「この街を救って頂き、ありがとうございました」

 そう口にしながら白衣を纏った亜麻色の髪の女性は、二人組の男性――ゼノとレオニダスに深々と頭を下げる。
 ルーシー・セイランド。それが彼女の名前だった。
 その名前からも察することが出来るように、レミフェリア公国を代表する医療機器メーカー〈セイランド社〉の血縁に名を連ねる彼女は、ラインフォルトの依頼で公国に滞在中の〈西風の旅団〉の世話役を任されていた。そんななかで起きたグノーシスによる暴動騒ぎ。それはレミフェリア公国も例外ではなく、街に駐屯している軍だけでは手が足りず、ルーシーの案で〈西風〉の力を借りることにしたのだ。
 公国の軍は、帝国や共和国に比べて装備も然ることながら兵の練度も高くない。彼等だけに任せていては、街の被害はもっと大きくなっていただろう。この街は、セイランド社が管理する研究施設や工場が数多く点在しているため、万が一そうした施設に被害がでれば、セイランド社だけの問題に留まらず国としても深刻なダメージを負うことになる。ルーシーが軍を説き伏せ、〈西風〉の力を借りることが出来たのも、そうした国の思惑と事情が重なってのことだった。
 しかし、そうなって困るのはセイランド社や公国だけではない。依頼で公国に滞在中のゼノたちにとっても、セイランド社の施設を破壊されることだけは避けたかった。故に力を貸したのだ。
 それに報酬は軍とセイランド社から、しっかりとでている。

「気にせんでええよ。これも仕事の内やしな。それでも、どうしても御礼がしたい言うんなら――今度、一緒に食事でもどうや?」
「そうですね。機会があれば是非」

 ルーシーの返事に舞い上がり、思わずガッツポーズを取るゼノを見て、レオニダスは小さな溜め息を漏らす。

「ゼノ。羽目を外すのは、その辺りにしておけ。それよりも――」
「おっと、せやったな。ルーシーちゃん、それで約束のブツは?」

 ゼノの問いにルーシーは小さく首を縦に振ると、二人に見えるように手に持っていた銀色のアタッシュケースの蓋を開いた。
 ケースのなかに敷き詰められた無数のアンプル。ゼノはその一つを手に取って確かめる。

「これがグノーシスの治療薬か。効果のほどは?」
「アランくんの協力を得て、臨床試験は既に終えています。魔人化を抑制する効果にも期待できると言うことです。ですが……」

 グノーシスの治療薬。それがラインフォルト社を通じて帝国からセイランド社に研究を依頼していた薬の正体だった。
 ルーレでの事件の後、アランは帝都の病院で治療を受けていたのだが、長くグノーシスの投薬を受けていた後遺症で髪は青く染まり、治療の方も思うように進んでいなかった。そんななかD∴G教団に拉致された被害者を治療した経験を持つレミフェリア公国が、セイランド社を通じて協力を持ち掛けてきたのが半年ほど前のことだ。
 グノーシスの危険性は、公国も以前から理解はしていたのだろう。クロスベルで発見された薬のサンプルが公国に持ち込まれ、グノーシスの効果を抑制する治療薬の開発が一年以上も前から進められていたのだ。その臨床試験のため、公国に招かれたのがアランだったと言う訳だ。
 ゼノとレオニダスが率いる〈西風の旅団〉はアランの護衛と、治療薬の護送任務を帯びて公国に滞在していた。
 その点で言えば、護衛対象のアランや新薬の工場に累が及ばないようにするため、暴動の鎮圧も任務の内と言えた。
 半透明のアンプル。この薬品を注射することでグノーシスの効果を弱め、同時に魔人化を抑制する効果もあるとルーシーは説明する。しかし、

「可能な限りの数を揃えましたが、圧倒的に数が足りません」
「まあ、それは仕方ないやろな」

 治療薬は完成したが、その生産が追いついてはいなかった。
 数十万。下手をすれば百万に達するかと思われる人々が、暴動には参加している。
 そのすべてがグノーシスに感染しているわけではないだろうが、それでも一朝一夕に用意できるような数ではなかった。

「足りない分は半年――いえ、三ヶ月以内に用意すると、イリーナ会長へお伝えください」

 通常であれば半年と言ったところだが、国内の工場をフル稼働させれば、どうにか三ヶ月以内に数は揃えられるだろうとルーシーは計算する。

「それと……」
「レクター・アランドールの件やな」
「……はい」

 こちらはルーシーの個人的な依頼と言った方がよかった。
 ルーシーはレクターと同じジェニス王立学園の出身だ。在学時にはレクターが生徒会長、ルーシーが副会長を務めていた。
 しかし突然レクターが学園を辞め、その後は音信不通となり、一年ほど前――公国で偶然再会するまではレクターの消息を掴めないでいた。
 公国でレクターと再会したルーシーは、学園を去った理由や、いまは何をしているのかと詰め寄ったが、いつもの調子で誤魔化されるばかりで結局は彼の口から真相が語られることはなかった。
 それからレクターと別れたルーシーは、しばらく仕事が手につかないほど塞ぎ込んでいたのだが、次に舞い込んできたのが――
 クロスベルへ亡命し、レクターがギリアス・オズボーンの下で新政府を立ち上げたという情報だった。
 レクターがどうしてそのような真似をしたのかまでは分からない。でも、薄々は気付いていたのだ。

 ――彼の正体に。

 レクターが何かを調べるために学生を演じていたことに、ルーシーは気付いていた。
 でも、それを尋ねることが、追及することが怖かった。
 レクターとの関係が崩れること恐れ、彼との距離や居心地の良さに甘えていたのだ。
 そのことに彼を失ってから気付くなんて、本当にバカだと自分でも思った。
 だからグノーシスの治療薬の話を聞いた時、これが最後のチャンスだとルーシーは考えたのだ。
 ラインフォルトの使いとしてやってきた〈西風〉の世話役を買ってでたのも、そうした思惑があってのことだった。

「そっちは手紙で(ぼん)に伝えとる」

 ゼノが『坊』と呼ぶ人物にルーシーは心当たりがあった。いや、知っていて彼に接触したのだ。知らないはずがない。
 リィン・クラウゼル。元〈西風〉のメンバーにして〈猟兵王〉の名を継ぐと目される人物。
 そして〈暁の旅団〉の団長。ルーシーの願いは、彼にしか頼めないことだった。だからゼノに取り入った。
 女として、ゼノの気持ちを利用しているようで気が引けたが、それしか手がないと考えてのことだった。

「ただ、理解しとると思うけど……」
「はい」

 事態がこれほどまでに深刻化した今では、レクターの罪が許されることはないだろう。そのことはゼノに言われるまでもなくルーシーも理解していた。そこまではゼノの頼みであってもリィンは聞き届けてくれないだろう。レクターを庇う理由がリィンにはないのだから当然だ。
 今更、意味のないことだと言うのは理解している。それでもルーシーには、レクターに伝えておきたいことがあった。
 だからゼノを通じて、リィンへ依頼したのだ。

(やれやれ……)

 ゼノがルーシーに好意を寄せていることに、レオニダスは気付いていた。
 しかし同時にルーシーの気持ちを察し、その恋が実ることはないだろうと嘆息するのだった。


  ◆


 全高二千アージュ以上。
 神秘的な輝きを放つ大樹を見上げながら、リィンはヴァリマールで目的の場所へと向かう。
 その大きな左右の腕には、アルティナとリーシャの姿があった。

「そろそろ着くな。アルティナ、後は任せた」
「はい。これより作戦行動に移ります」

 人形兵器(フラガラッハ)の腕に抱かれ、アルティナが姿を消したのを確認すると、リィンは目的の場所へとヴァリマールを着陸させる。
 碧の大樹の深層へと続く入り口の一つ。そこで目的の人物が待っていた。

「ワジ・ヘミスフィアだな」

 ヴァリマールから降りると、教会の騎士服を纏った青年――ワジの姿を見つけ、リィンは声を掛ける。
 名前を呼ばれるとは思っていなかったのか、少し驚いた表情でリィンの脇に控えるリーシャの姿を見つけると、ワジは納得した様子で言葉を返した。

「初対面のはずだけど、どうして僕の名前を? そちらの彼女に聞いたのかな?」
「リーシャは関係ない。お前を寄越すように教会へ指名したのは俺だ。知ってて当然だろ?」

 しかし思いもしなかった答えが返ってきて、ワジは先程よりも大きな驚きを見せる。
 ロイドたちとの関係から、自分が使者に選ばれたのだと彼は考えていたのだ。
 なのに、リィンが教会にロイドたちの案内を指名していたのだとすれば、話は変わってくる。
 一体どういうことなのかと動揺を見せるワジに、リィンは追い打ちとばかりに質問を重ねた。

「アッバスは一緒じゃないのか?」
「……もう何を聞いても驚かないけどね。アッバスなら、もしもの時に備えて船で待機してもらってるよ」

 最初はリーシャが情報の出所だと考えたが、それだけではないとワジは今のやり取りで確信する。
 そんな驚きを見せるワジを横に置き、リィンは先程から鋭い視線を向けてくる二人に目を向ける。

「ロイド・バニングスとティオ・プラトーだな。そう睨むな。エリィから手紙を受け取っているんだろ? 俺にお前たちをどうこうするつもりはない。そうでなければ、こんなところに呼び出したりはしないさ」
「……それって、どういう意味ですか?」
「分からないか? 〈零の巫女〉を殺すも救うも、俺の胸三寸って話だ」

 リィンの挑発に目を瞠り、ティオは魔導杖を展開する。
 コンマ数秒でガンナーモードへの展開を終えると、その銃口をリィンへと向けるティオ。
 自分のことなら我慢は出来た。しかし〈零の巫女〉――キーアの命を引き合いにだされて黙っていられるほど、彼女は大人ではなかった。
 それがわかっていてリィンも挑発したのだろう。愉しげな表情を見れば分かる。

「待つんだ。ティオ」
「でも――」

 前に出て、ティオを止めるロイド。ここで手を出せば、不利になると考えてのことだ。

「さっき彼はこう言ったんだ。『俺にお前たちをどうこうするつもりはない。そうでなければ、こんなところに呼び出したりはしない』と。キーアを殺して終わらせるつもりなら、ワジを使って俺たちを呼び出したりはしなかった。違うか?」

 ロイドは射貫くような視線でリィンに確認を取る。それを見て、リィンは笑みを浮かべると「合格だ」と口にした。
 実際にこうして会うのは初めてだが、その洞察力と胆力は噂以上だとリィンはロイドを評価する。
 最悪、邪魔になるようなら排除することも考えていたが、これならまだ利用価値はあるだろうと判断した。それに――

「お前も、そろそろでてきたらどうだ? ランドルフ」
「チッ……やっぱり気付いてやがったか」

 樹の上から飛び降り、姿を見せる赤髪の男――ランドルフ・オルランド。
 いまは『ランディ』と名乗っている〈赤い星座〉の猟兵だ。
 その手には愛用の武器、大型のブレードライフル〈ベルゼルガー〉が抱えられていた。

「ランディさん」
「久し振りだな。ティオすけ。それにロイドも……」

 以前よりも逞しく、そしてどこか暗い影を背負うランディを見て、仲間との再会を喜ぶティオとは対照的にロイドは眉をひそめる。
 ランディがどこで何をしているのか? その可能性にロイドは行き着いていたのだろう。
 ランディの手にある巨大な武器。そこに素直に再会を喜べない理由があった。
 しかし彼が現在はどこで何をしていようと、ランディはランディだとロイドは頭を振る。

「役者は揃ったみたいだな」
「てめぇ、何を考えてやがる。事と次第によったら……」

 ランディは構えを取り、返答によっては一戦も辞さないと言った覚悟でリィンを睨み付ける。
 そんなランディを見て、クツクツと笑うリィン。そして、

「チャンスをやる。マリアベルを説得してみせろ」

 そんなことを口にした。
 これにはランディだけでなく、ロイドとティオやワジも目を丸くして驚く。

「どういうつもりだ?」
「そのままの意味だ。お前たちがマリアベルを説得し、逮捕することが出来たら俺は奴に手をださない。しかし、それが無理だった場合は〈碧の大樹〉ごと奴を消滅させる」
「な……ッ! それじゃあ、キー坊は!?」
「死ぬな。だから気張れよ」

 リィンの放つ迫力に気圧され、グッと息を呑むランディ。
 同じ猟兵だから分かること。リィンが本気でそう言っているであろうことがランディには理解できた。
 だからこそ、分からない。そんな真似をしてリィンに何の得があるのかとランディは疑う。
 そんなランディの疑問を代弁するかのように、ロイドはリィンに尋ねた。

「一つだけ聞かせて欲しい。そうすることで、キミたちに何の得がある?」

 ロイドの意外とも思える質問に、今度はリィンの方が驚く。猟兵がどういうものかを理解していなければ、でない質問だった。
 そう言えば〈赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)〉を相手にも一歩も退かなかったのだったか、とリィンはロイドを見る。

「……警察官(おまえら)と違い、猟兵(おれたち)は利益がなければ動かない。エリィと手を結んだのも、互いの思惑が一致していたからだ。お前たちにチャンスをやるのも、それがエステルと交わした約束だからに過ぎない」

 エステルの名前を聞き、少し驚いた表情を見せるも、そういうことかとロイドはすぐに納得する。

「納得したか?」
「ああ、キミが猟兵である限り、約束を破らないということは理解した」

 やはり理解力があると、リィンはロイドを高く評価する。いまの話が理解できるということは、良くも悪くも警察官らしくないと言うことだ。
 教えられた正義よりも、自らの正義を貫くタイプ。多少、法に触れるようなことでも、信念を貫くためなら躊躇はしない。
 杓子定規に嵌まった相手よりも厄介だと感じるタイプだった。そう言う意味では、ダドリーの方がまだ扱いやすい。
 レジスタンスの代表がダドリーではなくロイドだったなら、もう少し交渉はやり難かったかもしれないとリィンは考えるが、それは言っても仕方のないことだ。ロイドの持ち味は、組織という枠に囚われないからこそ生かされる。そういう意味では、依頼の内容に応じて柔軟な思考と判断力を求められる遊撃士や、目的のためなら手段を選ばない猟兵に考え方が近いだろう。
 ロイドを特務支援課に招いたセルゲイの見立てが間違っていなかったということだ。

「やれやれ。こうなったら、仕方ないか」
「お前も手を貸してやるのか? ワジ・ヘミスフィア」
「最初から、そのつもりで僕を指名したんだろ? この顔ぶれを見れば分かるさ」

 案内だけで済むとは思っていなかったが、自分も嵌められたのだとワジは理解した。
 ここに集められたメンバーは、何れも特務支援課に縁を持つ者たちだ。だとするなら、最初からロイドに協力させるつもりで彼等を集めた≠ニ考えるのが自然だった。それだけにワジも疑問を持つ。エステルと交わした約束が理由なのは本当のことだろうが、まだ何かリィンが隠しているような気がしてならなかったからだ。

「そんな顔をするな。死なない程度には手を貸してやる」
「……どう言う意味だい?」
「お前たちだけじゃ、まず奧まで辿り着けないだろうって話だ」

 その意味を彼等が理解するのに、そう時間は掛からなかった。



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