突如、クロスベルの空に現れた竜の姿に地上の人々は魅入られる。
 大きな翼を羽ばたかせるその竜の名はレグナート。〈空の女神〉に至宝の行く末を見守る役目を与えられた聖獣の一体だ。

「どうやら無事についたみたいだね」
「うん。でも……」

 そんな竜の背で記憶にある街を見渡しながら、ヨシュアとエステルはクロスベルに戻ってきたことを実感する。
 しかし崩れ落ちた建物や黒煙の立ち上る街の姿を見て、エステルは悲痛な表情を浮かべていた。
 何が出来たかは分からない。自分たちがいたところで何も出来なかったかもしれない。
 でも出来ることなら、こうなる前に駆けつけたかった。胸にあるのは悔しさだった。

「……まずいな。レグナート」
『うむ。少し距離を取るぞ』

 カシウスに促され、レグナートが急に旋回を始めたことで何事かとヨシュアとエステルは周囲に目を向ける。
 すると見覚えのある白い神機と空中戦を繰り広げる二体の巨人の姿が目に入った。
 一体は〈緋の騎神〉だと、すぐに分かる。ただ、もう一体の方は見覚えのない機体だった。
 巨大な尾と羽根を持つ漆黒の巨人。ヨシュアは何かに気付いた様子で声を上げる。

「あれはレンだ。ツァイスで開発されていた機体だよ」
「レン? それじゃあ、あれがオーバルギア計画の……」

 エステルもガーディアン一号機――〈アルター・エゴ〉に関しては直接目にしたことがなかった。
 しかし言われてみれば、〈パテル=マテル〉の面影をどこか感じる機体だと気付く。
 行き先は予想していたが、やはりクロスベルに来ていたのかと、エステルはレンの無事を確認して安堵の息を漏らす。
 神機との戦いで傷ついた〈パテル=マテル〉が機能を停止する場面には、エステルとヨシュアも立ち会ったのだ。
 あの時のレンの慟哭が今も二人は忘れられない。そのことを考えれば、やはりレンの狙いは神機なのだろうと察しも付いていた。
 でも出来ることなら、行動を起こす前に相談をして欲しかったというのが本音だ。

「いつもいつも相談もなく勝手な真似ばっかりするんだから!」
「うん、まあ……似た者同士ってことかな?」

 味方と思っていた家族から否定の出来ないツッコミを受け、ぐぬぬと唸り声を上げるエステル。言われるまでもなく、その程度の自覚はエステルにもあった。しかし考えるより先に行動してしまう癖は、注意されたからと言って簡単に直せるようなものでもない。エステルの場合は、その行動力が強みにもなっているのだから尚更だ。
 それに、それを言うならヨシュアにも前科はある。レンのことを余り言えないことは二人も自覚していた。

「ヨシュア……あの光って……」
「うん、見覚えがある」

 戦いを観察していたエステルとヨシュアは、〈緋の騎神〉と〈アル〉の攻撃を防ぐ神機の結界に注目した。
 神機を包み込む球体上の結界。それは以前〈リベールの異変〉と呼ばれる事件で二人が目にしたものとよく似ていた。

『やはりな。あの結界からは〈輝く環〉の力を感じる』

 頭に響く声。レグナートの言葉で、エステルとヨシュアの二人は確信する。
 そう〈輝く環〉の力を取り込み、異形の怪物へと姿を変えた〈結社〉の使徒ワイスマンが使っていた結界に酷似しているのだ。
 あらゆる攻撃を無効化する結界を前に、エステルとヨシュアも苦戦を強いられ、ギリギリのところまで追い込まれたことがあった。
 あの時〈剣帝〉が助けに現れなかったら、今頃二人はこの世にいなかったはずだ。

「随分とあっさり力を貸してくれたと思ったら、このことを知っていたのか?」
『それもある。だが、お前たちに力を貸すことを決めたのは、それだけが理由ではない。少しばかり不公平だと思ってな』

 意味深な言葉を口にしながら核心に触れることは何も話さないレグナートに、やれやれとカシウスは肩をすくめる。
 そこそこ長い付き合いにはなるが、こうしたレグナートの性格はカシウスもよく理解していた。
 ヒントはくれるが、素直に答えは教えてくれない。そこから想像し、自分で答えに辿り着けとレグナートは言っているのだ。
 本人は竜のしがらみと口にしているが、彼から言わせれば安易に答えを求める人こそ愚かな存在に見えるのだろう。
 だからカシウスも無理に尋ねようとは思わない。ある程度の予想は付くからだ。

『……ふむ。あの(はたらき)から〈環〉の他に、見知った匂いを感じる。以前、私と戦った時、お前たちと一緒にいた者の一人であろう』
「それって――ッ!」

 レグナートの話を聞き、エステルは声を張り上げる。思い当たる人物は一人しかいない。
 クローディアだ。城から連れ去られたことは聞いていたが、その彼女が神機に取り込まれているとは思ってもいなかったのだろう。

「なるほど、そういうことか」

 しかし、カシウスは納得した様子で頷く。
 血は薄れているとは言っても、リベール王家は女神より至宝を賜った古代人の末裔だ。そしてクローディアは、その王家の始祖とも呼べる人物と近い生体情報を持っていることが、先の〈リベールの異変〉より明らかとなっている。どこから情報を入手したのかは分からないが、そこに目を付けたのだろうとカシウスはクローディアをさらった者の思惑を察した。
 ようするにクローディアは、至宝の力を制御するための核として利用されていると言うことだ。
 そこまでわかれば、為すべき答えは自然とでる。カシウスの決断は早かった。

「レグナート、あそこに見える紅い船に向かってくれ」

 カレイジャスへ向かってくれるように、カシウスはレグナートに指示をだす。
 しかし目の前にクローディアがいるとわかっているのに、その場から離れるような指示をだすカシウスに、エステルは詰め寄ろうとした。

「焦るな。このまま戦いに乱入すれば、俺たちも敵と認識されかねない。そうならないためにも、先に〈暁の旅団(かれら)〉と話を付ける。情報交換もしておきたいしな」

 カシウスの話を聞き、反論しないところを見ると理解はしているのだろう。
 しかし、まだ不満げな表情を浮かべるエステルを見て、カシウスは良い機会だと考えた。

「エステル」
「……なに?」
「お前の行動によって、ヨシュアとレンは確かに救われた。しかし言葉を尽くしても理解し合えない者もまた存在する。マリアベル・クロイスは恐らくそうした人間だ。彼女は自身の行いを正しいとは思っていない。悪だとわかっていて行動しているんだ。だからこそ、彼女は決して救いを求めることはないだろう」
「そんなこと話してみなければ――」
「分かるさ。お前には、この街の光景が目に入らないのか?」

 カシウスに言われて地上に目を向けるエステル。その視線の先には、傷ついた街の姿があった。
 この光景を作り出したのは〈暁の旅団〉だ。そう言えたら楽だっただろう。きっとリィンも、そう責められたところで否定はしない。しかしエステルにはわかっていた。いや、とっくに気付いてはいたのだ。リィンが悪い訳じゃない、と――
 でも戦争を肯定し、目的のためなら人の命を奪うことに躊躇いを見せない彼の生き方をエステルは認められない。
 それがクロスベルのために必要なことだと説明されたところで、感情を納得させることが出来ないからだ。
 エステルが何を思い、何を考えているかはカシウスも気付いていた。
 そんな風に彼女を追い込んでしまった責任は、自分にもあると思っていたからだ。

「偉そうなことを言ったが、家族の優しさに甘えていたのは俺も同じだ。お前が心に傷を負っていることにすら俺は気付かなかった。いや、いま思えば目を背けていたんだろう。お前ならわかってくれる。きっと大丈夫だと根拠の無い自信を抱き、心の何処かで安心を得ようとしていたんだ」

 カシウスはもっと早くに、エステルと向き合うべきだったと後悔していた。
 家族を蔑ろにしたつもりはない。しかし幼いエステルを家に残し、仕事で家を空けることも少なくなかったのは事実だ。
 エステルならわかってくれる。大丈夫だと、家族の優しさに甘えていたのだ。

「英雄などと、もてはやされてもこの有様だ。レナが生きていたら、きっと物凄く怒られただろうな」
「父さん……」

 覇気なく項垂れるようにそう話すカシウスに、エステルはどう反応していいか分からず戸惑いを見せる。
 彼も人の親だ。周囲が思っている以上に、今回の一件はカシウスも堪えていた。
 亡くなった妻が生きていたら、こんな風にはならなかっただろうとカシウスは思う。

「ヨシュア。お前には苦労ばかりかけて申し訳ないと思う。本来なら俺がやるべきことを、お前には押しつけてしまった」
「父さんが悪いんじゃ……僕はただエステルのために……」
「それでもだ。俺が責任を果たさなかったことに変わりはない。その腰の武器……もしもの時はエステルを庇って死ぬつもりだったのだろう?」

 カシウスの言葉に驚いた様子でヨシュアを見るエステル。その反応を見るに、何も聞かされていなかったのだろう。
 口で言ったところでエステルが止まらないことはわかっている。だから、もしもの時はリィンと戦い、エステルを庇って死ぬつもりだったのだろうとカシウスは察する。
 ヨシュアは〈結社〉の元執行者だ。ならリィンの力の正体にも薄々気付いてはいるのだろう。
 剣帝レオンハルトの形見――〈外の理〉で作られた武器〈ケルンバイター〉を持ちだしたのがその証拠だ。

「だが、その武器が本来の持ち主の手にあったとしても、あの男には通用しないだろう」

 ヨシュアの考えは分かる。しかし、それでもリィンには敵わないとカシウスは話す。
 魔剣が本来の武器の持ち主の手にあったとしても勝てる可能性は低い。
 それはヨシュア以上に、リィンのことを正しく理解しての言葉だった。その上でカシウスは告げる。

「はっきりと言う。マリアベル・クロイスのことは諦めろ」

 覚悟はしていた。しかし、こうもはっきりと告げられると言葉を失う。
 カシウスがレグナートと共に現れた時、もしかしたらという望みがエステルにはあったのだろう。
 本来であれば、カシウスには自分の味方をして欲しかったに違いない。しかし、そんな娘の望みをカシウスは断ち切った。

「俺がレグナートに頼んで、お前たちを連れてきたのは彼女を助けるためじゃない。諦めさせるためだ」

 軍をシード中佐に預け、行方知れずだったレグナートを探し出し、リィンの思惑を出し抜くカタチでカシウスが二人をクロスベルに連れてきたのは、口で言い聞かせるよりは現実を見せた方が効果があるだろうと考えてのことだった。
 この街の惨状や大陸各地で起きている異変。その首謀者と思われているのがマリアベル・クロイスだ。
 例え説得に応じたとしても、彼女に待っているのは厳しい現実だ。少なくともエステルが望んでいるようなカタチで、彼女が救われるようなことはない。
 そして、それを彼女も望んでいないであろうことは想像が付く。
 エステルのやっていることは自己満足に過ぎない。誰一人救われることのない偽善だ。
 どうにもならない現実があるということを、カシウスはエステルに教えようとしていた。

「もう一度言うぞ。彼女のことをは諦めろ。それはお前たち≠フ為すべき役割ではない」

 戦いを回避するだけなら、リィンがやったようにリベールに二人を置き去りにするという方法もあった。
 しかしそうすれば確実にしこりが残る。簡単に諦めるような娘でないことは、親のカシウスが一番よく理解していた。
 こんなことで納得させられるとは思っていない。しかしリィンに向かうはずの怒りや不満を少しでも肩代わりすることが出来れば、カシウスはそれで十分だと考えていた。そもそもそれは自分が負うべき責任だと感じていたからだ。
 このままマリアベルのもとへ向かわせれば、エステルはリィンに殺される。ヨシュアも彼女を庇って命を落とす。
 しかし、それだけは絶対にさせるわけにはいかない。以前リィンが発した警告の意味を、カシウスは正しく理解していた。
 親として出来るのは、そのくらいだ。しかし出来ることなら、自分で間違いに気付いて欲しい。それは親としての願いでもあった。

「それに仲間を見捨てるつもりか?」

 ――仲間。クローディアのことを言われているのだということは、エステルにも理解できた。
 神機が破壊されれば、クローディアも無事では済まない。しかしそれを伝えたところで、レンはともかくシャーリィは相応の理由がなければ止まらないだろう。
 カシウスの警告を無視してマリアベルのもとへ向かうと言うことは、クローディアを見捨てると言うことだ。
 クローディアを見捨てる? そんな真似がエステルに出来るはずがない。
 いま彼女の中では、激しい葛藤が繰り広げられていることだろう。
 しかし、そうして迷うことが悪いとは、カシウスは思わなかった。大切なのは、何を決断するかだ。

「優先すべきものを見誤るな。でないと必要な時に、本当に守るべきものを守れなくなる」

 それは愛する妻を守ることが出来なかったカシウスの後悔の言葉でもあった。
 軍人として間違ったことをしたとは思っていない。カシウスの行動と決断によって多くの人が救われたことは確かだ。
 しかしその結果、カシウスは妻を戦争で死なせてしまった。
 大切なものを守れなかった悔しさ。親としてエステルには同じような失敗をして欲しくはなかった。
 両膝をつき、顔を伏せるエステルを見て、カシウスは背を向ける。

「〈暁の旅団〉との話は俺が付ける。お前たちはここで待機だ。……レグナート、二人のことを頼む」
『……まあ、よかろう』

 少し呆れた声で、カシウスの頼みに応じるレグナート。そして――
 カシウスはカレイジャスの姿を確認すると、振り返ることなく竜の背から飛び降りた。


  ◆


『不器用な男だ。しかし、それだけに人間というのは面白い』
「……レグナート?」

 レグナートの呟きに、ヨシュアは訝しげな声を上げる。

『私にも子を持つ親の気持ちくらいは理解できるつもりだ。人の子よ、おぬしはあ奴を憎んでいるのか?』
「……そんなことない。父さんは何も悪くない。今度のことだって、母さんが死んだのだって、何一つ父さんは悪くないことはわかってる」
『ならば、ありのままに伝えてやればよかろう。今おぬしが心に思い描いたことを一番後悔しているのは、あの男であろうよ』

 後悔を抱いていたのはエステルだけではない。カシウスも同じだとレグナートは語る。
 以前、アリシア二世から聞かされた話が、エステルの頭を過ぎった。

(そうか、そうだったんだ)

 カシウスが軍を辞めた理由。レナの死の原因は国を預かる自分にあると、アリシア二世はエステルに後悔を語った。
 しかし誰の所為でもない。そんなことは、とっくにわかっていたはずなのだ。
 そのことを聞かされたエステルが、アリシア二世に返した言葉は嘘なんかじゃない。
 母の死の原因が、アリシア二世にあるとエステルは思っていなかった。
 国を守るために戦った父。娘を庇って亡くなった母。二人とも、そんなことを望んではいないとわかっていたからだ。
 しかしリィンとの出会いが、エステルが心の内に押し留めていた気持ちを呼び起こしてしまった。

 後悔がまったくないと言えば、嘘になる。
 いまでも時々思い出す。母が死んだ日のことを――
 帝国軍の放った砲弾が時計塔にあたり、幼いエステルは母親と共に瓦礫の下敷きとなった。
 怖くて寒くて……瓦礫の下で震える私を、優しく抱きしめてくれた母の温もりが、いまも忘れられない。
 あの日、街に出掛けなければ、母さんは死ななかったかもしれない。そう自分を責めることは何度もあった。

 でも、口にすることは出来なかった。
 母さんが死んで一番辛い思いをしているのが、父さんだとわかっていたから――
 新しく出来た家族。ヨシュアに弱い自分を見せるのは嫌だったから――
 死んだ母さんに甘えたくはなかったから――

「ごめん……ごめんなさい」

 それは誰に対しての謝罪か?
 涙を流しながら何度も何度もそう呟くエステルの肩を、ヨシュアはそっと抱き寄せる。
 マリアベルを本気で助けようとしたわけじゃない。本当は怖かったのだ。
 身近な人の死を受け入れることが、仕方がなかったの一言で済ませることが――

 そんなエステルの慟哭を聞き、レグナートは地上を見下ろす。
 カシウスの行動は理解できなくもない。親が子の成長を願い、見守るのは当然のことだ。だからレグナートもカシウスが頭を下げてきた時、手を貸すことを決めたのだ。しかし自分の命を危険にさらしてまで赤の他人を救おうとするエステルの行動や考えは、レグナートには理解しがたいものだった。
 だが、その不可解なところも、また人間なのだろうとレグナートは考える。
 ――英雄。そう呼ばれる者たちをレグナートは数多く目にしてきた。
 理屈では推し量れない何かを人は持っているからこそ、時に神々の想像をも超える力を発揮できるのだと。
 心に傷を負わぬ者に他者の苦しみは理解できない。カシウスや娘のエステルもまた、その資質を持っていると言うことだろう。
 そうした力を感じ取ったからこそ、女神も人間に至宝を与え、彼等の持つ可能性に希望を見出したのかもしれない。
 どうして女神が至宝の行く末を見守る役目を自分たちに与えたのか? その意味をレグナートは考えさせられる。
 そして――

『……遂に動くか。終幕は近いようだ』

 レグナートは東の空を眺める。
 青白い光を放ちながら、マナの粒子となって崩壊していく大樹。
 その光景を傍らで見守る神狼の姿が、レグナートの双眸には映っていた。



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