型式番号Oz74。コードネーム〈黒兎(ブラックラビット)〉。アルティナという名前もあるが潜入任務に支障をきたさないため、便宜上与えられているに過ぎない。
 私は人形。ただ与えられた命令を遂行するだけの存在。そう、私は人≠ナはなく、ただの道具≠セ。
 彼――リィン・クラウゼルと出会うまでは、そう思っていた。

 彼はこれまで私が出会ったことのない不可解な人物だった。
 私がスパイであることを察していながら排除するどころか、食事や衣服を与え、仲間や家族に接するように気遣う態度を見せることもあった。
 だからと言って、ただのお人好しと言う訳でもない。猟兵らしい効率的な思考と、障害は容赦なく排除する非情さも持ち合わせている。
 氷のような冷たさと、太陽のような温かさ合わせ持つ不思議な人。
 兵器に感情は不要、ただ与えられた任務をこなすことだけを考えていればいい。
 そう教えられてきた私にとって、彼は理解の及ばない異物(イレギュラー)だった。

 でも……不思議と嫌ではなかった。

 心の何処かで、彼や彼の仲間たちとの生活を楽しいと感じている自分がいた。
 そう、これは楽しいという感情。初めてしたお洒落≠ニいうものには戸惑ったけど、他人のことなのに自分のことのように一生懸命に服を選び、笑顔を浮かべるアルフィンやエリゼを見て、不思議と私も胸が温かくなった。
 そして少し困った顔で私の頭に触れた彼の手は大きく温かかったことを覚えている。

 私には昔の記憶がない。目を覚ました時には既に結社の工房にいた。
 そこで任務に必要な知識と戦闘技術を学び――〈クラウ=ソラス〉と出会った。
 実験に適合できず廃棄された姉妹たちに比べれば、私やミリアムは運≠ェよかったと言えるだろう。
 これ以上を望むのは間違っている。なのに――
 任務を終え、いつもの日々に戻るのだと思うと、どうしてか胸が苦しかった。
 そんな時、彼は私に尋ねた。

 人形のままでいるか、人として生きるかを選べ、と――

 分からなかった。自分のしていることに疑問を抱いたことはない。そういうものだと思っていたから――
 だけど、彼の言うとおりだった。私は道具。不要になれば、切り捨てられるだけの存在。役目を果たせない道具に利用価値などない。
 そういうものだと考えることを放棄した時点で、こうなることは最初から決まっていたのだろう。
 そう考えると、少しだけミリアムが羨ましく思えた。……だから、彼の手を取ったのだと思う。

「……クラウ=ソラス?」

 闇の中に一条の光が射す。ふと顔を上げると、懐かしい気配がした。
 その気配が〈クラウ=ソラス〉のものだと、私にはすぐに分かった。

「待って……」

 出口へ誘うように〈クラウ=ソラス〉の気配が遠ざかっていく。
 手を伸ばし、私は必死に光の方へと走る。呼吸が乱れ、激しく胸が脈打つ。
 このまま〈クラウ=ソラス〉が何処か手の届かない遠くへ行ってしまうような――そんな不安に駆られながら私は必死に走った。
 出口に差し掛かり、ようやく光に手が届いた瞬間。私の頭に声が響く。

 ――アリガトウ。

 それが、私が最後に聞いた〈クラウ=ソラス〉の声だった。


  ◆


「くッ……」

 髪や瞳の色が元へ戻り、額から汗を滲ませながらリィンは床に膝をつく。初めて力を使った時に比べれば随分とマシになったとはいえ、〈黄金の剣(レーヴァティン)〉は人の身に余る力だ。その気になれば、女神の至宝(チカラ)さえも消滅させることが可能な終焉の炎。制御を誤れば自滅を免れない諸刃の剣だけに、その反動は大きかった。
 発動したのが一瞬だったこともあって、まったく異能が使えなくなると言ったほどではないが、しばらくは力の使用を控える必要があるだろう。
 通商会議の開催まで予定通りにいけば、三ヶ月ほど。ギリギリと言ったところかと、リィンは苦痛を表情に滲ませる。

「大丈夫か? 凄い汗を掻いとるみたいやけど……」
「少し力を使いすぎただけだ。休めば回復する。それより……」

 床にこぼれ落ちるほどの汗を滲ませるリィンを心配して、ケビンは声を掛ける。
 しかしリィンは心配ないと答え、アルティナへと視線を向けた。

「大丈夫。意識を失ってるだけ」

 仰向けに倒れるアルティナの容態を見て、リースは答える。意識を失ってはいるが、呼吸に乱れはなかった。
 額の聖痕が消えているのを見て、リィンが何をしたのかをケビンは察する。その上でケビンは質問をリィンにぶつけた。

「さっきの何をやったんや?」
「……奥の手の一つだ。ありとあらゆるものを燃やし尽くし、灰にする力。今回は疑似聖痕に的を絞って消滅させた」
「……は?」

 一瞬、リィンが何を言っているのか分からずケビンは呆ける。
 だが、すぐに頭を過ぎったのは先日のアーティファクトの件と、入り口の封印を消滅させた力だった。

「もしかして、アーティファクトの力を消滅させたり、扉の封印を破壊したのは……」
「根元は同じだ。上に報告するなら好きにしろ」

 予想通りと言ったリィンの答えに、ケビンは目を瞠って息を呑む。
 仮にも聖痕の力を身に宿すだけに、それがどういうことか、分からないケビンではなかった。

(こんなの報告できるわけないやろ。騎神の方がまだ可愛げがあるで……)

 ありとあらゆるものを燃やし尽くし、灰燼と化す炎。それは個人が持つ異能(チカラ)の範囲を超えている。旧公国を壊滅に追いやった塩の杭事件。その気になれば、あれと同じような現象を個人が引き起こせると言うことだ。それどころか、アーティファクトだけでなく疑似聖痕を消滅させられると言うことは、聖痕の力さえも消滅させられる可能性があると言うことだ。
 異能を使うものや守護騎士にとっては、まさに天敵とも言える力。下手をすれば、神敵として認定されてもおかしくないほどの力と言える。
 だからと言って、素直に教会の要求に応じるとは思えず、〈暁の旅団〉と敵対した場合、騎士団が負けるとまでは言わずとも多大な犠牲を払うことが予想できた。
 そんな最悪とも言える未来を想像してケビンは背筋を震わせる。
 トマスが教会の大掃除を企み、ロジーヌをリィンに付けた本当の理由に気付いたからだ。

「そんな奥の手があるなら、教会の助けなんて必要なかったんじゃ……」
「制御の難しい力でな。失敗すれば周囲のものすべてを呑み込みかねない。それに見えない対象を正確に狙って斬れるほど卓越した剣の腕があるわけでもないし、あれだけ強固な障壁を張られたままじゃ加減も難しいからな。どちらにせよ、俺一人の力じゃアルティナを助けられなかった。その点は感謝してる」

 リィンに感謝されるも、ケビンは何とも言えない顔を浮かべる。
 嘘は吐いていないのだろうと思うが、それだけに聞き逃せない話が混じっていた。

「……それ、失敗しとったら?」
「あらゆるものを燃やし尽くすと言っただろ。全員、灰になってただろうな」
「そういうことはやる前に言ってくれんか!?」
「そんな暇なかっただろうが……」

 下手をすれば全滅していたと教えられれば、ケビンが文句を言うのも無理はない。とはいえ、悠長にそんな説明をしている時間がなかったのは事実で、逃げればいいもののアルティナを助けるために残ったのはケビンとリースの意志だ。そのことがわかっているのか、ケビンも不満げな表情を浮かべながらも、それ以上は何も言わなかった。
 仮定はどうあれ、少なくともアルティナを助けることが出来た。その事実だけは変わりがなかったからだ。

「ここは……」
「目が覚めたか。身体に異常はないか?」
「……問題ありません。〈クラウ=ソラス〉は……」

 目を覚ますと、何かを探すようにキョロキョロと周囲を見渡すアルティナ。そして床に横たわる大きな影――〈クラウ=ソラス〉の姿を見つける。
 パッと見た感じでは損傷は見受けられないが、アルティナには〈クラウ=ソラス〉の状態がすぐに分かった。
 エマの魔術で感応力が抑えられていた時にでさえ、僅かに感じられていた〈クラウ=ソラス〉との繋がりが、現在はまったくと言っていいほど感じられなかったからだ。
 それは一つの答えを示していた。

「アルティナ。〈クラウ=ソラス〉は……」
「わかっています……」

 リィンの言葉をアルティナは寂しげな表情で受け止める。聖痕は肉体にではなく、魂に刻まれた呪いのようなもの。そのため、聖痕を消滅させると言うことは精神に干渉すると言うことだ。最悪、〈クラウ=ソラス〉だけでなくアルティナも目覚めなくなっていた可能性が高かった。
 それがわかっていたからこそ、リィンは教会を頼ったのだ。文字通りレーヴァティンの使用は最後の手段と言えるものだった。
 アルティナが無事だったのは、〈クラウ=ソラス〉に守られていたからだ。アルティナの代わりにリィンの炎を浴びた〈クラウ=ソラス〉は無事では済まなかった。それは、わかりきった結果だった。
 クラウ=ソラスの声はリィンにも聞こえていた。だから迷いなく剣を振うことが出来た。それが〈クラウ=ソラス〉の望みだと理解したから――
 だが、アルティナを助けるために〈クラウ=ソラス〉を犠牲にしたことに変わりはない。
 リィンはアルティナに近づくと、その小さな身体を優しく抱き寄せた。

「感情を抑えようとするな。泣きたい時は泣け。〈クラウ=ソラス〉が証明してくれんだ。お前は人形なんかじゃない。ひとりの人間として生きていけるってな」
「う………うあああああ――ッ!」

 リィンの胸の中で嗚咽を漏らすアルティナ。
 これまで自分でも気付かなかった、抑えつけてきた感情が涙となって溢れてくる。
 そんなリィンとアルティナを、優しい表情でケビンとリースは見守っていた。

「これで一件落着ってとこかな?」

 クラウ=ソラスのことを考えると、少しばかり気が晴れないがアルティナは救われた。少なくとも、その結果は喜ぶべきだ。
 リースに声を掛け、帰り支度を始めるケビン。その時だった。

「いや、まだ終わりじゃない。視てるんだろ? ――魔導師(マギウス)

 床に横たわる〈クラウ=ソラス〉を睨みつけながら、リィンは言葉を発する。
 すると〈クラウ=ソラス〉の全身が青白い光を放ち、白いスーツに身を包んだ女性が姿を見せた。

「アンタは……」
「マリアベル・クロイス」

 驚きに満ちた表情を浮かべるケビンとリース。そこに浮かぶ立体映像は、クロスベルにいるはずのマリアベルの姿だった。
 恐らくは〈クラウ=ソラス〉を媒介に、何らかの術で自分の姿を投影しているのだろうとリィンは察する。
 ヴィータやエマにも似たような魔術が使える以上、最高位の魔導師であるマリアベルに同じことが出来ても不思議な話ではなかった。

『フフッ、よく気付いたわね』
「勘は鋭い方なんだ。何度も同じ手が通用すると思うなよ?」

 シーカーの件は元よりアルティナを通じて、マリアベルが帝国の情報を探っていることはリィンも気付いていたのだ。
 エマの魔術でアルティナの感応力を抑えていた一番の理由は、まさにそこにあると言っていい。
 今回の一件も観察されている可能性が高いことは最初からわかっていた。

『さすがですわね。でも、そうと気付きながら、あなたはあの力≠使った。それほど、その人形≠ェ大切だったのかしら?』
「その口を閉じろ。アルティナは人形なんかじゃない。俺の家族≠セ」

 不快げな表情を浮かべ、マリアベルを睨み付けるリィン。一方でアルティナは驚いた様子でリィンを見る。

「お前に選択を迫ったのは俺だからな。最後まで責任は取るつもりだ。〈クラウ=ソラス〉の代わりをやれるとは思わないが、俺じゃ不足か?」

 リィンの質問に、アルティナは首を横に振ることで答える。
 まだ少し戸惑いはある。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
 そんなアルティナの頭を優しく撫でながら、リィンはマリアベルに警告する。

「それに力を見られたところで、やることに変わりはない。どのみち、お前等に協力するつもりなんてないんだからな」
『でしょうね。彼――ギリアスも同じことを言っていましたわ』
「首を洗って待ってろ。俺に喧嘩を売ったことを、必ず後悔させてやる」
『フフッ、怖い。でも、そういうところは嫌いではありませんわ』

 リィンの宣戦布告を受けながらも、マリアベルは余裕の態度を崩さない。
 あの力を見ても、まだ計画を諦めていないと言うことだ。それは何かしらの切り札を隠し持っているのだとリィンは受け取った。
 実際、人の身でありながら至宝の再現を試みた一族の末裔だ。零の至宝を生み出した知識と技術は決して侮れるものではない。
 ひょっとしたら、この力についても何か気付いているのかもしれないとリィンは考える。

『では、時が来るのを待つとしましょうか』

 そう言って微笑むマリアベルが、どこか不気味に思えた。
 マリアベルの身体が少しずつ薄くなっていく。恐らくは〈クラウ=ソラス〉に掛けた魔術の効果が弱まってきているのだろう。

『そろそろ限界のようですわね。ああ、そうそう。もう一人のキーアさんにも、よろしく伝えておいてください』
「――ッ!? なんで、そのことを……」
『当然でしょ? 彼女のお陰で、私は千年にも及ぶ妄執から解放されたのだから――。だから感謝していますのよ? あなたにも彼女にもね』

 そう言い残し、マリアベルは景色に溶け込むように姿を消した。
 ――千年の妄執から解放された。
 マリアベルのその言葉の意味をリィンは考え、困惑する。てっきりクロイス家の悲願を叶えることが、彼女の目的だと思っていたからだ。
 ましてや、もう一人のキーアについても存在を把握しているとは思ってもいなかった。
 どこからか情報が漏れた? いや、最初から知っていたかのような口振りだった。
 だとするなら――

「話が見えんのやけど……彼女と顔見知りやったんか?」
「いや、直接会ったことはない。だが、はっきりとしていることはある。アイツは俺の敵だ」

 マリアベルの真の狙いまでは分からないが、少なくとも敵であることに変わりはない。
 そのことを再確認し、決着の日が近づいていることをリィンは感じ取っていた。



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