エマの手引きで港に停泊していた船に乗り込んだヘンリーたちはエルム湖を横断するカタチで西へと進み、ウルスラ間道を目指していた。
 国防軍の追跡から逃れるためという理由もあるが、〈碧の大樹〉の結界の外へ逃げなければ転位魔術を使うことも出来ない。
 それに魔術を使ってしまった以上、マリアベルに動きを察知された可能性が高いとエマは考えていた。
 となれば、国防軍よりも厄介な追手が差し向けられる可能性もある。そして、その予想は概ね当たっていた。

「……思っていたよりも対応が早い」

 舵を握るエマの視線の先には、港に展開する国防軍の姿があった。
 数はざっと一個中隊と言ったところか? 機甲兵の姿は見えないが、導力銃で武装した白服の兵士や装甲車の姿が見受けられた。
 しかし幾らなんでも部隊の展開が早すぎる。となると事前にエマたちの動きを予想して動いていたと考えるのが自然だ。
 クロスベルの軍隊は帝国の正規兵に比べると練度が低いと言う情報だったが、優秀な指揮官がいるようだとエマは感心する。
 そんなエマの傍でダドリーは険しい表情を浮かべていた。

「この先、どうするつもりだ?」

 常識を覆す術の数々といい、ミシュラムを脱出するまでの手際の良さといい、エマの能力をダドリーは侮っていなかった。
 しかしそれでも完全武装した軍隊を、彼女一人で退けられるとは思えない。エマもそんなダドリーの考えを否定するつもりはなかった。彼女一人では、あれだけの人数を相手にすることは難しい。別荘で兵士を眠らせた術も不意を突いたから成功したようなもので、既に船を捕捉された現在の状況ではそれも難しいだろうとエマは考えていた。
 しかし、この程度のことは想定の範囲だ。

「心配は要りません。既に手は打ってあります」

 エマがそう口にした直後、目の前の港で大きな爆発が起きた。
 もくもくと上がる黒煙を見て驚愕に満ちた表情を浮かべるダドリーの目に、黒いジャケットに身を包んだ集団の姿が映る。
 ダドリーの頭に過ぎったのは、あの日の光景――〈赤い星座〉の奇襲によって紅く染まるクロスベル市の姿だった。

「〈暁の旅団〉か!? 一体どれだけの人数をクロスベルに……」

 それがエマの仲間――〈暁の旅団〉のメンバーだとダドリーは悟る。
 しかしエマは何も答えず険しい表情で、じっと静かに港の方を見詰めていた。

「この霊気は……」

 恐らくはシャーリィの部隊が奇襲に成功したのだろう。しかしエマの優れた感応力が警鐘を鳴らしていた。
 国防軍が撤退を開始したと同時に、港へ現れた巨大な力。
 リィンと同格か、それ以上かもしれない力の気配を感じ取り、何かに気付いた様子でエマは目を瞠る。

「まさか――」

 任務の前にリィンに忠告された言葉がエマの頭を過ぎる。この地での結社の計画は既に終えているはずだが、すべての執行者と使徒が計画のためだけに動いているわけではない。それぞれの思惑があって結社に所属しているに過ぎず、計画に支障をきたさない範囲で彼等には自由が与えられていた。
 シャロンやレンが組織に縛られず自由に行動が出来るのも、それを盟主が認めているからだ。
 リィンは目的を遂げた結社がクロスベルと繋がっているとは思っていないが、執行者や使徒が個人的にマリアベルやその関係者と何らかの取り引きを交わしていても不思議ではないと考えていた。
 そのなかでも最も注意を払うべき相手として、リィンが名を挙げた人物が二人いる。
 煌魔城でもその姿が確認された神機の開発者にして〈博士〉の名で呼ばれる男――使徒、F・ノバルティス。
 そして、もう一人が――

「鋼の聖女……」

 最強の名を冠する聖女だった。


  ◆


「もうちょっとやるかと思ったけど……」

 あっさりと奇襲が成功したことで、シャーリィは落胆した様子で溜め息を漏らす。
 国防軍の動きが思いのほか早かったことなどもあり、少しは歯応えのある敵に出会えるかと期待をしていたのだ。
 しかし強敵には出会えず、奇襲を受けた国防軍は半壊。もう少し粘るかと思えば、あっさりと撤退を開始した。
 帝国の正規兵と比べれば、クロスベルの兵士の練度が低いことはわかっていたことだが、それにしても手応えがなさすぎるとシャーリィは感じていた。

「シャーリィ隊長! 港の制圧、完了しました」
「こっちの被害は?」
「負傷者が三名。何れも軽傷です」
「それじゃ、予定通りに――」

 やはりどこかおかしいと感じながらも部下に指示を出すシャーリィ。そして――
 何かに気付いた様子で険しい表情を浮かべ、シャーリィは空を見上げた。

「さっきのなし。エマたちを連れてヴァルカンと合流したら撤退を開始して」

 シャーリィが何を言っているのか分からず、一瞬呆けた顔を浮かべる男。だが、その理由はすぐに判明した。
 シャーリィの視線の先、港で下ろされた荷物を保管しておく倉庫の屋根の上に奇妙な格好をした人物が立っていたからだ。
 純白の甲冑を纏った騎士。その手には武器と思しき中世の馬上槍(ランス)が握られていた。
 顔をすっぽりと覆い隠す兜を被っているため、その正体は明らかではないが、体格から言って男ではなく女性と見て間違いないだろう。
 いつからあそこにいたのか? まったく接近を悟らせなかった敵を前に、猟兵たちは警戒を募らせる。
 しかし敵は一人だ。全員で掛かれば――という考えが頭を過ぎるが、シャーリィの言葉が彼等の行動を踏み止まらせた。

「死にたくなかったら、さっさとこの場から離れて。周囲を気遣って、戦えるような相手じゃないから」
「……隊長は?」
「適当に頃合いを見て撤退をするから大丈夫。エマとヴァルカンにも伝言よろしく」

 いつもの軽い調子だが、その額には汗が滲んでいた。
 シャーリィがこれほど警戒をする相手だ。自分たちがいては足手纏いになると考えた猟兵たちは指示に従い、撤退を開始した。
 団員たちの気配が遠ざかっていくのを確認して、シャーリィは愛用のチェーンソーライフル〈赤い頭(テスタ・ロッサ)〉を構えると、目の前の騎士に親しげな声で話し掛ける。

「――鋼の聖女。まさか、お姉さんがそっち≠ノまだ協力してるとは思わなかったな」
「私もこのようなカタチで、あなたと再会をするとは思ってもいませんでした。シャーリィ・オルランド」

 互いの名を呼び、再会を確かめる二人。とはいえ、実際に二人が協力関係にあったのは一ヶ月にも満たない短い期間のことだ。こうして顔を合わせるのは、クロイス家の依頼でクロスベルを襲った事件以来だった。
 しかし、そんな短い協力関係とはいえ、シャーリィが彼女ほどの実力者を見忘れるはずがなかった。
 鋼の聖女、またの名をアリアンロード。使徒の一人にして、マクバーンと同じく結社最強と噂される人物だ。

「で? シャーリィの前に現れたってことは、()るってことでいいんだよね?」
「意外ですね。仲間のために殿(しんがり)を務めたこともそうですが、あなたは私との戦いを避けていると思っていました。どういう心境の変化ですか?」
「まあ、前のシャーリィならそうだろうね。でも……」

 以前の自分なら敵わないとわかっている相手に喧嘩を売る。そんな真似は絶対にしなかっただろうとシャーリィは思う。
 ましてや仲間を逃がすため、自分の命を危険に晒すなんて真似は考えもしなかったに違いない。
 しかしリィンとの出会いが、そんな彼女の有り様を変えた。

「いつまでも逃げてるようじゃ、リィンとの差は縮まりそうにないからさ。それに、ちょっと試してみたいことがあってね」

 シャーリィの勘の鋭さは、アリアンロードも一目を置いているほどだった。
 勝てない敵との戦いは可能な限り避ける。臆病なことは悪いことではない。敵の力を見極め、引き際を誤らないことは戦場で生き残るために必要な力だ。
 だからこそ不思議に思ったのだ。彼女らしくない、と――
 しかし不敵に笑うシャーリィの目を見て、仲間のために死を覚悟した者の目ではないとアリアンロードは気付く。

(彼女に一体なにが……)

 この短期間でシャーリィの身に何があったのかとアリアンロードは訝しむ。
 しかしシャーリィが『リィン』と呼ぶ人物に関しては、彼女も心当たりがあった。

「……リィン・クラウゼル。デュバリィの言っていた青年ですか。マクバーンも帝都での戦いで敗退したと聞いています」
「マクバーン? ああ、結社で一番強いって噂のお兄さんだっけ? でも確かに強い力を持ってはいるけど、お姉さんほどじゃないよね。絶対に勝てない≠チて思うほどの力の差は感じなかったもの」

 マクバーンのように特別な異能を持っているという話は聞かないが、シャーリィの勘がアリアンロードの方が強敵だと警告していた。
 マクバーンは確かに強いが、彼の強さは獣染みた強さだ。アリアンロードのように鍛え上げ、洗練された力とは方向性が大きく異なる。
 そう言う意味では勘や経験に頼った戦い方をするシャーリィも、アリアンロードよりもマクバーンに近いタイプと言えるだろう。
 そして武≠ニは力で劣る人≠ェ、力で勝る獣≠調伏するために体得した技術だ。
 故に、武の頂点を極めたと噂されるアリアンロードと自身との相性の悪さを、シャーリィは誰よりもよく理解していた。

「そこまで理解していながら、私と刃を交えるのですか?」
「うん。現在(いま)のシャーリィじゃ、お姉さんには勝てないと思うよ」

 現在という言葉を頭に付けるシャーリィに、以前とは違う何かをアリアンロードは感じ取る。
 故に、質問を返す。

「一つ聞かせてください。彼は――リィン・クラウゼルは、あなたよりも強いのですか?」
「強いよ。シャーリィの見立てだと、お姉さんとも良い勝負するんじゃないかな。ひょっとしたらリィンが勝っちゃうかもね」

 これ以上ない回答に、思わず仮面の下の顔が緩むのをアリアンロードは感じる。この地に残ることを決めたのも、やり残したことがあるからと言うのが理由の一つにあるが、もう一つの理由にリィンの実力を確かめておきたいという思惑が彼女にはあった。
 一人の武人としてリィンの力に興味を持ったということもあるが、盟主が彼のことを随分と気に掛けていたのが気になったからだ。
 事実、帝国での一件を省みて、リィン・クラウゼルをカシウス・ブライト以上に危険な存在とし、計画の妨げとなる前に排除するか、取り込むべきだとする声が上がったが、そうした声を押さえ込んだのが盟主だった。このようなことは、これまでになかったことだ。執行者に対しても自由を与え、その行動に干渉したりはしなかった盟主が、リィンに限って組織としての干渉を禁じたのは初めてのことだった。
 盟主の行動を疑うわけではないが、彼には何かある。それを確かめるために、リィンとは一度、会って話をしてみたいとアリアンロードは思っていた。
 そしてリィンのことをよく知る人物から、自分と対等か、それ以上の実力を持つと挑発されれば、武人として確かめずにはいられなかった。

「では、あなたの言葉が真実かどうか、少し試して見ましょう」

 身の丈ほどある巨大な馬上槍(ランス)を構えたかと思うと、アリアンロードの姿がシャーリィの視界から消える。
 まさに電光石火。一瞬にして間合いを詰めたアリアンロードの槍が、シャーリィの腹部に突き刺さろうとした、その時――
 ガキンッという金属が弾ける音と共に、先に体勢を崩したのはシャーリィではなくアリアンロードの方だった。
 地面に突き立てられた〈赤い頭〉を見て、自分が何を攻撃したのかをアリアンロードは理解する。
 そして突き立てた武器を軸に身体を回転させ、勢いをつけたシャーリィの蹴りがアリアンロードの横顔を捉えた。

「くッ――」

 ひび割れた仮面の下から透き通るような肌をした金髪の美女が姿を見せる。
 大きくよろめきながら地面に膝をつくアリアンロード。しかしシャーリィはそこで攻撃の手を止め、追撃に出ることはなかった。
 彼女がダメージを受け流すために、態と派手に体勢を崩したことに気付いていたからだ。
 あそこで追撃にでたところで反撃を食らうだけだとわかっていた。それに――

「試すなんて言ってないで、少しは本気≠だしなよ。でないと――」

 ――あっさりと殺しちゃうよ?
 仮面が割れ、素顔を晒したアリアンロードにシャーリィは挑発めいた言葉を放つ。半年前のシャーリィが相手であれば敵ではなかった。しかし、いまのシャーリィを相手に、現状の力で確実に勝てるかと問われれば、アリアンロードは次の言葉が出て来ない。負けはしないだろうが、苦戦を強いられるかもしれない。そんな考えが彼女の頭を過ぎる。

「まずは、あなたを侮ったことに謝罪を――」

 シャーリィの実力から、リィンの力を推し量るつもりだったが、それこそが間違いだったことにアリアンロードは気付かされる。
 二十にも満たない少女を相手に〈鋼〉の名を冠する彼女が本気で戦うことなど、本来であれば有り得ないことだ。
 しかし、シャーリィは紛れもなく強敵だ。それこそ〈風の剣聖〉や〈赤の戦鬼〉に比肩するほどの脅威と捉えていい。

(このような気持ちになるのは、彼――レオンハルトと剣を交えた時以来でしょうか)

 過去の記憶を懐かしみながら、アリアンロードは笑みを漏らす。それはシャーリィを敵として認めたが故だった。

「蛇の使徒が七柱〈鋼〉のアリアンロード。ここからは本気≠ナ相手をさせて頂きます」

 改めて名乗りを挙げるアリアンロードを見て、シャーリィは臆すことなく笑みを浮かべる。
 人知れず、オルランドの名を継ぐ少女の最強≠ヨの挑戦が始まろうとしていた。



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