王都グランセルで騒ぎが起きている頃、ここエレボニア帝国の首都ヘイムダルでも同様の混乱が起きていた。
 しかし帝都には第一機甲師団の駐屯地がある。他にもクレア率いる鉄道憲兵隊の活躍もあって混乱は徐々に収まりつつあった。
 それに、こうした異変に見舞われるのは二度目だ。先の内戦での経験が生かされていることは確かだった。

「トワ・ハーシェル少尉。あなたの差配がなければ、ここまでスムーズには行かなかったでしょう。トールズを主席で卒業しただけのことはありますね。あなたを軍へスカウトして正解だったと心から思います」

 そんななかで一際目立った活躍を見せたのが彼女――鉄道憲兵隊に配属されたばかりのトワ・ハーシェルだった。
 クレアと同じ灰色の軍服に身を包んだ姿は、士官学院に通っていた頃よりも何処か凛々しく見える。
 慣れない敬礼をしながら少し照れた様子を見せるトワを見て、クレアは笑みを浮かべるとテーブルの上に広げられた地図に視線を落とした。

「帝都の混乱が収まるのも時間の問題でしょう。後は西部ですが……」
「カイエン公派に属していた兵士は、そのほとんどが反乱に加わっているという話です。数にして三万以上。暴動に参加している民衆を加えれば十万以上との話なので、オーレリア将軍が鎮圧に乗り出していますが手間取るかもしれません」

 帝都の混乱は収まりつつある。しかし暴動が起きているのは、ここだけではなかった。
 その範囲は帝国全域に広がる。特に酷いのがカイエン公が治めていた帝国西部の状況だ。
 随分と前から、それこそ内戦が始まるよりも前から、静かに悪魔の薬≠ヘ市井に広がっていたのだろう。
 ――グノーシス。それが今回の騒動の原因にあるとクレアは推察していた。

「十万以上ですか……」

 数の差があるとはいえ、その大半は民衆で構成された集団だ。精兵揃いで知られる〈黄金の羅刹〉の部隊なら対応できない数ではない。しかし旧カイエン公派の貴族だけならまだしも、そこに民衆が加わっているとなれば問答無用で殲滅というのは後のことを考えると体裁が悪い。そのことはオーレリアも理解しているだろう。
 だとするならトワの言うように、鎮圧には時間が掛かるかもしれないとクレアは考える。
 しかし時間を掛けると言うことは、それだけ被害が大きくなることを意味する。実際、騒ぎに乗じ、暴行や略奪を行う者まで出て来ていた。
 出来るだけ迅速に事態を収める必要がある。そう考えたクレアは正規軍から応援をだせないかとトワに尋ねる。

「正規軍に応援要請は?」
「既に第七機甲師団が動いてます。それでも数は圧倒的にこちらが不利ですけど……」

 トワの報告に険しい表情を浮かべるクレア。第七機甲師団が加わるなら兵の数では五分になるが、民衆十万が壁となっていることを考えると少し心許ないというのが正直なところだった。
 しかし動かせる兵にも限りがある。同じような騒ぎは西部以外でも起きており、クロスベルの一件もあって帝国の統治下にある属国や自治州への警戒も必要だった。それにノルド高原では、現在でも共和国との緊張状態が続いている。そんな状態で隙を見せることは出来ない。

「他の師団を動かせればいいのだけど……」
「暴動が起きているのは西部だけではありませんからね。それに周辺地域への警戒も外せませんし……」

 そんな時だった。トワの手にしていた導力器(ARCUS)に連絡が入る。
 慌てて通信にでるトワ。その表情が困惑と驚きに染まるのは一瞬のことだった。

「どうしました?」

 トワの様子がおかしいことを察し、クレアは尋ねる。

「セントアークを出立した部隊が、オーレリア将軍の部隊と合流したそうです」
「まさか、ハイアームズ候が?」

 セントアークと言えば、〈白亜の旧都〉の名で知られるサザーランド州の首都だ。しかし、その地を治めるハイアームズ候は先の内戦以降、領地に引き籠もっていた。
 これまでにクレアも何度か協力の要請を申し入れたのだが、良い返事を貰えていない。先の内戦でも積極的に貴族連合に協力することはなく、中央から距離を置いていた人物だ。その点で言えば、考え方が中立派に近い貴族と言えるだろう。
 中央での権力争いに力を入れるくらいなら、自領の発展と安寧に力を注ぐ。それがハイアームズ候の方針であると言うことはクレアも知っていた。
 故に領地の外の出来事には余り関心を持たない。そんな侯がカイエン公なき今、西部のために兵を送るとは俄には信じられなかった。

「指揮を執っているのは、ウォレス・バルディオス准将。それに――」

 ――ヴィクター・S・アルゼイド。
 その名を聞き、クレアは目を瞠った。


  ◆


「地裂斬!」

 地面を奔る衝撃波が、領邦軍の軍服に身を包んだ兵士たちに襲い掛かる。
 ラウラ・S・アルゼイド。彼女は今、父親やアルゼイド流を共に学んだ百名余りの仲間と共に、帝国西部の戦いに参戦していた。
 暴動に参加している者の大半は兵士ではなく操られた一般人だ。犠牲者をゼロにすると言うのは難しいが殲滅するわけにもいかず、戦車や機甲兵と言った兵器の使用は最低限に留められ、腕に自信のある者を中核に部隊が編成されていた。
 なかでもラウラは特出した活躍を見せていた。この半年ほど父親と共に山に籠もって修行をしていた成果が出ているのだろう。以前と比べても格段に腕を上げていることは、見る者が見れば分かる。しかし、それでもまだまだ目標には遠いとラウラは感じていた。
 彼女の視線の先には目にも留まらない動きで周囲を翻弄し、一撃のもとに敵兵を気絶させていく少女の姿があった。
 戦場に舞い降りた妖精。〈西風の妖精〉の異名を持つ少女、フィー・クラウゼルだ。
 いまは〈西風〉ではなく〈暁の旅団〉に所属していることを考えれば、〈暁の妖精〉が正しいのだろう。
 その戦い振りは、まさに一騎当千。ラウラよりも二つ年下なのだが、とてもそうは見えないほど戦い慣れていた。

「すまない。こんな戦いに巻き込んでしまって……」

 敵兵を薙ぎ払いながらフィーに追いつくと、ラウラは申し訳なさそうに、そう口にする。
 ラウラには貴族の義務があるが、フィーには帝国のために戦う理由はないと考えたからだ。
 しかしフィーにも戦場に立つ理由はあった。

「ん……これも仕事だから」
「仕事……か」

 以前のラウラなら反発したかもしれない。金のために戦場を渡り歩き、人を殺すことを生業とする猟兵のことを快く思っていなかったのは確かだった。いまでもそのことに納得しているかと問われれば、心から納得しているとは答えられないだろう。
 貴族の子女として何不自由なく育ったラウラには、物心ついた頃から戦場で育ったフィーの境遇を本当の意味で理解することは出来ない。しかし猟兵(かのじょ)のことを理解しようと努力をすることは出来る。少なくとも猟兵だからと言って、フィーを嫌悪する気持ちにはなれなかった。
 フィーは強い。そしてその強さとは、一朝一夕に身につくものではないことをラウラはよく知っている。
 血の滲むような努力と、強い信念がなければ到達できない高みに彼女はいる。それは武を志す者として尊敬すべきことだ。
 そんな彼女を卑下することなど、武人として出来るはずもなかった。

「……少しは慣れた?」
「何をだ?」
「戦場に……前に比べると、落ち着いてるみたいだから」

 ザクセン鉄鉱山で帝国解放戦線の残党と戦った時のことを言われているのだと察し、ラウラは苦笑する。
 あの時は情けない姿を晒したとラウラは恥じていた。
 それまでにも何度か実戦を経験していたが、殺し殺される。そんな戦場に身を置いたのは、あれが初めてのことだった。
 しかし、そんなことは言い訳にしかならない。戦場では年齢も生まれも関係なく弱い者から命を落としていく。
 生まれて初めて本物の戦場に立ち、自分は守られるだけの子供に過ぎなかったのだと、その時ラウラは痛感されられた。
 だから内戦終結後、一から身心を鍛え直すために父親と共に山籠もりの修行にでたのだ。そして、その成果はあった。

「まだ、そなたほど割り切れてはいない。しかし、私はアルゼイド家の人間だ。この身は力なき人々を、民を守るためにある。そのためなら――」

 完全に割り切れたと言うほどではないが、以前のような甘えはない。
 力無き正義が無力であることを知った。ならば自らの正義と信念を示すために強くなるしかない。
 そんなラウラの覚悟を聞き、フィーは静かに息を吐く。生まれや立場は違えど、フィーも彼女と似た思いを抱いていたことがあったからだ。
 何も出来ない悔しさ。守られるだけの辛さ。
 想いだけではどうにもならない戦場の厳しさを、フィーはよく知っていた。

「背中、預けるから……付いてこれる?」
「……当然だ」

 フィーの後を追って、ラウラは戦場を駆ける。
 目標とする高み。その頂きに少しでも追いつくために――


  ◆


「わたくしに気を遣う必要はありませんよ。この軍の大将は、あなたなのですからパトリック卿」
「で、ですが……姫殿下が戦場にでずとも……」
「危険は承知の上です。それでも、この戦いを見届ける義務が、わたくしにはありますから」
「……わかりました。僕も帝国貴族です。ハイアームズ家の名に懸けて、御身を守ってみせます!」

 そう言って虚勢を張るパトリックに、アルフィンは微笑みを返す。
 パトリック・T・ハイアームズ。その名からも分かるようにハイアームズ家の三男が彼だ。
 戦場の指揮はウォレスとヴィクターが執っているが、サザーランド領邦軍の統帥権はハイアームズ候にある。
 そのためアルノール皇家の要請に応じ、西部へ軍を派遣したという体裁を整えるためにハイアームズ家より派遣されたのが彼だった。
 アルフィンと歳が近く、ラウラとも士官学院を通じて顔見知りであると言うことも、彼が選ばれた理由にあるのだろう。

(何も告げずに帝都を離れたことを、クレア大尉は怒っているでしょうね。ですが、こうでもしないと戦場にでることを許してはもらえなかったでしょうし……この事態を招いた責任の一端はわたくしにありますから)

 今回の件、クレアにも相談せず、アルフィンは独断で動いていた。反対されることがわかっていたからだ。
 ハイアームズ候の協力を取り付けるための条件に提示したのは、ヴィクター・アルゼイドのサザーランド領邦軍への出向だ。急に決まったという話ではなく、以前からヴィクターはハイアームズ候の勧誘を受けていた。
 ヴィクターの治める街レグラムは、サザーランド州とクロイツェン州の境に位置する街だ。そして先の内戦においてアルバレア公爵家が減封されたことで、幾つかの街や集落が他の州に併合されることになった。そのうちの一つがレグラムと言うことだ。
 現在、レグラムはサザーランド州に属しており、アルバレア公への義理を果たす必要もなくなったと考えたのだろう。ハイアームズ候はヴィクターに対して領邦軍への参加を要請していた。
 しかしヴィクターは中立派の顔とも言える人物だ。それだけに誰からの誘いにも応じず断り続けてきたのだが、そうも言っていらない情勢下に帝国は置かれていた。先の内戦で損耗した国力を回復するには相応の時間が掛かる。経済は勿論のこと軍事の側面においても、貴族派勢力の実に七割を超える戦力を保持していたカイエン公とアルバレア公が失脚したことで帝国内の軍事バランスは大きく揺らいでいた。
 この広い帝国の秩序を、正規軍だけで維持するのは難しいと言っていい。これまで正規軍は外敵を打ち倒す〈矛〉として、領邦軍は街や領土を守る〈盾〉としての役割を担ってきた。領邦軍の力が大きく落ちるということは、そうしたバランスが崩壊することを意味する。
 領邦軍の衰退は正規軍の負担が増えるだけでなく、治安の悪化にも繋がる。これが皇家の直轄地や帝都なら話は簡単だが、治安を維持するための兵が足りないからと言って貴族の領地に正規軍を派遣すれば余計な火種を生みかねない。領邦軍と正規軍の確執は大きい。領邦軍が大半を占める西部の統治がオーレリアに任されたのも、そうした反発を抑えるためと言ってよかった。
 そのため三年間という期限付で、ヴィクターはサザーランド領邦軍に身を置くことを決めたのだ。
 著しく低下した領邦軍の戦力を建て直すためと言うのもあるが、ハイアームズ候の協力を取り付けるためでもあった。

(お兄様が危惧していたのは、恐らくこういうこと……。貴族派の抵抗を力で押さえ込むつもりが、結果的に追い詰め過ぎた。ギルドへの根回しを考えても、リィンさんも恐らくは気付いていたのでしょうね……)

 もっと上手くやる方法はあったのではないかという考えが頭を過ぎる。グノーシスが原因の一端を担っているとはいえ、彼等をそこまで追い詰めてしまった責任は自分にもあるとアルフィンは感じていた。
 なるべくしてなったと言った結果だが、ヴィクターには余計な重荷を背負わせてしまった。セドリックやオリヴァルトは庇ってはくれるだろうが、この件が終わったら責任を取って皇位継承権を放棄し、表舞台から姿を消す覚悟でアルフィンはいた。
 リィンについてもそうだ。助けになるつもりで結局は助けられてしまった。そのことも後で御礼をしなければとアルフィンは思う。
 その時――

「な、なんだ!? 地震ッ!」

 大気を震わせるような轟音と共に、本陣を大きな揺れが襲った。
 地面に伏せ、揺れに耐えるパトリックを一瞥し、アルフィンは戦場を見渡す。

「これは……」

 空高く舞い上がる土埃。巻き起こった風が、砂嵐となって兵士たちに襲い掛かる。
 その中心には、直径三十アージュを超えると思われる巨大なクレーターの姿が確認できた。
 地響きの正体を目の当たりにし、アルフィンはここで何が起こったのかと原因を探る。
 そして、ふと顔を上げると、丘の上に巨大な影を見つけた。

「あれは、まさか……」

 遠くからでも、はっきりと確認できる輪郭。その姿にアルフィンは見覚えがあった。
 ガレリア要塞と共に消滅したはずの戦略兵器。

「列車砲」

 息を呑み、その名を口にするアルフィン。
 ラインフォルトが生み出した最悪の殺戮兵器がそこにあった。



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