「ヴァルド、生きてるかい?」

 地面に横たわる嘗ての好敵手に声を掛けるワジ。
 粉々に砕けた大岩。陥没した大地。灰と化した草花。
 戦場のように荒れ果てた大地が、二人の繰り広げた戦いの激しさを物語っていた。

「返事はなしか……気を失っているみたいだね。まったく手間を掛けさせてくれるよ」

 そう話す彼の姿もヴァルドと同様に傷だらけで、立っているのもやっとと言った有様だった。
 無理もない。守護騎士にとって奥の手とも言える聖痕の力を全開で使ったのだ。
 魂に刻まれた一種の呪い。最悪、力の制御を謝れば命の危険すらある人智を越えた力。それが聖痕と呼ばれる力だ。
 体力は底を尽き、どうにか意識を保てているのは気力によるところが大きかった。
 その強大な力の前には、普通の人間ではあらがうことすら難しい。そう言う意味ではグノーシスの力に頼ったとはいえ、ワジをここまで追い詰めたヴァルドの実力は確かなものだ。
 いや、間違った選択。歪んだ想いではあるが、彼の執念がワジをここまで追い詰めたと言える。

「無事か? ワジ」
「はは……見ての通りさ。まさか、迎えに来てくれるとはね」

 音も気配もなく現れた大男に、ワジは振り返りながら苦笑を返す。
 スキンヘッドに黒い丸眼鏡。青い騎士服を纏った男の名はアッバス。
 旧市街を住処とする『テスタメンツ』のサブリーダーにして、その正体は教会の正騎士だった。

「メルカバは?」
「近くの森に待機させている。早く、ここを離れた方がいい。異界の崩壊が始まっているようだ」
「ああ……彼等の方も上手くやったみたいだね。これで少しは借りを返せたかな……」
「ワジ!」

 フラッと体勢を崩し、地面に吸い込まれるように倒れ込むワジを、寸前のところでアッバスは受け止める。

「……ごめん。少し力を使いすぎたみたいだ」
「無茶をする。だが、それほどの相手だったと言う訳か」

 ワジをここまで追い詰めた男――ヴァルドに視線を向け、アッバスは溜め息を溢す。
 出来ることならアッバスは、ワジをヴァルドと戦わせたくはなかったのだ。
 ワジとヴァルドの性格を考えれば、お互いに中途半端に引くことはないだろう。
 こうなることは最初から予想が付いていた。最悪の場合、どちらか一方が命を落とす。
 しかしワジは七耀教会に必要な人間だ。こんなところで命を縮めるような真似を、本心で言えばアッバスはさせたくなかった。

「強かったよ。彼は……」
「だが、勝ったのはお前だ」

 ヴァルドの執念はアッバスも認めていた。しかし、それでもワジには届かなかった。
 ワジが守護騎士だから勝てたのではない。背負うものの差。それが勝敗を分けたのだとアッバスは考える。
 特務支援課と関わりを持ち、以前と比べてワジは変わったとアッバスは感じていた。
 過去に囚われ、薬に縋ってまで独りよがりな強さを求めたヴァルドが、過去と向き合い、未来に向けて歩み始めたワジに敵うはずもない。

「その男を連れて帰るのか?」
「ああ、悪いけど……頼めるかい?」

 仕方がないと言った様子で、アッバスは気を失ったヴァルドを肩に担ぎ上げる。
 魔人化は解け、元の姿に戻ってはいるが、それでもヴァルドは二アージュ近い大男だ。
 そんな男を軽々と担ぎ上げるアッバスの膂力は、騎士団の中でもトップクラスと言ってよかった。
 そのアッバスから手解きを受け、ワジは戦い方を学んだのだ。ヴァルドも強かったが、いまの彼ではアッバスに届かないだろうとワジは思う。
 しかし、もしヴァルドが基礎から鍛え直し、しっかりと戦い方を学んだら強い騎士になるかもしれない。そうワジは確信していた。
 もっとも騎士団に入るかどうかを決めるのはヴァルド自身だ。それをワジは強制するつもりはない。
 だが、このままここに置いていくよりは、治療のためにも一度、法国へ連れ帰った方が彼のためだと考えていた。

「甘いな。その男の境遇に自らを重ね、同情でもしたか?」

 背後から掛けられた声に驚き、ワジは慌てた様子で振り返る。
 すると、いつからそこにいたのか? そこには紅い外套を羽織った長い髪の女性が立っていた。

「総長……」

 困惑と驚きに満ちた声をワジは漏らす。彼が『総長』と呼ぶ人物は一人しかいない。
 アイン・セルナート。星杯騎士団を束ねる守護騎士の第一位にして〈紅耀石(カーネリア)〉の異名を持つ最強の騎士。
 そんな彼女がどうしてここに――と、尋ねるような視線をワジはアッバスへ向ける。
 アッバスがこのことを知らなかったとは思えない。どうして先に教えてくれなかったのかと非難の目をワジが向けるのも当然だった。

「彼を責めないでやってくれ。黙っているように頼んだのは私だ。これでもお忍び≠ネのでね」

 自身のことをお忍び≠ニ称するアイン。実際、ワジに知らされていなかったと言うことは、そういうことなのだろう。
 アインがここにいることを知る者は、アッバスを含め、騎士団の中でも極一部しかいないと言うことだ。
 下手をすれば、教会の総本山があるアルテリア法国では、今頃大騒ぎになっているかもしれない。
 呆気に取られるワジを見て、アインは悪戯が成功したと言った笑みを浮かべ、質問を返す。

「それで、彼を騎士団に入れるつもりなのか?」
「それは……彼の意思を聞いてからです。総長は反対ですか?」
「ククッ、そう怖い顔をするな。何も反対するとは言っていない。そこまでする理由を尋ねておきたかっただけだ」

 睨んだつもりはなかったのだが、アインにはすべてお見通しなのだとワジは思い知らされる。
 実力こそがすべて。総長のアインとて元猟兵だ。出自には拘らないのが騎士団の方針だが、それでも限度はある。
 今回の事件の規模を考えれば、その計画に加担していたヴァルドを受け入れることには騎士団内部からも反発が予想される。
 ヴァルドを助けたところで騎士団には何のメリットもない。ワジの立場も悪くなるだけだ。
 そのことはワジも理解していたのだろう。答えを待つアインに、ワジは何時になく真剣な表情で答える。

「彼との決着がまだついていませんから……」
「だが、キミは勝ったのだろう?」

 そう、ワジは勝った。
 ヴァルドは意識を失い、ワジはこうして自身の両脚で立っている。
 しかし――

「彼とは、こんな聖痕(チカラ)に頼らずに決着をつけたい。星杯騎士団に所属する〈蒼の聖典〉としてではなく、彼等と共に過ごしたテスタメンツのワジ・ヘミスフィアとして」

 これでヴァルドとの戦いに決着がついたとワジは考えていなかった。
 互いに全力をだした結果であることは間違いない。しかし、そこには聖痕とグノーシスという力の介入があった。
 聖痕の力は本来、人に向けて良いものではない。グノーシスもまた人間には過ぎた力だ。
 ヴァルドとの決着は、そうした力に頼るのではなく自分自身の力でつけたい。そう、ワジは考えていた。
 最初からそうしていれば、全力でヴァルドの気持ちの答えていれば、こんなことにはならなかった。なのに――

「なるほど。確かに男なら¥れない理由だ」

 そんなワジの後悔と決意を察し、アインはニヤリと笑う。
 元よりアインはワジの考えを否定するつもりも、ヴァルドが望むのであれば彼の入団を拒むつもりもなかった。
 今回の事件に関与したとは言っても、傍から見ればヴァルドは利用されただけだ。
 ましてや自ら望んだこととはいえ、グノーシスを投与された背景を考えれば、彼もまた教団の被害者とも言える。
 程度の差はあるが、騎士団にはそうした罪や暗い過去を持つ者が多い。ただ、先に言った通り理由を聞いておきたかっただけだ。
 皮肉とも取れるアインの言葉に、ワジはやはり彼女は最初から察していたのだと溜め息を吐く。そして、

「総長はどうしてここへ?」
「この戦いの結末を、自分の目で見届けておきたいと思ってね」

 そう言って空を見上げるアインの視線の先には、薄らと光のようなものが確認できた。
 ヴァルドとの戦いに意識を集中していて気付かなかったが、ワジはそれが何の光かを察する。
 リィン・クラウゼル。彼の操る騎神が、何かと戦っているのだと気付いたからだ。
 傷が疼き、魂が揺さぶられるような力の波動。自分の想像を遥かに超えた何かが空で起きていることだけはワジにも理解できた。
 それだけに一度は胸にしまった疑問が湧き上がる。

「……彼は何者ですか?」

 アインに向けられた問い。彼女なら何か知っているのではないかと思ったが故の質問だった。
 ケビンが騎士団に持ち帰った手紙。リィンからアインに向けて綴られたその手紙の内容をワジは知らない。
 しかしアインのリィンに対する拘りから見ても、二人の間に何か余人の知らない関わりがあることは確かだ。

「もしかして、総長は彼と面識があるのでは?」

 アインは教会に所属する前は、猟兵をしていたという話だ。リィンとも、そのことから面識があるのではないかとワジは疑っていた。
 ワジの問いに、アインはやはりそうきたかと愉しげな笑みを浮かべる。元より、そのような疑念を抱かれていることは理解していた。
 騎士団の執務室を訪ねてきたトマスにも一度、同じようなことを尋ねられたことがあったからだ。

「残念だが、彼と会ったことはない。だが……」

 面識はない。それは事実だった。
 しかし顔を合わせたことがないことと、相手のことを知らないというのは別の話だ。
 リィンがアインのことを知っているように、アインもまたリィンのことを知っていた。

「共通の男を知っていると言うだけの話だ。猟兵の中の猟兵と呼べる男を、な……」

 そう答えながら、懐かしむような表情で空を見上げるアイン。
 リィンから手紙を受け取ったから、ここへ来たわけではない。ただ、この戦いだけは自分の目で見届けたかった。
 この戦いは始まりに過ぎない。どのような結末に終わろうと、世界は変革を求められるだろう。
 激動の時代の訪れを予見したギリアス・オズボーンの願いは、もう叶っているのかも知れない。
 しかし――

「キミがあの男の名と意志を継ぐと言うのなら見せて欲しい。運命(さだめ)を打ち破り、未来を切り拓く力を――」


  ◆


「アハハ! もっと、もっと楽しませてよ! そんなものじゃないよね!?」

 シャーリィの愉しげな声が空に響く。
 巨神の放った光の槍を同数の武器で相殺すると、〈緋の騎神〉は一気に距離を詰める。
 そして騎神の右腕に出現したのは巨大な戦斧。それを巨神の首目掛けて、シャーリィは横凪に振う。
 だが、先の〈灰の騎神〉の攻撃と同様、〈緋の騎神〉の一撃は光の障壁に阻まれる。

「それは、もう見飽きたってのッ!」

 しかし、そこでシャーリィの攻撃は終わらなかった。
 一撃でダメならと、次々に武器を持ち替え、シャーリィは巨神の障壁に攻撃を叩き付ける。
 徐々に激しさを増していく〈緋の騎神〉の攻撃。さすがに鬱陶しく感じたのか、巨神が反撃にでようと手を振り上げた瞬間――

 千を越える武器が、巨神の頭上に降り注いだ。
 雨のように降り注ぐ無数の武器を前に、初めて巨神の身体が大きく左右に揺れる。

「バカな。一体どうやって……」

 機体に伝わる衝撃に、ギリアスの口から驚きの声が漏れる。
 当然だ。幾ら大量の武器を用意しようと、並の武器で巨神の障壁を打ち破れるはずがない。
 輝く環の障壁を打ち破ったケルンバイターのように〈外の理〉で作られた武器ならまだしも――
 そこまで考えたところで、ギリアスはハッと目を見開く。

「まさか、模倣したと言うのか!?」

 降り注ぐ武器の一本一本が魔剣なのだとギリアスは気付き、驚きの声を上げた。
 緋の騎神が生み出す武器は、マナで創造された虚構の武器だ。
 だがその反面、起動者のイメージに左右されるため、本物の武器には性能で遠く及ばない。
 ブレードライフルのように複雑な機構を組み込むことが難しく、鍛え上げられた刀のような鋭さや大剣のような頑強さもない。
 シャーリィも自身にそうした知識やイメージが欠けていることは自覚していた。
 しかし、それでも実際に自分の目で確認した武器を忘れることはない。

「所詮は偽物だけどね!」

 ケルンバイターと同じ魔剣を生み出すことは不可能だ。しかし、イメージすることは出来る。
 頭に思い描くのは、神機の障壁を打ち破った黄金の輝き。
 緋の騎神もまた〈外の理〉で造られたものだ。そして騎神の生み出す武器もまたマナで出来ている。
 ならば、模倣できないはずがない。

「足りないなら、数で補えばいい!」

 完璧な再現は不可能。なら、足りない分は数で補えばいい。
 それがシャーリィのだした答えだった。

「これが、オルランド。戦場で培った経験と勘と言うことか。だが――」

 たいしたものだと、ギリアスは珍しく感心した様子を見せる。しかし、それでも巨神には届かない。
 これらの武器は〈緋の騎神〉が生み出したものだ。騎神のマナが尽きれば、武器もまた尽きる。
 一方で地脈から湧き出す力を取り込み、無限とも呼べる力を有する巨神とでは基本的な力に差がありすぎる。
 先に力尽きるのはどちらか? そう考えれば、簡単にでる答えだった。

「なんか忘れてない?」
「何を――」

 負け惜しみかと言葉を紡ぎ掛けた、その時。ギリアスの視界に、一体の騎神の姿が映る。
 灰の騎神ヴァリマール。距離を詰め、巨神に迫るその手には、黄金の炎を纏った一本の剣が握られていた。
 レーヴァティン。リィンの奥の手とも呼べる技だ。

「そうか、最初から時間稼ぎのつもりで――」

 しかし、その技を使うことをリィンが躊躇していたことを知るギリアスは疑問を持つ。
 さすがにアリアンロードをも退かせた一撃を食らえば巨神も無事では済まないだろうが、ここでそんな大技を使えば地上への被害は免れないだろう。
 最悪クロスベルの街が灰と化す恐れすらある。そんなリスクを、何の勝算もなくリィンが冒すとは思えなかった。

「残念。そっちもハズレなんだよね」
「な――」

 二体の騎神に目を奪われていたギリアスは、ようやく自分の足下にあるものに気付く。

「まさか、これは――」
「〈精霊の道〉って言うらしいよ」

 精霊の道。七耀脈の流れを利用して、別の場所へ移動する転位の術だ。
 時間稼ぎが目的だったのではない。
 魔法陣から注意を逸らし、この場所へ追い込むことが最初からシャーリィの狙いだったのだとギリアスは気付く。
 だが、気付いた時には遅かった。

「付き合ってもらうぞ! 地獄の果てまで!」

 目前に迫る灰の騎神。
 リィンの声と共にヴァリマールの剣先から放たれた炎が、巨神の身体を呑み込む。
 次の瞬間、黄金の光がクロスベルの空を覆い尽くした。



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