「異界の門を開くね……」

 嘗て〈空の女神〉が封じた異界の扉を、再び〈暗黒の地〉に開く。
 ノルンのことや自分と言う存在がいる以上、そんなギリアスの話を夢物語と切り捨てることはリィンには出来ない。
 それに――

(龍穴に目を付けたのは、そういうことか)

 精霊の道は異界へと通じる。
 並行世界に渡ったことのあるリィンには、ギリアスの計画が実現可能だと言うことが分かる。
 問題は〈精霊の道〉をこじ開けるのに必要なマナの確保だが、それを龍穴から得るというのは悪くない着眼点だ。

(鉄道網を広げていたのも、これが狙いだったってことか)

 あの強引な領土拡張政策も、このための布石だったと考えれば合点が行く。
 各地の龍穴を押さえるのが本来の目的。鉄道は思惑を隠すためのカモフラージュ。
 大量のマナを得るため、龍脈の流れに沿って作られていたと言うことだ。

「目的は分かった。だが、なんのためにそんなことをする?」

 ギリアスの目的は理解できた。しかし、そうする理由が分からない。
 ただの破滅願望から、こんなことをしているとはリィンも思ってはいなかった。

「復讐か?」

 故に尋ねる。
 ハーメルの悲劇に原因があるとすれば、妻を殺された復讐という線が一番濃厚だと考えたからだ。
 元凶となったワイスマンは既に死亡しているが、唆され実行に移した貴族の多くは責を問われたものの、現在も生きている。
 ハーメルの悲劇の真相を公表できなかったため、重い罰を処せなかったことが大きな理由だった。
 ユーゲント三世がギリアスを宰相に任じ、帝国の改革を進めたのも、その辺りに事情があると考えられる。
 身分制度を廃し、新たな秩序を帝国に築く。それがユーゲント三世の狙いだったのだろう。
 しかし、ギリアスの思惑は別にあった。最初から帝国を変えられるなどと、ギリアスは考えていなかったのだろう。

「そういう気持ちがなかったと言えば、嘘になるだろう。だが、それはハーメルに限った話ではない。似たような悲劇は世界中の至るところに転がっている」

 確かにそうだ。リィンもハーメルの悲劇について思うところはあっても、自分が一番不幸だとは思っていない。
 こうしている今も、世界の至るところで諍いが起き、その犠牲となっている人々が大勢いる。
 戦争の犠牲となるのは、いつも弱者だ。戦地を転々とし、その惨状を目にしてきただけに、リィンはそのことをよくわかっていた。

「どのような処置を施そうとも、腐った大樹は根元から切り落とさねば変えられぬ。そして、それはこの世界も同じだ」
「だから世界を壊すって言うのか?」
「破壊なき新生はありえない。激動の時代を乗り越えてこそ、人は新たな一歩を踏み出せる。嘗て〈空の女神〉がそうしたように……」

 地精や魔女をこの世界へ招き入れ、人間に至宝を与えたのは〈空の女神〉だ。
 大崩壊の原因を作ったのは〈空の女神〉とも言える。恐らく女神には、人間が滅びに向かうことがわかっていたのだろう。
 謂わば、それは破壊と新生の儀式。幾度となく、この世界で繰り返されてきた歴史そのものだ。
 しかし――

「言いたいことは、それだけか?」
「……なに?」

 だからと言って、リィンは素直にそれを受け入れるつもりはなかった。

「俺は自分の運命を他人に委ねるつもりはない」

 世界が欺瞞に満ちているのは確かだ。
 教会は真実を公表せず、国は国益のために現実から目を背け、人々は疑問を抱くことすらしない。
 だが、そんなものは時代が変わろうとも同じことだ。結局のところ、人は同じことを繰り返す。

「余計なお世話だって言ってるんだ。女神も、お前のやろうとしていることもな」

 世界の歪みを正すため、キーアを殺すために世界の意思が自分を呼んだと言うが、リィンは了承した覚えはない。
 ギリアスのやろうとしていることも同じだ。そんなものは親切の押し売りと変わらない。

「それが運命だって言うのなら、俺は女神を否定する」

 だからこそ、リィンは認めることが出来なかった。
 それはギリアスのやろうとしていることを、嘗ての女神の行いを否定する言葉でもあった。
 元よりギリアスとルーファスも、そんなリィンの答えは予想していたのだろう。
 理解されるとは思っていない。最初から相容れないであろうことはわかっていたことだからだ。

「ならば、私は〈空の女神(エイドス)〉に誓い、神敵たる(キミ)≠討とう」

 全身から金色に輝く闘気を放ち、ルーファスは大地を蹴る。
 一瞬で間合いを詰め、懐に入られたことに驚きながらも、リィンは腰に下げた銃剣でルーファスの剣を受け止めた。

「な――ッ」

 反発する力に押し退けられるように、リィンは後ろへ飛ぶ。
 そして手に伝わる衝撃から、アリアンロードとの戦いの記憶が蘇る。

「先程と同じにように行くとは思わないことだ」

 ルーファスの剣先から放たれた衝撃波がリィンに迫る。
 どうにか横に飛び退くことで回避するも風を裂き、大地を砕く一撃を前に、リィンは防戦一方に追い込まれていく。
 姿形は確かにルーファスそのものだが、明らかに先程までとは別次元の強さだった。

「そうか、龍脈の力を……」

 自身の身体を受け皿に、龍脈の力を取り込んでいるのだとリィンは推測する。
 至宝の力を取り込み、〈零の巫女〉として覚醒したキーアがやったことと同じだ。
 現在のルーファスの身体が人間のものではなく、ホムンクルスの肉体ならば不可能な話ではない。
 しかし、そんな真似をすれば――

「……幾らホムンクルスの身体でも耐えられるはずがない」
「だろうね。だが元より、この身と剣は閣下に捧げたもの。計画の一助となるのであれば、躊躇う理由はない」

 一切の迷いのないルーファスの答えに、リィンは戸惑いを覚える。
 死んでも蘇ることが出来るとは言っても、それは記憶を受け継いだ別人と言っても間違いではない。
 それにそんなインチキが、何のリスクもなく何度も行えるとはリィンも思ってはいなかった。

「何故だ。どうして、そこまでする?」

 故にギリアスにそこまで肩入れする理由が思いつかず、リィンはルーファスに尋ねる。
 僅かに逡巡するも、そんなリィンの疑問にルーファスは答えた。

「私には記憶があるのだよ。獅子心皇帝と呼ばれた英雄の記憶が――」


  ◆


「獅子心皇帝だと?」

 獅子心皇帝と言えば、二百五十年前に獅子戦役を終結に導き、現在の帝国の礎を築いたとされる人物だ。
 帝国に住まう者なら誰もが知る歴史上の英雄。そんな人物の記憶がどうして――とリィンは困惑を顕にする。
 そして、ふと頭を過ぎったのは、地脈を利用した大地の記憶の転写。先程ルーファス自身が口にしていた言葉だった。

「ホムンクルスの肉体に、ドライケルス帝の記憶を移植したのか?」
「正解であり間違いとも言える。私は元より記憶の一部を持っていた。獅子心皇帝の記憶をね」

 想像を大きく超えた答えに目を瞠るも、そういうことかとリィンは大筋の流れを理解する。
 アルバレア公爵家は、アルノール皇家とは親戚筋に当たる。ドライケルスの血を継いでいても不思議な話ではない。
 恐らくは何かを切っ掛けに、血脈に宿る記憶がルーファスの中で目覚めたのだろう。

「もっとも私は、彼の記憶を受け継いで居るだけの別人に過ぎないけどね」

 過去の人物の記憶があるからと言って、人格も同じとは限らない。
 実際、リィンも転生を経験しているが、いまの自分が日本人だった頃の自分とは懸け離れたものだと自覚していた。

「ルーファス。お前がギリアスに力を貸したのも、その記憶が理由か?」

 元よりギリアスとルーファスの接点が思い浮かばなかったのだ。
 可能性があるとすれば、ユーゲント三世を通じた繋がりくらいだった。
 だが、ルーファスが獅子心皇帝の記憶を一部とはいえ、受け継いでいるのなら彼の行動にも一応の説明は付く。

「そうだ。過ちは正さなくてはならない」
「だから父親を見殺しにしたのか? ユーシスのために……」

 ドライケルスも庶子だったと言う話だ。
 ルーファスが彼の記憶を有しているのなら、ユーシスに対してどのような感情を抱いていたか容易に察しが付く。
 そう考えたが故の質問だったのだが、

「私は国の在り方に絶望すると共に、あの子に希望を見た。それが理由だ」

 迷いのない声で、ルーファスは答える。自分の行いに一切の疑いを持っていないことが分かる。
 だが、それは――

「確かにそうだ。お前は英雄(ドライケルス)じゃない。ただ、記憶を持っているだけの負け犬だ」

 そう言い放つとリィンは大地を蹴り、反撃にでる。

「何を――」

 リィンの放つ気迫に圧され、一転してルーファスは防戦一方となる。
 剣が交わる度に空気が震え、大地が振動する。パラパラと崩れ落ちる岩粉を目にして、ルーファスは顔をしかめる。
 こんな戦いを続ければ、いつ大空洞が崩壊しても不思議ではなかった。

「国に絶望した? あの子に希望を見た? そんなのは、ただの自己満足だ」
「ッ――キミに何が分かる!」
「分かるさ」

 前世の記憶があると言うのは、良いことばかりではない。なまじ知識があるが故に、記憶の中の自分との差に苦悩する。
 同じように過ちを犯し、家族を失いかけたリィンには嫌と言うほどにユーシスの葛藤が理解できる。
 しかし、それだけに前世に縛られたルーファスの言葉を、リィンは認めることが出来なかった。

「あの子のため? 違う。お前は記憶の英雄に憧れ、弟に嫉妬しただけだ」

 記憶にある英雄の姿と、弟の境遇を重ね合わせていたのだろう。
 リィン・シュヴァルツァーのようにはなれない。それは、この世界に転生したリィンが最初に思ったことだ。
 皆に認められるために力を使いこなそうと、理想の自分に近づこうと努力したが、それは叶わなかった。
 当然だ。似てはいても、自分と彼は違う。

「お前は英雄(ドライケルス)になれない。家族(ユーシス)を言い訳に使うな」

 リィンの攻撃が遂にルーファスの動きを捉える。
 辛うじて剣で受け止めることに成功するも、衝撃を殺しきれず、床に叩き付けられながら弾け飛ばされるルーファス。
 そして、土埃に塗れながらヨロヨロと立ち上がり、再び剣を構える。しかし、

「なるほど……これが英雄(ホンモノ)の力か」

 顔に浮き上がる血管からは血が噴き出し、身体は満身創痍と言った有様だった。
 先程リィンから受けたダメージだけではない。力の反動に肉体が耐えられず、限界が近づいているのだろう。
 キーアのように器≠ニして完成された身体とは違い、ただのホムンクルスの肉体では強度に限界がある。
 ましてや人の身でリィンに匹敵するほどの霊力を急激に身体へ注がれては、力の調整が利かないのも当然のことだった。
 強すぎる力は破滅を招く。身に余る力を求めた者の末路は言うまでもない。

「終わりだ。その妄執と共に今度こそ、あの世へ送ってやる」

 放って置いても死ぬだろうが、確実にトドメを刺すつもりでリィンは剣を構える。
 ルトガーがいてくれたから、リィンは間違えずに済んだ。
 しかしルーファスには道を正してくれる相手が、叱ってくれる親がいなかった。
 その境遇に同情しないかと言えば、嘘になる。ならば、せめて――

「確かにキミの言うとおり、私はユーシスを羨んでいたのだろう。だが、何もわかっていないのはキミも同じだ」
「何を――ッ!?」

 意味深な言葉を放つと、ルーファスは自分の胸に剣を突き立てた。


  ◆


 胸に剣を突き立て、血を流しながら地面に膝をつくルーファスを見て、リィンは言葉を失う。

「……閣下、あとは頼みます」

 ギリアスに後のことを託すと、穏やかな表情で息を引き取るルーファス。
 どうして? なぜ? そんなありきたりの言葉がリィンの頭を過ぎる。
 常軌を逸した光景に呑まれ、リィンがその場を動けずにいると、

「よくやった、ルーファス」

 ギリアスはルーファスの胸に突き刺さった剣を引き抜いた。

「なッ!?」

 その直後、ルーファスの胸の傷痕から膨大なマナが噴き出す。
 大空洞に渦巻く目を覆わんばかりの光の奔流を前に、リィンは腕で視界を庇う。

「そうか。最初から、これを狙って――」

 ルーファスが地脈の力を取り込んだのは、リィンに対抗する力を得るためではない。
 地脈からマナを取り出す、受け皿としての役割を果たすためだったのだとリィンは気付く。
 キーアが〈零の巫女〉として覚醒するため、過去に行った儀式の半分をルーファスが請け負ったと言うことだ。

(なら、そのマナの行き着く先は……)

 ルーファスの胸から漏れ出たマナは、すべてギリアスの持つ剣に吸収されていく。
 例えゼムリアストーン製の武器を用いても、これほどのマナを取り込む力はない。
 あれは至宝の器≠ニして、長い歳月を掛けて調整されたキーアだから可能だったことだ。
 だとするなら、その代用が可能なあの剣は――

「〈外の理〉で作られた武器……ギリアス! お前――ッ!」

 ギリアスが何をしようとしているのかを悟り、リィンは一足で距離を詰める。
 剣に炎を纏わせ、ギリアスの頭上に全力で振り下ろすリィン。

「――なッ!?」

 しかし、障壁のようなものに攻撃が弾かれてしまう。
 その力には見覚えがあった。〈輝く環〉の力を用い、神機が使った障壁と同じものだったからだ。
 ギリアスの周囲に浮かぶ七つの光。それを目にした瞬間、リィンは光に呑まれて弾き飛ばされる。

「さあ、神話の続きを綴るとしよう。(おお)いなる神の復活を持って――」

 両手を広げ、ギリアスは高らかに叫ぶ。
 闇の中に浮かび上がる紋章。天井を突き破り、空に向かって立ち上る白き光。
 それは新たな神話の序曲。暗黒の時代の幕開けを告げる狼煙でもあった。



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