現在セルセタの総督府には、ただならぬ雰囲気が漂っていた。
グリゼルダの乗船していたロンバルディア号の消息が、グリーク地方にある魔の海域近くで途絶えたとの報せがあったからだ。
情報はグリーク地方の行政府から寄せられたものだったが、事故発生から既に一ヶ月以上が経過していた。
グリーク地方からセルセタ地方までの距離を考えれば、それも仕方なしと思うところはあるが問題はそう単純な話ではなかった。
ロムン本国にもロンバルディア号にグリゼルダが乗船していたことは、既に報せが行っているはずだ。となれば、このままグリゼルダがキャスナンに帰還しなければ、次の総督が本国から派遣されてくることになる。そうなれば、セルセタがどのような運命を辿るかなど想像に難くない。アルタゴ公国との戦争が長期化することで、前線は相当に厳しい状況に陥っているとの噂が、この辺境の都市にまで届いていたからだ。
事実それを裏付けるかのように、本国からの要求は年々厳しさを増していた。
だとすれば、先住民の財産を徴発するだけでは済まないだろう。恐らく樹海に住む人々は徴兵され、戦争に連れて行かれる可能性が高い。そうなれば当然、樹海の民の強い反発を招く。それはグリゼルダがセルセタの総督に着任して三年。樹海の民との共存共栄を政策の方針に掲げ、自ら歩み寄ることで理解を得ようと努力してきたことが、すべて水泡に帰すことを意味していた。
ここに集められているのは、そうしたグリゼルダの意志に賛同し、統治に協力してきた者たちだ。
現地採用の士官も多い。新たな総督が着任することになれば、そうした本国の意向に従えない者は容赦なく切り捨てられるだろう。
「レオ団長。この先どうされるおつもりのなのか、お聞かせ下さい」
グリゼルダの腹心の一人とも言うべき士官が険しい表情で、議場の奥に腰掛ける軍人と思しき男に尋ねる。
どっしりとした物腰で腕を組み、瞑想する赤いマントの男。
頭の上で結われた長い髪と、凛々しい髭が自慢の彼の名はレオ。〈雷鳴〉の異名を持つロムン帝国の軍人だ。
ここセルセタの駐屯軍を束ねる軍の責任者でもあった。
グリゼルダが留守の時は、彼女の代理として総督府の指揮に当たっていた。
(総督閣下のことだ。恐らくは無事だと思うが……)
レオは思案する。出来ることなら捜索隊を派遣したい。しかし、そうは出来ない事情があった。
グリゼルダは敵が多い。このような辺境に追いやられたのも、彼女のことを厄介に思う連中が本国にいるためだ。そうしたことからグリゼルダのことを快く思わない勢力が、今回の事故を引き起こしたのではないかという憶測が立ってもおかしくない。いや、実際に今頃ロムン本国では責任の擦り付け合いが起きているはずだとレオは考える。
セルセタから捜索隊を派遣すれば、そうした連中を刺激することになる。最悪の場合、皇女暗殺の容疑を掛けられ、ここにいる関係者は全員が罪人として裁かれるシナリオすら考えられた。
だからと言って、このまま座して待つのが良い選択とも思えない。
グリーク地方の行政府がこのような報せを送ってきたということは、セルセタに新たな総督が派遣されてくるのも時間の問題と思われるからだ。
どうするべきか? レオの決断を静かに皆が待っていた、その時だった。
「報告があります! 総督閣下が――」
息を切らせた兵士が扉を開け放ち、議場に飛び込んできたのだ。
その慌て振りからも、ただごとではないと察し「何があった?」と大きな声で尋ねるレオ。
だが、次に響いたのは兵士の声ではなく――
「レオ、レオはいるか!」
「そ、その声は――」
その後を追うようにやってきたグリゼルダの声だった。
マントを翻し、早足で議場に姿を見せたグリゼルダを目にして、一同は驚きながらも慌てて敬礼を取る。
安否が心配されていた人物がなんの前触れもなく帰ってきたのだ。驚くのも無理はない。
だが、驚きながらもレオはすぐにグリゼルダのもとへ駆け寄り、声を掛ける。
「総督閣下、ご無事だったのですか!?」
「うむ、幸いな。その様子では、そちらも一通りの状況は把握していると見て良いな?」
「はっ! グリーク地方の行政府より今朝方、報せがきまして、閣下の乗っていたロンバルディア号が消息不明になったと」
「概ね、その通りだ。嵐に見舞われ、船は沈没したのだが、幸い〈セイレン島〉と呼ばれる島に流れ着いてな。そこの先住民に助けてもらい、こうして無事に帰還できた」
「は? セイレン島ですか? しかし、どうやって……」
ロンバルディア号が消息を絶ってから、すぐにグリーク地方の行政府も使者をだしたと思われるが、それでも報せがくるまでに一ヶ月以上の時間を要したのだ。それに船で帰還したと言うのなら、港に詰めている兵士から事前に報告が上がっているはず。一体どうやってセルセタまで帰ってきたのかと、レオが疑問に思うのも当然だった。
しかしグリゼルダはそんなレオの疑問に答えることなく、珍しく慌てた素振りで声を上げる。
「その話は後だ。それより――赤ん坊だ」
「は?」
「赤ん坊が産まれそうなのだ!」
言葉の意味を消化しきれず間を置くこと、数秒。
次の瞬間、建物を揺さぶるかのようなレオの叫び声が議場に響くのだった。
◆
「ここは一体……」
転位で連れて来られた場所で、戸惑いの声を上げるラクシャ。
アドルとリコッタ。それにシルヴィアも興味深そうに辺りを見渡す。
四人がリィンに連れて来られたのは、イオが眠っていた地下聖堂だった。
「地上にある廃墟の都市はお前たちも目にしただろ? ここはその地下に広がる大聖堂だ。で、改めて紹介すると、こいつが――」
「はーい! ここの番人、古代エタニア人の『イオちゃん』だよ。おねーさん、おにーさんもよろしくね」
余りに唐突な自己紹介に呆気に取られ、目を丸くして固まるラクシャ。
もはや、どこからどう突っ込めばいいのか分からない状況に困惑を隠せずにいると、
「皆さん、戻られたのですね」
「こいつはサライ。エタニアの女王にして〈進化の護り人〉の一人だ」
「えっと……はじめてまして、サライです」
今度はエタニアの女王にして〈進化の護り人〉を名乗る女性まで現れ、ラクシャは額を手で押さえながらフラフラと後ずさる。
そんななかアドルの落ち着いた態度が気になってか、訝しげな表情で尋ねるラクシャ。
「すみません……酷く混乱しているのですが……というか、アドルは平気なのですか?」
「ん? いや、なんとなく予感してたっていうか。むしろ、納得が行ったっていうか」
「……どういうことですか?」
リィンたちが何かを隠していることには以前から気付いていたとアドルは話す。
何を隠しているかまでは分からなかったが、少なくとも夢の内容に関することだとは察しが付いていたそうだ。
アドルがそう確信を得たのは、フィーの肩に同じ紋様が現れた時だった。
夢にでてきたダーナの肩にも同じ紋様が刻まれていたからだ。
「何も知らなかったのは、わたくしだけと言うことですか? これまでの苦労は一体……」
どんよりとした影を背負い、落ち込む姿を見せるラクシャ。
それなら最初からリィンたちに相談をしていれば、あんな苦労をせずともよかったのではないかと考えたからだ。
すんなりと教えてもらえたかどうかは別として、少なくとも情報交換には応じて貰えたはずだ。
実際ちゃんと対価を提示されれば、リィンは交渉に応じた可能性が高い。ラクシャもそうしたリィンの性格をわかっていた。
なのに――という考えが頭を過ぎる。
「うんうん。おねーさんも若いのに苦労してるんだね」
そのやるせない気持ちは凄く分かる、と何度も頷くイオ。
意外な理解者を得て、なんとも言えない顔をラクシャは浮かべるのだった。
◆
「――なるほど、そういうことでしたか。というか、もう隠しごとはありませんよね?」
リィンからイオとサライを仲間に加えた経緯を聞き、ラクシャは念を押すように尋ねる。
こんなところに秘密基地を作っていたこともそうだが、次々にでてくる新情報になんとも言えないやるせなさを感じたためだ。
折角、前向きに島の謎を突き止めようと頑張る気になっていたのに、水を差されたカタチだ。
理不尽な怒りだと理解しつつも、ラクシャが不満に思うのも無理はなかった。
「あると言えば、あるんだが……怒らないか?」
「……まだ何かあるなら、今のうちに仰ってください。怒りませんから」
今度は逆に念を押すように尋ねてくるリィンを訝しみながらも、ラクシャは半ば投げ遣りに尋ねる。
怒らないと言質を得て、安心した様子で続きを話し始めるリィン。
「まあ、ベルとクイナの行き先を調べるのに必要なことだから、どのみち話す必要はあったんだが――」
「……どういうことですか?」
「助けを呼ぼうとしたが、通信が繋がらなかったって話を聞いてるな?」
「ええ、ドギとバルバロス船長から、そのように聞いています」
「あれは霧が結界のような役割を果たし、導力波を遮断していたからだと推察できる」
説明を受けてもよく分からない様子で『導力波?』と首を傾げるラクシャ。
それはアドルやリコッタ。シルヴィアも同じような反応だった。
そんな反応を見て、論より証拠とリィンはポケットから〈ARCUSU〉を取りだし、それを皆に見えるようにテーブルに置く。
「過去に同じようなことがあったからな。導力に頼らない対策を講じてある。それが、これだ」
リィンが半分に折り畳まれた〈ARCUSU〉を開いて操作すると、液晶画面に島の地図と光点が現れた。
「俺たちの使っている戦術オーブメントには通常の通信機能の他に、導力波を用いない機械式の発信機が搭載されてる。その信号を辿れば、ベルの位置が分かるという寸法だ」
ついでに言えば、クイナの衣服にも同じ発信機を縫い付けてあるとリィンは説明する。
機械に関する知識が疎く、発信機というものがよく分からなかったが、居場所を特定するものだというのはラクシャにも理解できた。
恐らく地図の上で光っている場所に二人がいるのだろうと察するが、ふとした疑問が頭に過ぎる。
「ちょっと待ってください。それって、もしかしてわたくしたちのオーブメントにも?」
「当然だろ? 位置が分からなければ、何かあっても助けに行けないしな」
リィンが怒らないかと念を押した意味を察し、その説明に渋々ではあるが納得するラクシャ。
実際、リィンたちの助けがなければ、漂流者たちを安全に連れ帰ることは出来なかった。
それにリィンなりに心配してくれていたのだと考えれば、黙っていたことを怒る気にはなれない。
しかし、
(二人のには発信機だけでなく盗聴器も仕掛けてあるんだが、さすがに言えないよな……)
そんなことをリィンが考えているなどと、ラクシャは知る由もない。
知れば怒るだろうが、そのことをバカ正直に打ち明けるつもりもなかった。
リィンは再び地図の上に光る点に目を向け、サライに尋ねる。
「サライ、この場所に何があるか分かるか?」
「はい。恐らく〈王家の谷〉に囚われているのだと思います」
エタニアの王家にのみ代々伝えられている場所。はじまりの大樹の真実が記された遺跡がそこにはある、とサライは話す。
この地下聖堂のような場所が他にもあると聞いて驚くも、考えてみれば不思議なことではないかとリィンは考えに至る。
はじまりの大樹は過去に幾度となく〈ラクリモサ〉を繰り返してきたという話だ。
だとすれば、イオのように後世に真実を伝えようとした者が他にもいたとしても不思議な話ではない。
フィーの夢に出て来たという真実を記した石碑。それも恐らくは、そうしたものの一つなのだろうとリィンは察する。
「〈王家の谷〉……もしかして、そこに〈セレンの園〉が?」
「どうして、そのことを……」
驚くサライに、夢で見たことを話して聞かせるアドル。
ここ数日、連日のようにアドルはダーナの夢を見ていた。
そのなかで〈王家の谷〉と〈セレンの園〉と呼ばれる場所があることを知ったと説明する。
「夢ね……」
「疑っているのですか? 確かに俄には信じがたい話だと思いますが……」
「いや、疑っているわけじゃない。実際、フィーも同じような夢を見ているからな」
「え?」
驚きの顔を浮かべ、フィーに視線を向けるラクシャ。
まさか、アドルと同じような夢をフィーが見ていたなどと想像もしていなかったからだ。
しかし、それなら先程リィンから聞いた話に繋がると、ラクシャはイオに視線を向ける。
フィーの精神に干渉してきたイオを罠に嵌め、捕らえたとリィンは説明していたからだ。
「では、フィーの夢の相手というのは、もしかして……」
「うん。アタシだね。その所為で、散々な目に遭ったんだけど……」
その時のことは思い出したくないと、イオは遠い目で語る。
実際スライム塗れにされたあの一件は、イオのなかで軽いトラウマになっていた。
それが原因で死にかけたのだから、当然と言えば当然だ。
(ずっとダーナさんは過去の人物だと思っていた。でも、こうしてイオちゃんやサライさんが生きていることを考えると……)
エタニア人のイオやサライがこうして生きているのなら、ダーナも生きていて不思議ではない。
アドルが夢を見る原因も、そこにあるのではないかとラクシャは考える。
「では、その方法を使えば、ダーナさんも――」
「ベルがいればな」
捜せるのではないかとラクシャが尋ねようとしたところで、リィンは話に割って入る。
妙案だと思ったのだろう。肩を落とし、落胆した様子を見せるラクシャ。
だが、
「罠を張らなくても、ダーナ・イクルシアの居場所は特定できる」
「……どういうことですか?」
ベルがいなければ無理だと言われた直後に他に方法があると聞かされ、ラクシャは訝しげな表情を見せる。
まだ何か重要なことを隠しているのではないかと思ったからだ。
そして、
「ここにいるイオは、ダーナと同じ〈大樹の巫女〉だ。そして――」
その予感は的中する。
イオとダーナと同じ資質がクイナにもある、とリィンは語ったからだ。
「それは……どういうことですか?」
「イオは巫女の気配を感じ取ることが出来る。だから俺は手掛かりを得るため、イオに侵入者の痕跡を探らせた」
イオを集落に連れて行ったのは〈精霊の道〉を開くサポートをさせることだけが目的ではなかった。
リィンの身体から巫女の気配を読み取ることが出来たイオなら、実際に犯行のあった現場へ連れて行けば、もっと詳しいことが分かるのではないかと考えたのだ。
そして、その予想は正しかった。
理力による〈転位〉が使われた痕跡。巫女のものと思しき力の残滓を二つ<Cオは見つけたのだ。
一つはクイナのもので間違いない。だとすれば、もう一つは?
クイナでもイオのものでもないとすれば、残るは一人しかいない。
「古代種がドギたちの目を惹きつけている間に集落に侵入し、ベルとクイナに接触した者がいる。それは恐らく――」
ダーナ・イクルシア。
彼女がベルとクイナに接触したと考えるのが、現場に残された状況証拠から察するに自然だった。
「では、ダーナさんが二人を……」
「それは少し違うな。ベルに限って言えば、連れ去られたのではなく自分から出て行ったと言う方が正しいだろう」
「なるほど、そういうことか。それで……」
リィンの話を聞き、アドルは納得した表情で頷く。
クイナだけならともかく、あのベルが易々と連れ去られたとは考え難い。なら連れ去られたのではなく、自分から出て行ったと考えるのが自然だ。
問題はどうして出て行ったのかだ。
集落の人々を守るため? クイナならともかくベルに限って、それはありえない。
第一、集落にはベルの結界が張ってあったのだ。ベルに気付かれずに集落に侵入することは不可能だ。
となれば、考えられる答えは一つしかない。
「集落のなかに〈進化の護り人〉と通じていた者がいる。そいつが犯人だ」
「え? それって、まさか……」
アドルだけでなくラクシャも犯人に気付いた様子で驚きの声を漏らす。
出来ることなら信じたくない。余り考えたくのない人物だったからだ。
「そう、クイナを連れ去った犯人は――」
ベルだ。
と、リィンは黒幕≠フ名を告げるのだった。
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