番外『暁の東亰編』



 扉の向こうは緋色に染まる巨大な城の中へと通じていた。
 コウたちは知らないが、こことは異なる世界で『煌魔城』と呼ばれた魔王の居城。それがこの迷宮の正体だった。

「シオリ……」

 迷宮の最奥に辿り着いたコウは、玉座で死んだように眠るシオリの姿を見つける。
 優しい嘘によって守られてきた日常。その嘘があったからこそ、コウは悲しみに心を支配されることもなく、家族や友人に囲まれた何気ない日々を過ごせてきた。だからと言って、このままで良いはずがないとコウは思う。
 嘘を吐き続けることで、誰よりも傷ついているのは他ならぬシオリ自身だからだ。

「いま助けてやるからな」

 正直、先のことなんて分からない。しかし、一つだけわかっていることもある。それはシオリを助けたいと願う自分自身の気持ちだ。
 だからこそコウは手を伸ばす。その結果、日常が壊れる結果になっても、すべてが嘘で終わるわけじゃない。
 シオリはここにいる。どれだけ彼女が否定しようと嘘だと主張しても、一緒に過ごした十年の時間が消えてなくなるわけではない。
 コウがそうであるように、倉敷シオリの帰りを待つ人はたくさんいる。それはすべて、シオリが自分の手で育んできた絆だ。

「コウ先輩!」
「コウくん――危ないッ!」

 コウの手がシオリに触れようとした、その時。シオリを守るように炎が立ち上った。
 そして、まるで生き物のように炎が蠢き、コウへと襲いかかる。

「リオン!?」
「ああ、もう! 気持ちは分かるけど油断しすぎ!」

 コウを抱えたまま文句を口にし、リオンは空へと逃げる。
 空の上から地上を見下ろすリオンの視線の先には、人のカタチをした紅蓮の炎が蠢いていた。
 その姿は、どことなくシオリに似ているような気がする。いや、恐らくはシオリを模しているのだろう。

「あれが魔王……」

 コウは少女の姿をした魔王を見下ろし、ゴクリと息を呑む。見た目は人間の少女と然程変わりないが、遠目にも感じ取れる存在感は桁外れだった。
 まるで身体の感覚を確かめるように、手を閉じたり開いたり人間みたいな仕草をする魔王。そして空を見上げたかと思えば、くるりとコウとリオンの方を振り返り手を掲げると、巨大な火の玉を二人に向けて撃ちだした。

「嘘でしょ!?」

 炎から逃げるように空を飛翔するリオン。コウを抱えているためか、思うようにスピードがでない。
 そんななか絶え間なく放たれる炎弾に「そんなに一杯は無理!」と悲鳴を上げながらリオンは必死に逃げる。
 しかし、このままではジリジリと追い詰められるだけだ。そう考えたコウは、

「リオン、相談がある」
「え?」

 突然、コウに相談を持ち掛けられ、リオンは呆けた声を漏らす。
 しかしコウから相談の内容を打ち明けられたリオンは顔を真っ赤にして反論した。

「そんなこと出来るわけないでしょ!?」
「大丈夫だ。俺たちなら出来る」

 ここは空の上だ。万が一にでも失敗すれば、空を飛べるリオンはともかくコウがどうなるかなど考えるまでもなく分かる。
 だからリオンは反対の声を上げたのだが、コウの意思は固かった。
 真剣な眼差しを向けられ、リオンは顔を赤くして「ああ、もう!」と頭を振る。

「これで死んだら、アンタの葬式で泣きながら般若心経を歌ってやるから!」
「……死んだ後にもジュンタにいろいろと言われそうだな。それ……」

 激励しているつもりなのだろうが、絶対に死ねないなとコウは心の中で呟く。
 そんな真似をされたらジュンタだけでなく、全国のSPiKAファンの注目と恨みを買いそうだとコウは身震いした。
 逃げるのを止め、リオンは地上を目指して急降下する。しかし当然のようにリオン目掛けて攻撃を放つ魔王。無数の炎の玉が弾幕のようにリオンとコウに迫る。

「舐めるなああああっ!」

 そんななか雄叫びを上げながら、リオンは翼の先端からレーザーを放った。
 リオンのソウルデヴァイスは他の〈適格者〉のものと比べ、余り戦闘向きではない。低位の怪異が相手であっても、恐らく一撃で倒すことは難しい。当然、目の前の魔王のような高位の存在に対して、彼女は無力と言っていい攻撃手段しか持ち合わせてはいなかった。
 しかし一度に放てる攻撃の多さは、それこそミツキやアスカを軽く凌駕する。何より空を自在に飛べる翼。それこそリオンが持つ最大の武器だった。
 リオンの翼より放たれたレーザーが魔王の放った炎弾とぶつかり爆発を起こす。花火のように広がる炎と白い煙。だがリオンはスピードを緩めることなく、そのまま炎と煙の中へ突っ込む。自分でも無茶なことをしているという自覚はある。それでもコウが信じて頼ってくれたのだ。その期待に応えたいという想いが、リオンの心を突き動かしてきた。
 煙を突き抜け、視界に魔王の姿を捉えるリオン。しかし待ち構えていた魔王は、リオン目掛けて先程までとは比較にならないほど巨大な一撃を解き放った。
 紅蓮の色をした閃光が煙ごとリオンを呑み込む。当たれば火傷では済まない一撃。リィンのグングニルにも迫る威力を秘めた閃光は、すべての爆煙を吹き飛ばしながら緋色の空へと吸い込まれていく。
 しかし、

「残念――」

 それは残像よ――と呟き、リオンは目で追いきれないほどの速度でジグザグに飛翔しながら距離を詰め、上空からレーザーの雨を降らせる。
 ――セラフィムハーツ。高速で空を飛び回り、無数のレーザーを敵に叩き込むリオンの奥の手。だが、目の前の魔王が相手では、それも気休め程度にしかならないことはリオンにもわかっていた。
 だが、目眩ましにはなる。

「はああっ!」

 上空から魔王目掛けて一直線に落下する影。それはコウだった。
 爆風を背に落下速度をプラスして、流星のような勢いで頭上から魔王に迫るコウ。並の攻撃では魔王の防御を崩せないことはわかっていた。
 だから無茶を承知で取った行動。回避されれば自滅は免れないが、不意を突いた状況なら――

「エクステンドギア!」

 コウはソウルデヴァイスの先端を巨大な杭のように変形させ魔王の胸を貫き、地面に串刺しにする。その衝撃で地面が陥没し、小さなクレーターが出来た。
 文字通り全身全霊を傾けた渾身の一撃。しかし、それでもこの程度で倒せる相手とはコウも思ってはいなかった。

「逃がすかよッ!」

 だから、ソウルデヴァイスに渾身の霊力を込める。倒すためじゃない。動きを封じ、逃がさないためだ。
 ソウルデヴァイスは魔王の身体と同じ霊子体で出来た武器だ。肉体を持たない全身が炎で出来たような存在でも、その身体がマナで構成されている以上、ソウルデヴァイスの拘束からは逃れられない。
 そして、コウはこの瞬間を狙っていた。口元を歪め、コウは腹の底から仲間の名前を叫ぶ。

「ソラ――ッ!」

 そんなコウの声に応えるように土煙の中から飛び出し、ソラは一足で魔王との距離を詰める。
 まるで台風のような風を纏ったソラの拳が魔王の身体に突き刺さる。
 その好機を逃すまいと、すかさず連撃を繰り出すソラ。そして――

「風塵虎吼掌!」

 気を練り込んだ渾身の一撃が決まり、魔王の身体を地面に沈める。
 火の粉を散らし横たわる魔王に、ソラがトドメの一撃を放とうとした、その時だった。
 魔王の全身から立ち上る炎。咄嗟に飛び退くことでコウとソラは難を逃れるが、問題はそこではなかった。

「こいつ、まだ――」

 コウは予想外の事態に驚きを隠せず、困惑を顕にする。
 ダメージは確実に負わせたはずだ。ソウルデヴァイスの攻撃が有効なことは既に確認している。
 特にシオリという器を失い、アストラル体のみで存在している〈紅き終焉の魔王〉は身体を構成しているマナを失えば消滅するだけだ。
 なのに、まるで弱っている様子がない。それどころか、力を増しているようにも見えた。

「こんな力をどこから……」
「恐らく杜宮の霊脈から力を吸い上げているのでしょう」

 そんなコウの疑問に答えたのは、遅れて姿を見せたミツキだった。
 遅くなってすみません、とコウ以外の皆にも頭を下げると、すぐに魔王の様子を観察してミツキは状況を推察する。

(リィンさんが危惧していたのは、こういうことですか……)

 神話級の怪異と言えど、無尽蔵に力を発揮できるわけではない。その証拠に因果の改変をするのであれば、すぐにそうすればよかったもののシオリはコウたちがここに来るのを待っていたかのように、それをしなかった。いや、出来なかったのだ。
 夕闇ノ使徒と言えど、世界を改変するほどの力を有しているはずがない。だから足りない力を補うために〈紅き終焉の魔王〉を、この世界へ呼び寄せた。しかしアスカが言っていたように、それは結果論でしかない。
 もし、魔王を召喚することが出来なかったら? 同化が上手く行かなかったら?
 シオリは――〈夕闇ノ使徒〉はどうやってシオリの願いを叶えるつもりだったのか?
 その答えが、この〈災厄の匣(パンドラ)〉だ。

 杜宮は古の時代より神が眠るとされる地。そうした話自体はよくあるものだが、この地にはその話を裏付けるように巨大な霊脈が存在していた。
 ゾディアックの傘下に名を連ねる北都や御厨。それにネメシスの関係者や霊具職人など、異界に関わる様々な組織と人間が集まっているのも、この土地に根付く霊脈に理由があると言っていい。そしてアクロスタワーは街の中心にそびえ立つ電波塔だ。九重神社と同様に霊脈の上を横切るように建てられており、杜宮でも選りすぐりの霊地だった。
 この場所を〈夕闇ノ使徒〉が選んだのも、それが理由だろう。本来であれば、この場所から因果の改変に必要な霊力を集めるつもりだったのだと予想が出来る。〈紅き終焉の魔王〉も同様に霊脈からマナを吸い上げることで、この無制限とも言える力を振っているのだとミツキは察した。
 だが、それだけに自分たちだけでは、どうしようもないことをミツキは悟る。目の前の魔王を倒すには、霊脈での回復を上回る威力の攻撃をぶつけるしかない。しかしそれほどの攻撃は残念ながら彼女たちにはなかった。
 可能性があるとすればリィンの使ったグングニルか、アスカの〈コールド=アポクリファ〉くらいしかミツキには思い当たらない。リィンが非情な決断を迫った理由を察し、ミツキはどうすることも出来ない現実に目を伏せた。
 しかし、彼女は選んだ。既に決断をしてしまっていた。

「時坂くん、私を恨んでくれて構いません。シオリさんを助けたいと思うと同時に、私はあなたたちを死なせたくない。だから……」
「ミツキ先輩? 何を……」

 ミツキが何を言っているのか分からず、困惑の表情を浮かべるコウ。その時だった。
 コウたちの横を凄まじい速度で何かが横切る。

「――退け、邪魔だ」

 白銀の槍を携えた灰髪のリィンの姿が目に入り、コウ、ソラ、リオンの三人は驚く。
 そして目を瞠るコウ。ようやくミツキの言葉の意味を、リィンが何をしようとしているのかを察し、コウは力の限り叫ぶ。

「やめろおおおおおっ!」

 手を伸ばし、リィンとシオリの間に割って入ろうとするコウ。だが、間に合わない。
 狙いを定めたリィンはシオリと魔王を直線上に捉え、破邪の槍を穿つ。
 放てるのは一発が限界。しかし、それで十分だった。

必滅の大槍(グングニル)

 白い光がコウたちの視界を覆い、辺り一帯を呑み込んだ。


  ◆


 呆然と立ち尽くすコウ。虚な瞳で、宙を彷徨う視線。
 魔王の姿はなかった。しかし同時にシオリの姿も見つからない。

「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!」

 受け入れ難い現実を前に気持ちの整理が付かず、頭を抱えてコウは叫ぶ。さっきまで目の前にいたはずの幼馴染みの姿は何処にもなかった。
 どうしてこんなことになったのか? 何がいけなかったのか? コウは答えのでない自問を繰り返す。
 ショックを受けているのはソラとリオンも同じだが、コウを見て逆に落ち着いた様子で不安げな表情を浮かべていた。

「お前がっ! お前がシオリを――」

 いまにも飛び掛かって行きそうな表情で、リィンを睨み付けるコウ。恨まれて当然のことをしたとリィンも自覚をしているため、特に反論をしない。
 一つだけ後悔していることがあるとすれば、最初から彼等を連れてくるべきではなかったとリィンは思っていた。
 シオリという少女が杜宮の異変の元凶であることをミツキやアスカは気付いていたのだろうが、二人が敢えてそのことを話さなかった理由はリィンにも察することが出来た。知っていれば間違いなく、リィンはコウを連れては来なかったからだ。そのことがわかっていてアスカとミツキは黙っていたのだろう。
 警戒をされていた以上、そのことは仕方がないとリィンは諦める。しかし情報が不足していたことを言い訳にするつもりはなかった。
 どちらにせよ、コウたちには無理だと判断した時点で手を下すつもりだったのだ。

「時坂くん、待ってください。私が彼に頼んだんです。だから恨むなら私を――」
「どうしてミツキ先輩が……」
「皆さんを死なせないためです」

 はっきりとコウに自分の考えを打ち明けるミツキ。このことで彼に恨まれることになっても仕方がない。
 むしろ自分の甘さが彼等に希望を抱かせ、コウを余計に傷つける結果へと繋がったと考え、ミツキは自らの行いを悔いていた。

「時坂くん……」

 エマに身体を支えられながら、少し遅れて姿を見せるアスカ。コウの様子を見て、すべてを察した様子でアスカは顔を伏せる。
 いまのコウを見て、掛けられる言葉などあるはずもなかった。ミツキ以上に、自分の甘さを痛感しているのは彼女だったからだ。
 出来ることなら避けたかった事態。しかし現実は冷酷だ。魂が抜けたような表情で、呆然と床に膝をつくコウ。シオリの死が余程ショックだったのだろう。

「……妙だな」

 一方で、リィンは険しい表情で周囲を警戒していた。
 迷宮の主が消えれば、異界化は止まるはず。この迷宮も消えるはずなのに、その予兆すらない。
 リィンのグングニルは確かにシオリを貫いた。そのことはグングニルを放ったリィン自身が一番よく理解していた。

「まさか……」

 リィンは何かに気付いた様子で空を見上げる。探るように、ジッと空を見詰めるリィン。
 そして捉える。緋色の空に浮かび上がる白い模様。それは生き物の顔のようにも見えた。
 ――ゾクリ! これまでに感じたことのない悪寒がリィンの背筋を襲う。

「逃げろ! いますぐ、ここから――」

 直ぐ様、その場にいる全員に撤退を指示するリィン。
 だがその直後、白い光が緋色の空を駆け巡り、空間に亀裂が走った。
 ――虚空震。杜宮だけでなく東亰すべてを震撼させる災厄が、再び始まろうとしていた。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.