「――船穂殿」

 後ろから声を掛けられ、足を止める船穂。
 振り返ると、そこには浴衣姿の鷲羽の姿があった。
 先程まで温泉に浸かっていたからか、ほんのりと肌が赤みを帯びているのを確認できる。
 ガイアとの戦いも大詰めを向かえ、皆は既に三次会の会場へと向かっているはずだ。
 すぐに会場へ向かわず、自分に声を掛けてきた鷲羽を船穂は訝しむ。

「宴会場は反対ですよ」
「知ってるよ。こっちには、ちょっと涼みにきただけさ。それより、船穂殿は参加しないのかい?」

 すべて察した上で、そんな質問をぶつけてきているのだろうと船穂は察する。
 最初から太老のことで鷲羽に隠しごとが出来るとは、船穂も考えていなかったからだ。
 瀬戸も林檎の計画に気付くのは時間の問題だろう。
 だから面倒なことになる前に、こっそりと会場を抜け出してきたのだ。

「この後、少し人と会う予定がありますので」
「それって、林檎殿が裏でいろいろと動いていた件の奴かい?」
「……やはり、ご存じだったのですね」

 すべて見抜かれていたのだと悟り、船穂は観念する。
 とはいえ、鷲羽に気付かれていることは、最初から考慮に入れてはいたのだ。
 だからこそ、尋ねておきたいことがあった。

「気付いていながら、どうして瀬戸殿にそのことを教えなかったのですか?」
「私はあくまで太老の保護者≠セからね。誰か一人を優遇する訳にはいかないのさ」

 あくまで自分は中立だと主張する鷲羽。
 しかし、そう言いながら瀬戸と結託して太老を異世界に送った張本人が彼女だ。
 額面通りに受け取ることは出来ないと考えた上で、少しでも鷲羽の真意を探ろうと船穂は質問を続ける。

「……では、邪魔をするつもりはないと?」
「ああ。船穂殿たちが太老のことを考えて、いろいろとやってくれてるのは知っているしね。むしろ、感謝したいくらいさ」

 どこまで本気なのかは分からないが、少なくとも嘘は吐いていないと船穂は感じる。
 太老のために、いろいろと画策しているのは自分たちも同じだからだ。
 そう言う意味では瀬戸もまた太老のことを考えて、このような席を設けたとも考えられる。
 正しく情報を共有することで、抜け駆けを牽制する意図もあるのだろうが――

「ああ、そうそう。忘れないうちに、これを渡しておかないとね」
「……はい?」

 そう言って鷲羽の放り投げたデータチップを、思わず受け取る船穂。
 なかに何が入っているのかは分からないが、手渡してきた人物の性格を考えると明らかに怪しい。
 船穂が素直に受け取れず、データの中身を怪しむのは当然であった。

「言葉だけじゃ信じてもらえないのは分かっているしね。実際、瀬戸殿に手を貸したことは事実だし。だからバランス≠とっておきたくね」

 そう話すからには、ここには太老に関する何か重要な情報が入っているのだろうと船穂は考える。

「それを、どう使うかは船穂殿に任せるよ。でも、出来たら――」

 これからも、あの子の味方でいてやっておくれ。
 そう言って鷲羽は背を向けると、ひらひらと手を振りながら船穂の前から立ち去るのだった。





異世界の伝道師 第375話『二人の太老』
作者 193






「……船穂?」

 突然、目の前に現れたマシュマロもとい樹雷第一皇妃と同じ名を持つ〈皇家の樹〉の生体端末に驚く太老。
 正確には、太老がガイアの精神世界に送り込んだ自身のコピー。それが、この太老だった。
 コピーと言っても、この太老も太老であることに変わりは無い。
 肉体とは、魂の器。そして、人は死ぬと魂がアストラル海へと還っていく。
 謂わば、肉体とは現世とアストラル海を繋ぐ端末のような役割を果たしていると言えるだろう。
 アストラルコピーとは、その本来一つしかないはずの端末をクローン化するための技術だ。

 だが、このアストラルコピーまたはクローンと呼ばれる技術は、理論上は可能とされているものの実例は少ない。というのも、アストラル海にアクセスするだけでも高度な技術力と途方もない時間を必要とするのに、更にそこから特定の霊子情報を抽出して魂の複製を作ろうと思えば、とてつもないエネルギーを必要とするからだ。
 それこそ、第二世代クラスの〈皇家の樹〉の力を借りなければ、完全なアストラルコピーを作り出すことは出来ない。皇家の樹の力を借りなければ、精々可能なのは記憶の一部をアストラル海から抽出するくらいだ。それでも必要とするコストの問題から滅多に行なわれるものではなく、ギャラクシーポリスですらどうしても捜査に必要と判断された特A級の重要犯罪に限ってアカデミーへの協力依頼を申請し、そこから連盟の審査会を経て、ようやく許可が下りるかどうかと言った程度のものだった。

 キーネやアウンを見ていると勘違いしそうになるが、本来は恒星間移動技術も持たないような世界に彼女たちのような存在がいること自体ありえないことなのだ。
 だが、その不可能を可能としたのが銀河結界炉≠フ存在だった。
 第一世代の〈皇家の樹〉に匹敵。それ以上の力を持つ〈銀河結界炉〉は、文字通り世界の法則を変えるほどの力を持つ。それは即ち、世界の理≠ノ干渉できると言うことだ。
 勿論、なんでもかんでも好きなように出来ると言う訳ではない。銀河結界炉はその名の通り、亜法を司る装置≠セ。
 亜法――この魔法のような技術を極めていけば、いずれ人類にも到達できるであろう現象しか再現することは出来ない。
 三命の頂神のように、無から新たな宇宙を創造するような力はないと言うことだ。

 しかし、その程度≠ナあってもアストラルコピーを生み出す程度のエネルギーを捻出することは造作もない。
 そして何も知らない人々から見れば、銀河結界炉のもたらす現象は神の奇跡≠ニ同じだ。
 これらの技術を理解できない人々からすれば、魂の錬成など死者蘇生の奇跡と見分けがつかないのだから――
 アストラルコピーは知識や記憶だけでなく、霊体さえもオリジナルと寸分違わない状態で再現できる。ここにいる太老も太老であると言ったのはそう言うことで、仮に太老のことをよく知る人間が彼を見ても、オリジナルとの見分けは付かないだろう。実際、本人も太老のアストラルコピーだと理解はしているが、またこの自分も正木太老であると認識しているのだ。

 危険はないのか? と言ったリスクが当然のように頭を過ると思うが、勿論絶対に安全と言う訳ではない。
 限りなくオリジナルに近いと言うことは、やろうと思えばオリジナルに取って代わることも可能なのだから、その懸念は当然と言えるだろう。
 しかし、太老に限って言えば、それは無用の心配と言える。
 知識や記憶だけでなく霊体さえも同じ状態で再現された高度なアストラルコピーは、趣味や趣向性格≠ウえもオリジナルと寸分違わない。我の強い人間であればオリジナルに成り代わろうと考えるかもしれないが、そんな面倒臭いことを例えコピーであったとしても太老≠ェ少しでも考えるはずがない。むしろ、表向きの面倒なことはオリジナルに任せて、自分はのんびりと平穏に暮らしたいと彼は考えているくらいだった。
 だが、それはオリジナルの太老にも言える。
 太老からすれば、ダグマイアの救出という面倒な仕事を自身のコピーでもあるAI≠ノ任せたつもりでいるのだ。
 互いに面倒事を押しつけあっていると考えると、この両者の関係はしっくりと来るだろう。
 ようするに何度もしつこく言うようだが、どちらも太老≠ナあると言うことだ。

 それにアストラル海からのフィードバックを受ければ、コピーの記憶はオリジナルに共有される。
 仮にコピーが怪しい計画を企てていたとしても、オリジナルには筒抜けになると言うことだ。
 逆にコピーが持つ記憶と知識は、複製された時点までのものしか共有されない。
 いまのキーネが、キーネのクローンではあるがキーネ本人ではないと過去に言った部分が、そこになる。
 オリジナルのキーネがいなくなってから彼女が培った経験は、既にこの世を去ったオリジナルは持たないものだからだ。
 ――閑話休題。

「なんで、お前がここにいるんだ?」

 話が少し脱線したが、こちらの太老も太老である以上、オリジナルと似たような反応をするのは当然だった。
 船穂や龍皇がオメガのコクピットに突然現れた時の太老も、いまの太老と同じ顔をしていた。
 それに、ここはガイアの精神世界だ。普通に転移して侵入できるような場所ではない。
 そもそも、どうやってここまできたのかと言った疑問が頭を過る。
 そんななか――

「子供の声?」

 精神世界に響く幼い子供のような声に気付き、何もない空を見上げる太老。
 それが空間を超越し、世界を隔てて届いた〈皇家の樹〉たちが発する喜びの声だと察する。
 まるで再会を喜ぶかのように無邪気にはしゃぐ〈皇家の樹〉たちの声に、こちらの太老もオリジナルと同じ考えに至る。

「再会を喜んでいる? そうか、お前たち……」

 太老の問いに答えるかのように、空間に響く無数の声が大きく響く。
 こちらの世界にきて二年近く。マッドや鬼姫から解放され、こちらでの生活も悪くないと思い始めていた。
 しかし、自分の帰りを待ってくれている人たちが、あちらの世界にも大勢いたことを太老は思い出す。
 それに――

「お前たちの世話を、桜花ちゃんに任せきりだったしな」

 数万、数億の歳月を生きる〈皇家の樹〉にとって、二年など瞬きにも等しい時間だろう。
 それでも、寂しい思いをさせたことに変わりは無い。
 その証拠に〈皇家の樹〉たちが、再会を心から喜んでくれている気持ちが伝わってくる。
 なのに――

「……力を貸してくれるのか?」

 困っているのに気付いて、ここまで来てくれたのだと太老は察する。
 皇家の樹は純粋だ。子供のように無邪気であるが故に、考え方はシンプルだ。
 大切な人が困っているから助けたい。力になりたい。
 そう考えて、太老のもとへと転移してきたのだろう。

 皇家の樹との契約とは、樹と友達≠ノなるところから始まる。
 主従の契約ではなく、あくまで対等な関係。契約者は友人として、家族として〈皇家の樹〉と接しているだけだ。
 だからこそ、樹雷は〈皇家の樹〉の力を振りかざすことはなく、戦争の道具にしようとは考えない。
 友人や家族のように接しているからこそ、皇家の樹の嫌がること望まないことを強いるような真似はしたくないからだ。
 逆に言えば、そのようなことを考える人間は〈皇家の樹〉のマスターに選ばれることはない。
 純粋であるが故に、彼等は人の悪意や欲望に対して敏感だからだ。

 太老や桜花が天樹に自由に出入り出来るのは、二人が〈皇家の樹〉に対して邪な考えを一切抱いていないことも理由の一つにあるのだろう。
 それどころか〈皇家の樹〉の方から契約を望まれても、太老と桜花はそれに応えることはなかった。
 太老は観測世界からの転生者にして、この宇宙の特異点とも言える存在だ。桜花も自らの力で高次元へと至った天地やZのような存在。応じなかったのではなく契約を交わすことが出来ないというのも理由の一つにあるのだが、そもそも二人にとって友達≠ニなるのに契約など必要なかったのだ。それが、天樹が二人を受け入れ、皇家の樹たちが特別視する最大の理由だった。
 本能的に自分たちに近い――もしくは自分たちよりも高次の生命体だと気付いてはいるのだろうが、それは別として見返りを一切求めることなく普通の友人として接してくれる二人が〈皇家の樹〉たちには嬉しかったのだろう。

 だからこそ、皇家の樹たちは二人の力になりたいと考えていた。
 船穂や龍皇が桜花について回り、契約者でもないのに力を貸しているのは、それが理由だ。
 そもそも〈皇家の樹〉の力を借りるのに、契約は絶対に必要というものではない。
 過去に天地が船穂のマスターキーである〈天地剣〉を使えたように、樹に認められさえすれば力を借りることは出来るのだ。
 勿論、契約にも意味はある。皇家の樹が契約を求めるのは、大好きな人と精神的な繋がりを得ることで安心感を得たいという本能があるからだ。
 双方にとってメリットがあるからこそ、樹雷皇家と〈皇家の樹〉の関係は長く続いてきたのだろう。

 そう言う意味では、太老と桜花はイレギュラーな存在と言える。

 この世界の人間ではないが故に常識や価値観が異なるため、契約に縛られることなく新たな関係≠築ける存在。
 それが、皇家の樹たちにとっての二人であった。

「まあ、丁度困っていたと言えば、困っていたところなんだが……」

 手伝ってもらうべきか迷う太老。
 こっちでの生活を満喫して自分はすっかり忘れかけていたのに、好意に甘えていいものかと言う考えがあったからだ。
 それに懸念もあった。幾ら〈皇家の樹〉をそのように見ていないと言っても、その力は知っている。
 船穂や龍皇のように第二世代よりも上の樹ともなれば、星を吹き飛ばすどころか銀河を消滅させるほどの力を秘めているのだ。
 どうにも嫌な予感を覚え、本当に頼ってもいいものかと太老は躊躇する。

(……外の俺は何をしてるんだ?)

 思わず自分自身に愚痴を溢しそうになる太老。
 とはいえ、同じ太老だから分かる。
 外の自分も、この展開はさすがに予想していなかっただろうと。

「ダグマイア一人なら、まだどうにかなったんだが……」

 ダグマイアが囚われている場所の特定は既に出来ていた。
 しかし、ダグマイアの捜索の過程で別の問題が浮上したのだ。
 それが聖機人ごと捕食され、ガイアに取り込まれた聖機師たちの存在だった。
 外で連合軍と戦っている黒い聖機人たちは、すべてガイアの精神世界に囚われている聖機師たちのものだ。
 助ける方法がない訳ではないが、とてもではないが太老一人では手が足りないし、ここでは彼等を助けるために必要なものが揃わない。
 だからと言って、外の自分もガイアの本体を抑えるのに精一杯で手を借りることは出来ない。
 どうしたものかと途方に暮れていたところで、船穂が転移して目の前に現れたと言う訳だった。

「仕方ないか」

 この際、背に腹はかえられないと太老は腹を括る。
 ほとんど面識のない赤の他人と言っても、ここで彼等を見捨てたら確実に後悔する。
 後悔するくらいなら、出来るだけのことをやってからでも遅くはない。それが太老なりにだした結論だった。
 それに、後始末をするのはどのみちオリジナルの自分だと、完全に割り切っていた。
 この辺り、やはり彼も太老であることに違いはないのだろう。

「じゃあ、手伝ってくれるか?」

 太老に頼られ、やる気に満ちた〈皇家の樹〉たちの声が反響する。
 しかし、この選択が後に悲劇≠もたらすことになろうとは、どちらの太老も気付くことはなかった。





 ……TO BE CONTINUED



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