とリィンは察していた。


  ◆


 それから十日が過ぎ――

「ねえ、前から気になってたんだけど、このマークといい〈暁の旅団〉って名前に由来とかあるの?」

 いつでも出航が可能なように、リィンの指示で団員たちは忙しく物資の積み込み作業を進めていた。
 そんななかシャーリィはダンボールを両手に抱えながら、伝票のチェックを行っているフィーに尋ねた。
 その視線の先には、紅い船体の横に大きく描かれた太陽のマークがあった。
 リィンのイメージを元に描いた〈暁の旅団〉のシンボルだ。シャーリィやフィーのコートにも同様のマークが刺繍されていた。

「ん……そういうのは全部リィンが決めたから。リーシャは知ってる?」

 フィーは同じく隣で伝票のチェックをしていたリーシャに尋ねた。
 旅団に関しては、恐らく〈西風の旅団〉から拝借したのだということは想像が付く。しかし『暁』という言葉にフィーやシャーリィは馴染みがなかった。
 そのため、共和国出身のリーシャなら何か知っているのではないかと考えたのだ。

「『暁』とは東方の言葉ですね。夜明けを指す言葉だったと思います」

 フィーの予想通り、共和国にある東方人街の出身だけあってリーシャは東方の言葉に詳しかった。
 とはいえ、リィンがどういう想いをその名前に込めたのかまでは分からない。
 そこで荷物の搬入を終えた三人は揃ってエマの部屋を訪ねた。

「――と言う訳で、名前の由来を教えて」
「……どうして私に?」
「エマなら知ってると思って。いろいろとリィンから相談を受けて二人で内緒で何かやってるでしょ?」
「そ、それは……」

 三人を代表してエマに尋ねるシャーリィ。直接、本人に話を聞けば話は早いのだが、リィンは出航の手続きと別れの挨拶をするためにログナー候の屋敷へと出向いていた。
 早ければ明日にはアルフィンと合流して、リベールへ向けてルーレを発つことになるからだ。

「わかりました。ですが、リィンさんに私が言ったことは内緒にしてくださいね」
「どういうこと?」
「うっかりと口を滑らせたことを後悔されているみたいなので……」

 エマの言葉の意味が分からず、シャーリィは首を傾げる。
 ただ団の名前の由来を知りたいだけなのに、随分と勿体振った言い回しだった。

「暁とは夜明けを指す言葉です。ですから遊撃士を昼の住人に例え、夜の世界に生きる自分たちに相応しいのではないかと」
「でも、それなら〈夜の星座〉とかでもいいんじゃ?」
「旅団が消えてますよ。シャーリィ」

 ちゃっかりと古巣の名前を持ち出すシャーリィに、リーシャは冷静なツッコミを入れる。
 こういうことになるのが予想できたから、すべてをリィンに一任したのだ。
 それにリィンの決めたことなら、誰も文句を付けようがないだろうと考えてのことだった。

「私も同じようなことを尋ねました。するとリィンさんは……明けない夜はない、と」

 思い掛けない言葉をエマの口から聞き、目を丸くする三人。しかし話を聞けば、リィンらしいと思える理由だった。

「リィンさんらしいですね」

 それぞれに思うところがあったらしく、特にリーシャは神妙な表情で呟く。
 しかし、どうしてリィンが理由を話したがらないのか、シャーリィには分からなかった。

「でも、なんでリィンはエマに口止めしたんだろ?」
「たぶん……照れ臭かったんだと思う」

 リィンが敢えてこの話題に触れなかった理由に、フィーだけは気付いていた。ルトガーが生前それと似たようなことを言っていたのを思い出したからだ。
 リィンやフィーが団のことを家族と呼ぶように〈西風〉は他の猟兵団と比べても少し変わった団だった。仕事に関しては猟兵らしいシビアな一面を持ってはいるのだが、普段の姿を見れば裏の世界の住人とは思えないほど賑やかで、軍と同じく規律や上下関係に厳しい印象を受ける〈北の猟兵〉と比べると対照的な団だった。
 エマの話からリィンが作ろうとしている団も、そういう団なのだろうとフィーは思う。
 だからエマに口止めしたのだ。団の名前の由来を話せば、いまでも猟兵王(ルトガー)に憧れていることを嫌でも自覚させられるから――
 ルトガーの背中を追うのは止めたと口にしていながら、それでは格好が付かないと後で気付いたのだろう。
 それは、ただの男の意地だった。




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