――七耀歴一二〇五年八月三十一日。
 いつも以上に厳重な警備が敷かれる中、会場となっているグランセル城には続々と各国の代表と使節団が集まってきていた。

「こいつは凄い人だな」

 人混みに紛れながら、ヴァルカンは溜め息交じりに声を漏らす。目の前に広がるのは人の群れだ。グランセル城を中心に通商会議の開催を祝う催しが開催されており、国内だけでなく周辺諸国からそれを目当てに集まった観光客が加わり、街はお祭りムード一色と言った様相を見せていた。

「ヴァルカン。はぐれないでよ?」
「俺は子供か……。それよりシャーリィの心配を……って、いねえっ!?」

 人の多さに目を奪われているとスカーレットに注意され、辟易とした様子でヴァルカンが後ろを振り返ると、先程まで後ろを付いてきていたシャーリィの姿がなかった。
 慌てて周囲を見渡し、ヴァルカンはシャーリィの姿を捜す。しかし当然、見つからない。
 これだけの人だ。一度はぐれてしまえば、合流するのは難しいだろう。
 ぐぬぬ、と唸るヴァルカンを見て、やれやれと言った様子で肩をすくめるスカーレット。そして、

「心配しなくても、あの子もプロなんだから作戦の開始時刻までには戻ってくるでしょ。それより気付いてる?」
「ああ、団長の読み通りみたいだな」

 スカーレットと顔を見合わせ、周囲の気配を探るとヴァルカンは頷き返す。
 敵か味方で言えば、敵だろう。好奇の視線を向けられることには慣れているが、明らかに群衆に紛れている視線は悪意を含んでいる。
 普通に考えればクロスベルの手の者か、それとも――

(まあ、こんな好戦的な視線を向けられたら、大人しくしていられるはずもないか)

 シャーリィの性格を考えれば、罠とわかっていても打って出るのは確実だ。この行動は予想の出来たものだった。

「部隊の展開はどうなってる?」
「予定通りよ。エマの魔術のお陰で王国軍もまだ、こちらの動きに気付いていないわ」
「〈深淵〉の妹分らしいからな。それだけ嬢ちゃんが優秀ってことなんだろうが……」

 そこまで口にして、改めて〈暁の旅団〉が他と一線を画す存在であることをヴァルカンは実感する。
 魔女が仲間にいるという時点で普通ではない。そこに加えて団長のリィンも規格外と言える人物だ。
 ヴァルカンも、まさか自分が常識を問う側の人間になろうとは思ってもいなかった。それだけに心配もしていた。
 リィンを見ている限りでは力に溺れることはないと思うが、若さに任せて無茶をしすぎるところがある。
 幾ら猟兵は嫌われるのが仕事とは言っても、態々敵を作る必要はない。敵対する者は叩き潰せばいい。そんな考えは強者だから出来ることだ。
 嘗て猟兵団を率い、部下を死なせているヴァルカンからすれば、危うい考えに思えてならなかった。
 そして、無理をしていると言う意味では、隣にいる彼女≠熾マわらない。

「スカーレット。お前は先に船に戻って……」
「却下」
「いや、だがな……」
「クロウのこともそうだけど、あなたは過保護すぎるのよ」

 スカーレットも人殺しが好きなわけではない。未だに人の血を見るのは慣れない。そのことをヴァルカンが気遣ってくれているのも気付いていた。
 それでも仲間にすべてを丸投げして、自分だけ楽な方に逃げるなんて真似はしたくなかった。
 フィーたちに捕まった時もヴァルカンが罪を被ることで、クロウや自分を助けようとしてくれていたことをスカーレットは知っていた。
 しかし、そんな真似をされても嬉しくはない。きっとクロウも同じことを言うだろう。

「ヴァルカン。もっと私たちのことを信じて」

 スカーレットの言葉にヴァルカンは気圧され、困った様子でポリポリと頭を掻く。
 二度、仲間を彼は失っている。一度目は自ら率いた猟兵団の仲間を、二度目は志を同じくする帝国解放戦線の仲間を、そのことが必要以上にヴァルカンを臆病にしていた。
 仲間だと言いながら、その仲間を危険から遠ざける。それが間違いだと言うことに、ヴァルカンも本当は理解しているのだ。

「大丈夫よ。あなたを残して、先に逝ったりしないわ。それに私たちの団長が、あっさり死なせてくれるような人に見える?」
「ああ……」

 リィンの人使いの荒さをよく知るだけに、ヴァルカンは何も反論することが出来なかった。

「俺の負けだ。この件に関して、もう何も言わねえよ。だが、そこまで言うからには仕事はきっちりしてもらうからな」
「ええ、当然よ。シャーリィみたいな活躍を期待されても困るけどね……」
「アイツは特別だ。俺だって真似できねえよ」

 返り血を浴びながら嬉々として敵を殺すシャーリィの姿が頭を過ぎり、二人は揃って溜め息を漏らすのだった。


  ◆


 ――鮮血が舞う。

「三人目っと」

 手の甲についた返り血を舐めながら、シャーリィは愉悦を漏らす。彼女は今、狩りを楽しんでいた。
 地面に転がる死体を気に掛けることもなく、次の標的に狙いを定めるシャーリィ。
 その次の瞬間、銃口を向ける暇もなく男は絶命する。
 男の胸にはシャーリィの投擲した紅い槍≠ェ突き刺さっていた。

「四人。残りは……」

 淡い光を放ちながら消えていく槍を一瞥して、次にシャーリィは右手に一アージュほどの長剣を出現させる。それはアリアンロードとの戦いでも見せた〈緋の騎神(テスタ・ロッサ)〉の力だった。剣や槍と言った単純な武器であれば、霊力の許す限り幾らでも生みだすことが出来る。〈千の武器を持つ魔人〉と呼ばれる由縁ともなった能力だ。
 手に持っていなければ数秒でカタチを保てなくなり、近くに騎神がいなければ能力を使えないと言った欠点もあるが、それでも決まった武術を習得しているわけではなく、特に得物に拘りのないシャーリィからすれば打って付けの能力だった。
 不満があるとすれば〈赤い顎〉のように複雑なギミックの武器を作り出せないことだが、それも物量で補えば良いだけの話だ。
 質よりも数。それが、この能力の真価と言っていい。
 シャーリィが地面を蹴った勢いで陥没する石畳の床。
 崩れる床を背にシャーリィは更に壁を蹴り、垂直の壁を駆け上がっていく。そして、

「みーつけた」

 あっと言う間に建物の屋上に降り立つと、戦闘を観察していたと思しき男に標的を定め、剣を振り下ろした。


  ◆


「……物足りないな。やっぱり陽動だったかな?」

 はあ、と溜め息を漏らすシャーリィ。尋問したところで素直に目的を話すとは思えないが、一人くらい生かしておくべきだったかと後悔する。とはいえ、思った以上に手応えが無さ過ぎたと言うのがシャーリィの感想だった。
 しかし、それでも分かったことがある。

「こいつら共和国の人間だよね」

 装備は誤魔化せても、戦いの癖までは誤魔化せない。男たちの動きは、カルバード共和国の軍人の動きによく似ていた。〈赤い星座〉に所属していた頃、共和国で仕事をした時に何度か目にしたことがある動きだけに間違いないとシャーリィは確信する。狙われる理由に心当たりがあるかと聞かれれば、「ある」とシャーリィは答えるだろう。古巣にいた頃にも何度か対峙した相手だ。〈血染め〉の名は有名なだけに恨みを買う理由には事欠かない。
 その上、共和国軍を撤退に追い込んだ騎神に乗っていたのは、リィンとシャーリィであることは既に知れ渡っている。
 仲間を殺され、家族を殺され、恨んでいる連中は大勢いるだろう。
 それはそうと――

「――で? 何か用? 黒月(ヘイユエ)の人」
「気付かれていましたか。これでも穏形には自信があったのですが……」

 シャーリィに見抜かれ、降参と言った様子で両手を挙げながら、ツァオは物陰から姿を見せる。
 戦闘に関してはそれなりでしかないが、穏形に関しては相応の自信があっただけに、こうもあっさりと見抜かれるとは思っていなかったのだろう。
 その顔には驚きと、ちょっとした不満が滲み出ていた。

「嗅いだことのあるニオイだったしね」
「……そんなにニオイますかね?」

 気配ならまだしもニオイで見つかったなど笑い話にもならない。
 普通なら冗談と一笑するところだが、相手がシャーリィだけに笑えなかった。

「こいつらって〈黒月〉の関係者?」
「まさか。あなた方と敵対するつもりなど、我々にはありませんよ?」
「でも共和国の人間だよね?」

 剣呑な雰囲気を漂わせながら、シャーリィはツァオを問い詰める。
 これには、さすがにまずいと思ったのか、ツァオは冷や汗を滲ませた。
 ここで迂闊なことを口にすれば、シャーリィの次の獲物となりかねない。
 戦って勝てる相手ではないとわかっているだけに、下手な誤魔化しは出来なかった。

「そう言われると困るのですが……反移民政策主義をご存じですか?」


  ◆


 通商会議の会場となっているグランセル城の控え室。
 その一室にリィンとエリィ。それに護衛のリーシャの姿があった。

「反移民政策主義? それってテロリストの?」

 反移民政策主義。それはエリィも当然知っていた。
 一年前の通商会議を襲撃した二組のテロリスト。その内の一つが〈反移民政策主義〉の過激派だったからだ。

「そうだ。しかし問題はそう単純な話じゃない。一部にはテロに走る過激な連中もいるが、反対派の大半は真っ当な生活を送っている普通の人々だ。そうだろ? リーシャ」
「……はい。東方からの移民が治安の悪化を招いていると、非難する人たちが大勢いるのは事実です」

 元より共和国には移民推進派と反対派の二つの派閥がある。それは政府内の話だけでなく、古くから共和国に住む人々の中にも東方からの移民を治安悪化の原因として非難する声が少なくなかった。
 勿論そうした人たちばかりでないことはリーシャも理解しているが、反対派の意見も的外れなものとは決して言えない。国が幾ら移民との共生を訴えたところで、文化的・宗教的な壁は簡単に取り除ける話ではない。そうした人々の不安が犯罪を助長し、治安の悪化を招いていることは事実だった。

「それにクロスベルの一件で、共和国軍の中には俺たちに恨みを持つ連中が大勢いる。なのに大統領は〈暁の旅団〉に対して静観するだけで何もしない。そのことを不満に思い、弱腰と非難する声も少なくないってわけだ」

 そうした人々の不安は様々なカタチとなって政府に向けられる。特に共和国の現大統領サミュエル・ロックスミスはやり手の政治家として知られる一方で、〈黒月〉との繋がりなど黒い噂の絶えない人物だ。内外に敵が多いのも無理からぬ話だった。

「……そうした人たちが私たちを狙ってくると?」
「そう言う訳だ。テロリストと結託してな。邪魔な大統領と一緒に俺たちを排除するつもりでいるんだろ」

 エリィの質問に「そうだ」とリィンは当然のように答える。
 恨みを買っているという自覚があるだけに、自分たちが狙われるのは仕方がないとリィンは考えていた。
 とはいえ、彼等も騎神の強さは嫌というほど理解しているはずだ。だからテロリストと手を組むという手段に打ってでたのだろう。
 いや、テロリストを利用することで、その罪を彼等に被せるのが狙いなのだとすれば合点が行く。
 裏にいる連中からすれば、成功しても失敗してもリスクは低いと考えての行動なのだろう。

「だがまあ、こっちはたいした問題じゃない」
「……テロリストが襲撃してくるという時点で十分に問題なのでは?」
「帝国政府の要請を受け、既にヴァルカンたちを動かしている。狩りは猟兵(オレたち)の得意とするところだ。すぐに片付くさ」

 リィンの話を聞き、複雑な表情を見せるエリィ。彼女の頭を過ぎったのは一年前オルキスタワーを襲撃し、〈赤い星座〉によって虐殺されたテロリストたちの姿だった。
 猟兵である以上、リィンたちも生かして捕らえるなんて優しい真似をするつもりはないのだろう。しかし、だからと言ってエリィにはリィンたちの行いを非難することは出来なかった。血を流さずに話し合いだけで解決できないことがあることを、エリィは身を持って知っているからだ。リィンの計画に加担した時点で、とっくに自分の手も汚れているという自覚がエリィにはあった。少なくとも彼等だけを非難できる立場に自分がいないと言うこと理解していた。

「この件を利用してクロスベルが仕掛けてくる可能性が高い」

 覚悟を決めていたつもりでも、エリィは激しく胸が脈打つのを感じる。
 ディーターが傀儡に過ぎないということには、エリィもとっくに気付いている。
 マリアベルがすべての元凶と言っても間違いではない。
 ならば、この件にも彼女が関与していると考えて間違いないだろう。

「エリィ。一度だけチャンスをやる」
「……え?」
「マリアベルと話をする機会だ。恐らく、これが最後になるだろうからな」

 思いもしなかったことをリィンから提案され、エリィは戸惑いを見せる。
 エステルとの約束と言うこともあるが、この機会にリィンはエリィを試すつもりでいた。
 マリアベルが説得に応じるとは思っていないが、その結果エリィがどのような答えをだすのか?
 それをリィンは見極めたいと考えていた。だが――

「その必要はないわ」
「……どういうことだ?」
「親友だもの。ベルがどう答えるかなんて聞かなくても分かる。それに……」

 エリィをは首を横に振りながらリィンの質問に答え、

「彼女も私も、もう後戻りは出来ない。それがわかっているから、私は私が信じた道のために迷いを捨てる。そう覚悟を決めたの――」

 そう口にした。
 そこには様々な想いが渦巻いていることが見て取れた。覚悟を決めたというのは本心からの言葉だろう。
 しかし、

「ほんとに迷ってない人間がそんな顔をするかよ」
「え……」

 エリィの言葉。その表情を見れば、迷いを捨てたというのが嘘であることは明らかだった。
 それでも彼女は決めたのだろう。
 だからリィンはエリィの覚悟を汲み、本心を打ち明けることにした。

「いまだから打ち明けるが、俺が一番懸念を抱いていたのはエリィ。お前だった」

 エリィは計画の要だ。
 大義名分を持たない戦争はテロと変わりがない。猟兵に街を治めることは出来ない以上、彼女がいなければリィンの計画は成立しなかった。その保険も兼ねてヘンリー・マクダエルを救出したわけだが、もしエリィが裏切るようなことがあれば、害となる前にリィンは彼女を切り捨てるつもりでいた。
 最悪、占領した街を交渉材料に帝国や共和国と、新たな取り引きをしてもいいと考えていたのだ。
 リィンにとって最も重視すべきはクロスベルではなく〈暁の旅団〉だからだ。しかし、

「契約だ。お前が俺たちの不利益とならない限りは、出来る限り力を貸してやる。だが、もし裏切った時は――」

 そうはならないことを祈りながら、リィンは再びエリィに契約を持ち掛ける。
 そして、それが悪魔の契約であると知りながらも、エリィはリィンの手を取った。

「……自分で言うのもなんだが、本当にいいのか?」
「私は目的を遂げるために、あなたの力を利用すると決めた。それはあなたたちも同じ。そういう認識でいいのよね?」
「まあな。それは以前にも言った通りだ」

 何も出来ないことが、変わってしまうことが、怖かったのだとエリィは思う。
 クロスベルの在り方が、ロイドたちとの関係が、これまで築き上げてきたものが、否定されることを恐れていた。
 でも、いまなら両親や祖父が、どんな想いで政治家を続けてきたか、少しは理解できる気がした。

 以前、リィンに言われた言葉がエリィの頭を過ぎる。
 お前等の行動はクロスベルの人々からすれば平和を乱す行為に他ならない、とリィンは言った。
 確かに、これはエゴなのだろうとエリィは思う。皆がクロスベルの解放を望んでいるわけではない。現状に満足している人たちも大勢いるはずだ。そういう意味では、ディーター・クロイスのやったことも間違いとは言えないのだろう。彼は彼の理念に従い、自分が正しいと信じる未来へクロスベルを導こうとした。ただ、それだけのことだ。

「それにここで断ったら、あなたは私を切り捨てるのでしょう? なら私は――」

 ――私は私の信じる未来を実現するために、クロスベルを変えたい。
 迷いがないと言えば嘘になる。それでも、その想いと覚悟は本物だった。



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